ジオン公国軍、中東・アフリカ方面軍(イラン方面隊)の司令部が置かれた野戦陣地は、乾いた大地の上に無数の天幕を並べていた。
吹きつける風が砂を巻き上げ天幕の布を絶え間なく揺らす。遠くでは車両のエンジン音が響き、資材を運ぶ兵士たちの足音が混ざり合っていた。
どこを見渡しても砂と土。
日差しを遮るものは少なく、昼間の熱気は人間から体力と思考する余裕さえ奪っていく。
その一角にイラン方面隊長の指揮所はあった。
天幕の中には作戦地図が広げられ各地から届いた報告書が机の上に積み上げられている。
通信記録。
部隊の損耗状況。
補給物資の要求。
そして前線からの緊急報告。
その中でも、方面隊長の目を引いて離さないものがあった。
「……連邦軍は何かを隠している」
男は地図から目を離さず、低く呟いた。
彼の前に立つ女性士官が手元の書類を見ながら応じる。
「……モビルスーツを含む混成師団が丸ごと一個壊滅とは。今まで確認したことのない事例です」
「落ち目の連邦だ。苦し紛れに何を出してくるか、分かったものではないな」
口調だけを聞けば敵を侮っているようにも聞こえる。
だが、その言葉には乾いた皮肉が混じっていた。
男は連邦軍を軽んじているのではない。
寧ろ追い詰められた敵が何をしでかすか分からない事を誰よりも警戒していた。
劣勢に陥った軍隊程、予想外の手段に頼ることがある。
古代を通じてチャイナは正規軍を打ち倒してから湧いて出てくる民兵が厄介であり、中世期末期のニッポンではカミカゼなる戦術を行使した。
侮る事はできない。
それが奇策であれ。
未確認兵器であれ。
あるいは兵士たちを使い潰すような無謀な攻勢であれ。
こちらの常識が通用しない敵程、厄介なものはない。
更にいえばその対処法を少しでも間違えれば、文明的とも呼べる戦争がただの野蛮な行為に成り下がるのだ。
彼は自分に背負わされた業というモノを重く感じている。
「しかし手は打たなくてはならん。こちらの切り札となるのは……」
男は言葉を切り、地図上に置かれたモビルスーツ部隊の駒を睨んだ。
「……モビルスーツ……しかないか。クソッ」
吐き捨てるような声が天幕の中に落ちた。
彼はモビルスーツという兵器の価値を理解している。
従来の戦車や歩兵では対処の難しい局面においてその機動力と火力は戦場を一変させる。
だが兵器の価値を理解する事とそれに全てを委ねることは違う。
そして現在のジオン軍は後者へ傾きつつあった。
男は机の端に積まれた要請書の束を引き寄せる。
何度も提出し、何度も却下され、あるいは別の形で処理された要求書。
その内容は、どれも似通っていた。
「歩兵戦力の充実を、なぜ図らない!!」
突然、男の怒声が天幕を震わせた。
「これでは戦線に穴が空くばかりではないか! 隙を突かれれば勝てる戦も勝てなくなる! 幾度要請しても送られてくるのはモビルスーツのパイロットばかりだ! セットで新品のモビルスーツを寄越されたところで、怒りが湧くだけだ!」
机を叩く音が響いた。
歩兵がいなければ占領地を維持できない。
歩兵がいなければ陣地を構築できず、地形を確保できず、敵の浸透を防ぐことも難しい。
モビルスーツが敵を撃破したとしても、その後に残された土地を誰が占拠し守るのか。
戦争は敵を倒すだけで終わるものではない。
ましてや、この広大なイランの大地では部隊間の距離そのものが脅威になる。
戦力を一点に集めれば別の場所が薄くなり広く展開すれば今度は指揮統制と補給が難しくなる。
彼が求めているのは華々しい戦果を挙げる新型兵器ではなかった。
戦線を維持し、部隊を支え、占領地を確実に押さえる為の、地味だが不可欠な兵力だった。
これは士官学校で学ぶ筈の初歩も初歩の話である。
だがこれを唱える者は今や守旧派とレッテルを付けられて一蹴されるだけだ。
方面隊長もそれを理解していた。
「……最小限、こちらも動くしかない」
男は声を落とした。
「モビルスーツ部隊は独立性が高すぎる。慎重に扱わなくてはならん。だがモビルスーツの火力に頼らねばならないのも事実だ」
男は背もたれに身を預け、しばらく目を閉じた。
やがて、再び目を開く。
「各部隊の責任者を呼べ」
「はっ!」
目の前の女性士官は姿勢を正し、規律正しく敬礼した。
踵を返し天幕の出口へ向かう。
その背中が布の向こうへ消えると、指揮所には再び風が天幕を叩く音だけが残った。
方面隊長は胸ポケットに手を入れた。
取り出したのは一本の煙草だ。
男はそれを指先で挟みしばらく眺めていた。
火をつける気はあった。
いや、正確には火をつけたいという欲求があった。
だが、数秒後。
彼は煙草を胸ポケットへ戻した。
戦場で煙草を吸うことには、相応の危険が伴う。
火の光、煙、臭い。
状況によっては敵に自分たちの位置を知らせる手掛かりとなりかねない。
夜間の火種は勿論、風向き次第では煙や臭いが思いもよらぬ距離まで流れることもある。
敵に向かって態々狼煙を上げるような真似をする必要はない。
最も前線の兵士たちが皆、その危険を厳密に守っているわけではなかった。
張り詰めた戦場で煙草は数少ない気晴らしの一つでもある。
緊張を紛らわせ、仲間と短い言葉を交わし、次の戦闘に備えるための小さな習慣。
危険を承知で吸う兵士もいれば周囲に注意しながら火をつける兵士もいる。
規則だけで人間の欲求を完全に押さえ込めるものではない。
それでも方面隊長は吸わなかった。
彼は自分が指揮官であることを自覚している。
部下に規律を求める以上、自らもその模範でなければならない。
些細なことだと切り捨てることもできる。
誰も見ていない場所で一本吸った所で戦局が変わるわけでもないだろう。
だが彼にとっては違った。
軍人として生きると決めた時から、守ると決めた一線がある。
自分に甘くなれば、いずれ部下にも甘くなる。
部下に甘くなれば、戦場では誰かがその代償を払うことになる。
そして仲間が死んだ時……一層哀しみが込み上げてしまう。
だからこその指揮官としての矜持だった。
もっともその矜持が彼を高潔な人間にしているとは限らない。
男は天幕の天井を見上げた。
「チッ……何が士官学校だ」
先ほどの女性士官の顔が脳裏をよぎる。
「あの女は、いまだに埃一つ被ることを知らん。戦線に投入される参謀があれではな……」
彼は鼻を鳴らした。
「連邦では女もそれなりの軍務に就くと聞く。こちらも事を構える前に、そうしたノウハウを会得しておくべきだったな」
そして口元を歪める。
「自慢の乳がただの肉と成り果てるのを嫌うなら、黙って子守りでもしておけばいいものを」
吐き捨てた言葉に返事をする者はいない。
彼の苛立ちは女性士官個人に向けられたものだけではなかった。
現場を知らぬまま参謀として配置される人員。
兵員不足を埋められない上層部。
戦場の実情よりも新型兵器の戦果を優先する軍の方針。
そしてそうした不満を抱えながらも目の前の戦争を続けなければならない自分自身。
だが男はそれらを整理して口にすることをしなかった。
代わりに、最も目についた相手へと苛立ちをぶつけた。
しばらくして天幕の外から複数の足音が聞こえてきた。
先ほどの女性士官が戻ってきたのだ。
彼女は各部隊の責任者を先頭に部隊長、参謀、幕僚たちを引き連れていた。
泥と砂に汚れた軍服。
日に焼けた顔。
疲労を隠しきれない目。
それぞれが異なる場所で戦場を見てきた人間たちだった。
「全員、揃いました」
「入れ」
男の短い返事を受け、彼らは次々と天幕へ入ってくる。
指揮所の中央には長机を何台も並べて作られた巨大なテーブルがあった。
その上には、イラン方面の地形を記した戦略地図が広げられている。
山地、平原、主要道路、都市、河川。
そこに部隊の配置と予想進路を書き込めば、広大な戦場が一枚の紙の上へと縮小される。
しかしその地図の上にある駒一つには、実際には銃を握る兵士達がいるのだ。
誰かが下した判断によって彼らは進み、止まり、戦い、死ぬ。
幕僚の一人である若い男性士官が、薄汚れた軍服の袖で額の汗を拭いながら地図を広げ直した。
何度も前線と司令部を往復してきたのだろう。
襟元には砂が入り込み、靴には乾いた泥がこびりついていた。彼は地図の端を押さえ、方面隊長へ向き直った。
「作戦案を説明します」
彼の目をしっかりと見つめると方面隊長は許可を出した、
「始めろ」
若い士官は地図上の部隊配置を指し示す。
「まずモビルスーツを含む混成大隊を二個、前進させます。主力部隊はモビルスーツ十機、部隊通信車二台、歩兵戦闘車三台を一組とし、これを二個編成。迂回して敵の側面を突く奇襲部隊を南北に分けて投入します」
説明に合わせて彼は地図上へ駒を置いていく。
敵の正面に圧力をかけながら、別働隊が側面へ回り込む。
敵の防御配置を確認しつつ、主力の進出に合わせて包囲の形を整える。
正面からの衝突だけに賭けるのではなく、敵の反応を見てから次の手を決める構想だった。
説明が終わると、女性士官が口を開いた。
「正面火力で突破すればよいのではありませんか?」
声には感情の起伏がほとんどなかった。
「エスファハーンまでの中央部には山地がありますが、両側には平地が広がっています。どちらか一方に戦力を集中して突破した方が、指揮統制を維持しやすいかと」
彼女は地図を見つめたまま、淡々と続ける。
「戦力を分散させれば各部隊が孤立する危険も増します。現状の兵力で複雑な迂回を行うより、集中運用を優先すべきではないでしょうか」
理屈だけを見れば間違いとは言い切れない。
戦力を集中すれば指揮官は状況を把握しやすくなる。
通信が不安定な戦場では部隊を細かく分けるほど統制が難しくなるのも事実だった。
だが方面隊長は彼女の提案を聞きながら内心で舌打ちしていた。
(それを馬鹿というんだ、このアマが)
彼は表情を変えず地図へ視線を落とした。
「それでは敵の切り札が何なのか分からん」
指先で敵側の陣地を示す。
「まずは敵と接触し、正面から飽和攻撃を仕掛ける。連邦が何を隠していようと、主力が機甲戦力であることに変わりはない。ならば今挙げた戦力だけでも敵に圧力をかけることはできる」
男は地図上の駒を動かした。
「敵の反応を見極める、それが先だ。正面突破を試みるにしても敵の戦力も配置も分からんまま突っ込むのは只の博打だ」
女性士官は黙って話を聞いていた。
方面隊長は続ける。
「こちらが想定していない兵器を持っている可能性もある。あるいは……既に配置している戦力そのものに、何か変化があるのかもしれん。敵の動きを確認するまでは迂闊に一点へ全戦力を注ぎ込むわけにはいかん」
それは、先ほど彼が口にした疑念の延長でもあった。
混成師団を一個壊滅させた連邦軍。
その報告が事実なら敵は何らかの手段でこちらの想定を覆している。
新型兵器なのか、巧妙な待ち伏せなのか、あるいは報告に記されていない別の事情があるのか。
今の段階では、何も断定できない。
何せ歩兵戦力が不足しているがあまりに斥候兵、偵察兵を出せないのだ。
情報がない、一切の、何も。
だからこそ、敵の反応を引き出す必要があった。
「幸い、北部の連中は快進撃を続けている」
方面隊長は、地図の北方を指で叩いた。
「黒いやつらが片づけてくれたおかげだな」
それを聞いた数人の士官が、僅かに顔を上げた。
彼らの活躍は方面軍内でも知られていた。
強力なモビルスーツと高い練度を武器に連邦軍を押し込んでいるという。
女性士官が期待を込めて尋ねた。
「黒い三連星をこちらに回して貰うことはできないでしょうか?」
方面隊長は即座に答えなかった。
(馬鹿か)
頭の中で、罵声が飛ぶ。
(奴らの乗りこなすドムはホバー機だ。あの機動力は地形と運用環境が噛み合ってこそ活きる。ここの乾燥した大地で砂塵を巻き上げながら動き回られたらどうなる? 味方の視界まで奪いかねん。自分たちの攻撃で敵が見えなくなったら、笑い話にもならんぞ)
北部で成功している戦術がそのまま南部でも通用するとは限らない。
気候も地形も違えば、補給事情も異なる。
砂塵が舞う乾燥地帯では視界の確保も車両の運用も重要になる。
機動力に優れた部隊であっても、環境に適応できなければかえって味方の足を引っ張ることになる。
方面隊長は短く息を吐いた。
「無理だな。今頃、バイコヌールから直接南進してきた連中と合流しようと、張り切っている頃だろう」
それから、少しばかり声を低くする。
「北部の連中とはマトモに通信も開けやしない」
黒い三連星を含む北部部隊の動向は、こちらから自由に調整できる状況ではなかった。
彼らが戦果を挙げていることは確かでもその戦果の詳細や今後の行動を、イラン方面隊が自在に把握できるわけではない。
ましてや他方面の部隊を勝手に引き抜くことなどできるはずもなかった。
女性士官がそこで口を挟んだ。
「否定から入るのは、どうかと思います」
天幕の中の空気がわずかに張り詰め、何人かの幕僚が彼女と方面隊長を交互に見る。
だが男は意外なほどあっさりと頭を下げた。
「ああ、すまない。そのようなつもりはなかった」
「いえ、構いません」
女性士官はそれ以上追及せず地図へ視線を戻した。
方面隊長もまた、彼女を睨みつけることはしなかった。
内心では相変わらず不満を抱いていたが、ここは作戦会議の場である。
個人的な感情を持ち込んで議論を止めるわけにはいかない。
それに彼女の指摘そのものは間違っていなかった。
部下の意見を聞くことと、その意見を採用することは別だ。
指揮官に必要なのは、反対意見を封じることではなく、採用するか否かを判断し、その責任を負うことだった。
「では作戦案を修正する」
方面隊長は、地図を囲む士官たちを見渡した。
「明日、0600をもって進軍を開始する。各部隊は指定位置へ移動し通信状況を確認。敵との接触後は報告を徹底しろ。予定外の事態が発生した場合、独断で突出することは許さん」
「はっ!」
複数の声が重なった。
方面隊長は、地図上の配置をもう一度確認した。
(本当なら、0500……いや、0430から動かしたいところだが)
夜明け前の移動には利点がある。敵に発見される危険を抑え、進軍開始時点で有利な位置を確保できる可能性もある。
しかし暗闇の中で部隊を動かせば別の問題が生じる。
道に迷う車両、遅れる補給部隊、行き違う部隊、途絶える通信。
砂塵と不慣れな地形が重なれば、なおさらだった。
奇襲の利点を求めるあまり、味方の統制を失っては本末転倒である。
男は不満を飲み込み決定を変えなかった。
「以上だ。各自、部隊への伝達を急げ」
会議は終了した。
部隊責任者や参謀、幕僚たちは書類をまとめると、慌ただしく天幕を出ていった。外では既に次の指示を待つ伝令たちが動き始めている。
彼らはそれぞれの天幕へ戻り、小隊長たちを呼び出してミーティングを始めた。
作戦が決まれば、次は実行のための準備だ。
兵士たちへの命令伝達、車両の点検、弾薬の確認、食料と水の配分、負傷者の搬送手段の確保。
地図の上で決められた一行の命令を現実の戦場で実行できる形に変えていかなければならない。
その一方で女性士官は、指揮所の隣に設けられた女性兵士たちの天幕へ向かっていた。
中には本部通信局に所属する女性兵士たちが集まっていた。彼女たちは女性士官の姿を見るとすぐに気安い声をかける。
「お疲れさまです、大尉」
「会議、長かったですねえ」
「本当に。もう土っぽくて嫌になるわね。水も制限されているし」
女性士官は肩にかかった砂を払った。
「仮設のシャワー室ぐらい設置してほしいですよねえ、男共の汗臭ホントすごいんでこっちの服まで匂いつくんですよ」
「分かります。せめて汗ふきシートぐらい使ってよね」
「贅沢は言わないのにねぇ……」
「そういえば後で話に上がると思うけど明日は0600に実状況開始よ」
「良かった〜! 5時おきで顔面整備の時間ありますね!」
「あ、化粧水切れたんですけど持ってませんか!?」
「あるわよ、タブリーズの外出で買い溜めておいたもの」
女兵士たちは互いに顔を見合わせて笑いあった。
その頃、方面隊長は一人きりになった指揮所で再び胸ポケットに手を伸ばしかけていた。
だが、途中でやめた。
煙草を吸いたいという欲求は消えていない。
彼は舌打ちし、代わりに傍らへ立てかけてあった小銃を手に取った。
(チッ……幕僚相手に美人局ぐらい、全うしたらどうなんだ)
脳裏に浮かぶのは、先ほどの女性士官の姿だった。
男は小銃を膝の上に置き、分解できる部分を慎重に外していく。金属部品が触れ合う小さな音が静かな天幕に響いた。
布で汚れを拭い、各部を確かめ、再び組み上げる。
指先は慣れた動きで進んでいく。
作戦は決まった。
明朝、部隊は前進する。
連邦軍が何を隠しているのかは、まだ分からない。
だが、敵が何を用意していようと、戦場に立つ以上、こちらも備えなければならない。
男は小銃の状態を確認し、最後に遊底を操作した。
乾いた金属音、点検の為の空打ちが砂塵に包まれた指揮所の中で短く鳴った。