阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
苅田の陣を出て、海沿いの道を僕らは馬を走らせていた。
だいたい四半刻が経ったくらいだろう。
僕はずっと、前だけを向いていた。
向いているしかなかった。
振り返れば、顔がぶつかる。
何がとは言わせないでほしい。
頭に当たっているものは、馬が一歩進むごとに、少しずつ重みを増していた。
馬の揺れのせい、とは思えない。
揺れなら、離れる方にも動くはずである。
寄ってくる一方だった。
むにゅ
「ひゃん!?」
思わず変な声が出た。
供回り含めて皆、馬足を止めて僕を見た。
恥ずかしい。とても恥ずかしい。
こっち見んな。
「惟将殿、あの、さっきのは―――」
「はい」
「何ですか」
「えっ、何ですか!?えっ、貴女がそれ言います!?」
「惟将殿、敵地の近くなので叫ばないでいただけると助かります」
「あっはい」
なんで僕が怒られているんだ。
供回りの立花家の方々に何とかしてよと目線を送るもそっぽを向かれた。
なんでー。
手綱を取る両の腕は、僕の脇を挟んだまま少しも緩まなかった。
諦めて、夜風に顔を晒した。
左手は、黒い海だった。
波頭だけが、月を拾って白く砕けている。
その向こう、海を隔てた対岸に、点々と灯が見えた。
周防、毛利の国だ。
あの灯と、これから見に行く門司の灯は、夜の海を挟んで、指を伸ばせば届きそうなほど近い。
近いから、奪い合う。
府内で頭に入れてきた絵図の線が、目の前の闇に、ぴたりと重なっていった。
「惟将殿、何か見えましたか」
「まだ、なにも」
背中で、草摺が一つ、からりと鳴った。
◇
門司の手前、二里ほどの丘で、馬を降りた。
正確には、降ろされた。
腰と膝裏をもって、また軽々と。
というかお姫様抱っこである。恥ずかしい。
丘の縁までは、這って行った。
立って歩けば、遠目に見つかる。
夜露を含んだ草が、袖の中まで冷たく濡らした。
草の陰から、下を覗いた。
覗いた途端、喉の奥で息が詰まった。
火が、見えた。毛利の陣である。
岬の付け根から海沿いの平地まで、火が、帯のように敷き詰められていた。
府内で読んできた去年の記録より、明らかに多い。
「宗茂殿。多いですね」
「多うございます」
「先に物見に出た者は、去年より多いと言っていましたが………?」
火を、数えるともなく見ていた。
見ているうちに、別のことが引っかかった。
揃いすぎている。
火と火の間が、綺麗すぎるのだ。
軍の陣というのは、もっと不揃いになるものだ。
何故ならこの時代の軍隊というものは、指揮系統が帰属する先がばらばらであるからだ。
地面の起伏があり、隊ごとの癖があり、水場からの遠さが違う。
だから火は、ばらけて灯るはずなのだ。
あの火は、ばらけていない。碁盤の目のように並んでいる。
「宗茂殿。火の間が、揃いすぎています」
草の上で、隣の大きな体が、肘をついて身を乗り出した。
身を乗り出したまま、長いこと、下の火に目を据えていた。
「整いすぎております。軍団の陣は、大軍であるほど崩れるものにございます。崩れぬ陣は、崩さぬようにしている陣にございます。要は見せるための陣かと」
そこまで言って、宗茂殿の目が、すうっと細くなった。
「それに、煙が」
「煙?」
「夜陰に紛れているため見えづらいですが、上がり方が薄うございます。飯を炊いている火は、もっと濁りまする。あれは薪を燃やしているだけかと。半分ほどは、人がおりませぬ」
思わず、草の上で体ごとそちらへ向き直った。
火の並びまでは、見えていた。
煙の色までは、見ていなかった。
夜陰ゆえに、判別が難しかったところ、宗茂殿が拾ってくれた。
口の端が勝手に上がっていた。
「宗茂殿」
「はい」
「僕が火の並びを見て、宗茂殿が煙を見た。二人で、一人前でしたね」
「師の教えの賜物です」
宗茂殿は、僕の顔を見た。
見て、それから、下の火へ目を戻した。
「教えがなければ、そこまで見ようとも思いませんでした」
ひっそりと宗茂殿が答える。
彼女の指が、草をひとつかみ、ゆっくりと握り込んでいった。
◇
丘を降りる道すがら、僕は見たものを頭の内でまとめていた。
考えをまとめたくて、しばらく馬には乗らず、僕だけ歩いていた。
毛利は、兵を多く見せている。
なぜか。
実際には、多くないからだ。
尼子が東で動いている。
毛利は、東に兵を割かねばならない。
だから門司には、去年ほどの数を置けない。
置けないから、火で水増しする。
ここまでは、いい。道理は合う。
問題は、その先だ。
その推測が合っているとしても、ではあちらは、どうやって大友に勝つつもりでいるのであろうか。
兵が少ないのに、去年と同じ結果を出そうとしている。
正面から当たって足りぬ戦力であるならば、別の手を使う。
別の手。計略。
足が、勝手に止まった。
後ろの蹄の音も、止まった。
「戻りましょう」
「阿蘇殿?我ら戻っておりますが?」
供回りの質問に割って入るように、宗茂殿が馬上から僕に手を差し出した。
「急ぎですか」
「急ぎです」
片手で僕の身体が軽々と持ち上げられる。
ストンと僕が鞍の上に置かれるのと、馬が駆け出すのとが、ほとんど同時だった。
◇
苅田の陣に駆け込んだのは、明け方だった。
その足で、道雪殿の陣屋の垂れ幕をくぐった。
行灯が、まだ灯っていた。
脇息にもたれた道雪殿の膝の上で、板が何枚も重なっている。
寝ていないのは、一目で分かった。
「宗茂、惟将、夜駆けご苦労。物見に出たと聞いた。何が見えた」
「先に出ていた物見は、騙されておりました。毛利の兵は、先の報告よりも少のうございます。火を多く焚いて、水増ししております。半分ほどは、人がおりませぬ」
「なぜ分かる」
「火の並びが、揃いすぎておりました。それと、煙が薄いと、宗茂殿が」
道雪殿の口元が、ほんのわずかに緩んだ。
緩んだのは、その一瞬だけだった。
「おばあ様。兵が少ないのに、あちらは引きませぬ。ということは、正攻法ではございませぬ」
「正面で勝つ気がない。ならば、勝負は陣の中じゃな」
言い終える前に、拾われた。
道雪殿の目は、もう膝の上の板に落ちていた。
「内応の手は、どの陣にも入っておる。入っておるかどうかは、問うても詮無い。問うべきは―――」
「応じる懸念がある者はおるか。そしていつ動かすか」
今度は、こちらが拾った。
道雪殿の目が、板から上がってきた。
上がってきた目が、愉しげに光っていた。
陣屋の土の上に、指で一本、僕は線を引いた。
「毛利の兵は、少のうございます。ゆえに、正面では決めきれませぬ。では、何を待つか?なにかあるならば、こちらが動いた時と思われます」
引いた線を、途中で折った。
「こちらが門司へ向けて動く。動けば、地形の都合、こちらの陣は必ず伸びまする。伸びた陣の、一番細いところで、内応の隊が寝返ります。陣が割れれば、こちらは崩れます。崩れたところを、少ない兵でも食えます」
「去年と、同じ形じゃな。去年は、水軍じゃった」
「はい。今年は、内応です。補給を断つのも、陣を割るのも、やっていることは同じにございます。こちらを、飢えさせる手です」
舐められている。
去年の合戦で、大友の底が知れたと思っているのだ。
「内応しそうな隊は、もう分かっておるな。飯を減らしておる、あの四つじゃ」
「はい」
「惟将や。どうする」
その問いを、待っていた。
「買い戻します」
「買い戻す?」
「はい。いまなら毛利より安く買い戻せまする」
◇
その日から、陣中を回った。
ただの世間話である。
兵糧奉行が、各隊に飯の具合を聞いて回る。
これは、なんら不自然ではない。
それを口実に、四つの隊の陣屋を訪ねた。
どの陣屋も、似たような匂いがした。
湿った藁と、乾ききらない具足下の汗と、炊き損ねた飯の焦げの匂いである。
負けた陣の匂いだ、と思った。
こちらから話すのは、最初の一言だけにした。
「大友様の命で参った。飯は足りておられまするか」
それだけ聞いて、あとは口をつぐんで待つ。
流石に総大将の名前を出されたら、追い返すわけにもいかず、口を開かないわけにもいかない。
待っていると、相手が喋る。
後ろめたいことがなければ、不満を訴える機会だと簡単に口を開く。
後ろめたいことがある人は、間が空くのに耐えられない。自分を害することが叶う権力者相手だと、猶更だ。こちらもたやすく口を開く。
そして、僕は権力者当人でないため、出てくる言葉にはたいてい本音が混じっている。
一人目の将は、陣屋の入り口に積んだ米俵に腰掛けたまま、飯の話を三つほどした。
三つ目が終わったところで、ぽつりと言った。
「阿蘇殿は、肥後であったな。肥後は、遠うござるな」
その時、将の目が、一瞬だけ陣幕の東の端へ流れた。
彼の領地の方角である。
「ご領地は、いかがですか」
口元が、歪んだ。文句を言いたいのに、言えない時の歪み方である。
そこから半刻、話を聞いた。わけは、単純だった。
去年の出兵で、田が荒れている。
働き手を連れて出たまま、取り入れに間に合わず、田を一枚潰した。
今年も出ている。このままでは、また潰さねばならぬ。
話しながら、将は、米俵の縄の結び目を、親指で何度もこすっていた。
自分の田で穫れた米ではない。大友から配られた米である。
毛利に寝返りたいのではない。
彼らは国元の大事のために、帰りたいだけだった。
◇
二人目は、違った。
飯の話には、ほとんど乗ってこなかった。
「阿蘇殿。貴殿は、客人の身でありながらお役目をいただき、大友様より直々に意見を求められ、軍議で物を申されたそうな」
「はい」
将の目が、僕の顔から、一度も逸れない。
逸れないまま、次の言葉を待っている。
聞きたいのだ。
「お聞きになりたいことが、ございますか」
「いや」
言いながら、口の端が、わずかに下がった。
本音を呑む時の顔である。
「軍議に、お出になっておられますか」
床几が、ぎし、と鳴った。
座り直そうとした腰が、途中で止まっていた。
それが、答えだった。
この将は、軍議に呼ばれていない。
宗麟様が「下座の者にも、分かるように」と仰った、その下座にすら、この人の床几はなかった。
府内の広間の二十三人の、さらにその外側にいる。
去年も、今年も、兵を出している。
しかし何のために戦っているかを、誰も説明していない。
宗麟様に、改めさせよ、と命じられた。
改めねばならない者が、ここにもいた。
毛利に寝返りたいのではない。
誰も自分を見ていないことに、耐えられなくなっているだけだった。
◇
三人目は、銭だった。
これは、分かりやすかった。
陣屋の柱に、去年の日付の書付が、何枚も重ねて貼ってあった。
死んだ兵の名と、その家の在所である。
去年の戦で、この家は兵を失っている。
失った兵の家族に、まだ何も払えていない。
払えないまま、今年また出てきている。
村の目が、怖い。
柱の書付は、忘れぬためではなく、剥がせぬまま貼られているように見えた。
「少ないですが、大友様より準備金でございます。あなた方のご恩に、大友家は必ず報いまする」
とりあえず、これまで菓子役などのお役目で宗麟様からいただいてきた禄を全て渡し、その場は繋いだ。
◇
四人目が、一番厄介だった。
この将は、何にも乗ってこなかった。
飯の話にも、領地の話にも、銭の話にも。
ただ、陣屋の隅の床几に腰を据えて、こちらを見ていた。
「阿蘇殿。貴殿、何をしに来られた」
この人に、腹芸は通じない。
そう踏んで、正直に答えた。
「ご不満を、伺いに参りました」
将の眉が、上がった。
「不満があると、なぜ思う」
「ございませんか」
返事はなかった。
「阿蘇殿。貴殿は、大友の者ではないな」
「はい。阿蘇よりの客人にございます」
「では、なぜ大友のために働く」
「働いておりませぬ。わたくしは、この陣が割れると困るだけにございます。陣が割れれば、戦になります。戦になれば、人が死にます。死ぬのは、あなた様の兵にございます。わたくしは、それを止めたいだけです。大友のためではございませぬ」
陣屋の外を、誰かが走っていく足音がした。
その足音が遠ざかるまで、将は何も言わなかった。
「阿蘇殿。わしの弟は、去年、門司で死んだ」
背筋が、自然と伸びた。
「遺骸が、戻らなんだ。退く時に置いてきた。置いてこいと命じられた」
将の口元が、そこで初めて歪んだ。
「わしが、命じた」
何も返せなかった。
返せないまま、頭を下げた。
「申し訳ございません」
「貴殿が詫びることか」
「詫びます。確かに僕は、去年、この陣におりませんでした。おりませんでしたが、退く時の段取りを、どこかの誰かがやっております。その段取りが上手ければ、遺骸を運ぶ余裕があったかもしれません」
「……貴殿は、妙なことを言う」
将の目が、僕の顔の上で、長いこと動かなかった。
「やっと弟の話ができる」
◇
その夜、道雪殿の陣屋で、四つの案を並べた。
「一つ目の隊は、帰したく存じます。取り入れに間に合わせます。一年は猶予を与えてください。その代わり、二年後の出兵には例年より多くの兵を出していただきます。田が戻れば、出せます。田が潰れれば、出せませぬ。今年無理に留めても、来年は誰も出てまいりませぬ」
道雪殿が、小さく頷いた。
「二つ目の隊は、軍議にお呼びくださいませ」
「あの者をか。あれは、大した領地も持たぬぞ」
「持たぬ者を呼ぶから、効きます。理由は何でも構いませぬ。此度の行軍の合間には必ずお呼びください。たとえそうでなくとも頼りにしていると思わせてください。持っている者は、呼ばれて当然と思います。持たぬ者は、呼ばれたことを光栄に思い、頼られたことを誇りとします」
「そなた、恐ろしいことを平然と申すの」
「三つ目」
聞こえなかったことにして、指を折った。
「かの隊には、死んだ兵の家族への払いを、大友家で立て替えていただきたく存じます」
「銭か。戦の最中にか」
「戦の最中だからにございます。今払えば、あの将は生涯、大友に頭が上がりませぬ。戦が終わってから払えば、ただの後始末にございます」
道雪殿が、長く息を吐いた。
「四つ目の隊は」
そこで、言葉が喉につかえた。
「四つ目は、弟御の、遺骸にございます」
盃に伸びかけた手が、宙で止まった。
「門司の城の手前に、去年の死者が残っております。毛利方は、埋めもせず、返しもしておりませぬ。取りに参ります」
道雪殿が、脇息から身を起こした。
「戦じゃぞ。敵陣の手前じゃ。行けば死ぬ」
「行きませぬ。毛利に返してもらいます」
宙で止まっていた手が、ようやく盃に届いた。
届いただけで、持ち上げられはしなかった。
「頼むのか。敵に、骨を返せと」
「はい。戦の最中に遺骸を返すのは、古来、恥ではございませぬ。唐土でも、この国でも、例はございます」
「返さねば、毛利の名が落ちる。返せば、情を知る家の名が立つ。どちらに転んでも、こちらの懐は痛まぬ、か」
「はい」
「惟将や。そなた、今、四人の将を買うたな。毛利より、高く買うたな」
「はい、そして安く買い戻しました」
指を四本立てた。
「田を潰させぬこと。軍議に呼ぶこと。家族への払い。そして、弟御の骨。どれも、大した銭はかかりませぬ。毛利は、あの方々に何を約束していると思われますか」
「領地じゃろう。寝返れば安堵、あるいは加増」
「はい。ですが、それは戦に勝った後の話にございます。今、田は潰れます。今、村の目は冷たい。今、弟御の骨は野晒しにございます」
立てていた指を、下ろした。
「人は、今、誠に困っていることに寄り添う方につきます」
ようやく、盃が口元へ運ばれた。
一口だけ含んで、戻された。
「惟将や。そなた、なかなかに悪いのぉ。こうも値を吊り上げては、毛利もおいそれとは追従できまい」
「恐れ入ります」
頭を下げて、それから、一つだけ付け足した。
「おばあ様、一点訂正を。わたくしは、四人の心を買ったのではございませぬ。困り事を片付けただけにございます」
「同じことじゃろう」
「違います。心は、また離れます。買い直さねばなりませぬ。ですが、田が戻れば、田は戻ったままにございます。骨が戻れば、骨は戻ったままにございます」
盃の縁を、枯れた指がなぞった。
「惟将や。そなた、なぜ、そのように考える」
少し考えて、正直に答えた。
「人の心を、あてにできないからです。誰かに好かれても、その好意がいつまで続くか、分かりません。でも、田は残ります。蔵も残ります。骨も、戻せば残ります。確実に残るものの方が、信じられます」
盃の縁をなぞる指が、止まった。
止まったまま、行灯の火が二度揺れた。
「惟将や。そなた、寂しい男じゃな」
返す言葉を、持っていなかった。
持たないまま、陣屋を出た。
垂れ幕の外に、人が立っていた。
赤い髪が、月明かりで黒く見えた。
「宗茂殿」
「惟将殿」
「いつから、そこに」
「最初から。全部、聞いておりました」
気まずさに、目が勝手に横へ逃げた。
逃げた先へ、宗茂殿が一歩、回り込んできた。
月を背にした大きな影が、僕の上に落ちる。
「惟将殿。一つ、申し上げてもよろしいですか」
「どうぞ」
「好意は、続きまする」
「その心は」
無感動に僕は聞く。
今、宗茂殿が何を考えているのか、僕は是非とも知りたかった。
「田も、蔵も、人も、骨も、惟将殿のおかげで残りまする。ならば好意も、―――」
語り出しこそ珍しく熱がこもっていたが、彼女自身が何を言いたいのかまとめ切れていなかったようで、口が止まった。
しかしその代わりに、僕の頭の上に、ずしりと重みが乗った。
掌だった。
乗ったまま、動かない。
「宗茂殿。それ、何ですか」
「残しております」
「え」
「手を、置いております。こうしておけば、少しは残りましょう」
俯いた頭の上で、掌がゆっくりと動きはじめた。
髪を梳くように、撫でていく。
栗を三枚の布ごと潰した人の手とは思えないほど、加減が上手くなっていた。
……結局何が言いたかったのか、何をしたかったのか、よくわからなかった。