【現代日本実績解除】極東の小さな超大国   作:ちんすこー

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AIに読み込ませる設定集だけで文字数四万文字以上……
まあ現代史の勉強になったと思えば安いモノかな。


序章 祝典委員会の備品表

 皇紀二千七百年記念式典の準備で、最後まで決まらなかったのは外国代表団の席順だった。

 

 国の大きさ、国交の長さ、条約上の地位、来賓本人の職位。それぞれにもっともな基準があり、全てを守ると、同じ場所に三人を座らせることになった。外務省は二週間を費やして調整案を作り、その翌朝、ある代表団から、出席者を変更するという通知を受け取った。

 

 二〇四〇年十一月十日、午前七時二十分。

 

 式典準備室の倉田真紀は、四十三版になった座席表を見ていた。

 

「ここを二十センチ空けてください」

 

 車椅子の来賓を案内する担当者が、通路を指した。倉田は画面の上で椅子の印を動かし、その隣を動かし、最後に列の端を見た。

 一脚、収まらなくなった。

 

 会場の寸法は、国際情勢に合わせて変わってはくれない。

 

 壁面の画面には、外国代表団を乗せた車の到着予定が並んでいる。

 別の画面では通訳の配置が確認され、その下で、各国の国旗を用意した業者が最終の照合をしている。

 国旗はよく似ていた。同じ色を使い、並べる方向だけが違う国もあった。日本政府はその違いを正確に扱うために、担当者を二人置いていた。

 

「この方は、こちらへ移っていただけませんか」

 

 倉田が示したのは、国社党の古参議員の席だった。

 

 党から来ていた連絡役は、少し口を開けてから閉じた。議員は式典の準備に熱心で、席についても熱心だった。本人は当初から、国際的な地位にふさわしい行事にしなければならないと主張していた。

 

「一列だけです」

 

「分かりました。私からお伝えします」

 

 連絡役が出ていくと、通路がつながった。倉田は座席表を四十四版として保存した。

 

 この式典には、海外から多数の代表団が来ることになっていた。友好国だけではない。

 日本と争っている案件を抱えた国も、祝意を表明した後に、その案件について話す時間を求めていた。代表団が大きくなるほど、控室と通訳と警備が増えた。

 

 かつて日本の外交力を測る時には、どの国の首脳に会ってもらえたかが話題になっていたが、近頃は会談を求めてきた相手のうち、誰を待たせることになるかが問題になっている。待たされた側に、その変化を祝ってもらうのは難しかった。

 

 横浜協調共同体の加盟国は十八に増えていた。日本の融資で港を広げ、日本の規格で機械を動かし、日本の市場へ商品を売る国々である。だからといって、その国々の代表が、日本の都合に従って座ってくれるわけではなかった。共同体の会議で日本案に反対した代表も、今日の来賓名簿には載っていた。

 

 倉田は、控室の割当表へ目を移した。隣同士にしてはいけない代表団について、外務省から短い注意書きが付いていた。関係を説明する添付資料は、短くなかった。

 

 廊下では、朝食の箱が配られ始めていた。食材と調理法の異なる箱が色分けされ、受取人の名と番号が端末に出る。

 以前、ある職員が国籍から食事を判断して問題を起こしたため、今は本人の申告を使っていた。

 

 料理を運ぶ青年が、日本語で行先を確認し、同僚には別の言葉で返事をした。倉田は通路を空けた。どちらの言葉も、この頃の東京では珍しくなかった。

 

 会場の入口では、清掃員が床の光り方を確かめている。配信用の字幕は既に試験を終え、手話通訳の立ち位置には印がついていた。列の端の椅子を移したことを伝えると、案内係が自分の端末の図面も変わったのを確認した。

 

 小さな修正が、必要な場所へ届いていた。

 

 

◇

 

 

 机の端には、海軍から取り寄せた報告書の写しがあった。

 

 航空母艦ほうおうの運用認定に関する、公表用の抜粋だった。認定日は九月二十七日。二年前の就役式の映像を使う場合には、この日付を取り違えないようにと、中継担当から確認が入っていた。

 

 ほうおうは、日本で七隻目となる大型航空母艦である。

 

 船体は既に海に浮かび、艦名もあり、就役式には首相も出席していた。それでも航空団と整備、補給、訓練の条件が揃わず、海軍は所定の運用能力を認定しなかった。祝典の都合を理由に早められないかという相談には、祝典の担当者が整備をするのかという返事が来た。

 

 そのやり取りは正式の議事録には残っていない。正式の回答は、もっと長く、同じことを述べていた。

 

 九月末、認定を受けた時、準備室は中継用の資料を一枚差し替えた。海軍では、それよりずっと多くの書類が動いていた。

 

「七隻が並ぶ映像はないんですね」

 

 報道資料を担当する三浦が、画面を確認しながら言った。

 

「ありません」

 

 海軍の連絡官は答えた。

 

 日本には七隻あったが、七隻が同じ所にいるわけではなかった。遠方で任務に就く艦、整備中の艦、訓練を行う艦がある。二つの海域で継続して活動し、必要があれば別の方面へ部隊を送る。そのための艦を、記念写真のために東京湾へ戻す予定はなかったし、海軍にはその意思もなかった。

 

 中継担当は、日付を付した各艦の映像を順に使うことにした。

 

 画面の中で、甲板上の誘導員が腕を動かしていた。国産の艦上戦闘機が、その指示に従って進んでいく。機体は低く平たく、翼を広げると、人間は急に小さく見えた。

 

 三浦は航空機の名称を確認し、字幕の文字数を数えた。

 長かったため、初出以外では型式だけを使うことになった。

 

 米国の大型空母は十三隻。日本は七隻。

 

 この二つの数字は、九月以来、繰り返し並べられていた。半数を超えたと書く新聞があり、まだ半数余りだと書く新聞もあった。どちらにも同じ写真が使われることがあった。

 

 もっとも、国の力を数える資料は空母だけでは終わらなかった。

 

 経済統計の担当者から届いた確認には、日本と米国の数字を、同じ換算方法で比較するよう注意が付いていた。直近三年、二〇三七年から三九年までの日本の名目国内総生産は、米国の七割をいずれも上回っていた。三年間の比率の平均は、約七〇・六パーセントである。

 

 今年の見込みを使えば、数字はもう少しよくなる。

 

「今年の方で統一しますか?」

 

 三浦が訊くと、倉田は首を振った。

 

「そちらは見込みと書いておいてください。まだ十二月が来ていません」

 

 通年の経済活動を、十一月の祝典に合わせて終わらせることはできなかった。

 

 世界最大の経済は米国で、次が中国だった。日本の国土も人口も、この二国より小さい。それでも、日本を数に入れずに、半導体の供給、海上輸送、国際金融の大きな取り決めを進めることは難しくなっていた。

 

 工場がどこに建つか。設備を買うための金がどこから出るか。借りた金が、何の通貨で返されるか。遠くの港の仕事について、日本の選挙結果を気にする人々がいた。日本製品を買わない方針を掲げた政府も、そのために必要な代替品と費用を計算していた。

 

 報道向けの基礎資料には、国連安全保障理事会の常任理事国となった年も載っている。二〇三七年。新しい常任国には拒否権がないため、国内では今も批判されていたが、日本の席が任期満了で空くことはなくなった。

 

 独自の核抑止力については、政府の公表した記述をそのまま使うよう指定されていた。数字を祝賀用に膨らませる種類の項目ではなかった。保有を歓迎しない国々にも、日本政府が何を決めるかを確かめる理由が生じていた。

 

 三浦は資料を綴じた。

 

 国際面の記者たちは、これらをまとめて超大国と呼んでいた。呼ぶ前に、日本の祝典委員会へ許可を求めた新聞社はなかった。

 

 

◇

 

 

 八時を過ぎると、会場外の様子が準備室の画面へ送られてきた。

 

 駅から続く通路には、案内の腕章を付けた人々が立っていた。車道の向こうでは、集会の設営が始まっている。政府に抗議する団体も、式典に合わせて予定を組んでいた。

 

 警備担当者から、誘導柵の位置を変えたいという連絡が入った。代表団の車が通る時間と、集会へ人が入る時間が重なっていた。

 

「歩道の方を塞がないでください。駅へ抜けられなくなります」

 

 倉田が答えると、担当者は別案を送ると言った。

 

 その横では、式典史料集を監修した長峰千尋が、展示用の解説を読んでいた。細い眼鏡の向こうで、視線が一行だけ戻った。

 

「これ、直した方ですね」

 

 長峰は、紀年法の説明を指した。

 

「はい。最終稿です」

 

 皇紀二千七百年という年数は、神話に由来する紀元に基づいていた。展示は、その年数を、連続する実証済みの国家史として説明してはいなかった。祝うことと史料を読むことを両立させるために、この数行には長い打合せが必要だった。

 

 長峰は頷き、次の頁へ進んだ。

 

 式典は国家の行事として準備されていた。参加するために国社党を支持する必要はなく、会場の外にいる人間が、国家の外へ出されるわけでもなかった。

 

 これを党の勝利として大きく扱いたい議員はいた。だが首相の瀬尾真弓は、過去の野党政権を含む招待名簿を認め、党の行事は党の予算で行うよう求めていた。古参たちは渋ったが、費用を党で負担する話になると、飾りの規模についても急に慎重になった。

 

 日本国民社会党。略して国社党。

 

 国家の維持を唱え、産業の更新を急ぎ、外国への従属を罵った政党である。その前身は、愛国的共産主義を掲げる日本黒服隊だった。

 

 かつて天皇制を批判した人々の後継者が、皇紀を記念する式典の政府側を担っている。銀行を攻撃していた運動が、政権を取ると銀行へ公金を入れた。日本人の職を守ると約束した党が、外国から定住者を迎え、彼らの子供を同じ学校へ通わせる制度を広げた。

 

 その度に、初めからそう考えていたとする説明が出た。長峰の仕事の一つは、説明が出るより前に書かれた文書を読むことだった。

 

 綱領には改定日があり、予算には反対票があり、会議録には削りたくなる発言が残っていた。

 

 長峰は、国社党による経済再建を高く評価して研究を始めた。評価するなら、なぜそこへ至ったのかを確かめる必要があった。調べていくと、国社党が反対していた制度を、後に使っている場合もあった。政敵の残した仕事を引き継ぎ、それについてあまり話さない時期もあった。

 

 この国には、そうした資料を読むための場所があった。

 

 長峰は史料集を閉じた。

 表紙の金色の文字に指紋が付いていたので、布で拭いた。机の上には、展示に使う古い写真の複製が広げられている。

 

 そのうちの一枚を、三浦が覗き込んだ。

 

「これが黒瀬ですか」

 

「左から二人目です」

 

 黒い作業着の男が、他の男たちと並んでいた。背景に見える建物は小さく、立派な看板もなかった。写真の端では、人の肩に隠れるようにして、一人の女が桶を持っている。

 

 この男の名は、後の首相たちの演説に何度も出てきた。何をしようとする時にも、黒瀬ならどう考えたかという議論が始まった。本人は国社党の政権獲得より前に死んでいたため、その議論に参加したことはない。

 

「国の先の姿を、見ていたんでしょうか」

 

 三浦の言葉に、長峰は写真を少し持ち上げた。

 

「この頃の手紙には、雨漏りのことがよく出てきます」

 

 写真の屋根には、継ぎ当てらしい影があった。

 

 

◇

 

 

 九時前、準備室へ瀬尾首相の到着予定が伝えられた。

 

 変更はなかった。

 

 それを聞いて倉田は、初めて椅子に深く座った。机の上で冷えていた茶を飲み、今日中に返す物の一覧を開いた。

 

 椅子、通訳用受信機、案内用端末、傘立て。予備の延長コードは搬入時の本数と一致していた。式典を終えた後にも、運び出しと照合がある。

 

 画面の一つで、中継の試験映像が流れ始めた。

 

 秋の朝の東京が、海の方から映っていた。コンテナを積んだ船がゆっくり進み、その向こうに、市街地と鉄道が重なっていた。画面が切り替わると、北の港に白い息を吐く作業員がいた。別の映像には、外国の工業団地の入口に、日本語と現地の言葉が並んでいた。

 

 日本語で行われる資格試験の会場も映った。受験者は机の上へ筆記具を並べ、係員は開始前の注意を読み上げていた。日本へ行くために受ける者も、日本の企業を相手に自分の国で働くために受ける者もいた。

 

 映像は、その違いを全て説明するほど長くはなかった。

 

 船が海を渡り、工場が動き、離れた場所に同じ部品と同じ規格が届く。画面に映る人々は、それぞれ別の一日を始めていた。今日が日本の記念日であることを知っている者ばかりではなかったが、日本の動きが明日の仕事に関わる者は多かった。

 

 この国は、そこまで遠くへ届くようになっていた。

 

 倉田が働き始めた頃には、それを不思議がる人は既に少なかった。若い職員にとって、国産の航空機が海の向こうで活動し、日本が国際会議で提案を出し、それに各国が賛成したり反対したりすることは、毎日のニュースの一部だった。

 

 祖父母の話す日本は、それよりずっと余裕がなかった。

 

 銀行の窓口へ並んだ話。勤めていた会社の名前が変わった話。急に知らない国へ転勤することになった話。国が変わった年を尋ねても、家によって答えは違った。

 

 準備室の前を、来賓を案内する職員が通った。廊下の向こうから、何かを見つけた人々の声が聞こえた。会場が、図面の中の場所から、人が集まる場所へ変わり始めていた。

 

 倉田は立ち上がり、備品表を三浦へ渡した。

 

「椅子を一脚、移したので。回収する場所も直してあります」

 

 三浦は受け取り、一覧に印を付けた。

 

 その机には、三十兆ドルに届くという経済の見込みと、七隻目の空母の認定書が重ねて置かれていた。隣には、国連と共同体の資料があり、さらにその脇に、長峰が持ってきた古い帳面の複製があった。

 

 薄い紙に、鉛筆で数字が書き込まれている。ところどころ擦れ、同じ欄に別の金額が重なっていた。大きな国家事業を構想した文書ではない。会費を集め、食べ物を買い、足りなければ誰かが立て替えた記録だった。

 

 この帳面がつけられた時、日本黒服隊という名前はまだなかった。黒瀬誠一は二十九歳で、榊原周蔵は二十五歳だった。後に二人の名を掲げる政党も、二人について論じる研究者も、彼らの判断を賞賛したり罵ったりする外国の政治家も、まだ彼らを知らなかった。

 

 そこから、今日の日本までがつながっている。

 

 祝典の準備室を離れ、話は一九五三年十一月の川崎へ戻る。

 

 その日の共同炊事には、予定より六人、多く来ていた。

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