TS転生者の所為でコ哀が始まらない   作:もう無理小五郎

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TS転生者の所為でコ哀が始まらない

 かつて、机に齧りついて絵を描いてきたような人生であった。

 なぜこれほどまで、絵に執着していたのか、私にもよくわからない。

 幼い頃はもっと自由に絵を描いていたような記憶もあるが、物心ついた頃には、絵を描いていなければ満足に呼吸もできず、陸で溺れてしまうかのような心地であったように思う。当然ながらこのような人間である私はまともな生活を送れなかったが、幸運にも絵がちょっと得意な人間として、流されるように小さな漫画雑誌で連載することができていた。絵が上手であれば、私のような爪弾きでもなかば許されるこの業界は、私の性に合っていたように思う。それでも碌な生活観念のない私は寝食を忘れて漫画に没頭し、早々にぱったりと生涯を閉じていた、かもしれない。

 実感はないが、たぶん死んだのだと思う。

 なにせ、私は「一度目」のように、また机に齧りついて絵を描いているからである。

 

「新羽さん!」教室にコバヤシ先生の、悲鳴にも似た声が響いていた。「もう学校は終わったから! ね? おうちでお絵描きしましょう!」

「もうちょっとだけ」

「新羽さあん……」と、コバヤシ先生が嘆いた。

 

 新羽千百合(にっぱちゆり)。

 それが「二度目」の人生の、私の名である。絵が描ければ、名前などどうでもよいというのが私の所感なので、さして重要でもない。読者諸兄も特に記憶せずともよろしい。

 

  〇

 

 帝丹小学校一年B組に、エドガワさんに続いて、ハイバラさんという生徒が転校してきた。

 ハイバラさんは幼いながらも顔の造形が綺麗で、物静かな少女であった。しかしながら、コジマさんのように個性的なほうが描いていて楽しいというのが正直なところである。「恥ずかしいからやめろ」とコジマさんに怒られてからは、私はエドガワさんを描いているのだが。なにせ、彼は子どもと大人の二面性があるかように表情が豊かで、スケッチしていて楽しいのである。

 ともあれ、コバヤシ先生の隣に立っているハイバラさんをスケッチしていると、いつの間にか彼女が私の許へ歩いてきていた。私はただ思うがままに鉛筆を走らせていた。

 ハイバラさんは私の手元をじっと見ているようであった。私が彼女の顔を描こうとしたとき、鉛筆を握る右手がぱしりと叩かれた。はて、と思ったが、彼女が私の右手を叩いていたというだけの話である。当の彼女がなぜ叩いてしまったのかという、呆然とした表情(あとでこれもスケッチしようと思ったので、脳裏に刻んでいた)をしていた。

 人間、衝動的に意味のわからない行動をするものである。私にはどうということはなかったが、教室には奇妙な静寂が生まれていた。

 私は床に転がっていった鉛筆をぼんやりと一瞥すると、ペンケースから別の鉛筆を出して、動揺しているようなコバヤシ先生(彼女も意外と表情豊かで面白い)をスケッチすることにした。きっとハイバラさんもコジマさんのように描かれるのがイヤなのであろう、だから怒った。当然の反応である。私のような馬鹿でも経験から学ぶことはできるのだ。

 私は鉛筆をかりかりと、呼吸をするように走らせた。

 ハイバラさんは私に興味を失くしたように去っていき、エドガワさんの隣に座っていた。

 私の鉛筆は、隣の席のコジマさんが拾ってくれていた。「なんだあ、あいつ」と、彼は呟いた。

 

  〇

 

「ごめんなさい」

「別にいい」ハイバラさんの謝罪に、私は端的に返事をした。なにせ、本当に問題ないからである。鉛筆は折れていないし、誰かが怪我をしたということもない。「大丈夫」

「……」

 

 放課後。

 ヨシダさんの「ちゃんとお話したほうがいいよ」という説得に、ハイバラさんが折れた格好であった。ハイバラさんが、私に頭を下げていた。しかしながら、セッティングしてくれたヨシダさんには申し訳ないが、感触としては失敗に終わってしまったかもしれない。

 

「は、灰原さん……新羽さんも怒っているんじゃないんですよ。彼女はいつもこんな感じで……」

「……」

「ひえぇ……」

 

 仲裁しようとしたツブラヤさんであったが、ハイバラさんの鋭い視線に意気消沈していった。

 私の「大丈夫」という言葉に、もう用件は終わったとばかりに、ハイバラさんはつかつかと教室から出て行ってしまった。「あっ」と、ヨシダさんの声はハイバラさんには届かず、虚しく放課後の教室に転がっていった。

 コジマさんが呆れたように呟いた。

 

「放っておこうぜ、あんなやつ」

「でも……」

 

 みんなのアイドルであるヨシダさんが悲しんでいたので、私とツブラヤさんは二人してわたわたと狼狽した。残念ながら私の社交性は小学一年生と同等か、それ未満である。

 

「大丈夫だよ、歩美ちゃん」と、エースストライカーエドガワさんの名アシストが光る。「転校生も時間が経てば新羽が悪いやつじゃないってわかってくれるさ」

「……うん」

「こいつ、ラクガキしか頭にねえもんな」と、コジマさんの小学生らしいストレートなお言葉。

「いやいや、新羽さんの絵はラクガキってレベルじゃありませんよ」

 

 ツブラヤさんがフォローしていたが、私はコジマさんを否定するつもりはなかった。なにせ、なにをラクガキと定義するのか、私にも明確ではなかったからである。

 私は、絵の一枚一枚がれっきとした練習であり、糧となり、血肉となっていると思っている。しかし、絵を生業としている以上、金銭にならない絵はすべてラクガキであると思っていたかつての同僚に、私はなるほどと感心したことがある。楽に描いているならばそれすなわちラクガキであると詭弁めいて力説した先輩と、プロならば楽に描いていい線など一本もないと豪語した後輩が、三日三晩の子どもじみた大喧嘩に発展したこともある。二時間だったかもしれない。

 つまり、私の結論としてはひとによるということである。

 

「まーた変なこと考えてんじゃねえだろうな」

「エドガワさんはどこまでがラクガキで、どこからがラクガキじゃないと思う?」

「やっぱりな」と、エドガワさんが呆れた。

「変じゃない。私にとっては大事なことだ」

「変だよ」エドガワさんが笑った。「ガキにしちゃな」

 

 エドガワさんのほうがよほど変わっていると思ったが、私は彼に舌戦で勝ったことがないので口を噤んだ。

 

「で、今日は……ボランティアか?」

「うん」

「明日は来いよな!」と、コジマくん。私の運動音痴ぶりは少年探偵団どころかクラスでもドベであるが、彼は私をサッカーに誘うことに熱心である。のび太を野球に誘うジャイアンかなにかかな、と私は思った。

 

  〇

 

 大渡間新聞社。

 主に、大渡間という街の情報誌を発行している、小さな新聞社である。私は「ボランティア」と称してこの新聞社に出入りして、まっとうではない小金を稼いでいた。

 なんと偽札づくりである。

 偽札づくりに協力する対価として、私は模造犯集団「銀ギツネ」の女リーダーからギフトカードを頂戴している。一般的な小学生ではない私はなにかとお金が必要なので、正直なところ渡りに船であったが、随分と危ない橋を渡っているなあという感想である。

 しかしながら、彫師が怪我をしたので代役として美術部の高校生を誘拐、監禁するというのは、いささか杜撰な計画である。絵がちょっと得意な人間としてそれに協力しているのだから、偽造犯の連中もちょっとは私に感謝してもいいと思われる。

 

「お疲れさまでした」

「お、お疲れさまです……」

 

 二人の男女が、大渡間新聞社から出てきていた。

 私と、哀れな共犯者のナカダさんである。

 私がナカダさんと知り合ったのは、市が主催する小さな美術展であった。夏目漱石の肖像画を模写した彼と、「受胎告知」をさながら漫画の一ページのように再構築した私は、審査員たちから見事に微妙な評価を頂戴していた。私はどうということはなかったが、美術館の片隅で雨に濡れた野良猫のようにしょんぼりとしていた彼を、甘い言葉で勧誘していたのが、さもワイングラス片手にペルシャ猫を撫でているような、黒づくめの風体をしたイナリさんであった。どうしたって怪しいので、ほいほい釣られようとしていたナカダさんに私が待ったをかけた格好である。

 以来、私とナカダさんは新聞社のボランティア(私がどうにかイナリさんを説得して、彼もギフトカードを頂戴できている)として、偽札づくりにせっせと汗を流している始末であった。ボランティアにしても、年端もいかない高校生を連日連夜拘束するのはいかがなものかと思われたが、彼は見事に午後十時まで軟禁されている(私が一緒のときは、午後七時で帰されている)らしい。やはり杜撰で、大雑把である。

 画材もタダではないのでナカダさんには臨時収入だと思って頑張ってもらうほかなかった。

 脛に傷はあるが立派な彫師であるおじいさん(キジオさんという)からあれやこれやを教わっている(ヤクザな現場らしからぬ、和やかな光景ではあった)ので私は苦ではなかったが、監視されている節のあるナカダさんの心労は大変なものである。

 しかし、今日は銀ギツネでとある事件が起きた。

 銀ギツネの一員であるサルタさんが、なんと試作品の偽札でタバコを買ってきたという。あまりにも軽率な行為である。当然ながらイナリさんに叱責され、彼の地位は失墜、部外者である我々同然(もともと、彼はほとんど雑用であったが)になってしまった。

 

「これでアシがついたら私たちの苦労も水の泡ですよ」と、私はぷりぷりとした。

「まったくだ」と、キジオさんは頷いていたが、商売道具である腕を怪我するというポカの所為で彼も地位を失っており、もっぱら私との雑談が仕事である。態度とお腹のデカいイヌヤマさんは、昼間から飲んだくれている。犯罪集団と形容するにはなんともお粗末な方々である。拳銃など所持していなければ、ドロンボー一味のようにもっと愛らしい一団であったのに、と思わざるを得ない。

「調子はどうですか?」

「最高だね」と、皮肉たっぷりのナカダさん。純真無垢な高校生だった彼も、すっかりグレてしまっていた。「涙が止まらないよ」

 

 ナカダさんの背中は、残業をしたサラリーマンのようにしょんぼりとしていた。杯戸町に戻った我々は、私の自宅にほど近いコンビニ(いつも彼に送ってもらっている格好である)で缶コーヒーを買って、駐車場の片隅で他愛のない雑談をした。おおむね、私が勝手に漫画の話をしているだけである。新聞社での話もたまにする。私が岩倉具視や聖徳太子も描いていると話したら、彼は唖然としていた。旧札も偽造しようとしている銀ギツネに対して憤っているのかと思ったが、彼はどうやら私に呆れているようであった。かくいう彼も、福沢諭吉が完成間近であった。

 

「ほんとに描くのが好きなんだねえ……」

 

 幾重にもオブラートで包んでいるのは、さすがの私でもわかった。

 

(なにせ描いていないと、私は「窒息」してしまうので)

 

 好きとは違うと思っているが、それを話してナカダさんが理解できるとも思わなかったし、純真な彼に話すことでもないと思った。私はただ頷いて、言葉を濁すようにコーヒーを飲んだ。苦笑して、彼もコーヒーを飲んだ。杯戸町の夜空は曇っていた。星でも瞬いていれば風情があったかもしれないが、手元のコーヒーのように濁っているばかりである。

 

「キミのご両親にどうお詫びすれば……」

 

 ぽつりと呟いたナカダさんを、真面目だなあと私は思った。私は偽札づくりに望んで協力している節があるので、ナカダさんが悩む必要な微塵もないのだが、彼の性格(ひょろりとした体格に似て、やや気弱である)では無理もない。

 

「いざとなれば私だけ出頭しますよ」

「そ、それはダメだ!」と、ナカダさんはきっぱり。意外と漢らしい一面もあるナカダさんである。ギャップのある姿に、私が普通の人間だったらあるいは惚れていたかもしれない。

「なるようになりますって」

 

 流されるように生きてきた先達としてのアドバイスであったが、ナカダさんには響かなかったらしい。彼はうんうんと唸っているばかりであった。

 

  〇

 

「哀くんはご両親がワシの遠い親戚で、預かっているんじゃ。無理にとは言わんが、たまに話相手にでもなってやってくれんかのう……」

「んなこと言ったってなあ」

「はい……」

 

 アガサさんの言葉にも、コジマさんとツブラヤさんは、先日の、私の鉛筆が叩かれた一件の所為か、残念ながら渋い表情をしていた。

 アガサさんからハイバラさんを紹介されたのは、彼女が転校してきてから数日後のことであった。エドガワさんだけはすでに彼女と何度か話をしていたようであったが、なぜかはわからない。少年探偵団で最も理知的な彼が話相手には適任だとアガサさんが判断したのかもしれない。結果的には、どうやら失敗に終わってしまったようである。

 アガサさんに呼ばれて集まった少年探偵団であったが、当のハイバラさんは一言二言話して、地下の自室に引っ込んでしまった。これではなんの為に集まったのか、まるでわからない。コジマさんが難色を示すのも無理からぬ話であった。アガサさんと少年探偵団の間には、微妙な雰囲気が漂っていた。テレビでは、静岡県の住宅街で火災があったという報道が流れていた。

 エドガワさんがまた、小学一年生らしからぬ難しい顔をしていた。この歳から眉間に皺が寄っているようでは、将来が心配である。私はエドガワさんの眉間の皺を指でぷにぷにとつついて遊んだ。

 

「な、なに……?」

 

 エドガワさんが年相応の、マヌケな顔をした。満足した私は、スケッチに戻った。エドガワさんをスケッチしていると、彼は「お前なあ……」と呆れている様子であった。それでもコジマさんのようには怒らないのだから、やはり精神が成熟しているのだなあと私は思った。

 対照的にコジマさんは「なあ、もうゲームしようぜ」と、実に少年らしい一言。

 生憎の雨模様でサッカーができないからか、コジマさんはややご不満のようであった。私もサッカーを愛好する少年探偵団の一員としてさも残念であるという表情でアガサさんが淹れたコーヒーを飲んでいたが、エドガワさんとツブラヤさんが渋面をしていた。どうやら私に芝居の才能はなかったらしい。鈍感なコジマさんにはバレなかったようであるが、ヨシダさんやアガサさんも苦笑していた。

 

「むむむ」と唸って、私はコーヒーを一口飲んだ。

 

 自室のハイバラさんは、どのような表情でアガサさんのコーヒーを飲んでいるのか、私には想像もつかなかった。

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