泣かない世界の陽だまりで   作:搗き米屋文蔵

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第1話 信じてるから(前編)

雨上がりの商店街は、どこもかしこもきらきらして見える。

 

陽向(ひなた)ひまりは水たまりをひょいと飛び越えて、着地したところでくるっと一回転した。

 

「見て見て、澪ちゃん! アーケードの屋根から虹っぽいのが見える!」

 

「虹っぽいのって何。……あ、ほんとだ。ちょっとだけ」

 

隣を歩く蒼井澪(あおいみお)が、たたんだ傘の水滴を払いながら目を細める。

 

澪の傘は、帰り道のあいだずっときちんと巻かれたままだ。ひまりの傘は、さっきから振り回すたびにしずくを飛ばしている。

 

「ひまり、それ人にかかるからね?」

 

「えへへ、ごめんごめん」

 

六月に入って、町は雨の日のほうが多くなった。

 

それでも、ひまりは雨上がりが好きだった。濡れたアスファルトの匂いも、軒先から落ちるしずくの音も、全部が「さあ、もう一回がんばろう」って言ってくれている気がする。

 

「ねえ澪ちゃん、肉屋さんの唐揚げ、揚げたての時間じゃない?」

 

「さっき購買でパン食べてたよね?」

 

「それはそれ、これはこれ!」

 

澪はため息をついてから、笑った。

 

「……もう。付き合ってもいいけど、一個だけね」

 

「やったー!」

 

ひまりが両手を挙げた、そのときだった。

 

アーケードの向こうから、子供の悲鳴が聞こえた。

 

続けて、ばさばさばさっ、と大きな鳥が飛び立つような音。

 

見上げると、色とりどりの傘が、何本も何本も空を舞っていた。

 

「カサ……カサ……」

 

傘の群れの真ん中に、それはいた。

 

ビニール傘や花柄の傘、骨の折れた黒い傘がいくつも寄り集まって、大きな一つの体になっている。てっぺんの傘をくるくる回しながら、ふわふわと宙を漂っていた。

 

商店街の事務所の前には、忘れ物の傘を入れておく大きな籠がある。その籠が、空っぽになって転がっていた。

 

「怪人……!」

 

澪がひまりの袖を引く。

 

怪人は下を歩く子供たちに近づくと、差していた傘をひょいっと取り上げて、自分の体にくっつけていく。

 

取られた子供たちが、わっと逃げ出した。

 

ひまりと澪は顔を見合わせた。言葉はいらなかった。

 

二人は肉屋と八百屋のあいだの細い路地に飛び込む。人目がないのを確かめて、ひまりは右手を差し出した。

 

澪の左手が、すぐにそれを握る。

 

少しひんやりした、細い指。いつも通りの温度に、ひまりはにっと笑った。

 

空いた手で、それぞれの変身アイテムを掲げる。

 

ひまりの胸元で、ひまわり型のブローチ「サンブルーム」が。

 

澪の胸元で、鈴型のペンダント「ブルーベル」が。

 

「「シャイン・ブルーム!」」

 

声が重なった瞬間、ブローチとペンダントがまばゆく光った。

 

足元から、ひまわりの花びらと青い花びらが渦を巻いて立ちのぼる。黄色と青がくるくると混ざり合い、二人を包み込んでいく。

 

光の中で、ひまりは澪と目が合った。

 

まぶしいはずなのに、澪の目元が笑っているのがちゃんと見える。つないだ手に、きゅっと力がこもった。

 

ブーツが、グローブが現れる。

 

ひまりのスカートは二段のフリルに、澪のスカートは裾に銀の刺繍が光る長いものに。

 

ひまりの腰の後ろで、大きなオレンジのリボンが結ばれる。

 

澪の肩には、短いケープがふわりとかかる。

 

最後に、ひまりの髪にひまわりの髪飾りが咲き、澪の髪が青い花のリボンでふわりとまとまった。

 

ひまりは右腕を突き出し、ひまわりの花弁の形をした光の盾をぱっと広げて弾けさせる。

 

澪はアイリスステッキをくるりと回し、青い花びらを宙に散らした。

 

「みんなの笑顔を、隣で照らす! 陽だまりの花、シャインリリィ!」

 

「みんなの明日を、優しく包む! 青空の花、シャインアイリス!」

 

背中合わせに立つ。背中越しに、相棒の体温が伝わってくる。

 

「「ふたりで照らす、明日の光!」」

 

路地を飛び出すと、商店街はもう大騒ぎだった。

 

「リリィだ!」「アイリスも来た!」

 

軒下に逃げ込んだ子供たちが、口々に叫ぶ。

 

カサオバケは空中でくるりと向きを変え、「カサ……?」と首をかしげるように、てっぺんの傘を傾けた。

 

なんだか、ちょっと寂しそうな怪人だな、とリリィは思った。

 

「アイリス、まずは傘を取り返そう!」

 

「うん。でも、むやみに突っ込まないでね」

 

「分かってる分かってる!」

 

「その返事、絶対分かってないやつだよ」

 

言い合いながら、二人は同時に地面を蹴った。

 

アイリスのステッキから、花びらの光弾がいくつも放たれる。カサオバケはばさっと傘を広げてそれを受け止め、ふわりと高く逃げた。

 

リリィは看板を足場に跳び上がり、拳を振りかぶる。

 

けれど、届く寸前でカサオバケが傘をいっせいに閉じ、細い体でするりとすり抜けた。

 

「わっ、とと!」

 

リリィは空中でくるっと回って、魚屋の屋根に着地する。

 

そのとき、下から泣き声が聞こえた。

 

八百屋の前で、小さな男の子が一人、空を見上げて泣いていた。

 

カサオバケの体のいちばん上で、水色に黄色い星の模様が入った子供用の傘が、くるくると回っている。

 

「アイリス!」

 

リリィが叫ぶより早く、アイリスはステッキを構えていた。

 

「行って。こっちは私が止めておくから」

 

リリィは屋根から飛び降りて、アイリスの隣を駆け抜ける。すれ違いざま、子供たちに聞こえないくらいの小さな声で、でも思いきり弾んだ声で言った。

 

「澪ちゃんなら絶対大丈夫って信じてるから!」

 

「……もう。後ろは私が見てるから、ちゃんと戻ってきてね」

 

背中で、光のリボンがしゅるりと伸びる音がした。

 

リリィは男の子の前で、ぴたりと足を止めた。

 

それから、しゃがみこんで目線を合わせる。

 

「どうしたの?」

 

男の子はしゃくり上げながら、空を指さした。

 

「ぼくの、かさ……おばあちゃんが、かってくれたの……」

 

「そっか。大事な傘なんだね」

 

リリィはうんうんと頷いた。

 

「キミはどうしたいのかな?」

 

男の子は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、少しだけ考えて、小さく言った。

 

「……かえして、ほしい」

 

「よし、任せて! ここは危ないから、少し離れて待っててね」

 

「……うんっ! リリィ、お願い!」

 

リリィはぱっと立ち上がり、くるっと振り返った。

 

空中では、アイリスの光のリボンがカサオバケに絡みついていた。逃げようとする傘の骨組みを、何重にも縛り上げていく。カサオバケは「カサ……カサ……!」とじたばた暴れているけれど、リボンはびくともしない。

 

アイリスがちらりとこちらを見た。

 

今だよ、とその目が言っていた。

 

リリィは駆け出した。

 

街灯の柱を蹴り、さらに高く。縛られたカサオバケのてっぺん目がけて、まっすぐに手を伸ばす。

 

指先が、水色の傘の柄をつかんだ。

 

「取ったぁ!」

 

そのまま勢い余って、リリィはアーケードの石畳にずざざっと着地した。膝がちくりと痛む。見ると、スパッツの裾のすぐ下、膝が少しだけすりむけていた。

 

まあいいや、と思った。それより。

 

「アイリス、いっくよー!」

 

「うん!」

 

アイリスがリボンをぎゅっと引き絞る。カサオバケの体が、ぴんと一つにまとまった。

 

リリィは傘を左手に抱えたまま、右の拳に光を集める。もう一度跳び上がって、その拳を、傘の群れの真ん中に打ち込んだ。

 

ぱぁん、と音がした。

 

寄り集まっていた傘たちが、いっせいにばらばらにほどける。

 

色とりどりの傘がゆっくりと開きながら、商店街へ舞い落ちる様は花びらのようだった。

 

「カサ……」

 

最後に小さな鳴き声を一つだけ残して、怪人は雨上がりの空に溶けるように消えていった。

 

一拍おいて、歓声が上がった。

 

軒下に隠れていた子供たちが、わっと駆け寄ってくる。

 

「リリィすごーい!」「アイリスのリボン、かっこよかった!」

 

リリィはしゃがみこんで、両手を広げた。

 

「みんな、怪我してない? よーし、ハイタッチ!」

 

一人ずつ、小さな手とぱちん、ぱちんと手を合わせていく。

 

その後ろで、アイリスは少し照れたように、胸の前で小さく手を振っていた。子供たちに「アイリスもー!」と呼ばれて、頬を赤くしながら手を振り返す。

 

最後に、あの男の子が前に出てきた。

 

リリィはしゃがんだまま、水色の傘を差し出した。

 

「はい、どうぞ。おばあちゃんの傘、ちゃんと取り返したよ」

 

男の子は傘をぎゅっと抱きしめた。目のふちはまだ赤いけれど、もう泣いていなかった。

 

リリィはその頭をくしゃっと撫でる。

 

「悲しくなったら必ず呼んでね、すぐに飛んできて、涙なんか吹き飛ばしちゃうんだから!」

 

男の子は大きく頷いた。

 

「……うん! やくそく!」

 

小指と小指を絡めて、指切りをする。男の子は傘を抱えて、何度も振り返りながら走っていった。

 

その背中を見送って、リリィは立ち上がる。

 

それから、ふと足元に目を落とした。

 

石畳の上には、カサオバケだった傘たちがあちこちに散らばっていた。骨の曲がったビニール傘。色あせた花柄の傘。名前のシールが貼られた、黒い折りたたみ傘。

 

「……この子たちも、誰かのお気に入りだったのかも」

 

リリィは右耳の上の跳ねた髪を、指でくるくるといじった。

 

隣に来たアイリスが、その仕草を見て、ため息をつく。

 

それから、笑った。

 

「探すんでしょ、持ち主」

 

「えへへ、バレた?」

 

「当たり前でしょ。何年一緒にいると思ってるの」

 

アイリスはしゃがんで、一本目の傘を拾い上げた。

 

リリィも、その隣にしゃがみこむ。膝のすり傷が、ほんの少しだけしみた。

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