地球、それは希望。   作:ふじら

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第13話 グワダル・ビーチ

 宇宙世紀0079年 9月25日 2030

 グワダル海軍分屯基地 市街地海岸

 

「やっと着いたねー!」

 首から外出証をぶら下げたハナは目の前に広がる海を見て、弾んだ声を上げた。

 

 基地からしばらく歩き辿り着いたのは、グワダル市街地にほど近い海岸だった。

 

 夜の海岸は静かだった。

 遠くの街明かりが海面にかすかに映り、波が寄せては返すたび、月の光が細かく揺れている。

 見上げれば夜空には星が散らばっていた。

 

「基地からそんなに離れてないのに、なんだか別の場所に来たみたい」

 

「そうだね。……潮の匂いもすごいね」

 

「ふふ、ねっ!」

 ハナは振り返り、悪戯っぽく笑った。

 

 スガイは小さく肩をすくめた。

 

  彼女が隣にいると張り詰めていた気持ちがどんなときでも和らぐ。

 

「シンヤ」

 

「ん?」

 

「こうして二人で出かけるの久しぶりだね」

 

 ハナは海の方へ視線を戻した。

 

「軍人さんになってから行動もしばられちゃって自由も減っちゃって……」

 

「そうだね」

 

「それまでは毎日、何をするにも一緒だったのにね」

 

「……確かになぁ。まだ一週間ぐらいしか経ってないけど、懐かしく感じちゃうよ……」

 

 戦火に巻き込まれるあの日以前の記憶がふと脳裏をよぎる。

 

 放課後に一緒に帰ったこと。

 

 くだらないことで言い合いになったこと。

 

 それでも翌日になれば何事もなかったように隣にいたこと。

 

 あの頃は、明日も明後日も、同じような日々が続いていくものだと思っていた。

 

 けれど以前と比べて今の環境は大きく変わっていた。

 

 背負うものが増え、いつの間にか、その時には想像もしていなかった場所に立っている。

 

 それでも、こうして並んで歩けば昔と何も変わらないような気がした。

 

「……あ、あそこにベンチがあるよ」

 

 ハナが指さした先には、海岸沿いに設置された木製のベンチがあった。

 

「ちょっと座っていこうよ」

 

「いいよ」

 

 二人は並んで腰を下ろした。

 

 潮の香りを含んだ風が、頬をそっと撫でていく。

 

 昼間の熱気はすっかり薄れ、半袖の制服から出た腕に夜の空気が少しだけ冷たく感じられた。

 

 ハナは両手を膝の上に置きしばらく波の音に耳を傾けていた。

 

「……ねえ、シンヤ」

 

「ん?」

 

「もし、私がいなかったらさ」

 

 唐突な言葉だった。

 

 スガイは隣に座るハナを見た。

 

「シンヤって、今みたいな軍人になってたのかな?」

 

「……どういう意味?」

 

「……そのままの意味。私と出会わなかったら今とは違う人生だったのかなって」

 

 ハナは笑っていた。

 

 けれど、その笑顔にはいつものような明るさだけではない何かが混じっていた。

 

 自分たちが歩いてきた道を改めて振り返っているような。

 

 そんな表情だった。

 

「私はさ、幼い頃からシンヤと一緒にいたから今の自分になれたんだと思うんだ」

 

「ハナ……」

 

「もちろんシンヤがいなくても、私なりに頑張ってたとは思うよ。でも何かあったら相談できる相手がいて、嬉しいことがあったら一緒に喜んでくれる人がいて……そういうのって、やっぱり大きいと思うから」

 

 ハナは指先を組み合わせた。

 

「だから……ふと思ったんだ。スガイにとって私はどうだったのかなって」

 

 スガイはすぐには答えなかった。

 

 考えたことがなかったわけではない。

 

 寧ろ彼女がそばにいることを当たり前だと思いすぎていたのかもしれない。

 

 振り返れば人生の節目にはいつもハナがいた。

 

 何かに迷ったとき。

 

 自分の選択に自信が持てなくなったとき。

 

 どれだけ努力しても、思いどおりにならなかったとき。

 

 ハナはいつも彼のそばにいた。

 

 特別なことをしてくれたわけではない。

 

 ただ話を聞き、笑いかけ、ときには遠慮なく意見を言ってくれた。

 

 それだけだった。

 

 だがスガイにとってはその『それだけ』が何よりも大きかった。

 

「……想像できないな」

 

「え?」

 

「ハナがいない人生なんて……想像できない」

 

 スガイは海へ目を向けたまま言った。

 

「俺がどういう人間になっていたかなんて分からない。軍人になっていたかもしれないし、全然違う仕事をしていたかもしれない。でも……」

 

 彼は一度言葉を切り、隣の幼馴染みを見た。

 

「俺の人生にはずっとハナがいたからな」

 

 ハナは目を丸くした。

 

 それから少しずつ頬を赤くしていく。

 

「……そ、そういうこと、さらっと言うんだね」

 

「何が?」

 

「な、何でもない!」

 

 ハナは慌てて顔をそらした。

 

 その様子を見てスガイは不思議そうに首をかしげた。

 

 彼にとってはいつものように、ただの事実を口にしただけだった。

 

 けれどハナにとっては違った。

 

 彼女にとっては彼に支えられているつもりでいた。

 

 幼い頃から一緒にいて、私が頑張ろうとしたときに彼は傍に居てくれて、困っているときには力になろうとしてくれた。

 

 

 けれど。

 

 彼にとっても自分の存在は同じだったのかもしれない。

 

 自分がそばにいること。

 

 自分が笑っていること。

 

 自分がいつもどおりに話しかけること。

 

 それだけで彼の支えになれていたのかもしれない。

 

 

「……そっか」

 ハナは小さくつぶやいた。

 

 胸の奥がじんわりと温かくなる。

 

「なら……よかったっ!」

 

「何が?」

 

「ううん、何でもないよ」

 

 ハナは笑った。

 

 今度の笑顔はいつもの彼女らしい柔らかいものだった。

 

 スガイはそれ以上追及しなかった、彼も彼女の変化を気にしてはいたが今はその時じゃないと瞬時に感じとっていた。

 

 

 

 その代わりに二人で静かな海を眺めた。

 

 しばらくしてハナがふと思い出したように顔を上げた。

 

「……あ、そうだ」

 

「ん?」

 

「私、ジュース飲みたいな」

 

「ジュース?」

 

「うん。あっちに自動販売機があったでしょ?」

 

 ハナは来た道の方を指さした。

 

「シンヤ、買ってきてくれない?」

 

「自分で行けばいいだろ」

 

「えー、いいじゃん! お願い!」

 

 両手を合わせ上目遣いで頼み込んでくる。

 

 子供の頃から何度も見てきた仕草だった。

 

「仕方ないなあ〜。分かったよ、何がいい?」

 

「オレンジジュース!」

 

「了解」

 

 スガイは立ち上がりポケットの財布を確かめた。

 

「すぐ戻るからここで待っててね、暗いから気をつけて」

 

「はーい」

 

 ハナは手を振って彼を見送った。

 

 スガイの背中が街灯の向こうへ消えていく。

 

 その姿が見えなくなるとハナはゆっくりと海の方へ向き直った。

 

 

 

 

 

 そして少しだけ声を落とした。

 

「……リルちゃん」

 

 波の音が返ってくる。

 

「そこにいるんでしょ?」

 

 少しの間を置いて、ベンチの後ろにある遊歩道の暗がりから、一人の少女が姿を現した。

 

「……よく気づいたわね」

 

 リル・ソマーズはいつものように落ち着いた表情を浮かべていた。

 

 ただし、その目は一瞬だけ、スガイが消えていった方向を追っていた。

 

 ハナはそんな彼女を見て困ったように笑った。

 

「やっぱりリルちゃんだった」

 

「やっぱり、って……最初から分かってたの?」

 

「ううん、絶対にそうだって思ってたわけじゃないよ。でも、もしかしたらって」

 

「どうして?」

 

「だって、リルちゃんはシンヤのこといつも見てるから」

 

「……っ」

 

 リルの表情がほんのわずかに揺れた。

 

 ハナは気づいていた。

 

 基地での何気ない会話でも、任務中のやり取りでも、リルはスガイの様子をよく見ている。

 

 彼が何を考えているのか。

 

 何に困っているのか。

 

 何を言葉にせずに抱えているのか。

 

 もちろん、彼女は優秀な軍人だ。

 

 オーガスタ研究所にいたのもあって、周囲を観察し状況を判断する能力に長けている。

 

 だから彼を気にかけているのも単に仕事上のことなのかもしれない。

 

 

 それでもハナには分かる気がした。

 

 

 リルがスガイを見る目には仕事上の関心だけでは説明できないものがあると。

 

 

 

「……別に、そんなつもりじゃないわよ」

 

「そうなの?」

 

「そう」

 

 

 

 ハナはそれ以上追及せず隣の空いた場所を手で示した。

 

「座る?」

 

「……いいの?」

 

「もちろん」

 

 リルは一瞬だけ迷ったあとハナの隣に腰を下ろした。

 

 二人の間には少しだけ距離があった。

 

 波の音が静かに響く。

 

 

「……それで?」

 

 リルが先に口を開いた。

 

「何か、私に話があるんでしょう?」

 

 ハナは少し真面目な顔になった。

 

「……リルちゃんはシンヤと一緒に来たかったんじゃないの?」

 

 リルは黙った。

 

「この海、きれいだもんね。夜に二人で見たらきっと素敵だと思う。私もシンヤと二人で来てそう思ったもん」

 

「……別に」

 

「本当に?」

 

「本当よ」

 

 リルは海へ視線を向けた。

 

 月明かりに照らされた水面がゆっくりと揺れている。

 

 確かに綺麗な海だった。

 

 

 彼と二人で眺めていたらどんな話をしただろう。

 

 仕事の話だろうか。

 

 それとも、いつもは話さないような少し個人的な話だろうか。

 

 考えかけてリルは小さく息を吐いた。

 

 

 

「……今日はあなたとあいつの時間でしょう?」

 

「リルちゃん……」

 

「久しぶりに二人で出かけたんだし、だったら邪魔する理由なんてないわ」

 

 リルはいつもの調子で言った。

 

「私は……別に構わないもの」

 

 その言葉は落ち着いていた。

 

 あまりにも落ち着いていたからこそ、ハナには少しだけ寂しく聞こえた。

 

「……リルちゃんって、大人だね」

 

 何気なく口にした言葉だった。

 

 けれど、その瞬間。

 

 

 

「私は大人なんかじゃない!!」

 

 

 

 リルの声が夜の海岸に響いた。

 

 

 

 

 ハナは驚いて目を見開く。

 

 リル自身も自分の声に驚いたようだった。

 

 握りしめた手に力が入っている。

 

「……っ」

 

 彼女は唇を噛み、うつむいた。

 

「……ごめんなさい」

 

「リルちゃん……」

 

「ごめん。今のは……忘れて」

 

 いつもの彼女なら、こんなふうな感情を露わにすることはない。

 

 喜怒哀楽のうち哀は絶対に出さない、それが彼女だった。

 

 

 けれど今の彼女は違った、ハナはそれを見て感じる。

 

 

 

 

 

 彼女は大人なのではない。

 

 大人であろうとしているだけなのだ。

 

 

 

 ハナはすぐには何も言わなかった。

 

 慰めることも無理に聞き出すこともしなかった。

 

 ただ隣に座るリルの横顔を見つめていた。

 

 

 

 

「……私、そろそろ戻るわ」

 やがてリルは立ち上がった。

 

「シンヤが戻ってくる前にね」

 

「……うん」

 

 ハナはうなずいた。

 

 引き止めることはできなかった。

 

 リルは一度だけ海を振り返り、それからハナに背を向けた。

 

「……二人で、ゆっくりしていって」

 

「リルちゃん」

 

 ハナが呼びかけると彼女は足を止めた。

 

「……ありがとう」

 

 ハナがそう言うとリルは少しだけ目を細めた。

 

「お礼を言われるようなことじゃないわ」

 

 そう言い残し彼女は夜の遊歩道へと歩いていった。

 

 その背中が暗がりに消えるまでハナは黙って見送っていた。

 

 リルの気持ちは簡単には分からない。

 

 自分が彼と過ごしているこの時間を、彼女がどんな思いで見ていたのか。

 

 どれほどの言葉を飲み込み、どれほど自分に言い聞かせていたのか。

 

 ハナには全てを理解することはできなかった。

 

 

 ただ一つ、知れたことがある。

 

 

 リルもまたスガイのことを大切に思っているのだ。

 

 そしてその気持ちは、きっとハナが思っていた以上に複雑なのだろう。

 

 

 

 

「……難しいなぁ」

 

 ハナは小さくつぶやいた。

 

 夜風が頬を撫でる。

 

 少し冷たくなった両手をこすり合わせていると、遠くから聞き慣れた足音が近づいてきた。

 

 

「お待たせ」

 スガイが戻ってきた。

 

 片手にはオレンジジュース、もう片方には自分用の飲み物を持っている。

 

「おかえりー!」

 

 ハナはいつもの調子で手を振った。

 

「ほら、オレンジジュース」

 

「わーい、ありがとう!」

 

 ハナは受け取ると、さっそくストローを差し込んだ。

 

 一口飲んで、満足そうに息をつく。

 

「おいしい!」

 

「よかったー」

 

 スガイは隣に腰を下ろした。

 

 そのときハナは彼のズボンのポケットが妙に膨らんでいることに気づいた。

 

「……あれ?」

 

「ん?」

 

「シンヤ、ポケットなんか膨らんでない?」

 

「ああ、これか」

 

 スガイは笑いながらポケットから飲み物を二つ取り出した。

 

 ひとつは紅茶。

 

 もうひとつは、リンゴジュースだった。

 

「えっ、まだ買ってたの?」

 

「ついでにな」

 

「誰の分?」

 

「紅茶はノエル。リンゴジュースはリルだ」

 

 ハナは取り出された二つの飲み物を交互に見た。

 

「……ノエルちゃんとリルちゃん?」

 

「うん」

 

 スガイは紅茶の缶を指先で軽く回した。

 

「ノエルはこういう系が好きそうだろ。それにあいつはいつも仕事を頑張ってるからな。カフェインでも入れて少しでも作業の足しになればいいと思って」

 

「そっか……ノエルさん忙しそうだもんね」

 

「まあ、余計なお世話かもしれないけどな」

 

「そんなことないと思うよ」

 

 ハナは首を横に振った。

 

 ノエルの今日の仕事ぶりを思い浮かべる。

 

 細かい作業も手を抜かず、周囲への気配りも忘れない。

 

 気づけば自分のことを後回しにしているようなところもある。

 

 そんな彼女に対して、彼は彼なりの気遣いを向けたのだろう。

 

 

 

 そしてもうひとつ。

 

 ハナはリンゴジュースに目を落とした。

 

「……じゃあ……どうしてリンゴジュース?」

 

 スガイは、ほんの少し口元を緩めた。

 

「いやあいつ、前に自分のことを地球連邦のポイズンアップルとか言ってただろ」

 

「……ああ!」

 

 ハナは思わず笑った。

 確かにそうだ、今日のノエルとの自己紹介でも自信満々にそのワードを出していた。

 

「言ってたね! そんなこと!」

 

「だから、まあ……リンゴ繋がりでいいかなって」

 

「ふふっ、何それ!」

 

「別に深い意味はないけどねー」

 

 

 

 そう言いながらもスガイはリンゴジュースを見てどこか楽しそうに笑っていた。

 

 

 ハナはその表情を不思議そうに見つめた。

 

「……シンヤなんだか楽しそうだね?」

 

「そうか?」

 

「もしかして、リルちゃんに渡したときの反応を想像してる?」

 

「……バレた?」

 

 ハナの推察にスガイは素直に認めた。

 

 ここ数日、リルとは以前よりも気兼ねなく話せるようになっていた。

 

 最初の頃は互いにどこか距離があった。

 

 リルは優秀で、頭の回転も速い。

 

 任務に関する判断は的確で、時折見せる厳しい表情には、彼女が積み重ねてきた経験が表れていた。

 

 そして持ち前の……悪く言えば図々しさ、良くいえば人を選ばない明るさも持っている。

 

 

 スガイはそんな彼女の能力を高く評価していた。

 

 けれど評価していることと気軽に接することができるのとは別の話だ。

 

 初めのうちは、どこまで冗談を言っていいのか、どこまで踏み込んでいいのか、いまひとつ分からなかった。

 

 それがここ数日のやり取りを通して、少しずつ変わってきた。

 

 リルも、時には意地を張る。

 

 冗談を言えば、真面目な顔で言い返してくる。

 

 こちらが予想していなかった反応を見せることもある。

 

 そういう一面を知るたびに、彼女は単に頼れる同僚というだけではなくなっていった。

 

 既に気安く話せる相手、まだ一週間も過ごしていないのに親友のような相手になっていた。

 

 だからリンゴジュースを見たとき、自然とリルの顔が浮かんだ。

 

 これを渡したら、きっと。

 

「わかってるじゃない!」

 得意げに胸を張るリルの姿が思い浮かぶ。

 

 あるいは。

 

「アップルってつけば、なんでもいいってわけじゃないわよ!」

 眉を吊り上げてもっともらしく抗議するかもしれない。

 

 どちらにしてもきっと彼女らしい反応をするだろう。

 

 そう考えるとなんだかおかしかった。

 

 特別な理由があるわけではない。

 

 何か大きなことをしてやろうと思ったわけでもない。

 

 ただこれを渡したときのリルの反応を想像するのが、少し楽しかった。

 

 買う時も自然と笑みが零れていた。

 

 その程度のことだった。

 

 

 

「……ふふっ」

 

 ハナは思わず笑みをこぼした。

 

「何だよ?」

 

「ううん。シンヤってちゃんと周りの人のことを見てるんだなって思って」

 

「そう?」

 

「うん、ノエルさんが頑張ってることも、リルちゃんがどんなことを言うかもちゃんと覚えてるんだね」

 

「……仲間だからね」

 

「それだけ?」

 

 ハナが少しだけ顔を覗き込む。

 

 スガイは困ったような表情をする。

 

「……それだけじゃ駄目だった?」

 

「ううん、駄目じゃないよ」

 

 

 ハナは首を横に振った。

 

 むしろ嬉しかった。

 

 スガイはもともと誰にでも気軽に心を開くような人間ではない。

 

 必要なことはきちんと話す。

 

 仲間を大切にする。

 

 困っている人がいれば手を差し伸べる。

 

 それでも他人との間にはどこか一定の距離を置いているところがあった。

 

 けれど今の彼は少しずつその距離を縮めている。

 

 ノエルが何を好むのか考え、リルがどう反応するかを想像している。

 

 

 そんな何気ない変化がハナには嬉しかった。

 

 自分が知らないところでも、彼はちゃんと誰かと関わり、少しずつ関係を築いている。

 

 自分だけが彼の世界にいるわけではない。

 

 それは少しだけ寂しいことでもあった。

 

 けれどそれ以上に嬉しいことだった。

 

「……よかった」

 

「うん?」

 

「シンヤがみんなと仲良くなれてるみたいで」

 

 ハナは微笑んだ。

 

「ノエルさんもリルちゃんも、きっと嬉しいと思うよ」

 

「……だといいけどな」

 

 スガイは手の中のリンゴジュースを見つめた。

 

「うん。きっと喜ぶよ」

 

 

 ハナはそう答えた。

 

 けれど、心の中では先ほどのリルの表情を思い出していた。

 

 大人なんかじゃない。

 

 そう叫んだ彼女の声がまだ耳に残っている。

 

 リルがスガイのことをどう思っているのか、厳密には分からない。

 

 ただ、もし彼女がこのリンゴジュースを受け取ったら。

 

 きっといつものように言い返すのだろう。

 

 それでも今夜ここで一人、自分達を見つめていた彼女のことを思うとハナは少しだけ胸が痛んだ。

 

「……ねえ、シンヤ」

 

「ん?」

 

「今度、またこういう機会があったらさ」

 

 ハナは海を眺めながら言った。

 

「次は四人で来ようよ」

 

 ハナは嬉しそうに笑う。

 

「みんなで来たら、もっと楽しいと思うんだ。ノエルちゃんは何を話してくれるかな。……リルちゃんはきっと海を見ても何か難しいことを言うんだろうね」

 

「確かに、リルは成分がどうとか言い出しそうだね」

 

「でしょ? それでシンヤが変なことを言ってリルちゃんに怒られるの」

 

「え? 僕が悪い前提?」

 

「だって想像できるもん!」

 

 ハナは声を上げて笑い、スガイもつられて笑う。

 

 それは何かを約束するような大げさな話ではなかった。

 

 

 

 ただ、似たような機会があれば、今度はみんなで出かけてみよう。

 

 その程度のささやかな提案だった。

 

 

 

 スガイと二人で過ごす時間は、もちろん大切だ。

 

 

 けれど、ノエルやリルと一緒に過ごす時間もこれから少しずつ増えていけばいい。

 

 

 四人で笑って、くだらない話をして、帰り道にまた何かを話す。

 

 そんな何気ない時間をみんなで共有できたら。

 

 

 きっと、今よりもみんなのことを知ることができるだろう。

 

「……楽しみだね」

 

 夜の海は、変わらず静かに波を寄せていた。

 

 月明かりの下で、二人はしばらく並んで座っていた。

 

 遠くの街から聞こえる人々の声も波の音に溶けていく。

 

 明日になれば彼にはまた軍人としての生活が始まる。

 

 任務がありやらなければならないことがある。

 

 それでもこうして少しだけ立ち止まる時間があれば。

 

 大切な人たちのことを考え、何気ない未来を思い描くことができる。

 

 ハナは隣にいるスガイをそっと見た。

 

 その横顔を見ているとハナの胸は自然と温かくなった。

 

「……ねえ、シンヤ」

 

「今度は何だ?」

 

「今日は、連れてきてくれてありがとう」

 

 スガイは少しだけ目を丸くした。

 

 

 それから照れくさそうに笑った。

 

「……どういたしまして」

 

 ハナは嬉しそうに微笑み、夜風は二人の間を通り抜けた。

 





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