阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
1話
豊後府内の町を見て、僕は馬を止めた。
人がワッと多かった。
阿蘇谷の人をそっくり連れてきても、この町の一区画に収まってしまいそうだった。
通りには市が立ち、荷車が行き交い、犬が走る。
子どもが笑い、女が値切り、坊主が説法をしている。
そのすべてが、同時に鳴っていた。
匂いもまた、違っていた。
魚を焼く匂い、油の匂い、獣の脂の匂い。
嗅いだことのない香辛料の、鼻の奥を刺すような匂い。
それらが渾然一体となって、町全体からむわりと立ち上っている。
阿蘇谷の匂いは、土と草と煙だった。
ここは人と、銭と、異国の匂いがしていた。
「若様、あれを」
供の者が指した先に、港が見えた。湾には船が並んでいるが、異様であった。
和船に混じって、明らかに形の違う船が一艘、腹の膨れた巨体を浮かべていた。
帆柱が高い。舷側が反り返っている。
なるほどあれが南蛮船か。
前世では教科書の挿絵でしか知らなかったものが、波に揺られて、そこにある。
あそこから、砂糖が来る。
胡椒が来る。硝石が来る。鉄砲が来る。
そして、まだこの国が知らない作物の種も、おそらくは。
大友家が九州最大の勢力である理由は、田の広さでも兵の数でもない。
この港だ。ここで、外の世界と繋がっている。
綴りを入れた懐に、手をやった。
書きたいことが、山ほどあった。
◇
大友館は、町の中心にあった。
城ではない。館である。
堀と土塁はあるが、そびえ立つような天守はない。
この時代の大名の居館というのは、要するに大きな屋敷なのだ。
到着したが、しばらく待たされた。
供回りが待たされることに少し不満げであったが、外様の非力な国人風情では致し方ないとなだめていると、ようやく通されたのは南面の広間だった。
そこにはよい質の畳が、贅沢にも延々と敷き詰められていた。
それだけで、うちの寄合の間とは格が違うと分かった。
壁には見たことのない織物が掛かり、床の間には、およそこの国のものとは思えない硝子の器が置かれていた。
僕は上座から離れた下座で、平伏して大友の主を待った。
平伏している間は、別に悪くなかった。
畳の目が、やはり阿蘇のものより細かくて、手触りもなかなかによいと楽しんだ。
やがて、上座に人の気配がした。
「面を上げよ」
高い声だった。女の声である。
顔を上げて、僕は二度驚いた。
一度目は、その人が女性だったことに。
二度目は、その人の格好に。
大友宗麟。
豊後を本拠に、北九州の大半を握る、現在の九州における最有力の大大名。
その人は、どう見ても南蛮渡りの緋色の羽織を、和装の上から引っ掛けていた。
首には十字の飾りが下がり、指には銀の輪がいくつも嵌まっている。
髪は結わず、豪奢に流している。
美しい人だった。
美しいが、まったく静かではない。
座っているだけで、周りの空気をかき回すような人だった。
というか、なぜ女性なのか。
「そなたが、阿蘇の」
「はい。わたくしが惟将にございます」
できる限り丁寧に名乗る。
寄合でもそうであったが、こういう場での一人称は「わたくし」だ。
かしこまりつつ、威厳も保つ。
相手が誰であれ、まず崩さない。
「わたくしめをお召しいただき、恐悦至極に存じまする」
「ふうん」
宗麟様は、扇を口元に当てた。
その目が、僕を上から下まで、ゆっくりと舐めた。
嫌な視線ではない。値踏みでもない。
もっと単純な、珍しいものを見つけた子どもの目であった。
「阿蘇の嫡子と聞いておったが」
「はい」
「そなた誠に惟将か。惟種ではなく」
「惟将にございます。男にございます」
「ほう、では脱げ」
「はっ。ではお目汚しではございまするが……」
「いやいや冗談じゃ、本気にするな」
おそらく兄妹の容姿のことは聞いていたのだろう。
では疑われても致し方ないと着物に迷わず手を掛けたところで、宗麟様は止めてくれた。
彼女の目尻が、明らかに下がった。
笑っているのか。
広間の空気が、左右に控える大友の家中の者らが僕に向ける視線が、緩むのを感じた。
「冗談が過ぎたな、すまぬ。そなたは誠に惟将殿だ。阿蘇の嫡子である」
「いえ、致し方なきことかと」
「先に述べておく。阿蘇とは、よき盟で続いてきた。先代も、そなたの父も。次代のそなたともそのような縁でありたい。故にそなたは人質ではない。客人である」
「はっ。ありがたき仰せでございます」
「礼はよい。それより」
宗麟様が身を乗り出した。
「そなた、土産は」
「は?」
「土産よ。客人であろう。手ぶらで参ったか」
……目録は先に出したはずである。
米だの布だの馬だの、格式に沿った品を並べた、阿蘇家にとっては精いっぱいの目録を。
だが宗麟様の顔は、そういう話をしている顔ではなかった。
思考する。
お屋敷のあり方を思い出す。彼女の装いを伺う。
そして察する。
この人は、単に面白いものが見たいのではないか。
動くべきかと思案する。
動くべきだと判断する。
先ほどは客人と呼んでくれたが、腹の内はまだ分からない。
言葉通りと読めるならば、外交なんてものは必要ない。
更にはここで目録の中身を単に読み上げるだけの者など、宗麟様個人の最低限うかがい知れる人となりからしても、明日には顔も覚えられていないだろう。
「恐れながら。目録には載せておらぬ品が、一つございます」
「なんじゃ」
「わたくしめが、手ずから作りました品がございます」
広間がざわついた。当然である。
人質として来た国人の嫡子が、大名に手作りの品を差し出すなど、格式もへったくれもない。
だが宗麟様のまなこが、明らかに動いた。
好奇心の色だ。
「見せよ」
◇
毒味役を通して、宗麟様へ献上したのは竹皮の包みだった。
中身は、干柿を使った菓子である。
作り方は単純だ。
よく干した柿を刻んで、炒った蕎麦粉と混ぜ、水飴で練って固める。
仕上げに、擂った胡桃をまぶす。
砂糖が滅多に手に入らないこの国で、甘味の主力は干柿と水飴と甘葛だ。
中でも干柿の甘さは、乾かすほどに凝縮して、驚くほど濃くなる。
阿蘇の山では、柿がよく採れる。
だからこれは、谷で何十回と作った。
ちなみに出来上がるたびに一番に手を伸ばすのは、決まって惟種だった。
宗麟様は指でひとつまみ取って、それを口に入れた。
その瞬間、ふと彼女の表情が固まった。
ぶわりと背が冷えた。
失敗した?まずかったのか?いや、味は確かめてある。
だが人の口には、好みというものがある。
僕の口に合うものが、宗麟様の口に合うとは限らない。
「惟将」
「はっ」
宗麟様が、ゆっくりと口を開いた。
僕は努めて表情を崩さないようにしていたが、どんなことばが返ってくるかが怖くてこわくて仕方がなかった。
「これに、何を入れた」
返ってきたのは、ひとまずは問いであった。
一息、安堵を悟らせないように呼吸を入れて、僕は宗麟様の問いに答えた。
「柿、蕎麦粉、水飴、胡桃にございます」
「砂糖は」
「使うておりませぬ」
「……嘘を、申すな」
宗麟様の手の中で、扇がぱちりと鳴った。
「砂糖なくして、これほどの甘味が出るものか。そなた、どこぞで南蛮の砂糖を手に入れたのであろう。正直に申せ」
「本当に、使うておりませぬ」
僕は、深く頭を下げた。
「甘味と申しますのは、足すばかりではございませぬ故」
「ほう」
「甘味は、時に引いても出まする」
「ほうほうほう」
宗麟様の顔が気持ち近くなったように見えた。
ならば僕の手番である。
「柿は、生のままでは、それほど甘くないことはご存じかと」
「たしかに、ここで引くのは水であるな」
「ご慧眼でございます」
「干せば渋が抜け、水が抜けて、甘さだけが残る。干柿なぞ、豊後の百姓の子でも知っておる。そなたはその理屈を、菓子に仕立てたと申すか」
「仰せの通りにございます。さらには引くのではなく、時を待つことも足しとなりまする」
「時とな、例えばどんな」
「味噌でございます。塩と豆を寝かせておくだけで、勝手に甘うなりまする。何も足しておりませぬ。ただ、時を足しております」
宗麟様の手元の包みに、目をやる。
「砂糖があれば、確かに甘味はたやすく作れまする。ですが砂糖を持たぬ我らは使わずとも作れる甘味を探さねばなりませなんだ。それは持たざる者の知恵にてございます」
「なんのためにここまでするか」
「民草のためにて。巡り巡ってはわれらのためでございます」
民の心を満たすものが少しでもあれば、不満が減る。
治世が乱れないための、僕にとっての武器である。
それを聞いた宗麟様は膝を打って、扇でこちらを指した。
「面白い!!そなた、面白いのう!!」
宗麟様が立ち上がる。召し物の緋色の羽織が、ばさりと翻った。
「惟将。儂は南蛮の品が好きじゃ。硝子も、羅紗も、酒も、砂糖も好きじゃ。金を積んで、船を待って、遠い国から運ばせておる。結果、商人と市井に銭が落ちる。銭が落ちるとその銭が民に回る。富が民を安堵させておる。じゃがこれは持てる者の道理。そなたの戦略は持たざる者の戦略じゃ。遠い国から運ばずとも、柿と時があれば民を安らげられる、とな」
「そこまで大それたものでは」
「大それたものじゃ!!誇らんかい!!」
宗麟様は、銀の輪の光る指先を、僕に突きつけた。
「惟将。そなた、しばらくは儂の菓子役を務めよ」
「え」
「府内におる間、月に一度、儂に菓子を持ってまいれ。そして持たざる者の知恵を論じよ」
「え、あの、わたくしは人質、いえ、客人でございますが、家中の者がお許しになりますか?」
「客人であろう。客人は主を退屈させぬのが務めじゃ」
「いやそれお伽衆」
外様が何様かと睨まれるかもしれない、しかし入りは悪くはない。
頭の中で、算盤を弾く。
大名の菓子役ということは、月に一度、直にこの人と口をきけるということだ。
人質の身で、九州最大の大名と少なからずの繋がりを持てる。
外交の上で、これは途方もない元手である。
なんだったら、あわよくば阿蘇家の大友家での立ち位置をより良いものにできるかもしれない。
「一つ、お願いがございます」
「申せ」
「砂糖を、少しばかり融通いただけませぬか」
宗麟様の眉が上がった。
「使わぬのではなかったか」
「使わずとも作れる、と確かに申しました。お好みであれば使わぬもので取りそろえることもできまする」
「では何故か」
「宗麟様がお求めなのは、菓子ではなく、持たざる者の知恵にございましょう。なればこそ、語らいの席にお出しする菓子は、それにふさわしいものでありとうございます。阿蘇の知恵に、大友の砂糖を足す。引くばかりが能ではございませぬゆえ」
宗麟様はそれを快くお認めくださった傍らで、広間の隅の大友家臣の一人が天井を仰いだのが見えた。
まじめな方にはなかなか強烈な上司であるだろう。
振り回される家臣の方には同情した。
◇
その夜、僕は与えられた屋敷で、綴りを開いた。
府内、と最初の行に書く。
『港あり。南蛮船、年に数度。砂糖、胡椒、硝石、羅紗、硝子』
『町、人多し。市、毎日立つ。魚、豊富』
『大友宗麟。女子であった。南蛮好み。面白きものを好まれる。退屈を嫌うとお見受けする』
筆を止めて、考えた。
それから、こう書き足した。
『悪い方ではない』
今日のことを、もう一度なぞる。
あの時、宗麟様は僕を試された。
土産を聞き、手ずから作った菓子を臆することなく食らい、砂糖を疑い、そして僕の話を聞きたいと言ってくれた。
「うちは大友に頼らずとも豊かになれる術がある」とさらしたにもかかわらず。
今日の話において、僕はその点で失敗していた。
宗麟様がもしもこれで憤慨される方であったならば、阿蘇家の立ち位置が危うくなっていた。
結果としてはうまく転がった。
宗麟様はそのうえで、僕を手元に引き寄せた。
阿蘇谷の知恵を、持たざる者の知恵を引き出すために。
まあよいと綴りを閉じた。
対価を払わずに近づけるお方ではないのだ、よしとしよう。
要するに、ウィンウィンの関係であればよいのだ。
そこに気を付けておけばよい。
ふと苦笑が漏れた。
果たして、そこまで宗麟様が考えられているのか。
彼女は単に僕の話を聞きたいだけかもしれない。
そうであるならば、今の僕は案外、人を疑ってやまない人である。
前世は別にそんな人ではなかったのにね。
行灯を消す前に、荷の中から素焼きの壺を出して、蓋を開けた。
麦麹の、丸い甘さが立ち上る。
『府内の味噌は、麦を使わぬと聞きました』
妹の声が耳に戻ってきて、口元が緩んだ。
実際、今日の膳に出た汁は、米麹のすっきりした味噌だった。
旨かった。
旨かったが、何かが足りなかった。
だから指先で味噌を取って、舐める。
濃く、甘い。
阿蘇谷の味だった。