【現代日本実績解除】極東の小さな超大国   作:ちんすこー

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第三章 景気の悪い予言者

「その旗を、少し横へずらしてもらえますか」

 

 三枝達彦が言うと、黒瀬誠一は壁を振り返った。

 

 日の丸と党旗が並んでいた。旗の下には長机が二つあったが、椅子の数が足りず、後ろの四人は工場から持ってきた丸椅子に座っていた。

 

「何の邪魔になる?」

 

「コンセントの邪魔です」

 

 黒瀬は旗をずらした。

 

 一九七六年春、川崎にある森岡精工の二階だった。国社党が社会党と別れてから、集会場の事情は悪くなっていた。新たに貸してくれる人間は現れたが、演壇と客席まで付いてくることは少なかった。

 

 この部屋も、本来は従業員の食堂だった。

 壁には今月の献立表があり、祖国の産業を論じる者の頭上で、明日の昼食が鯖の味噌煮に決まっていた。

 

 三枝は二十八歳の電子技術者である。勤め先の仕事を終え、鞄に実験用の基板を入れて来た。黒服隊との縁はなく、党籍もなかった。中小工場の人間を集めるなら、測定と制御の話をさせてほしいと申し込んできたのである。

 

 黒瀬は、若い技術者を歓迎する演説を用意していた。

 

 三枝は、実演の時間がなくなるので挨拶は短くしてほしいと言った。

 

 その時点で、榊原周蔵は彼を気に入っていた。

 

 机の上の装置は、小さな部品の通過を数え、決めた数になるとランプを点ける。それだけだった。

 

 黒瀬はしばらく見てから尋ねた。

 

「これは、人が要らなくなる機械なのか?」

 

「数える作業は減らせますよ」

 

「では、その人間はどうすればいいと思う?」

 

 三枝は顔を上げた。職場でも、製品説明でも、あまり先に聞かれない質問だった。

 

「別の工程へ移せばいいと思います」

 

「移した先に仕事はあると考えるか?」

 

 工場主の森岡修平が、丸椅子から口を挟んだ。

 

「先生、今は検査が間に合わなくて、受けられない注文もあるんだ。うちならある」

 

「うちなら、か……」

 

 黒瀬が言うと、森岡は頷いた。

 

「よそまでは請け負えないな」

 

 それで、その晩の会は機械の説明だけでは終わらなくなった。導入費、故障した時の修理、教える人間の確保、空いた作業時間をどうするか。三枝が持ってきた資料にはない話が、献立表の下で続いた。

 

 榊原は次回の日程を決めた。

 

 同じ年、政府と大手企業は、超LSIの共同研究を進め始めていた。国社党が電子産業を発見したわけではない。役所も企業も、その先に大きな市場があることを知っていた。

 

 国社党の入り込む場所は、そうした大きな計画と、森岡のような工場の間にあった。

 

 新しい設備を買う金がない。買っても扱う者がいない。扱えるようになった頃には、元請けから加工賃の引下げを求められる。技術の進歩が賃金や休暇に変わるまでには、回路図に描かれない工程がいくつもあった。

 

 党は職業訓練と設備融資、下請取引の改善をまとめて掲げた。黒瀬の演説には、帝国主義の後に検査機器の話が入るようになった。

 

 十二月の総選挙で、国社党は十二議席を得た。

 

 社会党との協力がなくなっても、相談所を通じた支持は残っていた。スト権ストへの態度を評価した自営業者も加わった。ただし、労働組合を攻撃すれば経営者の票がまとまる、というほど簡単な選挙ではなかった。工場主と従業員が一緒に来て、賃金の話になると別々の席へ移る後援会もあった。

 

 技術者の研究会は続いた。

 

 公認会計士の高城澄江が加わったのは、その数年後である。最初に見せられた共同設備センターの計画を、彼女は三頁目で止めた。

 

「この機械、一日に何時間使いますか?」

 

「各社が順番に使えば、十分に埋まる想定です」

 

 三枝が答えた。

 

「運ぶ時間と、設定を変える時間は?」

 

 見積りには入っていなかった。使う企業が増えるほど、機械の止まる時間も増える計画だった。

 

 高城は、導入をやめろとは言わなかったが、対象を似た作業に絞り、工場の人間に一週間の仕事を書き出してもらえと言った。

 

 実際の仕事を入れると、立派だった計画は小さくなった。小さくした案の一部が、地元議会で他党の賛成も得て採用された。機械を動かす講習には、三枝も仕事の休みを使って通った。

 

 一九八三年、彼は会社を辞めて衆院選に立ち、初めて議席を得た。党全体では三十四議席になった。

 

 黒瀬は勝利の席で、いよいよ国を動かす力がついてきたと言った。

 

 翌朝、三枝の事務所には、共同設備の予約が取れないという電話が来た。

 

 

◇

 

 

 一九八五年九月、ニューヨークのホテルでまとまった合意は、森岡精工には、取引先からの単価交渉という形で届いた。

 

 ドルが下がり、円が上がった。

 

 森岡の会社は、代金を円で受け取っていた。工場から製品を海外へ送ったこともない。それでも、その部品を組み込む機械がアメリカで売れにくくなれば、無関係ではいられなかった。

 

 元請けの担当者が、値引きしてほしい品目に印を付けてきた。

 

「為替の分を全部こちらへ持ってきても、材料はそんなに安くなっていないよ」

 

 森岡が言うと、担当者は、全部ではないと答えた。

 

 だが持ってきた紙には、ほぼ全品目に印があった。

 

 国社党はプラザ合意を激しく批判した。アメリカの都合で日本の工場を調整弁にするな。円高を受け入れるなら、その速度と国内の雇用を政府が引き受けろ。黒瀬の声は久しぶりに、工場の食堂で大きな拍手を受けた。

 

 ただ、合意前のドルの高さを永久に維持できるわけでもなかった。貿易摩擦は既に激しく、アメリカ側には、日本製品への制限を求める政治的な圧力があった。円高になれば、原料の輸入や海外の設備購入で助かる企業もあるのは事実であった。

 

 榊原は、党の政策会議でそこを分けて話した。

 

「円を戻せと言うだけでは、明日の注文は戻らん」

 

 設備更新を早める。国内向けの仕事を増やす。仕事の薄くなった期間に訓練を行い、人を切らずに済ませる。そうした支援を要求した。

 

 当座の資金をつなぐ低利融資にも賛成した。後年の党史は、この部分を短く扱うようになる。バブルを警告した党も、円高不況の入口では、金を借りやすくしろと訴えていた。

 

 それ自体は矛盾ではなかった。

 

 難しかったのは、借りやすくなった金が、どこへ向かったかを確かめ続けることであった。

 

 高城は、地方の相談担当者へ、借入金の使い道も聞くよう頼んだ。

 

 まだ、この時の相談は切実だった。仕事が減った。支払日が先に来る。機械を止めても、返済は止まらない。高城の机へ届く報告は、榊原が求める融資の必要を裏付けていた。

 

 その束へ、別の種類の相談が混じるまで、長くはかからなかった。

 

 

◇

 

 

 一九八六年七月の総選挙で、国社党の議席は三十一に減った。

 

 円高への批判だけで票が集まるわけではなかった。景気への不安から、与党の大きな対策を待つ有権者も多い。三枝は議席を守ったが、前回より長く開票所の数字を見つめることになった。

 

 九月、日米の半導体取極が成立した。

 

 日本市場への外国製品の参入を広げ、安売りによる貿易摩擦を抑える。そのために日本側が価格や輸出の状況を監視する。対米輸出だけでなく、第三国向けの取引にも及ぶ仕組みだった。

 

 三枝の前には、分厚い説明資料が積まれた。

 

 党内では、すぐに破棄を要求する声が出た。黒瀬も、その側にいた。

 

「売れる物を作ったら、売り方まで向こうに決められる。何のために工場を建てたというんだ!」

 

 高城は、工場を建てるために借りた金の返済表を脇へ置いた。

 

「破棄した後の関税と、注文の減少は、どれだけ見ていますか?」

 

「脅されるたびに引くのか!」

 

「引かない場合の費用を聞いています」

 

 黒瀬は返事をせず、三枝へ視線を移した。

 

 三枝にも、明快な金額は出せなかった。

 

 アメリカ側の不満を全て作り話として扱うこともできなかった。日本の企業同士の長い取引関係へ、外国の会社が新たに入り込むのは難しかった。半導体を作る企業と、それを買って製品を作る企業とでも、望む値段は違った。

 

 安く売れるようにすれば、国内の半導体メーカーが苦しい。価格を支えれば、それを使う国内のメーカーが苦しい。国産品という言葉だけでは、その両方へ同じ答えを出せなかった。

 

 それでも、第三国への売値まで日米間の取り決めで縛る仕組みを、三枝は受け入れ難いと考えた。研究費を出して育てた産業の商売を、通商交渉のたびに差し出していては、次の投資ができない。

 

 国社党は再交渉を求めた。

 

 同時に、装置と材料、設計を担う人材、国内で電子機器を使う仕事を増やす案を出した。三枝は学校や病院、役所の仕事を調べ始めた。機械を買わせるだけなら簡単である。どの仕事を変え、誰が教え、故障したら誰が直すかを決める方が難しかった。

 

 古参の一人が、外国製品を入れない国営企業を作ればよいと言った。

 

 三枝は、机の上にあった計測器を裏返した。

 

「これを捨てて、代わりが来るまで研究を止めますか?」

 

 裏には、アメリカの会社の名前があった。

 

「いずれ自前で作るんだろう」

 

「作ります。その間も仕事はしますよ」

 

 党の旗が、また少し横へ動いた。

 

 翌年、アメリカは取極の実施が不十分だとして、日本の電子製品に制裁関税をかけた。国社党の批判は強まったが、半導体企業が一斉に国社党支持へ回ることはなかった。

 

 怒っている企業にも、アメリカの顧客がいた。次の設備を発注する予定があり、今の交渉を壊して来月の売上を失うことには反対だったからだ。

 

 榊原は企業との面談を増やした。

 黒瀬は、面談が増えるほど声明が長くなると言って不満を漏らした。

 

 その頃から、党の外では、別の話の方がよく聞かれるようになっていた。

 

 土地が上がった、という話である。

 

 

◇

 

 

 森岡が銀行の支店長を連れてきた時、三枝は、新しい工作機械の融資が決まったのだと思った。

 

 実際はそうではなかった。

 

 工場の隣にある倉庫用地を買い、建物を建てる話だった。一階を工場の拡張に使い、上の階を貸す。家賃を返済に充てれば、機械を増やす余裕もできる。

 

「今の工場の土地が、思ったより評価されたんですよ」

 

 森岡は、図面を広げた。

 

 従業員が身体を横にして通る搬入口が広くなる。雨の日に外へ出していた箱を中へ置ける。工具を探すために仕事を止めなくて済む。

 

 三枝には、その利点がよく分かった。

 

 隣の土地は長く買えなかった。森岡が資金を用意できる頃には、値段が上がっていた。見送れば、別の会社が買う。工場を移すとなれば、通えなくなる従業員も出る。

 

 高城は、銀行が作った返済の予定表を見た。

 

「上の階は、借り手が決まっていますか」

 

「募集すれば埋まります。この辺りは事務所が足りませんから」

 

 支店長が答えた。

 

「半分しか埋まらなかった場合も出してください。それと、金利が上がった場合」

 

「先生、担保には十分余裕があります」

 

「工場を売れば返せるという表は、今は要りません」

 

 支店長の顔から笑みが薄れた。

 

 担保に余裕があるという説明は、虚偽ではなかった。周辺では、実際に以前より高い値段で売買が成立していた。銀行の担当者は、その取引を根拠に評価していた。

 

 根拠はあった。次の取引が、さらに高い値段で成立するうちは。

 

 森岡は、資料を片付けながら三枝を見た。

 

「あんたが議員になる前から、この工場を広げたいと言っていたんだぞ」

 

「分かっています」

 

「ようやく金が出るんだ。今度は駄目なのか」

 

 三枝は、工場を広げることと、貸しビルの経営を始めることは分けて考えた方がいいと答えた。

 

 森岡は、分けて考えたから十年間広げられなかったのだと言った。

 

 計画は、国社党の賛成を待たずに進んだ。

 

 似た話が各地にあった。土地の評価が上がれば、借りられる金が増えた。借りた金で土地を買う者が増え、また評価が上がった。工場を営んでいる者の帳面にも、本業の利益とは別に、大きな余裕が生まれたように見えた。

 

 その余裕で、本当に機械を買った者もいた。本当に人を雇った者もいた。

 

 だから、国社党の警告は届きにくかった。

 

 一九八七年秋、海外の株価急落が日本へ波及した時、党の機関紙は、投機に依存する経済の破綻が始まったと大きく報じた。

 

 しかしその後、日本の株価は持ち直した。土地の値上がりも続いた。

 

 高城は危険の指摘と、終わる時期の断言を一緒にするなと抗議した。編集担当者は、前者だけでは見出しにならないと反論した。

 

 ならなくてもよかったのだが、出してしまった紙は回収できなかった。

 

 後援会で、黒瀬はその紙面を見せられた。

 

「破綻したのは、先生方の予想の方じゃないですか」

 

 会場から笑いが起こった。

 

 黒瀬は笑わなかった。否、笑えるわけがなかった。

 

「まだ値が上がるから正しい、で済むなら、借金の方もいくら増やしたって構わんことになる」

 

「増えた分で給料を上げた会社もありますよ」

 

 反論したのは、土地を買った経営者ではなかった。その工場で働く、長年の党員だった。

 

 黒瀬は言葉を継ごうとし、咳き込んだ。

 

 演説は、予定より早く終わった。

 

 

◇

 

 

 一九八八年、黒瀬は入院した。

 

 本人は休養だと言い、事務所にもそう発表させた。しかし病室へ持ち込ませた資料の束は、読み残されることが増えていた。

 

 榊原が見舞いへ行った日、ベッドの脇には、森岡の新しい建物の写真があった。完成祝いに呼ばれたが、行けなかったのである。

 

「立派になったな」

 

 黒瀬は写真を見た。

 

「一階の仕事場は、使いやすいそうだ」

 

 榊原が答えた。

 

「上は」

 

「まだ全部は埋まっとらんらしい」

 

 黒瀬は写真を封筒へ戻した。

 

 封筒の下には、須藤仙吉から届いた見舞いの品の控えがあった。港の古い仲間である。困った時に人と金を回してくれた男だった。その人脈の全てを、党が表へ出せるわけではなかった。

 

 高城は以前から、須藤の紹介で始まった融資の仲介と、党の相談活動との関係を調べるよう求めていた。相談者が党の保証と受け取っていないか。謝礼を誰が受け取っているか。確認したい点は、いくつもあった。

 

 黒瀬は、不正があるなら証拠を出せと言った。

 

 証拠を確かめるための帳簿を見せてくれと言われると、昔から助けてくれた人間を疑うのかと怒った。

 

 榊原も、その時は黒瀬を止めなかった。

 

 銀行には厳しい検査を求める党が、自分たちの古い付き合いを調べる順番は後へ送った。後世の党史が、もう一つ短く扱いたがる箇所である。

 

 病室で黒瀬は、次の演説会の予定を聞いた。

 

「俺がいない間に、言うことを丸くするなよ」

 

「丸くするより、短くする方が先だ」

 

 榊原が答えると、黒瀬は少し笑った。すぐに咳が出たので、榊原は水を渡した。

 

 その年の夏、黒瀬は死んだ。六十四歳だった。

 

 葬儀には、多くの人間が来た。国会議員、港の労働者、工場主、かつて袂を分かった活動家。相沢忠夫も焼香に訪れた。八代フミは、受付の若者が食事を取っているかを気にしていた。

 

 遺影の黒瀬は、本人にしては穏やかな顔をしていた。何枚も撮った写真の中から選ばれたもので、その表情を長く維持できる男ではなかったが、それがいいと他の人は判断した。

 

 参列者は、それぞれ違う黒瀬を語った。

 

 国を愛した男。労働者を裏切らなかった男。共産党に屈しなかった男。天皇を守った男。現場を知る男。

 

 実際の黒瀬は、その説明同士が衝突するたびに怒鳴り、時には間違え、間違いを認めないこともあった。だが、棺の前でその話をする者は少なかった。

 

 党内では、ほどなく、故人の遺志を掲げる人間が増えた。

 

 銀行を国有化するべきだという者も、企業経営者との協力を深めるべきだという者も、黒瀬ならそうしたと言った。彼らの言う黒瀬は、何人いたのか皆目見当もつかない程だった。

 

 榊原は双方の話を聞いた後、次の選挙に必要な金額と、政策案の費用を出させた。議論は静かにはならなかったが、同じ言葉を繰り返すだけでは済まなくなった。

 

 党を預かった榊原が最初に変えたのは、声明の最後だった。

 

 従属外交を粉砕せよ、だけで終えず、何を改め、誰に何をさせるのかを書くようにした。古参からは気迫がなくなったと言われ、担当者からは、最後まで書くのに時間がかかると言われた。

 

 どちらも、その通りだった。

 

 

◇

 

 

 一九八九年、国社党の経済政策は、いっそう説明の難しいものになっていた。

 

 新しく導入された消費税には反対する。住宅を買えない勤労者のため、土地価格の高騰を抑える。企業の設備投資は助けるが、土地の転売を当てにした融資は抑える。銀行を検査し、返せない借金が膨らむ前に止める。

 

 一つずつ聞けば、賛成する人間はいた。

 

 まとめて演説すると、景気を悪くするつもりかと聞かれた。

 

 地価が下がれば、まだ家を持たない人間は助かるかもしれなかったが、既に借金をして買った人間は、自分の返済額も一緒に下がるのかと尋ねた。

 

 下がらない、と答えなければならなかった。

 意味の分からない経済だった。

 

 土地の値上がりに頼らず金を貸せと言えば、銀行からは、将来の売上を誰が確かめるのかと問われた。政府が必要な産業を選ぶと言えば、今度は政府が選び間違えた場合の説明を求められた。

 全くその通りだった。

 

 三枝は、審査に技術者を入れる案を出した。

 

 高城は、その技術者が、自分の好きな機械を高く評価する場合も考えろと言った。

 

 党の政策案は厚くなり、配布する部数は減った。

 

 榊原は、土地が上がらなくても返せるのか、と繰り返し尋ねた。借金で配当を支払い、さらに値上がりした資産を担保に借りる企業の例を挙げた。

 

 テレビの討論番組で、財界出身の評論家が笑った。

 

「先生は日本の企業の力を少し低く見ていらっしゃる」

 

「工場の力は見ています。工場の下の土地まで、同じ速さで仕事をするとは思っとりません」

 

「成長には資金が要る。今それを止めたら、先生が大切にする技術開発まで止まりますよ」

 

 榊原は、資金の使い道を確かめる仕組みが必要だと答えた。

 

 司会者は、政府による統制の強化ということですか、と聞いた。

 

 そこで番組の時間が来た。

 

 翌週の経済誌は、彼らを『景気の悪い予言者』と呼んだ。特集には、前年に過去最高の売上を記録した企業が並んでいた。

 

 全てが架空の売上ではなかった。

 

 住宅は建ち、機械は売れ、新しい技術も育っていた。輸入品が安くなり、海外旅行へ行く家族が増えた。日本の工場で作った製品が、世界の店頭に置かれていた。

 

 そんな時代に、国を愛せと言ってきた党が、国の成功を疑っている。

 

 反感は、政敵からだけ来るのではなかった。

 

 森岡は、後援会の幹事を辞めた。

 

 三枝の事務所へ来た時、彼は寄付を返せとも、昔貸した部屋の恩を返せとも言わなかった。ただ、取引先から国社党の政策について聞かれるのが困ると言った。

 

「俺は、工場を潰したくないから借りたんだよ」

 

「それは分かっています」

 

「分かっているなら、俺たちを投機屋と一緒に話さないでくれ」

 

 三枝は、次の演説から言い方を変えた。

 

 森岡は戻らなかった。

 

 この年、榊原は民間の経済交流団に加わってソ連を訪れ、気鋭の政治家ボリス・エリーツィンと短く会談している。中央の統制を批判する政治家と、国家の産業政策を訴える日本の政治家の組合せだった。

 

 市場を広げるなら、商品の代金と労働者の賃金をどう払うのか。既存の企業をどう変えるのか。榊原はそんな質問をし、先方の補佐役から、後で資料を送るための連絡先を受け取った。

 

 後年、日露関係の転機として語られる会談は、当時の機関紙では内側の頁に載った。帰国した榊原を待っていたのは、対露政策の支持者ではなく、次の選挙費用が集まらないという報告だった。

 

 日本銀行は五月から金利の引上げに転じていた。それでも、年末まで株価は上がり続けた。

 

 街頭演説の帰り、三枝は駅の売店で新聞を買った。

 

 最高値を伝える大きな見出しの下に、景気への強気な見通しが並んでいた。党の集会では見かけなくなった企業の広告もあった。

 

 三枝は新聞を畳み、事務所へ戻った。

 

 入口の家賃改定通知は、まだ外されていなかった。

 

 

◇

 

 

 一九九〇年二月十八日、三枝は落選した。

 

 国社党全体でも十八議席に後退した。黒瀬を失い、地域の組織をまとめ切れなかった選挙区があった。消費税への反対票を他の野党に集められた場所もあった。景気への警告が、何年も同じことを言っているだけだと受け取られた場所もあった。

 

 榊原は議席を守ったが、勝った顔では本部へ戻れなかった。

 

 三枝の事務所では、当選を祝うための料理を、敗北を報告する会の参加者が食べた。箸は余った。最後まで残った運動員が、使わなかった紙皿を袋へ戻した。

 

 年明けから、株価は下がり始めていた。

 

 しかし、二月の有権者は、後世の歴史書にある『バブル崩壊』という章を読んで投票したわけではなかった。景気の良さを感じる者も多く、下落を一時的な調整と考えることもできた。

 

 国社党自身にも、その後の不況がどれほど深く、長くなるかは分かっていなかった。

 

 春、党の執行部では、景気への批判を弱めるべきだという意見が出た。次の選挙まで党を残せなければ、政策の正しさを説く場所もない。

 

 榊原は、地方の相談所だけは残すと決めた。

 

 それで全てを残せるわけではなかった。専従者を減らし、二つの事務所を一つにまとめ、会報の頁数を削った。三枝も、以前の同僚から回してもらった設計の仕事で生活費を補うようになった。

 

 三月には、不動産業向け融資の伸びを抑える総量規制が始まった。株価の下落も続いた。土地を売れば返せると言っていた相談者が、買い手を探していると言うようになった。

 

 それでも、全国の工場が一斉に止まったわけではなかった。忙しい会社は忙しかったし、困っている会社の隣で、新しい機械を入れる会社もあった。

 

 高城は、相談の報告書に、支払期限と主要な取引先を書き加えるよう求めた。件数だけでは、何が起きているのか分からなかった。

 

 三枝の事務所は、十一月末に部屋を縮めることになった。

 

 支持者からの援助で持ちこたえていたが、選挙前と同じ家賃を払い続ける余裕はなかった。二部屋借りていたうちの一つを返し、残す部屋へ相談用の机と書類棚を移す。

 

 十一月三十日、三枝は一日かけて片付けた。

 

 古い技術講習会の資料が出てきた。部品を数える装置の回路図と、工場の作業時間を書き込んだ紙が同じ箱に入っていた。

 

 その下には、森岡精工で開いた最初の会の出席簿があった。

 

 三枝は少し手を止め、それも残す箱へ入れた。

 

 返却する長机には、紙を貼った。椅子は必要な分だけを選び、残りを壁際へ重ねた。

 

 前の議員名札を外した跡が、入口に白く残っていた。そこへ、小さな相談日の案内を貼った。

 

 翌朝、森岡が来た。

 

 土曜日の相談は午後からだった。三枝は、片付けの続きをするために来ていた。

 

「早かったかい?」

 

「大丈夫です。座ってください」

 

 森岡は、机に鞄を置いた。厚い封筒が二つ入っていた。

 

 新しい建物の返済と、会社の資金繰りの資料だった。家賃は予定ほど入らず、借入れの利払いは増えていた。本業で稼いだ金が、建物の支払いへ回っていた。

 

「仕事はあるんだ」

 

 森岡が言った。

 

「機械も動いている。来月の注文もある。だが、今度の支払いを越せないかもしれん」

 

 三枝は封筒を開いた。

 

 受け取った手形の中に、支払いが危ぶまれている取引先のものがあった。入る予定だった金が遅れれば、その分を別に用意しなければならない。

 

 電話が鳴った。

 

 事務を手伝いに来た女性が、受話器を取った。勤め先の給料が遅れているという相談だった。会社の名前を聞き返し、紙に書いた。

 

 森岡が持ってきた手形に、同じ社名があった。

 

 昼前には、別の部品会社の経営者が来た。閉める場合、従業員へ何から払えばよいのかと尋ねた。

 

 椅子が足りなくなり、三枝は昨日重ねたものを下ろした。別々に話を聞ける場所を作るため、返却するはずの長机も元へ戻した。

 

 森岡は、出していた書類を端へ寄せた。

 

「あの時、あんたの言うことを聞いていれば、という話をしに来たんじゃないんだ」

 

「はい」

 

「今いる連中に、給料を払いたいんだ」

 

 三枝は頷き、高城へ電話をかけた。返済額と入金予定、手形の期日を読み上げた。彼女は、取引銀行へ相談する準備と、整理が必要になった場合の法律相談を、同時に進めるよう言った。

 

 助かるという返事は、まだできなかった。

 

 三枝は受話器を置き、森岡の向かいへ座り直した。

 

「給料日は、いつですか」

 

「十日だ」

 

 机には、まだ『返却』と書いた紙が貼ってあった。

 

 三枝はそれを剥がし、裏へ、最初に確かめる日付を書いた。

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