「それでは、うちは助かったことになるんですか」
森岡修平が尋ねると、高城澄江は、机に並べていた書類から顔を上げた。
一九九一年四月、川崎の相談所だった。
年末の給与は、取引先に代金の一部を前払いしてもらい、どうにか払った。銀行への返済条件も一時的に変更されたが、根本の不足は解消したわけではなかった。
前年の暮れから続いた交渉に、ようやく一つの案が出ていた。森岡精工の機械と受注の一部を、取引のあった別の会社が引き受ける。銀行などの債権者と売却条件を調整し、事業を移した後で、元の会社は整理する。
森岡の建てた建物を、そのまま森岡に残す案ではなかった。土地の値上がりを見込んだ返済計画は、最後まで立て直せなかったのだ。
「引き継げる仕事はあります」
高城は答えた。
「会社は、会社はどうなりますか?」
「今の形では残せません」
森岡は、従業員の名前が書かれた紙を見た。
二十六人のうち、十七人には引受け先での仕事が提示されていた。条件は同じではなく、勤務地が変わる者もいた。残る九人については、別の勤め先を探す必要があった。
森岡自身にも、現場をまとめる仕事の話が来ていた。
社長ではなくなる。
彼はその条件より先に、九人の方を指した。
「こちらは、どうすればいい?」
三枝達彦が、近隣の工場で聞いてきた求人の控えを出した。すぐに埋まる話ではなかった。紹介できる会社にも、注文の先が見えない事情がある。
最年長の工員は、電車を乗り継ぐ職場を見送った。妻の世話があり、今までと同じ時刻には家へ戻れない。若い一人は、工場の仕事そのものをやめると言った。
森岡の個人保証の問題も、別に残った。
高城は、会社の整理に立ち会う弁護士との次の面談日を確かめた。三枝は、求人の紙に、紹介先へ返事をする期限を書いた。
その日の夕方、地元支部の会報担当者が、相談所の成果として紹介してよいかと聞いてきた。
「工場を救った、という見出しはどうでしょう」
三枝は首を振った。
「頼むから森岡さんに確認してからにしてくれ」
原稿には、相談を受け、事業の一部が引き継がれることになった、と載った。使えなくなった見出しの分だけ、空白ができた。
そこへ、失業や賃金の相談を受け付ける日時を入れた。
電話は、前の週より増えた。
◇
国社党の事務所には、会社が三種類の姿で現れるようになった。
社長は、代金が入らないと言って来た。従業員は、給料が出ないと言って来た。下請けは、手形が落ちないと言って来た。
別々に数えれば、三件だった。
高城が会社名を並べ直すと、一つの資金繰りが、三方向から見えていることがあった。
ただし、相談所へ来る企業ばかりを調べて、日本中の企業が同じだと決めるわけにはいかなかった。順調に経営している会社は、毎週その報告をしに来たりしない。
高城は、相談の記録を集計する者に、その点を繰り返し注意した。
「全国の損失額は、ここからは出せません。どこで支払いが止まり、それが誰へ移っているかを調べてください」
地方から郵便とファクスが届いた。届くたびに、電話で不足を確かめた。
土地を持っているから貸してもらえた企業が、土地の値下がりで返済を求められる。借金の条件を緩めてもらって当座を越した企業が、翌月にはさらに多くの支払いを抱えて来る。
全ての銀行が一斉に貸すのをやめたわけではなかった。損失を処理し、再建を助ける担当者もいた。一方で、返せなくなったことを認めるより、期限を延ばした方が、今期の説明をしやすい場合もあった。
借り手が延命すれば、貸し手の帳簿も傷つかずに済む。
そうして延びた時間の中で、元気な取引先まで代金を受け取れなくなっていた。
高城の説明を聞いた榊原周蔵は、相談所の地図から目を離さなかった。
「金を借りられるようにするだけでは、駄目なのか?」
「返せる仕事が残っているかを見ないと、借金が増えるだけです」
「返せないものを切れば……」
「貸した側の損が出ますね」
「銀行が持ちこたえられなければ」
高城は、銀行名の一覧を彼へ向けた。
榊原は黙った。
そこには、投機に手を出した経営者の名前だけがあるのではなかった。給与振込、部品代金、毎月の家賃。相談者たちの日常が通る金融機関の名前があった。
銀行を叩くことと、銀行を止めることが、同じ結果になっては困る。
党の経済対策案は、ここで一度書き直された。預金と支払いの仕組みを守る。そのために、金融機関の損失を確かめる。株主や経営陣の責任を曖昧にせず、必要なら公的資金を使う。
最後の一項には、党内から強い反対が出た。
銀行を助ける金があるなら、うちの会社を助けてくれ。その言葉は、相談所で実際に聞いていたものだった。反対する党員が、経済を理解していないから言っているとは思えなかった。
高城は、銀行がなくなった場合の影響を説明した。
反対した男は、影響が大きければ失敗しても助けてもらえるのかと聞いた。
政策案には、救済を受ける側の負担と監査について、さらに数頁が加わった。
一九九一年末、ソ連がなくなった。
古い党員の中には、国社党の正しさが証明されたと喜ぶ者もいた。榊原は、エリーツィンの周辺から届いた資料を高城へ渡した。翌年、急激な価格自由化が始まると、国内の相談と一緒に、ロシアで物が買えない、企業の決済がつながらないという報告を読むようになった。
彼はかつて会った相手へ、流通と企業の支払いを保ちながら制度を変えるよう、書簡を送った。新しい政府には、新しい政府の切迫した事情があり、日本の小政党からの忠告で改革の速度が変わることはなかった。
国家が間違える場合も、市場へ任せて失敗する場合もある。どちらかの看板を選べば済むという考えを、高城は嫌った。
榊原は、相談所を持つ地域の地方議員へ、銀行と自治体の双方に話を聞くよう頼んだ。
それまで工場町が中心だった報告の地図に、温泉地、漁港、地方都市の開発公社が加わっていった。
景気回復を待っている間にも、利払いの日は来た。
榊原の古い演説がテレビで流れ始めたのは、その頃である。
土地が上がらなくても返せるのか。そう尋ねる映像には、以前の番組で彼を笑った評論家の顔がつながれた。
映像は短くなり、話は分かりやすくなった。
一九八七年に暴落の到来を早まって断言した機関紙や、融資の拡大を求めた頃の演説まで、一緒に流れることは少なかった。
予言を当てた党として取材が来た。相談所には、当てたなら何とかしてくれという人間が来た。
三枝は、演説の録画を送ってほしいという電話を本部へ回し、次の相談者を呼んだ。
◇
一九九三年七月、国社党は六十三議席を得た。
三枝も国会へ戻った。
当選の知らせが出ると、事務所の電話が何本も同時に鳴った。祝辞の途中で、先週頼んだ銀行への照会はどうなったかと聞かれた。
森岡は、仕事を終えてから祝いに来た。以前より小さな花束を持っていた。
「今度は、相談する方の椅子も減らさないでくれよ」
三枝は礼を言った。
党本部では、別の椅子の数が問題になっていた。
自民党は百七十四議席に落ち込んだ。共産党は十四。残る二百六十議席を、非自民の連立政権を組もうとする諸勢力が持っていた。
衆議院の定数は五百十一。連立側だけで、過半数はあった。
国社党が入らなければ政権を作れない、という選挙結果ではなかった。それでも六十三人が加われば、連立の基盤は大きく広がる。細川護成を首班とする政権構想の中で、国社党にも参加を求める声がかかった。
榊原は、経済対策の案を持って協議へ入った。
金融機関の損失調査。企業の債務整理。失業者の所得と再就職。電子産業と通信基盤への長期投資。
相手の机にも、案はあった。
選挙制度を変え、政治資金の流れを改め、長く続いた政官財の関係を組み直す。経済対策を決める政治そのものが、古い利益関係で動かなくなっている。まずそこを変えるのだという説明だった。
「その間にも、会社は潰れてしまう」
榊原が言うと、連立交渉の担当者は、景気対策をしないとは言っていないと答えた。
意見の違いは、対策の有無だけではなかった。
どこまで国が損失を引き受けるのか。誰が調査するのか。税金を使う前に、どの銀行をどこまで調べるのか。参加予定の各党でも、答えは揃っていなかった。
榊原は、自民党も含めて協議するべきだと言った。
「経済再建の間、政争を止める。挙国一致でやればいい」
細川は、資料を閉じた。
「その再建は、何をもって終わるのでしょうか」
「雇用と生産が戻ることだ」
「どの水準までですか。誰が終わったと判断するのですか」
榊原の案には、そこまでの条件が書かれていなかった。
加わるべき党の範囲は広く、終わる時期は曖昧だった。自民党と戦って議席を得た者には、選挙が終わった途端に同じ内閣へ入れと言われても、地元へ説明できない事情があった。
国社党の中にも、今なら大臣を出せるという声があった。政策に関与できる席を、自分から捨てることはない。
榊原は、参加を断った。
発表では、国家の一大事に、政権の看板を掛け替えることを優先するべきではないと述べた。拍手も来た。責任を負わずに批判する場所を選んだだけだという非難も来た。
三枝は、支持者の集会で、せっかく勝たせたのに何をしているのかと怒られた。
この時点で、連立に加わらなかった判断が正しかったと知っている者はいなかった。
国社党は、内閣の外で政策を出し続けることになった。
◇
細川内閣の発足には、期待が集まった。
政権が替わったことそのものに意味があった。長い間、替わらないと思われてきたものが、投票で替わったのである。
榊原は、その期待を正面から罵ることは避けた。会議では政府を激しく批判していたが、公の演説では、支払いの遅れや失業相談の数字を先に出した。
「来月までに、何をするのか」
質問は簡単だった。答えを作るのは簡単ではなかった。
連立には、増税を認める党と認めない党があった。銀行への資金投入に慎重な党と、早期処理を求める党があった。公共事業を増やすことにも、減らすことにも、それぞれの支持者の生活がかかっていた。
政治改革も進まなかった。
衆議院を通った案が参議院で止まり、自民党との修正協議もまとまらなかった。選挙区と比例代表へ何議席を配るか。企業からの資金をどこまで認めるか。改革を必要とする理由には賛成しても、その形を変えれば、自分の党の次の議席が変わった。
国社党も、その外にはいなかった。小選挙区を中心にする案には、少数の意見が消えると反対した。同時に、六十三議席まで育てた党の基盤を失う心配もしていた。
一九九四年の春までに、新しい選挙制度は成立しなかった。
負担増の案は、連立各党の合意が整わないまま表へ出て、撤回された。首相自身の資金をめぐる疑惑も加わり、国会では政策決定よりも説明する時間が増えた。
相談所には、住宅の返済に困る家族や、卒業後の勤め先が決まらない若者も来るようになっていた。
内閣の支持率と、相談所の混雑は、反対の方向へ動いた。
細川は退陣した。
後継の羽田務内閣でも、連立を組み直す交渉は続いた。首班を誰にするかという電話が、各党の事務所を飛び交った。
榊原のところにも来た。
「この枠組みなら、参加できますか?」
「銀行の調査は、いつ始めますか?」
「まず枠組みを決めなければなりません」
電話の後、榊原は、机に残っていた政策案を開いた。
表紙の日付が、前年のものだった。
七月、政権を維持するための合意を失った内閣は、衆議院の解散に踏み切った。
◇
国社党には、勢いがあった。
候補者は足りなかった。
一つの選挙区で複数を選ぶ中選挙区制では、人気があるというだけで、議席が何倍にもなるわけではない。候補を一人しか立てなければ、どれほど票を集めても一議席だった。
複数立てれば、今度は票を分けなければならない。
全国の支部へ、人を出せという指示が届いた。地方議員、職域組織の役員、相談活動に加わっていた専門家。かつての選挙で落ち、別の仕事へ戻っていた者にも声がかかった。
その準備は前年の選挙後から始めていたが、解散までに十分とは言えなかった。
ある県議は、妻への相談が先だと答えた。ある組合役員は、自分が抜けた後の交渉を誰が引き受けるのかと聞いた。立候補の話を喜んで受け、後から支部の方が経歴を調べ始めた者もいた。
高城にも、出馬が求められた。
「調査する人間が減りますよ?」
「国会で答える人間も要るんだ」
榊原はそう言い、彼女の担当していた作業を数人へ分けた。一人に任せ過ぎていたことが、この時ようやく表になった。
党が最終的に立てた候補者は、三百二十七人に達した。
選挙費用の帳簿は厳しく見た。分からない寄付は受けるなと通達した。だが、急に集まった人間の昔からの付き合いまで、全て調べられるわけではなかった。
地方で顔の利く人間ほど、役に立つ理由と、後に困る理由を一緒に持ち込んだ。
党の選挙運動は、内閣の資金問題を暴くことより、経済再建の順序を説明することに力を割いた。
銀行の損失を調べる。預金と決済を守る。企業の整理と雇用の移行を助ける。その上で、電子化と通信への長期投資を始める。消費税は期限を定めて一時的にゼロへ下げる。
必要な金額については、幅を持たせた試算を公表した。高城は、金融機関の中身を十分に見られない以上、確定額ではないと繰り返した。
演説会では、最後の注意書きまで覚えて帰る者は少なかった。
支持者が作った横断幕には、早期再建、と大きく書かれた。
森岡は、その演説会の椅子を並べた。
休憩の時、三枝へ、今の勤め先でも注文の先が見えなくなっていると話した。
「銀行を助けるという話は、まだ腹に落ちないな」
「説明を続けますね」
「今度は、当選してからも続けてくれ」
三枝は頷いた。
八月の総選挙で、国社党は二百三十八議席を獲得した。
六十三から、一度に百七十五増えた。
古い議員会館では、誰がどの新人を知っているのか、まず名簿を作る必要があった。候補者の顔を覚えるより先に、当選祝いの電報を送ることになった党員もいた。
自民党は百五十五議席。社会党は三十五、共産党は十一。公明党は四十を確保したが、前の連立に参加した新党群は大きく後退した。
国社党は、初めて衆議院の第一党になった。
開票速報の前で、若い運動員が万歳を始めた。榊原も立って礼を言った。
座り直すと、手元の紙に数字を書いた。
過半数は二百五十六。
十八人、足りなかった。
◇
社会党の篠宮良平が国社党本部へ来た時、受付は、どの会議室へ案内するかを確認するために電話をかけた。
彼は、前の選挙で国社党の候補と激しく争った議員だった。受付にいた若者は、その演説を録音したテープを、つい先月まで資料として整理していた。
篠宮は、自分を含む十三人の意向を伝えた。
連立へ参加しても、働く者を守る政策をまとめられなかった。党へ残って再建を待つという選択もある。だが、その間に地元の職場がなくなれば、次に持って帰る政策を受け取る人間もいなくなる。
彼らは国社党への入党を協議したいと言った。
「雇用を守るという言葉の中身を、先に確かめたい」
篠宮は、経済再建案を開いた。
「救済した企業が人を減らす時、国はどこまで責任を持つのか?」
高城は、全員を同じ職場へ残す約束はできないと答えた。事業を続けられるかを調べ、移る必要のある人間には、所得と訓練と再就職の支援を組む。その費用を、銀行への措置の後で余った金から出すことにはしない。
篠宮は、雇用支援の予算を別に示すよう求めた。
榊原は同意した。
十三人の全員が同じ事情で来たわけではなかった。政策への賛同もあれば、党の将来への失望もあった。次の選挙では国社党の公認が欲しいという計算もあった。
社会党に残る者からは、党の支持で得た議席を持ち逃げするのかと罵られた。地元へ戻って説明し、後援会の幹部を失った議員もいた。
国社党の名簿は、二百五十一人になった。
次に来た三人は、さらに迎えにくい相手だった。
共産党の衆議院議員、真鍋修一ら三人である。
彼らと指導部の対立は、選挙の翌日に始まったものではなかった。ソ連崩壊後の路線をめぐる討論、地方組織の裁量、企業閉鎖への対応。そのたびに議論が重なり、国社党との協力を含む地方での再建案をめぐって、修復できない対立になっていた。
真鍋の地元では、親会社の救済を求めるより、継続できる事業を切り出して仕事を残す方が早いという案が出ていた。三枝たちも調査に加わった案だった。
党本部側は、親会社の責任を免れさせ、公的な負担へ付け替える危険を指摘した。筋の通った批判だった。
真鍋は、その責任を追及しながら、今ある仕事を動かす手段を決めるべきだと主張した。
合意できないまま、機械の処分が始まった。
彼は選挙を終えると、他の二人とともに離党を決めた。長年の仲間が全て付いて来るわけではなかった。自宅まで話をしに来た支持者から、二度と顔を見せるなと言われた。
国社党でも、入党を認めるべきではないという声が上がった。
古参には、共産党と争った時のことを、日付と相手の名前まで覚えている者がいた。黒瀬が生きていれば絶対に認めない、と言う者もいた。
榊原は、党の役員会を開いた。
「三人を入れれば、昔のことが消えるとは言っとらん。今、出している政策を一緒に通せるかを聞いている」
「議席が欲しいからだろう」
「要る。選挙に出たのは、議決するためだ」
そこで黙る者も、なお反対する者もいた。
真鍋は、国社党の綱領と、党内で政策を決める手続きを確かめた。現行憲法の下で政治を行うこと、異論を審議の場へ出せること。議決後の党の方針に従えない場合には、また自分が決断しなければならないことも理解した。
握手の写真は撮られた。
写真の外では、歓迎会への出席を断る地方支部があった。
二百五十四。
過半数まで、あと二人になった。
◇
この離合集散を、ある政治部記者は『セクトの乱』と書いた。
党派の規律を守ってきた者が、党派を割って動いたという意味だった。速報では、最初の文字に濁点が付いた。
ゼクトの乱。
誤植だった。
政治家たちは、そもそもセクトと呼ぶなと抗議した。新聞社は濁点の方を訂正した。訂正と抗議の記事で、呼び名だけが繰り返された。
後世には、正しい表記より誤植の方が残った。
榊原の机では、呼び名より、最後の人数が問題になっていた。
日本新党から当選した五人が、まとまって協議へ入っていた。細川自身は今回の出馬を見送り、党は既に、かつての連立首班を出した勢いを失っていた。
五人には、少数でも自分たちの看板を守る道があった。国社党への入党には、官僚統制の強化や、無制限の財政支出への懸念が残った。
彼らは、国家が資金を出す事業の検証と、議会による監視を求めた。
榊原は、銀行への資金投入を調べる仕組みを、与党の内部だけに置かないと約束した。
「外から調べられれば、止まる事業も出てしまいます」
五人の代表が言った。
「出るだろう」
「国社党が始めた事業でもです」
「それを書いておいてくれ」
高城が、合意文書へ一行を加えた。
五人は、会派への参加だけでなく、入党を決めた。これで国社党の衆議院議員は二百五十九人となった。
入党届の確認が終わるまで、担当者は数字を発表しなかった。新聞の電話が何度も鳴り、本部の外で待っていた支持者から、まだかという声が上がった。
最後の確認が済むと、党職員が名簿の合計を書き直した。
259。
報道各社の速報に、その数字が載った。
本部では歓声が上がった。黒服隊の頃からいた男が、眼鏡を外して顔を拭いた。若い党員は、隣にいた元社会党の職員の肩を叩き、叩いてから少し躊躇した。相手の方が先に笑った。
三枝は、黒瀬の遺影を見た。
こんな揃え方でよかったのかと聞いたところで、穏やかな答えが返るはずはなかった。
榊原は記者の前に立った。
国民の選択を受け、経済再建を担う。国会の各党にも、協力を求める。言い終えると、質問が一斉に来た。
誰を大臣にするのか。消費税はいつ止めるのか。半導体の取極はどうするのか。銀行へいくら入れるのか。
拍手の音が残る部屋で、書記が質問を書き続けた。
◇
一九九四年九月、第一次榊原内閣が成立した。
衆議院の指名を基礎に首相が決まり、天皇による任命と閣僚の認証を経た。自民党以外の一党が衆議院の過半数を支える政権は、自民党の結成以来、初めてだった。
高城は、初当選の議員として、経済再建担当の国務大臣に就いた。
新聞には、黒服隊時代の榊原と、正装した新首相の写真が並んだ。昔の写真では、拡声器の線を足で踏んでいた。説明には、街頭から官邸へ、と書かれた。
榊原が実際に気にしていたのは、官邸に届く紙の量だった。
再建のために政争を一時停止し、議会全体で協力するよう、改めて各党へ呼びかけた。個々の議員から賛同は来たが、党を挙げて応じるところは一つもなかった。
自民党は、選挙直後に反対党まで新政権の方針へ従わせるのかと批判した。他の野党からも、何を決める前に何へ一致するのか、という問いが出た。
国社党支持者には、それが、困っている国民より党の都合を優先する態度に見えた。新聞の投書欄にも、まずやらせてみろという意見が増えた。
党内には、反対する者は再建を望んでいないのだと言う者が現れた。
その言葉が便利になり過ぎる前に、国会対策の担当者が、榊原の机へもう一枚の議席表を置いた。
参議院の表だった。
国社党の欄は短かった。
衆議院選挙で勝っても、改選していない参議院の構成は変わらない。衆院で予算を通す力と、その金を使うための法律を成立させる力は、同じではなかった。
「予算には衆議院の優越があります。普通の法律案を押し返すなら、衆議院の出席議員の三分の二が要ります」
担当者は説明した。
野党が揃って反対すれば、二百五十九では足りない。
榊原は、各党との政策協議を組むよう指示した。全面的な一致が無理なら、どの法案で、どの条件なら賛成できるのかを聞かなければならなかった。
その日の遅く、高城が金融機関の資産に関する予備点検の資料を持ってきた。
大蔵省から説明に来た河原真一も同席した。主計畑を歩いてきた官僚で、新政権の構想が財政へ及ぼす影響を整理する仕事を与えられていた。
河原は、銀行局の報告と、公表されている数字の範囲を説明した。
延滞している貸付金、担保で補えると見込む部分、既に処理した損失。資料には数字が並んでいたが、調べた時期と対象は揃っていなかった。
高城は、付箋を貼った頁を開いた。
「金利を減らしたり、返済を待ったりしている債権が、別の扱いになっています。支援すれば戻るという前提ですが、その支援で事業が持ち直したかは、この表では分かりません」
「再建可能な企業まで、破綻した先と同じに扱うことはできません」
河原が答えた。
「同じ扱いにしろと言っているのではありません。区別するために調べたいんです」
地価の見込みが変われば、担保から取り戻せる金も変わる。相談所で集めた個々の資料と、国の集計表を比べるには、さらに調査が要った。
榊原は、選挙前に公表した試算を脇へ置いた。
「これで足りるか」
「今は、足りると言えません」
高城は答えた。
首相になって初めて聞く内容ではなかった。それでも、政府の席で聞くと、その返事の重さは違った。
榊原は、調査の対象と期限を決める案を求めた。省内で数字の定義を揃え、金融機関の中身を確かめ、冬までに中間の結果を出す。
「その数字が出れば、対策の規模を変える必要が生じるかもしれません」
河原が言った。
「その時は、俺が説明する」
高城は、榊原を見た。
彼女が相談所で何度も聞いてきた約束だった。国が何とかする。責任者が説明する。今度は、それを言う側へ来ていた。
廊下では、閣僚の次の日程を確認する声がしていた。部屋の隅には、支持者から届いた花がまだ置かれていた。
榊原は、選挙前の試算を、新しい説明資料の横へ並べた。
新しい数字を入れる場所は、まだ空いていた。