阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
毛利が山に取りついたのは、三日目の夕刻である。
遠目に見える焔の波が、香春岳城を呑み込まんと迫る。
城の物見台から眺めると、山裾の地面がそのまま燃えているようだった。
経験不足が恐ろしく、憎たらしかった。
事ここに至って、僕は、震えていた。
横を見た。
宗茂殿がいた。
具足を着けていなかった。
胴だけである。
籠手も、脛当も、着けていない。
僕が外させた。
「頼りにしています」と、僕は言う。
「頼りにしています」と、宗茂殿も返した。
もう一度、正面を望む。
震えは止まっていた。
◆冷泉元豊◆
冷泉元豊が香春岳攻めの大将を命じられたのは、小早川隆景が出陣する前夜だった。
これまで末席でその姿を遠くから見ることしか叶わなかった毛利家きっての知将と名高い彼女が、今、自分の前にいることに、冷泉は未だ信じられない思いで平伏していた。
「小倉に一万。香春岳に七千。苅田と今井津には三千で、わたしが出るにゃ」
小早川様は、地図から目を上げずにそう言った。
長い尾が、床の上で一度だけ揺れた。
「小倉は平地にゃ。数で押せば落ちる。香春岳は難所だけど、守る側も山の上に兵を詰められない。麓で削り合えば、最後は数が勝つにゃ。わたしは苅田の大友の本隊の前をうろうろして、目を引きつけておくにゃ。その間に小倉と香春岳を落として、落とした二つの隊が、苅田と今井津に雪崩れ込む―――」
小さな指が、地図の上で、くるりと輪を描いた。
「回し戸にゃ。押した方へ回って、気づいた時には後ろから挟まれてるのにゃ」
冷泉は、その指の動きを目で追っていた。
「香春岳攻めの大将は冷泉、あんたにゃ。原田と赤川をつける。期待しているにゃ」
「謹んで」
自らの陣に戻る際、冷泉は腰の太刀の重みを確かめていた。
父の太刀である。
父、冷泉隆豊は、大内の殿が陶に討たれた夜、最後まで主の傍を離れなかった。
大寧寺の炎の中で主の最期を見届け、その足で敵中に斬り込んで死んだという。
忠臣の鑑と、人は言う。
そう言われるだけだ。家は残らなかった。
大内が滅び、冷泉の家は毛利に拾われた。拾われた家である。
陣触れがあれば数に入れられ、軍議があれば末席に座る。
父の名は褒められはしても、重くは用いられない。
それでも腐らずにこれまで毛利家で実績を上げてきた自負がある。
だから、これはまたとないチャンスであった。
小早川様より軍団を預かって、手柄を立てる。
冷泉の名を、もう一度立てる。
「坊。顔が笑うておるぞ」
陣屋に戻ると、桂元親が、具足の紐を検めながら言った。
桂は、毛利の譜代である。冷泉が毛利に来た時、目付のようにして付けられた男だった。親子ほども年が離れている。口が悪い。声が大きい。若い兵を怒鳴らない日はない。
はじめの一年は、顔を合わせるたびに角を突き合わせた。外様の若造に何が分かる、と桂は言い、譜代の頑固者に何が見える、と冷泉は返した。
それがいつからか、互いの背中を預けるようになった。
桂とは、そんな仲であった。
「桂殿、これが笑わずにいられません。降った家の者が、大将なんて」
「はしゃぐなや。大将ならば、さも当然のようにどっしりしとらんか」
「ああそうでありますな。桂殿あっての今ですので」
「おだてるな」
桂は、ふんと鼻を鳴らした。
鳴らして、冷泉の兜の緒に手を伸ばし、キュッと締め直した。
「いい加減兜の緒くらい取り替えんか、坊。形見とはいえ、形見がその役目を果たせんでは御父上も本意ではあるまいに」
「いえ、このままで。桂殿に締めていただけると、身が引き締まりますので」
「馬鹿が。儂がおらんくなったらどうするつもりよ」
桂は、締め終えた兜の緒の結び目をなぞった。
緒は、幾年を重ねてきたのか、色あせていた。
「古きものが、新しき後進に道を作る。世の道理よな」
◇
香春岳の麓は、白い山だった。
石灰を噛んだ岩肌が、日を照り返して目に痛い。
その山に、先手の二千が分け入った。すると最初の半日で百も失ったと報告が入った。
谷の口で、左右の崖から矢が降った。
三度降って、止んだ。崖の上を見上げた時には、もう誰もいなかった。
「追うな。崖の上は、こちらの足では登れぬ」
冷泉は、すぐに兵を止めた。
止めて、手負いを後ろへ下げさせた。
次に、橋が落ちていた。架け直しに半日かかった。
架け直して進むと、倒れた杉が道を塞いでいた。
一本ではない。十数本が、斜めに噛み合うように倒されていた。
「尾根へ回せ。杉を退けるより早い」
尾根の林に入った騎馬が、次々と落ちた。
落ちた理由は、しばらく分からなかった。
改めさせて、分かった。林の中に縄が渡されていたのである。
木と木の間に、二本。一本は馬の脛の高さ。
もう一本は、乗り手の胸の高さ。
葉の陰に張られ、木肌と同じ色に泥が擦り込まれていた。
脛の縄で馬が転び、胸の縄で乗り手だけが鞍から攫われる。
落ちた乗り手が起き上がる前に、林の奥から短い得物が来る。
「馬は降りよ。麓に置け」
冷泉は、その場で命じた。
「兵は長柄を先で切れ。手槍とする。林の中では振れぬ。太刀と手槍だけ持て」
「おい、坊」
桂が、渋い顔をした。
「この先、苅田も控えておるぞ。長槍を捨てるのか」
「桂殿、『轍鮒の急』です」
「……目の前の水一杯、香春岳が今は大事か」
「香春岳を落とさねば、小早川様の計が成り立ちません」
「あいわかったぞ、坊」
桂は納得し、自分の槍を、真っ先に短く切った。
それを見た毛利の兵も、倣って各々切った。
馬を降り、長柄を切った冷泉らは、それから一日罠に掛からなかった。
掛からなかった代わりに、あっちこっちで鬼を見たと報告が上がった。
赤い髪の女武者だったと、兵は言う。
林の中にぬっと立っていて、こちらを見るとおもむろに、傍らの杉に手をかけ、へし折った。
人の胴の三倍はあるはずの杉が、根元からばきりと鳴って倒れてきたと。
そして兵が、逃げ散った。
十人、二十人と、来た道を転げるように逃げたと。
桂が前に走って、逃げてきた者の襟首をひっとらえて一喝してくれなかったら、よりひどい有様になっていた。
◇
夜になると、遠い尾根に篝火が灯った。
鬨の声が上がった。こちらで上がったと思えば、あちらで上がる。
兵が、浮き足立った。
「虚だ」
冷泉は、篝火を見ながら言った。
「大丈夫です皆!!火の下に兵はおりません!!寝かせぬための火です!!半分は寝、半分は警戒されよ!!」
読みは、当たっていた。
探らせたところ、篝火の下には誰もいなかった。
誰もいなかったのに、夜半、寝ていた半分が襲われた。
「馬鹿な」
火の灯っていない、反対の沢筋からだった。
音もなく寄って、寝ている者だけを刺して、音もなく引いた。
朝になって、冷泉は、死んだ者の数を聞いた。
聞いてから、ふと気づいた。
この二日、敵の骸を、一つも見ていない。
こちらの死者は、二百を超えた。
敵の死者は、一つも、見ていない。
「桂」
「おう」
「まずいです。『山の神』がおりまする。ここらを知る原田殿と赤川殿をお呼びして、計画を改めねば」
冷泉は地の利を知る敵方のそれを、『山の神』と呼んだ。暗喩のつもりであった。
その言葉を、一部の兵が聞いていた。
◇
麓に着いたのは、三日目の昼だった。
本来なら、半日の道である。
見上げた先に、香春岳の城があった。
城へ登る口は、大手の細道一つきり。
そこにたどり着くまでに、神出鬼没のかの大友方が、またいずこから現れるか分からない。
「待てば、背中を取られる」
冷泉は、原田と赤川を呼び出し作戦を伝える。
「原田殿と赤川殿には東の尾根と、西の谷を進んでもらいます。火を灯し、夜間にです」
「ひ、昼間はいかないのです?」
ずれた眼鏡を押し上げ、不安そうにしている女武将の原田が、冷泉に伺う。
原田の問いに、冷泉は頷いた。
「いずこにいるのかも分からない部隊も、城の目も、流石に明かりがあればそちらへ寄りましょう。その隙に、正面の細道はわれらが進みます、火を落として。夜のうちに。われらは寡兵でもって、夜陰に乗じて一気に香春岳城の城門に駆けます」
「いい加減、嫌がらせしてきた大友の兵にはうんざりしてたところでさぁ。要はよぉ、冷泉の兄ちゃん。あんたらで門さえ取れば、後ろが揃った時にそのまま流れ込めるって話だろ?」
「左様です」
「いいじゃんちょー頭いい作戦じゃん」
特攻服をまとった赤川が、燃えてきたぜと釘バットを振り回して気合を入れる。
「五百ほどが手ごろだな、坊。儂とお前のところの最精鋭が良かろう」
作戦が決まり、決行された。
この時、既に冷泉が警戒していた遊軍である紹運隊が、苅田に引いていたことを冷泉らは知らなかった。
◆阿蘇惟将◆
夜駆けが来る。こっそり来る。
そう読んだのは、火の配り方からだった。
麓の火が、二方に分かれて進むのがよく見えた。
東の尾根。西の谷。
寄せるなら、昼に寄せる。
山の中で、森の中だからだ。
けれど、今来た。寄せてきた。
しかも敢えて、火を照らしてだ。
「もう一隊います」
香春岳の麓の地形を思い出しながら、僕はそう断言した。
正面だ。
山の中で、明かりを照らさず夜に三方同時に行軍するのは、無理である。
互いが見えず、同士討ちになる。
そのため、二隊に明かりを照らさせ、離させた。
本命の正面からくる兵とかち合わないように。
つまり、今、東の尾根と、西の谷の二方は気にせずともよい。
「宗茂殿。来ます。正面から、寡兵です」
「分かりました」
宗茂殿の目が、麓の正面の火へ移った。
移って、しばらく、そこに留まっていた。
「では、いかがなさいます」
夜気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
吸い込んだ分を、全部吐いてから、言った。
「火をいっぱい焚いて、門を開けます」
◇
櫓に、塀に、曲輪にと、火を焚いた。
油を惜しまず、明々と灯した。
そして、大手門を開け放った。
閂を外し、扉を左右に開き、そのままにした。
門の内には、何も置かなかった。
置かずに、門の上に、僕が立った。
装束は、白と緋である。
府内の秋の祝いで、道雪のおばあ様に着せられた装束である。
荷の中に入れてきた。
誰にも言わずに、入れてきた。
巫女装束は、一人で着た。
白の小袖に、緋の袴。
髪を下ろして、白い元結で束ねる。
手には鈴。
鈴を持つ手にぎゅっと力を込めて、わたくしは門の上に立った。
敵が見えた、だんだん見えた。だからわたくしは鈴を振った。
りん、と鳴った。
その音が、山に吸い込まれていった。
おいでおいでと、敵を誘った。
◆冷泉元豊◆
夜討ちだ夜討ちと意気込んでいた冷泉元豊らは、城に近づくと不思議な音を聞いた。
最初、何の音か分からなかったが、耳を澄ますと、涼しげな音がした。
よく聞くとそれは鈴だった。鈴の音であった。
山の上から、鈴の音がした。
山岳を登り切り、木々の合間を抜け切ると、見えた香春岳城が燃えるように明るかった。
夜陰に紛れて登ってきた五百の姿が、城の明かりの照り返しで、山肌に白く浮いていた。
火を落として登った意味が、消えた。
これでは奇襲にならない。
「なんだ?」
そう思っていたところで、別のものに目を疑った。
門がどうしてか、開け放たれていた。
大手門が、左右にすっかり開いていた。
そんなものだから、皆、奇襲であることを忘れてざわめいた。
冷泉も、困惑していた。
そこにさらに混乱するものが増えた。
門の上に、白いモノが現れた。
白と、緋。間違いなく人であった。巫女であった。
巫女はゆらりと舞っていた。またはひらりと舞っていた。
鈴を鳴らしながら、ゆっくりと。こちらを望んで。
兵子らも、足が止まっていた。
誰もかれもが、巫女を見ていた。
「あれは」
「坊、儂は夢を見ているのか?あれは巫女か?」
「桂殿!!馬鹿を言わないでください!!城に巫女がおりますか!!きっと謀りです!!」
言いながら、冷泉の頭には、一つの知識が出てきた。
―――空城の計
唐土の故事である。
兵のいない城の門を開き、城主が悠然と構えて見せる。
敵は伏兵を疑って、退く。
だが、あれは、実際に兵がいない時に使う手だ。
使う側は、賭けている。
ならば、押せばいい。
開いている。入ればよい。
そう思い、冷泉は令を出そうとしたが、止めた。
止まったのは、火のせいである。
城の火が、多すぎた。
あの火には、奇襲を露見させるほかに、人の色が見えた。
人の色、つまり人の存在だ。
空城の計なら、火は少ないはずである。
人がいないのだから、火を灯す者もいない。
だがあの数の火を保つには、人が要る。
櫓ごとに、塀ごとに、油を注ぎ足す者が要る。
あれは、一人や二人で灯せる数ではない。
「兵がいます。それでもって門を開けています」
「伏兵か?」
桂の問いに、冷泉は首肯した。
門の内に伏せて、飛び込んできた者を囲む。
古い手だ。
しかし油断するとこちらが損なわれる。
悩む冷泉の肩を、桂が叩いた。
「坊、斥候を出す。城の周りを回らせる。塀に張りついて音を聞かせる。よいな」
◇
桂が放った斥候が、四半刻で戻ってきた。
「いかがでした」
「音はいたしませぬ。塀に耳を当て、四方を回りましてございます。人の気配はなく。甲冑音はもとよりありませぬ」
ならば、焚いたうえで、巫女一人を残して逃げたか?
「静かすぎるな」
桂が、低い声で言った。
斥候の報せを聞いても、冷泉はどこかしっくりとくるものがなかった。
今一度、城を望んだ。
伏兵を置くなら、どこに置くかと改める。
入り口は一つ。周囲は険しい。
ならば門の内。両脇だ。
飛び込んできた者を、ワッと左右から挟む。
だが、門の両脇に兵を伏せるには、それなりの数が要る。
二十人や三十人では、足りない。
こちらが門から流れ込めば、二十人は押し潰される。
押し止めるには、少なくとも二百。
二百が、門の両脇に伏せている。
しかしそれだけの人数。伏せていれば、必ず音がする。
二百の鎧をまとった武者が、身じろぎ一つせずに、半刻以上じっとしていられるものではない。
草摺が鳴る。籠手が擦れる。
どこかで、必ず鳴る。
それが、しない。
「いないのか」
呟いて、冷泉はもう一度、考えがあっているのかを、思う。
門は、開いたままである。
門の上では、まだ、白いものが舞っていた。
鈴の音が、途切れずに続いている。
見せている。
何かある。予感がする。
火の数がそれを示している。
あの巫女の存在が示している。
だが、門の内には、いない。
つまりあれは、こちらに伏兵がいると思わせて、足を止めさせるための芝居である。
舞も、開いた門も、全部、そのための飾りだ。
実際には、兵はきっと、逃げたのだ。
門を守る余裕がないから、開けて一縷の望みを託しているのだ。
足を止めさせれば、時間が稼げれば、大友方は勝利条件を達成できる。
だからあのようなまねができる。
そこまで考えて、冷泉の口の端が上がった。
小賢しい。
しかし念には念を入れる。
「原田殿と赤川殿の後詰めを待つ。そして朝霧を待つ。明け方になれば霧が出る。霧に紛れて一気に入ろう。伏兵はおらぬとは思うが、何かがあったところで、後ろには原田殿と赤川殿がおる」
「……承知した。坊の考えに乗ろう」
「はい」
「ただし門には、儂が先に入る。お前は後だ」
「ダメです。桂殿とともに参ります」
桂は、ふんと鼻を鳴らした。
鳴らして、冷泉の兜の緒をちらりと見た。
緒は緩んではいなかった。
夜半、麓の方から、足音が上がってきた。
原田と赤川の隊だった。
未だに城に寄せていないこちらの様子を不思議がっていたが、訳を話すと二人は承知した。
夜明けはまだ遠い。
巫女は未だ雅に舞っていた。
◆阿蘇惟将◆
霧が出たのは、明け方だった。
僕は門の上で朝焼けを見ていた。
舞うのは、とうにやめている。
「惟将殿」
門の内側から、声が上がってきた。
「攻めてきます。お下がりくださいませ」
「いえ、わたくしも。将として、皆と共に」
梯子を降りると、門の内側に影がいくつも沈んでいた。
三方に、分かれている。
門の傍。そして、門の正面を斜めに見るように二隊。
合わせて三百。
全員が、胴だけである。
籠手も、脛当も、草摺も、外している。
外したものは、布に包んで後ろの曲輪に積んである。音を出さないためだ。
手にしているのは、弓と刀。
火縄はない。火種の匂いで伏兵が露見するのを避けた。
門の左右に控える者は手槍と、脇差だけである。
狭い門の内で長物は使えない。道理である。
宗茂殿が、傍に寄った。
赤い髪を、後ろで硬く結わえている。
「上手くいきました」
僕はなんのことか分からず、その意味を、宗茂殿に聞いた。
「斥候が四方を回っておりました。塀に耳を当てて、音を探しに来た。ということは、毛利方は一度、伏兵を疑ったということにございます」
宗茂殿の顔が、今まで見せたことのない顔をした。
謀る顔であった。
「そして、こちらの伏兵を看破できなかったということにございます」
◇
霧の中から、足音が迫る。
最初は遠く。それがのしのしと近づいた。
確かに警戒はしているものの、完全に警戒している足音には聞こえなかった。
わたくしは息を殺して、音で様子をうかがう。
足音が、門をくぐった。最初の一団が、駆け込んできたのだ。
足並みは、だいぶそろっている。向こうの錬度はかなりよい。
あちらの部隊の最精鋭であるのだろう。
しかし駆け込んで、やがて止まった。
先方の将らしき者が、最初はほっとした顔をしていたのが見えた。
しかしすぐに、将の表情が怪訝なものに変わった。
怪訝な顔をしたのは、霧で見えなかった門の奥。
門の先に、俵の山がいくつも積まれ、明らかな壁を作っていたからだろう。
静かに、静かに。
わたくしらが息をひそめる俵の山へ、足を進めてくる。
その間にも、後ろに兵が入ってくる。
二十人が、四十人になった。
四十人が、八十人になった。
門の内が、埋まった。
「閉じよ!!」
宗茂殿の声が、霧を裂いた。
門が、ぬっと動く。
左右から、太い扉が閉じてくる。
閉じる音は、驚くほど静かだった。
蝶番に、油を塗ってあったからである。
閂が、落ちた。
狭い門の内に、毛利方が百人ほど閉じ込められた。
「『間』に、ようこそ」
わたくしは、合図を送った。
◆冷泉元豊◆
静かながらも閂が落ちた音を、冷泉は背中で聞いた。
振り返った時には、門は閉じていた。
俵の壁の向こうで、誰かが短く何かを言った。
次の瞬間、矢が来た。
正面からではない。斜めからだった。
俵の山。左の高みと右の高みから、交叉するように降ってきた。
斜めの矢は、前の者を抜けても、後ろの者まで届いた。
前の重武装の者が身を挺して後ろをかばうも、交叉する斜線が後ろの者にも被害をもたらした。
「もはや死地である!!覚悟せよ!!太刀を抜け!!」
必死に叫んでいる桂の声が、自分の耳には遠かった。
百が、門の内に詰まっている。
前にも行けず、後ろにも行けず。
更には背後で、閉じた門の脇から、具足をつけない兵が湧いて出た。
胴だけの兵である。籠手も脛当もない。
手には、手槍と脇差。
それが、詰まった味方の背中に、次々と取りついた。
音がしなかったはずだ、と冷泉は思った。
あの者らは、具足を着けていなかったのだ。
斥候が聞いたのは、正しかった。
甲冑の音は、しなかった。
しなかったのは、甲冑が、なかったからだ。
太腿に、熱いものが走った。
矢だった。膝が折れかけたところを、横から腕を掴まれた。
そんなことは、もはやどうでもよかった。
私の考えが足りぬせいで、皆が死ぬ。
桂殿が死ぬ。
「坊」
腕を掴んでくれたのは桂殿であった。
彼の胴にも、矢が二本、立っていた。
「立てるか」
「立てる」
立った時、俵の壁の上に、白いものが見えた。
白と、緋。
門の上で舞っていた、巫女である。
巫女は、俵の陰に身を隠すでもなく、そこに立ってじっとこちらを見ていた。
経過を見ている者の目だった。
「あれが将か」
その時、冷泉には分かった。
ずっとずっと、こちらの手を先回りした者。
谷の口の矢も、縄も、杉も、篝火も。
夜襲を読まれたのも。空城の計を謀ったのも。
あれだ。
あの細く、白い、女子が、全部、ぜんぶ、図ったのだ。
殺す。
「桂殿」
「おう」
「あれを、討つ」
「あい分かった」
桂は、それだけ言って、前に駆けた。冷泉も、続いた。
殺到する矢の雨を、桂が一身に受け続けた。
後進に後を託すため。
走る先には大友の兵が立ちはだかった。
一人目、桂が手槍を投げつけ貫いた。
二人目、冷泉が父の太刀で斬った。
三人目、冷泉を狙った兵に、桂が組みついた。組みついたまま、脇差を抜いて刺した。しかし刺された兵も最後の力を振り絞り、三人目は桂の脇腹に刃を入れた。
桂は、その兵を蹴飛ばし、未だ前に進んだ。
四人目が来た。冷泉が太刀筋を見切り、躱して斬った。その際に、兜の緒が切れた。
巫女まで、あと十歩。あと七歩。
巫女は、逃げない。
ただただこちらを見ていた。
無感動であった。
あと五歩。
その間に、赤いものが割り込んだ。
赤い髪の、背の高い女武者だった。
唐突に冷泉の頭の中で、少し前の記憶がよぎった。
山の林で杉を折ったと、兵が言っていた鬼である。
「桂殿!!」
その武者に、桂が真っ先に踏み込んだ。
それに応えるように、武者の太刀が、ゴウッと音を立てた。
咄嗟に桂は脇差で太刀を受けようとしたが、脇差ごと二つになった。
二つになった脇差ごと、桂の体が石垣まで飛んで、そこで動かなくなった。
頸があらぬ方向に曲がっていた。
「おのれ鬼武者ぁ!!」
冷泉は、父の太刀を鬼武者に向けた。
振り下ろす前に、女武者の二の太刀が既に冷泉の身に向いていた。
あまりにも早い太刀筋。それを冷泉は受けた。
受けたつもりだった。
受けた父の太刀が、鍔元から折れた様を、冷泉は遅くなっていく視界の中で見ていた。
折れた刃が、くるくると霧の中に舞い上がっていく。
見ている間に、二の太刀は勢い止まらず、自分の身体に入った。
左の肩口から入って、胴を斜めに。
体の上と下が、別々の方へ傾いていき、やがてどしゃりと、地面に頬がついた。
目の前に、草鞋があった。自分の足裏であった。
「―――あ」
冷泉の家は、また、名だけが残る。
父上。桂殿。
申し訳ございません。
緒が、緩みました。
◆阿蘇惟将◆
四半刻もかからなかった。
比較的静かに片は着いた。
いまここに立っているのは、立花の兵だけだった。
僕の足元には、若武者が倒れていた。
肩から胴へ、斜めに断たれていた。
緒が切れた兜が、頭から転がっている。
もう一人は、白髪交じりの将だった。
壁に叩きつけられ、首を折って動かなくなっていた。
二人がここまで来るあいだに、こちらの兵が四人、倒れていた。
宗茂殿が間に入らなければ、五人目は僕だった。
ふたりの身元を改めた。
若武者の方は冷泉元豊。
もう一人は、桂元親という将だった。
◇
門の内に出来上がった骸を、ぐるりと見渡す。
やはり具足が揃っていた。
手入れが行き届いており、太刀には使い込んだ手の脂が黒く染みている。
先手の、さらに選り抜きと見た。
毛利がこの山に向けた中で、きっと一番鋭い切っ先の方々であった。
その切っ先が、ここで折れた。
なら、霧の向こうに残っているのは、切っ先を失った鈍い刃だ。
向こうの旗がかろうじて見えた。
原田と赤川の隊であった。数は多い。
だが旗に、落ち着きがないように見えた。
ならばと、わたくしは勘定を始めた。
外道の勘定であった。
「宗茂殿」
「はい」
「冷泉殿を、お返ししましょう」
「どうやって」
わたくしは冷泉殿の分かれた胴の、頭の方を指した。
「簡単です。これを投げてください。できるだけ上へ、上へ、山なりに、毛利方の方へ。向こうの兵が、一番大勢いるところへ」
宗茂殿は、何も言わずに頷いて、躯の頭を持った。
同時に、門を再び開くように指示した。
その際には、身を毛利方にさらさぬように注意させた。
―――相手方から見たら、きっとこう見えるだろう。
『選り抜きの兵と将が、朝霧に乗じて、無人と思われる城の門に入った』
『すると突然門が閉まり、叫び声がしたのちに、百が戻らない』
『戻らないまま、どうしたものかと思っていると、先に入った将の、斜めに無残に半分になった躯が、突然空から自分の陣地に落ちてきた』
文字にすると、訳が分からない。
ともかく、それを見た兵は、容易にこの門をくぐれないだろう。
再び開け放たれた門が、化け物の口に見えるだろう。
宗茂殿が、躯の上の半分を抱え上げ、具足ごと投げた。
しばらくして、遠くで、悲鳴が上がった。
一つではなかった。悲鳴は、悲鳴を呼んだ。
霧の向こうで、大勢が後ずさる音がした。
「さて、皆さん。今のうちに首を頂戴しましょう。骸は綺麗に並べ、足を揃え、同じ向きに並べましょう。冷泉殿の残った躯の隣には、桂殿を」
「阿蘇殿。何故でしょうか」
「入ってきた者に、見せつけるためです」
霧が晴れても、霧の向こうの騒ぎは収まらなかった。
たぶんこの門に、今しばらくは、誰も入れない。
◇
僕らは城を抜けた。毛利方の躯を並べて、しばらくののちであった。
遠目で見ていた旗の様子は落ち着きを取り戻せず、統制が取れていない様を見ると、あの隊はしばらく、香春岳どころではないと踏んだ。
香春岳には、水の手のためのわずかな抜け道があった。
文献に記述があり、入城した日に真っ先に調べたものだった。
とても狭い抜け道であった。
二百九十六名と動かぬ四体が、一人ずつ、時間をかけてそこから出た。
文字数削るために分割したのに、分割した方が元の文字数以上に膨らんでまた分割することになったなんて、自分でも言っている意味が分かりません。