阿蘇惟将、頑張る ~阿蘇家で廻る、TS九州三国志~ 作:NoRAheart
高橋紹運。
高橋家の当主にして、大友家の重臣。
立花道雪と並んで「大友の双璧」と称され、道雪殿が雷神なら、この人は風神と称されるお方。
そして、統虎殿の母君。
紹運殿に初めてお会いしたのは、統虎殿と菓子を作るようになってから、ひと月ほど経った頃。
紹運殿がちょうど筑前の岩屋城から府内へ戻ってきた折であった。
その人が、府内屋敷の玄関で草鞋を脱いでいるところに、僕は鉢合わせた。
背の高さは高橋家の遺伝だろうか。
統虎殿よりもすこしばかり背が低いが、それでも僕よりずっと大きい。
そして、やはり親子か。似ている。
目元の形、統虎殿とそっくりだった。
切れ長で、静かで、しかし異なるのは、感情が水底にある目。
統虎殿が不器用さの延長であるのに対して、この人のそれは、読ませないための武器だと見た。
「その体躯、その容姿。あなたが阿蘇殿ですか」
「はい。阿蘇惟将にございます。ご息女には大変お世話になっております」
「世話。そうね」
深く頭を下げる僕に、紹運殿は、なんだか含みのある視線を向けられる。
道雪殿のような、検分ではない。
なんだか嫌な視線だった。
まるで、自分の知らぬ間に娘が男を部屋にあげていたのを知った親のような。
……あ。
「本当にお世話になっていますね」
それじゃん。ほぼそれじゃん!!
「な、なにもございませんよ、紹運殿。質実剛健でひとかどの将になられる才を持つ統虎殿が、どうしてわたくしめのような男女なんぞ、好まれましょうか」
「へぇ、ふぅん、でもおかしいわね」
僕は咄嗟に否定するが、紹運殿は無感動に、さらりと宣う。
「菓子作りを娘と二人で、文字通り手取り足取り教えておったものが、今更何を言うのかしら」
それはもう、「もうしわけございませぬ!!」と、僕は額を地面に埋まるくらいには思いっきり打ち付け謝罪する。
というか、なぜそれを知っているのだろうか。
あれは統虎殿と二人きりで行っていたことである。
紹運殿は、その頃は岩屋城にいた。
統虎殿が文に書いたのか。それとも女中のものか。
ありうる。どっちもありうる。
統虎殿なら単に、こんなことあったと無感動に文に書くのだろう。
高橋家の女中の方は噂好きで恋愛ごとには特に関心を向けておられた。見ていたならば、ぺらぺらと面白おかしく広めるに違いない。
不注意であった。
もっと年頃の姫君と思って、適切な距離感を意識するべきだったのだ。
こんなところで阿蘇家の評判が落ちたら困る。
やがて面をあげなさいと、紹運殿が告げられた。
僕はそっと顔を上げると、眼前には紹運殿の指先が見えた。
「ギャン!?グフッ!!」
べちんとデコピンされた僕の額を起点に僕はぐるんと後ろに倒れて後頭部も打った。
なんてパワー。変な声を出してしまうほどに、とてもデコピンされただけとは思えない激痛を訴えた。
あまりにも痛かったものだから、ちょっと涙が出てきた。
「わたしは許します」
「じゃあ今のデコピンは何ですかぁ!!」
「でも娘に触れたことに関しては、わたしの指先は、貴方を許すとは一言も言ってないわ」
「なんですかその屁理屈ぅ!!」
まあまあと、僕の肩をぽんぽんと叩きながらこれでチャラねとサムズアップする紹運殿に、僕は大きな花丸だけを返してきた、あの文を思い出した。
ああ。この人。
統虎殿の母君だ。
◇
高橋家の奥の間に通された僕は、紹運殿が立てられた茶をいただいた。
一連の所作に、紹運殿の教養が見えた。
てっきり統虎殿の様子から、高橋家は悪い言い方ではあるが、戦ごとに特化した家かと思っていたのだが、意外である。
「ところで阿蘇殿。貴方たちが統増に宛てた文は、わたしも読みました」
「ああ、統虎殿の文ですな」
「貴方たちの文です」
ぴしゃりと止められたので、嘘はやめる。
「あれは筆不精です。離れて幾年か、弟にも、わたしにも、ろくに文を寄越さない。それがこの半年、人が変わったかのように書いて寄越す。どの文にも、わたしがこれまで教えてきたことが書いてある。しかも統増に、分からぬことはあるかと聞く始末。人が変わったか。人がついたか。それが分からぬようであれば、母親失格でしょう?」
「……つまらぬ嘘を申しました」
「まあそれは良いわ。娘の性分を治せぬ親に、他人の性分をどうこう指摘する筋合いはないのでしょうから」
紹運殿はそう言って、茶請けの小皿を僕の前へ滑らせた。
干し柿が二つ、切り口を揃えて並べてある。
一つ頂いて、茶の残りで流し込んだ。
椀を返そうとして、手が止まった。
縁から胴へかけて、細い筋が走っている。漆で継いだ跡だった。
それも一筋ではない。三筋、四筋と、川の流れを描いたように、器の肌を這っていた。
「紹運殿。この椀は」
「おや気になります?」
「ええ、気になります」
継ぎ目の漆が、行灯の明かりを鈍く返している。
割れた器を捨てずに継ぎ、継いだ跡ごと景色として愛でる。そういう趣向を、僕は知っている。
「足利の義政公が、唐土渡りの青磁の茶碗にひびを入れられ、明へ送って代わりを求められたところ、鎹で継がれて戻ってきたという話がございます。その鎹が蝗の止まったように見えて、かえって名物になったとか。傷を隠さず、来し方ごと器の景色にする。これは、そういうお心で出された一碗とお見受けいたしました」
我ながら、よく舌が回った。
「まあよくご存じで。でもお恥ずかしながら、それは偶々の品でして」
「偶々、ですか?」
……まあ、偶然から生まれた美術品もある。
そういったくだりなのだろうと耳を気持ち寄せる。
「茶を習い始めた頃に、友人から良い茶器を譲り受けまして、興奮していたのがいけませんでした。触れましたら」
「触れましたら?」
「割れました」
「はぁ、割れ…割れた?」
「持ち上げる傍から割れに割れて、ついには四度も割ってしまいました。私が落ち込んでいたところ見かねた統増が直してくれました」
「良かったですね」
「ええそれはもう。『義政公に倣いまするー』と、統増が張り切って直すと言うものですから、わたしもその横で鎹を指で曲げて手伝いました」
「よか、……いや何言ってんだ」
「できた椀がこれまた良きもので、試しに客人にお出しすると、皆さま、この景色は見事だ、侘びておる、とお褒めくださる。ですから、そのままお出ししておりました」
「ねえ無視しないで。鎹を指で曲げないで」
紹運殿の口元が、ほんのわずかにほどけた。
「蝗の話は、存じませなんだ。宗麟様のお茶頭も、そこまでは話してくださらなかったわ」
「……割った由は、外しましたけれど」
「外れたのに、褒められた気がいたしました。阿蘇殿。教養というのは、こういう時に効くものなのですね」
紹運殿は、干し柿の残った小皿に目を落とした。
「割れた椀が、褒められる椀になる。それを娘にどう教えたものか、わたしには、分からなかった」
「統虎殿なら、この椀を見て、なんと仰いましょう」
「割れぬように握る稽古を、始めるでしょうね」
うん、まさに。
庭の鍛錬場の、あの打ち跡だらけの柱を相手にするのと同様に、全く真剣に真顔で椀を握る稽古をする統虎殿が、ありありと目に浮かぶ。
「目に浮かびます」
「……そう。浮かぶのね」
紹運殿の手が、干し柿の小皿を、すっと自分の膝元へ引き寄せた。
まだ一つ、残っていたのに。
「浮かぶほど、見ておられるのね。台所で、二人きりで、手取り足取り」
「あの、その件はもう、先ほどの」
「あれは、触れた分」
引き寄せた皿の縁を、指先が、とん、と叩いた。
「食べさせた分が、まだ残っております。うちの娘に、いったい何を食べさせてくれたのかをお伺いしても?」
ふっ、と柔らかさが落ちた。
先ほどとは打って変わって、僕は毛の逆立ちを感じた。おそらく僕の生存本能。
それが逃げろ逃げろと叫んでいた。
「菓子の件、菓子の件……」
僕はうわごとを吐きながらほんの少しの時間を稼ぐ。
その間に、紹運殿の怒りの向きと、統虎殿の語ってくれたこれまでのことを、心の綴りを開いて整理をかける。
本当に。
戦場に立って、人の上に立って命のやり取りをするというお方は、なんでこんなに恐ろしい方ばかりなのだろう。
背筋が寒い。逃げたい。
でも僕の芯は、まだここにあった。
統虎殿の学びたいという好奇心が、僕の撤退の二文字を消した。
「菓子の件とおっしゃられても。何かまずいことがございましたかな?」
「惚けよって。統虎はもののふとして育てていたの。『質実を旨とせよ。義を守れ。贅を排せ。』と教えていたの。それを阿蘇殿が乱したとは思わない?」
「菓子を食うなとは、言ってはおりませんな」
「見解の相違ね。菓子は贅である」
「では、先ほどの干し柿は」
「客への礼です」
「礼、なるほど」
一呼吸。
「では統虎殿は一兵卒となられると」
「まさか。統虎はいずれ高橋家を継ぐ将となります」
「矛盾しておりまする」
「何をか」
「将が贅を知らねば、敵方が何をもって下るか、お味方が何をもって高橋家の旗についてくるかを知れませぬ」
「『桃李言わざれども、下自ずから蹊を成す』。義があるところに人は来るのです」
「おや本当に?紹運殿。本当でございますか?」
僕は目を見開いて、紹運殿の全身を量る。
身体ごと、顔ごと紹運殿にズイと寄る。
……紹運殿は少し仰け反られた。
ならば話の方向性はこうしよう。うん、そうしよう。
「紹運殿、嘘はいけませぬ。礼にお出しになれるのは、菓子が贅であるとご存知だからでしょう。贅を知らぬ者に、贅を礼に変えることはできませぬ。良い茶器に浮かれて、何度も茶器を割られるお方が、贅をご存知ないとは申されますまい。それに、貴女のお話は統虎殿より伺っておりまする。武功だけでなく、調略の功に関しても。それは人の損得を知らねばできぬこともありましょうよ」
「それがなにか」
「荘子の秋水より『夏蟲は以て氷を語るべからず』とございます。将にしたければ、調略の術は知るべきです。しかし人が求める贅を知らぬのに、相手が求めるものが分からずして、どうして調略などできましょう?しかしあなたは、それはいけないとおっしゃる。この矛盾をどうなされるか」
突き詰めれば、統虎殿は、紹運殿から与えられた孫子の言葉と、紹運殿自身の教えとの間で混乱を起こしていた。その説明をどうつけるかという話でもある。
僕はいっそ、紹運殿に問うてみた。
問うてみたが、紹運殿は答えに窮した。
え、窮した?なんで?
……。
……あー。うん。
わかった。
「―――申し訳ございません。お忘れください」
僕が、また馬鹿をやらかした。
これは高橋家の事情を知らずに僕が癇癪起こしただけだった。
寄せた身体を引いて、引いて、元いたところより後ろで僕は頭を下げた。
「まあいろいろ述べましたけれども、単に統虎殿が菓子に興味があったため、わたくしめがお教えしましょうと統虎殿をお誘いしたのです。何卒お笑いください。なんでしたら指南役を降りよと申されるのであれば、降りまする」
「察したの?阿蘇殿」
「……」
「あの婆、ほんと、なんて子を統虎につけたのよ」
紹運殿があきれたようにつぶやいた。
「お察しの通りでございます、阿蘇殿。孫子とわたしの言葉ごときに矛盾をおこす統虎です。わたしも不器用で必死に教養を覚えたものですが統虎はわたし以上に不器用でございましたので、まずはもののふとして育てておりました。あの体躯であります。槍働きは性にあっておりましたので」
紹運殿は、庭の方を見た。
白砂の鍛錬場と、いくつか抉れた柱が見える。
たぶん統虎殿がやったのだろう。
最近調子が良いとは言っていたが、抉れているのは初めて見た。
……あれ、どうやったんだ?本当に同じ人間?
「もののふと将では、確かに求められるタチは異なりますな」
「でも、ご明察。私は間違っておりました。ご存じかもしれませんが、笑わなくなったのです、あの子。いつからか、気づいた時には、笑わぬ子になっておりました」
「?」
「くやしいかな、阿蘇殿。貴方の傍だとよく笑うそうですね」
笑わない?そんなことはないと思うのだけれど。
確かに笑いなれていない様子ではあったけれど、喜怒哀楽は持ち合わせている様子はある。
ならば何だろう。僕は少し首を傾げる。
傾げて、少し考えた。
考えて、アッと思いだす。
「『喜怒色に現さず』。―――昔、紹運殿に教わったと聴いております。それを守られておられるのでは?言われた当人の前です。猶更そのように努めておるのでは?」
ひゅっと、紹運殿の喉奥から、潰れた音が出た。
固まっている紹運殿には、思い当たる節があったのだろうか。
「紹運殿?」
「あ、阿蘇殿。誠に申し訳ございませんが、これより席を外しても?」
「あ、はい」
スッと立ち上がった紹運殿は、廊下の方に向かわれた。
閉まった障子に手をやると、勢いよく開けられた障子が柱を貫通した。貫通した?
じゃあのーと、そこにいたはずの障子が一瞬でどっかに飛んでいった。目を疑った。
「統虎ァ!!どこですかぁあああ!!おかあさんまちがってたぁああああ!!!」
壁がいくつか派手に壊れる音を背に聞いた。
こわい。なんで壁が壊れる音するの?こわいよ高橋家。
今日のところは、僕は退散した。
その日の夕刻に、高橋家から使いの者が、文を持ってやってきた。
差出人は、統虎殿からだった。
文には一言、『ありがとうございました』とだけ書かれていた。
紹運殿の言う通り、統虎殿は筆不精のようであった。
◇
ある日、僕は道雪のおばあ様に呼ばれて立花屋敷に伺った。
そこには紹運殿も、何故かいた。
「阿蘇殿。先日はお見苦しいところをお見せいたしました」
「あ、はい」
「御礼はいずれ」
「お、お気遣いなく」
というか、大友の双璧が二人並んで僕を待っていた。
道雪殿は輿から降りて脇息にもたれ、紹運殿はその横に正座している。
僕は、その正面で正座させられていた。
何、これ?
「惟将や」
道雪殿が口を開いた。
「そなた、府内に来て、どれほどになる」
「はい、おばあ様。一年と、少しにございます」
「うむ。して、いつまでおる」
「それは―――正直、宗麟様のお決めになることかと」
「立花に来ぬか」
「えぇ……」
さらりと言われた。
あまりにさらりと言われたので、意味が頭に入ってくるまで、間があった。
「なんじゃ嫌そうな声出しよって」
「だっておばあ様。それは―――」
「立花の跡目に、という話である。前にも申したであろう。儂には、子がおらぬ」
あの夜、盃を押し付けられた時のことを思い出した。
この人は今日、冗談の顔をしていなかった。
冗談で返せる話ではない。
この人は、本気で、残したいのだ。
三十余度の戦も、雷を斬った日のことも、全部を、誰かの中に。
だから、本気で答えなければいけなかった。
「―――本気であれば、この上ないお話です。僕も、お受けできるものならおばあ様のお誘いには是非にと答えたい。ですが、『わたくし』としては、お受けできかねます」
「申してみよ」
「一つは、わたくしが外様だからです。阿蘇は大友家の家中ではございません。客人として預けられている小家の嫡子を立花の跡目に据えれば、大友のご家中の方々が納得なさいません。立花様が押し切れば、押し切れはしましょう。ですが押し切った跡目は、立花様がおられなくなった日に、家中で浮きます」
道雪殿の眉が、わずかに動いた。
「二つ目は、阿蘇に、代わりがおりません。妹の惟種しかおりません。惟種はよくできた妹ですが、まだ幼い。彼女の身に何かあれば、阿蘇家は断絶いたします。阿蘇谷が再び燃えまする」
「三つ目は」
「父の身が、怪しいのです」
言葉にすると、思っていたより重かった。
「近頃国許からの文に、父の具合のことが多く書かれるようになりました。惟種は大丈夫だと書いてきます。ですが、大丈夫な時に、わざわざ大丈夫と書くものはおりません。わたくしが阿蘇の跡目から降りるのは、まずいのです」
ししおどしが、遠くで鳴く。
道雪殿はしばらく考えるそぶりを見せて、それから隣の紹運殿へ顔を向けた。
ほらなと言いたげであった。
「聞いたろう、紹運」
「聞きました」
「断り方にまで、理が通っておる。外様の筋、跡の筋、親の筋。どれ一つ、言い返せる隙がない」
道雪殿は、脇息に深くもたれ直した。
「ますます、惜しい」
それきり、この人は天井を仰いだ。
断られて、引き下がる言葉もなかった。
ただ、惜しいと言ってくれた。
なんとかならないものか。
残すのが好きなのだ、とこの人は言った。
残す先がないまま、雷を斬った腕で、輿の上で、戦い続けている。
それが、ひどく、もったいなかった。
ではどうするか。
立花の跡目に要るものを数える必要がある。
まず、家格。
大友の家中の誰もが納得するものでないといけない。外様では駄目だ。
次に、才。
この人の戦を受け継げるだけの器。
それから、代わりがいること。
その者の家に、跡取りを一人差し出しても、家が揺らがないこと。
僕が駄目なのは、まさにそこだった。
家格。
才。
代わりの子。
三つを満たす者が、大友の家中に、いないだろうか。
家格なら、大友の双璧の家は、申し分ない。
才なら、体躯に優れて知識に伸びしろのある人を、僕は一人知っている。
代わりなら、その人には、岩屋の城に弟がいる。
毎晩、文を継いでいる、統増という弟が。
家格。
才。
代わりの子。
三つとも、揃っていた。
僕の目の前に座っている人の、娘だった。
「統虎殿など、いかがでしょう」
口から、出ていた。
出てから、口をふさいだ。
気づいた時には、遅かった。
紹運殿の目が、ゆっくりと、こちらへ向いた。
「あ、いえ、今のは、その、ものの道理を並べただけで、決して、高橋様のご息女を、どうこうという」
「家格は、双璧の家。才は、阿蘇殿の保証」
「わたくしの、保証?」
「なります」
そんなもの、なんの保証にもならないでしょうと返そうとしたが、それを制するように紹運殿が被せた。
「そして代わりの子は、統増」
僕が頭の中で並べたものを、この人は、一つも違えずに並べ直した。
僕が口を滑らせた、その瞬間には、この人には形が見えていたのかもしれない。
けれども紹運殿には統虎殿への情がある。先日の一件でそれは明らかだ。
道雪殿が、脇息から身を起こしていた。
この人の目が、爛々と、光っていた。
「紹運」
「統虎は、高橋の跡取りにございます」
「存じておる」
「即答は、いたしかねまする」
「即答せよとは、申しておらぬ」
道雪殿は、扇をゆっくりと開いた。
「じゃが惟将が、儂が幾年考えても出せなんだ答えを、並べ立ててくれたものは、これ以上ないモノであった。そうは思わんか、紹運」
紹運殿は、答えなかった。
しかし紹運殿は、畏まって僕の方に向き直り、静かに頭を下げた。
下げた頭の意味を、僕は量りかねた。
しかし紹運殿の口元が、ほんのわずかに、動いた気がした。
感謝か、それとも文句か。
僕には、分からなかった。
たぶん後者に思えてならなかった。
◇
その夜、僕は自室で頭を抱えていた。
人の家の跡取りを、本人の母親の前で、別の家に差し出した。
しかも、自分の身代わりとしてである。
最悪である。
自己嫌悪で「にゃー」「にゃー」と鳴いていたら、不意に廊下で足音がした。
芯のある、歩幅の広い足音。
「惟将殿」
障子越しに、低い声がした。
なんで?
ここ阿蘇家の府内の屋敷なのに、統虎殿がなんでいるん?
「どうぞ」
障子が開いて、本当に統虎殿が入ってきた。
入ってきて、鴨居に頭をぶつけた。
額を押さえて、統虎殿はうずくまった。
「えっと、大丈夫ですか?」
「……はい」
この人、たまにこれをやる。
伸び盛りでここまで背が高くなったことに、本人がまだ慣れていないらしい。
統虎殿は正座して、しばらく黙っていた。
なんの用か。いや今日のことだろう。
何から謝ればいいか分からず、僕のほうが先に口を開いた。
「統虎殿、あの、今日のことは―――」
「母上から、聞きました」
「ですよね」
「よかったねと言っておりました」
「???」
言葉の意味を量りかねて、僕は首を傾げた。
いや、あんまり受け入れたくないだけかもしれない。
今の言葉をそのまま受け入れると、紹運殿は統虎殿を立花家の養子に出すつもりということになる。
僕のせいで。
「惟将殿」
「はい」
「わたしに、立花が、務まりましょうか」
膝の上の大きな手が、拳を作っていた。
「立花様は、雷神と呼ばれる方です。一度も、負けておられませぬ。しかしわたしは、惟将殿に導いていただかなければ何も分からなかった木偶の坊でありました。故事に悩み、母の言葉に悩み、一方ではなにも考えずにそのまま受け入れ、母に不安な思いをさせてしまっておりました。そのような者に、はたして立花家の跡目がつとまるのでしょうか」
その拳を見ていた。
見ていて、初めて会った日のことを、思い出した。
まだ、統虎殿には自信が足りない。
だから、いったん僕のやらかしたことは脇に置いておく。
「統虎殿。僕はあの時、貴女を道雪のおばあ様に推挙したことを後悔しておりません」
統虎殿が、顔を上げた。
「謙遜でも、おだてでもなく。いま考えてみても、貴女しか立花のお家を継げる方はおりません。今でもそう思っています。それに書いてあることを、そのまま飲み込める人は、たくさんいます。飲み込めずに、何年も、正しいのかと問い続けられる人は、少ないです。立花様が一度も負けなかったのは、たぶん、勝てると書いてあることを、一度も鵜呑みにしなかったからだと思います」
「……でも」
「でーも、ではありません。どうしても信じられないのであれば、師と仰いで信じてくれた、僕の言葉を信じてみませんか?」
恥ずかしさを隠すように、口元に人差し指をやる。
統虎殿は、そんな僕を見ていた。
その静かな目が、ゆっくりと、揺れた。
揺れて、それから、統虎殿の口元が上がった。
「考えます」
「はい」
「貴方が信じた、わたしが決めます」
「はい」
統虎殿は立ち上がった。
立ち上がって、また鴨居に頭をぶつけた。
少しだけ仰け反ったが、統虎殿はそのまま廊下に出て、振り返らずに言った。
「惟将殿のせいにはいたしませぬ。どちらに決めても」
◇
三日後、紹運殿が、道雪のおばあ様の屋敷に向かったと聞いた。
統虎殿が立花家に入ることが決まった。
◇
決まったはいいが、実際のところ他家の子を跡目に立てるというのは、勝手には許されない。
重臣のお家であればなおさらだ。主君の許しがいる。
というわけで、僕は大友館の、南蛮渡りの品が並んだ小部屋に、正座していた。
なぜ僕がと、また言いたかった。
「言い出した者が来ずにどうするか」と、道雪殿に言われて、輿の担ぎ手に担がれてきた。
ファイヤーマンズキャリーである。部屋にポイされた。
上座に宗麟様が来られて座った。
硝子の杯を手に、道雪殿と紹運殿と僕を、順に眺めていた。
「で?」
宗麟様は、杯を置いた。
「あの婆ァが、とうとう跡目を立てると」
「婆ァとは何じゃ」
「紹運の娘を、もらい受けると」
「さようにございます」
紹運殿が、平らな声で答えた。
「誰の入れ知恵じゃ」
道雪殿と、紹運殿が、揃って、僕を指した。
こいつこいつと指が言う。
「違います。僕はそこにいただけで」
「たわけ。そこにいただけで、大友の双璧の家が組み変わるか」
宗麟様は、額を押さえた。
「儂はな、惟将。そなたが府内に来て以来、道雪の様子がおかしいのは知っておった。あの婆ァ、そなたが菓子役に来たあとは必ず『阿蘇の童は、今日は何を話しよったか』と聞きよる。言わんかったら毎日じゃぞ。毎日聞きよる。儂は大名じゃのに。九州六か国の主じゃのに。なぜ儂が惟将との語らいを洗いざらい語らねばならぬ」
「うちのおばあ様がご迷惑をおかけしておりまする」
「貴様も貴様で、道雪の孫ムーブが板につきよって。じゃが、まあ―――」
宗麟様は、紹運殿の方を見た。
紹運殿は、背筋を伸ばして、正座していた。
座っていても、この部屋の誰よりも、彼女は頭一つ高かった。
「よい人選じゃ。高橋の家には、統増がおる。家格も、才も、文句のつけようがない。よう並べたのう、惟将」
「並べただけです」
「謙遜過ぎれば嫌味であるぞ」
扇が手のひらにぱちりと落ちた。
「養子に入れるならば、統虎は名を改めるのがよかろう。まず、儂の『宗』の字をくれてやる」
紹運殿が、深く頭を下げた。
「有難く、頂戴いたします」
「下の字は、おい婆ァ、どうするか」
宗麟様が、道雪殿に問うた。
道雪殿は、考えている。
ふりに見えた。
今思い返せば、あれは考えている顔ではなかったと振り返る。
「惟将」
「はい」
「そなた、立花に来て、何を思った」
「急ですね」
「まあ答えんか」
ひと月ほど前のことを思い出す。
「惟将や、行くぞい」
「どこにですか」
「立花じゃ」
「急ですね、おばあ様」
「ちなみに今からじゃ」
「え?」
「今からじゃ」
返事をする間もなく、輿の担ぎ手に担がれた。
ファイヤーマンズキャリーで、筑前までである。
あの時は、ムリな姿勢が続いてずっと負荷のかかっていた背中とおなかが痛かった。
だから一回だけだったけれど、よく景色は覚えている。
「ええっと、立花もまた人が多く、町の路が面白く、栄えており―――ああ、道中望んだお山が立派だと思いました」
「山?阿蘇の山もすごいと聞くが?」
「松の多い山です。風情があって、あの山は冬でも青いと聴きます。その様は『松柏の茂るが如く』であるとか―――」
部屋が静かになった。
「なんじゃ、それは」
「なにって、詩経です。天保という詩で、『主君の家が松や柏のように、冬になっても枯れずに茂り続けますように』という祝いの歌でして―――」
「「「それだ」」」
皆が口をそろえて、僕の言葉を拾った。
それだ、と。
いや、何が?
「『茂』」
「茂る、の茂じゃな」
「あの、今のは、ただの世間話では?」
「『宗』と、『茂』。響きも良きかと」
「きいて?ねえ聞いて?」
宗麟様が、筆を持たれて達筆な筆先で、二つの字を書いた。
「『宗茂』。これじゃ」
「冬でも枯れぬ。立花の跡目に、これ以上の名はあるまい」
「わたしも異論ございません」
「えぇ……」
宗麟様が、腹を抱えて笑い出した。
「惟将ァ!!そなた、大友重臣が断絶する危機に、跡目を用意してくれた上に名までつけおったかぁ!!」
「つけてませーん。僕知りませーん!!」
「あっはっは!!誇らんかい!!」
「阿蘇殿」
「え、あ、はい」
紹運殿に、呼ばれて向く。
紹運殿は、僕に向き直って、深く頭を下げた。
「宗茂のこと、何卒、宜しくお願い致します」
「普通そういうのって、道雪殿に言うものでは」
「道雪殿には既にご挨拶は済んでおりますので」
「ああそういうことでしたら」
勢いに押されて、口が勝手に答えていた。
答えてから、首が傾いた。
なんで、僕も?
頭を上げた時、その人は、もう、まっすぐ前を見ていた。
道雪殿は、満足げに頷いた。
頷いて、それから、思い出したように、僕の方を見た。
「惟将や。せっかくならば宗茂の祝いの膳も整えよ」
「はい?」
「秋の実りの祝いに、新しき跡目の披露を兼ねる。家中が百人は集まる。膳は、そなたが組め。つまり饗応役じゃな」
「それは、まあ、喜んで」
その場限りのお役目ではあるが、家中のお役目をいただけるのであれば、むしろ、ありがたかった。
ただの人質、ただの客人ではなく、大友家中で実績を残す、阿蘇家を見る目を変えるきっかけにできるかもしれないチャンスであるからだ。
「ならば、装束も誂えねばならぬな」
「装束、と申されますと」
「何言っとる、披露の祝いぞ。神に奉納する者がおらねばならぬ」
嫌な予感がした。
凄まじく、嫌な予感が。
道雪殿は、扇の陰で、にたりと笑った。
「そなた、大宮司家の嫡子であろう。舞えるのであろう?」
「ええ舞えますが」
「聴くところによれば、次期阿蘇家棟梁は巫女服で舞うというではないか」
「やっぱやりませぬ!!今すぐ実家に帰らせていただきまする!!」
◇
饗応役を預かった数日後。
府内の市に降りていた僕は、妙な噂を聞いた。
美濃で、川の中州に一夜で砦を築いた者がいる、という話だった。
行商の一人が、面白がって話していた。
姓は『木下』とか言う、元は足軽上がりの身分の低い者がたちまち砦を築き上げたとか。
その話を聞いて、思わず足を止めた。
一夜で、砦を。
まさか、そんな手品のような話が―――いや、ある。
思い出すのは、日本史では誰でも知っている話。
前世で習った際には「あーはいはい、知ってる知ってる」と流していた話であるが、しかしいざ改めて話を聞くと、その「あるはずのなさ」の裏に、地に足のついた仕組みがあると、うかがい知れる。
流石は未来の太閤殿下。
……ああそうだ。
僕は良からぬことを思いついた。
今からするのは、小賢しい策だ。
未来を知っている故のゴマすりというやつだ。
僕は矢立を借りて、行商の帰り便に託す文を書き始めた。
はじめ城の話を書こうとして、やめた。
それでは関心を引けるとは思えなかった。
どうせ知る人ならば、同じ話をするだろう。ならば僕の文など埋もれてしまう。
そこで僕なら、『木下』殿の立場になったなら、どうするかを考えた。
現地で木を伐る―――これでは捕捉される。さらには一夜では砦は立てられない。
他のところで組んだものを運ぶ―――大規模な運送だ。敵軍に露見する。
ならば上流で伐って、一度組んで、ばらして川に流した?これだ。
川が、運ぶ手間を肩代わりしたのではないか。
しかもまさか、川を使うとは、敵方も思うまい。
そのためには人がいる。川を知るものが。
そこまで考えて、ふと違うことを考え出す。
この策は、誰のだ?
自ら策を立てて川をよく知る人たちを抱き込んだか、川を知る人がこれを考え付いて、木下殿はそれを採用したか。
故に、内容は功績へのお世辞ではなく、それに至る策の話とした。
見当違いならお笑いください、と添えた。
返事は要りません、とも書いた。
返事がなくとも、決して恨みには思いません、と。
読み直すと、これがなかなか未練たらたらで恥ずかしい文書となってしまった。
しかしこれを機会に繋がりが持てれば、阿蘇谷の運命も変わると願い、文を託した。
◇
同じ市で、もう一つ、噂を聞いた。
こんどは三河の話だった。
『松平』という小さな家で、一向宗の一揆があった。
家臣の半ばが一揆の側について、主家に槍を向けたという。
しかし一揆は鎮まったという。
鎮まった後、その家の若い当主は、背いた家臣たちを、許して呼び戻したという。
行商は、それを、甘い殿様だと笑っていた。
僕は、笑えなかった。
許すのは、弱いからではない。
人が足りないことを、知っているからだ。
許された家臣は、許された恩を、たぶん、命で返すようになる。
僕はまた、紙を借りた。
打算だ。将来に繋がればよいと思って必死に書いた。
三河の、その若い当主に宛てて、書いた。
背いた家臣を許したと聞いたこと。
それを、遠い九州で感服していること。
返事は、要らないこと。
書き終えて、筆を置きかけて、止まった。
木下殿に送ったものに比べて、熱が足りない気がした。
しかしこれ以上書く手札はない。
何か、引っかかるものを。
行商から松平殿に関して何か知らないかと聞いた。
とても勢いがある方である一方、短気なお方であるのだとか。
それを聞いた僕は、どうせ賭けだと思って、一言だけ付け加えた。
本当に、終いに、一行だけ足した。
『急いては、なりませぬ』
二通の文は、東へ発った。
一通は、美濃へ。
一通は、三河へ。
◇
そのまた別の週には尾張の大殿の話を聞いた。
なんでも東海の弓取りを下し、美濃を抑え、ついには都に上洛するとかなんとか。
「手紙、出すかい?」
行商内で話が通じていたのだろう。
僕に紙を差し出してくれた行商に、僕は首を振った。
―――道半ばで死にゆく人に、阿蘇谷のために僕が何を賭けよというのであるか。
評価付いた、やったー