USJから帰ってきた頃には、すっかり日が傾いていた。
警察の事情聴取に、保健室での検査。先生たちへの報告までしたから、少し疲れた。もっとも、ヒーリング・タッチのおかげでそこまでの疲労感は残ってない。
帰り道、携帯に耳郎からメッセージが届いた。
『今日、少し会える?』
短い一文だった。
『もちろん。家に寄ってもいい?』
返事はすぐに来た。
『うん。待ってる』
呼び鈴を押すと、勢いよく扉が開いた。
「司!」
「こんばんは、耳郎」
言い終えるより早く、胸元に小さな衝撃があった。耳郎が飛びついてきたのだ。
「おっと」
「......遅い」
「ごめんごめん」
背中へ腕を回すと、耳郎の肩からゆっくり力が抜けた。
しばらくして身体を離した彼女は、僕の腕や顔を確かめるように見つめた。
「怪我、ない?」
「今はないよ」
「今は、って何」
「治したからね」
耳郎は眉を寄せたけど、それ以上は玄関で聞かなかった。
「......上がって」
「お邪魔します」
耳郎の両親は今日帰りが遅いらしい。まあでも、学校からの連絡を受けたら爆速で帰ってくるだろう。
階段を上がり、慣れ親しんだ部屋へ入る。壁には音楽のポスター、隅には楽器。机の上には、開きかけのノートが置かれている。
昔と変わらないものも、少しずつ変わっていったものもある。
「座ってて。飲み物持ってくる」
「ありがとう」
ベッドには腰掛けず、いつものクッションに座って待つ。ほどなく戻ってきた耳郎は、2つのグラスを持っていた。
片方にはメロンソーダ。もう片方には、ミルクをたっぷり入れたコーヒー。
「はい。司のは甘くしてある」
「僕がコーヒー好きなの、覚えてくれたんだ」
「朝のバスで、あんだけ言われたらね」
「じゃあ、メロンソーダは?」
「ウチの!」
「僕の分まで欲しいんじゃなかったの?」
「もう!今日はからかわないでよ」
耳郎はグラスを置き、僕の隣に腰を下ろした。
いつもなら、もう一言くらい意地悪を言ったと思う。でも、彼女が膝の上で指を組んでいるのを見て、やめた。
「司。USJで、何があったの?」
「ちゃんと話すよ」
「全部?」
「僕が知ってる範囲は、全部」
耳郎は頷いた。
僕は山岳ゾーンへ飛ばされたところから話し始めた。
八百万と葉隠が一緒だったこと。空中へ放り出された2人をテレポートで安全な場所へ運んだこと。10人以上のヴィランに囲まれたこと。
そして、敵を倒すために、八百万にナイフを作ってもらったこと。
「......ナイフ?」
「うん。殴っても効かない相手がいたからね。目や脚を狙った」
耳郎が小さく息を呑む。
「......司が?」
「僕がやった」
「その人たちは......」
「治療は受けてるはずだよ。でも、元どおりになるかどうかは分からない」
グラスの氷が、かすかに鳴った。
耳郎は僕の手元を見つめていた。その視線を追い、僕も自分の掌を見る。
血はもうついていない。だけど、あのときの手応えも、悲鳴も、記憶から消えたわけじゃない。
「怖かった?」
「怖くはなかったけど、嫌だったよ。刃を握るのも、相手を傷つけるのも。戦いが終わったら吐いちゃったくらいにはね」
「......そっか」
「でも、後悔はしていない」
耳郎が顔を上げた。
「2人を守る必要があった。あの場で僕にできる方法を選んだ。その判断は正しかったと思う」
「司......」
「ただ、そこで警戒を解いて動けなくなったのは失敗だったかな。その隙に、八百万が人質に取られたし」
話を続けると、耳郎の表情が変わっていった。
首筋へ電気を流せる敵が八百万を捕まえ、僕に両目を潰せと要求したこと。相手の約束を信じるつもりはなかったこと。それでも、ほかに方法がなければ目を犠牲にする覚悟もあったこと。
「......ちょっと待って」
耳郎が僕の袖を掴んだ。
「今、何て言った?」
「八百万を助けるために、必要なら目を失うつもりだったって」
「そんなの、絶対駄目じゃん!」
勢いよく立ち上がった彼女のイヤホンジャックが、ぴんと伸びた。
「司が見えなくなったらどうするの!?ウチの顔だって見えなくなるんだよ!」
「分かってる。だから、そうならない方法を探した」
「そうじゃなくて!」
耳郎の声が震えた。
「ウチは、司が生きてれば何でもいいなんて思えない。ちゃんと笑って、好きなもの食べて、くだらないこと言って......そういう司が好きなの」
言葉が途切れる。
僕は彼女の手を取った。
「心配させたね」
「......させすぎ」
「次はもっと上手くやるよ。僕自身も無事で帰れるように」
「絶対って言ってよ」
「ヒーローを目指す以上、危険なことはある。でも、できるだけ頑張る」
耳郎は不満そうに唇を尖らせた。
「ほんと、変に正直なんだから」
「耳郎に嘘はつきたくないからね」
「......分かった。じゃあ、その言葉は信じる」
彼女はもう一度僕の隣へ座った。今度は、肩が触れるくらい近くに。
「それで、ヤオモモはどうなったの?」
「助かったよ。僕の個性も、新しい段階へ進んだ」
「......やっぱり」
「うん。八百万に告白した。八百万も、僕の気持ちを受け入れてくれたよ」
耳郎が動かなくなった。
しばらくして、メロンソーダのストローを指でくるくる回し始める。
「そっか。ヤオモモが、2人目なんだ」
「そうだね」
「知ってたよ。司の個性と考え方もなら、いつかこういう日が来るかもしれないって」
「うん」
「でもさ。いざ本当に来ると、ちょっと複雑」
耳郎は僕を横目で見た。
「ヤオモモのこと嫌いじゃないよ。むしろ大好き。真面目だし、優しいし」
「そうだね」
「だから、司のこと好きになったって聞いて、納得しちゃう自分もいるんだよね」
それから、耳郎は小さな声で付け加えた。
「......でも、嫉妬くらいはするから」
「もちろん。隠さなくていいよ」
「司、ヤオモモにも好きって言ったんでしょ?」
「言ったよ」
「何て?」
「努力家で、頭が良くて、真面目で。時々自信が持てないところも含めて好きだって」
「......ふうん」
耳郎が頬を膨らませた。
「そんなに細かく褒めたんだ」
「大切な告白だったからね」
「ウチには?」
「耳郎には何度でも言うよ。好きだよ」
「......それは知ってる」
そう答えながらも、彼女の耳は赤くなっていた。
「ねえ、司。ひとつ、お願いしていい?」
「何でもどうぞ」
「......名前」
「名前?」
「いつもウチのこと、耳郎って呼ぶじゃん」
「昔からそうだね」
「ヤオモモは、司さんって呼ぶようになったんでしょ?」
「うん」
「だったらウチも......恋人っぽい、特別なのが欲しい」
言い終えると、耳郎はクッションへ視線を落とした。
「これからは何時でも──2人きりのときは、響香って....呼んで」
僕は少しだけ顔を近づけた。
「響香」
「っ!」
身体が跳ねる。
「い、いきなり呼ばないでよ!」
「お願いされたからね」
「心の準備ってものがあるでしょ!」
照れ隠しに威嚇する耳郎を宥めながら言葉を紡ぐ。
「響香。僕の初めての、大切な恋人。これからも一緒にいてくれる?」
耳郎の目が潤んだ。
「......そんな聞き方、ずるい」
「嫌だった?」
「違う。嬉しいの」
彼女は僕の胸元に額を寄せた。
「ヤオモモが彼女になっても、ウチとの時間、ちゃんと作ってね」
「約束する」
少し無言になり....それから、僕の制服の襟をちょこんと掴む。
「──司」
「何?」
「キス、して」
僕は彼女の頬に手を添えた。
「いいよ、響香」
ゆっくり顔を近づける。耳郎が目を閉じ、僕たちの唇がそっと重なった──2人きりでも、意外と恥ずかしいな。
短いキスだった。
離れると、耳郎は僕の袖を離さなかった。
「......もう1回」
「今日は甘えん坊だね」
「今日くらい、いいじゃん」
「もちろん」
もう一度、今度は彼女の方から近づいてきた。
窓の外が暗くなり始めている。静かな部屋には、時計の音だけが響いていた。
しばらくして額を寄せ合うと、耳郎が照れくさそうに笑う。
「明日、ヤオモモとちゃんと話す」
「うん」
「ウチが最初の彼女だからって、威張るつもりはない。むしろ、遠慮して我慢されるのが嫌だし」
「耳郎らしいね。まあ、ギスギスしないならそれが一番だね。頑張って、響香」
「何それ、他人事みたい」
「それだけ信頼してるってこと」
「......もう」
耳郎は僕の肩に頭を預けた。
登校中、耳郎と並んで歩いていると、彼女が僕の袖を軽く引いた。
「ねえ、司」
「ん?」
「昨日のこと、覚えてる?」
「全部覚えてるよ」
「名前のことも?」
「もちろん」
「......そっか」
僕が笑うと、耳郎は慌てて前を向いた。
「学校では、いつもどおりでいいからね」
「了解、耳郎」
「うん。それでいい」
耳郎のイヤホンジャックが、機嫌よさそうに揺れていた。
教室へ向かう廊下で、八百万の姿を見つけた。彼女も僕たちに気づいたらしく、歩みを止める。
「おはようございます。耳郎さん、司さん」
最後の呼び方だけ、少し声が小さくなった。
「おはよう、八百万」
「おはよ、ヤオモモ」
八百万が胸元で両手を重ねる。
「その......昨日のこと、改めてお話ししたいと思っておりましたの」
「ウチも」
耳郎があっさり答えたので、八百万は目を瞬かせた。
「でも、まず言っとくね。司から全部聞いた」
「......はい」
「ヤオモモが司のこと好きで、司もヤオモモが好きなんだってことも」
八百万はぎゅっと唇を結んだ。
「申し訳ありません。耳郎さんが大切なお友達だからこそ、きちんと気持ちをお伝えしなければと思って......」
「謝らなくていいって」
耳郎が彼女の手を取る。
「ウチ、司の考え方は前から知ってたし」
「ですが、わたくしは......」
「それに、ヤオモモがどれだけ悩んだかも分かるよ」
八百万の瞳が揺れた。
「......耳郎さん」
「ただね。ウチだって嫉妬はするから。そのときはちゃんと言うし、ヤオモモも変に遠慮しないで」
「はい」
「それと、別に司を譲ったわけじゃないからね」
そう言って、耳郎は僕を指差した。
「で、司も。ウチらのどっちかに無理させたら怒るから」
「肝に銘じておくよ」
「返事が軽い!」
「真剣なんだけどなぁ」
八百万がくすりと笑った。
「わたくしも、耳郎さんのお気持ちを大切にしたいですわ。司さんとお付き合いするからといって、耳郎さんとの友情を失いたくありませんもの」
「うん。ウチもだよ」
耳郎は、八百万の手を握り直した。
「これからもよろしくね、ヤオモモ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
2人の笑顔を見て、僕は胸を撫で下ろす。
耳郎が受け入れてくれたからといって、何もかも解決したわけじゃない。これから、お互いが嫌だと思うことも出てくるだろう。
それでも、話して決めていけるなら、きっと大丈夫だと思う。
「じゃあ、僕からもひとつ」
2人がこちらを向いた。
「耳郎も八百万も、僕には大切な恋人だよ。どっちかが我慢して成り立つ関係にはしたくない。だから、何かあったらちゃんと言ってほしい」
「うん」
「はい、司さん」
八百万の頬が赤くなる。呼び方にまだ慣れていないんだろう。その様子を見た耳郎が、にやりと笑った。
「ヤオモモ、司さんって呼ぶたびに照れてない?」
「そ、そんなことは......!」
「耳まで赤いよ?」
「耳郎さん!」
「君たち、仲良くなりすぎじゃない?」
僕が口を挟むと、2人が同時に僕を見た。
「何か問題でも?」
「ないですわよね?」
「まあ、その方がいいか」
言い切ると、2人が顔を見合わせて笑った。
教室へ入ると、葉隠が真っ先に近づいてきた。
「八百万ちゃん!東雲くん!あの、昨日の!」
「葉隠、おはよう」
「おはようじゃなくて!あたし、ずっと気になってて!」
「はいはい。落ち着いて」
耳郎が割って入ると、葉隠はぴたりと止まった。
「......耳郎ちゃん、知ってるの?」
「聞いたよ。ヤオモモからも司からも」
「で、大丈夫なの!?」
「大丈夫。心配してくれてありがと」
葉隠はしばらく固まったあと、両手を勢いよく振った。
「よかったぁ!昨日は急に告白するし、東雲くんは強くなるし、もう何が何だか分かんなかったんだから!」
「葉隠、声が大きい」
「はっ!」
見えないけど、多分口元を押さえる姿を見て、思わず笑ってしまう。その声を聞きつけた芦戸が振り向いた。
「何なに?告白って聞こえたんだけど!」
「何でもないよ!」
「えー!絶対何かあるじゃん!」
「秘密にしたい話もあるんだよ」
「東雲が言うと、なんか怪しい!」
上鳴と瀬呂まで寄ってくる。
「昨日の事件で何かあったのか?」
「まあ、いろいろね」
「その言い方が一番気になるんだって!」
僕の横では、耳郎が呆れた顔をしていた。八百万は頬を赤らめている。
幸い、飯田が始業前の着席を呼びかけてくれたおかげで、質問攻めはそこで終わった。
席に着きながら、八百万が小さな声で言う。
「司さん。わたくし、まだ少し緊張してしまいます」
「無理に慣れなくていいよ。少しずつで」
「はい。ありがとうございます」
彼女の笑顔は、昨日の山岳ゾーンで見たものよりずっと穏やかだった。
午前の授業が終わると、教室は一気に賑やかになった。
昨日の事件について話していた生徒たちも、昼休みになれば腹は減るらしい。切島と上鳴は何を食べるかで盛り上がり、飯田は廊下を走らないよう注意している。
「ヤオモモ、お昼どうする?」
「今日は食堂へ行こうかと。耳郎さんは?」
「ウチも。芦戸たちに誘われてるんだけど、一緒にどう?」
「喜んで」
「司も来る?」
「そうだね。僕も......」
言いかけたところで、入口の方から声が上がった。
「えっ、B組の子じゃん!」
芦戸の声だ。
何だろうと思って振り向くと、教室の扉の前に小柄な少女が立っていた。
短く整えられた黒髪と、落ち着いた瞳。1年B組の小大唯だ。
「唯?」
名前を呼ぶと、彼女の視線がまっすぐ僕へ向いた。
「......司」
教室が、妙な具合に静かになった。
次の瞬間、芦戸が勢いよくこちらへ振り向く。
「えっ!?東雲に会いに来たの!?」
「マジで?他クラスの女子まで!?」
上鳴が椅子から身を乗り出す。
「なんだよお前!耳郎と付き合ってるんだろ!?」
瀬呂が半分笑いながら言うと、峰田が机を叩いた。
「どうしてだぁ!何で東雲のところばっか女子が来るんだよぉ!」
「お前ら、少しは落ち着けよ」
切島が苦笑する。その横で麗日も、興味深そうに小大を見ていた。
「B組の子やんな。知り合いなん?」
「うん。前に食堂で相席したんだ」
「あっ、あのマスコミが来た日?」
耳郎が思い出したように言った。
「そう。そのとき話して、友達になったんだ」
「なるほどねぇ」
耳郎は僕を見て、それから唯へ視線を移した。
表情には少し好奇心が混じっているけど、特に怒ってはいない。むしろ、どんな子なのか知りたがっているようだった。
八百万は一歩前へ出て、丁寧に頭を下げる。
「はじめまして。1年A組の八百万百ですわ」
小大も小さくお辞儀を返した。
「......小大唯」
「小大さんですわね。どうぞよろしくお願いいたします」
「......ん」
短い返事にも、八百万は柔らかく微笑んだ。そのとき、葉隠がひょいっと僕のそばへやってきた。
「ねえねえ、東雲くん。その子も東雲くんを訪ねてきたんだよね?」
「そうみたいだね」
「昨日の今日で、また女の子が......もしかして、東雲くんって....」
「葉隠?」
耳郎が名前を呼ぶと、葉隠の身体がびくりと跳ねた。
「な、何でもない!あたし何も言ってないよ!」
「いや、まだ何も聞いてないけど」
「みんな、唯が話しにくそうだから、ちょっと静かにしてくれる?」
僕がそう言うと、芦戸が両手を上げた。
「はーい!ごめんね、小大ちゃん!」
小大は小さく首を横に振る。
「......平気」
それから僕のところへ歩いてきた。
鞄の持ち手を握る指に、少し力が入っている。
「小大、どうしたの?何か用事?」
「......昨日」
「昨日?」
「USJ」
ああ、なるほど。
「心配して来てくれたんだ?」
「......怪我、してない?」
「今はないよ。見ての通り、元気」
彼女はすぐには返事をしなかった。僕の顔、腕、肩へと順番に視線を移し、最後にもう一度顔を見上げる。
確かめ終えたのか、ようやく小さく息を吐いた。
「......よかった」
その一言が、妙に嬉しかった。
たまたま昼食を一緒にしただけなのに、わざわざB組から訪ねてきてくれた。誰かの無事を気にかけられるなんて優しい。
「ありがとう、唯。心配してくれたんだね」
「......ん」
頬がほんの少し緩んだ気がした。
背後から、芦戸の小声が聞こえる。
「ねえ、なんか可愛くない?」
「めっちゃ静かだけど、東雲の顔見て安心してたよな。優しそうだなっ!」
切島が答える。
「東雲って、こういうとき妙に優しいよなぁ」
上鳴の言葉には、何となく棘があった。
「普通に友達と話してるだけだよ」
「だから、その普通が分かんねえんだって!俺も女の子と普通にはなしたいっだけどっ!?」
このまま教室にいると、ずっと注目されそうだ。
「そうだ、唯。お昼はもう食べた?」
「......まだ」
「なら、一緒にどう?せっかく来てくれたんだし」
小大の瞳が、少しだけ大きくなった。
「......いい?」
「もちろん」
「おおっ!2人でランチ!」
芦戸が楽しそうな声を上げる。
「東雲、また女子と2人きりかよ!耳郎に怒られるぞっ!」
上鳴が大げさに肩を落とした。
「ほら、司。また何か言われてる」
耳郎が僕を見上げる。
「困ったものだね」
「まったく思ってないでしょ」
「よく分かったね」
耳郎は呆れたように笑ったあと、声を少し落とした。
「ウチとヤオモモは芦戸たちと食べるから、行っておいで」
「そのつもりだよ」
「せっかく心配して来てくれたんだし、ちゃんとお礼してきなよ」
耳郎の言葉に八百万も頷き、僕と唯は騒がしい教室を後にした。
ランチラッシュの定食メニューが並ぶカウンターの前で、唯が足を止める。
「どれにするの?」
「......魚」
「魚定食か。僕はハンバーグにしようかな」
「......おいしそう」
「どっちが?」
「両方」
「それなら、おかずを少し交換する?」
小大は僕を見上げ、こくりと頷いた。
注文した料理を受け取り、窓際の空いているテーブルへ向かう。運良く2人席が空いていた。
「前は席がなくて、相席になったんだっけ」
「......うん」
「しかも途中で騒ぎになった。災難だったね」
小大は頷いてから、箸を取った。
「......でも、退屈しなかった」
「それはよかった。僕も楽しかったよ」
小大の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
食べ始める前に、僕は自分のハンバーグを一口分切り分け、唯の皿へ移した。
唯も魚を少し分けてくれる。
「ありがとう。いただきます」
「......いただきます」
しばらくは料理を味わう時間になった。
当たり前のように昼食を食べられることが、今日は少しだけ特別に感じられた。
「B組は昨日のことで何か言われた?」
「......安全確認」
「そうだよね。雄英の中であんな事件が起きたんだから」
小大は箸を止めた。
「......怖かった?」
「うん。危ない場面はあったよ」
「......そう」
「でも、今は大丈夫。こうして小大とお昼を食べてる」
彼女は僕の言葉を聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。
「心配してくれて、ありがとうね」
「......ん」
「わざわざA組まで来るの、緊張しなかった?」
小大は一度、箸を置いた。
「......別に」
意外と肝っ玉が座ってるらしい。
言葉が途切れても、不思議と気まずくならない。
唯は無口ではあるけど、やり取りそのものを拒んだりはしない。僕の言葉をちゃんと聞いて、考えてから返してくれてる気がする。
こういう会話も、悪くない。
「惟はB組、もう慣れた?」
「....だいぶ」
「友達はできた?」
「......いる」
「そっか。よかった」
お互いに近況を話しながら、定食を食べ終えた。
食器を返却口へ運んだあと、僕は自動販売機で微糖の缶コーヒーを買った。
小大はその缶をじっと見ている。
「......甘い?」
「それなりにね。苦いコーヒーはあんまり得意じゃないんだ」
「......意外」
「大人っぽく見える?」
小大はしばらく考え、それから首を傾げた。
「......少し」
「そこは迷わず頷いてほしかったな」
彼女が小さく笑った。その笑顔を見て、また一緒に話す機会が欲しいと思った。
「よかったら、連絡先を交換しない?」
言い終えるより早く、小大は制服のポケットから携帯電話を取り出した。
「......ん」
「用意がいいね」
「......聞こうと、思ってた」
「そっか。嬉しいよ」
互いの連絡先を登録する。画面に『小大唯』の名前が表示されると、彼女も自分の画面を見つめて、小さく頷いた。
「これで、何かあったら連絡できるね」
「......うん」
「もちろん、何もなくても送っていいから」
「......送る」
「楽しみにしてるよ」
予鈴が鳴った。
「そろそろ戻らないとね」
唯は携帯電話をしまい、僕を見上げた。
「......また、昼」
「うん。また一緒に食べよう」
「......約束」
差し出された小指に、思わず目を丸くする。
「そういうこともするんだ?」
「......駄目?」
「まさか。嬉しいよ」
僕も小指を差し出して、軽く絡めた。
「約束」
指を離した唯は、わずかに微笑んだ。階段の手前で別れると、彼女は一度だけ振り返って手を振った。
午後のホームルームが始まる頃、教室の空気はまた少し引き締まっていた。
扉が開き、相澤先生が入ってくる。包帯姿を見て、何人かが心配そうに立ち上がった。
「先生!もう動いて大丈夫なんですか!?」
「医者の許可は出てる。座れ」
相澤先生は教卓に書類を置いた。
「昨日の件はまだ調査中だ。追加で事情を聞かれることもある。適当な情報を広めるなよ」
全員が頷く。
「それと、今後の授業と行事についてだが......予定は変更しない」
先生は黒板に、大きく文字を書いた。
『雄英体育祭』
「例年通りに開催される」
「体育祭!?」
教室が一気に騒がしくなった。
「こんな事件のあとで、やるんですか!?」
「ああ、だが警備は増やすことになる」
相澤先生は全員を見渡す。
「プロヒーローも注目する舞台だ。自分の力を見せる機会だと思え」
「燃えてきたぜ!」
切島が拳を握る。爆豪は不敵に笑い、緑谷は何やらノートに書き込み始めた。
「司、体育祭だって」
耳郎が僕の袖を引く。
「うん。楽しみだね。当日の屋台、何から回ろうかな」
「言っとくけど、ウチだって負ける気ないから。そんなこと言ってると、ウチよりも早く脱落するよ」
後ろから八百万が身を乗り出す。
「わたくしも全力で挑みますわ。司さんにも、耳郎さんにも」
「お互い頑張ろうね。勝つのは僕だけど」
僕は自分の掌に目を落とす。
僕が目指すべきヒーロー像は昨日の出来事のお陰で固まった。
僕の名前を聞いただけでヴィランが恐れるような、誰よりも強い力を持つヒーローに僕はなる。
「......よし」
小さく呟くと、耳郎が首を傾げた。
「何か言った?」
「いや。体育祭、楽しみだなって」
「ふふっ。意外と負けず嫌いだよね、司は」
「今さらでしょ?」
笑い合いながら、黒板に書かれた文字をもう一度見つめた。
雄英体育祭。
僕たちの次の舞台が、静かに幕を開けようとしていた。
耳郎
小大