錬金転移~異世界に行ったら~   作:ボルメテウスさん

5 / 7
日常へと

翌朝、頭が割れるような痛みに俺は目を覚ました。

 

酒場の喧騒がまだ耳の奥に残っているような気がする。

 

寝床から起き上がると、外の空気が冷たく頬を刺した。空は薄い藍色。夜明けが始まっていた。

 

昨日の記憶が、断片的に浮かんでは消える。パウロとの怒鳴り合い。酒場の客たちの笑い声。そして……

 

「あいつ、あの笑いようはなんだ」

 

俺は頭を掻きながら、宿の入り口へ向かった。頭痛は酒のせいではない。寝不足だ。あの騒ぎの後、結局夜更けまでギースたちにからかわれ続けたのだ。

 

入り口の柱に、ギレーヌが寄りかかっていた。

 

刀を腰に差し、腕を組んでいる。猫の耳が、朝の風に微かに揺れていた。

 

俺の足音に気づいたのか、その金色の瞳がこちらを向いた。

 

「……お前、昨日は笑いすぎだろ」

 

口を開いたと同時に、昨日の不快感が蘇った。あの大声で笑い転げた姿を思い出すだけで、顔に熱が上る。

 

ギレーヌは、ふんと鼻を鳴らした。

 

「すまん。だがあれはおかしかった。パウロが吹っ飛んだ時の、あの音」

 

「笑うところじゃねえだろ」

 

「笑うところだ。お前があれだけ怒鳴ると思わなんだ。それに眼鏡で見ないと分からんとは、何の話だ。お前自身も分かっておらんかったではないか」

 

「うるせぇ。俺に聞くな」

 

俺は額を押さえた。あの言葉がどこから来たのか、未だに分からない。ただ、あの時身体が勝手に動いたのと同じように、口が勝手に動いたのだ。

 

ギレーヌは、それ以上はからかわなかった。

 

少しだけ、口角が緩んでいる。だがそれは昨日の閧笑とは違う。ただの、朝の空気の中での微かな緩みだ。

 

俺はそれ以上何も言わず、柱に背を預けた。

 

空が白んでいく。鳥が啼き始めた。

 

しばらくの沈黙の後、ギレーヌが口を開いた。

 

「エド、少し付き合え」

 

「は?」

 

「昨日の人を庇った時だ。お前、自分の方が空いていた。壁を作る前に、一瞬判断が遅れた」

 

俺は黙った。

 

図星だった。パウロにも指摘された。発動までの速度がまだ身体に馴染んでいない。頭で考えてから手が動く。その間が、実戦では致命になる。

 

「助けるなとは言っていない。避け方を覚えろ」

 

ギレーヌの声は、静かだった。昨日の笑い声とは別人のようだ。剣士の目をしている。

 

「お前のその術は強い。だが間に合わなければ意味がない。自分の身を守れる速度で動けなければ、人を助けるどころか自身が死ぬ」

 

反論はなかった。

 

正しいからだ。あの時、もしタルハンドが盾を構えていなかったら。もし俺の錬成が一瞬遅れていたら。

 

「……で、付き合えってのは」

 

「訓練だ。お前の術と、あたしの剣。噛み合わせを確認する」

 

俺はギレーヌを見た。

 

猫の耳が、真っ直ぐに立っている。冗談ではない。本気だ。

 

「……分かった」

 

俺は柱から背を離した。

 

場所は宿の裏手。岩と土が剥き出しの広場だった。朝露が地面を湿らせている。

 

ギレーヌが、立つ位置を示した。広場の中央。足元が平らな場所。

 

「ここから走る。お前はあたしが踏み込む場所に、足場を作れ」

 

「足場か」

 

「お前が昨日作った壁は高かった。遮るには良かったが、踏み台にするには使えん。もっと低く、踏み込める高さで」

 

俺は両手を合わせた。

 

地面に叩きつける。

 

光が走り、土が隆起する。

 

高さ腰ほどの、平らな台。

 

ギレーヌがそれを一瞥し、実際に足を乗せた。

 

「……硬いな。これなら踏み込める」

 

「だろう」

 

「だが、もう少し低くできるか。これだと膝が曲がる。剣を振る時には邪魔だ」

 

「どのくらいだ」

 

「膝より少し上。足を乗せて、体重を預けられる高さ」

 

俺は頷き、再度手を叩いた。

 

光が走り、台が低くなる。一段、膝上の高さへ。

 

ギレーヌが、再度踏み込んだ。

 

今度は、違った。足を乗せ、体重を預け、そのまま剣を振る体勢へ移行する。自然な流れだ。

 

「これなら使える」

 

「だろう」

 

「だが、その形だと角が鋭い。踏み込む時に足を取られる。面を削れ。角を丸めるんだ」

 

「……なるほど」

 

俺は言われた通りに角を丸めた。剣士の目は、足場の精度を正確に見抜いている。

 

ギレーヌが、再度踏み込んだ。

 

「わかった。もう一度やれ」

 

俺はもう一度、手を叩いた。

 

今度は、ギレーヌが走り込んできた。

 

速い。

 

昨日の蛇の時と同じ速度だ。いや、あの時は蛇を眺めていた。今は、直接俺に向かって走ってくる。

 

足場が出来る。ギレーヌがそれを踏み込む。

 

剣閃が走る。俺の顔の横を、風が裂ける。

 

「——ッ!」

 

身体が勝手に反応した。後ろへ下がる。距離を取る。

 

ギレーヌが、着地と同時にこちらを向いた。

 

「反応は悪くない。だが、下がる方向が甘い。右に逃げろ。左だと次の一撃に入る」

 

「右か」

 

「ああ。お前の術は地面を叩く必要がある。右手が地面に触れやすい方向へ逃げろ。左に逃がせば、次に手を叩くまでが遅れる」

 

俺の口が開いた。

 

こいつ、俺の術の特性をもう見抜いているのか。

 

「……お前、俺の錬金術の癖、もう分かったのか」

 

「大まかにはな。お前は右手を先に叩く。そして左手が地面に着く前に光が走る。つまり右側が地面に近い方が、お前にとっては速い」

 

俺は自分の手を見た。

 

右手。左手。

 

確かに、その通りだ。

 

無意識のうちに右手から動いている。知識はあるが、身体の癖までは自覚していなかった。

 

「……お前、すげえな」

 

「剣士だからな。相手の癖を見るのは仕事だ」

 

ギレーヌは、刀を鞘に収めた。

 

「なるほど。先に合図があれば使えるな。お前の術は、事前に場所を指定すれば機能する。問題は、咄嗟の時だ」

 

「ああ。昨日の蛇の時も、結局ギリギリだった」

 

「だから訓練する。合図なしで合わせられるようになれば、実戦でも間に合う」

 

俺は息を吐いた。

 

朝の空気が、少し暖かくなっている。日が昇り始めていた。

 

「……一つ聞いていいか」

 

「何だ」

 

「なんで俺の訓練に付き合う。あたしの時間を潰してまで、だ」

 

ギレーヌは、俺を見た。

 

金色の瞳が、朝の光を受けて微かに光る。

 

「昨日、人を助けに飛び込んだ。あれを見た」

 

「……それが」

 

「あたしは、そういう奴を見捨てられん。剣士としてではない。ただ、そういうことだ」

 

俺は黙った。

 

言い返す言葉が、なかった。

 

「……そうか」

 

「うむ」

 

朝の光が、広場を照らし始めた。

 

ギレーヌが、刀の柄に手をかけたままこちらを向いた。

 

「明日も、同じ時間でいいか」

 

俺は、一瞬、目を丸くした。

 

明日も。

 

つまり、継続するという意味だ。

 

「……ああ。明日も、同じ時間で」

 

「わかった。では、また明日だ」

 

ギレーヌはそう言って、踵を返した。

 

猫の耳が、朝の風に揺れる。

 

尾が、ゆったりと揺れている。

 

俺はその背中を見送りながら、自分の手を見た。

 

土汚れがついた、ただの手。

 

だがこの手は、明日もまた何かを作るだろう。

 

それが何なのかは分からない。だが、少なくとも、明日という日が、俺にはある。

 

そう思うと、少しだけ胸が軽くなった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。