宇宙世紀0079年9月26日 0530時
グワダル海軍分屯基地は早朝から慌ただしい音に包まれていた。
輸送艦への積載作業が最終段階に入っていたのである。
「ゆっくり! そのまま降ろせ! 右舷側は位置を確認しろ!」
作業員たちの怒号が飛び交う中、巨大な特設エレベーターがゆっくりと上昇していく。
その中央に横たえられているのはスガイの搭乗機グラマンだ。
油圧装置が低い唸り声を上げ、機体を載せた昇降台が輸送艦の甲板と同じ高さまで上昇する。
誘導員たちは手旗と身振りで位置を調整し、作業員たちが慎重に機体を誘導、グラマンは甲板へと歩き出す。
「その位置で止めろ!」
号令とともにグラマンが停止する。
作業員たちは甲板にブルーシートを広げ、その上に機体を仰向けの状態で配置した。
輸送中の揺れや振動で機体が動かないよう、固定用のワイヤーを取り付けていく。
スガイはコックピットから身を乗り出すと、足場を伝い甲板へ降り立った。
「スガイ特務少尉、これからモビルスーツは固定作業に入ります。機体周辺には近づかないでください」
「了解しました、よろしくお願いします」
スガイは作業員たちに敬礼し邪魔にならない場所へ移動した。
ワイヤーが機体の各部に取り付けられ、作業員たちが一本ずつ張り具合を確かめていく。
固定箇所を誤れば航行中の揺れによって機体に負荷が掛かりかねない。
彼らは慣れた手つきで作業を進めながらも、確認だけは念入りに繰り返す。
「朝からお疲れ様」
作業を終えたスガイにリルが声を掛ける。
「ありがと!」
スガイは笑顔で返した。
「ジュースありがとう」
「ああ、あれね」
スガイは少し苦笑した。
「昨日の夜、渡そうと思って探してたんだけどねー」
「仕方ないわよ。私も場所を外していたんだから」
「結局、渡せたのは出発直前だったしね」
「ちゃんと受け取れたんだから、それで十分よ」
昨夜、スガイは用意したリンゴジュースをリルに渡そうと、彼女の姿を探していた。
しかしどこを探しても見当たらず、結局部隊が動き出す一時間ほど前になってからようやく手渡すことができたのだった。
「それより、そろそろいつものを済ませましょうか」
「はーい」
スガイは素直に返事をした。
リルが取り出したのは、心理検査の用紙と数枚のチェックシートだった。
「まずはこれ。前回からの変化を確認するから、適当に答えないでちゃんと考えて記入なさい」
「わかってるよ」
「慣れてくると雑になる人がほとんどだからそこ注意なさい」
スガイは用紙を受け取り、記入を始めた。
睡眠の状態、疲労の程度、気分の変化、任務中に感じた緊張や不安。
質問は多岐にわたっていたが、これまで何度か経験していることもあり、手順に迷うことはなかった。
リルは隣で記入の様子を見守り、ときおり質問の意図を補足した。
「ここは前回と同じだからって同じ回答にする必要はないからね。今の状態で答えて」
「うん」
「それから……任務中に気になったことは?」
「気になったこと……」
スガイは少し考えいくつか言葉を書き込んだ。
リルは回答を急かすことなく、彼が記入を終えるのを待った。
やがて全ての用紙が埋まった。
「はい、おしまい」
スガイがペンを置き記入済みの用紙を差し出す。
リルは記入漏れがないことを確かめると、次の器具を取り出した。
「じゃあ、次ね」
「……うん」
スガイはわずかに顔をしかめた。
リルは手慣れた様子で検査に必要な髪の毛を数本採取した。
「痛〜」
「はい、終わり」
リルは採取した試料を容器に収め、記録用紙に必要事項を書き込んだ。
心理検査やチェックシートへの回答、そして定期的な試料採取。
こうした検査はスガイの心身の状態を継続的に把握するために行われている。
本人が自覚していない疲労やストレスが蓄積している可能性もある。
本人の申告だけに頼らず、複数の方法で状態を確認することには意味があった。
スガイ自身もその必要性は理解している。
「それにしても、ずいぶん慣れてきたわねえ」
リルは書類を整理しながら言った。
「最初の頃は質問するたびにいちいち考え込んでいたのに」
「そりゃ最初は何を聞かれているのかも、よくわからなかったからね」
「今は?」
「今もわからない質問はあるよ。でも何を確認したいのかは、前よりわかるようになったかな」
「そう、それなら結構」
リルは短く頷いた。
それから改めてスガイの顔を見た。
「無理はしないこと。慣れたからって自分の変化を見落とすようになったら意味がないんだから」
「わかってるよ」
「ならいいわ」
リルは書類をしまい、いつもの調子で笑った。
「さて、私も報告を済ませないとね」
リルはスガイの肩を軽く叩いた。
「じゃあ、またあとでね」
「うん。ありがとうリル」
彼女が立ち去るのを見送り、スガイは改めて甲板を見渡した。
グラマンの固定作業は順調に進んでいた。
宇宙世紀0079年9月26日 0630
「行ってらっしゃ〜い!」
集まった兵士達の声が朝の港に響いた。
輸送艦の周囲にはここまで護衛を務めてきた戦車や歩兵戦闘車、通信車両が並んでいた。
四人を運んできた軍用トラックもその列の一角に停車している。
車両の搭乗員や兵士たちが手を振り、隊長格の者たちは制帽を振って出港を見送っていた。
輸送艦の甲板からも乗員たちが応えるように手を振っている。
スガイ、ハナ、リル、ノエルもそれに答えて手を振っている。
四人はグラマンと共に極東へ向かう。
やがて、低く長い汽笛が港に響き渡った。
係留索が外され、輸送艦がゆっくりと岸壁から離れる。
見送りの人々の姿も少しずつ遠ざかっていく。
ノエルは港へ向けて大きく手を振った。
「みんな! ありがとーー!!」
輸送艦は波を切りながら、グワダルの港を離れていった。
目的地は極東。
四人と一機を乗せた船は、次の任務へと進む。
宇宙世紀0079年9月26日 トゥルバット統合作戦臨時司令部 1000
「閣下。スガイ特務少尉と他三名は予定通りグワダルを出港しました」
報告を受けたジャミトフ・ハイマンは机上の書類から顔を上げた。
「そうか、一先ずは安心だな」
「はい。輸送艦の航行にも現時点で問題は報告されておりません。グラマンの固定も完了し、四名とも無事に乗艦しております」
「機体の固定状態と航行状況については引き続き報告させろ。到着前に問題が発生すれば、現地での受け入れ計画にも影響する」
「承知しました」
士官は敬礼したが、気になることかあったのかすぐには退出しなかった。
「閣下。昨日の北部方面隊長たちとの協議について、お尋ねしても宜しいでしょうか」
「構わん」
「最終的には……納得していただけたのでしょうか?」
ジャミトフは机の上に置かれた書類を揃えた。
「指揮系統を統合し、作戦上の全責任を私に置くことで合意した」
「聞いた所……かなり厳しい協議だったと伺っています」
「当然だろう」
ジャミトフは淡々と答えた。
「彼らには彼らの任務がある、異を唱えるなという方が無理な話だ」
彼は椅子の背に身体を預けた。
「彼らが求めていたのは単なる説明ではない。己の指揮下で活動する部隊の安全を確保し、作戦の責任を明らかにすることだ。そこを曖昧にしたまま協力しろとは言えん」
ジャミトフは前日の会議を思い返した。
二人の方面隊長はモビルスーツの性能だけを問題にしていたわけではなかった。
誰が命令を出すのか。
誰が補給を担うのか。
損害が出た場合、敗走した場合、誰が責任を負うのか。
そして現場の判断と上級司令部の命令が食い違った時、どちらを優先するのか。
「彼らの要求を無視することもできた。しかしそれでは現場の不信を深めるだけだ。逆にモビルスーツの運用を方面隊ごとに委ねれば指揮系統が分裂するのは目に見えている」
ジャミトフは士官へ視線を戻した。
「だからこそ私はどちらにも曖昧な妥協はしなかった。運用指揮は私の下に一本化する。その代わり方面隊の作戦上の権限を侵さず、必要な情報を共有し、要請への回答と判断の理由を明確にする。責任の所在も私に集約した、北部の奴らの休息期間は勿論、物資や今後来るモビルスーツの配備も最優先にさせた」
「それで……方面隊長たちは合意したのですね」
「だが完全な合意ではないな、少なくとも現状ではそれが最も合理的だと判断したのだろう」
ジャミトフは机上の資料へ目を落とした。
「全面的に信頼を得たわけではない。だが信頼は言葉だけで得られるものでもない。実際に結果を示すほかない」
そう言うと彼は次の書類を手に取った。
「今後、同じ問題を繰り返さないためにも、指揮系統とモビルスーツの運用規定を文書化する。スガイ特務少尉が極東から帰ってくるまで諸問題は潰しておかねばな」
四人と一機を乗せた輸送艦は既ににグワダルを離れ極東へ向かっている。
彼らがこの地に戻るまでに整えておくべきことは、まだ山ほど残されている。
やがて説明を聞いていた士官も一礼して退室した。
扉が閉じると室内には静寂が訪れる。
ジャミトフはしばらく机上の書類に目を落としていたが、やがて椅子の脇にある引き出しへ手を伸ばした。
鍵を取り出し、錠を外す。
引き出しの奥に収められていたのは厳重に管理された一冊の資料だった。
表紙には簡潔にこう記されている。
特別情報。
ジャミトフはそれを取り出し、机の上に置いた。
ページをめくるごとに、彼の目が細められていく。
記載された情報を細部まで確かめ、
時折考え込むように指先を止める。
やがて彼は資料を閉じ、静かに呟いた。
「………ムラサメ研究所、実に価値のある組織だ」
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