雨上がりの商店街は、どこもかしこもきらきらして見える。
「見て見て、澪ちゃん! アーケードの屋根から虹っぽいのが見える!」
「虹っぽいのって何。……あ、ほんとだ。ちょっとだけ」
隣を歩く
澪の傘は、帰り道のあいだずっときちんと巻かれたままだ。ひまりの傘は、さっきから振り回すたびにしずくを飛ばしている。
「ひまり、それ人にかかるからね?」
「えへへ、ごめんごめん」
六月に入って、町は雨の日のほうが多くなった。
それでも、ひまりは雨上がりが好きだった。濡れたアスファルトの匂いも、軒先から落ちるしずくの音も、全部が「さあ、もう一回がんばろう」って言ってくれている気がする。
「ねえ澪ちゃん、肉屋さんの唐揚げ、揚げたての時間じゃない?」
「さっき購買でパン食べてたよね?」
「それはそれ、これはこれ!」
澪はため息をついてから、笑った。
「……もう。付き合ってもいいけど、一個だけね」
「やったー!」
ひまりが両手を挙げた、そのときだった。
アーケードの向こうから、子供の悲鳴が聞こえた。
続けて、ばさばさばさっ、と大きな鳥が飛び立つような音。
見上げると、色とりどりの傘が、何本も何本も空を舞っていた。
「カサ……カサ……」
傘の群れの真ん中に、それはいた。
ビニール傘や花柄の傘、骨の折れた黒い傘がいくつも寄り集まって、大きな一つの体になっている。てっぺんの傘をくるくる回しながら、ふわふわと宙を漂っていた。
商店街の事務所の前には、忘れ物の傘を入れておく大きな籠がある。その籠が、空っぽになって転がっていた。
「怪人……!」
澪がひまりの袖を引く。
怪人は下を歩く子供たちに近づくと、差していた傘をひょいっと取り上げて、自分の体にくっつけていく。
取られた子供たちが、わっと逃げ出した。
ひまりと澪は顔を見合わせた。言葉はいらなかった。
二人は肉屋と八百屋のあいだの細い路地に飛び込む。人目がないのを確かめて、ひまりは右手を差し出した。
澪の左手が、すぐにそれを握る。
少しひんやりした、細い指。いつも通りの温度に、ひまりはにっと笑った。
空いた手で、それぞれの変身アイテムを掲げる。
ひまりの胸元で、ひまわり型のブローチ「サンブルーム」が。
澪の胸元で、鈴型のペンダント「ブルーベル」が。
「「シャイン・ブルーム!」」
声が重なった瞬間、ブローチとペンダントがまばゆく光った。
足元から、ひまわりの花びらと青い花びらが渦を巻いて立ちのぼる。黄色と青がくるくると混ざり合い、二人を包み込んでいく。
光の中で、ひまりは澪と目が合った。
まぶしいはずなのに、澪の目元が笑っているのがちゃんと見える。つないだ手に、きゅっと力がこもった。
ブーツが、グローブが現れる。
ひまりのスカートは二段のフリルに、澪のスカートは裾に銀の刺繍が光る長いものに。
ひまりの腰の後ろで、大きなオレンジのリボンが結ばれる。
澪の肩には、短いケープがふわりとかかる。
最後に、ひまりの髪にひまわりの髪飾りが咲き、澪の髪が青い花のリボンでふわりとまとまった。
ひまりは右腕を突き出し、ひまわりの花弁の形をした光の盾をぱっと広げて弾けさせる。
澪はアイリスステッキをくるりと回し、青い花びらを宙に散らした。
「みんなの笑顔を、隣で照らす! 陽だまりの花、シャインリリィ!」
「みんなの明日を、優しく包む! 青空の花、シャインアイリス!」
背中合わせに立つ。背中越しに、相棒の体温が伝わってくる。
「「ふたりで照らす、明日の光!」」
路地を飛び出すと、商店街はもう大騒ぎだった。
「リリィだ!」「アイリスも来た!」
軒下に逃げ込んだ子供たちが、口々に叫ぶ。
カサオバケは空中でくるりと向きを変え、「カサ……?」と首をかしげるように、てっぺんの傘を傾けた。
なんだか、ちょっと寂しそうな怪人だな、とリリィは思った。
「アイリス、まずは傘を取り返そう!」
「うん。でも、むやみに突っ込まないでね」
「分かってる分かってる!」
「その返事、絶対分かってないやつだよ」
言い合いながら、二人は同時に地面を蹴った。
アイリスのステッキから、花びらの光弾がいくつも放たれる。カサオバケはばさっと傘を広げてそれを受け止め、ふわりと高く逃げた。
リリィは看板を足場に跳び上がり、拳を振りかぶる。
けれど、届く寸前でカサオバケが傘をいっせいに閉じ、細い体でするりとすり抜けた。
「わっ、とと!」
リリィは空中でくるっと回って、魚屋の屋根に着地する。
そのとき、下から泣き声が聞こえた。
八百屋の前で、小さな男の子が一人、空を見上げて泣いていた。
カサオバケの体のいちばん上で、水色に黄色い星の模様が入った子供用の傘が、くるくると回っている。
「アイリス!」
リリィが叫ぶより早く、アイリスはステッキを構えていた。
「行って。こっちは私が止めておくから」
リリィは屋根から飛び降りて、アイリスの隣を駆け抜ける。すれ違いざま、子供たちに聞こえないくらいの小さな声で、でも思いきり弾んだ声で言った。
「澪ちゃんなら絶対大丈夫って信じてるから!」
「……もう。後ろは私が見てるから、ちゃんと戻ってきてね」
背中で、光のリボンがしゅるりと伸びる音がした。
リリィは男の子の前で、ぴたりと足を止めた。
それから、しゃがみこんで目線を合わせる。
「どうしたの?」
男の子はしゃくり上げながら、空を指さした。
「ぼくの、かさ……おばあちゃんが、かってくれたの……」
「そっか。大事な傘なんだね」
リリィはうんうんと頷いた。
「キミはどうしたいのかな?」
男の子は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、少しだけ考えて、小さく言った。
「……かえして、ほしい」
「よし、任せて! ここは危ないから、少し離れて待っててね」
「……うんっ! リリィ、お願い!」
リリィはぱっと立ち上がり、くるっと振り返った。
空中では、アイリスの光のリボンがカサオバケに絡みついていた。逃げようとする傘の骨組みを、何重にも縛り上げていく。カサオバケは「カサ……カサ……!」とじたばた暴れているけれど、リボンはびくともしない。
アイリスがちらりとこちらを見た。
今だよ、とその目が言っていた。
リリィは駆け出した。
街灯の柱を蹴り、さらに高く。縛られたカサオバケのてっぺん目がけて、まっすぐに手を伸ばす。
指先が、水色の傘の柄をつかんだ。
「取ったぁ!」
そのまま勢い余って、リリィはアーケードの石畳にずざざっと着地した。膝がちくりと痛む。見ると、スパッツの裾のすぐ下、膝が少しだけすりむけていた。
まあいいや、と思った。それより。
「アイリス、いっくよー!」
「うん!」
アイリスがリボンをぎゅっと引き絞る。カサオバケの体が、ぴんと一つにまとまった。
リリィは傘を左手に抱えたまま、右の拳に光を集める。もう一度跳び上がって、その拳を、傘の群れの真ん中に打ち込んだ。
ぱぁん、と音がした。
寄り集まっていた傘たちが、いっせいにばらばらにほどける。
色とりどりの傘がゆっくりと開きながら、商店街へ舞い落ちる様は花びらのようだった。
「カサ……」
最後に小さな鳴き声を一つだけ残して、怪人は雨上がりの空に溶けるように消えていった。
一拍おいて、歓声が上がった。
軒下に隠れていた子供たちが、わっと駆け寄ってくる。
「リリィすごーい!」「アイリスのリボン、かっこよかった!」
リリィはしゃがみこんで、両手を広げた。
「みんな、怪我してない? よーし、ハイタッチ!」
一人ずつ、小さな手とぱちん、ぱちんと手を合わせていく。
その後ろで、アイリスは少し照れたように、胸の前で小さく手を振っていた。子供たちに「アイリスもー!」と呼ばれて、頬を赤くしながら手を振り返す。
最後に、あの男の子が前に出てきた。
リリィはしゃがんだまま、水色の傘を差し出した。
「はい、どうぞ。おばあちゃんの傘、ちゃんと取り返したよ」
男の子は傘をぎゅっと抱きしめた。目のふちはまだ赤いけれど、もう泣いていなかった。
リリィはその頭をくしゃっと撫でる。
「悲しくなったら必ず呼んでね、すぐに飛んできて、涙なんか吹き飛ばしちゃうんだから!」
男の子は大きく頷いた。
「……うん! やくそく!」
小指と小指を絡めて、指切りをする。男の子は傘を抱えて、何度も振り返りながら走っていった。
その背中を見送って、リリィは立ち上がる。
それから、ふと足元に目を落とした。
石畳の上には、カサオバケだった傘たちがあちこちに散らばっていた。骨の曲がったビニール傘。色あせた花柄の傘。名前のシールが貼られた、黒い折りたたみ傘。
「……この子たちも、誰かのお気に入りだったのかも」
リリィは右耳の上の跳ねた髪を、指でくるくるといじった。
隣に来たアイリスが、その仕草を見て、ため息をつく。
それから、笑った。
「探すんでしょ、持ち主」
「えへへ、バレた?」
「当たり前でしょ。何年一緒にいると思ってるの」
アイリスはしゃがんで、一本目の傘を拾い上げた。
リリィも、その隣にしゃがみこむ。膝のすり傷が、ほんの少しだけしみた。