阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
少し前の話になる。
僕は最初の内政を、盛大に失敗した。
ある日、僕は家中の寄合で一つの提案をした。
阿蘇谷の東側。山際に近い、標高の高い一帯の田を、畑に変えてはどうか、というものである。
理屈はやはり、餓鬼の机上の空論であった。
あの一帯は水の便が悪く、土は黒く、稲の実りが悪い。
毎年、植えた分の半分も取れない。
同じ手間をかけるなら、蕎麦や大豆を植えた方が確実に多く採れる。
僕は数字を並べて見せた。小賢しくも前世の知識を用いて論理を補強した。
過去五年、あの一帯から上がった取れ高。同じ面積で蕎麦を作った場合の推定収量。
要する人手の差。種籾と種子の値。
我ながら、よくできた論理と数字だと自負していた。
寄合の広間は、静まり返った。そして爆発した。
「大宮司家が、稲を捨てると仰せか!!」
最初に立ち上がったのは、阿蘇家では最古参の老臣だった。
きっと簡単には棟梁に反論できない家中の者らの代弁を行ってくれたのだと、今となってはとても恥じている。
「捨てるとは言ってません。向いてないから変えるのです」
「土地に向き不向きなどございませぬ!!あるのは、耕す者の心根の甘さのみ!!」
「土は土なので、心根では変わりませぬ」
「若は、我らが先祖代々、その土地で稲を作ってきたことをお忘れか!!」
「忘れるものか。しかしその先祖代々、毎年ほかの半分しか取れてないでしょう」
言ってしまってから、やらかしたと気づいた。
その場の空気が、さらに悪くなった。
結果として、僕の提案は否決された。
いや、否決というより、審議されなかった。
誰も内容を見なかった。
僕が並べた数字を、誰一人として読まなかった。
読む前に怒っていた。
寄合が終わったあと、僕は縁側でくたばっていた。
あーあ、みじめだ。
前世で、資料を作って、会議に出て、通したり通らなかったりしてきた身としては、「数字を出せば聞いてもらえる」という感覚は新入社員の時までだと知っていたのに。
会社の力学は根回しと配慮、正しさは二の次だと知っていたのに。
忘れていた。
過去に学ばない愚かさが、とても恥ずかしかった。
「若」
いつの間にか、宗運が横に立っていた。
宗運はいつだって傍にいてくれる。
心強かった。
それから情けないと思った。
「あきれたでしょ、宗運。小賢しさ前面に押し出した僕の話。誰の何も事情も聞かずに突っ走った阿呆だって」
「いいえ」
意外にも、即答だった。
「若の申されたことは、一つとして間違うておりませぬ」
宗運は、縁側に腰を下ろした。
具足を脱いだ宗運は、思ったより肩が薄かった。
「若。あの者どもは、この地では稲が上手く育たぬことを知っております」
それはなんとなくわかった。
彼らだって馬鹿ではない。
この土地で長らく暮らしてきたものたちだ。
そのくらいは分かっているはずである。
「毎年半分しか取れぬことも、当然、知っております。誰よりも知っております。なにしろ、長年見てきておりますゆえ」
「でも認めれば、これまでの年月が無駄になる」
「左様。若が『この土は稲に向かぬ』と仰せになった時、あの者どもの耳にはこう聞こえました。『お前たちが代々やってきたことは、無駄であった』と。そう聞こえていたのです」
しかも頭ごなしに、農業のことなんかさわりも知らないと見える、年端もいかないガキんちょ風情にである。
そりゃ怒る。道理である。僕だって同じ事をされたら、きっと怒る。
「人は、腹が減っても死にますが、面目を潰されても死にまする。どちらが先かは、その者次第」
僕は黙った。もっともだからだ。
数字は正しかった。理屈も正しかった。
僕は、その正しさが誰の何を否定するのかを、まったく考慮に入れていなかったから失敗した。
だいたい交渉というのは、相手を正しく打ち負かすことじゃない。
相手が頷ける形を作ることだ。
「宗運」
「はい」
「笑いなさい」
「笑いませぬ」
「なんで」
「むしろ若が人だと知れて安堵いたしました」
◇
やり直すことにした。
いったん寄合に出るのをやめた。
今すぐ出たところで挽回の手立てはない。
恥をさらして阿蘇家の家名に泥を塗るだけである。
代わりに、山へ行った。阿蘇谷の東、例の一帯である。
僕は供の者をわずかに連れて、ひたすら歩いた。
土を掘った。実際に、手で掘ってみた。
黒い。驚くほど黒い。
前世で見たどんな土より黒くて、そして軽い。
握ると、ふわりと崩れる。
水を垂らすと、すうっと吸って消えてしまう。
やはり保水しない。この土は。
「若様、お召し物が」
「いいよ、洗えば落ちる」
僕は指先の土をこすり合わせた。
この黒さは、燃えたものの色である。
何万年か何十万年か。この谷の中央にある山が、繰り返し灰を吐き続けたモノ。
その灰が積もって、腐った草木と混ざって、この黒い土となった。
だから軽い。だから水が抜ける。
そしてこの手の土は、稲が根から吸いたがるものを、土の粒がしっかり掴んで離さない。
掴まれた分は、いくら撒いても稲に届かない。
この土に稲を植えるのは、底の抜けた桶で水を運ぶようなものだ。
「お侍様」
声がした。
振り向くと、畦に老人が立っていた。
腰が曲がって、顔は日に焼けて、手の甲が木の根のようになっている。
この村の百姓だった。名を作兵衛といったか。
「土なんぞ、掘って何が出ますかね」
「出ます」
僕は立ち上がった。なめるようにして土を見ていた僕の身体は泥でまみれていた。
作兵衛殿は、そんな僕の顔をまじまじと見て、それから深々と頭を下げた。
「こりゃ失礼を。若様でございましたか。てっきり、どこぞの姫様が土いじりをしておられるかと」
「してました」
「はぁ、また何故に」
「作兵衛殿。一つ、お伺いしても?」
「ええ作兵衛です。かまいませんが、手前で答えられますかね」
「そんな大層な質問ではないですよ」
黒い土を一握り、掌に載せて、見せる。
「この土で、一番よく育つものって、何ですか」
作兵衛は、きょとんとした。
「草でございますな」
「草」
「はい。よう生えます。抜いても抜いても生えます。憎らしいほどに」
◇
その晩、僕は綴りを開いて、こう書いた。
『草がよく育つ土。けれども稲は育たぬ』
『畜産はどうか。草を食う獣を引き入れる』
阿蘇には、牛がいる。
赤茶けた毛の、頑丈な牛だ。
この時代、牛は主に「働かせるもの」である。
田を鋤かせ、荷を引かせる。
乳は飲まない。
肉も、表立っては食わない。
だが草はよく食う。
そして、草を食った牛は、糞をする。
『引き入れた獣、牛の糞を、畑に入れる』書き足す。
この土に足りないものは、それだ。
堆肥。
腐った草と獣の糞を混ぜて、寝かせて、土に入れる。
味噌と同じだ。寝かせると、別のものになる。
◇
翌朝、僕は作兵衛殿の家を訪ねた。
前回とは異なり、お忍びでない形でいきなり阿蘇家の棟梁の嫡男が供回りを連れてぞろぞろと来たものだから、作兵衛殿の村は慌てた。
申し訳ないことをしたと反省しつつ、落ち着いた作兵衛殿に、僕はこう切り出した。
「作兵衛殿。ひとつ、お頼みしたいことがございます」
「頼み、ですか?」
「作兵衛殿の田を一枚、貸してほしいのです。一番実りの悪いところで構いません。そこに僕の言う通りのものを植えます。牛の糞と、腐らせた草を入れて、蕎麦を蒔きます」
作兵衛の顔が、露骨に曇った。
当然である。
田に糞を撒くと言われて喜ぶ百姓はいない。
しかも稲をやめて蕎麦を蒔けと言う。
「若様。お言葉ですが、あの田は年貢の―――」
「お貸しいただけるのであれば、今年の年貢は二枚分を免除します。取れても取れなくても、免除です」
作兵衛が、口を開けたまま固まった。
「それと、もし僕の言う通りにして、稲より多く採れたなら―――」
僕は指を一本立てた。
「その分は、全部、作兵衛殿のものにしてください。年貢は取りません」
「若様、それでは貴方になんの得が?」
「あります」
僕は頷いた。
「確かに失敗すれば、短期では二枚分の年貢を損したように見えます。でも、これがうまくいったら、この村の田は全部変わります。変わったら、村の取れ高が倍になります。倍になったら、来年からの年貢は今より多く入ります。その見返りを鑑みれば、やらぬ合理はない。この取り組みが上手くいかないとしても、記録になる」
僕は、まっすぐに作兵衛殿を見た。
「我が方で二枚分の損を被るだけで、村一つが変わるなら、安い買い物でしょう」
作兵衛殿は、しばらく黙った。
何言っているんだとまた問われるのかと思って身構えた。
けれども、違った。
「若様」
「はい」
彼は、僕の手を取った。
土を知る、木の根のような、硬い手だった。
「わしは、物心ついた時から、この土地で稲を作ってまいりました。その間、一度も、腹いっぱい食うたことがございませぬ。田が悪いのは、わしの精進が足りぬからと、そう思うて生きてまいりました。お侍様方も、そう仰せでしたゆえ」
「申し訳ございません」
「若様は、土が悪いと仰せになるのですな」
言葉を、選ぶ。
今度は違えない。
「向いてないだけです。稲に向いてないだけ。草は生えているならば、この土は他のものには向いている」
「ぜひお貸しください」と頭を下げた。
作兵衛殿は、しばらく俯いていた。
それから顔を上げて、皺だらけの顔をくしゃくしゃにして笑った。
「お貸しいたします」
「かたじけない」
「一枚と言わず、三枚お貸しいたします」
「……作兵衛殿。一枚でいいのです。すべて借りたら失敗した時どうなされるか」
「若様」
「はい」
「失敗しても、今と同じでございます」
絶対に成功するという心持で三面お借りした。
◇
その秋、作兵衛殿の三枚の畑からは、周りの田の倍近い蕎麦が採れた。
嘘のような話だが、嘘ではない。
もともと稲の実りが村で一番悪かった土地である。
蕎麦は痩せた土でも育つ上に、この年は堆肥が効いた。
もっとも、これは運も良かった。夏の雨が少なかったのだ。
水はけの良すぎるこの土は、雨の少ない年には強い。
僕は綴りに追記した。
『今年は雨、少なし。運良し。次は運の悪き年を見るべし』
村の反応は、僕の慎重さなど吹き飛ばした。
作兵衛殿の家の前に、蕎麦の山が積まれた。
村人たちが集まってきた。
誰も彼も、その山を見て、黙って立ち尽くしていた。
その晩、村中で蕎麦を打って、皆で食べた時に誰かが言った。
「腹いっぱい、というのは、こういうことなのか」
僕は、その輪の端に座って、蕎麦を啜っていた。
味は大したことがなかった。
この時代の蕎麦は、そば粉の挽き方も雑だし、つゆもだましだまし拵えたものだ。
前世で食べたどんな蕎麦よりも、粗くて、ぼそぼそしていた。
でも、村の面々は進んで箸を伸ばした。
ああ、そうか。
味じゃないんだ。まずは量なんだと理解した。
この時代の「うまい」は、まず「足りている」から始まるのだ。
足りて、それから初めて、うまいとかまずいとかいう話が出てくる。
前世の僕は、その順番を、知らなかった。
飽食の時代故の弊害である。
「若様」
作兵衛殿が、椀を差し出してきた。
「もう一杯、いかがですか」
「いただきます」
「たんと召し上がってくださいませ。若様には、健やかでいてほしいのです」
作兵衛殿は、満ち足りた顔をしていた。
◇
矢部に戻って今度は間違うことなく政策を進めた。
根回しをし、心を砕いて、現場を回った。
結果は二年で出てきた。
「なんて?」
「三倍です」
僕は、言葉を失った。
報告をくれたのは、あの時反対していた最古参の老臣だった。
「土地に向き不向きなどございませぬ」と怒鳴ってくれた人だった。
「私が間違ごうておりました。若様。平に、平にご容赦くださいませ」
「ううん。貴方がちゃんと反対してくれていなかったら。たぶん失敗してたと思います」
◇
「宗運」
「はい」
「『若が人だと知れて安堵した』と言ってくれたね」
「いいましたな」
「だめなんだ、それだと。人だと」
懐から竹皮の包みを取り出す。
開くと、粟餅が入っているが、それを宗運に差し出す。
すると宗運も、懐から何か取り出した。
差し出してきた包みを開くと奇しくも粟餅。同じ構え。
ただ、不格好な粟餅だった。
「何故そのようなことを言われますか」
「僕は今回、二つ間違えた。正確には一つ失敗して、一つ失敗しかけた」
老臣に恥をかかせたこと。
作兵衛殿の善意に甘えて田を三面も借りたこと。
「僕が失敗すれば、皆が困る。為政者は人にはなれないよ」
宗運は、遠くを見た。
「某は、数えきれぬほど、戦場に立ってまいりました。勝った戦もございます。負けそうになって、逆に討ち取った戦もございます。某の采配を、皆が頼る。おそらく、若は同じようなことを、いえもっと大きなことをなされようとされていると、某は理解しました」
宗運は、僕の粟餅に口をつけた。
口に合ったのか。たちまち餅は一つなくなった。
僕も口をつけた。
不格好だけれども、味も少しばかりおかしかったが、僕もぺろりと食べてしまった。
「故に某は、若に付いてまいります」
「……うん」
宗運は立ち上がり、僕に傅く。
「甲斐宗運、殿のこれからの道を、必ずやお支えいたしまする」