「今度は、止まりません」
工房の主人が言った。
その声に、隣にいた弟子が不安そうな顔をした。
視察に訪れた役人たちの中で、レオンだけがそれに気づいた。
港務局から借り出され、荷役設備の試験に立ち会うことになったのである。
目の前には、木と鉄を組み合わせた巻き上げ機があった。
人が取っ手を回し、歯車を通じて綱を巻く。従来の道具よりも少ない人数で荷を上げられるという。
港が拡大するにつれ、こうした工房への注文も増えていた。
国が費用の一部を負担し、商会が実際の使い勝手を確かめる。改良が認められれば、別の港にも導入する。
今日の試験は、そのためのものだった。
「では、始めてくれ」
役人の合図で、職人たちが動いた。
麦を詰めた袋が、ゆっくりと宙に浮く。
見物していた商会の者が頷いた。
「なるほど。これなら船側にも置けますな」
「ええ。場所さえ確保できれば」
工房の主人が胸を張る。
その時、鉄の擦れる嫌な音がした。
弟子が顔色を変えた。
「止めて!」
取っ手を回していた職人が手を止める。
袋がわずかに沈んだ。
直後、歯車の一つが跳ね、綱が激しく震えた。
「離れろ!」
主人が叫んだ。
荷は途中で止まったが、支柱が軋んでいた。
誰も、その下へ入ろうとはしなかった。
*
「今日の試験は中止する」
検分役の技師が言う。
工房の主人は、唇を噛んだ。
「交換すれば、すぐにでも」
「原因を確かめてからだ」
「ですが、納期が」
「人を怪我させたら、納期どころでは済まないぞ」
技師が取り外した歯車を置く。
歯の一部が欠けていた。
「これだけ、別の工房で作ったな」
「……注文が重なりまして」
「寸法は渡したのか」
「見本を一つ」
「相手は、その見本と同じものを作ったつもりだったんだろうな」
主人は黙っていた。
工房ごとに、使う物差しも加工の癖も違う。
手元で擦り合わせて使う分には、それで間に合う。
だが、別の場所で作った部品を、そのまま組み込もうとすると問題が起きた。
技師は紙に線を引き、二つの歯車の間隔を書き込んでいく。
「許容する違いを決めよう。ここが合わなければ、受け取らない。見本だけじゃなく、測るための道具も揃える」
「それでは、作れるところが減ります」
「最初はな」
主人は欠けた歯車を手に取った。
長い沈黙のあと、低く息を吐く。
「……試してみます」
*
報告が皇宮に届いたのは、翌日だった。
皇帝は『試験失敗』の文字を読み、それから添付された改善案を確かめた。
「怪我人は」
「おりません」
「それはよかった」
担当官は、少し言いにくそうに続けた。
「追加の試作費を求めております」
「理由は分かる。だが、この金額で足りるのか」
「前回の承認額を超えぬよう、抑えたものと思われます」
フリードリヒは書類を机に置いた。
「必要な工程を省いて同じことになっても困る。見積もりを出し直させてくれ」
「工房への支援は継続ということで」
「改善案には筋が通っている。継続してよい」
担当官の肩から、わずかに力が抜けた。
「ただし、別の工房でも部品を作って組み立てること。それができなければ、帝国中に広めるのは難しい」
「承知いたしました」
外国製の優れた道具を買うこともある。
技術者を招き、製法を学ぶこともある。
しかし、それらを広い国土で使い続けるには、自分たちで直し、補い、増やせる仕組みが必要だった。
皇帝は、次の報告書を開いた。
こちらは用水路の揚水設備についての試験だった。
成功の印が付いている。
それを見て、彼は小さく頷いた。
*
数日後、レオンが港へ戻ると、倉庫の前で大工たちが足場を組んでいた。
使用を止めた第二倉庫の修繕が始まったのだ。
親方が彼に気づき、片手を上げる。
「役人さん。今度は落ちない屋根になるぞ」
「前の屋根も、建てた時はそう思われていたはずです」
「言うようになったな」
二人は笑った。
その時、沖の見張り台から鐘が鳴った。
入港船を知らせる音だった。
東方航路から戻った商船だという。
いつもの帰港だった。
少なくとも、その船が運んできた話を聞くまでは。
民生技術を優先する帝国の発展は、工房や港での小さな改良の積み重ねでもありました。