【現代日本実績解除】極東の小さな超大国   作:ちんすこー

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昭和中期からスタートです。


第一章 黒い作業着

 釜の蓋を開けた八代フミは、飯を見てから、入口に並んだ男たちを見た。

 

「六人増えたよ」

 

 榊原周蔵は帳面から顔を上げた。川崎の運河に近い、町工場の物置だった。戸板を載せた机には会費の小銭が並び、その隣で、まだ乾いていないビラが反っていた。

 

「名前は」

 

「飯より先に聞かなくてもいいだろう」

 

 榊原は鉛筆を置いた。

 

 一九五三年十一月。この頃、彼が勤める工場では、残業のない日が増えていた。港でも、昨日まで顔を出せば仕事にありつけた男が、今日は夕方まで待って帰ることがあった。朝鮮で戦っていた軍隊からの注文は、日本の工場や倉庫を忙しくした。夏に休戦が成立しても仕事が一斉に消えたわけではないが、次の注文を当てにしていた者にとって、待つ時間は長くなっていた。

 

 景気の変化は、新聞より先に食卓へ届いた。

 

 この共同炊事を始めたのは、港で働く黒瀬誠一だった。仕事を失った仲間を集め、安く食べられる場所を作る。初めはそれだけの話である。工場の親父が物置を貸し、古道具屋が釜を貸し、近所で下宿を営むフミが炊き手を引き受けた。榊原が加わったのは、集まった金と出ていった金が、誰の記憶の中でも一致しなかったためだった。

 

 黒瀬は人を連れてくるのがうまかった。

 

 会費を持ってくる者もいたが、持ってこられない者の方が多かった。

 

「黒瀬さんが、来れば食わせるって」

 

 入口の一人が遠慮がちに言った。頬に煤がつき、右の袖口だけが新しく縫い直されている。

 

 榊原は釜を覗いた。それから、机の脇に置いていた弁当包みをフミへ渡した。

 

「足してくれ。汁を先に出そう」

 

「あんたの分だろう」

 

「今日は帳面をつけるだけだから」

 

 フミは何も言わず、蓋を開けて中身を移した。入口の男たちは、見なかったように横を向いた。

 

 二〇四〇年現在、国社党の資料館には、ここで使われた出納帳が残っている。共同炊事を扱った党の記念映画には、黒瀬が自分の握り飯を子供へ渡す場面がある。黒瀬がそうしたことは、おそらく一度や二度ではなかった。ただし、この日の出納帳に残っているのは、炊事費の不足と、榊原の立替分である。映画では机の隅に置かれた帳面に、実際にはかなりの出番があった。

 

 黒瀬が帰ってきたのは、最初の一巡が終わった頃だった。

 二十九歳。復員してからいくつかの仕事を替え、港に落ち着いていた。長身ではないが肩幅があり、戸口に立つと、後ろにいる人間が見えなくなる。

 

 その日は、後ろに三人いた。

 

 榊原は彼を物置の外へ連れ出した。

 

「呼ぶ前に言ってくれ」

 

「腹を減らした人間を帰せるのか?」

 

「今晩の分は増やした。明日の米を買う金を使ったんだ」

 

 黒瀬は口を閉じた。運河の方から、油と湿った木材の臭いが流れてきた。

 

「なら、明日までに集めればいい」

 

「誰から」

 

「働いている奴からだ」

 

「何人に、いくらずつ頼めるんだ?」

 

 黒瀬は顎をこすり、名前を挙げ始めた。榊原は帳面を開いた。二人の間で最初に成立した役割分担は、こういうものだった。

 

 その月の終わり、炊事会の世話役たちは、継続的な団体を作ることにした。食事の面倒を見るだけでは足りなくなっていた。働いた金が払われない者、怪我をして現場から外された者、紹介料を取られた上に仕事を回されない者が来る。苦情を聞く人間と、相手の事務所まで一緒に行く人間が要った。

 

 団体名が決まる少し前に、衣服が決まった。

 

 知り合いの被服業者が、引取先を失った黒い作業上衣を持ち込んだのである。袖の長さはまちまちで、背中の縫い目が少し曲がったものもあったが、まとめて買えば安かった。港の汚れも目立たない。黒瀬は気に入り、榊原は代金を分割できるか訊いた。

 

 翌週から、未払い賃金の交渉に黒い服の男たちが来るようになった。

 

 近所では、すぐに黒服の連中と呼ばれた。

 

「それなら黒服隊でいい」

 

 黒瀬の提案に、印刷所勤めの青年が顔をしかめた。

 

「ムッソリーニの真似だと思われますよ」

 

「ハッハハ、そう思わせておけばいい」

 

 黒瀬は、壁に貼った綱領草案を指した。生産手段の社会化、労働者による国家権力の掌握、外国への従属からの解放。共和制を目指すことも、その頃は明記されていた。

 

 青年は、そんなに長いものを全員が読んでくれるとは思えなかったらしい。正しかった。

 

 それでも名前は変わらなかった。黒瀬が先頭に「日本」を足し、日本黒服隊となった。川崎の物置から全国を名乗ることに、本人たちは特にためらわなかった。将来の支部を置く場所は未定だったが、名前を長くしても家賃は増えなかったからだ。

 

 

◇

 

 

 黒服隊が初めてまとまった人数で取り組んだ賃金争議は、翌一九五四年の春に起きた。

 

 演説の中では何度も大資本家を倒してきた黒瀬も、目の前の小さな運送屋には少々手を焼いた。社長は事務所から逃げず、机の前で二時間叱られても、払う金がないという答えを変えなかった。

 

 従業員は二十人余り。賃金は二度続けて一部しか払われていなかった。社長が夜逃げするという噂が立ち、荷主は仕事をよそへ回し始めていた。仕事が減れば、払える金はさらに少なくなる。

 

 その年、金融の引締めは、小さな会社の資金繰りにも響いた。上の会社から入るはずの金が遅れ、銀行は従来どおりには貸してくれない。運送屋は燃料を現金で求められ、修理工場からも支払いを催促されていた。

 

 社長は黒瀬の前へ帳簿を出した。

 

「見たって分からんだろうが、これで全部だ」

 

 黒瀬は帳簿を閉じて持ち帰った。

 

 翌日、榊原が来た。

 

 彼は社長を叱らなかった。入金の予定、支払の期日、動いている車の数を順に訊いた。社長が答えられないところには紙片を挟み、帳簿から抜けていた修理代を加えた。夕方には、社長も従業員も机の上を覗き込んでいた。

 

「この金が入れば、払えるんだな」

 

 黒瀬が指したのは、大口の荷主から入るはずの運賃だった。

 

「全部は無理だ。燃料代と、今週の分を残す」

 

「また給料を後回しにするのか?」

 

「車を止めたら、来週も払えなくなるんだぞ」

 

 榊原の言葉に、従業員の一人が舌打ちした。話が分かることと、腹が立たないことは別だった。

 

 交渉は運送屋の事務所から荷主の事務所へ移った。ここで黒瀬は、須藤仙吉という男に口添えを頼んだ。港で顔の利く仲介者で、運送の仕事を回すこともあれば、揉め事に人を出すこともある。黒瀬は復員後、仕事をもらったことがあった。

 

 須藤が何本か電話をかけると、それまで担当者が不在だった会社に、担当者が戻ってきた。

 

 運賃の一部が支払われた。従業員は未払い分の一部を受け取り、残額には期日を記した約束が作られた。社長の身内への支払いも止められた。車は動き続けたが、二台を手放し、三人が職を失った。

 

 黒服隊の機関紙はこれを勝利と報じた。職を失った三人のうち、一人はしばらく炊事場へ来た。もう一人は横浜へ移り、残る一人は黒瀬と顔を合わせなくなった。

 

 榊原は三人の名前を、決着済みの欄へ移さなかった。

 

 事件の後、須藤は礼として金を求めなかった。その代わり、港湾作業の請負をめぐる別の揉め事で、黒服隊に顔を出してほしいと言った。

 

「一度借りた手は返すもんだ」

 

 黒瀬は出向いた。

 

 榊原は止めたが、止め切れなかった。黒瀬にとって、困った時に来た人間を、役に立った途端に切り捨てることは卑怯だった。須藤もその感覚をよく知っていた。

 

 この種の関係が、どこから不当な便宜へ変わったのかを、後の調査委員会は長く論じることになる。最初から白紙だったわけではない。ただ、最初の一枚には、給料を受け取った労働者たちの礼状も挟まっていた。

 

 個人の金銭には厳しい団体が、こうして組織としての借りを増やしていった。

 

 一方、榊原のやり方は、思わぬ相手に評判がよかった。借金の返済や仕入代金に追われる小さな工場主が、労働者に連れられて相談へ来るようになったのである。

 

 黒瀬は当初、彼らに冷たかった。

 

「社長の面倒まで見るのか?」

 

「この人が潰れると、こっちの八人も仕事を失ってしまう」

 

「それは脅しじゃないのか」

 

「だから、本当に潰れるのかを調べるんだ」

 

 榊原は社長を信用したのではなく、社長が持ってきた数字を調べた。私用の出費を会社の経費に混ぜている相手には厳しかったし、払えるのに払わない相手には黒瀬を連れて行った。二人は次第に、自分が先に出るべき場面を覚えていった。

 

 相談記録には、取引先、入金日、借入先、使っている機械まで書かれるようになった。ある工場の支払遅延が、別の工場の未払い賃金とつながっていることも分かった。

 

 当時の黒服隊に、日本経済を動かす力はなかった。近所の経済が、どこで動かなくなるかを知る機会はあった。

 

 

◇

 

 

 彼らは、自分たちを共産主義者だと考えていた。

 

 炊事場で飯を配り、帳簿を調べることが、それと矛盾するとは思わなかった。生活に困った人間を組織し、争議を通じて国家や資本の仕組みを教える。考え方そのものは、特別に珍しいものではない。

 

 厄介だったのは、教えようとする側の意見が揃っていないことだった。

 

 戦後の共産主義運動は、一枚岩から遠かった。外国の指導をどう受け止めるか、どのような手段で変革を進めるかをめぐって、対立と分裂が重なった。黒服隊にも、党を離れた者、離れるつもりはなかったのに仲間との関係が切れた者、そもそも党員になったことのない者が混じっていた。

 

 黒瀬は、その説明を細かく区別することを好まなかった。現場に来なかった幹部への怒りを、組織全体への怒りに広げる癖があった。説教を聞きに来たのではないと言って話し合いを打ち切り、後で榊原が続きを聞きに行くこともある。

 

 一九五五年の日本共産党の第六回全国協議会は、分裂の克服と路線の転換へ向かう節目となった。もっとも、それによって地方の争いが一晩で片付いたわけではなかった。誰が誰を追い出したのか。失った仕事や使い込んだ活動費を、誰がどう埋めるのか。方針を変更した後にも、それまでの人間関係は残った。

 

 川崎の活動家、皆川健治は、黒瀬へ合流を持ちかけた。

 

 皆川は口先だけの人物ではなかった。失職した仲間のために妻の実家へ金を借りに行き、支援者の家へ何度も頭を下げていた。黒瀬とも、その点ではよく似ていた。

 

「いつまでも二十人、三十人でやっていて、何を変えられる」

 

「そっちへ行けば何が変わるのか?」

 

「同じ工場で、同じ要求を、別々に出す必要がなくなる」

 

 それは黒瀬にも否定できなかった。黒服隊と皆川の側が、互いに相手より強い要求を掲げ、会社側に交渉の引延ばしを許したことがあった。

 

 だが、団体の金をどこへ納めるかという話で止まった。

 

 皆川は統一した組織で配分すべきだと言い、黒瀬は炊事場で集めた金は炊事場で使うと言った。榊原は、送金した後の使途を確認できるかと尋ねた。

 

 皆川は不信を向けられたと感じた。

 黒瀬は、それを不信と受け取る方が悪いと思った。

 

 双方に、もっともな事情があり、まとまるには足りなかった。

 

 共産党側にも外国からの干渉を拒もうとする人々はいた。黒服隊だけが自主独立という言葉を発見したわけではない。むしろ、似た要求を持ち、同じ労働者を組織しようとしたからこそ、両者の仲は悪かった。

 人間とは遠くの理論家より、昨日、自分の支援者を連れていった相手の方が腹立たしいものなのだ。

 

 黒瀬は隊の規律を厳しくした。集めた会費を酒代へ使った者を役から外し、自分の交通費にも領収書を求めた。ただし、須藤へ顔を貸すことは別だった。本人の中では、それは私腹を肥やす行為ではなく、組織の信用を守る行為だったからである。

 

 榊原は会計簿の余白に、金銭を伴わない約束も記すようになった。

 

 黒瀬は、それを見て嫌な顔をした。

 

「仲間付き合いにまで帳簿をつけるのか?」

 

「返す話になった時、忘れていたでは済まないだろう」

 

 この説明なら黒瀬も受け入れた。二人が同じ理由で納得していたわけではなかった。

 

 

◇

 

 

 一九五六年は、小さな団体にも世界地図を広げさせる年になった。

 

 ソ連ではスターリン批判が表面化し、東欧では社会主義の名の下に置かれた秩序が揺らいだ。ハンガリーへ進入するソ連軍の報道は、黒服隊の読書会を何晩も長引かせた。同じ秋には、スエズをめぐって英仏などが軍事行動に出ていた。

 

 黒瀬は、英仏の行動を植民地主義だと罵った。ソ連の行動についても、ほぼ同じ声量で罵った。

 

 機関紙を刷っていた青年は、二つの記事を同じ面へ載せることに躊躇した。一方では帝国主義を批判し、もう一方では社会主義の祖国を批判する。

 両方に敵を作ることになる。

 

「どちらかを来週に回しませんかね」

 

「何が来週になれば変わると思うのか?」

 

「紙面が足りません」

 

 黒瀬は、自分の演説の採録を削らせた。

 

 彼にも、東欧の事情が詳しく分かっていたわけではない。現地の政治勢力を正確に区別できず、届く情報は食い違っていた。ただ、外国の軍隊によってその国の政治が決められることを、日本の労働者が歓迎すべきだという説明を受け入れなかった。

 

 占領が終わった後も、米軍の施設は日常の景色の中に残っていた。外国の軍隊がいることへの反発は、彼にとって抽象的な議論ではなかった。だからといって、米国に反対する国なら何でもよいとはならなかった。

 

 ある読書会で、若い隊員が、強い社会主義国の援助がなければ日本の革命は成功しないのではないかと尋ねた。

 

 黒瀬はすぐには答えなかった。

 

 自分たちが外国の援助なしに何をできるかと言えば、運送屋の賃金交渉にも須藤の口利きを借りている。自主独立を唱えるだけで独立できるなら、苦労はなかった。

 

「借りるなら、返せるものを借りるべきだ」

 

 黒瀬はそう答えた。

 

「軍隊は返せますか?」

 

 質問した青年が重ねると、黒瀬は、だから要らん、と言った。

 

 榊原はそのやり取りを聞いていたが、議論をまとめようとはしなかった。終わってから、港の仕事を外国からの注文だけに頼らずに済ませるには何が要るか、と別の話を始めた。

 

 機械を更新する金。まとまった注文。電力。外国へ売るための窓口。集まった職人たちは、思いつくものを挙げた。原料を買う外貨が必要だという者もいた。国内の工場同士ですら、同じ部品を別の寸法で作っているという不満も出た。

 

 最後には、黒瀬が「国がやればいい」と言った。

 

 榊原は、黒板に並んだ項目を消さずに残した。

 

 後年の党史は、この夜に国家主導の産業発展という思想が生まれたとする。しかし当時の覚書には、国がやるべきだという結論の横に、「誰が?」と書かれている。文字は榊原のものだった。

 

 国家を信用しない人間が、国家にやってほしい仕事を増やしていた。

 

 問題は、その国家を何に作り替えるのかである。

 

 

◇

 

 

 一九五八年の綱領改定をめぐる争いは、後の国社党の書物では、思想上の飛躍として簡潔に説明される。

 

 実際には、二度の散会と、一枚の割れた窓ガラスを伴った。

 

 ガラスを割ったのは、怒った隊員ではない。借りていた集会所の窓が固く、外の男が押し上げようとして枠を壊したのである。

 議論の最中に騒ぎが起こり、会議録には発言の途中から修繕費の相談が書き込まれている。後世に残った政治文書は、必ずしも政治だけで出来てはいない。

 

 黒瀬が出した案は、共和制の即時実現を活動の前提とせず、現行憲法の下で象徴天皇制を容認するというものだった。

 

 反対は強かった。

 

 それまで黒服隊は、天皇制を批判するビラを配り、演説でも繰り返し取り上げてきた。軍隊を経験した隊員には、自分が何のために命令に従い、仲間が何のために死んだのかという問いがあった。世間の評判を気にして言葉を変える程度の問題ではなかった。

 

 最初の会議では、黒瀬自身の昔の演説が読み上げられた。

 

 彼は最後まで聞いた。聞き終えると、その時はそう考えたと答えた。

 

 それで済ませられる相手ばかりなら、綱領はその晩に変わっていた。

 

「天皇を残して、何を革命するんです!」

 

 反対派の中心となったのは、印刷工の小野寺修だった。字がうまく、ビラを書くのも早い。黒服隊の初期の主張の多くは、彼の手で読める文章になっていた。帝国主義も天皇制も、都合のよい時だけ批判するのでは一貫しないと主張した。

 

 榊原は、配られた改定案の一か所を示した。

 

「国政の権限を持たせない。その規定は残している」

 

「それで影響力までなくなると、本気で思っているのか!」

 

「思っていない!だから、誰が何を決めたかを曖昧にさせない方がいい」

 

「労働者がいつまでも陛下と呼んでいたら、何も変わらんだろ!」

 

 部屋の後ろで、椅子が動いた。

 

 港で働く古い隊員が立ち上がっていた。自分の母親は陛下と呼ぶ、と言った。年金の相談をしていた人もそう呼ぶ。言い方を直すまで仲間にしないのか、と。

 

 小野寺は、そういう意味ではない!と答えた。ではどういう意味かという問いに、封建的な意識を克服する必要があると説明した。

 

 説明は、事態をよくしなかった。

 

 黒瀬が机を叩いた。

 榊原が彼の腕を押さえ、会議はそこで終わった。

 

 黒瀬の変化には、いくつかの事情があった。共和制という言葉を聞いて帰ってしまう相談者を、彼は何人も見ていた。米軍基地に反対し、賃金の引上げを求めながら、皇室には親しみを感じる労働者もいた。その人々を、意識が遅れているという理由で運動の外へ置けば、黒服隊の方が小さくなる。

 

 しかし、支持者を増やす都合だけでは説明しきれない。

 

 黒瀬は、自分が戦時中に憎んだものの輪郭を、時間をかけて変えていた。命令を下す上官、物資の不足を精神の不足として叱る者、失敗した作戦を現場の犠牲で取り繕う者。彼らは皆、上の名を使った。敗戦後には別の言葉を使い、同じように責任を遠ざける人間もいた。

 

 天皇をなくせば、その種の人間までなくなるとは、もう思えなかった。

 

 だからといって、天皇の責任を考えなくてよいことにもならなかった。

 

 二度目の会議の後、フミが黒瀬を呼び止めた。

 

 彼女の夫は戦争から戻らなかった。炊事場ではその話をほとんどせず、黒瀬もいつか聞く機会があるだろうと思っていた。

 聞かずに済ませていたとも言える。

 

「あの人たちが何のために死んだのかは、もう訊かなくていいってことかい」

 

「そういう話じゃない」

 

「だったら、そう書いておくれ」

 

 黒瀬は返事をしなかった。

 

「残すなら残すで、あんたたちが決めるんだろう。誰かに喜んでもらうために、死んだ人の話まで終わりにしないでおくれよ」

 

 フミは洗い桶を抱え直して、炊事場へ戻った。

 

 黒瀬は翌日、榊原を訪ねた。改定案の前文に、戦争の責任を究明すること、遺族や負傷者の生活を保障することを加えたいと言った。

 

 榊原は賛成したが、その追加で反対派が納得するとは限らないとも言った。

 

「納得させるためだけに書くんじゃない」

 

 黒瀬は、珍しく低い声で答えた。

 

 最終の会議では、天皇を国政に関与させないこと、現行の象徴としての地位を容認すること、皇室への態度を労働者の団結の条件にしないことが、別々に説明された。榊原は、将来の政府が政策を正当化するために皇室を使うことにも反対すると付け加えた。

 

 賛成三十一、反対十九、棄権四。

 

 改定案は通った。

 

 小野寺は席を立ち、入口で上衣を脱いだ。黒い作業着は、自分で買ったものだった。返す必要はなかったが、畳んで机に置いた。

 

 黒瀬は追わなかった。追えば、戻れと命じてしまいそうだったからだ。

 自身にはその資格がないことを誰よりも理解していた。

 

 数人が続いて出ていった。残った人々も、すぐには話し始めなかった。外では、自転車の荷台へ印刷道具を縛る音がした。

 

 翌週の機関紙は、発行が遅れた。

 

 小野寺が担当していた仕事の量を、皆が初めて正確に知ったためである。

 

 榊原は、印刷に詳しい者を探し回った。黒瀬は、口述した文章を何度も書き直させ、最後には自分でペンを持った。字は読みにくく、行の終わりへ来るほど大きくなった。新しい方針を説明する原稿は、予定の紙面に収まらなかった。

 

 綱領を変えれば、その後の仕事も変わる。黒服隊は、思想上の飛躍を、まず原稿用紙の上で経験した。

 

 

◇

 

 

 一九六〇年、彼らは黒い作業着のまま、安保条約改定に反対する運動へ加わった。

 

 政府は改定によって従来の条約の不平等を改め、日本の自主性を強めると説明した。黒服隊は、外国軍の駐留を前提とした秩序そのものへの疑念を崩さなかった。国会の外には、同じ結論へ違う理由でたどり着いた人々が集まった。

 

 そこには、選挙の時しか顔を合わせない相手も、日頃から罵り合っている相手もいた。隊員たちは、隣の列の主張に不満を言いながら、同じ方向へ歩いた。

 

 黒瀬は、その光景に力づけられた。

 

 街頭で大勢の声が揃う瞬間を、彼は信用した。物置に一人ずつ来た労働者が、仲間を連れ、家族を連れ、駅前を埋める。それを目にすれば、物事が変わるという感覚を持つのは自然だった。

 

 榊原は、隊の連絡係を務めた。集合場所を伝え、仕事を休む者の人数を数え、帰りの交通費を残した。会費から弁当代を出すかどうかで揉め、参加できない者のためにも相談窓口を開けておく必要があると主張した。

 

 大きな運動の最中にも、賃金の支払日は来た。

 

 六月、国会周辺で死者を出す事態が起きた。黒服隊の集会でも、知らせを聞いて席を蹴る者がいた。黒瀬は政府への怒りを隠さず、街頭へ出た。肩を貸されて帰った隊員もいた。

 

 それでも、条約の成立を止めることはできなかった。

 

 闘争の後、隊の事務所には、使い終えた横断幕と、返されていない借り物と、活動費の請求が残った。政治の評価をめぐる会議は長く続いたが、榊原はその途中で抜け、修理代を支払いに行った。

 

 ある晩、黒瀬は、駅前を埋めた人数を書いた新聞記事を机に置いた。

 

「あれだけ集まったんだ」

 

 榊原は記事を読んだ。黒瀬は答えを待った。

 

「次は、集まらない日にも動くものが要るな」

 

「何だ、それは?」

 

「まだ分からんがね」

 

 榊原はすぐに言った。

 

 この時点で彼が、四十年後の国家予算や電子化計画を考えていたという証拠はない。後から整えられた演説集を読めば、若い頃から全てを見通していたようにも見える。残された帳面には、もっと小さい問題が並んでいる。隊員が転職すると会費の集金先が分からなくなること。相談を受けた者が休むと経緯が分からなくなること。黒瀬がいなければ動かない交渉が多すぎること。

 

 榊原は、毎週決まった日に相談所を開ける案を出した。相談内容を書き残し、別の者でも続きを扱えるようにする。働いている隊員が来られる時間に、会計や労働法の勉強会も開く。

 

 黒瀬は、そんなことをしている間に世の中が変わるのかと訊いた。

 

「先週来た人に、来週も同じ説明をさせずに済む」

 

 榊原は答えた。

 

 黒瀬はしばらく黙っていた。やがて、会場を探すと言った。

 

 週に一度の定例相談は、その秋に始まった。最初の当番表では、黒瀬の名前が三か所に書かれている。本人が、そこは自分でなければ駄目だと言い張ったためだ。

 

 十二月の夕方、フミは炊事場から湯飲みを運んできた。相談机の前には、作業服の男と、その妻が座っていた。黒瀬は外出しており、榊原も工場から戻っていなかった。

 

 当番の若い隊員は二人に椅子を勧め、棚から帳面を出した。

 

「先週の続きですね」

 

 男が頷いた。

 

 隊員は記録の頁を開き、前の担当者が書いたところまで指でたどった。それから、あの後、会社から返事はありましたか、と尋ねた。

 

 フミは湯飲みを置き、炊事場へ戻った。

 

 黒い作業着が二着、ストーブの脇で乾いていた。

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