「たかが僕たち生徒相手に、これだけの人数が待ち伏せしてるってことは、こいつらは下っ端で大したことない──僕を殺したいなら、この10倍は用意してくるんだったね」
わざと大きな声で言って、口の端を吊り上げる。
山岳ゾーンの岩場には、10人を超えるヴィランが散らばっていた。岩石のような皮膚を持つ男、筋骨隆々の大男、異様に長い腕を持つ男。背中から棘を生やした者もいる。
ただ、肉体強化系や異形系との相性は悪い。まともに殴っても効かない相手に、持久戦を挑むのは愚策だ。
しかも、背後には八百万と葉隠がいる。僕だけ逃げるわけにはいかない。
「東雲さん、あまり刺激しない方が......!」
「そうだよ!みんな、すっごく怒ってるんだけど!」
「それでいいんだ。狙われるのが僕なら、2人は準備する余裕ができるから」
「ですが!」
「八百万は道具の準備を。葉隠は周囲の敵を教えて。危なくなったら無理をしないこと」
2人が頷いた直後、大男が地面を蹴った。
「クソガキが、舐めた口利いてんじゃねえ!」
振り下ろされた拳を半歩ずれてかわし、脇腹へ蹴りを入れる。鈍い手応え。筋肉というより、詰まった土のうを蹴ったようだった。
「おら、もう一発殴ってみろ!」
「遠慮しておくよ。硬すぎて僕の拳が可哀想だ」
「東雲さん、右上ですわ!」
八百万の盾が、岩棚から飛んできた棘を受け止めた。
「左にも2人!奥の人、石を持ち上げてる!」
葉隠の警告に合わせて転移する。僕の立っていた場所へ巨石が落ち、岩肌に細かな亀裂が走った。
──こうするしかないか。攻撃がきかないなら話にならない。
「八百万。短いナイフを1本、作ってもらえる?」
「......ナイフ、ですか?」
八百万は目を伏せてから、覚悟を決めたように腕を伸ばした。皮膚から、握りやすい小型のナイフが創造される。
長腕の男が起き上がって突進してきた。伸びた腕を払って間合いへ入り、僕は──感情を押し殺した。
次の瞬間、男が片目を押さえて地面に転がった。
「ぎゃああっ!目が!俺の目がっ!」
悲鳴が岩場に響く。ほかのヴィランたちの動きが、ぴたりと止まった。
胃の奥が冷えた。喉元まで何かが込み上げてくる。今すぐナイフを捨てたい。
......駄目だ。
吐くな。我慢しろ。言葉を紡ぎ続けろ。
相手の怒りを買うんじゃない。戦意を削ぐ言葉を。次は自分がそうなると思わせるんだ。
「どうしたの?まだ片方あるでしょ。そんなに慌てなくてもいいのに」
「て、てめえ......!」
「──君たち全員、今後は暗闇の人生を過ごさせてあげるよ。光のない人生なんて、響きがかっこいいじゃないか」
無理やり笑ってみせる。ナイフを口元へ運び、刃をひと舐めした。冷たい金属の感触に、今度こそ吐きそうになった。
最悪だ。何をやってるんだ、僕は。こんな戦い方をしないといけないなんて──本当に最悪の気分だ。
「こいつ、頭おかしいぞ!」
「今さら?大勢で高校生を殺しに来た人たちに言われてもね」
一歩、前へ出る。
何人かが、反射的に一歩下がった。
......よし。効いている。
そこからは、別人になったつもりで戦った。
素早く動ける相手にはテレポートで背後を取り、硬い相手には関節や足元を狙う。逃げ道を塞ぐように立ち回り、数人の脚の腱を切って追撃を封じた。
「う、動かねえ......!」
「二度と歩けない身体になりたいんだ?だったら最初からそう言ってくれればよかったのに」
唇が震える。笑え。まだ笑っていろ。大丈夫。大丈夫だから。
相手が傷つくたびに胸の内側が軋む。でも、恐怖に負けて逃げ腰になった敵が増えると、その分だけ八百万と葉隠の危険は減っていく。
「おい、何ビビってんだ!ただのガキだろうが!」
仲間を傷つけられて逆上した男が突進する。僕が身をかわしたところで、八百万の声が飛んだ。
「東雲さん!その先の岩陰へ誘導してください!」
「了解。葉隠、左側から気を引ける?」
「うん!任せて!」
敵の注意を僕が引きつけ、葉隠が岩陰で小石を蹴る。背後の音に敵が気を取られた瞬間、八百万の作った捕縛ネットが頭上から落ちた。
「ぐっ!何だこれ!」
「八百万、上出来!」
「まだですわ!奥の3人が来ます!」
八百万は冷静だ。今の僕が何をしているか、きっと怖いはずなのに。必要な道具を作り続け、声を張り上げてくれている。
2人が勇気を出してくれている。僕も止まるわけにはいかない。
大男が巨石を持ち上げ、こちらへ投げつけた。
「まとめて潰してやる!」
落下先には葉隠がいた。
「葉隠、伏せて!」
僕は転移して、宙に浮いた手袋を掴んだ。そのまま葉隠を連れて離れる。直後、巨石が地面へ激突し、細かな破片が散った。
「た、助かったぁ......!」
「怪我は?」
「ない!東雲くんは!?」
「僕も平気。まだ頑張れる?」
「もちろん!」
笑って頷く彼女の顔は見えない。でも、声には確かな強さがあった。
「八百万!さっきのワイヤー、もう一度お願い!」
「はい!岩棚の間に張ります!」
僕は大男の正面へ躍り出た。
「おいでよ。さっきの拳、全然当たらなかったからね」
「ぶっ殺す!」
突進が始まった瞬間、僕は転移した。大男の脚にワイヤーが引っかかり、巨体が前へ傾ぐ。さらに葉隠が岩陰から石を投げ、注意を逸らした。
その隙に側面から飛び込み、顎へ蹴りを打ち込む。巨体が地面へ倒れ、ようやく動かなくなった。
周囲を見回す。立っているヴィランは、もういない。
「......終わった、かな」
自分の声が、変に掠れていた。
気が抜けた途端、身体が震え始める。
さっきの悲鳴。倒れた男の顔。刃についた血を口元へ運んだ感触。全部が一度に押し寄せてきた。
「......っ、う」
口を押さえたけど、間に合わなかった。
岩陰に膝をつき、胃の中のものを吐き出す。
「東雲さん!?」
「大丈夫!?」
「......ごめん。ちょっと、気持ち悪くて」
八百万が背中をさすり、葉隠が水を渡してくれた。受け取って口をすすぐ。何度すすいでも、不快な感覚は残ったままだった。
僕が、人の目や脚に取り返しのつかない傷を負わせた。
必要だった、とは簡単に言いたくない。必要なことだったとしても、平気なふりはできない。
「......八百万、葉隠」
「何でしょう?」
「連中の拘束をお願い。動ける奴がいたら近寄らずに教えて。ひどい怪我の奴は、危険がなければ応急処置もしてほしい」
「分かりましたわ。ですから、東雲さんは休んでいてください」
「うん。少しだけ......」
岩壁へ背を預け、そのまま横になった。空を見上げると、USJの巨大な天井が遠くに見えた。
耳郎は、どこにいるだろう。
早く探しに行かなければ。そう思うのに、身体が言うことを聞かなかった。
目を閉じる。
ほんの少し、呼吸を整えるだけ。
そう思ったのが、間違いだった。
「おい。動くんじゃねえぞ」
聞き覚えのない声で目を開けた。
八百万の背後に、作業服姿の男が立っている。その腕には電気の走る機械のようなものが巻きついていた。
男は八百万を後ろから捕まえ、指先を首筋へ押し当てている。
青白い火花が、ぱちりと弾けた。
「動いたらこの女に電気を流す。死なせたくなきゃ、じっとしてな」
「東雲さん!来てはいけません!」
立ち上がりかけた身体が止まる。
さっき倒した敵の中に、こんな奴はいなかった。どこから現れた?いや、最初から隠れていたのか。
「そこの透明女もだ。余計な真似したら、この女がどうなるか試してみるか?」
男が突然、岩陰へ怒鳴った。宙に浮いた手袋がぴくりと止まる。
「っ......!」
葉隠は動きを止めた。
「隠れてたのか?」
僕が尋ねると、男は楽しそうに笑った。
「おうよ!最初っからな!俺は通信をジャミングする役だったから、こんな岩場で待機させられてたんだ。暇だったけど、お前のおかげで面白かったぜ!」
「そう言ってもらえると嬉しいね。ついでに八百万を放してくれると、もっと嬉しいんだけど」
「いやいや!お前、すげえよ。仲間の目を傷つけて、脚も使えなくして、あんな楽しそうに笑いやがってさ!ガキとは思えねえ!」
男は八百万の肩を掴んだまま、愉快そうに肩を揺らした。
「でもよぉ、全部終わった途端にゲロ吐いてたじゃねえか。ハハッ!あれ、演技だったんだろ?本当は怖くて仕方なかったんだろ?」
......よく見てるな。
「だったら、何?」
「感心したのさ。仲間を守るために狂人になったふりをするなんて、なかなかできねえぜ。だから、もう一度見せてくれよ。その覚悟ってやつを」
指先の電気が強くなる。八百万の肩が小さく跳ねた。
「お前、見える場所に瞬間移動するんだろ?だったら、その目を失えば厄介な個性も封じられる」
男は唇を歪めた。
「自分の手で、両目を抉れ。そうしたら、この女共は生かしてやる」
「なっ......!そんな要求、絶対に受け入れてはいけませんわ!」
「黙れ!お前に選ぶ権利はねえ!」
僕は男と八百万の位置を確かめる。
テレポートで懐へ飛び込むことはできる。でも、密着している相手が八百万を傷つける前に確実に止められる保証がない。
なら、残された方法は。
一瞬、八百万と目が合った。
入学初日に出会ってから、まだ日が浅い。それでも、僕の中で彼女が大切な存在になっていることは確かだ。
確実な賭けじゃない。むしろ、無謀寄りだ。
それでも、あいつの約束を信じるよりは、まだ勝算がある。
「......分かった」
「おっ、聞き分けいいじゃねえか!」
「両目を抉る──けど、1分だけ時間が欲しい。最後に光ある世界を目に焼き付けたいんだ」
「東雲さん!?」
「何言ってるの!?駄目だよ、そんなの!」
「ハハハッ!最後の景色ってか!いいねぇ、芝居がかってて!いいぜ、1分くらいくれてやるよ!」
「ありがとう。葉隠、お願いだから今は動かないで」
「でも......!」
「君にも怪我してほしくないんだ」
葉隠の手袋が、ゆっくり下がった。
僕は八百万へ視線を戻す。
「八百万。僕たちが初めて会った日、覚えてる?」
「......え?」
「教室で分厚い本を読んでいたよね。僕と耳郎が入ったら、すぐ挨拶してくれた」
「耳郎が変に緊張していたから、君が耳郎のイヤホンジャックを褒めてくれたことも覚えてる。ありがとう」
「東雲さん......」
「そのあと君の個性の話になった。分子構造のことや材料の組み合わせのことを語る君が、本当に楽しそうでね。僕もつい質問しすぎちゃった」
「......わたくしも、あの時間が楽しかったですわ」
「うん。戦闘訓練でもそうだった。最初の作戦を変更するとき、君は僕の提案をちゃんと聞いて、もっといい方法を考えてくれた。頼もしかったよ」
男が苛立ったように舌打ちする。
「おい、思い出話は終わりか?」
「もう少し。まだ1分経ってないでしょ」
「チッ......さっさとしろよ」
「委員長に選ばれたときも、君は自分に務まるか不安そうだった。でも、僕は少しも疑ってなかった。君は周囲を見て、必要なことを考えて、人のために動ける人だから」
「今日のバスでも話したよね。耳郎が人を探して、君が必要な道具を作って、僕が助け出す。3人でなら、きっといい仕事ができるって」
「僕は、努力家で、頭が良くて、真面目で......なのに、時々自分に自信が持てない君が好きなんだ。そんなときは、僕が隣で大丈夫だよって言ってあげたい」
「......そんな......!」
「君の命と僕の目が等価なら、安い買い物だね。でも、できれば君と、これからもいろんな景色を見たかったかな」
涙が八百万の頬を伝った。
「好きだよ、八百万。僕みたいな浮気者を受け入れてくれるなら──2人目の女になってくれないかな?」
「え......?2人目?あれ?」
葉隠が混乱した声を漏らす。
八百万は唇を震わせていた。すぐには答えられない。それでいい。返事を急かすつもりはない。本当の気持ちでなければ、意味がないから。
「......ずるい、ですわ」
「うん。自覚はあるよ」
「こんな状況で、そんなことをおっしゃるなんて......本当に、ずるいです」
八百万は目元を拭い、僕を見た。
「わたくし、東雲さんとお話ししている時間が好きでした。個性を褒めていただいたことも、戦闘訓練で信じてくださったことも、ずっと覚えています」
「......うん」
「でも、耳郎さんは大切なお友達です。お二人が恋人同士だと知っていましたから、この気持ちを認めてはいけないと思っていたんです」
「そうだったんだね」
「それでも、今日あなたが目を失うかもしれないと考えたとき、嫌だと思いました。友人としてだけではありません。わたくしは......あなたに、ずっと隣にいてほしいんです」
彼女は涙を浮かべたまま、微笑んだ。
「わたくしも、司さんが好きです。耳郎さんのことも大切にしたい。そのうえで、わたくしもあなたの恋人になりたいと思っています」
「ですから......はい。喜んで、お受けいたしますわ」
胸の奥で、何かが静かに弾けた。
熱い。
いや、熱とは違う。身体の隅々まで、今まで眠っていた何かが目を覚ましていくような感覚。
本命人数、2人。
【共鳴恋情(チェーン・レゾナンス)】が、次の段階へ進んだ。
能力の変化が、詳細に把握できてる?ああ、ヒーリング・タッチまで成長してくれたのか。
テレポート。半径100メートル以内への転移、触れている相手との同時転移に加え、半径50メートル以内の視界に映る相手や物体と、自分の位置を交換できるようになった。
ヒーリング・タッチ。軽い怪我や疲労だけでなく、骨折や捻挫程度の負傷まで治癒できる。それに、自分や触れた相手の身体の状態、個性の性質まで把握できる感覚が加わった。
そして、新しく解放された能力。
【四神】
その名が示すのは、四方を守る神獣の力。青龍、朱雀、白虎、玄武。けど、今の僕が扱えるのは、そのうちのひとつだけらしい。
【白虎の力】。
全身の筋力や反射速度、跳躍力などを強化し、風を操る能力。走れば風を纏い、踏み込めば地面の砂が舞う。単なる身体能力の増加だけではなく、空気そのものへ働きかけられるようだ。
......なるほど。
使い方は感覚的に分かる。でも、どれほど強くなったのかまでは分からない。ここで全力を出すのは危険だ。
「おい、時間だぞ!何にやけてやがる!」
男の指先が、また青白く光った。
「うん。ありがとう。待ってくれて」
僕は男を見据えた。
次の瞬間、位置が入れ替わった。
「......は?」
僕は八百万のすぐそば。男は、さっきまで僕が立っていた岩壁の前。八百万を掴んでいた腕は、もう彼女へ届かない。
「八百万、下がってて」
再びテレポート。
男の目の前へ現れ、強化された身体で蹴りを放った。威力を抑えたつもりだったのに、風が唸り、男の身体が岩壁まで吹き飛ぶ。
「ぐはっ......!」
鈍い音を立てて倒れ、男は動かなくなった。
......危ないな。
これ、想像以上だ。
「東雲さん!?今のは、いったい......!」
八百万が駆け寄ってくる。僕は軽く肩を回し、膝を曲げてから小さく跳んだ。地面を蹴っただけで、身体がふわりと浮く。足元で風が巻き、砂が舞い上がった。
「さあ、愛の力らしい。僕自身、まだよく分かってないんだけどね」
「え!?2人目!?耳郎ちゃんは!?え、どういうこと!?」
「葉隠、落ち着いて」
「落ち着けないよ!告白したら急に強くなるなんて、どういうこと!?」
まあ、そうなるよね。
八百万は僕の顔を見つめたまま、少し迷うように口を開いた。
「......司さん。ひとつだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「何かな?」
「もし、わたくしがお断りしていたら......本当に、ご自分の目を犠牲にするおつもりでしたの?」
僕は一呼吸置き、頷いた。
「必要なら、目を失うくらい受け入れるよ。八百万の命には代えられないからね」
「っ......!そんなこと、簡単におっしゃらないでください......!」
そんな中、葉隠はすっかり混乱していた。浮いている手袋が、忙しなくぐるぐる回っている。
僕は崖の向こうに視線を向ける。
耳郎は、どこに飛ばされたのだろう。
「八百万、葉隠。悪いけど、ここにいる敵の拘束をお願いしていい?無理なら距離を取って、先生たちが来るまで待ってて」
「司さんは?」
「シレッと名前呼びになってる.....」
「別のエリアを見てくる。耳郎も心配だし、助けを必要としてる人がいるかもしれないからね」
「おひとりで......」
「大丈夫。今なら、前よりずっと早く移動できそうだから」
八百万の手を軽く握った。
「あとで会おう」
「......お気をつけて、司さん」
「ありがとう」
「え、待って!?どういう状況なの!?」
葉隠の叫びを背中で聞きながら、僕は崖へ走った。
そして、そのまま飛び降りる。
「司さん!?」
八百万の悲鳴が遠ざかる。
空気へ意識を向ける。風が身体を支える感覚。岩を蹴り、着地し、また跳ぶ。危険な場所では短いテレポートを挟む。
山岳ゾーンの険しい斜面を、信じられない速度で駆け下りていった。
いったん中央広場に戻ろう。相澤先生や13号なら、生徒の居場所について何か分かるかもしれない。
そのとき、聞き慣れた声がした。
「......司?」
心臓が跳ねた。
中央広場から水難ゾーンに続く通路の陰に、耳郎がいる。近くには緑谷、蛙吹、峰田の姿も見えた。4人で身を隠し、中央広場の様子を窺っているみたいたま。
よかった。
そう思った直後、手で顔を覆った青白い男が、彼女たちへ近づいていることに気づいた。
顔に手をつけた気色悪い敵の手が、耳郎へ向かって伸びる。
考えるより先に、テレポートしていた。
着地と同時に身体をひねり、男の横腹へ蹴りを叩き込む。
「がっ......!?」
男は横へ吹き飛び、床を転がった。
「司!?」
耳郎が目を見開く。
「無事でよかった。怪我は?」
「ウチは大丈夫!それより司、どこにいたの!?」
「山岳ゾーンだよ。話はあとでね」
振り向いたとき、異様な光景が目に入った。
脳がむき出しの巨体が、相澤先生の頭を掴んで床へ押しつけている。先生の身体はほとんど動いていない。
「......っ!」
再び転移する。
巨体の腕に触れないように間合いを見極め、先生の身体を抱えた。そのまま、広場の端の壁際へテレポートする。
「東雲......お前......」
「遅くなってすみません」
肩を支えながら、ヒーリング・タッチを使う。
指先から伝わってくる情報が、以前よりずっと鮮明だ。骨折、打撲、関節の損傷。傷ついた組織の状態が、まるで透視しているみたいに分かる。
「先生、軽くですけど治癒します。少し我慢してください」
この重症を完全回復は無理だ。それに、今は時間もない。
「......分かってる。お前の回復の個性だろ」
「それより......お前、顔色が悪いぞ......」
「色々ありました。詳しいことは、あとで報告します」
「なら、まずは......安全な場所へ行け......」
「先生こそ。あまり無理しないでください」
強化された治癒能力でも、すべての傷を一瞬で治せるわけじゃない。骨折や関節の損傷を優先して修復し、重い負傷は残ると判断したところで手を離した。
相澤先生は、少しだけ楽になったように息を吐く。
「......助かった」
「どういたしまして。先生は休んでいてください」
広場へ向き直る。
あの男がゆっくりと起き上がっていた。指をぴくぴくと動かし、こちらを睨みつけている。その向こうには、脳丸出しの巨体が異様な存在感を放ちながら立っていた。
「あーあ。せっかくの救助訓練が台無しだよ」
僕は肩をすくめる。
「敵連合だっけ?名前負けしすぎだよ。敵同好会に改名したら?」
「......お前」
「何?もっと格好いい名前がよかった?」
男が、ぎりっと歯を鳴らした。
「殺す......!脳無!」
空気が張り詰める。脳無の巨体が一歩前へ出た。
──やるしかないか。僕以外をターゲットにされると守るのに骨が折れる。僕狙いになってくれてよかった。
僕が身構えた、そのときだった。
「もう大丈夫!」
施設の入口から、凄まじい声が響いた。
「私が来た!」
オールマイト。
オールマイトが広場へ降り立つだけで、周囲の空気が変わった気がした。
そこからの戦いは、次元が違った。
オールマイトが踏み込むたびに空気が震える。脳無の拳とぶつかるたび、衝撃波が広場を駆け抜けた。
轟音とともに、脳無が吹き飛ばされた。風圧が広場を抜け、床に散らばった砂や石が一斉に転がる。
しばらくして死柄木たちは黒霧に包まれ、撤退していった。
応援のプロヒーローが到着し、ヴィランの拘束と生徒の避難が始まる。八百万と葉隠が保護されたことも、伝え聞いた。
「司。本当に怪我、ないの?」
「うん。見ての通り、無傷だよ」
ヒーリング・タッチで治癒してるからね。
「......よかった」
耳郎が俯く。僕はその頭へそっと手を置いた。
言わなければいけないことが、たくさんある。八百万への告白も、新しい力のことも。でも、今は耳郎が無事だったことを喜びたい。
「東雲少年。少し、いいかな」
背後から呼び止められた。
振り向くと、オールマイトが立っていた。そばには応急処置を受けた相澤先生の姿もある。
ほかのプロヒーローたちは、各エリアの確認と避難誘導に回っているみたいだ。
「耳郎、先に外へ行ってて。すぐ追いつくから」
「......分かった」
耳郎を見送り、オールマイトへ向き直った。
「どうしましたか?僕になにか話でも?」
「君の戦いを見ていた。死柄木に放った蹴り、あの跳躍力。それに、風を纏うような動きも見せていたね」
「まあ、はい」
オールマイトは、少しの間黙っていた。
それから、ひどく真剣な顔になる。
「君の個性はテレポートで、増強系ではないはずだが──誰から貰った?」
──ん?
予想外の問いかけだった。
同時に、その視線と圧力に身体が反応してしまう。咄嗟にテレポートし、数メートル距離を取った。
敵意、というほどではない。ただ、あまりに強い圧だった。今日だけで何度も危険な状況に晒された身体が、先に動いたらしい。
「オールマイトさん」
相澤先生の声が、間へ割って入った。
「何言ってるんですか、オールマイトさん」
「相澤くん、私は......」
「東雲は俺を助けた生徒です。治癒能力を持っていることも、こちらは把握しています。身体能力については後で聞けばいい。今、そんな聞き方をする必要がありますか?」
「......それは、確かに」
先生の言葉で、僕もひとつ息を吐いた。
オールマイトは何かを確かめたかったのだろう。どうしてあんな表現を使ったのかは分からないけど。
「個性について質問されるのは構いません。予想してましたから。ただ、その前にひとつ聞いてもいいですか?」
「......何だね?」
「オールマイトは誰から個性を貰ったんですか?──僕は親から恵んでもらいましたけど」
オールマイトが、はっと目を見開いた。
何か言おうとして、唇を動かす。けれど、言葉は出てこなかった。
......そんなに答えにくい質問じゃないはずなんだけど。
「いや、東雲少年。先ほどの聞き方は......」
そのとき、オールマイトがわずかに身体を揺らした。
「はいはい、話はそこまで」
セメントスの声が響き、僕たちの間に分厚い壁がせり上がる。
「東雲くん、君も避難を。確認はあとで行うから」
「分かりました」
僕は壁の向こうを一瞥し、視線を移す。
「相澤先生、さっきはありがとうございました」
「礼はいい。お前も早く休め」
「はい」
僕は小さく頭を下げ、出口へ向かった。
壁の陰で、オールマイトは深く息を吐いた。
危うかった。あと少しで、身体が限界を迎えるところだった。セメントスが壁を作ってくれなければ、あの少年に見られていたかもしれない。
だが、それ以上に胸へ残っているのは、自分が口にした言葉だった。
『誰から貰った?』
あまりにも不用意だった。
オール・フォー・ワン。個性を奪い、他人へ与えることのできる男。その存在を知っている自分には、複数の個性を持つ人間がどうしても気にかかる。
今日の脳無もそうだ。尋常ではない肉体能力と、奇妙な特性を備えていた。そして東雲少年もまた、テレポートと治癒に加え、突然まったく別の身体強化を見せた。
だからといって、あの少年が敵に関係していると決めつけてよいはずがない。
むしろ彼は、危険な状況だった相澤くんを救い、生徒を守ったのだ。
「......私は、何をしているんだ」
「本当に、何をしてるんですか」
背後から相澤の低い声がした。
オールマイトは振り返る。相澤は壁にもたれながら、腕を組んでいた。治癒によって少し動けるようになっているものの、まだ病院で診てもらう必要がある状態だ。
「すまない、相澤くん。私の方が冷静さを失っていた」
「事情があるのは分かります。でも、生徒には関係ない」
「......ああ」
「東雲は最初から治癒も使えました。本人も隠してないので、それは把握しています。突然身体能力が上がったことは、確かに確認が必要です。だからこそ、順番を間違えるべきじゃない」
「君の言う通りだ」
「聞きたいことがあるなら、まず事情を説明してやってください。警戒するような目で『誰から貰った』なんて聞かれたら、誰だって戸惑いますよ」
返す言葉がない。
私の頭の中に、先代の姿が浮かぶ。
志村菜奈。自分へワン・フォー・オールを託してくれた師匠。東雲少年の『誰から個性を貰ったんですか』という問いは、思いがけずその記憶を揺さぶった。
彼は何も知らない。ただ、こちらの不自然な問いへ同じ言葉を返しただけなのだろう。
だが、自分には簡単に答えられなかった。
「......私は、教育者として恥ずかしいことをしたな」
「反省してるなら、近いうちにちゃんと謝ってください」
「そうするよ」
相澤は短く頷いた。
「それと、今日のあいつの動きは一応、後で聞いておきます。あれは明らかに身体能力が強化されてましたから、ちゃんと確認します」
「頼む。私も、決めつけずに話を聞きたい」
オールマイトは、壁の向こうを見た。
東雲少年は、もう避難しただろうか。
あの若者が見せた力には、確かに疑問が残る。しかし、守ろうとしたものまで疑ってはならない。
平和の象徴である前に、今の自分は教師なのだから。
その頃、別の場所で。
薄暗い部屋に、規則的な機械音が響いていた。
「......そうか。失敗したんだね」
複数の管に繋がれた男が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
オール・フォー・ワン。
傍らに控えた黒霧が、USJで起こった出来事を報告していた。
「オールマイトを倒すことはできませんでした。しかし、ひとつ気になる報告があります」
「ほう?」
「東雲司という生徒です。主にテレポートを使用していたようですが、突然、身体能力を強化していたみたいです。死柄木弔も彼の蹴りを受けています」
「テレポートに身体強化。ほかには?」
「傷ついた相澤消太を救い出した際、治癒能力も使用したと見られます。移動中に風を操っていたようにも見えましたが、確証はありません」
テレポート、治癒、身体強化、風。どれも、ひとつの個性の延長としては説明しにくい組み合わせだ。もちろん、複合的な性質を持つ個性の可能性もある。
だが。
「......興味深いね」
柔らかな声が、室内に響く。
「最初から複数の力を持っていたのか。それとも、あの場所で何かが起きたのか。どちらにしても、知りたくなる話だ」
「調査を進めましょうか」
「そうしておくれ。ただし、今すぐ手を出す必要はない」
機械音の合間に、低い笑い声が漏れた。
「──面白いじゃないか。僕と似たような個性なのか、それとも全くの別物なのか」
その声には、わずかな興奮が混じっていた。
「東雲司。君は、一体どんな秘密を抱えているんだろうね」
俺の目の前には東雲がいる。警察の聴取を受ける前に時間をもらった。
医師からは、目の機能に後遺症は残らないと説明されている。脳無に頭を押さえつけられたときは視界が霞んだが、東雲が現場で施した応急処置が効いたらしい。
「で。そろそろ説明してもらおうか」
「何から話せばいいですか?」
「お前の個性だ。テレポート、治癒、身体強化。それに風まで使ったそうだな」
「はい。全部、僕の個性です」
即答だった。
「隠したかったんじゃないのか?」
「別に隠してませんよ。説明が面倒なので、普段はテレポートって言ってるだけです」
東雲は悪びれもせず肩をすくめた。
「そもそも登録を変更しようとしたこともあるんです。でも役所に断られまして。突拍子もない変更は認められない。無駄な対応をさせるな、みたいな。だから書類上は今でもテレポートなんですよ」
「待て。登録名と実際の個性が違うのか」
「ええ。本当の名前は【
嫌な予感がした。
「......どういう能力だ」
「相思相愛の相手が増えると、能力が増えて、元からある能力も強くなるんです」
俺はしばらく黙った。
「もう一度言え」
「相思相愛の人数に応じて、強くなります」
「聞こえなかったわけじゃない」
「でしょうね」
こいつは、こういうときだけ妙に楽しそうに笑う。普段優等生みたいな振りをしてるが、人を翻弄するのが好きなやつだ。
「片思いでもいいのか。相手を騙したり、恋人のふりをさせたりした場合は?」
「駄目です。お互いに本気で相手を想わないと発動しません。本人がまだ気づいてなくても、気持ちが本物なら条件を満たすみたいです、多分」
「確認方法は?」
「まあ、感覚的な感じですかね?ああ、今はヒーリング・タッチが進化したので、自分の個性は完璧に把握できますよ」
感情を条件にする個性は存在する。だが、他人との相思相愛の人数で能力そのものが増えるなど、俺は聞いたことがない。
「順番に説明しろ」
「最初は自分だけを半径100メートル以内に転移させる能力でした。耳郎と相思相愛になってから、触れている人も一緒に運べるようになって、ヒーリング・タッチが解放されたんです」
「それが、俺に使った治癒か」
「はい。以前は軽傷と疲労だけでした。でも今回、八百万と相思相愛になって2人目に達したので、骨折や捻挫まで治せるようになりました。触れた人の身体の状態や、個性についても分かるようになりました」
俺は額に手を当てた。
「......続けろ」
「テレポートも強化されました。今は半径50メートル以内で、視界にある人や物と自分の位置を交換できます。それから、新しく【四神】って能力が出ました」
「まだ増えるのか」
「今使えるのは【白虎の力】だけです。身体能力が強化されて、風も操れます」
なるほど、俺が見たあの蹴りと跳躍はそれか。
説明はついた。納得できるかは別問題だ。
「要するに、恋人が増えるたびに個性の仕様が変わる、と」
「正確には恋人の人数じゃなくて、相思相愛の本命人数ですね」
「訂正するな。頭が痛くなる」
書類の余白が足りない。
何より、個性の発動条件を確認しようとすれば生徒の私生活に踏み込むことになる。
「耳郎と八百万には、きちんと説明しているんだろうな」
「耳郎は前から知ってます。八百万にはこれから詳しく話します。告白のときに全部説明できる状況じゃなかったので」
そこだけは、さすがに真顔だった。
「......ならいい。無理に相手の気持ちを利用するなよ」
「分かってます。そんなことをしたら、そもそも個性が発動しませんし」
「個性のためじゃなく、人としての話だ」
「はい」
今度は素直に頷いた。
俺は記録を閉じた。
「この内容は、教師の間で共有するが問題ないな?」
「構いませんよ」
「あと、個性の変更届を提出しろ。雄英の名前で提出する」
「嫌です。僕、根に持つタイプなんで。昔された役所の対応に今でも納得がいかないんで。今後も登録されてる個性はテレポートでいいです」
意見を変える気はないと言わんばかりに、外を眺め始めた東雲を放置して俺は部屋から出た。警察官が入れ替わりで部屋に入る。
「.....今年のクラスは、色々と飛び抜けてるな」
八百万
葉隠