阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
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毛利からの返答が、六日で来た。
返事が早すぎた。
道雪のおばあ様より毛利の返答の写しの文を受け取ったのは、兵糧蔵の前で、俵の数を数え直していた時だった。
使番が差し出した文を、俵の上で開いた。
こちらが出したのは、遺骸の返還を願う文である。
敵に頭を下げる文だ。
読んで、検討して、家中で揉めて、返事を書く。
普通なら半月はかかると見ていた。
六日で返ってきたということは、揉めていない。
こういう場合は、独断できる誰かが、即断している。
しかも文面には、条件が一つも書かれていなかった。
『遺骸は返す』
『日取りと場所を決めたい』
『ついては使者を一人遣わす』
それだけである。
その使者の名が、末尾に小さく添えてあった。
使者の名は『安国寺』と書かれていた。
写しの端に、おばあ様の筆で、小さく添え書きがあった。
『元の文、受け取りし折、墨いまだ乾かずの跡あり』
きっと墨が乾く間もなく折ったのだろう。
書いてから、ほとんど間を置かずに発たせている。
急いだ、というより、急いで見せた筆だ。
返事を迷わなかったことそのものを、こちらに読ませたいのだ。
「宗茂殿」
「はい」
「これをどう見ますか」
文の末尾を指で叩くと、俵の向こうから宗茂殿が覗き込んだ。
赤い髪の先が、紙の上に落ちた。
「偵察ですか」
「何を、見に来ると思いますか?」
「骨を返せと言い出したのが、どんな顔の人間か―――」
宗茂殿の目が、文から僕の顔へ移った。
「惟将殿の顔、にございますか?」
「うーん、理由の三割くらいでしょうか」
残りの七割を、指を折って数えた。
大友の陣の士気。
去年の負けを、どれほど引きずっているか。
内応の手に、こちらが気づいているか否か。
そして、こちらが次に何を企てているか。
会談は大友の陣の外れで行う。
陣の奥までは見せない。
見せないが、相手は、会話一つで欲しいものを抜いていく外交の怪物である。
床几の並べ方一つ、出された白湯の温さ一つからでも、陣の懐具合を読み取るだろう。
『安国寺恵瓊』
府内を発つ前に書き溜めた綴りの中で、最も警戒するべき人物の一人に挙げた名だ。
あの人から僕らが得られるものと、あの人が持って帰るものは、たぶん不均衡だ。
◇
会見の座次は、当日の朝に決まった。
主席は、香月殿という。
豊前の在番を長く預かっているお方である。
悪い人ではない。実務は堅い。
国人衆との折衝も、何年も回してきている。
ただ、故事の応酬をする人だという噂は、一度も聞いたことがない。
道雪のおばあ様を含む三老と呼ばれる方々は、出ない。
座次の書付を見た時、筆を持つ手が止まった。
正しい。
正しいが、困った。
確かに毛利が寄越した外交役は、僧一人だ。
こちらが加判衆を並べたら、格が合わない。
それどころか、「大友は僧一人に三老を出す家か」と笑われる。
だから、格の合った方を一人立てる。
道理である。道理なのだが。
「宗茂殿。香月様は、故事に明るい方ですか」
宗茂殿の首が、ほんの少し傾いた。
傾いたまま、しばらく戻らなかった。
よく思い出して、なにもなかった顔だ。
「存じませぬ」
「聞いたこともないですか」
「ございませぬ」
「僕も、ありませんね」
これはまずいと僕は急ぎ、道雪のおばあ様の元へ向かった。
◇
会見の場には、苅田の陣の奥の、板敷きの一間が充てられた。
陣中のことで、飾りは何もない。
床几が向かい合わせに並べられ、間に白湯の椀が二つ置かれているだけである。
開け放った板戸の向こうから、潮の匂いが入ってくる。
安国寺恵瓊は、昼前に通された。
僧衣の上に、簡素な袈裟。
草鞋の紐に、まだ街道の白い土がこびりついている。
そして、笑っていた。
仏の微笑を見ているような錯覚をするほど、目が細く、口の端が上がっている。
それが顔の定位置になっている。
だから、一見では何を思っているのかが、一向に読めない。
「安国寺恵瓊と申します。毛利の使いにて、罷り越しましてございます」
床几に腰を下ろすのと、名乗るのとが、ほとんど同時だった。
腰を下ろしながら、恵瓊の目は、一度だけ白湯の椀に落ちた。
湯気の立ち方を見たのだ、と思った。
沸かしたての湯か、冷めた湯か。
それだけで、この陣の竈に余裕があるかが知れる。
僕は、香月殿の後ろの列にいた。
少し離れて、宗茂殿。
経緯を知る者として僕は末席に置かれ、宗茂殿は供回りとして控えている。
膝の上には、扇を置いた。
最初の四半刻は、儀礼だった。
挨拶があり、互いの家の繁栄を祈る言葉があり、季節の話があった。
その間、耳だけを使っていた。
使っているうちに、妙なことに気づいた。
この僧は、一度も「戦」と言わない。
これだけ喋って、戦という言葉を一度も使っていない。
代わりに「此度の御縁」と言う。「豊前の御様子」と言う。
言葉を選んでいる、というより、長々と置いている。
長々と置いた言葉に、相手がしっかりと読み解いて、どう返すかを見ている。
やがて、儀礼が終わった。
「さて」
終わったと分かったのは、恵瓊が、膝の上で数珠を一つ繰ったからである。
「『唇亡びて、歯寒し』と申しますな。豊前の国人衆の皆様は、去年、ずいぶんとお骨折りであったと伺っております。唇が痛めば、歯にも障りましょう」
座の気配が、張り詰めた。
露骨だった。
豊前の国人が大友から離れかけている。
その事実を、遠回しに突いている。
「唇と歯は、一つの口にござる」
「左様で」
香月殿の返しを、恵瓊は、あっそうと言いたげに受け流した。
受け流して、間を置かず次を置いた。
「『漁夫の利』、と申す言葉もございますな。鷸と蚌が争うておりますうちに、漁夫が両方持って行く。豊前にて、大友様と当家が長らく睨み合うておりますうちに」
数珠が、また一つ繰られた。
「南から、誰ぞ、伸びてまいりませぬか」
漁夫とは、島津のことである。
名は出していないが、明らかであった。
昨年のことだ。
日向の木崎原で、伊東殿が島津に大敗した。
三千で三百に挑み、名のある将をまとめて討たれたという。
以来、日向は揺らいでいる。その揺らぎは、豊後の南の境まで届いていた。
大友は、伊東殿の縁戚である。島津が次に北へ伸びれば、最初に削られるのは豊後の南だ。だから大友は、この苅田に兵を集めながら、日向との境にも軍団を一つ、張りつけたままにしている。
香月殿の口が、一度開いた。
開いて、何も出てこないまま、閉じた。
その一瞬を、僕は見ていた。
返す言葉は、持っているのだ。
持っているが、この局面で出せば、こちらが南を警戒していると認めることになる。
南を警戒しているということは、北と南の両方に兵を割かねばならぬ苦しさを、はいそうですと馬鹿正直に差し出すことになる。
だから、簡単には返せない。
沈黙が一つ、二つと積もっていく。
恵瓊は、それを数える顔で見ていた。
まったく涼しい顔で。
さて。
「香月様。御気分でも、優れませぬか」
ここまでか。
◇
僕は腰を浮かせて、するりと前に出た。
控えの列から、香月殿の横へ。膝で。
「恐れながら」
座の目が、一斉にこちらへ向いた。
「香月様におかれましては、昨夜より喉の調子を崩されておられると伺っております。本題に入る前から長らくお話しになれば、障りましょう」
恵瓊の方へ、体ごと向き直った。
「安国寺殿。あなた様の『雑談』のお相手をするのに、在番の御方が出る幕でもございますまい」
毛利方の座が、ざわめいた。
誰だお前と言いたげなざわめきだ。
横から、香月殿の視線を感じた。
その目が、一瞬だけ柔らかくなった。
顔に出してはいけないのに、重役の方が、そんな目をされては困る。
困るから、お任せを。
もちろん香月殿は、喉を痛めてなどいない。
だが、今、そういうことになった。
答えられなかったのではない。
答えられる体調ではなかった、ということになった。
香月殿の横に、僕はそのまま居座って、恵瓊とさぁと向き合う。
「阿蘇惟将と申します」
「存じております。肥後の阿蘇。大宮司家の嫡子。豊後に客人として御滞在中。まあ、人質にございますな」
恵瓊の指が、一本ずつ折られていく。
「そんなお方がこの陣では兵糧の差配をなさっておられるとか。小荷駄にも、国人衆との繋ぎにも、お顔を出されているとか。随分と重用なされているご様子。そして、先日の軍議にて、門司を『鶏肋』と評されたとか」
「まぁ、まぁ。そのような些事、よくご存知で」
「僧は、諸国を歩きます。歩けば、話が集まりまする」
うーん。
軍議の中身が、漏れている。
僕の行ってきたことまで露見している。
しかし想定内。
内応の手が入っているのは明らかなのだから、当然である。
分かっているけれども、こうして目の前で言われると、ドキリとする。
交渉慣れしていないのが、悔しいところ。
ただ、恵瓊の言葉の内容に、興味が湧いた。
それはこの僧が『鶏肋』という言葉を、どう解釈しているのかというところ。
「安国寺殿。先ほどの『漁夫の利』にございますが、あの故事には、続きがございましてね」
恵瓊の目が、わずかに開いた。
笑ったまま、開いた。
「鷸と蚌が争うておりましたのは、そもそも、鷸が蚌を食おうとしたゆえにございます。蚌は、食われまいとして殻を閉じただけ。争いを始めたのは、鷸にございます」
「阿蘇殿は、当家が鷸だと仰る」
「『申しておりませぬ』よ、わたくしは一切、そんなこと。どちらが鷸かは存じませぬけれども、蚌は殻を開けねば食われませぬな」
恵瓊の口の端が、もう一段、上がった。
元から上がっている口である。
その、さらに上があった。
「ほう」
「殻を閉じたまま、漁夫が来るのを待てばよろしゅうございます。どちらも死なずに、漁夫が飽きて帰ります故」
「なるほど」
数珠が、一つ繰られた。
この僧は、そうやって次を置く。
「では、阿蘇殿。『囲師必闕』、と申す言葉はご存知か」
「『囲む師は、必ず闕く。城を囲む際は、一方を開けておけ』と」
「なぜでございましょう」
「逃げ道がなければ、城兵は死兵となりますゆえ。死兵は強うございます。囲む側の損が増えます」
「左様。では、阿蘇殿」
数珠を繰る指が、止まった。
「門司は、どこが闕いておりましょうな」
これは、門司の話をしているのではない。
苅田の大友の陣に、逃げ道があるかを聞いている。
去年、大友は退いた。
退く時に、水軍に食われた。
つまり、大友には逃げ道がなかった。
今年も同じではないのか。
不安をあおっているのだ。
既に毛利の手は陣の内に入っている。
お前たちに逃げ場はないぞ、と、故事の衣を着せて脅しているのだ。
脅したな?ならば脅してやる。
「安国寺殿。闕いておるのは、大友ではございませぬ。毛利でございます」
膝の上の扇を、指先で軽く押さえた。
ここから先は、一言ずつが賭けになる。
「門司は、鶏肋にございます。食うても腹は膨れませぬ。ですが、捨てるには惜しい。これは当方の話ではございませぬ。貴家のお話でございましょう」
恵瓊の笑みが、止まった。
この僧の顔が笑っていないのを、この日初めて見た。
「毛利方の話とな。鶏肋であるのは、そちら方もであろう」
「いいえ。我らと毛利方とでは、三つ、事情が異なりまする」
ひとつ。人差し指を上げる。
「あの城は、海に突き出した岬にございます。陸からは細い道が一本。守るには、常に兵を置かねばなりませぬ。その兵は、九州の外におります。周防の在地も、近頃は落ち着かぬと伺っておりまする。故にそちら方は、遠く安芸から、海を越えて飯を運ばねばなりませぬ。一方で、われらは陸の道で、確かに飯を届ける手筈が既にございます」
ふたつ。中指を上げる。
「貴家は、東に尼子を抱えておられますな。東に兵を割きながら、一方で無理に西の岬に飯を運び続ける。それは、太らぬ骨をしゃぶり続ける話にございます」
みっつ。薬指を上げる。
「『南の漁夫は、既に満足して帰られました』」
恵瓊の数珠が、指の間で止まった。
島津とこちらとの間に、何か話がついた。
僕はそう謀った。
そう、嘘だ。
実際には、何もついていない。
ついていないが、ついたかどうかを確かめるには、薩摩まで人を行かせなければならない。
しかし残念ながら。
敵地を越えて手の者を走らせ、探って、戻ってくるまでに、どんなに頑張っても一月はかかる。
一月あれば、京の御沙汰が届く。
嘘は、ばれる時にはもう用が済んでいる。
「……故に、鶏肋は、我らだけであると」
「左様でございます」
だから僕は謀れる。
「左様でございます」と、堂々と謀れる。
さあ、長い沈黙が落ちた。
庭で、鳥が一羽、鳴いて飛んでいるが。
それに紛れて、スッと恵瓊が白湯に手を伸ばす。
あまりに自然な動作だけれども、僕はそれをちゃんと見ていた。
「阿蘇殿。拙僧、今『鶏肋』の意味合いを読み違えており、たいそう肝を冷やしましてございます。ゆえに、一つ、伺いとうございます―――」
口は、笑っていた。
目も、笑っていた。
完全かどうかは分からないけれども、恵瓊は僕の謀りを、おそらく半ばは読んでいる。
読んだ上で、それでも迷っている。
だから慎重に次の一問を選んでいる。
その深度が、次を決める。
さあどうだ。
「大友様は、『いかがなさるおつもりか』」
その問いが耳に届いた途端、背中に汗が噴いた。
来た。
この僧は、ここまでの全部を、この一問に積んだ。
唇歯も、漁夫も、囲師必闕も、鶏肋も。
所詮は全部、前振りである。
故事の応酬でこちらの教養を試し、格を測り、思考の癖を掴む。
掴んだ上で、本当に聞きたいことをさらりと聞く。
答えられる質問だから。答えたくさせているのだ。
そして僕は、今、答えられる材料を持っている。
持っているから、危ない。
喋れば、漏れる。
喋らなければ、大友はその程度と吹聴される。
逃げたと見られれば、この僧は吹聴したうえで読む。
逃げたのは、隠すべき手があるからだ、と。
どちらも、駄目である。
でも、残念ながら恵瓊。
僕が知りたかったことは、知れた。
どちらも駄目だから、どちらでもない形にすることができる。
僕は、『膝の上の扇の先で、床を二度軽く突いて』口を開く。
「安国寺殿、それはですね―――」
ガツッ。
僕の視界が横にブレた。
答える間際に、僕は弾かれたのだ。
香月殿に、横腹を刀の柄で突かれたのだ。
「阿蘇っ!!」
息が、肺から根こそぎ押し出され、腹の中身がひっくり返りそうになった。
床几ごと板の間に転がって、白湯の椀が一つ、ころころと恵瓊の膝元まで転がっていった。
「先ほどから聞いて居れば、故事の講釈ばかり。阿蘇に至っては、『南の大事』をぺらぺらとしゃべりおって!!貴様はどちらのお味方か!!」
「香月様、いくら何でも―――」
「安国寺殿っ!!口を挟まれるな!!そちらも先ほどから遺骸の話が一つも出ていないではないか!!」
恵瓊は香月殿の迫力に押し黙った。押し黙るしかなかった。
それはそうだろう。
本題から逸れたのは、恵瓊のせいである。
「そちらは、人の骨を返しに来られたのではございませぬのか!!それとも、骨を種に、こちらの肚を探りに参られたか!!どちらだ!!」
恵瓊は答えない。
膝元に転がってきた椀を拾い上げ、恵瓊はそれを、そっと床几の脇に戻した。
「失礼いたしました。確かに『雑談』が過ぎました。日取りと場所は、香月様のご随意に」
香月殿は、大きく咳を二度してから、こちらを向いた。
「阿蘇、貴様は謹慎とする!!追って沙汰を申し付けるゆえ、陣屋にて反省せよ!!」
「……はい」
一礼して、僕は低頭のままその場を出た。
敷居を跨ぐ間際、背後で、低い声がした。
「これは、しくじりましたな」
◇
廊下を曲がって、人目のないところまで来た。
壁に背を預けた途端、膝から力が抜けた。
背中が壁を擦って、そのまま床まで落ちる。
膝頭が、勝手にかたかたと鳴っていた。
いてー。
横腹に手を当てると、熱を持っている。
手加減はなされないようにと頼んだが、ちょっと後悔している。
少しくらい、加減していただいた方がよかったか。
「惟将殿」
床板が、ぎ、と一つだけ鳴った。
この重さの足音は、一人しかいない。
「宗茂殿」
「大事ございませぬか」
「大事あります。痛かったです。とても怖かったです。あー本当に、怖かったです」
「笑っていますが」
肩を貸してもらって、誰もいない納戸まで連れて行ってもらった。
積まれた筵の上に腰を下ろして、両手で顔を覆う。
覆った手の内側で、深く息を吐いた。
「あの人、強いです。交渉では、勝てません。『鶏肋』のくだりも、騙せているのか怪しいところです」
「わたしには、もっともらしい理由と思いましたが」
「半々です。三つのうち二つは本当のことです。本当のことの合間に大嘘を一つ挟むと、嘘も本当の顔をするのではと思わせられます。まああの僧にはバレている様子でしたが」
顔から手を離した。
「ともかく、故事のやり取りはあの人にとって前振りです。本命は最後の一問でした。あれを引き出せていなかったら、僕は負けていました」
「引き出して、答えなかった」
「どちらにせよ合図で、叩き出してもらう手引きでした。答えかけたところで口を塞がれた者の話は、塞がれた手前までが本当に聞こえます」
そう言った意味では、香月殿の機転にはとても助けられた。
「南の大事」と、思わず言った素振りで僕を責め立てた件である。
大きな嘘は嘘だと露見しづらい。さらにそれを、あえて香月殿が思わず言ったという素振りでそこを責め立てると、一度は嘘を見抜いた恵瓊も、流石に嘘か真か分からなくなるだろう。
手の者を、必ず薩摩に割く。
納戸の外を、潮風が一つ、通り過ぎていった。
宗茂殿は、すぐには何も言わなかった。
すると納戸の戸の向こうから、足音が一つ、近づいてきた。
宗茂殿の足音より軽く、踵を引きずる癖のある足音だった。
戸が開いた。
香月殿であった。
「阿蘇殿」
「香月様。首尾は」
「まとまった。三日後、松原の外れでじゃ」
「良かったです」
道雪殿を通じて、香月殿には事前に僕が出ること、扇の合図で叩いてもらうことを決めていた。
嫌な役を押し付けてしまった。
もう少し良いやり方はあっただろうに、と反省しながら、香月殿に頭を下げた。
「阿蘇殿、震えておられるぞ。横腹が痛むか?」
「いえ」
「では惟将殿、まだ何か、存念が?」
宗茂殿の問いに、思わず、笑いがこぼれた。
「ここまでして掴んだものこそ、謀られていたらどうしようかと思いまして」
◇
道雪殿の陣屋に呼ばれたのは、その夜である。
謹慎の身なので、表からは行けない。
宗茂殿に先導されて、兵糧蔵の裏から、篝火の届かない陣幕の隙間を縫って行った。
垂れ幕をくぐると、脇息にもたれた影が一つだけ、行灯の向こうにあった。
その前に、平伏した。
「謹慎中の身にて、夜分に罷り越しました」
「香月の柄は、効いたか」
「あまりの痛みに、お腹のモノが全部でてしまうかと思いました」
「はっはっは、あれは加減の分からぬ男でな。だからこそ、疑われはせんかったろう?」
平伏したまま、目だけを上げた。
道雪殿の手元で、扇が半分ほど開いていた。
「香月から聞いた。かばわれた、とな。礼を言うておったぞ。恥をかかずに済んだとな」
そこで一拍置いて、道雪殿は続けた。
「して、惟将や。あの席で、何を取った」
その問いを、待っていた。
「三つにございます。一つ目。安国寺殿は、京の件をご存知ございませぬ」
道雪殿の眉が、わずかに寄った。
「あの方は、『大友様はいかがなさるおつもりか』と聞かれました。既に手を知っておるなら、聞く必要がございませぬ。聞いたということは、知らぬということにございます。京への文は、漏れておりませぬ」
ぱちり、と扇が閉じた。
「京の話は、軍議で出したな」
「出しました。陣幕の内に居並ぶ方々の前で、わたくしが申し上げました。公方様に働きかけると、はっきり。だからこそ、二つ目にございます」
畳から手を離して、背を伸ばした。
「安国寺殿は、鶏肋の話をご存知でした。あれは確かに軍議で出た話にございます。ですが、鶏肋が本当は何を以って言ったものか、また合わせて核心である京の話は、ご存知ではない様子でした。同じ軍議で、同じ日に、わたくしが両方とも申し上げました」
「惟将や。それは、つまり―――」
「あの席におられた方々のうち、誰も、あの場で決まった経緯と京の件を漏らしておりませぬ」
脇息にかけた指が、こつりと一度、木を叩いた。
「漏らした者は、おるのじゃぞ」
「鶏肋は、最悪漏れても害がございませぬ。あれは門司の値打ちを論じただけのもの。誰に聞かれても、痛くはない。しかし、京の件は異なります。あれが漏れれば、毛利は先回りできます。公方様に手を打たれる前に、門司を固められます。それが両方とも漏れておりませぬ」
道雪殿は、長いこと、行灯の火を見ていた。
見ている目が、ゆっくりと遠くなっていった。
「あの席の者どもは、漏らす話と、漏らさぬ話を、分けておったのか」
「分けておられました。たまたまではございませぬ。一人残らず、同じところで口を閉じております。これは、偶然では起きませぬ」
道雪殿の喉の奥で、くつくつと音がした。
笑っているのだと分かるまで、間があった。
「儂は、ずっと、あの者どもを『足並みが揃わぬ』と思うておった。揃うておったか」
「揃うておられました。肝心なところだけ」
「肝心なところだけ、か」
その偶々ではなかったことに、僕らは救われた。
皆が皆、洩らさなかったのは、きっと大友館で行っていた子弟教育。
あのおかげであろう。
「して、三つ目は」
「漏らしている者でございます」
「漏らしておるのは誰じゃ」
「あの席の方々の、下にございます」
「下」
「はい。あの方々は、軍議から戻れば、陣屋で家臣に話されます。話さねば、差配が回りませぬ。ただし、話す中身は、選んでおられます。『門司は鶏肋である』は、話します。差配に関わりますゆえ。『京に文を出す』は、話しませぬ。話す必要がございませぬ」
「そして話された家臣がさらに下に話す。そのどこかに毛利の手があると」
「はい」
「浅いところか」
「いいえ」
首を振る。否定する。
「深いところにございます。今回ご参加されております家中の皆様はほとんどが国人衆であり、土着でございます。あの方々を抱き込むには、本人を寝返らせるしかございませぬ。ですがその周りは違います。浅くとも重宝するならば取り立てられる者もございます。知恵者は大家に身を置きたがるものですから」
「差配を預かる者。蔵を預かる者。人を集める者。その層を、いくつも押さえられておると、確かに本人を落とせずとも陣は動かせるか」
「はい。差配を握る者が数人おれば、荷が遅れます。人が足りなくなります。戦の最中に、それが起きれば、将本人の首を取らずとも、隊は死にます」
「厄介じゃな。どうする」
「洗います。どの陣屋で、誰が、どこの誰と飲んでおるか。陣中の酒の割り当ても、わたくしが預かっております。誰がどれだけ飲んだかは、おおよそ割り出せます。外れ値があれば、それは己の酒で無く、飲ませるための酒です」
「最初から数えておったか」
「お役目ですので」
僕は右手を開く。裏指で五つをおばあ様に示す。
「洗い上げるまで、五日ほど頂きたく存じます。さらに裏取りで五日。謹慎の身なれど、その程度は差配できます。かえって籠って控えを繰るには都合がようございます。洗い上げましたら、折を見て、一斉に押さえていただきたく」
「一斉に、か」
「はい。一人ずつ押さえれば、残りが逃げます。それに、一斉に消えれば、毛利方は、露見したことを知るのが遅れ、またどこから漏れたか分かりませぬ」
◆安国寺恵瓊◆
安国寺恵瓊は、馬上で揺られていた。
数珠を、馬上でずっと繰らせていた。
供の者は、声をかけられずにいた。
この僧がこれほど長く考え込む姿を、供の者は見たことがない。
しくじった。
恵瓊は、そう思っていた。
最初は、上々のつもりだった。
香月を詰まらせた。
在番を預かる重臣が答えに窮したという事実は、吹聴できる。それだけで持ち帰る価値がある。
そこへ、後ろの列から小柄なのが出てきた。
阿蘇惟将である。
名は知っていた。調べも簡単ではあるがついていた。
なんとも頼りのなさそうな若姫だと記憶していた。
色が白く、線が細く、およそ戦場に似合わないらしい。
そう聞いていた。
それが、答えに窮した香月を庇って前へ出た。
庇い方が、上手かった。
香月が答えられなかったのではなく、答えられる体ではなかったことにした。
香月が仮病であるのは察した。
察していたが、放っておいた。
指摘したところで、ここで話を止めても、欲しい情報は手に入りはしない。
あの一言で、大友の面目が立ったのは確かである。
使える娘御を置いておるものよ。
そう思って、いくらか試した。いずれの故事も即座に返ってきた。
『鶏肋』をつつけば、ひっくり返ってきた。
てっきり鶏肋は大友方の話であると思っていた。
しかし鶏肋の話は毛利の方であると言われれば確かにと納得した。
三つ並べた理由のうち、二つは間違いなく納得がいった。
周防の在地が落ち着かぬことも、東に尼子を抱えておることも、当方を悩ませるまさに課題である。
そして三つ目。これが分からぬ。
『南の漁夫は、既に満足して帰った』
最初は法螺と思った。大きな嘘ほど露見がしづらいものである。
故に娘御は背に懸念はないとこちらに思わせるために、正しいことの中に大きな嘘を堂々と混ぜたのだ。そう思った。
しかしあの香月の慌てようからして真か謀りかが分からなくなった。
なにより本命を探れなかったのが痛い。
最後の一問のことだ。
姫子は、答えかけた。
答えかけたところで、香月に叩き伏せられた。
南の大事をぺらぺらと、と怒鳴られて。
ご破算である。
数珠を繰らせていた恵瓊の手が止まり、馬の歩みも止まった。
「ご坊?」
ご破算。ご破算なのだ。本当に、しくじりなのだ。
こちらは実を何も得ていない。
それもこれも、口の軽い姫子が、口を滑らせかけたゆえである。
偶々ならばよい。向こうの軽薄さが招いた事故なら良い。
それならよい。良いのだが―――
「……姫子め」
低い呻きが、まだ恵瓊自身の口から出せることに、恵瓊は驚いた。
願わくば、口の軽い若姫が、口を滑らせかけた。
それだけのことであってほしい。
しかし一から十まで謀りであったなら。
叩かれるところまで、決めてあったなら。
口を滑らせかけたのも、決めてあったなら。
考え始めれば、まさに泥沼の手前である。
そこまで辿って、恵瓊は、そこから先へ進めなくなった。
既に泥沼にはまっていると、恵瓊は知らずにいた。
いずれにしても恵瓊としては、毛利方として島津と大友の関係が改善されたかを探る手間が出た。
一方で謀りには、故があると考える。そこまでは読める。
攻め難しと思わせたいのだ。そして時を稼ぎたいのだと意図は読める。
しかし故は何だと、頭の中の盤面をパチリパチリと打ち直す。
「あれは、ただの姫子ではないな」
ぽつりと言ってから、恵瓊は供の者を振り返った。
「阿蘇惟将を、今一度洗いなさい。それから、薩摩にもいくらか、探らせなさい」
「阿蘇でございますか」
「そう、肥後の阿蘇です。身辺だけではない、その周囲も。婚姻関係、所領、大友以外とのつながり、なんでもよい。姫子の手札を暴きなさい、何もかも」
「そこまで、必要にございましょうか」
兵千五百の国人である。
九州の山の中にいる小家である。
「必要です。あれは拙僧が思い至らない盤面に、打ち手を持っておられる。お持ちのものを隠すために、己の脇腹を惜しまず叩かせるようなお方です」
既に恵瓊の腹は決まった。
あの会見での阿蘇惟将の失態は、謀りである。
◆小早川隆景◆
小早川隆景は、陣屋の床に寝転がっていた。
行儀が悪い、と家臣は言わぬ。
思っているが、誰も言えない。
小早川隆景は知謀の将である。
寝転がったままあくびに興じ、去年はそのまま一万五千を干上がらせた。
彼女の頭の上には黒い三角の耳があって、背後には長い尾が垂れていた。
どちらも、本人の意思とは無関係に動く。
尾がゆらゆらと揺れていた。
どんな理屈かと、好奇心に駆られる者もいる。
しかし探った者は誰一人として返っては来なかった。
毛利家七不思議のひとつであった。
「で?」
恵瓊が会談から戻ってきていた。
戻った端から、恵瓊が床に額をこすりつけていた。
そのままの姿勢で報告が進むにつれて、ゆっくりと隆景の身体が起き上がった。
「つまり、阿蘇惟将に謀られて、実のあるものはなにも取れなかったと」
「左様にございます」
「南の漁夫、ね」
耳が、ぺたりと伏せられた。
「本当か嘘か、分かんないのにゃ。分かんないから、確かめるしかないのにゃ。薩摩の件は、どんなに急いでも一月はかかる。うわあ、嫌な情報だにゃあ」
隆景は身を起こして、床に広げた地図の前へ、膝で這っていった。
小さな指が、薩摩の上に置かれて、それから、すうっと北へ戻ってきた。
「南の漁夫が去ったなら、大友方は門司に兵を集中させるだろうけれども、それは今じゃないのにゃ。一月待つ間に、南の兵を北の門司に転身させる。それも考え得るけれど、あの戦線の兵の士気は長戦で残ってないはずにゃ。無理に回せば領内の不満がたまるにゃ。門司のために領内の治安を悪くする。それが分からないほど宗麟は馬鹿じゃないにゃ。本当に後顧の憂いがなくなったとしても、その余剰戦力が門司に加わるのは早くて来年。今、門司の戦線に関しては致命じゃないにゃ」
謀りが時間稼ぎのためだとしても、南に割いていた兵のためではないと隆景は読んだ。
指が、豊前の上で止まった。
「問題は、他にもあるにゃ。恵瓊。うちの手、けっこう入ってるにゃ」
「入れておりますな」
「軍議の中身、少しだけど来てるにゃ」
「参っております」
「鶏肋の話、来たにゃ」
「参りました」
地図をなぞっていた指が、止まった。
「じゃあ、なんで、それ以外は来ないのか。軍議で出た話、鶏肋だけかにゃ?あれだけ将を集めて、長話して、出た話が一つだけなわけないのにゃ。他にも、絶対、出てるにゃ」
「左様ですな」
「うちの手、結構な手を尽くして深いところまで人をいれたにゃ。もはや差配を握ってる層を押さえてるにゃ。蔵も、人集めも。あの層が何も聞かされてなかったら、陣は回らないのにゃ。だから、話は来る。来ないとおかしい」
小さな手が、地図の豊前の上に、ぺたりと置かれた。
「なのに、鶏肋しか来てない。そもそも鶏肋の向きが異なっているのもやっぱり納得いかない」
ということは、と思案していた隆景の尾が、ぶわりと膨らんだ。
「―――鶏肋は主ではない」
恵瓊が、息を呑んだ。
隆景は、両手で顔を覆った。
「うわあ。うわあ……それ、一番まずいやつにゃ」
指の間から、顔が出てきた。
本気で困っている顔だった。
困っているのになんだかうれしそうにしながら続ける。
「待っているものが軍事行動に少しでも絡むものならば、さっきも言ったけれど、今紛れ込ませている手に引っかからないものはないはずにゃ。であるからして、恵瓊、大友方が待っているのは戦が絡むものではありません………………にゃ」
「では何を」
「わっかんない」
首を振る。手を上げる。
門司を争うにあたって大友の外交状況や地理、そのほか重要情報を落とし込んだ隆景手製の地図とにらめっこしても、何も見えてこない。
今の情報では分かり得ない番外戦術を取られているのは確かだと、隆景は降参する。
「まあ今考えても仕方ないことにゃ。恵瓊、調べてくれているのでしょう?」
「はい」
「ならばこの話は保留。問題は他にもあるにゃ」
書状をいくらか広げて恵瓊に示す。
それらは大友方に仕掛けていた、国人らから返ってきた書状であった。
「去年、あんなに飢えさせたのにゃ。豊前の国人らももうこりごりだって、うちに文寄越してきたのにゃ。いくつかの家は、自分から書いてきたのにゃ。そういう連中から、ぱったり連絡来なくなったにゃ」
恵瓊は、答えの代わりに、懐から書状を出した。
「殿。実は、良くない報せがございます。主要の四つの手のうち、三つから、返事が参りませぬ」
隆景の耳が、ぴんと立った。
「あと一つは?」
「残る一つは、断りにございます」
「なんで?あんなに好待遇で話進めていたのににゃ?」
「ただ、断りの文に、一言だけ」
広げられた書状に、短い一行があった。
『骨が戻る』
「骨?」
「去年、門司の手前に置き去りにした遺骸にございます。大友方が返還を願う文を出してこられました」
「ああ、それ、わたしが返せって言ったやつにゃ。返した方が、うちの名が上がるから」
「はい」
「返すって伝えただけで、あっちの将が、うちに来なくなったのにゃ?」
「左様にございます」
小さな両手が、また顔を覆った。
やられたと隆景は理解した。
こっちが返すと分かっていて仕組んだものだったのだ。
断ったら『毛利は情を知らぬ家』。
返したら『骨が戻った』。
どっちに転んでも、大友方に利するもの。
恵瓊の口元が、ゆるんだ。
「恵瓊、嬉しそうにゃ」
「せっかく見つけた好敵手でございます。隆景様も同じでしょう」
身体を起こした隆景は、正座で構えた。
恵瓊の問いに対する答えは、それで充分であった。
「恵瓊。その阿蘇って人、洗っているかしら?」
「洗わせております」
「うん、ならば。私はこうする。知恵比べをする」
隆景の目が、盤面を望む。
対局相手は姿を知らないお方。
久々に自分の心が弾むのを、隆景は感じた。
「骨の件は、こうしましょう」
外道の手を指示しながら、隆景は思う。
阿蘇惟将。阿蘇惟将。姫子と聞いた。年はいくつだろう。
どんな者だろう。どんなモノを好むだろう。どんなモノを嫌うだろう。
どんな手を考えるだろう。どんな手を憎むだろう。どんな手を忍ばせているだろう。
尾は揺れる。
左にゆらり。
右にゆらりと。
「知恵比べなんて、いつぶりかしら」
隆景の口の端が、猫のように吊り上がった。
◆阿蘇惟将◆
遺骸の引き渡しは、三日後に行われた。
場所は、両陣の中間。
人数は双方十人まで。武装はなし。
そこは干潟に面した、松原の外れである。
潮が引いていて、濡れた砂が鈍い色で遠くまで続いていた。
謹慎の身なので、僕はその場にはいないことになっている。
松原の一つ手前の丘、木立の陰から、宗茂殿と二人で様子を見ていた。
大友方の十人の先頭に、香月殿が立っている。
毛利方から、山ほどの荷を背負った荷車が三台、出てきた。
三台である。
こちらが名を挙げた分より明らかに多い。
轍の音が、丘の上まで、潮風に乗って届いてきた。
毛利方の武者が、荷車を置いて、下がった。
下がりながら、一人が振り返って、香月殿に何か言った。
何を言ったのかは、夕刻、兵糧蔵に荷車が運び込まれた時に、香月殿の口から聞いた。
「腹が立つ。あちらの将から、殿の言付けを託されたそうじゃ。『どうせ返すなら、全部返した方が、うちの名が上がるから』と、な」
荷車に近づいて、覆いをめくった。骨だ。
一人分ではない。
何十人分もの骨が、布に包まれて並んでいた。
包みの一つ一つに、木の札がついている。
札には、名が書いてあった。
そんなはずはないと考えた。
そんなこと、あり得ないと気づいた。
「あまり考えたくありませんが………」
骨のいくらかを改めたところで、僕の指先が、僕の考えていたことを肯定していた、つまり震えていた。
毛利方は去年、この骨をなんで集めようとしたか。
答えは簡単だ。集めていない。
だって、自明だ。
集めて、一人ずつ名を調べて、札をつけて、保管するものか。
返せと言われるまで、何も言わずに保管するものか。
そんな手間はしない。
だから、『返ってきた遺骨の骨格が、体格にあっていないモノを数合わせでつなぎ合わせているだけのものが混じっていても不思議ではない』
「主要なお方の骨は、体格がそろっています」
「阿蘇殿、それではまるで、主要でない者の遺骨は、違う者の骨に札をつけて返されたと言っているようなものでは?」
香月殿の言葉に、答えられなかった。
札の角が、掌に食い込んでいた。
「香月様、宗茂殿。口が堅い、身元が明らかな手の者を、数名お呼びください」
「何をなさるおつもりか」
「すべて砕きます」
骨を砕いて壺に収める。
大友家中にはこれで返ってきたと言い張ろう。砕いてしまえば、誰の骨かはわかるまい。
毛利が骨を返したと言い張るならば、僕らは、大友は骨を取り返したと言い張ろう。
僕は両家を謀る。
たとえ全く他人の骨であっても、取り返したという事実が、今の大友には大事である。
ただひたすらに、わたくしは損得を思っていた。
それを指示する僕の声は、ひたすら嫌悪を覚えるものであった。
◇
その夜、弟を置いてきた、くだんの将のもとを僕は訪ねた。
謹慎の身であるため表からは行けない。
宗茂殿に壺を抱えてもらい、篝火の明かりを避けて、陣屋の裏手から訪ねた。
骨の壺を受け取った将は、それを胸に抱えたまま、深々と頭を下げた。
「謹慎の身であるとうかがいましたのに、わざわざ忍ばれてでも自ら来られたか」
「わたくしが頼まれたことですので」
将の口元が、わずかに動いた。
将は、壺にかかった札を見た。
見て、その札を、額に押し当てた。
長いこと、そうしていた。
陣屋の外で、篝火の薪が崩れる音がする。
やがて将は、顔を上げた。
「阿蘇殿。毛利から、文が来ておった。寝返れ、とな。所領を安堵する、加増もすると」
「どうなされますか」
「断り申した。骨を一年持っておって、返せと言われるまで何も言わなんだ家じゃ。もとから信用ならぬ」
深く、頭を下げた。
「阿蘇殿。この度はありがとうございまする」
「わたくしは、つないだだけです。香月様ら、大友家中に申し上げてください」
「いえ、礼を言われる筋合いはないとどうやら思っているようだが、ご謙遜なされるな」
ずっと険しい目をしていた将のお方が、ようやく和らいで見えた。
「阿蘇殿が、取り返してくれたのだ。骨を取り返してくれたのだ。そのためにあえて叩かれたと聴いた、謹慎になったと聴いていた。それなのにわざわざ手づから裏から届けに来てくださった。当家は、阿蘇殿に誓って、大友に背きませぬ」
僕は、この人を繋ぎ止めるために、骨を取りに行った。
叛意を止めるためだ。陣を割らせないためだ。
叩かれたのも、謹慎も、自分で筋を書いた芝居だ。
情ではない。勘定だった。
その声を、口には出さなかった。
出さないまま、陣屋を出た。
篝火の明かりの外に、赤い髪が立っていた。
「宗茂殿」
「惟将殿」
「また、聞いておられましたか」
「はい」
宗茂殿が、隣に並んだ。
並んで、歩き出した。
しばらく、二人分の足音だけが続いた。
「惟将殿。あの将は、なぜ断ったと思われますか」
「毛利が信用ならないからです。本人が、そう言いました」
「左様でございますね。しかしそれは半分です」
「好意が続いたからでございます」と、宗茂殿はつづけた。
そんなわけあるまいと、僕は内心で否定した。