阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
「惟将」
「はい」
「相手を見つけてきたぞぃ」
「どちらのお家のもので?」
「高橋の者よ」
「えぇ、それはまた、恐れ多い」
「嘘申せ。笑っておるぞ」
「……」
「存分に注いでやれ」
◇
高橋家の大屋敷は、府内の外れにあった。
高橋家と言えば大友家の重臣の一角、現当主は筑前の岩屋城を守っている。
その屋敷は、留守居の者が数人いるだけの、静かな場所だった。
門をくぐって、僕はまず、庭に目を奪われた。
庭というのは語弊があった、これはまったく鍛錬場だ。
白砂が敷かれ、隅に的が立ち、太い柱が何本も埋め込まれている。
柱には無数の打ち跡があった。
ささくれ立ち、抉れ、黒く変色している。
何年、何万回、これを打てばこうなるのか。
高橋家は武道のお家だと伺えた。
「阿蘇様。こちらでお待ちくださいませ」
案内の女中が下がって、僕は鍛錬場が望める客間に腰を下ろした。
そういえば、道雪殿から相手の名も歳も、何一つ聞かされていないことに今気づいた。
本当に大丈夫だろうかと今更不安に駆られる。
不安を紛らわすために、懐から綴りを取り出す。
『高橋家、府内屋敷。庭に鍛錬場あり。柱の打ち跡、深し』
書いていると、背後で足音がした。
芯のある足音だった。歩幅が広い。
振り返って、見上げた。かなり見上げた。
最初に目に入ったのがその人の帯だったので、まだ視線を上げていく必要があった。
上げて、まだ上げて、ようやく顔に行き着いた。
「えぇ」
いや、でっか!?
その人は、背が恐ろしく高かった。
この時代の女性としては、いや、男を含めても、明らかに規格外だった。
肩幅がある。だが、いかつくはない。しなやかだ。
首から腕へ流れる線に、無駄な角がない。
稽古着の袖から覗く前腕には、細く長い筋が浮いている。
そして髪が、赤かった。
夕焼けとも、血ともつかない、深い赤。
それを高い位置で一つに束ねて、背中に流している。
目は切れ長で、静かだった。
感情が、読めない。
その人は、僕を、ただじっと見下ろしていた。
僕も、見上げたまま、言葉が出なかった。
沈黙が、長かった。
「あの」
先に折れたのは、僕である。
「阿蘇惟将と申します。立花様のお申し付けで、参りました。本日より、学問をお教えするようにと」
返事がない。焦った。
初対面である。
「よ、良い日よりですね」
話題がない、お見合いですか。
「あの」
ようやく声をいただけた。
低い声だった。
女性の声としては相当低い。
だが、掠れてはいない。
よく響く、落ち着いた声だった。
所謂イケボと言われる奴だ。
「失礼を、いたしました」
その人は、そう言って、深く頭を下げた。
「あまりにお美しい姫君でございましたので、見入っておりました」
「僕、男です」
「え」
その人は、ひとつ瞬きをした。
それから、もう一度、僕の顔を正面から見た。
検分ではない。
確かめ直しているだけの、まっすぐな目だった。
「失礼を、いたしました」
頭を下げて、上げて、その人は言った。
「とはいえお美しいことには、変わりございませぬが」
「ひぇ」
照れも、からかいもない。
見たままを素直に言う人は初めて見た。
しかも顔面暴力のお方に言われては、僕のほうが返す言葉を探す羽目になった。
◇
「統虎と申します」
座って、ようやく僕はその名を聞いた。
座ると、背の差がよりはっきりする。頭一つ違う。
僕はこの人を見上げ続けなければならないのだろうか。
たぶんそうだろう。
僕の成長性はお察しだ。
「統虎といいますと、高橋家の、ご息女の」
「はい」
「では、ご当主の」
「母の、娘です」
言い方に、どこか含みがあった。
引っかかったが、そこは掘らないことにした。
「学問は、どのあたりまで」
「四書は、一通り」
「素読ですか、それとも」
「意も、取りました」
「では、六韜と孫子は」
「読みました」
「では統虎殿、失礼を承知でお尋ねします。お読みになったものの中で、腑に落ちなかった箇所はございますか」
統虎殿はそっと目をつぶられた。
その間に、僕は彼女の顔を静かに覗く。
とても静かな人に見えた。
とても大きな人ではあるけれども、対して落ち着きが常であるような人だった。
深い水の底に、感情を沈めたような印象を受けた。
「一つ、ございます」
統虎殿は瞳を開けて、僕に問う。
「孫子に、『兵は詭道なり』と。戦とは、欺くことである、と」
「はい」
「それは、正しいのですか?」
決意したようにこちらを覗く統虎殿は、真剣だった。
「わたしは、母から武士は義を守れと教わりました。嘘をつくな、と教わりました。ですが孫子は、欺けと申します。近くに在りて遠きを示せ、と。どちらが、正しいのですか」
「―――、……」
口を開きかけて、僕は止めた。
統虎殿は、膝の上で拳を握られていた。
大きな手だった。
指が長く、節が太く、掌に硬い皮が張っている。
何年も、何万回も、柄を握ってきた手だ。
教本通りの答えを、単に返そうとした。そんなものはいくらでも出る。
戦場の詭道と、日々の倫理は次元が違う。
目的が違えば手段の評価も変わる。
義とは大局の話で、詭道とは局面の話だ。
全部、言える。答えられる。
しかしきっと、この人が求めているのは、そういう答えではない。
口を止めてよかった。
この人は、心根で困っているのだ。
母より教わったことと、書いてあることが噛み合わなくて、それを誰にも言えずに抱えたままでいたのだろう。
育った体躯に反して、統虎殿は案外とてもいじらしい人だと思うのは失礼か。
しかし不器用な人なのは間違いなかった。
この人が口数の少ない理由も、実際にはそうなのかもしれない。
考えこそめぐっているけれども、足りず。
しかしそれではいけないと思って口をつぐむ。
「統虎殿、前提条件です」
「はい」
「まず第一に、孫子は武士ではございません。今とは思想も時代も異なる、はるか昔のものでありますので、かの言葉をそのまま真に受けてはなりません。第二に、母君のことをわたくしはまったく存じません。母君がどのように生きてこられ、貴女を育て、どのような思いがあって語られたかを、わたくしには勝手な解釈は出来かねます。最後に、わたくしにはあなたの問いに本当の意味での答えを差し上げられません」
統虎殿の目が、わずかに見開かれた。
「正直に申し上げます。わたくしは、戦場に立ったことがほとんどありません。一度、総大将の格好をして馬に乗ったことがありますが、後ろでただのほほんとしていただけでした。家臣に恵まれただけです。槍も振れません。人を斬ったこともありません。そういう人間が、『戦では欺いてよい』と申し上げるのは、いかがなものか」
「では、どうすれば」
「差し支えなければ、一緒に考えさせてくださいませんか?」
「一緒に考えて、くださるのですか?」
師として求められてきているのに、口先ばかりで恥ずかしいが、今はこのようにしか答えられなかった。
膝の上の拳が、ゆっくりと、ほどけていった。
「よろしくお願いいたします」
まだ僕は何もできていないのに、統虎殿はとても救われたような顔をなされた。
◇
それから僕は月の半分は、高橋家のお屋敷に足を運んだ。
客間で本を共に読み、鍛錬場では訓練を見せていただいた。
統虎殿の母君の言葉の意味を、探る作業だ。
統虎殿がまずは母君の言葉を示す。僕がそれに世間の一般論と僕自身の見解を答える。
統虎殿が身振り手振りで、その時の母君の様子を語られる。
または母君から聞いた実戦や政治の話を語っていただく。
それで改めて、僕らは言葉の意図を探りなおす。
この繰り返しだった。
又聞きではあったものの、阿蘇家以外の、しかも大友家重臣の経験談はやはりためになることが多く、僕はよく綴りをつけていた。
すると統虎殿もそれを見てか、文を書き始めるようになった。
最初は僕と同じ意図かと思ったが、どうやら岩屋の城に、統増という弟がいるのだという。
今日読んだところを、弟にも分かるように書き直して、送っているのだと。
「お継ぎしているのです。惟将殿に倣って。それに統増は母君の近くにおりますので、われらの解釈が当たりなのかはずれなのかも伺いやすいのです」
統虎殿は、僕に統増経由で返ってきたという母君からの返しの文を見せてくれた。
特になにも言葉を尽くしてはいなかったけれども、ただ一つ、大きな花丸が添えられていた。
少しクスリと笑ってしまった。
統虎殿の母君は、統虎殿とそっくりさんなのかもしれない。
◇
僕の中の机上の知識が、急に体温を持ち始めた。
聴き及んだ経験ではあったものの、やはり母君の話を伺えたことが大きな糧になったのかもしれない。
「統虎殿。この『兵は拙速を尊ぶ』というのは」
「早さは、確かに大事です。ですが、早さの正体は、走ることではありません」
「と、申しますと」
「飯です」
「その心は」
「兵が早く動けるかどうかは、飯が続くかどうかで決まります。一日で十里進む軍は、十里分の飯を運ばねばなりません。運ぶ人間にも飯が要ります。ゆえに、進めば進むほど、飯が重くなります。母も『戦の早さとは、飯の早さである』と申しておりました」
「……」
「惟将殿?」
『戦の早さとは、飯の早さである』
飯だ、つまり兵站だ。
兵站も、確かに戦だ。
ならば僕にも、少しばかりは戦の話ができるのかも知れない。
道雪殿の話し相手くらいには、なれるのかもしれない。
「惟将殿は、偶にとても良きお顔をされます」
「常に、と言っていただけたら嬉しいです。親から賜りました、自慢のお顔でございます故」
僕は両手の人差し指で、冗談めかして頬を指す。
統虎殿はそっと笑みを浮かべられて、宣う。
「いえ、そういう意味合いではございませんでしたが、確かに良きお顔です」
どういう意味合いだろうかと僕は首を傾げた。
◇
半年ほど経った日のことであった。
その日の夕方前に、僕は統虎殿に催促されて、菓子を作っていた。
宗麟様に月一でお出ししてきた菓子の一つである。
先日、帰ろうと席を立ちかけた僕の袖の端を少しだけつまんで、とてもおいしそうであったと伺いました、ととても遠回しに催促された僕は、統虎殿の腰に、子犬のしっぽを幻視した。
今回は栗を使ったものである。
栗を蒸して裏漉しし、水飴で練る。
そこに、宗麟様から融通いただいた砂糖を少しと、塩をほんのひとつまみ。
塩は、大事である。
甘味は、塩を微かに入れると、味の質がグンと跳ね上がる。
「さあどうぞ」
せっかくなので常備されていた茶葉もお借りして、お茶も差し出す。
統虎殿はしげしげと僕の差し出した菓子を一つ、一息に口に頬張った。
そして止まった。
完全に、止まった。
意識がどこか宙で静止している様子であった。
「統虎殿?」
返事がない。
「あの、お口に合いませんでしたか」
「阿蘇殿」
「はい」
「高橋家の、お嫁さんになっていただけませんか?今すぐ」
「はい?」
「……冗談です」
統虎殿は、そっと、残った菓子を持ち上げた。
とても大切な宝物のような扱いをする手つきに見えた。
「わたしは、菓子を、数えるほども食べたことがありません。母は、質実を重んじる人ですので。菓子は、贅沢だと」
「お気に召しませんでしたか?」
「いいえ、いいえ。このような菓子を知らぬわたしでも、これが、とても価値あるものだと、分かります」
統虎殿は、二つ目に箸を伸ばした。
今度は、ゆっくり、少しだけ口に含まれた。
確かめるように。覚えるように。
飲み込んで、茶も飲んで、ひとつ息をつかれた。
その口の端が、持ち上がっていた。
「分かります」
「何がでしょう」
「これは、良いものだと」
腹を満たした作兵衛殿が、満ち足りた顔で椀を差し出してくれたのを思い出した。
良いものを、共有できる日は来るのだろうか。
「統虎殿。作り方、お教えしましょうか?」
「よろしいのですか?」
「はい。教えるのが、僕の役目ですから」
◇
僕らの学びに菓子作りが加わった。
統虎殿は、恐ろしく不器用だった。
力が強すぎるのだ。
その日は、前に食べていただいた栗の菓子に挑戦していたが、裏漉しの布を三枚も破いた。なんてパワーだ。
「そんなに力を入れなくていいのですよ、統虎殿」
「も、申し訳ございません惟将殿」
「大丈夫。僕の手元を見ていてください。こう、優しくです」
「優しく」
「はい、優しくです」
見かねて、横から手を添えた。
添えてから、やはりと思った。
この人の手は、僕の手の一回り半は大きく、ごつごつしていた。
そんな人が、お武家のお侍様が、一回りも小さい僕とならんで、菓子を一生懸命作っている。
なんだか少し、おかしく思えた。
菓子だけに。なんてね。
四枚目の布は、破れなかった。
◆
台所の外、惟将と統虎の気づかぬところから、覗く者があった。
それは二人だった。
一人は道雪。もう一人は、統虎の母親であった。
「よいの」と、道雪はふたりを見ながらつぶやいた。
「まことに」と、統虎の母親はそれに同意した。
そっと立ち去る二人は語る。
「並びがよい」と、満足していた。
実は投稿するのは七年ぶりくらいになりますが、少しずつですが見てくれる方がいらっしゃったり、登録してくれる方がいてくださっているの、初めて投稿をし始めた初心を思い出してとてもうれしいです。
頑張りますね。