ウマ娘の語り場 作:湯豆腐ラーメン
麺を啜る音が店内に響く。
僕は食べる手を止めて、隣で食事をする自身の担当ウマ娘ーーーーエフフォーリアに声を掛ける。
「あの……エフフォーリア、1ついいかい?」
湯気の向こうで、彼女の箸が『ぴたり』と止まる。
「? 如何かしたのですか、トレーナーさん?」
フォーリアは不思議そうな様子で此方を見ており、その瞳は曇り一つ無く、真っ直ぐに僕を映していた。
「その……若しかしてお口に合わなかったかな?」
「何故、急にその様子な事?」
「いやぁ……さっきから黙って食べていたから……悪い事しちゃったかなぁって思っちゃって……」
我ながら情けない声音だった。
フォーリアの実家はレース界の名門一家であり、其処の令嬢である彼女としては、小洒落た喫茶店でコーヒーと甘いパンケーキを食べながら過ごす方が、正直良かったのかもしれない。
そう思い至ったのは、この店に彼女を連れてきた直後の事。
カウンター越しに湯切りをする主人の姿、壁に貼られた品書きの活字油の匂いが染みついた換気扇----どれもこれも、名家の淑女が日常的に触れる物ではないだろう。
僕は彼女のトレーナーとしてレースのことは勿論、日常のコンディション管理にも気を配る立場だが、今日ばかりは、『自分の選択が少々軽率だったのではないか?』という後悔が、ラーメンの湯気と一緒に胸の内でむくむくと膨らんでいた。
黙って箸を動かす彼女の横顔はどこか神妙ですらあって、それが余計に僕の不安を煽った故の結果が、先程の問い掛けだった。
しかしそんな僕の杞憂を払拭する様に、フォーリアは一瞬ポカンとした様子を見せ----すぐに『ふわり』と苦笑を浮かべた。
「えっ……フォーリア?」
「御免なさい。 大丈夫です、とても美味しいですよ」
彼女の声は静かで、それでいて良く通る。
厨房から聞こえる鍋の音や他の客の談笑が背景に退いていく様な----澄んだ響きがあった。
「ただ私自身、ラーメンは小さい頃に一度だけしか食べた事が無かったので……つい集中して味わっていたんです」
そう言って、彼女は箸を置き小さく息を吐いた。
その仕草には、名家の令嬢らしい所作の美しさと年相応の無邪気さが同居していた。
確かに御嬢様であるフォーリアがラーメンを頻繁に食べるイメージが僕には想像が出来無い為、少しだけ不安な気持ちもあったのだけれど——彼女の返答に、僕はほっと胸を撫で下ろしてしまった。
「小さい頃に一度だけ……というと?」
「はい。 家族で出掛けた際に、父が『偶にはこういう『庶民的な物』のも良いだろう』と。 普段は食卓の作法にも厳しい父でしたが、その日だけは少し無茶をしてくれたのだと思います」
懐かしむように目を細めるフォーリアの横顔に、僕は名門の令嬢としてではなく、一人の少女としての彼女の姿を垣間見た気がした。
『使命』や『運命』と言う言葉を常に胸に抱える彼女にも、こんな柔らかな記憶があるのだと思うと、なんだか嬉しかった。
「それに……」
と、エフフォーリアは店内の厨房や他の御客さんの方に目を向けながら、優しい眼差しで続けた。
「このお店の御主人やスタッフさんの丁寧な姿勢、食事をするトレーナーさんや他の御客さんの笑顔を見ていたら、皆さんのこのお店への愛情を深く感じさせられました」
その言葉に、僕は思わず店内を見回した。
カウンターの向こうでは、白い鉢巻をした主人が丁寧にスープの脂をすくっている。
若い店員は、常連らしき客の「いつもの」という一言に笑顔で頷き、手際よく湯切りをしていた。
壁際のテーブルでは、作業服姿の男性が仲間と笑い合いながら餃子を頬張っている。
窓際の席では、高校生くらいの女の子がレンゲにスープを注いで慎重に口へ運んでいた。
(……そうか)
フォーリアはただ麺を味わっていただけじゃなく、『この店の空気その物』も丁寧に受け取っていたのだと、漸く僕は気付いた。
「『ラーメン』とは、器の向こうに人の営みが見えるのですね。 一杯の椀の中に、お店の方の想いや此処に集う人々の日常が溶けている。 ……何だか、とても温かい気持ちになります」
フォーリアの言葉や様子から、僕は彼女のこの店に対しての正直で純粋な想いが伝わるのを感じた。
『レースマシーン』と評されることもある彼女だが、その実こんなにも周囲の温度を敏感に感じ取る心を持っている。
ストイックな言動の裏にある、彼女の『優しさ』と『誠実さ』。
それをこうして間近で見られることが、トレーナーとして----否、1人の人間として、とても嬉しかった。
「……有難う、フォーリア」
僕は思わずそう言っていた。
「え? 何故、お礼を?」
「いや、その……うん。 『君にこの店を紹介して良かったな』って思ったら、嬉しくなっちゃってね……」
「……ふふ。 では、私からもお礼を言わなければなりませんね。 素敵なお店に連れてきてくださって、誠に有難う御座います。 トレーナーさん」
フォーリアはそう言って再び箸を手に取る。
その動作はやはりどこか品があって、けれど今は先程までの緊張は微塵も感じられなかった。
「では、続きを頂きますね」
「うん、どうぞ」
再び麺を啜る音が響くが、今度の方は先程よりもずっと心地良く僕の耳に届いた。
湯気の向こう側で、フォーリアの頬がほんのりと緩んでいるのを、僕は見逃さなかった。
その時見せた彼女の笑顔は、僕の心のアルバムに永遠に刻まれる様な忘れられない物だった。
☆☆
「改めまして……今日は素敵なお持て成しを、本当に有り難う御座います」
「いや……別にそこまで大した事はしてないよ」
帰り道の途中でのフォーリアからの感謝の言葉に対し、僕は落ち着いた様子で応える。
本当はもう少しロマンのある所で食事と考えていたけど、諸々の事情で予定と違った形の物になってしまって『失敗したな』と言うのと、彼女の予想外な高評価と感謝への混乱の気持ちが混ざった感じになっている。
「あの……」
「如何したの?」
「若しまた機会がありましたら……また2人で『あのラーメン屋』で御食事をしませんか?」
「へっ?」
「……ダメですか?」
そう切なそうな表情で語るフォーリアの姿を見たら、僕の『答え』は1つしか無い。
「勿論、良いよ」
「! 有り難う御座います!」
彼女の笑顔を見たら、悩んでいたのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「それと……もう1つ良いですか?」
そう言って、フォーリアは右手を差し出す。
その意図を察して、僕も迷わず自分の左手を差し出した。
今回の偶然の失敗は、結果的に僕達の仲をより深める物となった。
でも、今度の時はキチンとしたお持て成しで君の事を楽しませるから、その時は宜しくね。
(……いかんいかん。 今は残り少しだけの『2人きりの時間』を、ゆっくり味わいますか)
内心そんな事を思いながら、僕等はお互いの温もりを感じながら、寒空の下の帰り道を歩いて行った。