泣かない世界の陽だまりで   作:搗き米屋文蔵

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第3話 キミは本当はどうしたいの?(後編)

まぶたが、鉛みたいに重い。

 

光の盾の向こうで、白衣がひらひら揺れている。右へ、左へ。目で追うたびに、頭の奥がぼうっと霞んでいく。

 

あったかい布団に潜りこんだときの、あの感じだった。

 

膝から、すうっと力が抜けかけた。

 

「リリィ!」

 

手首に、ひんやりしたものが巻きついた。

 

アイリスの光のリボンだった。ぐい、と後ろへ引かれて、ひまりは小春ちゃんの前で踏みとどまる。

 

「目、開けて! 上のは私が落とすから!」

 

背後で、花びらの光弾が弾ける音が続いた。ぱん、ぱん、と小さな機械が一つずつ、空から落ちていく。

 

ひまりは両手で、自分の頬をぱちんと叩いた。

 

じんとした痛みで、霞が晴れる。

 

「……よしっ!」

 

盾の縁に、白衣がぶつかってきた。

 

速い。重い。ひまりと変わらない背丈なのに、体ごと押しこまれるような力だった。けれど、拳は飛んでこない。ユメミは盾の脇から、何度も何度も、ゴーグルを持った手を伸ばしてくるだけだった。

 

「ちょっとだけ! ちょっとだけ、かけさせてください!」

 

「だーめ!」

 

ひまりは盾を押し返した。ユメミの体が、ふわりと後ろへ跳ぶ。

 

着地したユメミの頭の上で、最後の一機がふらふらと揺れた。

 

アイリスのステッキが、ぴたりとそちらを向く。

 

青い花びらが一枚、まっすぐに飛んだ。

 

「あーっ!」

 

落ちてくるドローンを、ユメミは両手で受け止めた。それから、地面に転がった仲間たちを一つずつ拾い集めて、白衣のポケットにそっとしまっていく。壊れていないか確かめるように、一機ずつ指で撫でながら。

 

「ドローンちゃんたち、がんばりましたね……」

 

それから、ユメミは顔を上げた。

 

怒ってはいなかった。ただ、どうしても分からない、という顔をしていた。

 

「リリィさん。どうして、そこまでして止めるんですか?」

 

袖の余った手が、リリィの後ろを指さす。

 

「小春ちゃん、ずっと泣いてるんですよ? 悲しいのなんて、なくなったほうがいいに決まってるのに」

 

ひまりは盾を下ろした。光の花弁が、ほろりとほどけて消える。

 

「悲しいのも、小春ちゃんの大事な気持ちだから」

 

ユメミが、ぱちぱちとまばたきをした。

 

ひまりは振り返って、小春ちゃんの前にしゃがんだ。

 

湿った砂が、膝にひやりと染みる。

 

小春ちゃんは、さっきと同じ場所で、さっきと同じようにリードを握っていた。目の前に町のヒロインがいても、驚いた顔もしなかった。

 

目線を合わせる。

 

「小春ちゃんはどうしたいのかな?」

 

小春ちゃんの目が、ひまりを見た。

 

それから、ユメミの手の中で淡く光るゴーグルを見た。

 

それから、握りしめた赤いリードを見た。

 

口が、小さく開いた。

 

ひまりは待った。

 

しゃくり上げる音が、一つ。

 

もう一つ。

 

小春ちゃんの口は、開いたまま、何の言葉も出てこない。かわりに、また新しい涙が、頬の上を転がり落ちていく。

 

ひまりは、待った。

 

右手を、小春ちゃんの背中に添えたまま。背中は、まだ何度も跳ねていた。

 

ブランコの鎖が、きい、と鳴った。

 

遠くで、車が一台通り過ぎていった。

 

ぽつり、と冷たいものが、ひまりの手の甲に落ちた。

 

雨だった。

 

ぽつり、ぽつりと、砂の上に小さな丸い染みが増えていく。小春ちゃんの髪にも、赤いリードにも。

 

小春ちゃんは、泣き続けていた。

 

ひまりがどれだけ待っても、泣き声は止まらなかった。答えのかわりに、ずっと、泣き声だけがそこにあった。

 

膝が、じんと痺れてきた。それでも、ひまりは立ち上がらなかった。

 

「……いいよ。今は、言えなくていいからね」

 

小春ちゃんの背中を、そっと撫でる。

 

返事は、やっぱりなかった。

 

背中のほうで、砂を踏む音がした。

 

振り向くと、ユメミがまだそこにいた。帰ってもよかったはずなのに、雨の中で、ゴーグルを胸に抱えたまま、ぽつんと立っている。

 

ひまりは、ゆっくり立ち上がった。

 

痺れた膝が、少しだけふらつく。

 

ユメミは、まっすぐこっちを見ていた。

 

小春ちゃんを幸せにしたい、と言った子。世界を幸せにする組織、と胸を張った子。

 

でも、悲しいだけの世界なんて別にいらない、と笑った子。ゴーグルをかけたら、今のこの世界には興味もなくなる、と言った子。

 

いい子なのか、悪い子なのか、ひまりには分からなかった。

 

分からないまま、言葉が先に出ていた。

 

「ねえ」

 

ひまりは、学校の廊下で友達に話しかけるみたいに言った。

 

「キミは本当はどうしたいの?」

 

ユメミの動きが、止まった。

 

きょとんと目を丸くして、口を半分開けたまま、ひまりの顔を見ている。雨粒が一つ、ブロンドの前髪から滑り落ちた。

 

「……ユメミ、ですか?」

 

小さな声だった。

 

ひまりがうなずくと、ユメミの顔が、ゆっくりと変わっていった。

 

頬が赤くなる。目のふちが、きらきらと光る。口元が、こらえきれないみたいにほどけていく。

 

それは、ひまりが今まで見たどんな笑顔とも違った。初めてプレゼントの箱を開けた子みたいな、ううん、もっと、ずっと――

 

ひまりには、うまく言葉にできなかった。

 

ユメミは、はっとしたように白衣の袖で顔をこすった。

 

それから、ぷうっと頬をふくらませる。

 

「むー、残念です。今日は、ここまでにしておきます」

 

くるりと背を向けて、

 

「でも、データは嘘をつきません!」

 

白衣の裏に、葉脈のような光が走った。ユメミの体が、ふわりと公園のフェンスを越える。

 

そのまま行ってしまうのかと思った。

 

ユメミは、フェンスの向こうで振り返った。

 

少し走って、また振り返った。

 

角を曲がる手前でも、もう一度。

 

雨の中で白衣が見えなくなるまで、ユメミは何度も、何度も振り返った。

 

滑り台の陰で変身を解いて戻ると、澪はすぐにスマホを取り出した。

 

十分もしないうちに、小春ちゃんのお母さんが駆けてきた。エプロンも髪も、雨で濡れていた。

 

「小春!」

 

小春ちゃんは、お母さんの胸に飛びこんだ。

 

それでも、泣き声は止まらなかった。お母さんの腕の中で、さっきよりも大きな声で、小春ちゃんは泣いた。

 

「ありがとう、二人とも。本当に、ありがとう」

 

お母さんは小春ちゃんを抱きしめたまま、何度も頭を下げた。

 

澪の傘に小春ちゃんとお母さんを入れて、四人で家まで歩いた。小春ちゃんの家の門が閉まるまで、泣き声はずっと聞こえていた。

 

それから、ひまりは澪と一つの傘に入って、いつもの角まで歩いた。

 

「ひまり、うちまで来る? 傘、貸すよ」

 

「ううん、すぐそこだもん! 澪ちゃん、今日はありがと」

 

「……うん。風邪ひかないでね」

 

澪はまだ何か言いたそうな顔をしていたけれど、結局、小さく手を振って家のほうへ歩いていった。

 

ひまりは、一人で歩き出した。

 

雨は、さっきより少し強くなっていた。

 

一人のときは、いつも走ってしまう。なのに、今日は足が急がなかった。

 

耳の奥で、まだ泣き声が聞こえている。

 

答えのかわりに、ずっとそこにあった泣き声。

 

「……本当に、これで良かったのかな」

 

声に出してみても、誰も答えなかった。

 

ひまりは、右耳の上の髪を指でつまんだ。雨に濡れても、寝癖の一房だけは、ぴんと跳ねたままだった。

 

くるくると、指に巻きつける。

 

ほどいて、また巻きつける。

 

家の明かりが見えてくるまで、ひまりはずっと、そうしていた。

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