阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
苅田の本陣が見えてきたのは、府内を出て六日目の昼過ぎだった。
府内から苅田の陣まで宗茂殿の馬の前に乗せられてきた。
後ろから回った腕に、ずっと押さえられてきた。
道中、落ちる心配は一度もなかった。
代わりに、腿の内側が擦り切れていた。
鞍を跨いだまま揺られれば、乗せられているだけの身でも、袴の下で火箸を当てられたような痛みが残る。
「宗茂殿。ここで、降ろしてください」
「陣は、まだ先にございます」
「ここからは、歩きます」
「歩けませぬでしょう」
「いえ、歩きます」
言い張った。
訳がある。
僕はこれからこの陣で、差配をする。
そんな人間が着いた早々に女武者の腕に抱えられて入ってきたら、誰が言うことを聞くだろうか。
中身の話ではない。見え方の話である。
僕が華奢な餓鬼なのはおいておく。
宗茂殿は、手綱を引いて馬を止めた。
腰を掴まれ、地面に下ろされる。
足が土に着いた途端、地面が斜めになった。
斜めになったまま近づいてくる地面を、襟首を掴まれて止められた。
「宗茂殿、助かりました」
「今しばらくは馬上におられては?」
「いえ、ここは歩かねばなりません」
事実、歩けていなかった。
歯を食いしばって、もう一度、足をつけた。
一歩目で、膝がかくんと抜けかけた。
抜けかけたが、倒れはしなかった。
二歩目は、もう少しましだった。
宗茂殿は、それ以上何も言わなかった。
馬の轡を取って、半歩後ろを、彼女は僕と同じ速さでついてきた。
器用である。倒れたら、いつでも受け止められる間合いであった。
気づいていた。
気づいていたけれども、僕は前を見て歩く。
「惟将殿。昨日の続きを、伺ってもよろしいですか」
「歩きながらで、よろしければ」
六日の道中、馬の上で、ずっと喋っていた。
府内を発つ前の晩までに、豊前の絵図と、去年の門司の陣立てと、大友方の諸隊の将の名と所領を、頭に入るだけ入れてきた。
入れたものを、そのまま背中越しに宗茂殿へ流し込んだ。
宗茂殿は、一度聞いたことを、二度は聞かなかった。
聞き返すのは、いつも、その先のことだった。
「昨日は、陣を張る場所の話でした。水の手と、退き口と」
「はい。では、続きです。陣に入ったら、まず、どこを見ますか」
「旗にございます」
「旗の、何を?」
「色が、悪いところを」
「旗の色が悪いとは?」
「立て方が、いい加減になっております。傾いていても、誰も直さぬ。直さぬのは、旗の下の者が、旗を見ておらぬからにございます」
一度で、覚えている。
覚えた上に、自分の言葉で返してきている。
擦り切れた腿の痛みが、どこか遠くなった気がした。
◇
苅田の陣は、広かった。
広く、独特であった。
まず海が近かった。潮の匂いが、陣幕の隙間から絶えず流れ込んでくる。
次に波の音がした。満ち引きの音が、とてもうるさい。
だからだろう。
人の声を聴かないのは。
前線の陣はもっと活気があるものだと思っていた。殺気立っていると思っていた。
しかしあまりにも、士気がない。
これは負ける陣だ。
去年、確かに大友は門司で大敗している。
一万五千で囲んで、落とせなかった。
それどころか、退く時に毛利の水軍に食われて、恐ろしい数を失った。
その記憶を抱えたまま、同じ場所に、また来ている。
きっと近場の兵らは、それを知っている。
知っていて、口には出せない。
また来てしまったと思っている。だから静かになる。
陣の中を、しばらく歩いた。
宗茂殿は、黙って僕の後ろをのっのっとついてきた。
歩きながら、僕は三つのものを見ていた。
『一、竈の数』
『二、飯を炊いている煙の数』
『三、炊いた後の、灰の量』
三つ目が、一番分かりやすい。
灰の量は、くべた薪の量で決まる。
薪の量は、炊いた飯の量で決まる。
各隊の竈の灰を見れば、どこが規定通りに食っていて、どこが食わせていないかが分かる。
灰を掻いた指が、日暮れには真っ黒になっていた。
陣屋に戻って、板に書き出す。
府内で頭に入れてきた諸隊の名と、一つずつ突き合わせていく。
突き合わせ終えた数を、行灯の下に並べてみた。
「……負ける」
◇
その夜、道雪殿の陣屋に押しかけた。
押しかけて、板を突き出した。
道雪殿は、輿から降りて脇息にもたれていた。
手元には盃。
「おうおう、惟将や。なんじゃ血相を変えて。毛利勢が来たか?」
「違いますが、急ぎこちらをご覧いただきたく」
枯れた指が板を受け取り、行灯の方へ傾けた。
「なんじゃこれは」
「各隊の竈の灰の量です。ここからおおよその炊いた飯の量が分かります。規定通りに食うておられるのは五隊。立花隊、高橋隊、田原隊、それを支える支隊が二つ。残りは、減らしております。二割から、三割ほど」
盃が、膳に戻った。
「惟将や。それは、どこの陣でも起こりうることじゃ。陣中で飯を減らせば、銭が浮く。その浮いた銭を、自分の懐に入れる将はおる」
「存じております。ですが、おばあ様。減らし方が妙なのです」
板を裏返した。
裏に、別の数を書いてある。
「こちら、昨日より前の分にございます。宿に残っていた記録から拾いました。三日前まで、減らしていない隊がございます。一昨日から、急に減らし始めた隊が、四つ」
道雪殿の指が、板の縁で止まった。
「一昨日、何があった」
「門司の物見が、戻っております。毛利の陣容が知れました。去年より、多いそうです」
道雪殿の目が、板の上の四つの名をなぞった。
なぞり終えるのに、ほとんど間はかからなかった。
「食わずに残して、蔵に溜める。溜めた分を、退く時に担いで国へ帰る肚か」
言おうとしていたことを、そのまま先に言われた。
「はい。銭を浮かせているのではございませぬ。これは退く支度です」
行灯の芯が、踊った。
道雪殿は、盃にも手を伸ばさず、板を見つめていた。
「四隊とも、豊前と筑前の国人衆じゃな。譜代ではない」
「はい」
こちらへ上がってきた道雪殿の目は、冷徹だった。
ぞっとするほど、冷えた目だった。
「その四隊の名を、誰かに申したか」
「申しておりませぬ」
「よい。申すな。今、露見すれば、あの者どもは今夜にも逃げる。逃げれば、陣が割れる。割れた陣は、毛利に食われる。今は、知らぬふりをせい」
頷いた。
頷いたうえで、一つだけ聞いた。
「おばあ様。知らぬふりをして、この戦に勝てますか」
返事の代わりに、盃が取られた。
一息で、空になった。
「勝てぬな」
◇
翌日、軍議に呼ばれた。末席である。
上座に、宗麟様がいた。
陣中のこの人は、扇を持たない。
代わりに、細い鞭を手にしている。
その鞭の先が、広げた地図を打った。
「門司じゃ。今年こそ、落とす」
陣幕の内が、二色に分かれた。
昨年の雪辱に燃える者。
そして、乗り気でない者。
後者は前者に足並みをそろえたと思っているようだが、一から十まで見ていた僕には、はっきりと二の足を踏む色が見えた。
「宗麟様。恐れながら、門司の城は海に突き出しております。攻めるには海路が要りますが、当方の水軍は―――」
「知っておる。去年、それで負けた」
鞭が、地図の東へ滑った。
「じゃが、今年は尼子が動く。出雲の尼子義久から、書状が来ておる。毛利を東から突く。毛利が東を向けば、門司の守りは薄うなる。その隙を、突く」
「おお!!」
陣幕の内に、ほっとしたような声が混じった。
声を上げたのは、やはり上座の側の将ばかりだった。
府内の広間と同じである。
下座の床几に並ぶ顔は、まだ口を結んだまま地図を眺めている。
尼子が動く。
それは本当だろう。
謀る理由がないからだ。
だが尼子が動いたとして、毛利が門司から兵を引くとも限らない。
毛利にとって門司は、九州へ渡る橋の袂である。
ここを手放せば、九州へ手を伸ばす道が消える。
東で尼子と戦いながら、西で門司を保てるか。
それは毛利の兵の数次第だ。
兵数次第だが、捨てるならば、東だ。
そもそも、落ち目の尼子ごときで、毛利は門司を手放すだろうか。
そこまで考えて、僕は前提を誤っていることに気づく。
門司の価値を担保しているものはなにか。
「惟将よ」
上座から、声が飛んできた。
考えをまとめる最中で声を掛けられる。
「そなた、また何か書いておるな。申せ。下座の者にも、分かるようにな」
最後の一言で、宗麟様の目が、ちらりと下座の列を撫でていった。
府内の評定で、僕が申し上げたことを、この人は忘れていない。
下座の者のために、僕はなんでもいいから意見を求められている。
しかしこれをいってもいいモノか。見当外れではないか。
でもここで言わなければ、僕がここで発言する機会はおそらくない。
僕は目をつぶった。
ゆっくり三つ数えるほどの間に、考えをまとめ、決めた。
「では、申し上げます」
背に鋼を通したようにシャンとし、堂々と声を張る。
「門司は、『鶏肋』にございます」
陣幕の内が、静まった。
下座の端の方から、気味悪そうな声が上がった。
「……なんじゃ、それは」
「唐土の故事にございます。曹操という将が、ある土地を巡って敵と睨み合っておりました。攻めても勝てぬ。かというて、退けば面目が立たぬ。その夜、曹操が夕餉を食うておりますと、膳に鶏の肋がございました」
自分の脇腹を、指でなぞってみせた。
「鶏の肋には、肉がほとんどついておりませぬ。食うても、腹は膨れませぬ。ですが、捨てるには惜しい。しゃぶれば、少しは味がございますゆえ。曹操はその骨を見て、独り言のように申しました。『鶏肋』と」
「今一度申し上げます。門司は『鶏肋』にございます。落としても、腹は膨れませぬ」
床几が、軋んだ。
身を乗り出したのは、下座の列の、具足の胴に傷の多い将だった。
「阿蘇殿、門司は関門の要にございますぞ!!要を落として、腹が膨れぬとは」
発言をためらっていた下座のお方だ、流石に黙ってはいられなかったのだろう。
ともかく下座から、声が出た。
それだけで、胸の奥がわずかに軽くなった。
それはさておき、続ける。
「では落とした後をお考えください。門司は、海に突き出した岬の城にございますな」
地図の上の、岬の先を指した。
「陸からは細い道が一本。海からは、四方どこからでも寄せられます。あの城を保つには、海を押さえねばなりませぬ。当方の現在の水軍戦力で、関門の海を押さえられますか」
誰も、答えなかった。
「はっきり申し上げましょう。現状の我らではとても押さえられませぬ。去年、万全の状態であったお味方の水軍でも、負けておりますので」
陣幕の内の空気が、音を立てて固まった。
言ってはならないことを言った自覚はある。
しかし承知の上である。
「門司を落としても、保てませぬ。保てぬ城を落とすために、今年、何人死にますか」
「阿蘇殿!!貴殿は退けと申されるか!!」
「申しませぬ。門司を毛利に渡すのは、なお悪うございます」
「では、どうせよと」
地図から、指を離した。
「誰のものにもしませぬ」
鞭の先が、地図の上で止まった。
「惟将。い、今。なんと申した?」
「門司を、誰のものにもいたしませぬと申しました。大友のものにも、毛利のものにもいたしませぬ」
「そのようなことが、できるか」
「できまする。公方様に、お願いいたします」
陣幕の内が、大きく、ぐらりと揺らいだ。
「関門の海峡は、九州と本州を繋ぐ道にございます。ここを一方が塞げば、双方が困ります。困るのは、我らと毛利だけではございませぬ。堺の商人が困ります。博多の商人が困ります。明との商いが滞ります。そして、都が困りまする。京へ入る荷の少なからぬ数が、あの海を通っております故」
宗麟様の目が、細くなった。
「惟将。そなた、公方に何を言わせる気じゃ」
「関門の通行を、公方様の御沙汰といたします。城の帰属は、決めませぬ。棚上げにいたします。ですが、海峡を通る船は、いずれの家も止めてはならぬ。これを、公方様のお名で定めていただきます」
ざわめきが、さっきとは違う色を帯びた。
「毛利は、城を持てます。ですが、海の利を独り占めにはできませぬ。大友は、城を取れませぬ。ですが、博多への道は塞がれませぬ。どちらも、満足はいたしませぬ。ですが、どちらも、死にませぬ」
陣幕を叩く海風だけが、しばらく鳴く。
上座の重臣が口を開いた。
「阿蘇の。公方様が、動くと思うか」
「動きまする。公方様は今、諸国に御名を示したがっておられます。毛利と大友の争いを、公方様のお言葉で止めた。これは、たいそうな手柄にございます。銭も、兵も、要りませぬ。これが成れば、紙一枚で西国の二大家を収めたことになります。断る理由が、ございませぬ」
宗麟様の鞭が、手の中で一度、くるりと回った。
「して、誰が京へ話を通す」
その問いを、待っていた。
「わたくしが、通します」
陣幕の内が、爆ぜた。
「阿蘇殿!!貴殿は肥後の国人ではないか!!」
「一地方の国人風情が公方様に物を申すなど!!そなたら阿蘇を庇護しておる我ら大友も白い眼を向けられるぞ!!」
「大言壮語である!!僭越であろう!!」
「静まれぃ!!」
宗麟様の一声で、陣幕の内が水を打ったようになった。
その目が、まっすぐ僕に据わった。
「惟将。そなた、何者じゃ」
「……阿蘇神社大宮司家の、嫡子にございます」
陣幕の内の空気が、すっと入れ替わった。
「わたくしの家は、先代が朝廷より従二位を賜っております。武家の筋ではございませぬ。神職の筋にて、京に文を差し上げることは、僭越にはあたりませぬ。大友家を通しませぬ故、大友家のお立場にも障りませぬ」
宗麟様は、長いこと僕を見ていた。
やがて、鞭が床几の上に置かれた。
「惟将。そなた、その札を、いつから持っておった」
僕は堂々と、宗麟様に告げた。
「生まれた時からにございます」
◇
軍議が果てたあと。
陣屋を出たところで、輿に行く手を塞がれた。
「惟将や。一つ、聞き忘れた」
「なんでしょう」
「『鶏肋』の故事じゃ。独り言を申した曹操の陣に、その独り言の意を、読んだ者がおったろう。その者は、どうなったか」
まあ知っているよな、と息を吐く。
それでも軍議の間じゅう、輿の上で口をつぐんでいたことに感謝しながら、僕はおばあ様に答えた。
「斬られました。確かに曹操は、陣を退く肚を固めておりました。ですがまだ誰にも申しておりませなんだ。その者は、独り言から主の肚を読み、勝手に退く支度を始めました。軍を乱した咎にて、斬られたのです」
頭を下げた。
「おばあ様。わたくしは、今日、同じことをいたしました。主の肚を、勝手に読みました」
返事はなかった。
代わりに、輿が寄ってきた。
枯れ枝のような手が伸びて、僕の頭を鷲掴みにした。
指が、髪の根まで食い込む。
「そなたの申した通りじゃ。宗麟は、退きたがっておった。去年の大敗で、腹は決まっておった。じゃが、言えなんだ。言えば、退き腰と見られる。見られれば、国人が離れる。そなたは、それを代わりに言うた。ゆえに、斬られぬ」
頭の上の手が、ふっと緩んだ。
「その者が斬られたのはな、惟将や。肚を読んだからではない。読んだ肚を、主より先に、他人に触れ回ったからじゃ。そなたは、軍議で申した。主の前で、主に申した。下座の者にまで、筋道を見せて申した。それは、諫言じゃ」
緩んだ手が、今度は、髪を一度だけ撫でつけていった。
「よう、間違えなんだの」
◇
その夜、陣屋で文を書いていた。
京へ出す文である。
宛先は、幕府ではない。
軍議の場では省いた話だが、僕は幕府に直接手紙を出すことはできない。
阿蘇神社と縁のある京の社家に出し、そこから、公家筋へ。
公家筋から、幕府へ。
直に出しては、届く前の改めで握り潰されるためである。
三段構えで、時はかかる。
しかし無用な争いを行うよりもよい、確かな筋を選んだつもりだ。
筆を走らせていると、陣屋の垂れ幕が持ち上がった。
「惟将殿」
具足のままの宗茂殿が、垂れ幕をくぐってきた。
この陣では、夜も具足を脱がない決まりになっている。
胴の黒漆に、行灯の火が細く映っていた。
「まだ、起きておられましたか。お休みくださいませ」
「もう少しで、終わります」
「またおしろいで隠されますか?」
「……」
筆を置くしかなかった。
「何か、ご用でしたか」
「本日の軍議のことにございます。内容は母上から伺いました」
宗茂殿は、文机の向かいに腰を下ろした。
具足の草摺が、畳に触れて、からりと鳴った。
「惟将殿。あの場で、何が見えましたか」
「顔です。僕が鶏肋の話をした時、誰が、どういう顔をしたか。怒った顔をした方が、七人。困った顔をした方が、十一人。そして、ほっとした顔をした方が、四人おられました」
「ほっとした、顔」
「その四人が、四人とも、明らかに飯を減らしておられる隊の将でした。つまりあの方々は、退きたがっている。僕が『退け』と言わずに『誰のものにもしない』と言った時、その四人だけが息をつきました。退く口実が、できたからです」
宗茂殿の目が、板の上の名と、僕の顔とを、行き来した。
「それは、何を見れば分かるのですか」
「息です」
断言する。
「人は、呼吸なしでは生きられません。だから息と心の状態は繋がります。緊張をもたらす要因から解放されると、人は息をつきたくなるのです。だから、気づかず息を吐きます。顔は作れます。声も作れます。ですが、息までは、なかなか作れません。具足を着けている時は、なおさらです。息を吐くと、胴が沈んで身体が揺れます」
宗茂殿は下を向いて、息を吸って、吐いた。
自分の具足が動くさまを、確かめるように。
「惟将殿」
「はい」
「明日、共に前へ出ていただけませぬか」
「前ですか」
「宗麟様より物見を仰せつかっております。此度は門司の手前、毛利の陣を遠くから見るだけにございます。争いはいたしませぬ。ですが」
黒漆の胴の上で、指が組まれた。
「陣は、惟将殿が見る。見つけたところを、わたしが突く。そう仰いました。ならば、まずは見る場所まで、わたしがお連れいたします」
心が、嫌がった。
前線の、もっと前へ。
敵地へ、僕らだけで。
僕は笑顔を作った。
宗茂殿に師だと頼りにされて、僕が僕の意思で約束したことを、違えるのは僕が許さない。
「無論です。僕が見る分は、お任せください。陣の形は、槍の目で見る人の方が、きっと早い。だから、二人で見ましょう」
宗茂殿が、すっと立ち上がった。
行灯の明かりが遮られて、文机の上に大きな影が落ちる。
その影の中に、手が差し出された。
「では、参りましょう」
明日の話では?
「今からにございます」
「え」
「夜の方が、竈が見えまする。火が、見えますゆえ」
言い返す言葉が、どこにもなかった。
差し出された手をひたりと取ると、僕はすっと引き起こされた。
まるで庇護するべきひな鳥でも持ち上げるように。
「加減を、覚えられましたね」
「惟将殿の、ためですので」
真顔だった。
◇
支度をした僕は、陣を出て、宗茂殿が待つ馬のところまで来た。
供回りは僅か。宗茂殿も供回りも皆、馬に騎乗していた。
それ以外の馬が見当たらない。
「宗茂殿。僕の馬は」
「ございませぬ。道中と同じにございます。惟将殿が、前。わたしが、後ろ」
「今夜くらい、自分で」
「はっはっは、ご冗談を」
「真顔で言わないで。すごく傷つく」
でも観念した。
いまはまじめな仕事の話だ。
「お願いします」
「はい」
腰を、両手で掴まれた。
次の瞬間には、鞍の上に置かれていた。
背後で、鐙を踏む音がした。
後ろから腕が回ってきて、僕の両脇を通り、手綱を取った。
ここまでは、六日間と同じだった。
「……」
今まで背中や頭に当たっていたのは、黒漆の胴の、冷たくて硬い板だった。
今、頭に当たっているものは、違った。
いつの間に外したのか、胴は鞍の脇に括りつけてあった。
小袖一枚を隔てて、柔らかくて、あたたかいものが、頭いっぱいに当たっている。
というかほぼ乗っかっている。
「宗茂殿」
「はい」
「近いです」
「はい」
「だめです」
「なぜ、だめなのでしょう」
本気で聞いていた。
背中越しに伝わってくる声が、少しも揺れていない。
「あの、その、当たっております」
宗茂殿が首をおろしてくる気配を感じ、僕の耳のすぐ後ろで、息がひとつ、ふっと笑った。
「当てているのです」
馬が、歩き出した。
そろそろストック切れそう……
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