窓ガラスが震えた。
ザク少年は端末をしまい、右の手甲へと手を差し入れた。固定具が噛み合う。指先の駆動が戻り、青黒い五指が、一度だけ開いた。
ハスミは立ち上がっていた。
スズミも、チナツも。
ミカが窓際へ寄る。その肩を、ナギサが呼び止めた。
「ミカさん。窓から離れてください」
「うん。でも、あっち」
ミカが指した。
ビルの向こうに、黒煙が上がっていた。
七神リンの端末が鳴った。
彼女は応答し、二つ、三つ、短く確認した。
それから顔を上げた。
「シャーレの施設周辺が、襲撃を受けています」
先生が立った。
リンは説明を続けた。矯正局から脱走した生徒。混乱に乗じた暴徒。連邦生徒会の管理が及ばなくなった区域。
そして、いま先生をそこへ連れていかなければならない理由。
ユウカは、最後まで聞いた。
聞いてから、鞄を机に置いた。
「……分かりました。まず、そちらを何とかしないと、お話にもならないということですね」
ノアも鞄を置いた。
その手には、もう端末がある。
「経路を確認します。通行止めが増える前に、移動した方がよさそうです」
「私たちも同行します」
ハスミが言った。
スズミが頷き、チナツは銃の確認を始めた。
ミカが振り返った。
「じゃあ、私も――」
「ミカさん」
ナギサの声に、ミカは口を閉じた。
二人の視線が合った。
ティーパーティーの三人が、所在も知らせず戦闘区域へ入る。その意味は、ザク少年にも分かった。
セイアはもう、帽子をかぶっていなかった。
「私たちは、先に連絡を取ろう。トリニティ側でも、動いている者がいるはずだ」
ナギサが頷いた。
ミカは少しだけ唇を尖らせ、それでも端末を取り出した。
軍刀が、ザク少年の肩を叩いた。
「俺らは」
「行く」
「だよな」
机の上に、封筒が残った。
その隣に、菓子の袋も残った。
ザク少年は一瞬だけ袋を見て、それから扉へと向かった。
「待ちたまえ」
セイアの声がした。
ザク少年が振り返る。
彼女は、その赤いモノアイを見ていた。
「帰ってきたら、話の続きをしよう」
「長くなるぞ」
「構わないよ」
セイアは微笑んだ。
「私にも、まだ話したいことがある」
ザク少年は頷いた。
今度は、軍刀も茶化さなかった。
廊下へ出る。
階下から、また爆音が響いた。
先生が歩きながら、ザク少年へと顔を向けた。
「その装備、どれくらい動けるの?」
「走るだけなら、結構」
「飛ぶと?」
「減ります」
「どれくらい?」
「かなり」
先生は、少しだけ考えた。
「じゃあ、飛んでほしいときは、ちゃんと頼むね」
ザク少年は、赤い目をそちらへ向けた。
飛ぶなとも、飛べとも言われなかった。
残りを気にされた。
「……了解」
正面玄関の外で、銃声が弾けた。
先生の前へ、ユウカが出た。
その横を、青黒い装甲が追い越した。
市街は、すでに撃ち合いのなかにあった。
白い壁に弾痕が散り、道路の中央では、乗り捨てられた車のボンネットから煙が上がっている。逃げ遅れた生徒が、歩道の柱の陰で身を縮めていた。
ザク少年のモノアイが走った。
銃口。
窓。
車の下。
屋上。
赤い目の奥で、照準が次々に重なって消えた。
「正面、二階!」
ハスミの銃が鳴った。
窓の向こうで、銃身が跳ねた。
スズミが前へ出る。その手から投げられた閃光が、路地の入口を白く焼いた。
ユウカが先生の腕を引いた。
「いまです!」
そこで、ザク少年は、柱の陰にいた知らない生徒を抱え上げた。
その少女は悲鳴をあげかけ、青黒い胸部装甲を見て、別の意味で悲鳴をあげた。
「大丈夫、味方だよ!」
「えっ」
「はいここに隠れる! いいね! 降ろすぞ!」
建物の奥へ押し込む。
振り返ったときには、軍刀が車道へ出ていた。
軍刀は抜かれていなかった。
左手で鞘を押さえ、右手には対物拳銃がある。短く撃ち、交差点の角を黙らせる。
「車が来ます!」
ノアが言った。
音が、先に来た。
重いエンジンの唸り。積載を無視したサスペンションの軋み。それらをまとめて引きずりながら、横の通りから一台のトラックが飛び出してきた。
ユウカが銃口を向けた。
ザク少年が腕を出した。
「待て! うちの!」
特徴的な紋章を書かれたトラックが、横滑りした。
車輪が黒い円弧を刻み、荷台の鉄板が、車体の後ろで大きく跳ねた。
運転席の扉が開いた。
白い靴が、路面へ降りた。
白い学ランだった。胸元から喉元まで、ホックで前を留めた、汚れのない白。その袖口から出た両手には、何も握られていない。
リベリオンが顔を上げた。
「迎えに来た」
「何で分かった」
「サイレン。煙。お前らの位置情報」
ザク少年は軍刀を見た。
軍刀は肩をすくめた。
「乗り物は要るだろ」
荷台のあおりが倒れた。
その上から、男が降りた。
いや、落ちたというべきだった。重い靴が路面を打ち、筋肉で膨れ上がった上体が、その衝撃を膝の屈伸だけで受け止めた。
背には弾薬。
肩には銃。
腕には、さらに銃。
コマンドーは、先生を見た。
それから、少女たちを見た。
彼は銃を持ち替え、道を空けた。
「ご婦人方。乗っていけ、リクライニング・シートで修羅場行きしないか?」
ユウカが荷台を見た。
「……これ、座席は?」
「予約制だ。申し込みしてないのか?」
「そもそも椅子がないでしょう!」
「立ち見も歓迎する」
軍刀が荷台へ跳び乗り、奥から折り畳み椅子を引きずり出した。
「あるから! こいつの言うことを全部聞くな!」
ノアが荷台を覗いた。
弾薬箱の脇に、毛布。
水。
救急箱。
彼女はコマンドーを見た。
「準備がいいんですね」
「鉄火場には鉄火巻きが要る」
そう言って、コマンドーは、荷台の奥の食料箱を指した。
ザク少年は、いまではないと思った。
先生も、たぶん同じことを思っていた。
その瞬間、屋根の上で、誰かが笑った。
高いところから、花びらのような赤が舞った。
赤ではなかった。
燃える導火線だった。
「伏せろ!」
軍刀が叫んだ。
ザク少年は地面を蹴った。背面の噴射が、車道の砂を吹き飛ばす。青黒い右腕が、落ちてくるそれを空中で払った。
爆発が、ビルの壁を叩いた。
装甲へ熱が走った。
その熱の向こうで、狐の面がこちらを見ていた。
長い髪。
赤と黒の衣装。
銃を携えた、細い姿。
狐坂ワカモが、崩れた看板の上に立っていた。
「まあ。ずいぶんと賑やかですこと」
彼女の視線が、一行を巡った。
そして先生で止まった。
ほんの一瞬だった。
けれど、その一瞬だけ、ワカモの銃口が下がった。
ハスミは、その隙を逃さなかった。
銃声が、看板を砕いた。
ワカモの姿が落ちた。
落下の途中で銃が翻り、こちらへ火を噴いた。
ザク少年の胸に、弾丸が当たった。
一つ。
二つ。
青黒い装甲が、乾いた音でそれを受けた。
赤いモノアイが、真っ向から狐の面を捉えた。
ワカモは、着地と同時に横へ消えた。
その先へ、また弾丸が走った。
ハスミの銃だった。
「追います!」
「待ってください」
ノアが、端末を見た。
表情が変わっていた。
「後方から、別の集団が来ています。車両が複数。こちらを挟むつもりです」
交差点の向こうに、装甲車の鼻先が見えた。
その上で、無人銃塔が回った。
軍刀が、舌打ちした。
「脱走者の装備じゃねえぞ」
先生は、前を見た。
ワカモが消えた方向。
シャーレへ続く道。
それから、後ろを見た。
銃塔がこちらへ向いていた。
「二手に分かれよう」
先生が言った。
「こちらはシャーレへ。後ろの車両を止められる?」
ザク少年は、隣を見た。
軍刀。
白い学ラン。
筋肉。
全員が、同じものを見ていた。
「止めるだけでいいんですか」
軍刀が尋ねた。
先生は頷いた。
「追いかけなくていい。道を塞いで、逃げる人を通してほしい」
軍刀は、銃を下ろした。
代わりに、左手の親指が、刀の鍔を押した。
「了解」
ユウカがザク少年を見た。
「無理はしないで。状況が変わったら、すぐ連絡すること」
「はいはい」
「返事は一回!」
「了解!」
ノアが、通信を繋いだ。
「こちらで経路を見ます。後ほど合流しましょう」
「おう」
コマンドーが、荷台の救急箱をチナツへ渡した。
「あの世ピクニック・バックだ。説明書は天使にでも聞いてくれ」
「ありがとうございます。そちらも、お気をつけて」
トラックが動いた。
運転席にはリベリオンではなく、移動を手伝う別の生徒が収まっていた。少女たちと先生を乗せ、車体は銃声の向こうへと進んでいく。
ザク少年は、それを見送った。
白い学ランが、その隣に立った。
軍刀が反対側へ出た。
コマンドーが、肩から銃を下ろした。
少女たちの声が、遠ざかった。
エンジンの音も、遠ざかった。
代わりに、無人銃塔の駆動音が、交差点に近づいてきた。
軍刀が息を吐いた。
「……さて」
ザク少年のモノアイが、赤く灯った。
「今日、ジャンヌ・ダルクの下痢じみた奇跡ばっか、起きてるよな」
「あとで、飼い犬にイエスの十字架でションベンさせておこう」
リベリオンが言った。
ザク少年は頷いた。
「ハルヒも泣いて喜ぶぜ」
コマンドーが、弾帯を銃へ送った。
「悪い子には、オナ禁と筋トレの相乗効果を教えてやらないとな」
軍刀が笑った。
「先生がいなくなったらこれか。女神のキャバ嬢なみにケバいぜ」
「我らが母校には王女様しかいねえよ。あとはうるせえメイド女」
「ありゃ、二人ともミレニアム行きになったろ」
「王女様はともかく、メイド様は血肉ともども女子になっちまったからな。男子校とは女人禁制なり」
銃塔が止まった。
四人へと、銃口が揃った。
ザク少年の機械の目が、なによりも赤く、その交差点の向こうを睨んだ。
軍刀が、抜けた。
刀身は、白かった。
白日の光を一筋に受け、その鋼だけが、路面の影のなかで凍りついたように輝いている。軍刀の男は鞘を左へと送り、抜き放った右腕を、そのまま低く下げた。
刃が、地面に触れそうなほど低い。
その冷たい切先に、躊躇いはなかった。
無人銃塔が火を噴いた。
同時に、ザク少年の背後が爆炎に膨らんだ。
青黒い装甲が、車道を横切る。
弾丸がその後を追った。路面が裂け、駐車車両の窓が弾け、砕けたガラスが、ザク少年の背面スラスターの熱に巻き上げられた。
ザク少年は着地しなかった。
脚部の噴射を、路面すれすれで横へ流した。
機体が、傾いた。
青黒い巨体、その実、人間の背丈を一回りほど上回るだけの装甲が、横倒しになりかけた姿勢のまま、装甲車の鼻先へと滑り込む。
モノアイが、光った。
銃塔の黒い目が、それを追った。
その一瞬に、軍刀が車道を渡った。
低く、速く。
銃塔の下、車輪の横、その死角へと踏み込む。軍刀の左手が装甲の縁を掴んだ。右足がタイヤを蹴り、その体が、鋼鉄の車体へと跳ね上がった。
刀が走った。
銃身ではない。
銃塔の首、その旋回基部に露出した配線へと、白い刃が突き立った。
火花が散った。
銃塔が、痙攣した。
発砲を続けながら、ありもしない標的へと首を振った。
「おい、まだ三十路並みに元気だぞ!」
ザク少年が叫んだ。
「心配すんな、過労死の前兆だ!」
軍刀が刀を引き抜いた。
同時に、腰の対物拳銃を抜いた。
「さ、ホワイトに行かせてやるよ」
至近距離の銃声が、三つ続いた。
銃塔の基部で、何かが破裂した。
黒煙が上がった。
軍刀はその煙の中から飛び降り、膝をついて衝撃を殺した。その背を、別の銃口が狙った。
白い袖が、翻った。
その両手で、二挺の拳銃が黒々と口を開いた。いまだ火を噴かぬ銃口の、その暗い奥底にだけ、冷たい闘志が滾っている。
リベリオンは、銃を構えて立ってはいなかった。
すでに動いていた。
左足を引く。
半身になる。
右腕が、軍刀の背を狙う銃口へと伸びた。
一発。
敵の銃が跳ね上がる。
リベリオンの左腕は、そのときには、右腕の下を潜っていた。
二発目。
別の敵の肩が、後ろへ弾けた。
白い学ランが、車体の影へ入る。弾丸がその裾を追い、しかしそこにあったはずの体は、もう横へとずれている。
肘が曲がった。
銃口だけが、肩越しに後ろを向いた。
発砲。
背後の窓で、銃が落ちた。
リベリオンは振り返らなかった。
右手の拳銃を胸元へ引き、その銃底で、路地から飛び出した生徒の手首を打った。相手の引き金が空を撃つ。リベリオンはその腕の内側へ入り、左の銃口を、相手の防弾装備へと押し当てた。
撃った。
相手は、息を吐き出すような声とともに、壁へ崩れた。
白い学ランの前は、喉元まで閉じられていた。
その白だけが、硝煙のなかで、ひどく冷静だった。
「右、上!」
軍刀が叫んだ。
「見えてる」
リベリオンの両腕が、左右へ開いた。
銃声が、同時に響いた。
窓と屋上で、二つの銃口が退いた。
その下を、軍刀が駆けた。
後方から、重い笑い声がした。
「いい眺めだ。初日の出をラブホで見たみてえだ」
コマンドーだった。
彼は、遮蔽物に隠れてはいなかった。
道路の中央へ、太い脚を踏み出していた。
肩から下ろした機関銃、その黒い銃身が、両腕のなかでゆっくりと持ち上がる。筋肉が膨らんだ。腕だけではない。胸、背、首、その全身が、これから来る反動を、すでに待ち構えていた。
銃口が、開いた。
爆音だった。
一発一発の銃声が繋がり、ひとつの轟きとなって、交差点の奥へ叩きつけられた。
薬莢が飛んだ。
金色の殻が、男の足元へと降り注ぐ。
弾帯が、踊った。
銃はその鋼の腹へ、次々に弾丸を呑み込んでいった。
コマンドーは、止まらなかった。
一歩。
もう一歩。
その肩は、銃床を受けたまま、後ろへ引かない。筋肉に埋もれた首の上で、男の顔だけが、まるで重い荷物を運んでいるだけのように平然としていた。
無人車両のセンサーが砕けた。
装甲の表面に、火花が走った。
敵の生徒たちが車体の陰へ飛び込み、その頭上で、看板の支柱が折れた。
「おい! 上、落とすな! 看板娘じゃねえんだぞ!」
軍刀が怒鳴った。
コマンドーは、銃口を少し下げた。
「ご注文がメイド喫茶なみに雑だな」
「てめーのマチズモでメイドを語るか! 俺は清楚ヤリ○ン派だぞ?」
ザク少年は、その弾幕の端を走った。
右手にマシンガン。
左手には、ヒート・ホーク。
斧の刃が、赤くなっていた。
紅蓮とは、そういう色なのだろうと、ザク少年は思った。炎が揺らめくのではない。鋼そのものが熱を帯び、その内側に、静かな火を飼っている。
モノアイが、次の装甲車を捉えた。
正面からは、まだ撃てる。
側面からも、まだ狙われる。
ザク少年は、上を見た。
「軍刀!」
「何だ!」
「首、引っ込めろ、亀頭みてえに! 飛ぶから!」
返事を待たず、噴射した。
車道が遠ざかった。
ザク少年の脚が、装甲車の屋根より高く上がった。
銃塔が仰角を取る。
その機械の目が、空の青を背負ったザク少年を追った。
遅かった。
ヒート・ホークが、落ちた。
赤熱の刃が、銃塔の基部へと噛みついた。
金属の悲鳴がした。
鋼が熱を受け、引き裂かれ、その裂け目から、白い煙と火花が噴き出した。
ザク少年は、斧を引かなかった。
着地の重さを、そのまま刃へと押し込んだ。
青黒い肩が沈んだ。
脚部のスラスターが、もう一度、短く吼えた。
銃塔が、折れた。
黒い砲身が、車体の横へと垂れ下がった。
ザク少年はその上に立ち、マシンガンを交差点へ向けた。
赤いモノアイが、硝煙の向こうを見下ろした。
「次。」
銃声が、撃ってきた。
弾丸が胸部装甲に当たった。
ザク少年の上体が揺れた。
それだけだった。
「てめえ?」
マシンガンが火を噴いた。
敵の遮蔽、その縁を、弾丸が削った。
相手が身を引く。
そこへ軍刀が入った。
刀の峰が銃を叩き落とし、その柄頭が、相手の胸元へと突き込まれた。
生徒が倒れた。
軍刀は、ザク少年を見上げた。
「いちいち返事すんな! Botならエロくねえと意味ねえぞ!」
「うるせえ! 放置プレイを順番待ちさせてんだよ!」
「大人気だな! 排便は握手会付きか?!」
「糞に挨拶するのかテメエは?」
リベリオンの銃声が、その間を縫った。
「喋るなら、手を動かせ。オナ○ーよりも動いてないぞ」
「動かしてんだろ! 俺のオ○ニーは十万円かけてんだよ! ちったあ喋らせろ!」
「口の方が多い。テメエのフェラなら明太子相手にやれ」
空になった弾倉が、二つ落ちた。
リベリオンの両手が、白い学ランの裾へと下がる。
次の瞬間には、新しい弾倉が収まっていた。
銃口が上がった。