僕は愛を囁く   作:Mr.♟️

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USJ事件(完)

 

 

USJから帰ってきた頃には、すっかり日が傾いていた。

 

警察の事情聴取に、保健室での検査。先生たちへの報告までしたから、少し疲れた。もっとも、ヒーリング・タッチのおかげでそこまでの疲労感は残ってない。

 

帰り道、携帯に耳郎からメッセージが届いた。

 

『今日、少し会える?』

 

短い一文だった。

 

『もちろん。家に寄ってもいい?』

 

返事はすぐに来た。

 

『うん。待ってる』

 

 

 

 

 

呼び鈴を押すと、勢いよく扉が開いた。

 

「司!」

 

「こんばんは、耳郎」

 

言い終えるより早く、胸元に小さな衝撃があった。耳郎が飛びついてきたのだ。

 

「おっと」

 

「......遅い」

 

「ごめんごめん」

 

背中へ腕を回すと、耳郎の肩からゆっくり力が抜けた。

 

しばらくして身体を離した彼女は、僕の腕や顔を確かめるように見つめた。

 

「怪我、ない?」

 

「今はないよ」

 

「今は、って何」

 

「治したからね」

 

耳郎は眉を寄せたけど、それ以上は玄関で聞かなかった。

 

「......上がって」

 

「お邪魔します」

 

耳郎の両親は今日帰りが遅いらしい。まあでも、学校からの連絡を受けたら爆速で帰ってくるだろう。

 

階段を上がり、慣れ親しんだ部屋へ入る。壁には音楽のポスター、隅には楽器。机の上には、開きかけのノートが置かれている。

 

昔と変わらないものも、少しずつ変わっていったものもある。

 

「座ってて。飲み物持ってくる」

 

「ありがとう」

 

ベッドには腰掛けず、いつものクッションに座って待つ。ほどなく戻ってきた耳郎は、2つのグラスを持っていた。

 

片方にはメロンソーダ。もう片方には、ミルクをたっぷり入れたコーヒー。

 

「はい。司のは甘くしてある」

 

「僕がコーヒー好きなの、覚えてくれたんだ」

 

「朝のバスで、あんだけ言われたらね」

 

「じゃあ、メロンソーダは?」

 

「ウチの!」

 

「僕の分まで欲しいんじゃなかったの?」

 

「もう!今日はからかわないでよ」

 

耳郎はグラスを置き、僕の隣に腰を下ろした。

 

いつもなら、もう一言くらい意地悪を言ったと思う。でも、彼女が膝の上で指を組んでいるのを見て、やめた。

 

「司。USJで、何があったの?」

 

「ちゃんと話すよ」

 

「全部?」

 

「僕が知ってる範囲は、全部」

 

耳郎は頷いた。

 

僕は山岳ゾーンへ飛ばされたところから話し始めた。

 

八百万と葉隠が一緒だったこと。空中へ放り出された2人をテレポートで安全な場所へ運んだこと。10人以上のヴィランに囲まれたこと。

 

そして、敵を倒すために、八百万にナイフを作ってもらったこと。

 

「......ナイフ?」

 

「うん。殴っても効かない相手がいたからね。目や脚を狙った」

 

耳郎が小さく息を呑む。

 

「......司が?」

 

「僕がやった」

 

「その人たちは......」

 

「治療は受けてるはずだよ。でも、元どおりになるかどうかは分からない」

 

グラスの氷が、かすかに鳴った。

 

耳郎は僕の手元を見つめていた。その視線を追い、僕も自分の掌を見る。

 

血はもうついていない。だけど、あのときの手応えも、悲鳴も、記憶から消えたわけじゃない。

 

「怖かった?」

 

「怖くはなかったけど、嫌だったよ。刃を握るのも、相手を傷つけるのも。戦いが終わったら吐いちゃったくらいにはね」

 

「......そっか」

 

「でも、後悔はしていない」

 

耳郎が顔を上げた。

 

「2人を守る必要があった。あの場で僕にできる方法を選んだ。その判断は正しかったと思う」

 

「司......」

 

「ただ、そこで警戒を解いて動けなくなったのは失敗だったかな。その隙に、八百万が人質に取られたし」

 

話を続けると、耳郎の表情が変わっていった。

 

首筋へ電気を流せる敵が八百万を捕まえ、僕に両目を潰せと要求したこと。相手の約束を信じるつもりはなかったこと。それでも、ほかに方法がなければ目を犠牲にする覚悟もあったこと。

 

「......ちょっと待って」

 

耳郎が僕の袖を掴んだ。

 

「今、何て言った?」

 

「八百万を助けるために、必要なら目を失うつもりだったって」

 

「そんなの、絶対駄目じゃん!」

 

勢いよく立ち上がった彼女のイヤホンジャックが、ぴんと伸びた。

 

「司が見えなくなったらどうするの!?ウチの顔だって見えなくなるんだよ!」

 

「分かってる。だから、そうならない方法を探した」

 

「そうじゃなくて!」

 

耳郎の声が震えた。

 

「ウチは、司が生きてれば何でもいいなんて思えない。ちゃんと笑って、好きなもの食べて、くだらないこと言って......そういう司が好きなの」

 

言葉が途切れる。

 

僕は彼女の手を取った。

 

「心配させたね」

 

「......させすぎ」

 

「次はもっと上手くやるよ。僕自身も無事で帰れるように」

 

「絶対って言ってよ」

 

「ヒーローを目指す以上、危険なことはある。でも、できるだけ頑張る」

 

耳郎は不満そうに唇を尖らせた。

 

「ほんと、変に正直なんだから」

 

「耳郎に嘘はつきたくないからね」

 

「......分かった。じゃあ、その言葉は信じる」

 

彼女はもう一度僕の隣へ座った。今度は、肩が触れるくらい近くに。

 

「それで、ヤオモモはどうなったの?」

 

「助かったよ。僕の個性も、新しい段階へ進んだ」

 

「......やっぱり」

 

「うん。八百万に告白した。八百万も、僕の気持ちを受け入れてくれたよ」

 

耳郎が動かなくなった。

 

しばらくして、メロンソーダのストローを指でくるくる回し始める。

 

「そっか。ヤオモモが、2人目なんだ」

 

「そうだね」

 

「知ってたよ。司の個性と考え方もなら、いつかこういう日が来るかもしれないって」

 

「うん」

 

「でもさ。いざ本当に来ると、ちょっと複雑」

 

耳郎は僕を横目で見た。

 

「ヤオモモのこと嫌いじゃないよ。むしろ大好き。真面目だし、優しいし」

 

「そうだね」

 

「だから、司のこと好きになったって聞いて、納得しちゃう自分もいるんだよね」

 

それから、耳郎は小さな声で付け加えた。

 

「......でも、嫉妬くらいはするから」

 

「もちろん。隠さなくていいよ」

 

「司、ヤオモモにも好きって言ったんでしょ?」

 

「言ったよ」

 

「何て?」

 

「努力家で、頭が良くて、真面目で。時々自信が持てないところも含めて好きだって」

 

「......ふうん」

 

耳郎が頬を膨らませた。

 

「そんなに細かく褒めたんだ」

 

「大切な告白だったからね」

 

「ウチには?」

 

「耳郎には何度でも言うよ。好きだよ」

 

「......それは知ってる」

 

そう答えながらも、彼女の耳は赤くなっていた。

 

「ねえ、司。ひとつ、お願いしていい?」

 

「何でもどうぞ」

 

「......名前」

 

「名前?」

 

「いつもウチのこと、耳郎って呼ぶじゃん」

 

「昔からそうだね」

 

「ヤオモモは、司さんって呼ぶようになったんでしょ?」

 

「うん」

 

「だったらウチも......恋人っぽい、特別なのが欲しい」

 

言い終えると、耳郎はクッションへ視線を落とした。

 

「これからは何時でも──2人きりのときは、響香って....呼んで」

 

僕は少しだけ顔を近づけた。

 

「響香」

 

「っ!」

 

身体が跳ねる。

 

「い、いきなり呼ばないでよ!」

 

「お願いされたからね」

 

「心の準備ってものがあるでしょ!」

 

照れ隠しに威嚇する耳郎を宥めながら言葉を紡ぐ。

 

「響香。僕の初めての、大切な恋人。これからも一緒にいてくれる?」

 

耳郎の目が潤んだ。

 

「......そんな聞き方、ずるい」

 

「嫌だった?」

 

「違う。嬉しいの」

 

彼女は僕の胸元に額を寄せた。

 

「ヤオモモが彼女になっても、ウチとの時間、ちゃんと作ってね」

 

「約束する」

 

 

 

少し無言になり....それから、僕の制服の襟をちょこんと掴む。

 

「──司」

 

「何?」

 

「キス、して」

 

僕は彼女の頬に手を添えた。

 

「いいよ、響香」

 

ゆっくり顔を近づける。耳郎が目を閉じ、僕たちの唇がそっと重なった──2人きりでも、意外と恥ずかしいな。

 

短いキスだった。

 

離れると、耳郎は僕の袖を離さなかった。

 

「......もう1回」

 

「今日は甘えん坊だね」

 

「今日くらい、いいじゃん」

 

「もちろん」

 

もう一度、今度は彼女の方から近づいてきた。

 

窓の外が暗くなり始めている。静かな部屋には、時計の音だけが響いていた。

 

しばらくして額を寄せ合うと、耳郎が照れくさそうに笑う。

 

「明日、ヤオモモとちゃんと話す」

 

「うん」

 

「ウチが最初の彼女だからって、威張るつもりはない。むしろ、遠慮して我慢されるのが嫌だし」

 

「耳郎らしいね。まあ、ギスギスしないならそれが一番だね。頑張って、響香」

 

「何それ、他人事みたい」

 

「それだけ信頼してるってこと」

 

「......もう」

 

耳郎は僕の肩に頭を預けた。

 


 

登校中、耳郎と並んで歩いていると、彼女が僕の袖を軽く引いた。

 

「ねえ、司」

 

「ん?」

 

「昨日のこと、覚えてる?」

 

「全部覚えてるよ」

 

「名前のことも?」

 

「もちろん」

 

「......そっか」

 

僕が笑うと、耳郎は慌てて前を向いた。

 

「学校では、いつもどおりでいいからね」

 

「了解、耳郎」

 

「うん。それでいい」

 

耳郎のイヤホンジャックが、機嫌よさそうに揺れていた。

 

教室へ向かう廊下で、八百万の姿を見つけた。彼女も僕たちに気づいたらしく、歩みを止める。

 

「おはようございます。耳郎さん、司さん」

 

最後の呼び方だけ、少し声が小さくなった。

 

「おはよう、八百万」

 

「おはよ、ヤオモモ」

 

八百万が胸元で両手を重ねる。

 

「その......昨日のこと、改めてお話ししたいと思っておりましたの」

 

「ウチも」

 

耳郎があっさり答えたので、八百万は目を瞬かせた。

 

「でも、まず言っとくね。司から全部聞いた」

 

「......はい」

 

「ヤオモモが司のこと好きで、司もヤオモモが好きなんだってことも」

 

八百万はぎゅっと唇を結んだ。

 

「申し訳ありません。耳郎さんが大切なお友達だからこそ、きちんと気持ちをお伝えしなければと思って......」

 

「謝らなくていいって」

 

耳郎が彼女の手を取る。

 

「ウチ、司の考え方は前から知ってたし」

 

「ですが、わたくしは......」

 

「それに、ヤオモモがどれだけ悩んだかも分かるよ」

 

八百万の瞳が揺れた。

 

「......耳郎さん」

 

「ただね。ウチだって嫉妬はするから。そのときはちゃんと言うし、ヤオモモも変に遠慮しないで」

 

「はい」

 

「それと、別に司を譲ったわけじゃないからね」

 

そう言って、耳郎は僕を指差した。

 

「で、司も。ウチらのどっちかに無理させたら怒るから」

 

「肝に銘じておくよ」

 

「返事が軽い!」

 

「真剣なんだけどなぁ」

 

八百万がくすりと笑った。

 

「わたくしも、耳郎さんのお気持ちを大切にしたいですわ。司さんとお付き合いするからといって、耳郎さんとの友情を失いたくありませんもの」

 

「うん。ウチもだよ」

 

耳郎は、八百万の手を握り直した。

 

「これからもよろしくね、ヤオモモ」

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

2人の笑顔を見て、僕は胸を撫で下ろす。

 

耳郎が受け入れてくれたからといって、何もかも解決したわけじゃない。これから、お互いが嫌だと思うことも出てくるだろう。

 

それでも、話して決めていけるなら、きっと大丈夫だと思う。

 

「じゃあ、僕からもひとつ」

 

2人がこちらを向いた。

 

「耳郎も八百万も、僕には大切な恋人だよ。どっちかが我慢して成り立つ関係にはしたくない。だから、何かあったらちゃんと言ってほしい」

 

「うん」

 

「はい、司さん」

 

八百万の頬が赤くなる。呼び方にまだ慣れていないんだろう。その様子を見た耳郎が、にやりと笑った。

 

「ヤオモモ、司さんって呼ぶたびに照れてない?」

 

「そ、そんなことは......!」

 

「耳まで赤いよ?」

 

「耳郎さん!」

 

「君たち、仲良くなりすぎじゃない?」

 

僕が口を挟むと、2人が同時に僕を見た。

 

「何か問題でも?」

 

「ないですわよね?」

 

「まあ、その方がいいか」

 

言い切ると、2人が顔を見合わせて笑った。

 

 

 

 

 

教室へ入ると、葉隠が真っ先に近づいてきた。

 

「八百万ちゃん!東雲くん!あの、昨日の!」

 

「葉隠、おはよう」

 

「おはようじゃなくて!あたし、ずっと気になってて!」

 

「はいはい。落ち着いて」

 

耳郎が割って入ると、葉隠はぴたりと止まった。

 

「......耳郎ちゃん、知ってるの?」

 

「聞いたよ。ヤオモモからも司からも」

 

「で、大丈夫なの!?」

 

「大丈夫。心配してくれてありがと」

 

葉隠はしばらく固まったあと、両手を勢いよく振った。

 

「よかったぁ!昨日は急に告白するし、東雲くんは強くなるし、もう何が何だか分かんなかったんだから!」

 

「葉隠、声が大きい」

 

「はっ!」

 

見えないけど、多分口元を押さえる姿を見て、思わず笑ってしまう。その声を聞きつけた芦戸が振り向いた。

 

「何なに?告白って聞こえたんだけど!」

 

「何でもないよ!」

 

「えー!絶対何かあるじゃん!」

 

「秘密にしたい話もあるんだよ」

 

「東雲が言うと、なんか怪しい!」

 

上鳴と瀬呂まで寄ってくる。

 

「昨日の事件で何かあったのか?」

 

「まあ、いろいろね」

 

「その言い方が一番気になるんだって!」

 

僕の横では、耳郎が呆れた顔をしていた。八百万は頬を赤らめている。

 

幸い、飯田が始業前の着席を呼びかけてくれたおかげで、質問攻めはそこで終わった。

 

席に着きながら、八百万が小さな声で言う。

 

「司さん。わたくし、まだ少し緊張してしまいます」

 

「無理に慣れなくていいよ。少しずつで」

 

「はい。ありがとうございます」

 

彼女の笑顔は、昨日の山岳ゾーンで見たものよりずっと穏やかだった。

 


 

午前の授業が終わると、教室は一気に賑やかになった。

 

昨日の事件について話していた生徒たちも、昼休みになれば腹は減るらしい。切島と上鳴は何を食べるかで盛り上がり、飯田は廊下を走らないよう注意している。

 

「ヤオモモ、お昼どうする?」

 

「今日は食堂へ行こうかと。耳郎さんは?」

 

「ウチも。芦戸たちに誘われてるんだけど、一緒にどう?」

 

「喜んで」

 

「司も来る?」

 

「そうだね。僕も......」

 

言いかけたところで、入口の方から声が上がった。

 

「えっ、B組の子じゃん!」

 

芦戸の声だ。

 

何だろうと思って振り向くと、教室の扉の前に小柄な少女が立っていた。

 

短く整えられた黒髪と、落ち着いた瞳。1年B組の小大唯だ。

 

「唯?」

 

名前を呼ぶと、彼女の視線がまっすぐ僕へ向いた。

 

「......司」

 

教室が、妙な具合に静かになった。

 

次の瞬間、芦戸が勢いよくこちらへ振り向く。

 

「えっ!?東雲に会いに来たの!?」

 

「マジで?他クラスの女子まで!?」

 

上鳴が椅子から身を乗り出す。

 

「なんだよお前!耳郎と付き合ってるんだろ!?」

 

瀬呂が半分笑いながら言うと、峰田が机を叩いた。

 

「どうしてだぁ!何で東雲のところばっか女子が来るんだよぉ!」

 

「お前ら、少しは落ち着けよ」

 

切島が苦笑する。その横で麗日も、興味深そうに小大を見ていた。

 

「B組の子やんな。知り合いなん?」

 

「うん。前に食堂で相席したんだ」

 

「あっ、あのマスコミが来た日?」

 

耳郎が思い出したように言った。

 

「そう。そのとき話して、友達になったんだ」

 

「なるほどねぇ」

 

耳郎は僕を見て、それから唯へ視線を移した。

 

表情には少し好奇心が混じっているけど、特に怒ってはいない。むしろ、どんな子なのか知りたがっているようだった。

 

八百万は一歩前へ出て、丁寧に頭を下げる。

 

「はじめまして。1年A組の八百万百ですわ」

 

小大も小さくお辞儀を返した。

 

「......小大唯」

 

「小大さんですわね。どうぞよろしくお願いいたします」

 

「......ん」

 

短い返事にも、八百万は柔らかく微笑んだ。そのとき、葉隠がひょいっと僕のそばへやってきた。

 

「ねえねえ、東雲くん。その子も東雲くんを訪ねてきたんだよね?」

 

「そうみたいだね」

 

「昨日の今日で、また女の子が......もしかして、東雲くんって....」

 

「葉隠?」

 

耳郎が名前を呼ぶと、葉隠の身体がびくりと跳ねた。

 

「な、何でもない!あたし何も言ってないよ!」

 

「いや、まだ何も聞いてないけど」

 

「みんな、唯が話しにくそうだから、ちょっと静かにしてくれる?」

 

僕がそう言うと、芦戸が両手を上げた。

 

「はーい!ごめんね、小大ちゃん!」

 

小大は小さく首を横に振る。

 

「......平気」

 

それから僕のところへ歩いてきた。

 

鞄の持ち手を握る指に、少し力が入っている。

 

「小大、どうしたの?何か用事?」

 

「......昨日」

 

「昨日?」

 

「USJ」

 

ああ、なるほど。

 

「心配して来てくれたんだ?」

 

「......怪我、してない?」

 

「今はないよ。見ての通り、元気」

 

彼女はすぐには返事をしなかった。僕の顔、腕、肩へと順番に視線を移し、最後にもう一度顔を見上げる。

 

確かめ終えたのか、ようやく小さく息を吐いた。

 

「......よかった」

 

その一言が、妙に嬉しかった。

 

たまたま昼食を一緒にしただけなのに、わざわざB組から訪ねてきてくれた。誰かの無事を気にかけられるなんて優しい。

 

「ありがとう、唯。心配してくれたんだね」

 

「......ん」

 

頬がほんの少し緩んだ気がした。

 

背後から、芦戸の小声が聞こえる。

 

「ねえ、なんか可愛くない?」

 

「めっちゃ静かだけど、東雲の顔見て安心してたよな。優しそうだなっ!」

 

切島が答える。

 

「東雲って、こういうとき妙に優しいよなぁ」

 

上鳴の言葉には、何となく棘があった。

 

「普通に友達と話してるだけだよ」

 

「だから、その普通が分かんねえんだって!俺も女の子と普通にはなしたいっだけどっ!?」

 

このまま教室にいると、ずっと注目されそうだ。

 

「そうだ、唯。お昼はもう食べた?」

 

「......まだ」

 

「なら、一緒にどう?せっかく来てくれたんだし」

 

小大の瞳が、少しだけ大きくなった。

 

「......いい?」

 

「もちろん」

 

「おおっ!2人でランチ!」

 

芦戸が楽しそうな声を上げる。

 

「東雲、また女子と2人きりかよ!耳郎に怒られるぞっ!」

 

上鳴が大げさに肩を落とした。

 

「ほら、司。また何か言われてる」

 

耳郎が僕を見上げる。

 

「困ったものだね」

 

「まったく思ってないでしょ」

 

「よく分かったね」

 

耳郎は呆れたように笑ったあと、声を少し落とした。

 

「ウチとヤオモモは芦戸たちと食べるから、行っておいで」

 

「そのつもりだよ」

 

「せっかく心配して来てくれたんだし、ちゃんとお礼してきなよ」

 

耳郎の言葉に八百万も頷き、僕と唯は騒がしい教室を後にした。

 


 

ランチラッシュの定食メニューが並ぶカウンターの前で、唯が足を止める。

 

「どれにするの?」

 

「......魚」

 

「魚定食か。僕はハンバーグにしようかな」

 

「......おいしそう」

 

「どっちが?」

 

「両方」

 

「それなら、おかずを少し交換する?」

 

小大は僕を見上げ、こくりと頷いた。

 

注文した料理を受け取り、窓際の空いているテーブルへ向かう。運良く2人席が空いていた。

 

「前は席がなくて、相席になったんだっけ」

 

「......うん」

 

「しかも途中で騒ぎになった。災難だったね」

 

小大は頷いてから、箸を取った。

 

「......でも、退屈しなかった」

 

「それはよかった。僕も楽しかったよ」

 

小大の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

食べ始める前に、僕は自分のハンバーグを一口分切り分け、唯の皿へ移した。

 

唯も魚を少し分けてくれる。

 

「ありがとう。いただきます」

 

「......いただきます」

 

しばらくは料理を味わう時間になった。

 

当たり前のように昼食を食べられることが、今日は少しだけ特別に感じられた。

 

「B組は昨日のことで何か言われた?」

 

「......安全確認」

 

「そうだよね。雄英の中であんな事件が起きたんだから」

 

小大は箸を止めた。

 

「......怖かった?」

 

「うん。危ない場面はあったよ」

 

「......そう」

 

「でも、今は大丈夫。こうして小大とお昼を食べてる」

 

彼女は僕の言葉を聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。

 

「心配してくれて、ありがとうね」

 

「......ん」

 

「わざわざA組まで来るの、緊張しなかった?」

 

小大は一度、箸を置いた。

 

「......別に」

意外と肝っ玉が座ってるらしい。

 

言葉が途切れても、不思議と気まずくならない。

 

唯は無口ではあるけど、やり取りそのものを拒んだりはしない。僕の言葉をちゃんと聞いて、考えてから返してくれてる気がする。

 

こういう会話も、悪くない。

 

「惟はB組、もう慣れた?」

 

「....だいぶ」

 

「友達はできた?」

 

「......いる」

 

「そっか。よかった」

 

お互いに近況を話しながら、定食を食べ終えた。

 

食器を返却口へ運んだあと、僕は自動販売機で微糖の缶コーヒーを買った。

 

小大はその缶をじっと見ている。

 

「......甘い?」

 

「それなりにね。苦いコーヒーはあんまり得意じゃないんだ」

 

「......意外」

 

「大人っぽく見える?」

 

小大はしばらく考え、それから首を傾げた。

 

「......少し」

 

「そこは迷わず頷いてほしかったな」

 

彼女が小さく笑った。その笑顔を見て、また一緒に話す機会が欲しいと思った。

 

「よかったら、連絡先を交換しない?」

 

言い終えるより早く、小大は制服のポケットから携帯電話を取り出した。

 

「......ん」

 

「用意がいいね」

 

「......聞こうと、思ってた」

 

「そっか。嬉しいよ」

 

互いの連絡先を登録する。画面に『小大唯』の名前が表示されると、彼女も自分の画面を見つめて、小さく頷いた。

 

「これで、何かあったら連絡できるね」

 

「......うん」

 

「もちろん、何もなくても送っていいから」

 

「......送る」

 

「楽しみにしてるよ」

 

予鈴が鳴った。

 

「そろそろ戻らないとね」

 

唯は携帯電話をしまい、僕を見上げた。

 

「......また、昼」

 

「うん。また一緒に食べよう」

 

「......約束」

 

差し出された小指に、思わず目を丸くする。

 

「そういうこともするんだ?」

 

「......駄目?」

 

「まさか。嬉しいよ」

 

僕も小指を差し出して、軽く絡めた。

 

「約束」

 

指を離した唯は、わずかに微笑んだ。階段の手前で別れると、彼女は一度だけ振り返って手を振った。

 


 

午後のホームルームが始まる頃、教室の空気はまた少し引き締まっていた。

 

扉が開き、相澤先生が入ってくる。包帯姿を見て、何人かが心配そうに立ち上がった。

 

「先生!もう動いて大丈夫なんですか!?」

 

「医者の許可は出てる。座れ」

 

相澤先生は教卓に書類を置いた。

 

「昨日の件はまだ調査中だ。追加で事情を聞かれることもある。適当な情報を広めるなよ」

 

全員が頷く。

 

「それと、今後の授業と行事についてだが......予定は変更しない」

 

先生は黒板に、大きく文字を書いた。

 

『雄英体育祭』

 

「例年通りに開催される」

 

「体育祭!?」

 

教室が一気に騒がしくなった。

 

「こんな事件のあとで、やるんですか!?」

 

「ああ、だが警備は増やすことになる」

 

相澤先生は全員を見渡す。

 

「プロヒーローも注目する舞台だ。自分の力を見せる機会だと思え」

 

「燃えてきたぜ!」

 

切島が拳を握る。爆豪は不敵に笑い、緑谷は何やらノートに書き込み始めた。

 

「司、体育祭だって」

 

耳郎が僕の袖を引く。

 

「うん。楽しみだね。当日の屋台、何から回ろうかな」

 

「言っとくけど、ウチだって負ける気ないから。そんなこと言ってると、ウチよりも早く脱落するよ」

 

後ろから八百万が身を乗り出す。

 

「わたくしも全力で挑みますわ。司さんにも、耳郎さんにも」

 

「お互い頑張ろうね。勝つのは僕だけど」

 

僕は自分の掌に目を落とす。

 

僕が目指すべきヒーロー像は昨日の出来事のお陰で固まった。

 

僕の名前を聞いただけでヴィランが恐れるような、誰よりも強い力を持つヒーローに僕はなる。

 

「......よし」

 

小さく呟くと、耳郎が首を傾げた。

 

「何か言った?」

 

「いや。体育祭、楽しみだなって」

 

「ふふっ。意外と負けず嫌いだよね、司は」

 

「今さらでしょ?」

 

笑い合いながら、黒板に書かれた文字をもう一度見つめた。

 

雄英体育祭。

 

僕たちの次の舞台が、静かに幕を開けようとしていた。

 


 

耳郎

 

 

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小大

 

 

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