Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

11 / 19
第10話 千オーラムの護衛

 荷車の揺れが大きくなり、サラは帳面を閉じた。

 ランスを発ってから、街道沿いの宿で二度夜を明かした。丘の向こうへ続いていた畑は途切れ、今は両側から木々が枝を伸ばしている。

 前を歩くザインが、片手を上げた。

「止めろ」

 御者が手綱を引く。後ろの荷車も、車輪を軋ませて止まった。

 エレンは荷台から降り、腰の斧へ手を置いた。

「何かいる?」

「道の先だ」

 曲がり角の向こうに、丸太が横たわっていた。

 折れた枝はない。切り口の白い木が、ちょうど荷車の通れない向きに置かれている。

 エレナも地面へ降りた。鞄を背へ回す間に、木立から男たちが現れる。

 正面に三人。右の斜面に短弓を持った男。左には短槍を握る者がいて、もう一人が後ろの荷車へ回ろうとしていた。

「荷物を置いていけ」

 頬に傷のある男が、剣の先で荷台を示した。

「そうすりゃ、命までは取らねえ」

 商人が御者台で身を固くした。

 ザインは荷車の前へ出る。曲刀を抜くと、傷の男の視線が、その刃へ落ちた。

「護衛か」

「ああ」

「いくらで雇われた」

「千」

「たった千で命を張るのかよ」

「四人分よ」

 エレンが横から言った。

 男は一瞬、彼女を見た。

「なおさら割に合わねえだろ」

「そこは、あたしも少し思ってる」

「味方すんな」

 ザインは前を向いたまま言う。

 エレンは斧を抜いた。口元には笑みがあったが、後ろへ回る男から目を離していない。

 エレナが商人へ声を落とした。

「荷台の陰へ。御者の方は、馬を落ち着かせて姿勢を低くしてください」

「で、ですが、馬が」

「離さなければ大丈夫です。急いで」

 商人が身体を滑らせる。サラは二台目の荷台に膝をつき、弓へ矢をつがえた。

 六人。

 もう一度、木々の隙間を見る。

 斜面の弓兵より少し奥で、葉の間に指が動いた。

「……もう一人。右の、二本並んだ木の奥」

 ザインの視線が一度だけそちらへ走る。

「見えた。そいつも見とけ」

「うん」

 傷の男が舌打ちした。

「ごちゃごちゃ相談してんじゃねえ」

「なら、話は早え」

 ザインが剣を少し上げる。

「道を空けろ」

*

 斜面の男が弓を引いた。

 狙いは、先頭の馬だった。

「右!」

 サラは叫ぶと同時に矢を放った。

 男の顔のすぐ横で、木の皮が弾ける。反射的に頭を引いた男の矢は、道の端へ逸れた。

 馬が足を踏み鳴らす。御者が手綱を握り直し、低い声で宥めた。

 サラは次の矢を取る。

 木の陰へ隠れた弓兵を追う。その弓がもう一度見えたところで、幹へ一本撃ち込んだ。

 男がまた引っ込む。

「お姉ちゃん、後ろ!」

「見てる!」

 荷車の陰から腕が伸び、積荷の縄へ短剣がかかった。

 エレンは男の手首を斧の柄で打った。短剣が落ちる。掴みかかってきた腕を外へ払い、脚を掛けて押し倒した。

 男が泥の上で息を詰まらせる。

「そこで寝てて」

 だが、正面から回り込んできた別の男が、棍棒を振り上げていた。

 エレンは荷車へ背をつけず、横へ抜けた。棍棒が道を叩く。その腕へ斧の柄を押し当て、男の勢いごと反対側へ捻る。

「おっ、待っ――」

「待たない」

 二人目が膝をついた。肩を押さえたまま、エレンは最初の男を見る。

 起き上がろうとしていた男が、両手を地面へ戻した。

 新しい斧は、手首を返しても柄が滑らなかった。

 ノーラに伝えることが、一つできた。

*

 ザインは傷の男の剣を受け流し、もう一人との間に立たせた。

 後ろの男が左右へ動く。前の男も同じ方向へ足を出す。

「邪魔だ、どけ!」

「そっちが回れ!」

 声が重なった。

 ザインが踏み込む。

 傷の男は慌てて剣を引いた。その手元を鍔で押さえ、肩をぶつける。

男の身体が後ろの仲間へ当たった。

 二人の足が止まる。

 ファルシオンの刃が、傷の男の腕を浅く裂いた。

 剣が地面へ落ちるより早く、ザインはそれを蹴り飛ばした。もう一人が突き出した刃は半歩下がって避け、伸びた腕へ柄頭を叩きつける。

 短い悲鳴が上がった。

「拾うなよ」

 ザインが言った。

 傷の男の手が止まる。その腰には、まだ短剣があった。

「次は、そっちも落とすことになる」

 男は歯を剥いたが、抜かなかった。

 左から、短槍が荷車の脇へ伸びた。

 エレナは穂先を細剣で外へ流し、樽に当たる前に身体を入れた。柄を引き戻そうとした男の手へ、切っ先を向ける。

 男が手を離した。

 槍が落ちる。その柄を踏んだまま、エレナは退路を空けずに立った。

「荷には触らないでください」

「お前こそ、槍から足をどけろ!」

「手放したのは、そちらでしょう」

 男が腰へ手を伸ばす。

 彼女の切っ先が、上着の前を小さく裂いた。

 指が止まる。

「次は、そこまでにしてくださいね」

 男は両手を上げた。

*

 サラの頬を、木の葉が掠めた。

 弓兵が位置を変えていた。最初の木より低いところから、肩だけを覗かせている。

 こちらも、同じ場所にいてはいけない。

 荷台の縁から身体を下げ、反対側へ膝を移す。先ほど頭のあった場所を矢が抜け、後ろの幹へ刺さった。

 喉が渇いた。

 サラは一度唾を飲み込み、弓を引いた。

 男が身を乗り出す。

 今度は、その上腕へ当たった。

 悲鳴とともに弓が落ちた。男が木へもたれ、矢の刺さった腕を押さえる。

 サラの指が、次の矢を探しかけて止まった。

 人に、当てた。

 だが、まだ一人いる。

 奥の木立へ顔を向ける。

 若い男が弓を構えていた。茶色の髪でサラより少し年上に見える。

弓を持つ手は落ち着いていた。

 こちらを狙っている。

 サラは矢を取った。指が羽根を滑り、握り直す。

 それでも、向こうの矢は来なかった。

 男の目が、わずかに見開かれていた。

「退け!」

 街道から怒鳴り声が飛んだ。

「こいつらは駄目だ!」

 傷の男が、腕を押さえながら後ずさる。

 若い男は弓を下ろした。負傷した弓兵へ駆け寄り、肩を貸す。

 エレンの足元にいた二人も立ち上がった。

「行っていいのか」

「武器は置いてけ」

 ザインが答えた。

 男たちは残っていた剣や棍棒を道へ投げ捨てた。

 若い弓兵も弓を置き、負傷した仲間に肩を貸して森へ下がっていく。

 ほかの男たちも、その後に続いた。

 枝の揺れが遠ざかっていく。

 エレンは斧を下ろさず、ザインを見た。

「追わない?」

「荷車を守る仕事だ。向こうへ引っ張られてどうする」

「そうね」

 彼女は森から目を戻し、荷台へ寄った。

「サラ。怪我は?」

 サラは首を振る。

「私は、ない」

 エレンはその顔を見て、荷台へ手を伸ばした。

 サラが掴む。降りた途端、膝が少し緩んだ。

「座る?」

「……大丈夫」

 弓を握る手を、一度開いた。

「最後の人、撃たなかった」

 エレナが森を振り返った。

「若い方ですか」

「うん。撃てたと思う。私が矢を取るより、早く」

 ザインは道に落ちた矢を拾い、折れたところを確かめた。

「何でかは、分からん」

「そうだよね」

「だが、最初の奴は止めた。馬も御者も無事だ」

 サラは御者台を見た。

 御者が、何度も頷いていた。

「助かりました。本当に」

「……はい」

 返事をすると、ようやく息を長く吐けた。

*

 荷の縄は、一か所切れかけていた。

 エレンがそこを示すと、商人は予備の縄を出し、御者と縛り直した。酒樽も布の包みも数は揃っている。

 ザインとエレンが丸太を道の端へ転がした。

「せっかく切ったなら、薪にでもすりゃいいのに」

「盗んだ方が早いと思ったんだろ」

「今日は、だいぶ損したわね」

 エレンは掌についた木屑を払った。

 落ちていた武器はひとまとめにし、商人の了解を得て荷台へ載せる。次の宿場で番兵に渡し、襲われた場所と人数を伝えた。

 報告を聞いた番兵は、顔を曇らせた。

「また、あの辺りか」

「前にも?」

 エレナが尋ねる。

「この半月で三件だ。南へ抜ける道にも出ている」

「捕まってはいねえのか」

「森へ入ると、足取りが途切れる。人数も、聞くたびに違ってな」

 ザインは地図で場所を確かめた。

 その間に、サラは矢筒を数えた。回収できた矢のうち一本は、先が曲がっている。

 使えるものを戻し、傷んだ一本を別に包んだ。

「明日、新しいのを買おうか」

 エレンが言った。

「うん。でも、まだ足りるよ」

「今のうちに揃えときなさいよ。お金があるうちに、って」

 ザインが振り返った。

「変なところだけ覚えるな」

「大事なところでしょ?」

 サラが少し笑った。

 その夜は宿場で休み、翌朝、街道へ戻った。

*

 ヤーマスの町へ着く頃には、風に潮の匂いが混じっていた。

 坂道に沿って家々が並び、その間から港の帆柱が見える。荷車の車輪が石畳へ乗ると、商人がようやく肩の力を抜いた。

 店の裏口で、品物が一つずつ下ろされる。

 受取人が帳簿と荷を照らしている間、ザインは戸口で待った。エレンが壁へ背を預け、サラは馬の首を撫でる。

「はい。すべて、確かに」

 その声を聞いてから、ザインは書付を出した。

「残り八百だ」

「ええ。お待たせしました」

 金貨が八枚、卓へ並べられる。

 ザインは数と表裏を確かめ、二枚ずつに分けた。

「これで前金と合わせて、一人二百五十だな」

 サラも受け取った金貨を確かめてから、財布へしまった。

 商人が笑う。

「皆さん、しっかりなさっている」

「誰かさんが、うるさいからね」

 エレンは二枚を掲げた。

「これで終わり?」

「全員受け取った。終わりだ」

 ザインが答えると、商人は改めて頭を下げた。

「ありがとうございました。道中のことも、こちらの商人仲間へ伝えておきます」

「番兵にも頼む。あの道を通る奴は、まだいるからな」

「もちろんです」

 外へ出ると、エレンが大きく背伸びをした。

「やっと、自由に歩ける」

「宿を決めるのが先ですよ」

 エレナは港へ続く通りを見た。

「その後で、見たいものがあります」

「碑文ね。覚えてるわよ」

「まだ何も言っていませんが」

「ほかにある?」

 エレナは一瞬考えた。

「古い地図を扱うお店も」

「増やさない」

 ザインは二人を追い越しかけ、足を止めた。

 通りの向こうで、紫の外套を着た女性が店から出てきた。

 肩には大剣を背負っている。

 店主へ短く礼を言った横顔に、見覚えがあった。

「……カタリナか?」

*

 女性が振り向いた。

 短くなった銀紫の髪が、頬から離れる。

「ザイン殿」

「お前、何でここにいる」

「それは、こちらも伺いたいところですが」

「仕事だ。今、終わった」

 ザインは背の剣へ目を向けた。

「得物も変わったな」

 カタリナの指が、肩の革帯へ触れた。

「少々、事情がありまして」

 エレンは隣へ来て、言葉を探した。

 ロアーヌ城で会った時には、髪をきちんと結い上げていた。今は首筋が見え、旅の埃が靴に残っている。

「あの……お久しぶりです」

 カタリナが二人へ向き直った。

「エレン殿と、サラ殿でしたね。モニカ様がお世話になりました」

「そんな。あたしたちも、色々してもらったし」

「モニカ様は、お元気ですか」

 サラが訊いた。

「ええ。お別れした時は。お二人のことも、よく話しておられました」

 サラの顔が少し明るくなる。

 エレナは三人の挨拶が済むのを待って、進み出た。

「初めまして。エレナ・ヴァルティエと申します。今は、この三人と旅をしています」

「こちらこそ初めまして。カタリナ・ラウランです」

「ロアーヌでのお話は、少し伺っています」

「余計なことまで聞いていなければよいのですが」

 カタリナがザインを見る。

「城で一緒に戦った。それくらいだ」

「なら、結構です」

 エレンは、二人を交互に見た。

 堅い挨拶を続けるつもりだったのに、少し気が抜けた。

「立ち話も何だし、お茶でも飲まない?」

 今度は、いつもの調子で言えた。

「まだ、時間があるなら」

「……ええ。私も休もうと思っていたところです」

*

 港の見える店で、五人は卓を囲んだ。

 カタリナは大剣を壁側へ置き、鞄から一枚の紙を取り出した。

 細身の剣と鞘が、細かく描かれている。

 ザインの顔から笑みが消えた。

「マスカレイドか」

「奪われました」

 エレンの手が、杯の手前で止まる。

「城で?」

「はい。反乱が収まって、三日目の夜です」

「俺が発った後か」

 カタリナが頷く。

 ミカエルの姿をした者に呼び止められたこと。剣を見せた際に術で身体を封じられ、奪われたこと。逃げる途中にも姿を変えていたこと。

 声は落ち着いていた。けれど、紙の端を押さえた指は動かなかった。

 エレンは、短い髪へ向きかけた視線を戻した。

 訊こうとしていた言葉を、そのまま飲み込む。

「あなたを動けなくするなんて」

「剣を抜くところまでは、できたのですが」

「抜かせたら、向こうも困っただろうな」

 ザインが言った。

 カタリナは彼を見る。

「城で見た。正面からやり合いたくねえ相手だ」

「買いかぶりです」

「二度も言わせんな」

 彼女は少しだけ目を伏せた。

 紙の端から、指が離れる。

 エレナが身を寄せた。

「術について、もう少し伺っても?」

「分かることであれば」

「離れた場所からではなく、剣に触れられてから、だったのですね」

「ええ。鍔のところへ光が走りました。その後、腕から。声も出せませんでした」

 エレナは紙の上の鍔を見る。

「逃げた後も、拘束は続きましたか」

「少しの間は。ただ、姿が見えなくなってから弱まりました」

「距離か、持続時間か……今のお話だけでは、決められませんね」

 彼女は自分の手帳を開いた。

「書き留めても構いませんか。似た術の記録を見つけたら、お知らせできると思います」

「お願いします」

 カタリナは頷いた。

 エレナは聞いたことだけを書いた。分からない箇所は空け、最後に剣の絵を見直す。

「形の変わる剣、と伺ったことがあります。これが、そのまま大剣に?」

「はい。握りを変えずに、使えます」

「柄も、刃と一緒に……?」

「エレナ」

 ザインが呼んだ。

 彼女は顔を上げ、手帳から手を離した。

「失礼しました。今は、捜すためのお話でしたね」

「いえ」

 カタリナが初めて、わずかに笑った。

「取り戻せたら、お見せします」

 エレナは頷いた。

「ぜひ。その時に」

*

「ピドナで、トーマス殿にもお願いしてきました」

 カタリナは剣の絵を卓の中央へ寄せた。

「港や運送商へ、写しを回してくださるそうです。皆さんがランスへ向かったことも、そこで聞きました」

「すれ違ってたのね」

 エレンが言う。

「私も何軒か回ってから伺ったので。ヤーマスへ来れば古い武器の話が聞けるかと思ったのですが、まだ、確かなものはありません」

「ここまで来て、空振りか」

「似た剣なら、三本ほど勧められました」

「買ったの?」

「いえ。鞘だけでも、とも」

 エレンが思わず笑った。

「商売熱心ね」

「手入れの油は、買いました」

「買わされてんじゃねえか」

「必要なものでしたから」

 カタリナは静かに言い返した。

 エレナの口元が緩む。サラも、杯を持ったまま小さく笑った。

 壁際の大剣へ、エレンが目をやる。

「その剣、重くない?」

「クレイモアです。城の武器庫から。最初は、少し肩にきました」

「あたしも斧を替えたばっかり。手には馴染むんだけど、腰に下げる位置がまだね」

「長く歩くなら、留め具を少し前へずらすとよいかもしれません。私も、兵に直してもらいました」

「そうなんだ。あとで試してみる」

 エレンは、今度は遠慮せずにカタリナの革帯を見た。

 結び目には、何度か締め直した跡があった。

 ザインが卓の絵を、自分の方へ向ける。

「俺たちも気にしとく。だが、行く先はその都度決めてる。知らせる先が要るな」

「トーマス殿へお願いできますか。私も、次に向かう町を知らせるようにします」

「私たちも、ピドナへは手紙を送っています」

 エレナが答えた。

「行き先と、泊まる宿を添えておきます。剣の情報も、術のことも、そちらを通して」

「助かります」

 カタリナは四人へ頭を下げた。

 サラが剣の絵を覗く。

「私も、見て覚えておいていいですか」

「もちろん」

「持っている人が違っても、剣なら分かるかもしれないから」

 カタリナは紙を彼女の方へ滑らせた。

「ありがとう」

 その間にエレナが簡単な写しを取り、鞘の模様を確かめた。

 カタリナは、すぐには席を立たなかった。冷めかけたお茶を飲み、四人が話すランスの町のことを聞いた。

 聖王家で指輪を借りられなかったと聞くと、わずかに眉を上げる。

「王家の指輪を、お借りしようと?」

「調査のために、とお願いしたのですが」

「その理由では、難しいでしょうね」

「みんな同じことを言います」

 エレナが杯を置くと、今度はカタリナも声を出して笑った。

*

 店を出る頃には、坂道の影が長く伸びていた。

 カタリナは剣を背負い直す。

「今日は、ありがとうございました」

「この後も店回り?」

 エレンが訊く。

「港の倉庫へ。古い武器を運んだことのある者を、紹介してもらっています」

「一人で踏み込むなよ」

 ザインが言った。

 カタリナが振り返る。

「同じことを、ミカエル様にも言われました」

「なら、守れ」

「承知しています。今日は、荷を扱う方に話を伺うだけです」

 ザインはそれ以上言わず、道を空けた。

 エレンが一歩近づく。

「また会ったら、剣のことだけじゃなくて、話そうね」

「ええ」

「斧の位置も、試しておくから」

 カタリナは頷いた。

「次は、具合を教えてください」

 短い挨拶を交わし、彼女は港へ下りていった。

 四人は、宿の並ぶ坂を上る。

 途中でサラが振り返った。人の間を進む紫の外套は、まだ見えた。

「見つかるといいね」

「ああ」

 ザインが答えた。

 エレナは、写しを挟んだ手帳の留め具を閉じた。

*

 翌朝、ザインが宿の食堂へ下りると、昨日の商人が待っていた。

 卓の上には、まだ何も注文されていない。

「おはようございます」

「仕事か」

「お分かりになりますか」

「朝っぱらから、俺の顔を見に来る奴は少ねえ」

 商人が椅子を引いた。

「次の便もお願いしたいのです。南へ向かう荷ですが、護衛の一人が来られなくなりまして」

 ザインは座る前に訊いた。

「同じ道を戻るのか」

「途中までは。分かれ道から南へ。今度は三台です」

「報酬は」

「四人で、二千オーラム。食事と宿はこちらで」

 階段を下りてきたエレンが、最後のところだけ聞いた。

「今度は二千?」

「まだ受けてねえ」

「聞いただけでしょ」

 エレナとサラも卓へ来た。

 商人は地図を広げ、目的地の店を示す。薬と金属製品、上等な布。前の荷より高価で、南の道では被害も続いているという。

 ザインは分かれ道へ指を置いた。

「ここから先の宿場で、盗賊の話を聞いた。護衛を増やす当てはあるのか」

「昨日から捜していますが、まだ」

「出発を一日延ばせるか」

 商人が少し考える。

「明朝でしたら。荷を積む時間にも余裕ができます」

「その間に、道の様子を確かめる。番所へ届けも出してくれ」

「分かりました」

 エレンが地図を覗いた。

「三台なら、歩く位置も変えないとね。後ろから来られた時、前より遠いわよ」

「曲がり角では間を詰める。御者にも合わせてもらう」

 ザインはサラを見る。

「矢は補充できるか」

「今日、買いに行く。予備の弦も」

 返事に、迷いはなかった。

 エレナが依頼の日数を確かめてから頷く。

「今日のうちに碑文を見てきます。出発は明朝で、私は大丈夫です」

「あたしも」

「私も、行く」

 三人の返事を聞き、ザインはようやく椅子へ座った。

「なら、条件を書いてくれ。前金は四百、残りは到着してからだ」

「はい」

 商人が書類を取り出す横で、エレンが小声で言った。

「一人五百か。悪くないわね」

 ザインが彼女を見る。

「何よ」

「やっと、話が分かってきたな」

「おじさんと一緒にしないで」

 エレナは笑いながら手帳を開いた。

 トーマスへ書く手紙には、カタリナと会ったことと、次の行き先を添える。

 サラは矢の値段を確かめに行く店を訊き、エレンは腰の留め具を少し前へずらした。

 卓へ届いた書付を、ザインが四人の真ん中へ置く。

 今度も、全員で目を通した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。