「サーヴェが落ちたか……テヘランも時間の問題だな」
重苦しい沈黙が漂う司令部の一室で一人の高官が呟いた。
壁面には中東方面の作戦地図が掲げられている。
テヘランを中心に北西部から西部そして旧イラク国境に至るまで赤い線と駒が複雑に入り乱れている。
かつて連邦軍が確保していた都市の幾つかには ジオン軍を示す印が置かれている。
「そうですな、北西部方面隊はアルダビール~タブリーズ防衛戦線から撤退続きです。これでは何れ責任問題になるかと」
「方面隊長は何をしているのだ。マフネシャーンを抜かれて以来、まともな戦闘記録すら残っておらんぞ」
高官達は苛立ちを隠さずに言う。
「情報隊の報告によればジオン軍はカズビーンとハマダーンを占領し、両都市に相当数の戦闘団を駐屯させているようです」
書類を片手に、斥候から挙がってきている報告を伝える高官。
「これでは、イラク方面にも敵が流れ込む可能性がありますぞ」
「となれば、シリア方面から攻勢を受けている友軍が挟撃されますな。海港までの距離も遠い。いざ撤退となっても、容易にはいかないでしょう」
これを聞いた誰もが手元にある情報を突き合わせながら頭を悩ませていた。
問題は敵の勢力が強大であることだけではない。
味方が何をしているのか、まるで分からないことだった。
北西部方面隊長とはミノフスキー粒子の散布下により依然として通信が取れていない。
その為司令部との連絡は伝令兵が運ぶ手紙に頼るばかりであり、届く情報はいつも遅く断片的なのだ。
敵の進路。
部隊の損害。
撤退の理由。
どれも分からない。
これではまともな連携など望むべくもなかった。
ましてや方面隊同士で作戦を共有することなど不可能に近い。
「戦闘記録が残っていないというのは…どういうことなのだ」
誰かが言った。
「単に弱腰で敗走を重ねているのか。それとも……ジオンに寝返ったのか」
その言葉が室内の空気がわずかに張り詰める。
口にするのも憚られる疑念だった。
だが連絡が途絶え、戦闘の記録もなしに後退の報告だけが伝わってくるのならば疑わずにいることも難しい。
「あるいは、戦力を温存している可能性もあります」
そう言った高官は地図に目を落とした。
「敵を誘引し、一挙に叩くつもりなのかもしれません」
彼の提言にジャミトフはようやく重い口を開いた。
「……それならば、なぜ何の準備も見えんのだ」
もし北西部方面隊が戦力を温存。
敵を誘引する作戦を採っているのならば、テヘランとジオン軍占領下のカズビーンの間に強固な防衛陣地を築いているはずだった。
敵の進撃を正面から受け止めるのではない。
防衛線で足を止めさせ、カスピ海沿岸から迂回しようとするジオン軍主力。
それをラムサール周辺で奇襲する。
敵の進路を限定し、地形を利用して撃滅する。
そうした構想ならば戦力を温存する意味もある。
だが、そのような防衛陣地が築かれているという報告はない。
建設資材や弾薬、食料を運ぶ物資の動きも確認されていなかった。
あるのは、後退したという情報だけ。
「……テヘランは、何をしている?」
ジャミトフの問いに、誰も答えられなかった。
しばらくして、ひとりの高官が地図から顔を上げた。
「北西部方面隊は、当てにならんな」
声には、諦めに近い響きがあった。
「地球連邦軍の士官を育て上げるはずの士官学校がカタチだけのものだったということか。実戦に出れば指揮も連携もまともにできんとは……」
吐き捨てるような言葉だった。
尤も彼らとて、士官学校だけを責めれば済む話ではない。
通信網の不備。
戦力の分散。
現地部隊の指揮系統。
そしてジオン軍のモビルスーツを中心とした攻勢。
いくつもの問題が重なり連邦軍の防衛線は崩れていたのだ。
だが、今この時に必要なのは責任の所在を決めることではない。
敵が次にどこへ向かうかを読むことだった。
「……テヘランは落ちる」
ジャミトフが地図上の都市を見据えて言った。
反論はなかった。
北西部方面隊がまともに抵抗できていない以上、テヘランの陥落は時間の問題だろう。
ではテヘランを落としたジオン軍は次にどう動くのか。
その高官は指先をテヘランから東へ滑らせた。
「ここだ」
指が止まったのは、北東部方面隊の防衛地域だった。
「テヘランを落とすのは敵にとって難しいことではない。そこまで進めば後は流れに身を任せるだけだ。北東部方面隊の側面を突き破り、敵の主力が濁流のように押し寄せるだろう」
北西部の防衛線が崩れればジオン軍はそのまま東へ進撃できる。
北東部方面隊が正面の敵に対処しているところへ側面から攻撃を受ければ部隊同士の連携はさらに困難になるのだ。
そして北東部方面隊が崩れればその背後にある地域も危うくなる。
「そうなれば、残されるのは我々、南西部方面隊と中央司令部だ」
彼は地図上の南西部を指でなぞった。
「ジオン軍からすれば、優先的に攻勢をかけるべき相手は我々になる。ここを突破されれば我々の中東防衛は根底から崩れるからな」
高官達は皆その意味を理解した。
敵の進撃を止める為には北西部方面隊の奮起を期待するよりも、南西部方面隊と中央司令部が独自に備えるしかない。
やがてジャミトフが席を立った。
「以前構築させた防衛陣地に各部隊を配置させろ。各部隊には最低二週間分の食料と弾薬、他必要な物資を持たせろ。現地で補給を受けられるとは限らん」
「はっ!」
ジャミトフの言葉に諸部隊の責任者達が返事をする。
「ただし、敵主力を正面から受け止める部隊と、迂回してくる敵を警戒する部隊を混同するな。配置を誤れば、こちらが包囲される」
命令を受けた参謀、幕僚達が次々と通信卓へ向かった。
こうしてジオン軍の侵攻を予期した南西部方面隊及びエスファハーン中央司令部は動き始めたのだった。
次の日0430頃。
司令部からの命令が伝達されると日もまだ昇っていない中、各地の駐屯地と基地は一斉に慌ただしくなった。
「鉄条網!搬出いくつですかぁ!?」
「資材車こっちまで回せないか!!?」
耳を傾ければあらゆる部隊の声が聞こえてくる。
「乗車よーい!!乗車っ!」
「乗車ッ!」
歩兵を満載した軍用トラックがライトで地面を照らし、砂埃を巻き上げながら次々と基地を出ていく。
荷台には兵士たちが肩を寄せ合い膝の上に小銃を抱えて座っており、車体が段差を越えるたび装備品がぶつかり合って乾いた音を立てる。
行き先はムルチェ・クヴォルト地区、ティラン地区、クーパイエ地区。
そしてマジュサイ地区とシャールザー地区。
いずれも南西部方面隊の防衛計画において重要な位置を占める地域だった。
前者の三地区には敵主力の進撃を食い止め、可能な限り長く足止めするための戦闘団を配置する。
後者の二地区には主力の進路を避けて迂回してくる敵に備え、防衛と警戒を担う部隊を置く。
全ての部隊に同じ任務を与えるわけにはいかない。
敵の主力を正面から受け止める部隊には相応の火力と人員が必要になる。
一方、迂回路を警戒する部隊は敵の侵入をいち早く発見し連絡を送り、必要に応じて進路を妨害することが求められた。
限られた戦力を、
どこに。
どれだけ。
割り当てるか。
それが防衛戦の成否を左右する。
主力を引き付ける戦闘団は歩兵連隊を中心に編成された。
これにバルカン砲大隊、野砲大隊、対モビルスーツ車両中隊を組み合わせ、敵の進撃を阻止するための火力を集中させる。
対モビルスーツ車両中隊は、敵のモビルスーツを撃破することだけを目的とした部隊ではない。
地形や陣地を利用し歩兵や砲兵と連携して敵の進路を制限する事もその重要な役割だった。
モビルスーツを相手にする以上、戦車や装甲車だけで正面から対抗することは難しい。
だからこそ砲兵の火力と歩兵の防御陣地を組み合わせ、敵が自由に動ける空間を少しでも狭める必要があった。
一方、マジュサイ地区とシャールザー地区に配置される防衛・警戒部隊は歩兵中隊と通信車を中心とする小規模な編成だった。
重火力を持たない彼らに敵主力を撃退する力はない。
その任務は敵を見つけ、動きを把握、主力へ報告する事。
そして可能な範囲で敵の進撃を遅らせることだった。
敵が想定外の方向から現れた場合、最初にそれを知るのは彼らになる。
だからこそ、通信を途絶えさせてはならない。
各部隊の配置が進む一方、南西部方面隊は機甲戦力の再編にも着手した。
各地に分散していた戦車、装甲車、戦闘車両を可能な限り集結させ、ひとつの予備火力戦闘団を編成する。
防衛線の全てに機甲戦力を分散させれば、各陣地の火力は増す。しかし敵が予想外の方向から突破してきた場合、局地的な危機に対応できる戦力が残らなくなる。
それならば、機甲戦力を一か所にまとめておき戦況に応じて投入する方が良い。
突破された陣地の援護に回すのか。
敵の側面を叩くのか。
あるいは退路を確保するために使うのか。
その判断は戦場の状況を見てから下す事になる。
ただし予備戦力は万能ではない。
移動に時間を要し、道路が寸断されれば投入できず、敵の航空戦力に捕捉されれば集結地そのものが危険にさらされる。
それでも機甲戦力を完全に分散させるよりは、まだ選択肢を残せる。
南西部方面隊にとって、この予備火力戦闘団は諸刃の剣だ。
「発進せよ」
「
誘導棒を持つ兵士の動きに合わせて、戦闘機はノズルから蒼い焔を噴射させ離陸した。
航空戦力にも再配置命令が下ったのだ。
管制室と誘導員の指示で空軍部隊、戦闘機や攻撃機、爆撃機が滑走路から次々と発進していく。
エスファハーン基地から少し離れた、エスファハーン航空基地に置かれているのはヘリコプターで編成された航空隊、空軍機で編成された航空戦闘団。
その後者をケルマーン航空基地へ移動させる。
目の前で戦闘が起きる状況では航空機部隊を一か所に固めておくわけにはいかなかった。
敵がテヘランを占領しさらに東へ進撃するならば、航空基地も攻撃対象になる可能性がある。
直接攻撃されなくとも地上での戦闘が激しくなれば、滑走路や整備施設、燃料貯蔵所が破壊される危険も高まる。
だからこそあらかじめ後方のケルマーン航空基地へと移動させたのだ。
一方エスファハーンにヘリコプターの航空隊を残すのは、基地の警戒と防衛を維持し、必要な航空任務を遂行させるためだった。
航空機の移動には整備員、地上支援要員、燃料、弾薬、予備部品の手配が伴う。
機体だけを飛ばせば済む話ではない。
受け入れ先の基地に必要な設備と物資がなければ、到着した航空機も十分に働けなくなる。
その為移動命令と並行しケルマーン航空基地への補給と、受け入れ準備が進められた。
各部隊の再配置及び戦線への展開は決して華々しいものではない。
兵士たちは軍用トラックに乗り込み、
砲兵は砲を牽引し、
整備員は工具箱を抱えて移動する。
道路には軍用車両が連なり、補給所では弾薬箱や食料が積み込まれ、通信兵たちは途切れがちな回線を確かめていた。
誰もがこれから始まる戦いの全容を知っているわけではない。
テヘランがいつ陥落するのか。
北西部方面隊がどこまで後退しているのか。
ジオン軍の主力が本当に東へ向かうのか。
確かな答えはまだどこにもなかった。
それでも南西部方面隊及び中央司令部は備えなければならない。
敵が来ると分かっていても、いつ、どこから、どれほどの規模で現れるのか分からない。
戦争とはそういうものだ。
そして地図の上で線を引き部隊を動かす高官達にも、現場へ向かう兵士達にもまだ見えていないものがあった。
防衛陣地が完成したとしてもそれだけでエスファハーン周辺に住む人々の暮らしを守れるとは限らない。
戦線がひとつ崩れれば兵士だけではなくそこに暮らす人々もまた、戦争の流れに巻き込まれていくのだ。
同日 エスファハーン基地格納庫 1020。
「まーさか北が当てにならないとはねぇ。まっ!北米の私たちが言えたことじゃないから、これ以上追及しないけど!」
整備ハンガーにリルの明るい声が響いた。
その視線の先には、整備兵たちによる最終点検を受けている一機のモビルスーツがあった。
陸戦型ジムの改修機、グラマンである。
ジムの胴体にザクの頭部と脚部を組み合わせた異質な姿。
正規の量産機とは異なり、現場の必要に迫られて生まれた急造改修機だ。
装甲の継ぎ目や各部の接合部には改修の痕跡が今も残っている。
その機体を前にスガイ、ハナ、リルの三人は出撃前のミーティングを行っていた。
「北米はそんなにヤバいのか?」
スガイが尋ねると、リルは肩をすくめた。
「ヤバいってもんじゃないわ。地球連邦軍がまともに保有している地域で残ってるの、もうサウスカロライナ周辺だけじゃないかしら?」
「サウスカロライナ……ここか」
スガイはリルにこれから必要になると、ミーティング前に渡された地図を覗き込んだ。
北米大陸に目を向ければ、かつて連邦軍が支配していた地域の大半がすでにジオン軍の勢力下にある。
地図上の印だけを見れば北米戦線は連邦軍にとって壊滅的な状況に陥っているように思えた。
「ここ以外は、ぜんぶジオンに?」
「その通りよ」
「ええっ……!信じられないよ」
ハナが思わず声を上げた。
彼女にとって地球連邦軍は地球圏を守るための大きな組織だった。勿論、連邦軍がどこでも勝ち続けているなどとは思っていない。
それでもこれほど広い地域が失われているという話は想像していた以上に深刻だった。
「ここら辺に私のいたオーガスタ基地があるんだけどね。辺境じみてる小じんまりした場所だから、ジオンの連中にも見逃されてるわ」
リルは地図上の一角を指先で叩いた。
「へえ、それは作戦の一つ?」
スガイは特に思考を巡らせた訳でもなく何気なく尋ねる。
するとリルは一瞬だけ目を丸くし、それから得意げに笑った。
「意外とシンヤ、あなた頭いいわね。そうよ。連邦軍としては重要な基地だからこそ、波風を立たせないでジオンの目を逸らすことに専念してるの」
「なるほど……」
スガイはもう一度地図を見た。
大きな戦場では敵に知られていないことそのものが価値になる。重要な施設だからといって必ずしも目立つ必要はない。むしろ目立たないからこそ生き残れる場所もあるのだろう。
もっともリルの説明がどこまで正確なのか彼には判断できなかった。オーガスタ基地の事情も、北米戦線の詳しい状況もまだ知識が足りない。
ただ、戦争というものが単純に強い者が勝ち、弱い者が負けるだけではないことは分かり始めていた。
「まっ!北米の話はどうだっていいわ。今、私たちがいるのは中東・インド亜大陸よ!まずは南下してくるジオンの連中をぶっ叩くことに専念しましょう!」
リルはパンッと手を叩き、話を切り替えた。
「じゃっ、確認よ!シンヤ、さっき伝えたことを復唱して!」
「分かった。まず9月23日現在時刻1021。三個主力部隊と二個警戒部隊は、指定された防衛ラインに展開中」
「そうそう。次は?」
「1130、僕はグラマンに搭乗。格納庫からは出ずに、その場で指示があるまで待機。目的は…ジオン軍襲来時における隠匿された遊撃隊としての対処行動を行う為……」
スガイは記憶を確かめるように一語ずつ答えた。
今回の任務で、彼は防衛線の正面に配置されるわけではない。
三個の主力戦闘団と二個の警戒部隊が所定の陣地に展開し、敵の進撃に備える。その一方でグラマンはハンガー内に留め置かれ、敵の接近が確認されるまで待機する。
正規の防衛配置に組み込まれない、独立した遊撃戦力。
敵が防衛線に食いついたところで、状況に応じて投入する。それがスガイに与えられた役割だった。
勿論、まだ敵がどの方向から攻めてくるのかは分からない。
だからこそ今の段階で勝手に動くことは許されなかった。
「オーケーね!そこまで答えられればよろしい〜。っと!ハナは理解できた?」
「う、うーん……。なんとなく?難しい言葉がたくさんあって…分からないよ」
ハナは困ったように笑った。
「しっかりなさい。まあ、男はこういう形式ばったのに慣れやすいから仕方ないわ。後でこの私が、あ・な・たのために作成した単語帳をあげるから、熟読なさい!」
「あっ、ありがとう!リルちゃん!」
「ふふん」
リルは胸を張った。
その様子にスガイは思わず苦笑する。
言葉遣いこそ偉そうだがリルはこうして面倒を見ようとすることがある。
少なくともハナを困らせて喜んでいるわけではない。
まあ単語帳を渡されたハナが、どれほど真面目に覚えられるかは別の話だったのだが。
9月23日 1130
ハンガー内には整備機器の駆動音と整備兵たちの掛け声が響いていた。
天井から吊り下げられた輝度の高い作業灯がグラマンの橙色と白色の装甲、そこに残る改修の痕跡を照らし出している。
脚部の駆動系、関節部、武装の接続状態。整備兵たちは最後の確認を終え、各部の数値を記録していた。
日も経ち軍服も馴染んできたスガイは機体の足元に立っていた。
これからグラマンに搭乗する。
まだ敵が来たわけではない。
出撃命令が下ったわけでもない。
ただ指定された時刻に機体へ乗り込み、待機する。
それが今回の任務だった。
それでもスガイの胸の内には落ち着かないものがあった。
これまでも戦場には出てきた。
だが今度は防衛線の裏側に隠れ、敵が現れる瞬間を待つことになる。
自分が動き出す時には既に誰かが戦って死んでいる。
そのことを考えると、何もせずに待つ時間さえ、決して楽なものではなかった。
「頑張ってね〜。私もできるだけサポートするから、気楽に行きなさいよ〜」
リルは明るく手を振った。
普段と変わらない調子だったがスガイを見送るその目には、彼の身を案じる色も浮かんでいた。
その隣ではハナが少しだけためらいながら立っていた。
「い、行ってらっしゃい……!その……帰ってきてね……」
最後の言葉は、ひどく小さかった。
ハナは自分の声が聞こえたかどうかを確かめるようにスガイの顔を見上げた。
スガイは振り返り、穏やかに笑った。
「うん、行ってくるよハナ!リルも!よろしく頼むね!」
「任せなさい!」
リルは即座に答えた。
「……」
ハナも今度は少しだけ大きく手を振った。
スガイが機体へ向かう間、リルは手を振り続けていた。
だが、ハナの横顔を視界の端に捉えながら、彼女がどこか不安そうに彼を見送っていることにも気づいていた。
リルは、何も言わなかった。
ただスガイがグラマンのコックピットに乗り込むまで、いつもの笑顔を崩さずにいた。
スガイがグラマンのコックピットへ乗り込む。
シートに身体を収め固定具を確認。
計器類が順番に点灯しモニターには機体の状態が表示されていく。
装甲、駆動系、通信系統、武装接続。
整備兵による最終点検の記録が、一つずつ画面上に並んだ。
装甲損耗 良 1030確認。点検者ウィリアム曹長。
駆動系 良 1045確認。点検者ターナー軍曹。
通信システム 良 1100確認。点検者ロベール軍曹。
兵装火器 良 1115確認。点検者デミル曹長。
自分の為に沢山の人が動いてくれている。
その事を再認識したスガイは一息つくと手元のスイッチを確認。
そのまま通信回線を開く。
すると短い電子音が鳴ったかと思うと直ぐに聞き慣れた女性の声が届く。
「お疲れ様です、パイロット」
以前から何度も聞いてきた声だった。
最初に彼女の声を聞いたのはこのグラマン、陸戦型ジムに乗り込んだ日だ。
あの時スガイは地球連邦軍の部隊に包囲されていた。
そんな中状況を理解できず何をすれば良いのかも分からなかった彼に対して、通信越しに投降の言葉を届けてきたのが彼女だった。
その後の戦闘でも彼女は必要に応じて通信を開き、スガイを支援してくれた。
戦闘が終わった後には、機体の点検にも付き合ってくれた。
そして話に聞いた所では、あの戦闘の前にハナとの通信をつないでくれたのも彼女らしい。
顔も知らない相手だったが、スガイにとってはすでに何度も助けられている相手だった。
「はい。そちらもお疲れ様です。以前からありがとうございます、そのハナの件も…」
「いいえ構いません。これからこちらの方面軍にいる間、私は担当オペレーターとして貴方に付きますので…堅苦しい言葉はなくて構いませんよ」
「はは、お気遣いありがとうございます。でも、まだ自分は子供ですので、貴女には敬意を払わせてもらいます」
通信の向こうで、小さな笑い声がした。
「ふふ、子供ではありませんよ。私と貴方は同い歳です」
「えっ!?本当ですか!?」
スガイは思わず声を上げた。
これまでの落ち着いた話し方から、年上の女性だとばかり思っていたのだ。
「はい、本当ですよ。通信兵学校は中学卒業後、二年で修了しますので。私も軍内では新米です」
「そ、そうだったんですね……」
驚きのあまり、スガイは言葉を失った。
自分と同い歳の少女が、軍の通信網を扱い、戦場にいるパイロットを支援している。
スガイ自身はまだ十代の少年だ。
軍人としての経験も浅く分からないことばかりである。
だからこそ通信越しに話している相手も同じように若いのだという事実はとても新鮮だった。
彼女がそう言うと、コックピットのサブモニターに新たな画面が表示された。
通信回線を通じて送られてきた、リアルタイムの映像だった。
そこには、連邦軍の軍服を着た少女の姿が映っていた。
年齢は自分と同じくらい。
落ち着いた表情で、カメラの向こうにいる僕を見つめている。
彼女は姿勢を正し穏やかに微笑んだ。
「あらためて、ご挨拶させていただきますね」
声だけで知っていた相手が、初めて一人の人間として目の前に現れる。
「中東・インド亜大陸方面軍、モビルスーツ運用特別支援中隊所属。モビルスーツ通信兵…」
彼女は一度、言葉を切った。
そして明るい笑顔ではっきりと名乗る。
「ノエル・アンダーソン伍長です。以後よろしくお願いしますね!」
沢山のご感想お待ちしております!
次話への励みになりますのでどうか!(内容はなんでも大丈夫です!)