キヴォトスに男子校があるならば   作:鰹節の丸煮

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2:軍刀の軽口

 あのパトカーには、ひどい目に遭わされた。

 

 なにしろ、ようやく話せた女の子が正義実現委員会だったのだ。連絡先を聞くより先に、こちらの住所と氏名と所属校を聞かれた。名前を教え合うという目的だけは、あまりにも速やかに達成された。

 

 少年がそこまで思い出したところで、目の前を別のパトカーが通り過ぎた。こちらはヴァルキューレの車両だった。サイレンを鳴らし、交差点へと鼻先をねじ込んで、車列の向こうに消えていく。

 

「……それで、現在の損失額が」

 

 少女の声がした。

 

 ブルーブラックのモノアイが、すっと動いた。

 

「ちょっと。聞いてる?」

「聞いてる」

「そう。では、いくら?」

「結構な額」

「聞いてないじゃない!」

 

 早瀬ユウカが振り返った。片手には端末、もう片方には書類の入った鞄。彼女は足を止めることなく、ザクのモノアイを睨み上げた。

 

「物流の遅延、設備の破損、その補修費。治安が悪くなれば、研究に回せるはずのお金まで警備に消えるのよ。これが続いたら、来期の予算を組み直さないといけないんだから」

 

 連邦生徒会長が失踪した。

 

 その一件が、遠いところの偉い人の話ではなくなってから、街では毎日のようにサイレンが鳴っていた。

 

 ユウカは、その話をしに行くのだという。連邦生徒会へ。抗議に。彼女が『状況の確認と対応の要請』と言い直したので、少年たちもそういうことにした。

 

「そっちは? 書類、持ってきたでしょうね」

「持ってきた」

 

 隣を歩く男子生徒が、封筒を掲げた。

 

 腰には軍刀がある。歩くたびに、その鞘が制服の裾を押した。ひどく物騒なものを、ひどく馴染んだ様子で提げている。

 

「ちゃんと内容を見せて」

「学校の印もある」

「印があっても見るわよ。前にあなたたちが持ってきた見積書、燃料費の項目に焼肉代が入っていたでしょう」

「燃料だろ」

 

 ザクが言った。

 

 ユウカの視線が、こちらへ来た。

 

「人間の」

 

 補足してみた。

 

「経費にはなりません」

 

 即答だった。

 

「でも、今回の書類は大丈夫ですよ。ユウカちゃん」

 

 生塩ノアが、ユウカの肩越しに封筒を覗いた。

 

「昨夜、送っていただいたものと同じなら」

「ノアが確認してくれたの?」

「はい。最後の一文だけ、少し直していただきました」

「何と書いてあったの」

「『誠意ある回答を期待する』と」

「普通じゃない」

「括弧書きで、刀の写真が」

「普通じゃない!」

 

 軍刀の男は封筒を鞄に戻した。

 

「削った」

「写真を?」

「括弧ごと」

「当然です!」

 

 ノアが笑った。

 

 少年は、なんとなくその横顔を見た。すると彼女はこちらを向いた。

 

「どうしました?」

「いや。楽しそうだなって」

「ふふ。そう見えますか?」

 

 楽しそうだった。ユウカは今にも電卓で人を殴りそうな顔をしているのに、隣の彼女はずっと楽しそうなのだ。

 

「……あとで議事録に書くんじゃないだろうな」

「どの部分でしょう?」

 

 ザクは前を向いた。

 

 軍刀の男も、前を向いた。

 

 この二人の少女と歩いているときには、言わない方がいいことが、かなりある。

 

 そうして口を閉じた途端、別の声が、その隙間へと入り込んできた。

 

「やあ。ずいぶんと賑やかな一行だね」

 

 ザクの左腕に、小さな手が乗った。

 

 金のうるやかな髪が、帽子の下で輝いた。金色の目が覗き、彼を見上げていた。

 

「私も混ぜてくれたまえ」

 

 少年は止まった。

 

 軍刀の男も止まった。

 

 ユウカが二歩ほど先で振り返り、ノアは立ち止まる前に、もうその少女を見ていた。

 

 百合園セイアが、帽子のつばを持ち上げた。

 

「……何してんの」

「散歩だよ」

「どこから来た」

「そこの角から」

「そういう意味じゃねえよ」

 

 軍刀の男が辺りを見回した。

 

 セイアは、その反応を楽しむように目を細めた。

 

「君たちこそ、何をそう警戒しているんだい?」

「付き添いは」

「今日はお忍びでね」

「質問に答えろ」

「君は少々、答えを急ぎすぎる」

 

 セイアはザクの腕から手を離し、ユウカへと向き直った。

 

「やあ、セミナーのお二人。君たちも連邦生徒会へ?」

「ええ……。あの、セイアさん。お忍びというのは」

「多少、街の様子を見たくなったのさ。部屋に届く報告だけでは、分からないこともあるだろう?」

 

 そこまで言ってから、セイアは通りの先を見た。

 

 少年もつられて見た。

 

 屋台があった。

 

 焼いた菓子の匂いがしていた。

 

「例えば、あれだね」

「絶対それが本命だろ」

「興味の優先順位について、君と争うつもりはないよ」

 

 セイアはもう歩き出していた。

 

 軍刀の男が追った。

 

 ザクも追った。

 

「ちょっと! 私たちは寄り道をしに来たんじゃ――」

 

「ユウカちゃん。信号、変わりますよ」

 

 ノアの声に、ユウカは顔を上げた。

 

 歩行者信号が点滅していた。

 

「もう!」

 

 彼女も走った。

 

 

 

「……買っていますね」

 

 通りの向かい側で、桐藤ナギサが言った。

 

 軒先の陰に立っている。それだけならば、待ち合わせをしている少女にも見えただろう。しかし、隣にいる聖園ミカが、三度目になる顔の出し入れをやっていた。

 

「何買ったの?」

「焼き菓子のようですが」

「セイアちゃん、自分で並んでる?」

「はい」

「そっか」

 

 ミカはもう一度覗いた。

 

 白い帽子が、屋台の前で揺れている。あれがいい、いやそちらも、とでも話しているのだろうか。セイアは棚を指さし、隣の男子生徒を振り返った。

 

 彼が財布を出した。

 

 ナギサの眉が動いた。

 

「……お財布は、持たせたはずなのですが」

「奢ってもらってるんじゃない?」

「いけません。そういうことは」

「えー? 知り合いなんだし、いいんじゃないかな。今度セイアちゃんが返せば」

 

 ミカは笑ってから、屋台の横のザクを見た。

 

「あはっ。あの格好でお菓子持ってる」

「ミカさん。声を」

「だって、食べられないよね?」

 

 青黒いザクは、確かに袋を持たされていた。

 

 その前で、セイアが何かを差し出している。

 

 モノアイの下に。

 

 ナギサは、そっと目を閉じた。

 

「……セイアさん」

 

「私も行ってこようかな」

「いけません」

「どうして?」

「セイアさんが、一人で出かけたいと仰ったからです。私たちは、あくまで」

「うん。だから、あの二人にも言わないと。セイアちゃんは一人でお出かけ中なんだよ、って」

 

 ナギサはミカを見た。

 

 ミカは、たいへん良いことを思いついた顔をしていた。

 

「それを言いに私たちが出ていって、どうするのですか」

「じゃあ、偶然会ったことにしようよ」

「ミカさん」

「大丈夫だって。私、ナギちゃんの分も買ってくるから」

 

 腕を掴むのが、わずかに遅かった。

 

 ミカは通りへ出ていった。

 

 ナギサも出るしかなかった。

 

 その二人を、屋台の前からセイアが見ていた。

 

 手元には、まだ開いていない紙袋が二つあった。

 

 

 

「ナギちゃん。こっちこっち」

 

 ミカが手を振った。

 

 ナギサは、手を振り返さなかった。

 

 その代わりに、セイアを見た。セイアはにこやかに、小さな紙袋を差し出した。

 

「冷める前に来てくれて、何よりだよ」

「……お気づきだったのですね」

「君たちは、物陰から私を見守るという行為に、あまり向いていないらしい」

 

 ミカが自分の袋を開けた。

 

「ん、おいしそう☆」

「ミカさん」

 

 軍刀の男が、少年に顔を寄せた。

 

「おい」

「何」

「増えた」

「見りゃ分かる」

「誰の財布で買ったと思ってる」

「お前」

「そうだよ」

 

 セイアが振り返った。

 

「あとでお茶に招待しよう。それでどうかな?」

「領収書も頼む」

「君たちは、セミナーとの交流で学びを得たようだね」

 

「何の学びですか」

 

 ユウカが戻ってきた。

 

 屋台の店主と、何か話していたのだ。彼女は端末を鞄に戻し、セイアたちへと視線を巡らせた。

 

 一人増えたはずが、三人になっている。

 

 しかも、ティーパーティーが揃っている。

 

 ユウカは一度、深く息を吐いた。

 

「……皆さんも、連邦生徒会へ?」

「そうだね」

 

 セイアが頷いた。

 

 ナギサはその横顔を見た。

 

「セイアさん。そのお話は、初めて伺いましたが」

「いま決めたからね」

「でしたら、先に相談を」

「ナギちゃんも行くでしょ?」

 

 ミカが、焼き菓子を片手に尋ねた。

 

「街の様子も、もう見られたし。セイアちゃんも行きたいみたいだしさ」

「……行くのであれば、こちらから連絡を入れます。先方にも都合があるのですから」

 

 ナギサは端末を取り出した。

 

 ユウカは、その動作を見て、わずかに肩の力を抜いた。

 

 話の通じる人がいた。

 

 その安堵を、少年は確かに見た。

 

「ところでユウカちゃん。お店の方とは、何のお話を?」

 

 ノアが尋ねた。

 

「通りの向こうで、朝から騒ぎがあったそうなの。納品も遅れているって。こういう実際の影響は、まとめて伝えた方がいいでしょう」

「なるほど。では、それも記録しておきますね」

「お願い」

 

 セイアは、二人を見ていた。

 

 それから通りを見た。さっきパトカーが曲がっていった交差点。半分だけシャッターを下ろした店。その前で、電話をかけている店員。

 

 彼女は残りの菓子を食べた。

 

「では、歩みを進めようか」

 

 声の調子は、先ほどと変わらなかった。

 

 けれど、今度は屋台の方へ曲がらなかった。

 

 少年は紙袋を持ち直し、その隣へ並んだ。

 

「食べないのかい?」

「どこで」

「頭を外せばいいだろう」

「いま?」

「私たちしかいないよ」

「街のど真ん中なんですが」

 

 ミカが後ろから覗き込んだ。

 

「えっ、外すの? 見たい見たい」

「外さない」

「ちょっとだけ」

「ちょっとだけ顔を出す機能はない」

「作ればいいのに」

「どこを開ける気だよ」

 

 軍刀の男が、ザクの後頭部を指した。

 

「ここ」

「そこ俺の頭だろ」

 

 ノアが笑った。

 

 ユウカまで、少し笑った。

 

 少年はその音を聞いてから、軍刀の男の足を踏んだ。

 

 装甲のつま先で。

 

 

 

 連邦生徒会へ着くころには、軍刀の男の機嫌は直っていた。

 

 少年から菓子を一つ、奪ったからだった。

 

 ザクの中では食べられない。それを承知でやっている。

 

 少年は、あとで覚えておこうと思った。すでに覚えておくことが多すぎたので、何件目かは分からなかった。

 

 案内された部屋の扉が開いた。

 

 中にいた少女が、こちらを見た。

 

 黒い翼。

 赤い瞳。

 長い、黒髪。

 

「……あなたは」

 

 羽川ハスミが言った。

 

 少年の足が止まった。

 

 その横を、セイアが通った。

 

「やあ、ハスミ。君も来ていたんだね」

「セイア様……?」

 

 ハスミが立ち上がる。彼女の視線が、その後ろへ移った。

 

 ナギサ。

 ミカ。

 

「皆様、お揃いで……?」

「ごきげんよう、ハスミさん。急に伺うことになってしまい、すみません」

 

 ナギサが微笑んだ。

 

 ついさっきまでの苦労など、まるでなかったような顔だった。

 

 その間に、少年は入室した。

 

 できるだけ静かに。

 

 しかしザクの足は重かった。

 

 がしゃり、と鳴った。

 

 ハスミが、こちらを向いた。

 

「お久しぶりですね」

「……どうも」

 

 軍刀の男が、彼を見た。

 

 その顔が、急に明るくなった。

 

「知り合いか?」

「お前は黙ってろ」

「ご迷惑をおかけしておりましたら、申し訳ありません」

 

 頭を下げた。

 

 軍刀の男が、ハスミに。

 

 ザクは、その背中を見た。

 

 彼らの男子校、その校内では一度も見たことがないほど、綺麗なお辞儀だった。

 

「いえ。アビドスで人命救助に当たられた際、お話を伺ったのです」

 

 ハスミが答えた。

 

 少年は、少しだけ胸を張った。

 

「ただ、その後の確認で、いくつか」ハスミがため息をつく。

「その節はお世話になりました」

 

 今度はザクが、勢いよく頭を下げた。

 

 軍刀の男が、ますます楽しそうな顔をした。

 

 ユウカがこちらを見た。

 

 ノアも見た。

 

 セイアは椅子を選んでいた。ミカがその隣を取った。ナギサは二人に何か言いながら、鞄を置いた。

 

 部屋の奥には、スズミがいた。それから、ゲヘナの制服を着た、眼鏡の少女。

 

 彼女がこちらを見て、小さく会釈した。

 

「風紀委員会の火宮チナツです」

「あ、どうも。こちらは」

 

 軍刀の男が、ザクを指した。

 

「顔は怖いですが、人を助けることもあります」

「紹介の仕方!」

「いま助けてるだろ」

 

「皆さん。お待たせいたしました」

 

 その声に、部屋の会話が止まった。

 

 七神リンが、扉の向こうに立っていた。

 

 彼女は室内を見渡した。人数を数えるように視線を動かし、ナギサに軽く会釈してから、少年たちにも目を向けた。

 

 軍刀の男が、鞄から封筒を取り出した。

 

 ユウカも、書類を手に取った。

 

 セイアが、帽子を膝に置いた。

 

「まず、現在の状況について、ご説明いたします。その前に――」

 

 リンが半歩、横へ退いた。

 

 一人の大人が、そこにいた。

 

 少年は、少し驚いた。

 

 先生。

 

 その呼び名が告げられたときには、もう、隣で軍刀の男も顔を上げていた。

 

「連邦生徒会長が招聘された、連邦捜査部『シャーレ』の顧問です」

 

 先生は、居並ぶ生徒たちを見た。

 

 ユウカを。

 ノアを。

 トリニティの少女たちを。

 ゲヘナのチナツを。

 

 それから、軍刀を提げた男子生徒を。

 

 最後に、ブルーブラックのザクⅡを。

 

 視線が止まった。

 

 少年は待った。

 

 先生も、少し待った。

 

「……そちらも、生徒さん?」

 

 少年は頷いた。

 

「はい」

 

 隣で、軍刀の男が口を開いた。

 

「見た目で判断されることを、本人も大変気にしております」

「してねえよ」

「普段は、もっと明るいやつなんです」

「お前、初対面の大人に何吹き込んでんだ」

 

 ミカが吹き出した。

 

 ユウカが額を押さえた。

 

 ノアは、先生の顔を見てから、こちらを見た。何か面白いものを見つけたような目だった。

 

 そのとき、セイアが椅子から立った。

 

 少年は、彼女を見た。

 

 さっきまでのように、誰かの袖を引くのかと思った。けれど彼女は、まっすぐ先生を見ていた。

 

 金色の目が、ほんの少しだけ見開かれていた。

 

「……君が」

 

 小さな声だった。

 

 ナギサがセイアを見た。

 

 ミカも、笑うのをやめた。

 

 先生が、彼女へと向き直る。

 

 セイアは一度、息を吸った。それから、いつもの調子で微笑んだ。

 

「いや。挨拶が先だったね」

 

 白い帽子を、胸の前で持ち直した。

 

「私は百合園セイア。君と話したいことが、いくつもある」

 

 軍刀の男が、少年の脇腹をつついた。

 

「おい」

「何」

「これ、長くなるぞ」

 

 少年は答えなかった。

 

 膝の上に置いた紙袋から、まだ少しだけ、甘い匂いがしていた。

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