地球、それは希望。   作:ふじら

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第7話 変化

 エスファハーン迎撃戦における戦果報告

 報告者:ジャミトフ・ハイマン大佐

 所属:地球連邦軍 中東・インド亜大陸方面軍

 発生日:宇宙世紀0079年9月23日

 作戦地域:イラン高原・エスファハーン周辺地域

 作戦区分:防御作戦

 

 第一項 作戦概要

 9月23日中東・インド亜大陸方面軍中央司令部及び南西方面隊はエスファハーン周辺地域に進攻したジオン公国軍中東・アフリカ方面軍イラン方面部隊に対して迎撃及び防御戦闘を実施した。

 

 敵部隊はモビルスーツ(以下、MS)を主力とし、戦車その他の支援車両を随伴させた複数の部隊によって、連邦軍防衛線への正面攻撃及び側面攻撃を試みた。

 

 これに対し連邦軍は歩兵部隊、対MS火器部隊、砲兵部隊及び装甲部隊を各所に配置。

 敵の進撃を阻止するとともに、予備兵力を投入して反撃を実施した。

 

 戦闘は同日午前から午後にかけて各地で発生した。

 連邦軍は一部の防衛部隊に甚大な損害を受けたものの、敵の進撃を阻止。

 航空戦力及び装甲予備兵力の投入によって戦況を優位に転じさせた。

 その結果、敵部隊は当初の攻撃目標を達成できず各方面での連携を維持できないまま後退した。

 

 

 

 第二項 戦闘経過

 中央方面ではジオン軍MS部隊が連邦軍第一主力部隊に対して攻撃を開始した。

 

 敵MSは盾を利用して脚部への損害を抑えながら前進し、手榴弾等を用いて連邦軍陣地の突破を図った。

 

 連邦軍はバルカン砲及び対MS火器による応戦を行ったが、戦闘開始から短時間で相応の損耗が発生した。

 

 その後も各方面で戦闘が継続。

 クーパイエ方面では連邦軍第三主力部隊が敵の攻撃を受け応戦するも、最終的に部隊としての戦闘継続能力を喪失した。

 

 一方、北方及び南方から進攻した敵側面部隊に対しては地形、航空戦力及び装甲予備兵力を活用して対処した。

 

 北方の敵部隊はアルデスターン方面において航空攻撃及び煙幕を利用した戦闘に遭遇し、部隊間の連携に支障を来した。

 更に誘導爆撃によって進路を北方へ変更させられ、当初の進攻計画を維持できなくなった。

 

 南方の敵部隊については連邦軍装甲部隊及び攻撃ヘリコプターによる攻撃を受け、部隊としての戦闘能力を喪失したものと判断される。

 

 以上の戦闘経過から敵はエスファハーン周辺における当初の攻撃目的を達成できず、各部隊の連携を維持できないまま後退を余儀なくされた。

 

 第三項

 本作戦において特筆すべき戦果を挙げたのは特務少尉シンヤ・スガイである。

 同少尉は陸戦用ジムの現地改修機を操縦し、味方装甲部隊及び歩兵戦闘車と協同して、敵MS部隊への迎撃任務に従事した。

 

 同少尉の部隊は、敵MSの進出を利用して近距離から攻撃を実施。

 味方車両による陽動及び支援射撃、煙幕による視界の制限、地形を利用した敵MSの機動阻害等を組み合わせ、敵部隊の注意と行動を分散させたうえで攻撃を行った。

 

 確認された同少尉の交戦に関連する戦果は、以下のとおりである。

 

 敵モビルスーツ:10機撃破、又は戦闘継続不能

 敵歩兵戦闘車:2両撃破、又は戦闘継続不能

 敵通信車両:1両撃破、又は戦闘継続不能

 

 上記は現時点で把握されている戦果であり、撃破と行動不能の内訳については、戦闘記録及び現地調査による追加確認を要する。

 

 同少尉は味方部隊の支援を受けていたとはいえ、敵MSの集中攻撃下においても任務を継続し、短時間の交戦で敵部隊に相当の損害を与えた。

 交戦時間は10分未満と記録された。

 

 また、同少尉の戦闘行動は敵MSの撃破数のみならず、敵部隊の注意を引きつけ、味方部隊が攻撃を実施するための機会を形成した点においても評価されるべきである。

 

 尚、本項の戦果は同少尉単独の成果として扱うべきものではない。

 随伴した戦車及び歩兵戦闘車の乗員、砲兵部隊、航空部隊その他の支援部隊による協同が、任務達成に寄与したことを付記する。

 

 

 第四項

 本作戦に参加したジオン公国軍部隊はエスファハーン周辺での攻撃に失敗し現在、北方ないし西方へ後退したものと推定される。

 

 現地住民からの証言及び偵察部隊による情報によれば、敵部隊の一部はテヘラン方面に所在する友軍部隊との合流を図っている可能性が高い。

 但し現段階で敵部隊の全行動及び合流地点が確定したわけではない。

 

 今後は偵察活動を継続し、敵の後退経路、残存MS数、補給状況及び指揮通信系統の回復状況を確認する必要がある。

 

 特に今回の戦闘で損害を受けた敵部隊が再編成を完了した場合、再度の攻勢に転じる可能性を排除してはならない。

 

 

 第五項 戦訓及び今後の対策

 今回の戦闘は敵MSの機動力及び火力が連邦軍にとって重大な脅威であることを改めて示した。

 一方でMSの性能のみをもって戦闘の帰趨が決定するわけではないことも明らかとなった。

 

 連邦軍は歩兵部隊、対MS火器、砲兵、装甲部隊及び航空戦力を組み合わせることで、敵MSの進撃を阻止し、敵部隊の連携を分断することに成功した。

 

 取り分け敵の視界及び通信を制限し、地形を利用して機動を妨げた上で攻撃を集中させる戦法。これは今後の対MS戦闘においても検討に値する。

 

 但し第三主力部隊が戦闘継続能力を喪失するなど、連邦軍側にも看過できない損害が発生している。

 

 今回の勝利をもって敵MSへの対処が確立したと判断することは早計であり、各部隊の損害調査、戦術の検証及び対MS戦闘訓練の改善を進める必要がある。

 

 シンヤ・スガイ特務少尉については敵MSとの交戦における判断力及び任務遂行能力が確認された。

 

 今後も同少尉の戦闘記録を精査し、機体特性、味方部隊との連携及び交戦時の判断を分析することで、対MS戦闘における有効な運用方法を検討するものとする。

 

 

 

 総合評価

 敵の攻撃は撃退され、エスファハーン周辺の防衛は維持された。

 但し敵残存部隊の再編及びテヘラン方面への合流の可能性があるため、作戦地域全体の安全が確保されたと判断するには至っていない。

 

 以上、報告する。

 地球連邦軍最高幕僚会議 宛

 

 

 

 

 

 

 同日 17時30分

 戦闘終結から、約四時間が経過していた。

 ジャブローへ提出する報告書を作成し終えたジャミトフ・ハイマン大佐は、コンピューターの電源を落とすとゆっくりと椅子から立ち上がった。

 

 司令官室の窓から見えるのは戦闘の余韻が色濃く残る基地の光景だ。

 

 兵士たちは物資の搬送に追われ、整備兵たちは損傷した車両や火器の点検に奔走している。

 

 遠く離れた隔離棟の前では投降したジオン兵捕虜が列をなしていた。

 彼らは両手を上げ、連邦軍兵士の指示に従って一人ずつ施設内へと誘導されていく。

 

 鹵獲した敵MSやマゼラアタックも次々と整備車庫の付近へ運ばれていた。

 敵が残していった弾薬や食糧も回収部隊によってトラックへ積み込まれている。

 

 戦場は確かに連邦軍の手に渡った。

 

 だがそれが意味するものをジャミトフは単純な勝利として受け止めることができなかった。

 

「……潮時か」

 小さく呟き、窓の外から視線を外す。

 

 先の戦闘において、戦術的な勝利を収めたことに疑いの余地はない。

 

 しかしこちらも無傷ではなかった。

 

 クーパイエ方面の第三主力部隊は壊滅。

 生還者は一人も確認されていない。

 

 バスクが率いていた第一主力部隊も損害を受けていたが、より深刻だったのは第二主力部隊である。

 

 敵軍による総突撃を受けて部隊は瓦解し、戦力の約四割を失っていた。

 

 航空戦力の損害も看過できない。

 攻撃ヘリコプターは約半数が撃墜され、攻撃機も三機を失った。

 

 一方、機甲戦力はほぼ無傷に近い状態を保っている。

 

 それ自体は幸いだった。

 

 だが装甲部隊だけで戦争を続けられる訳ではない。

 

 航空兵力が不足し、地上部隊も損耗した現状で次の戦闘に臨むことは危険極まりなかった。

 

「これまでに多くのモビルスーツ部隊を削ることはできた……」

 

 ジオンに損害を与えた。

 

 ジオンの攻勢を挫いた。

 

 エスファハーンを守り抜いた。

 

 しかしそれでも尚、彼らは後退しなければならない。

 

 

 

 

 北部では、黒い三連星と呼ばれるパイロットたちが破竹の勢いで進撃しているという。

 単なるエースパイロットの集団ではない。

 MSの性能を最大限に引き出し、連携によって敵部隊を圧倒する、危険な存在らしい。

 

 北西部方面隊がなぜ音沙汰もなく敗走したのか。

 その情報だけでも、ある程度の説明はついた。

 おそらく彼らは既に北東部方面へ進出し、連邦軍部隊と交戦しているのだろう。

 

 

 

 

「……厄介なことになった」

 

 ジャミトフは机に戻り作戦地域の地図を広げた。

 

 今回の戦闘で敵の戦力を削ることには成功した。

 

 だが戦略的な状況は決して好転していない。

 

 北東部方面隊はすでに敗走している。

 

 バイコヌール方面から南下してきたジオン軍部隊と敵の北方部隊が合流すれば、更に大規模な敵戦力が南下してくることになる。

 

 そしてその進路次第では……。

 

 

 

「背後を突かれる、か」

 最早エスファハーンに固執する意味は薄い。

 

 このまま敵の進撃を待てばせっかく温存した機甲戦力まで失いかねない。

 

 それだけは避けなければならなかった。

 

 更に頭痛の種となっていたのが周辺方面隊からの要求だった。

 

 北東部方面隊と敗走していた北西部方面隊。

 

 彼らは何らかの経路でエスファハーンの戦闘について知ったらしい。

 ジャブロー経由で正式な報告を受けたのか、それとも現地住民の噂が伝わったのか。

 

 真相は分からない。

 

 だが彼らがジャミトフのもとへ寄越した要求はあまりにも身勝手なものだった。

 

 

 

 

 

 

 モビルスーツとそのパイロットを引き渡せ。

 

 

 

 

 

「……自分たちの部隊を立て直すことよりも、こちらの戦果を当てにするか」

 

 彼が吐き捨てるように言った、その時。

 

 コンコンコン。

 

 司令官室の扉がノックされた。

 

「構わん、入れ」

 

「閣下」

 

 入室してきたのはバスク・オム少佐だった。

 

「先程、周辺方面隊からの報告を取りまとめていた所、新たな連絡が入りました」

 バスクは手にしていた書類を机に置いた。

 

 彼はジャミトフが地球連邦軍最高幕僚会議へ提出する報告書とは別に、南ヨーロッパ方面隊、北アフリカ方面隊、南アジア方面隊、極東方面隊など、ユーラシア地域の各方面隊から寄せられる報告の取りまとめを担当していた。

 

「極東方面隊からです。大規模作戦の実施に伴い、救援部隊の派遣を求めてきています」

 

 

 ジャミトフの眉が動いた。

 

「何だと? ジャブローからはそのような情報は流れてきていないぞ」

 

「……やはり、そうでしたか」

 バスクの声には何かを察したような響きがあった。

 

 ジャミトフは彼の顔を見据えた。

 

「詳しく話せ」

 

 バスクは一瞬だけ言葉を選び、それから口を開いた。

「現時点では、極東方面隊が求めている救援の規模も、大規模作戦の詳細も明らかになっていません。但しジャブローから正式な通達がない以上、各方面隊が独自の判断で動き始めている可能性があります」

 

「あるいはジャブローそのものが何かを隠しているか……」

 

「はい」

 

 室内に沈黙が落ちた。

 

 エスファハーンの戦いは終わった。

 

 だがジャミトフにとっての戦争(政争)は、まだ始まったばかりなのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日 18時00分 司令部指定宿舎

 

 一方その頃。

 スガイ、ハナ、リルの三人は、ジャミトフの手配した空き家で過ごしていた。

 

 スガイは椅子に腰掛けリルはその背後に立っている。

 

 そしてハナは、リルの隣で彼女の作業を興味深そうに観察していた。

 

 

「まさに圧倒的撃滅ね! 素晴らしいわ!」

 リルが感嘆の声を上げる。

 

「でしょ? 頑張ったよ」

 スガイは照れくさそうに笑った。

 

「うん! 本当にお疲れさま!」

 ハナも嬉しそうに頷く。

 

「ほんとよくやるわよ、戦後は英雄間違いなし! 流石ね」

 リルがさも自分の事のように喜び、それを見る二人も自然と笑顔になる。

 

 しばらく談笑していると本来の目的を思い出したリルが気持ちを切り替えてパンッ! と手を叩いた。

 

「じゃっ! そろそろやるわよ」

 リルは懐から毛抜きを取り出す。

 

「じゃあいくわよぉ……。痛くない、痛くない〜」

 リルは笑顔で毛抜きを椅子に座る彼の頭に近づける。

 

「いやちょっと待って。何でそんなに楽しそうなの?」

 スガイの不安にリルは答えず毛抜きを構えた。

 

 そして。

 

 

 

 プチッ。

 

「いっ……!」

 

「はい、一本目!」

 

「へっ!? 一本目って……! まだ抜くの!?」

 

 プチッ。

 

「ちょ、リルッ! もう少し……優しく……!」

 

「大丈夫、大丈夫。じっとしてなさいってば」

 

 リルはスガイの頭から一本、また一本と髪の毛を抜いていく。

「いっ!」「いだっ!」

 

 その様子をハナは真剣な顔で見守っていた。

 

 目的は決してスガイを禿げさせることではない。

 

 人体サンプルの回収である。

 

「それにしても髪の毛をサンプルにするなんて……本当に人体実験みたいだね」

 ハナはその光景を見て思ったことを素直に口に出した。

 

「頭が禿げたらどうしよう……」

 スガイが不安げに呟く。

 

「馬鹿ねぇ。それは遺伝的な要因が大きいのよ。家族に禿げてる人がいなければそんなに心配する必要はないわよ。サンプル送るついでに将来禿げる可能性があるかどうかも調べてもらう? すぐ分かるわよ」

 

「そんなことまで分かるんだ……凄いね科学って」

 

「そう? 宇宙世紀が始まる前からとっくに確立されていた技術よ?」

 

「でも……調べるのはいいかなぁ……これで確定ハゲとか出たら悲しいし」

 

「大丈夫、大丈夫! シンヤは髪の毛がなくても格好いいよ! それに、お父さんも髪の毛ふさふさだったし!」

 

「ありがとう……」

 スガイは苦笑しながら礼を言う。

 

「……なーにを見せつけられてんのよ、私は」

 リルがぼそりと呟く。

 

 

 

 

 

「はい、これで終わりねぇ」

 リルは回収した髪の毛を慎重に透明な圧縮袋へ入れ、それを専用のケースに収めた。

 

「さっき書いてもらった心理テストとチェックシートも、まとめて送らせてもらうわ。個人情報だけど……今さらよね?」

 

「うん! 自分の情報がみんなの役に立つなら全然構わないよ」

 

「そう、感謝するわ」

 

 リルはいつもの調子で答えたが、その声にはほんの少しだけ真面目な響きが混じっていた。

 

 

 

 シンヤ・スガイの身体データ。

 

 

 

 心理的な傾向。

 

 

 

 戦闘中の判断能力。

 

 

 

 彼女が集めている情報は単なる好奇心を満たすためのものではない。

 

 万が一億が一に人類の未来を変えることになるかもしれない情報なのだ。

 

 彼女は自分の背負う重さを痛感している。

 

 

 

 

 

「じゃあそろそろご飯にしましょ。今日は食堂も開いてないし自分たちで作るしかないわね」

 リルが手を叩いて言った。

 

「街に出て買い物する? 外食でも良いけど」

 スガイが提案する。

 

「今から外出できるの? もう夕方よ? それに戦闘後の処理もまだ終わっていないでしょう」

 

「あ、そうだね」

 

「でも売店も他のヤツらに買い占められて、今頃何も残っていないでしょうねぇ」

 

「「「うーん……」」」

 

 三人そろって考え込む。

 

 しばらくしてスガイがぽつりと口を開いた。

 

「……あ。ハナは民間人だし、ハナの付き添いってことなら、外出許可をもらえるんじゃない?」

 ふと思いついた彼の発言は視界の外でハナを俯かせた。

 

「それよ!!」

 リルの顔がぱっと輝いた。

 

「よく気がついたわね、シンヤ!」

 

 そう言うなりリルはスガイの頬を指先でつついた。

 

「さっすが私の見込んだ男!」

 

「いや……そこまで褒められることじゃ……」

 

「じゃ! ちょっと交渉してくるわ! 待ってなさい!」

 

 リルは勢いよく立ち上がるとそのまま部屋を飛び出していった。

 

 おそらく僕の担当部署へ外出許可を取りに行ったのだろう。

 

 残された二人は顔を見合わせた。

 

 

 

「……元気だね、リルちゃん」

 

「うん。いつもあんな感じだよ」

 ハナの言葉にスガイは笑った。

 

 けれどハナはすぐには笑い返さなかった。

 

「ねえシンヤ」

 

「どうしたの?」

 

「わたしって……その……」

 

 ハナは膝の上で両手を握りしめた。

 

「軍人さんになったほうが……いいのかな」

 

「え……?」

 

 思いがけない言葉にスガイは目を見開いた。

 

「……リルちゃんも女の子なのに、あんなに頑張ってるし……。わたしと年もそんなに変わらないのにいろんなことを知っていて、ちゃんと自分の仕事をしていて……」

 ハナは目を泳がせる。

 

「わたしだけ、何もできないままでいいのかなって」

 

「ハナ……」

 

「司令官さんに……言ったほうがいいよね。わたしも軍人になりたいって」

 

 その言葉を聞いてスガイはしばらく黙っていた。

 

 彼女が何を考え何に悩んでいるのか。

 

 その気持ちは自分の尺度とはいえ痛いほど理解できた。

 

 けれど、だからこそ。

 

「ハナ」

 

 スガイは静かに彼女の名前を呼んだ。

 

「俺は……ハナを守るために、軍人になったんだ」

 

「あっ……」

 ハナの頬が、わずかに赤く染まった。

 

「だから……俺のわがままかもしれないけど、ハナには軍人になってほしくない」

 スガイは言葉を選びながら、ゆっくりと続けた。

 

「土にまみれて、傷ついて、血を流して……人を傷つけたり、殺したりするようなことを、ハナにはしてほしくないんだ」

 

 戦場で何を見たのか。

 

 どれだけの恐怖を味わったのか。

 

 それをすべて言葉にすることはできなかった。

 

 けれどスガイは知っていた。

 

 戦場は、死んで行った者達の魂と殺した敵兵の人生を背負って行かねばならないということを。

 

 

 

 ハナはゆっくりと顔を上げた。

 

 彼の感情は彼女がスガイに対して抱いていた願いと同じだった。

 

 どうか、もう傷つかないでほしい。

 

 どうか、無事に帰ってきてほしい。

 

 だからこそ、彼の言葉は彼女の胸に響いた。

 

「……そう、なんだね」

 

「うん、そうなんだよ」

 スガイは少しだけ笑った。

 

「だから……これは俺のわがままだけど、ハナはハナとして生きてくれればいいよ」

 

「うん……わかった」

 ハナは小さく頷いた。

 

 二人の間に、静かな沈黙が訪れる。

 

 窓の外からは、遠くで作業を続ける兵士たちの声が聞こえていた。

 

 それでもこの部屋の中だけは時間が止まったかのように穏やかだった。

 

「あ、あの……」

 やがてハナが口を開いた。

 

「ごめんね、急にこんな話をして……それから……ありがとう」

 

「ううん、大丈夫大丈夫! 気にしないで!」

 スガイは慌てて手を振った。

 

 けれどハナは顔を上げたまま彼を見つめていた。

 

 スガイもまた彼女の視線に気づき目を合わせる。

 

 

 互いに何かを言おうとして、言葉が出てこない。

 

 

 ただ相手のことをもう少しだけ近くに感じていたかった。

 

 

 二人の間に言葉では説明できない空気が流れ始める。

 

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 

 バンッ!!

 

 

 

 

 

「外出証! もらってきたわよーー!!」

 

 勢いよく扉が開いた。

 

「ちゃあんと三人分! どれどれぇ〜! 私を褒めなさい!!」

 

 リルは満面の笑みで室内に飛び込んできた。

 

 そして彼女が想像としてなかった光景を目にする。

 

 

 

 見つめ合うスガイとハナ。

 

 

 

 互いに頬を赤らめ、明らかに何かを言いかけていた二人。

 

 

 

 部屋に満ちる、どう考えても自分の入ってくるべきではなかった甘ったるい空気。

 

 

 

「…………」

 

 

 

「「…………」」

 

 

 

 三人の時間が止まった。

 

 やがてリルはすっと表情を消し、心做しか目の輝きも消えていた。

 

「失礼するわ」

 彼女は静かに、そしてスムーズに扉へ手をかけた。

 

「待って待って! 違う!! 違うよ!!」

 スガイが慌てて立ち上がる。

 

「そうだよ! 私たち何もないから!」

 ハナも慌てて弁解した。

 

「何もないからって! そんな言葉を信用できるわけないでしょ!!」

 リルが振り返った。

 

「なんでたった数分でこんな甘ったるい雰囲気になってるのよ!? 私はお邪魔!?」

 

「お邪魔じゃないよ! リルは必要な子だよ!!」

 

「そうだよ! リル、落ち着いて話を聞いてほしいんだ!」

 

「二人揃ってこんなときだけおだてても知らないわよ!!」

 

 リルは腕を組み、ぷいっと顔を背けた。

 

「どうせ私はお邪魔虫よ! せっかく外出許可を取ってきてあげたのに! まったく、やってられないわ!」

 

「ち、違うってば! ね、ねえ、ハナ!?」

 

「う、うん!! そ、そうだよ! リルちゃん、早く準備しよう! ね!? 隣の部屋で一緒に準備しよう?」

 ハナは慌ててリルの手を取った。

 

「何よ! どうせ私はお邪魔虫よッ!」

 

「そんなことないから!! ね!? ほら! 行こう?」

 

「……ふんっ!」

 リルは不満げに頬を膨らませながらも、ハナに手を引かれて隣の部屋へと連れていかれた。

 

 最後までスガイをじとりと睨みつけるのを忘れずに。

 

 そして扉が閉まった。

 

 

 

 彼は一人になる。

 

 

「……はぁ」

 

 スガイは椅子に腰を下ろし、天井を見上げた。

 

「……苦しそうだった」

 

 先ほどのハナの表情が脳裏によみがえる。

 

 何もできない自分が嫌なのだろう。

 

 自分だけが守られる側にいることに、引け目を感じているのかもしれない。

 

 けれど自分にとっては。

 

 彼女が無事に生きていてくれること。

 

 戦場の血や泥にまみれず、普通の女の子として笑っていてくれること。

 

 それこそが何よりも大切だった。

 

「……ごめんね」

 

 誰に聞かせるでもなく、スガイは呟いた。

 

「いつも、自分勝手でさ」

 

 

 

 

 そしてもう一人。

 

「リルも……苦しそうだったなぁ」

 

 いつも明るく、何事にも物怖じせず、思ったことを遠慮なく口にする少女。

 

 その彼女が、ほんの一瞬だけ見せた、卑屈な表情。

 

「どうせ私はお邪魔虫よ」

 

 あの言葉はただの冗談だったのだろうか。

 

 それとも。

 

 スガイは二人が出ていった扉を見つめた。

 

 ハナが何を恐れ、何を望んでいるのか。

 

 幼馴染で長く一緒にいたのに何も気づかなかった。

 

 リルが何を考え、何を抱えているのか。

 彼女は自分を知ろうとしてくれてるのに自分は彼女を知ろうとしてなかった。

 

 

 今まで目の前の戦闘を生き抜くことばかり考えていた。

 

 けれどそれだけでは駄目だ。

 

 二人が自分にとって大切な存在であるならば、彼女たちのことをもっと知らなければならない。

 

 守るということは、ただ危険から遠ざけることだけではないのだから。

 

「……もう少し、二人のことを知ろう」

 シンヤ・スガイは静かに決意した。

 

 戦場では知ることのできなかったものを。

 

 銃声の届かない場所でしか見えない、二人の本当の姿を。

 

 これから、少しずつ。

 

 少しずつ。

 

 

 

 

 

 17歳の少年に重く伸し掛る、胸を引き裂くような異端な環境。

 

 彼はそれを否定せず真っ向から肯定し受け止めたのだった。

 

 

 

 

 





素人分ながら読んでいただきありがとうございます。
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