(慣性飛行とか結局難しかったのですよ(・・;))
春季オープンから一週間。その日はF2の公式開催日だった。指定されたFバトル会場で受付を済ませた篠原貴明は、ランキング端末の前で小さく息を吐いた。
「十八位」
「変わりませんね」
隣に立つすずらんが言う。
「この前の通常対戦は勝ったんだけどな」
「公式順位戦じゃありませんでしたから」
「知ってる」
「なら、今日は勝って上がりましょう」
「分かってるよ」
画面には現在のF2ランキングが表示されていた。篠原貴明、十八位。過去最高は十四位だが、最近は下位の順位枠から抜け出せずにいる。
F3を勝ち抜いてF2まで進んだのだから、神姫マスター全体で見れば実力者と言えるだろう。格闘武装限定大会で優勝したこともある。それなのに、通常の総合戦では十八位から上がなかなか遠かった。
「次の相手は?」
すずらんが聞く。
「十六位」
「上ですね」
「二つだけ」
「でも勝てば上がります」
「そうだな」
貴明は対戦相手のプロフィールを開いた。使用神姫はアーンヴァルMk.2。中距離から遠距離を主戦場とし、射撃武装を中心に使う。飛行装備の使用率も高い。
「また射撃型ですね」
「F2の上の方、こういうの増えるな」
「避けます?」
「何で」
「苦手でしょう?」
「だからやるんだろ」
すずらんが少しだけ笑った。
「マスターらしいですね」
「嫌なら変えるけど」
「やります」
返事は早かった。
◇
バトル筐体の前で、貴明はすずらんの装備設定を確認していた。装備一覧には、背部飛行ユニット、中距離用ライフル、補助射撃武装、腕部防御装備、脚部追加装甲、そして近接用の拳闘武装が並んでいる。
「重いですね」
画面を見上げながら、すずらんが言う。
「COSTの上限には収まってる」
「そういう意味ではなく」
「分かってる」
どれも必要だと思って組んだものだった。射撃主体の相手に何もできないのは困るし、飛ばれた時に追えないのも困る。一発の被弾で大きくLPを削られるのも避けたい。それで射撃武装と飛行装備を積み、防具も付けた。近距離へ入れたなら拳で戦いたいから、近接武装も残してある。
高校時代から少しずつ調整してきた万能型の構成だ。どんな相手にも最低限は対応できる。少なくとも、貴明はそう考えてきた。
「ライフル、変えます?」
「何に?」
「もう少し軽いもの」
「射程落ちる」
「防具は?」
「外したら射撃一発が痛い」
「飛行ユニット」
「相手飛ぶ」
「……全部理由ありますね」
「だからこの構成なんだよ」
「そうでした」
すずらんは納得したような、していないような顔をした。貴明はこれ以上装備を変えず、現在の構成で設定を確定した。
「行こう」
「はい」
◇
ライド開始。視界が一瞬暗転し、市街地を模したバトルステージが現れた。高低差のある地形にビル状の障害物、広い道路。上空まで使える立体的な戦闘空間だ。
貴明の操作系がすずらんへ接続され、彼女が見ている光景へ視界が切り替わる。ライド中であっても、すずらん自身の判断が消えるわけではない。
『接続、問題ありません』
すぐ近くで声がする。
「こっちも」
『右肩、少し装備重いです』
「分かってる」
『試合前から言っておきます』
「終わったら調整する」
『毎回聞いてる気がします』
「今回はやる」
『分かりました』
開始位置の向こうには、白いアーンヴァルMk.2が見える。相手はすでに大型の射撃武装を構えていた。
『来ます』
「右」
貴明が大まかな回避方向を入力すると、すずらんが動いた。どの瞬間に踏み込み、身体をどこまで傾け、どこへ着地するか。細かな姿勢制御は、すずらん自身が行う。
次の瞬間、光弾が元いた場所を通過した。
「まだ遠いな」
『射程負けてます』
「分かってる」
こちらもライフルを一発放つが、相手は高度を上げて難なく避けた。
「飛ぶか」
『了解』
背部ユニットを起動し、すずらんが高度を上げる。しかし、相手はさらに距離を取った。
射撃を交わしながら互いに高度を変え、また撃つ。貴明は眉を寄せた。
「当たらない」
『向こうも、まだ大きいのは当ててません』
「でも、こっちの方が消費してる」
飛行、射撃、回避を同時にこなす必要がある。すずらんが細かな動きを補正してくれても、相手の方が上手かった。特に高度管理が違う。上昇したかと思えば止まり、急に落ちて射線を切り、また上がる。その動きを追うほど貴明の判断は一拍ずつ遅れていった。
『左上』
「見えてる」
射撃。
「防御!」
すずらんが腕部装甲を前へ出す。衝撃が走り、LPが削られた。
「ちっ」
『防げました』
「でも削られた」
『防具なければもっとです』
「それもそう」
すずらんの言うとおりだ。防具が被害を抑え、ライフルは相手に完全に自由な射撃をさせずにいる。飛行ユニットがあるから、上空へ逃げられても追える。どの装備にも役割がある。それなのに、有利になっている感覚はなかった。
相手がビルの向こうへ回る。
「降りる」
『はい』
すずらんが地上へ向かう。着地。
「走るぞ」
『了解』
遮蔽物を使って地上から距離を詰める。直線で追えば撃たれるだけだ。
『右から来ます』
「そのまま」
ビルの角から相手の射撃が飛ぶ。すずらんは貴明の入力を待たず、瞬間的に身体を沈めた。光弾が頭上を抜ける。
「今!」
すずらんが前へ出て、相手との距離を詰める。三分の二。さらに半分。相手が下がった。
こちらも飛ぶ――
「いや」
貴明は一瞬だけ迷った。
『マスター?』
「そのまま地上!」
飛行ユニットは使わない。すずらんが走る。
相手は上空へ逃げた。
「ジャンプ!」
『はい!』
脚部出力を使って地面を蹴る。すずらんの身体が大きく跳び、一気に相手の高度へ届いた。相手が驚いたように動く。
「右!」
拳闘武装を構え、すずらんが空中で姿勢を調整する。肩と腰を連動させ、拳の軌道を合わせる。神姫ボクシングで何千回と繰り返してきた動作だった。
右ストレート。
直撃。
『っ!』
相手が大きく吹き飛んだ。
「入った!」
すずらんが着地し、吹き飛ばされた相手も地上へ落ちる。
「詰める!」
『了解!』
一気に距離を縮めた。
そこから、攻防の空気が変わった。相手がライフルを向けると、すずらんは半歩外した。貴明が大まかな回避方向を入力するより、こうした至近距離の微細な対応は彼女自身の方が速い。
ジャブで相手の照準をずらし、もう一発。続く右を相手がガードすると、すずらんは左へ動いた。
「ボディ!」
拳が入り、相手の姿勢が崩れる。すずらんが距離を調整する間に、貴明は次の攻撃を選んだ。
「右!」
右ストレート。
また入った。
『マスター』
「何?」
『やっぱり近い方が楽です』
「俺も」
相手が強引に飛ぼうとする。
「逃がすな!」
『はい』
すずらんが踏み込み、左で相手の上昇を止める。続く右が相手を吹き飛ばした。
LP差が一気に縮まる。先ほどまでライフルを一発当てることさえ難しかった相手を、今は明らかに押していた。
だが、相手もF2十六位だった。すずらんの右をガードしたまま後退し、緊急上昇する。
「追う!」
貴明は反射的に飛行ユニットを起動した。
すずらんが追って飛び上がった瞬間、接近戦のリズムが切れた。重い飛行装備を使い、高度と旋回を管理しなければならない。一方の相手は、上空で急反転した。
『前!』
「防御!」
間に合わない。射撃。
直撃。
すずらんの身体が弾かれた。
「すずらん!」
『問題ありません』
すずらんは自分で姿勢を立て直した。だが、距離はもう開いていた。
「またか」
相手はすでに射撃姿勢へ戻っている。距離も、試合開始時と同じところまで戻されていた。
もう一度近づこうとした。射撃で牽制し、防具で受け、飛行や障害物も利用して何度も距離を詰めようとする。しかし先ほどのようにはいかない。相手も学習していた。地上から近づけば高度を上げ、跳躍で届きそうな間合いにも入らない。すずらんの拳を明確に警戒している。
『残り時間、一分』
システム音声。LP差は、こちらが僅かに不利。
「行くしかない」
『分かってます』
正面からライフルを一発。相手が避けた。
「飛ぶ!」
上昇して追うが、相手もさらに上がり、こちらへ射線を通してくる。
「右!」
すずらんが右へ回避する。続いて左から、相手の射撃が来た。
「防御!」
ガードで受ける。それでもLPを削られた。
「あと少しなのに」
『距離が』
「分かってる!」
さらに加速すると、相手が撃った。すずらんは身体を捻って一発目を避ける。
二発目。
脚部へ命中。姿勢が崩れた。
「まだ!」
『行けます』
それでも上昇を続ける。拳が届くまで、あと少し。
ほんの少し。
相手が後退しながら最後の射撃を放った。直撃。
視界が大きく揺れた。
◇
『BATTLE END』
終了表示に続いて、数秒後。
『LOSE』
「……負けた」
貴明は息を吐く。ライドが解除され、貴明の視界がFバトル会場の対戦筐体へ戻る。筐体内ですずらんがゆっくり身体を起こし、装備を解除した。貴明はすぐにケースを開いた。
「お疲れ」
「はい」
すずらんが差し出された手へ乗る。
「損傷は?」
「ありません」
「脚は?」
「最後に当たったところ、少し違和感ありますけど。診断上は問題ないです」
「帰ったら見る」
「はい」
貴明は戦績表示へ目を向けた。僅差の敗北だ。大敗ではなく、途中からはかなり追い上げてもいた。それでも結果は負けだった。
「近づいた時は取れてました」
すずらんが言った。
「うん」
「ほとんど一方的でした」
「うん」
「でも」
「近づくまでが長すぎる」
貴明が先に言った。すずらんが少し黙る。
「……はい」
貴明は筐体脇の画面で簡易リプレイとログを開き、距離別の数値を確かめた。遠距離では相手の命中率が上回り、空中戦も相手が優勢。防御装備は正常に機能し、被害をかなり軽減している。だが近距離の数字だけは、はっきりとこちらが上だった。
「極端ですね」
すずらんが言う。
「何が?」
「距離別の数字」
「そうだな」
近距離へ入っていた時間は、試合全体の二割にも満たない。それなのに、その短い時間だけで相手のLPを大きく削っていた。
「近接だけなら勝ってた」
「格闘限定なら」
「うん」
「でも総合です」
「分かってる」
だから射撃、飛行、防御の装備を積んだ。総合戦で戦うために必要だと思うものを揃えた。
「……なのに勝てない」
貴明が呟く。
「マスター」
「何?」
「ランキング」
すずらんが画面の隅を指す。表示が更新された。十八位。
「……変わらないな」
「はい。上位への挑戦に負けても、順位は入れ替わりませんから」
「……分かってる。でも、上へ行けなかった」
貴明はもう一度結果表示を見た。十六位への公式挑戦は敗北に終わり、ランキングは十八位のまま。数字だけを見れば変化はないが、上へ進めなかった事実は残る。
「なら、また挑戦しましょう」
すずらんが言った。
「簡単に言うな」
「マスターがいつも言うことです」
「そうだっけ」
「そうです」
貴明は少し笑った。
「もう一戦します?」
すずらんが聞いた。
「今日はやめる」
「珍しいですね」
「脚に違和感あるって言っただろ」
「軽いですよ」
「軽くても今日は終わり」
「……はい」
「それに」
貴明はもう一度ログ画面を見る。
「一回持って帰る」
「何を?」
「今日のデータ」
「また見るんですか?」
「見る」
「何回?」
「分からない」
「三回以上?」
「必要なら」
すずらんが少しだけ呆れた顔をした。
「好きですね、本当に」
「勝ちたいからな」
「私もです」
すずらんの返事は短かった。
会場を出ても外はまだ明るかった。大学からそのまま寄ったため、貴明のリュックにはノートPCも入っていて、いつもより重い。それ以上に頭を占めていたのは、今日使った装備のことだった。射撃、飛行、防御、近接。どれも必要で、それぞれ役には立ったのに、揃えていることが勝利につながらなかった。
「マスター」
「ん?」
「飛行で追った時」
「うん」
「あれ、よくなかったですね」
「俺も思った」
「相手の得意な場所へ行きました」
「でも追わなきゃ逃げられる」
「そうなんですよね」
二人とも少し黙る。
「地上からジャンプした時は?」
すずらんが聞いた。
「あれは良かった」
「飛ばなくても届きました」
「一回だけな」
「はい」
「相手も次から警戒した」
「そうですね」
また少し沈黙が続いた。
「難しいな」
貴明が言う。
「はい」
「総合戦」
「今さらですか?」
「今さら」
すずらんが小さく笑った。
◇
帰宅して夕食を済ませた後、貴明はまずすずらんをクレイドルへ入れ、脚部の違和感を調べた。一時的な負荷反応が残っているだけで、異常はない。診断を終えてから今日のログをデスクトップPCへコピーすると、すみれも横から画面を覗き込んできた。
「ここだけ見れば」
貴明は距離別データを表示した。
「強そうですね」
「実際強いんだよ」
「でも負けたんですよね?」
「そう」
「射撃?」
「負け」
「空中?」
「負け」
「防御は?」
「役には立った」
「近接?」
「勝ち」
すみれが少し考えた。
「分かりやすいですね」
「分かりやすいけど、解決しない」
「全部練習すれば?」
「してる」
「もっと?」
「簡単に言うな」
「マスターも私達に言いますよ」
今日はそればかりだった。クレイドルの中から、すずらんが声を出す。
「すみれ」
「はい?」
「マスター、今日二回それ言われてます」
「そうなんですか?」
「三回目」
「数えてたの?」
「何となく」
貴明は二人の会話を聞き流しながら、画面へ視線を戻した。画面には近距離での命中率、回避率、連撃成功率が並ぶ。その範囲だけを切り取れば、F2十八位とは思えないほどの数字だった。
けれど、Fバトルは近距離だけで戦う競技ではない。相手は飛び、撃ち、逃げ、防ぐ。自分たちも対応できるように、射撃や飛行、防具、近接武装を一つずつ足してきた。不得意な状況を減らすためだ。
その考え方が間違っているとは、まだ思えなかった。実際に防具がなければ被害は大きく、飛行装備がなければ上空の相手を追えず、ライフルがなければ遠距離で一方的に撃たれていただろう。どれか一つを簡単に不要とは言えない。
それでも、モニターの距離別データは別の事実も示していた。もっとも相手のLPを削れたのは、拳が届いた短い時間だった。その距離へ入るまでの間、ずっと苦戦していたことも数字には表れている。
「……」
貴明は装備構成の画面を開いた。射撃、飛行、防御、近接。高校時代から調整してきた、いつもの万能型だ。どれも必要なはずで、選んだ理由もある。
だから、間違ってはいない。ただ、その「間違っていない」という考え方そのものに、ほんの少しだけ引っ掛かりが残った。