「積めません」
船長のマルタは、即答した。
エーリヒは、荷物の一覧をもう一度見た。
「まだ、上限には達していないはずですが」
「重さの話ではありません。置き場です」
船室にする予定の区画には、すでに木箱が並んでいた。
贈答品、着替え、筆記具、薬、食器、予備の帆布。
さらにその奥へ、役人たちが新しい箱を運び込もうとしている。
マルタはそれを指差した。
「それを入れたら、怪我人が出た時に寝かせる場所がなくなります」
「資料の箱です。湿気を避けられる場所が必要で」
「人間にも必要です」
エーリヒは黙って一覧に線を引いた。
後ろで見ていたレオンが、顔を伏せる。
「笑ったか」
「いいえ」
「今、笑っただろう」
「少しだけ」
エーリヒはため息をついた。
*
レオンの同行は、港務局からの推薦で決まった。
外国船の入出港記録を扱え、帳簿にも強い。
正式な外交交渉を担うわけではないが、港湾や交易の実情を調べる役には立つと判断されたのだ。
本人にとっては、突然の話だった。
異国へ行く喜びより先に、準備の多さに追われている。
「この箱は」
「度量衡の見本です」
「では残す」
「こちらは」
「過去の通商条約の写しです」
「必要なものだけ抜き出せないか」
エーリヒと二人、箱の中身を確かめる。
机に向かっていた時には、どれも必要に思えた。
実際に船に積むとなると、その順番を決めなければならなかった。
午後には通訳を交え、交渉で使う言葉の確認をした。
友好。
通商。
訪問の許可。
軍艦の入港。
同じように見える言葉でも、国によって含む意味が違う。
「保護を求める、とは書かないでください」
エーリヒが言った。
「遭難時の救助を願う、です。外交上の保護関係と混同されたくありません」
通訳が頷き、文面を直す。
レオンは、その横で控えを作った。
*
出発を二日後に控えた午後、使節団は最後の説明を受けた。
日本について、現地で確かめるべき項目が読み上げられる。
交易の意思。
輸出できる品。
受け入れられる船と、その条件。
国の制度と、交渉の窓口。
軍の情報だけを集める任務ではない。
新たな国家と関係を結ぶために必要なことを、順に確認するのである。
「日本との会談が叶わない場合は」
若い随員が尋ねた。
「クワ・トイネで得られた情報を持ち帰る」
エーリヒは答えた。
「無理に面会を迫る必要はない。こちらの訪問を先方が知らない可能性もある」
「承知しました」
説明が終わると、上官が一通の封書を差し出した。
皇帝から、日本側の統治機関へ宛てた書簡だった。
厚い紙に押された封印を見て、室内が静まる。
エーリヒは両手で受け取った。
*
その夕方、フリードリヒは海軍から出港準備の報告を受けていた。
「風竜の随行は、予定しておりません」
担当官が言った。
「重大な脅威が確認されたわけではなく、通常の航海として対応可能です」
「分かった。盟約に基づく連絡は済んでいるな」
「はい。情勢に変化があれば、改めて協議いたします」
皇帝は頷いた。
未知の国に、帝国が持つ特別戦力を最初から見せる必要はない。
今回の目的は、相手を確かめ、言葉を交わすことだった。
「船の者たちには、無理をさせぬように」
「船長には、そのように」
「使節にもだ。役目を急いで、船長の判断に口を挟む者が出る」
担当官が、わずかに笑った。
「本人に、よく申し伝えます」
*
出港の朝。
レオンは岸壁から振り返った。
修繕中の倉庫には、新しい梁が運び込まれている。
その前で、顔見知りの親方が手を振っていた。
「役人さん! 帰ったら見に来いよ!」
「その頃には、終わっていますか!」
「お前がいつ帰るかによる!」
近くの人夫たちが笑った。
レオンも笑い、船へ向き直る。
甲板ではマルタが、最後の綱を外す指示を出していた。
帆が上がる。
大河の流れが船腹を押した。
帝都の港が、少しずつ遠ざかっていった。
帝国の使節団は、未知の国を確かめるため、東方への航海に出ます。