石畳の上を荷馬車が揺れる音が、遠くから聞こえてきた。
依頼を終えて宿の前で荷を下ろす。依頼主の商人は俺たちに礼を言い何度も頭を下げて去っていった。
「また頼むよ! ギレーヌさん、エドワードさん!」
「ああ、又な」
「またな!」
商人を見送ってから、俺は大きく息を吐いた。
三度目の護衛依頼だった。だが今日は前と違った。
*
森の中。魔物が茂みから飛び出してきた時だった。
ギレーヌは俺を見もしなかった。ただ、走った。
俺も見なかった。ただ地面を叩いた。
光が走る。土が隆起する。
高さ腰ほどの台。場所はギレーヌの進行方向より二歩先。右足で踏み込む位置。
――そこだ。
俺の頭の中で、その位置だけがはっきりと浮かんだ。
ギレーヌが台を踏む。その瞬間、身体が宙に浮く。刀が閃く。魔物の首が跳ねた。
着地。次の足場。俺はもう叩いていた。
左へ流れる壁。逃げ道を塞ぐ。
ギレーヌは迷わずその壁を背にして刀を構えた。二体目の魔物が迫る。
背中は任せた。
俺はただ、地面を叩き続けた。
ギレーヌの動きに合わせて。彼女が次にどこへ踏み込むかを予測して。
迷いはなかった。彼女も俺も。
魔物の血飛沫が散り、森が静まり返った時。
俺たちは同時に息を吐いた。
「悪くない」
ギレーヌが、刀の血を振るいながら言った。
「悪くない、って言うなよ。完璧だろ」
「まだ早い。次はもっと速くしろ」
「へいへい」
*
宿に戻り、部屋で装備を外す。
右腕の籠手を外す時、革紐が少しきつく感じた。今日は動きが激しかったせいだろうか。
「貸せ」
隣の部屋からギレーヌが入ってきた。手には油の瓶と布。
「また直すのかよ」
「ずれていたら、次の依頼で足が出る」
ギレーヌは俺の前に座り、籠手の留め具を外し始めた。
慣れた手つきだ。何度目だろうか。もう数えられない。
革紐を締め、布を調整し、指を動かしてみせろと言う。
「動かしてみろ」
指を曲げ、開く。問題ない。
「いい」
「ありがとな」
俺は礼を言ったが、ギレーヌは聞こえぬふりをして自分の剣を膝に置いた。
油を布に含ませ、刀身を拭う。金属と布が擦れる音が部屋に満ちる。
俺は黙ってそれを見ていた。
この時間がいつものようになっていた。
訓練の後も。依頼の後も。
ギレーヌは剣の手入れをし、俺は防具を外す。
誰が決めたわけでもない。ただ自然とそうなった。
「今日の依頼、終わったな」
「ああ。報酬は明日受け取れる」
「明日は休みか」
「ああ。依頼は入っていない」
ギレーヌの手が止まった。刀身を拭う布が、ぴたりと止まる。
俺は何かを言おうとして、やめた。
言わなくても分かる。
ギレーヌは刀を鞘に納め、静かに立ち上がった。
「食堂に行くか」
「ああ」
俺も立ち上がった。
階段を降りる時、肩が触れた。
誰も何も言わなかった。ただ歩いた。
食堂には、いつもの席が空いていた。
窓際の、一番奥の席。
昨日も、その前の日も、そこに座った。
俺たちは何も言わずにその席へ向かった。
席に着くと、ギレーヌが水を一口飲んだ。
「明日、川へ行くか」
「釣りか?」
「いや、ただ座っているだけでもいい」
「それ、退屈じゃねぇのか」
「退屈ではない」
ギレーヌはそう言って、窓の外を見た。
夕暮れの光が、その褐色の頬を照らしている。
猫の耳が、静かに揺れた。
俺はそれを見ながら、湯気の立つスープを啜った。
味はいつも通り。だが今日は、少しだけ美味く感じた。
明日も、また隣に座る。
そのことが、当たり前のように胸にあった。