Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
ロアーヌの反乱が鎮まって、三日目の夜だった。
城の西廊下には、まだ焦げた匂いが残っていた。割れた窓には板が打たれ、壁に掛かっていた織物の代わりに、白い補修跡が灯りを受けている。
カタリナは見回りを終え、モニカの部屋の前へ戻った。
扉の内側からは、物音ひとつしない。昼間は気丈に振る舞っていたが、長い旅と帰城後の慌ただしさが堪えたのだろう。
当直の兵に引き継ぎ、廊下を曲がる。
「カタリナ」
呼ばれて足を止めた。
柱の陰に、ミカエルが立っていた。執務の時と同じ上着を着て、片手に薄い書類を持っている。
「ミカエル様。まだ、お休みではなかったのですか」
「それはこちらの台詞だ。君の当直は、とうに終わっている」
「西側の交代が済むまで、と思いまして」
「任せる者を決めたのなら、任せろ」
カタリナは頭を下げた。
「承知しました」
「モニカは」
「お休みです」
「そうか」
彼は扉のある方へ一度目をやり、それから彼女へ向き直った。
「少し歩かないか」
返事が遅れた。
「……はい」
二人は庭へ続く回廊へ出た。
石の手すりに、若い蔓が巻きついている。反乱の前と変わらない庭の向こうで、巡回の灯がゆっくり動いていた。
カタリナは主君の半歩後ろを歩いた。
「君にはまだ礼を言っていなかったな」
「務めを果たしただけです」
「モニカを逃がし、城に残った。言うほど簡単なことではあるまい」
カタリナは視線を落とした。
あの夜は、選ぶ暇もなかった。今になって労われると、押し込めていた疲れが少しだけ浮いてくる。
「無事にお戻りいただけて、何よりでした」
ミカエルが足を止めた。
「今日は、もう休め」
「ですが、明日の配置を――」
「カタリナ。君に倒れられては困る」
声が近かった。
普段なら、配置表を朝までに出せと言われるところだった。困る、と言われただけで、胸の奥が温かくなる。
顔に出さぬよう、彼女は姿勢を正した。
「お気遣い、ありがとうございます」
ミカエルの目が、彼女の腰へ下りた。
「マスカレイドは、傷んでいないか」
「はい。刃も、変化にも異常はありません」
「見せてくれ」
拒む理由はなかった。
カタリナは鞘ごと剣帯から外した。細身の剣は、今は静かに彼女の両手に収まっている。
聖王の時代から受け継がれた、ロアーヌ侯家の宝剣。
ミカエルは受け取らず、指を伸ばした。
「君が持ったままでいい」
その手が、鍔の飾りへ触れた。
カタリナは顔を上げる。
彼は剣だけを見ていた。
整った顔も、声も、知っているものだった。けれど、剣の細工を確かめる目つきに、妙な熱があった。
「……ミカエル様」
「何だ」
「明朝の配置について、確認を」
「今でなくてよい」
返事が早すぎた。
庭を回る足音が近づいた時、男の指が鍔を押さえたまま止まった。顔だけが、灯りの届かない方へわずかに傾く。
カタリナは剣を引いた。
「お待ちください」
男の口元が動いた。
鍔に触れた指の下で、細い光が走る。
カタリナは左手で鞘を押し、右手を柄へ滑らせた。刃が抜ける。半歩下がり、声を上げようとした。
喉が、閉じた。
手首から肩へ、氷の輪を通されたような冷たさが駆け上がる。踏み込もうとした足が石床に縫い止められた。
目の前に、ミカエルの顔がある。
その顔で、男は笑った。
「惜しかったな」
*
右腕に力を込める。
剣先がわずかに持ち上がった。
男が眉を動かし、鍔に添えた手を捻った。指の間に浮かんだ模様が、もう一重増える。
肘が止まった。
剣を抜いた姿勢のまま、カタリナは動けなくなった。
術だ。
足元に陣はない。鍔から自分の指へ流れた光が、袖の下に絡みついている。力を込めるたび、輪が締まるように筋肉が強張った。
「正面からなら、面倒だったろうな」
男は剣の間合いを避け、彼女の横へ回った。
声は、まだミカエルのものだった。
「お前が近づけてくれたおかげだ」
カタリナは男の顔を睨んだ。
侮辱に返す言葉も、兵を呼ぶ声も、喉を抜けなかった。
男は彼女の右手へ指をかける。柄を握る小指が一本ずつ外されていく。
離すまいとした。
腕が震えた。爪が掌へ食い込み、最後に親指が滑った。
マスカレイドが手を離れた。
男は刃を灯りへかざし、左手から鞘も取り上げる。納める時の、かすかな金属音だけが聞こえた。
庭の向こうで、巡回兵が立ち止まった。
「侯爵様?」
男は手すり越しに顔を向けた。
「異常はない。巡回を続けろ」
「はっ」
灯りが遠ざかる。
カタリナは歯を食いしばった。
この声で、城の者に命令する。
それを止めるための息さえ、満足に吸えない。
男は宝剣を外套の内へ隠した。
「しばらく、そこで休んでいろ」
回廊の陰へ足を向ける。その肩が灯りを外れた時、髪の色と輪郭が水面のように揺れた。
背が少し低くなり、上着の裾が別の形に変わる。
別人の横顔が、一瞬だけ見えた。
次の柱を過ぎた時には、修繕に出入りする職人と変わらない姿になっていた。
カタリナは、その足が向かった先を見た。
西の階段。厨房へ下りる通路。
忘れるな。
どれほど胸が乱れても、それだけは。
男が角を曲がる。直後、喉へかかっていた圧迫が少し緩んだ。
カタリナは息を吸った。
「……誰か」
声は掠れた。
指先が動く。肘はまだ固まっている。肩ごと腕を引こうとすると、膝が折れた。
石床へ手をついた衝撃で、ようやく息が通った。
「西門を閉じろ!」
叫びが回廊に響いた。
*
城内の捜索は、夜明けまで続いた。
カタリナは駆けつけた兵へ男の進んだ道を伝え、ミカエル本人の所在を確かめさせた。
本物は東棟で、反乱に加わった者の処遇について重臣たちと協議していた。
その報せを聞いても、驚きはなかった。
当直の隊長へ、姿を変える術者が侵入したこと、マスカレイドを奪ったことを告げる。言葉にするたび、右手が空の柄を握ろうとした。
動けるようになると、西の階段へ向かった。
途中、兵が止めた。
「お一人では。まだ、足が」
「……なら、ついてきてくれ」
二人で厨房まで下り、使用人の通用口へ出た。
門番は、修繕の道具を抱えた男を通していた。髪は黒く、頬に髭があり、片足を引きずっていたという。
カタリナが回廊で見た男とは、顔も歩き方も違った。
その先の荷車置き場には、誰もいなかった。
探し回った末、彼女は壁へ掌をついた。
指は、もう動く。
握っていたものだけが、戻らなかった。
*
同じ夜、ロアーヌから離れる荷車の上で、男は外套の内を確かめた。
布に包んだマスカレイドへ、指を滑らせる。
御者には、年老いた行商人に見えているはずだった。だが、外套の下で術の光が消えると、節くれ立っていた指が元の形へ戻った。
男は右手を一度開いた。
あと少し気づくのが早ければ、剣を抜かれたまま斬り合うところだった。
それでも、手元には宝剣がある。
男は布を巻き直し、荷の下へ押し込んだ。
「どこまででしたかね」
御者が振り向かずに訊く。
「次の分かれ道でいい」
老人の声で答える。
荷車が揺れ、ロアーヌの城壁が夜の向こうへ消えた。
*
東の空が白む頃、カタリナは自室へ戻った。
報告のために呼ばれる時刻まで、まだ少しあった。
卓へ洗面の水を置く。掌の擦り傷に水が沁みた。血を拭い、布を巻き、留める。
鏡の中では、結い上げた銀紫の髪が崩れていた。
髪留めを外すと、長い髪が肩へ落ちた。
昨夜、あの声に労われた時のことが、ふいに蘇る。
君に倒れられては困る。
嬉しかった。
その言葉を聞いた自分の気持ちまで、偽物にすることはできなかった。
カタリナは鏡から目を逸らした。
何を期待していたのだろう。
主君が一人の部下へかけたはずの言葉に、何を重ねた。
疑うべきところで、もう少しだけ、この時間が続けばいいと思ってしまった。
卓の端に置いた鋏へ手を伸ばす。
伸びた髪を整えるためのものだった。いつもなら毛先を揃えるだけで、あとは丁寧に結い直す。
今日は、襟の上で束ねた。
刃を入れる前に、一度だけ手が止まった。
髪を切っても、昨夜のことは変わらない。
奪われた剣も戻らない。
それでも今朝、いつもと同じように髪を結い、いつもと同じ場所へ立つことはできなかった。
鋏を閉じた。
一度では切れず、何度か刃を動かす。重い束が左手へ落ち、首筋に冷たい空気が触れた。
鏡を見ながら、不揃いなところを少しずつ切る。肩に届かない長さまで整える頃には、細かな髪が襟元へ入り込んでいた。
最後に鋏を置いた時、指はもう震えていなかった。
切った髪を布に包み、引き出しへ納める。
襟元がちくりとした。
指を入れると、短い髪が何本もついてきた。
カタリナは小さく息をつき、上着を脱いだ。
洗面の水で布を濡らし、首筋と肩を拭う。服についた髪を払い落とし、衣装箱を開けた。
いつもの服を畳んで脇へ置き、紫を基調とした戦装束を取り出す。
動きやすい上衣に袖を通し、青緑の装飾が入った腕当てを締める。
脚衣を整え、短い外套を肩へ掛けた。
鏡に向き直る。
淡い銀紫色の髪は肩にも届かず、長めに残した前髪が額へかかっていた。
見慣れた顔なのに、どこか違って見えた。
カタリナは剣帯を腰へ回し、留め具を締めた。
いつもなら、ここにマスカレイドがある。
手を伸ばしかけて、止める。
剣帯は外さなかった。
扉の外で、足音が止まった。
「カタリナ殿。侯爵様がお呼びです」
「今、参る」
彼女は上着の襟を正した。
最後にもう一度、鏡を見る。
そして、扉を開けた。
*
執務室に、重臣たちの姿はなかった。
ミカエルは卓の向こうに立ち、夜の捜索報告を読んでいた。
カタリナを見ると、紙を置いた。
一瞬、短くなった髪へ視線が止まる。
「足は、もう動くか」
「はい。支障はありません」
「医師にも診せろ。術の影響が残っているかもしれん」
「承知しました」
カタリナは卓の前で膝をついた。
「マスカレイドを奪われました。お預かりした宝剣を守れず、申し開きもございません」
「昨夜の報告は受けた。君自身の口から、順に聞こう」
顔を上げる。
見慣れた顔だった。
昨夜と同じ声だった。
それでも、今は彼が自分の言葉を待っていると分かった。
「当直の引き継ぎを終えたところで、お声をかけられました。お姿だけでなく、声も同じでした」
回廊へ出たこと。剣を見せるよう命じられたこと。鍔へ触れた手から、術を受けたこと。
カタリナは覚えている限りを話した。
「拘束される前に、気づいたのか」
「違和感はありました。剣を引き、確認しようとしましたが、その時には既に触れられていました」
ミカエルは卓へ指を置いた。
「君ほどの者を封じ、姿まで変えて出ていく。備えなしに来た相手ではないな」
「私が、近づくことを許しました」
「私の姿で、私の声を使っていたのだろう」
「それでも」
カタリナは言葉を継ごうとした。
そこで、喉が詰まった。
術は、もうかかっていない。
主君の姿を疑うことだけが、難しかったのではない。労いを受け取り、喜んだ自分のことを、どう話せばよいのか分からなかった。
膝の上で拳を握る。
「……警戒を、緩めました」
ミカエルはすぐには答えなかった。
やがて、椅子を引く音がした。
「城の警備も破られている。君一人の失態として片づければ、同じ手をまた使われる」
彼は夜の報告書へ目を落とした。
「私の姿であっても、決められた確認は省かせない。兵にも徹底する」
「はい」
「ほかに、相手を特定できるものは」
「顔は途中で変わりました。門番の見た姿も、私の見たものとは違います。ただ、剣を奪うことに迷いがありませんでした。初めから、マスカレイドを狙っていたのだと思います」
ミカエルが頷く。
カタリナは背を伸ばした。
「私に、捜索をお命じください」
「当てはあるのか」
「今は、ありません。ですが、姿を変えられても、剣を運ぶ必要はあります。街道と港から追います」
卓の上で、時計の小さな音が続いた。
「モニカの護衛を離れることになる」
「代わりの者への引き継ぎは、今日中に。捜索の経過も、必ずお知らせします」
ミカエルは窓の外へ目を向けた。
庭では、兵が昨夜と違う組み合わせで巡回していた。
「よかろう。宝剣の奪還を命じる」
「はっ」
「ただし、相手が分かっても、一人で踏み込むな。君を一度封じた術者だ。必要なら人を集めろ」
カタリナは深く頭を下げた。
「必ず、取り戻します。それまでは、ロアーヌへ戻りません」
「それは命じていない」
顔を上げると、ミカエルは彼女を見ていた。
「報告も、補給も要る。戻る道まで自分で閉ざすな」
カタリナは返事を探した。
厳しい声だった。許されたからといって、失ったものが軽くなるわけではない。
それでも、追放されるのとは違うのだと、ようやく理解した。
「……承知しました」
立ち上がり、退出の礼をする。
「カタリナ」
戸口で振り返った。
ミカエルの視線が、短くなった髪をかすめた。
だが、そのことには触れなかった。
「剣と一緒に、君も戻れ」
今度は、迷わず答えられた。
「はい」
*
モニカは、カタリナの髪を見ると立ち上がった。
「カタリナ……」
「驚かせてしまいましたね」
彼女はいつものように頭を下げ、旅へ出ることを伝えた。
モニカは話を聞き終えても、しばらく黙っていた。
「私のことは、心配しないで」
「ですが」
「あなたが戻ってきた時に、困らせないようにしておくわ」
カタリナは顔を上げた。
モニカは笑おうとしていた。その目にある不安を見て、胸が詰まる。
「どうか、お元気で」
「カタリナも。手紙をくださいね」
「必ず」
差し出された手を、両手で包んだ。
握り返す温かさを確かめてから、カタリナはその手を離した。
モニカの部屋を出ると、廊下には三人の兵が待っていた。
いずれも、城の警備を長く務めてきた者たちだった。
「本日より、モニカ様の護衛を担当します」
先頭の兵が敬礼する。
カタリナは頷き、持参した配置表を広げた。
「当面は三名で交代してください。夜間の出入りは、必ず二名で確認を。侯爵様からのご指示であっても、例外は認めません」
「承知しました」
兵は配置表を受け取った。
「ですが、カタリナ殿と同じように務まるかどうか……」
「同じである必要はありません」
カタリナは三人を見た。
「一人で判断せず、互いに補ってください。モニカ様の安全が第一です」
三人が揃って敬礼した。
カタリナも礼を返し、武器庫へ向かった。
*
年配の兵が武器庫の戸口で待っていた。
訓練場でもよく顔を合わせる、武具の管理を任されている男だった。
「侯爵様から、必要な装備を渡すようにと」
彼は短くなった髪へ目をやったが、何も訊かなかった。
中へ入り、壁際の棚から一振りの大剣を下ろす。
「クレイモアです。柄は少し太いですが、刃は昨日、研ぎ直しました」
長い鞘に、飾り気のない鍔。両手で握れる柄には、新しい革が巻かれていた。
カタリナは受け取り、重さを確かめた。
「これを?」
「大剣の方が、使い慣れておられるでしょう」
庫外の空いた場所へ出て、鞘を払う。
鈍い銀色の刃が朝日を受けた。
右手を鍔寄りへ、左手を柄頭へ置く。肩を落とし、ゆっくり剣を立てる。
マスカレイドとは違った。
変化を促せば手の内で応じた、あの感触はない。鋼の重みが、腕へそのまま伝わってくる。
踏み込み、斜めに振り下ろした。
剣先が流れる前に左手で引き、腰を戻す。次の一歩で、刃がまっすぐ止まった。
「問題ありません」
カタリナが言うと、兵は頷いた。
「では、持っていってください」
「必ず返します」
「まず、ご無事で」
彼は剣を吊るす革帯を差し出した。
「留め具も確かめておいてください。城の廊下と街道では、歩く時間が違いますから」
カタリナは帯を肩へ通し、長さを調整した。
背負った鞘の位置を確かめていると、兵が下側の留め具を少しずらしてくれた。
「それなら、脚に当たりません」
「……ありがとう」
礼を言うと、兵は背筋を伸ばして敬礼した。
カタリナも、まっすぐに礼を返した。
*
ロアーヌを発ったのは、その日の午後だった。
持っていた金を旅用の袋へ分け、着替えと手入れ道具を詰めた。侯爵の書状は、雨に濡れないよう油布で包んである。
城門を抜ける時、風が首筋へ触れた。
髪を押さえようとして、指が空を切る。
カタリナは手を下ろした。
長い剣の鞘が、歩くたび背で小さく揺れた。
まずはミュルスへ。
道中の宿場で、立派な細剣を持った旅人を見なかったかと尋ねた。男の年や髪の色を訊かれるたび、答えに詰まる。
姿が変わる相手を、姿から捜すことはできない。
剣の特徴を紙へ描いた。鍔の曲線、柄頭の飾り、鞘の細工。何度も手入れした形は、目を閉じても描けた。
ミュルスの港で、一人の荷役がその絵を見て顎を撫でた。
「似たようなのを、見た気はするな」
「いつです」
「何日か前。外套の裾から、これに似た飾りが出ていた。商人にしちゃ、ずいぶん立派なものを持ってると思ったんだ」
「行き先は」
「ピドナの船だったよ。ただ、同じ物かどうかまでは」
「構いません。助かります」
礼を言って、船の便を確かめに向かう。
すぐに追いつけるとは思わなかった。それでも、初めて足を向ける先ができた。
*
ピドナでは、その先が途切れた。
港の船員も、宿の主人も、絵を見て首を振った。似た剣を売りに来たという店を訪ねると、柄に赤い石のついた別物だった。
その次の店では、剣を捜すふりをした物盗りではないかと疑われた。
カタリナは書状を出しかけ、やめた。
相手が何も知らないのなら、身分を示しても答えは増えない。
頭を下げ、通りへ戻った。
日が落ちると、足の裏が痛んだ。宿の小さな部屋で靴を脱ぎ、剣帯を椅子へ掛ける。
城では、自分の役目も、翌朝に立つ場所も決まっていた。
ここでは、明日どの通りを歩くかさえ、自分で決めなければならなかった。
窓の外を、人の声が通り過ぎる。
カタリナは卓へ紙を広げ、確かめたことを書いた。収穫のない日も、訪ねた場所だけは残した。
数日後、旅商人から話を聞いた。
「古い武器なら、ヤーマスへも流れる。買い手が多いからな」
「この剣も、そちらへ?」
「そこまでは知らん。ただ、捜すなら店だけじゃ足りない。荷を運ぶ連中にも訊いてみることだ」
カタリナは頷き、その言葉を書き留めた。
港から宿へ戻る途中、狭い路地で荷車が動けなくなっていた。
車輪が石の隙間へ落ち、荷主が一人で押している。
「後ろを持つ。合図を」
声をかけると、男が驚いて振り返った。
「重いですよ」
「見れば分かる」
剣を壁際へ置き、車体の下へ手をかける。
合図とともに腰を上げた。車輪が石を越え、荷車が前へ動く。
荷主が何度も礼を言った。
カタリナは掌の埃を払い、剣を拾う。
「次は、荷を少し下ろしてからにするといい」
「そうします。おかげで助かりました」
剣を肩へ掛けたところで、男に呼び止められた。
「兵隊さんですか」
カタリナは少し考えた。
「今は、捜し物をしている」
懐から絵を出す。
荷主は真面目な顔で見てくれたが、やはり覚えはなかった。
「仲間にも訊いてみますよ。どちらに泊まってます?」
カタリナは宿の名を伝えた。
今度は、自分から礼を言った。
*
翌日、カタリナはモニカから聞いていた住所を頼りに、トーマスを訪ねた。
応対に出た青年には、見覚えがあった。ポドールイから戻ったモニカに同行していた一人だ。
「カタリナ殿。ロアーヌでお会いしましたね」
「ええ。あの時は、モニカ様を無事に送り届けてくださって、ありがとうございました」
「いえ。今日は、どうされたんですか」
事情を説明すると、トーマスは驚いた顔をした。
「マスカレイドが奪われたんですか」
「ええ。相手は姿を変えます。顔や服装では追えません」
カタリナは剣の絵を差し出した。
「商人の方々に、これを見せていただけませんか」
「もちろん。写しを取って、港の荷主や運送商にも訊いてみます」
「助かります。何か分かれば、ロアーヌへ知らせてください」
「分かりました」
トーマスは紙と筆を取り出した。
「そういえば、ザインさんたちは数日前にランスへ向かいました」
「そうでしたか」
「皆さんにも伝えておきます。何か分かるかもしれません」
「ありがとう。私も、もう少し港を回ってみます」
礼を言い、カタリナは再び街へ出た。
*
宿へ戻ると、クレイモアの手入れをした。
布で刃を拭い、細かな傷を光へかざす。重さにも、柄の太さにも、少しずつ慣れてきていた。
鞘へ納めた後、ロアーヌへ送る手紙を書いた。
宝剣は、まだ見つからない。
港で得た話と、これから尋ねる土地を記す。
言い訳になりそうな一文を消して、最後に短く書き添えた。
私は無事です。
署名をしてから、別の紙を取った。モニカ宛てには、港で見た大きな船のことを少し書いた。
窓から風が入り、短い髪が頬に触れる。
カタリナはそれを耳へかけ、明日の道を地図で確かめた。
次は、荷を運ぶ者たちの集まる宿。
そこで何も得られなければ、ヤーマスへ向かう。
そこから先は、まだ分からない。
紙を畳み、椅子の背へ外套を掛けた。すぐ手の届く場所へ、大剣を立てかける。
明朝も、この剣を持って出る。