「島が増えた?」
レオンは、書きかけた筆を止めた。
向かいに座る商船の船長は、不機嫌そうに椅子を鳴らした。
「俺がそう言ったんじゃない。向こうで、そういう話が広まっているんだ」
「どちらで聞かれたのですか」
船長が港の名を挙げる。
レオンは、航海記録に目を落とした。
積荷の売買。補給。悪天候による停泊。
その記録の途中に、噂を聞いたという港があった。
「船長ご自身は、その島をご覧になっていない」
「見ていない。そこへ行く船じゃないからな」
「承知しました」
書き留めようとすると、船長が身を乗り出した。
「だが、妙なのは島の話だけじゃない。帆のない船だの、竜でもない空を飛ぶ物だの、似たような話を別々の連中がしていた」
「同じ噂を聞いたのでは」
「かもしれん。だから、こうして聞かれた通りに答えている」
もっともだった。
レオンは筆を置き、頭を下げた。
「疑っているように聞こえたのでしたら、失礼しました」
「疑うのが仕事だろう。俺だって、酒場で聞いた話を全部信じていたら、とうに海の底だ」
船長は鼻を鳴らした。
「ただ、あそこまで同じ話を聞かされると、気にはなる」
*
その日のうちに、報告は港務局から外務部門へ回された。
東方の海域に、未知の国が存在する可能性がある。
国の名は、日本。
表記には揺れがあり、発音も聞き手によって異なっていた。
すでに周辺の国と交渉を始めているらしい。
そこまで読み進めた外務官のエーリヒは、紙の余白に印をつけた。
彼の机には、外国の関税改定や、商館からの苦情や、船員の拘束事件などが積まれている。
未知の国の噂が届くこと自体は、珍しくない。
山奥の王国。
霧の中に隠された島。
古代の魔法を受け継ぐ都市。
多くは、確かめるうちに既知の小国へ行き着くか、語り手そのものが消えていった。
しかし、今回の報告には、交易の相手を探しているという具体性があった。
「この船長に、もう一度話を聞きたい」
エーリヒは部下に言った。
「帆のない船についてですか」
「まずは、誰から聞いたかだ。その人物が直接見たのかどうかも」
「分かりました」
「関連する報告が来ていたら、一緒に持ってきてくれ。新しいものだけでなく、最近のものも」
*
船長への二度目の聞き取りには、レオンも同席した。
今度は、噂を面白がる者の顔をした役人はいなかった。
エーリヒは海図を広げ、船長が立ち寄った港に小さな印を置いていく。
「こちらでは、誰から」
「穀物商だ。荷を積む順番を待っている時に聞いた」
「その人は、日本の者と会ったと?」
「いや。取引先から便りが来たと言っていた」
「では、もう一つの港は」
「水を売っていた男だ。そっちは、港に来た船を見たらしい」
印の横に、短い注記が増えていく。
話の出どころを辿ると、すべてが同じ噂ではないらしかった。
もっとも、まだ確かとは言えない。
「国が突然現れたというのは、どういう意味だ」
船長の方が尋ねた。
「海図に載っていなかった、というだけなら分かる。だが、あっちの連中は、もっと変なことを言うんだ。昨日までなかった、と」
エーリヒは答えなかった。
その部分を裏づける材料は、何もない。
「今は、分かりません」
正直に言うと、船長は少しだけ満足した顔をした。
「役人にも、分からんことはあるんだな」
「随分ありますよ」
*
翌日の午後、外務部門で報告がまとめられた。
日本と称する未知の国家について、商船を通じた情報が複数到着。
船舶及び飛行物体に、既知のものと異なる特徴があるとの証言。
国の出現に関する話は、未確認。
報告書は、そのような順番で記された。
エーリヒは最後に、追加調査の必要性を書き添えた。
その時点で、彼らは知らなかった。
遠い東の海に、本当に一つの国が現れたことを。
そしてその国で、見知らぬ空の下に取り残された人々が、食料と資源の行方を懸命に探していることを。
日本の出現は、まず不確かな情報として帝国へ届きました。