Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
ヤーマスを発つ朝、エレンは三台目の馬車の後ろに立っていた。
一台目の御者が、ずいぶん遠い。
「やっぱり、長いわね」
荷台には薬箱と布の包み、金属製品を収めた木箱が並んでいる。縄は新しいものに替えられ、小さな箱も荷台へ括りつけてあった。
ザインが最後の結び目を引き、御者たちへ向き直る。
「止まれと言ったら、後ろも止める。勝手に追い越すな。曲がり角では、前の馬車を見失うほど離れるなよ」
三人が頷いた。
商人は昨日整えた書付を確認し、前金の四百オーラムを渡した。ザインが四人へ一枚ずつ金貨を分ける。
エレナは受け取った金貨をしまい、馬車の列を見た。
「矢が来たら、私が片側を守ります」
「蒼龍系の術か」
「はい、《ミサイルガード》です。ただ、三台分を覆うなら、一方向が限度ですね」
エレンが馬車の脇へ回った。
「右を守ったら、左は空くってこと?」
「ええ。前後も。人の周りに一つずつ張るのではなく、この列の横に壁を作ります」
エレナは指で、一台目から三台目までをなぞった。
「間が開けば、その分、端が足りなくなります。御者の方にも、位置を合わせていただきたいんです」
「どこへ寄せればいいか、声をかけてください」
先頭の御者が答えた。
ザインは頷き、三人を見る。
「俺が前。エレンは後ろ。サラは二台目で、左右を見てくれ。エレナが守れねえ方は、弓で押さえる」
「うん」
サラは新しい矢を筒へ収めた。以前から使っているものと、羽根の向きを揃える。
エレンがエレナへ顔を寄せた。
「便利な術、持ってたのね」
「以前の調査で、石を投げてくる魔物に困りまして」
「必要に迫られて?」
「一度、写しが穴だらけになりました」
「自分の心配もしなさいよ」
エレナは剣の位置を確かめ、列の中央へ歩いた。
先頭の馬が動く。三台の車輪が、順に石畳を離れた。
*
二日目の昼前、馬車は南へ折れる道に入った。
昨夜の宿場で聞いた限りでは、前日に通った荷は無事だった。ただ、森を抜けるまで気を抜くなと、番兵に念を押された。
道の右側が、低い斜面になっている。
左には木々と浅い溝が続いていた。
ザインが歩く速さを落とす。
前方の土に、太いものを引きずった跡があった。轍を横切り、斜面の下へ続いている。
「止めろ」
御者が手綱を引いた。
ザインは道を外れず、斜面へ目を上げる。
切り倒した木の端が、藪から覗いていた。
「右、何かいる」
サラが言った。
その声に重なり、木の上で縄が跳ねた。
「下がれ!」
丸太が斜面を滑り落ちる。
先頭の馬が後脚を踏ん張った。御者が身体を低くし、手綱を引きすぎないよう押さえる。
丸太は馬の数歩前へ落ち、土を跳ね上げて止まった。
直後、その上から矢が飛んだ。
エレナは右手を上げた。
道の砂が浮く。馬車の右側に沿って、細い草や枯葉が一斉に立ち上がった。
透明な空気の層が、斜面から来る矢を受ける。
鏃が外へ流れ、軸が横を向いた。三本の矢が、馬にも荷台にも届かず道の脇へ落ちる。
「右は張りました!」
エレナの声が通った。
「三台目、そこで止めて。後ろへ下がりすぎないでください!」
最後尾の御者が、引きかけた手綱を緩める。
馬車の後ろで渦巻いていた枯葉が、車輪の少し先へ収まった。
「左から来る!」
エレンが叫んだ。
溝を跳び越え、男たちが走ってくる。
正面の丸太の陰にも三人。斜面の弓兵は少なくとも四人いた。
頬に傷のある男が、丸太を越えた。
腕に布を巻き、前とは違う剣を持っている。
「またお前か」
ザインが曲刀を抜いた。
「今度は、後ろまで守れるかよ」
男は笑わなかった。剣を届かせるより先に、左右の仲間を広げる。
ザインは追わず、馬の前に立った。
「エレン、荷を見てろ。こっちは出ていかねえ」
*
右から来る矢が、また逸れた。
サラは風の壁を見た。光る板があるわけではない。矢が触れるたび、宙に浮いた砂が薄く波打つ。
その向こうで、弓兵が場所を変えていた。
一人が斜面を横切り、列の前方へ回ろうとしている。
「前へ動いてる!」
「そこから撃たれると、壁の外です」
エレナは右手を伸ばしたまま答えた。
サラは荷台で向きを変えた。
壁越しに狙えば、自分の矢も曲がる。
男が前へ出るのを待ち、馬車の正面側へ弓を向けた。次の木へ走ろうとした足元に、矢を撃ち込む。
男が飛び退いた。
その隙に、ザインが一台目の馬を左へ寄せさせる。
正面から届く矢の道が、荷台の陰へ隠れた。
「そのまま見てろ、サラ!」
「うん!」
別の男が、風の壁の向こうから石を投げた。
石も横へ流れる。だが、その男が斜面を駆け下りると、身体は壁を通り抜けてきた。
上着が風に煽られただけだった。
男が距離を詰める。エレナは伸ばしていた右手を下げ、細剣を抜いた。
風の壁は残っている。
けれど、最後尾で枯葉の流れが乱れ始めた。
男の短剣を外へ払い、その背を荷台へ押しつけた。切っ先を喉元へ向けると、男が息を詰めた。
「刃を落として」
短剣が落ちる。
エレナが剣を引き、再び指を開いた時、三台目の脇で一本の矢が荷台の縁を掠めた。
「そこ、私が見る!」
エレンが声を上げた。
彼女は後ろへ回りかけた男を押し返し、御者を車輪の陰へ下がらせた。
エレナは壁を少し後ろへ伸ばした。
今度は、先頭の馬の鼻先が範囲から外れる。
「前が空きます!」
「分かった!」
ザインが短く答えた。
壁を増やす余地はなかった。守る位置を動かした分だけ、別の場所が空く。
エレナは奥歯を噛み、三台の間に流れる風を揃えた。
*
左側では、エレンが二人を止めていた。
一人が正面から打ち込み、エレンに斧を上げさせる。その隙に、もう一人が反対側へ抜けようとした。
最初から、勝つために向かってきてはいなかった。
「そっちへ行かせるか!」
柄で胸を押し、男を溝へ落とす。
だが、三台目の荷台の下から、別の腕が伸びた。
積荷を縛る縄が切られる。
エレンが気づいた時には、小さな木箱が二人の手へ渡っていた。
「待ちなさい!」
踏み出しかけた足の前へ、棍棒が振られた。
エレンは柄で受け、押し返す。男の腕が上がる。その腹へ膝を入れた。
箱を抱えた二人は、もう溝の向こうにいた。
「ザイン、一箱!」
「追うな。残りを守れ!」
エレンは歯を食いしばり、馬車へ戻った。
三台目の御者が、地面に座り込んでいた。こめかみから血が流れている。
箱を引き留めようとして、殴られたらしい。
「動ける?」
御者は頷こうとして顔をしかめた。
エレンがその肩を抱き、車輪の陰へ入れる。
同時に、斜面から声が飛んだ。
「ポール、後ろへ回れ!」
サラは顔を上げた。
木の間にいたのは、前の襲撃で自分を撃たなかった若い男だった。
弓が違う。色の濃い、少し短いものを持っている。
ポールと呼ばれた男は、三台目の馬車を見た。
御者を支えるエレン。その横で弓を引くサラ。
目が合った。
男は弓先を下げたまま、動かなかった。
「何してる!」
「もう箱は取っただろ!」
男が怒鳴り返す。
傷の男が馬車の列を振り返り、舌打ちした。
「退け!」
男たちが一斉に離れた。
ザインは前へ出かけた足を止め、馬の前へ戻る。
右の斜面からも、弓が消えていった。
*
エレナは、最後の人影が見えなくなってから術を解いた。
宙に舞っていた枯葉が落ちる。
荷台へ手をつくと、思っていたより強く指が震えた。
「エレナ、こっちを」
エレンに呼ばれ、三台目へ向かう。
御者は目を開け、受け答えもできた。だが立ち上がると、ふらついた。
エレナは傷へ布を当て、そっと術の光を重ねた。
「今は起きないでください。近くで診てもらいましょう」
商人が、震える声で品目を読んだ。
「銀の留め具と、小さな器の箱です。五千オーラムほどの……」
「ほかは」
「あります。全部」
ザインは切られた縄を見た。
エレンが御者の代わりに手綱を持つ。
「取り返しに行くんでしょ」
「先に戻る」
ザインは来た道へ顔を向けた。
「番所まで半刻もかからねえ。こいつを乗せてくれ。馬車ごと預ける」
「その間に逃げられるわよ」
「ここへ置いてったら、もう一回来られる」
エレンは返事をせず、御者を乗せる場所を空けた。
サラが荷を寄せ、外套を敷く。
エレナは木箱に腰を下ろす御者を支えてから、ザインを見た。
「壁を左へ回せば、箱を守れたかもしれません」
「そしたら右から撃たれてた」
「ですが」
「三台とも矢だらけになるところだった。あれで助かった」
ザインは道の脇に落ちた矢を顎で示した。
「次は荷台の下も見る。エレナも今のうちに休め」
エレナは唇を結び、それから頷いた。
馬車を一台ずつ広い場所で返し、四人は番所へ引き返した。
*
番所の中庭で、門が閉められた。
馬車を囲む石壁を見て、商人がようやく息を吐く。
負傷した御者は、奥の部屋へ運ばれた。番兵の一人が医師を呼びに走る。
ザインは隊長へ襲われた場所を伝えた。
「箱を抱えて、左の森へ入った。まだ運び出せねえかもしれん」
「捜すつもりか」
「まず場所を見たい。荷を取り戻す話は、それからだ」
隊長は壁の地図を見た。
「古い石切り場がある。坑道が何本か残っているが、今は使っていないはずだ」
「道を知ってる奴は」
「一人つける。見つけたら知らせろ。人数が分からんまま入るな」
ザインは頷いた。
商人が袖を掴みかけ、手を止めた。
「取り戻せるのでしょうか」
「まだ分からん。だが、荷が届いてねえ以上、仕事は終わってねえ」
「無理はなさらないでください。荷は惜しいですが、これ以上、怪我人を出したくありません」
ザインは中庭の馬車へ目をやった。
「こっちは頼む」
エレナは水を飲み、空になった杯を置いた。
サラが彼女の顔を覗く。
「まだ、つらい?」
「大きく張り続けるのは、少し。歩く分には大丈夫です」
立ち上がり、剣帯を直す。
「今度は、壁が必要な場所を選びます」
*
森の入口には、箱の角で削れた木の皮が残っていた。
二人が並んで運んだ足跡も、柔らかな土に続いている。
案内の兵が、その先を指した。
「石切り場の方だ」
やがて木々の間に、岩壁が見えてきた。
麓には木の柵があり、その奥で火が焚かれている。煙が岩肌へ沿って上がっていた。
四人は茂みの陰で止まった。
入口に見張りが二人。奥からも声がする。
サラが膝をつき、弓を下ろした。
「荷を運んでる」
男たちが箱を抱え、坑道の口へ入っていく。
箱の側面には、商人が見せていた焼き印があった。
「間違いねえな」
ザインが言った。
案内の兵は頷き、道へ目印を残して番所へ戻った。
四人は待った。
昼の光が岩壁を移る。中から怒鳴り声が聞こえても、近づかなかった。
エレンが斧を膝へ置く。
「運び出し始めたら?」
「誰が、どっちへ持ってくか見る。今なら追える」
ザインは入口を見たまま答えた。
「全部ここで片づけようとするなよ」
エレンは頷き、腰を落ち着けた。
ほどなく、背後の草が擦れた。
戻ってきた兵の後ろに、隊長と数人の兵がいた。盾を持つ者、縄を肩へ掛けた者。足音を抑え、岩壁を見上げる。
隊長はザインの説明を聞き、脇へ続く細道へ二人を回した。
「外は押さえる。中で追い散らすな。戻ってきた者は、こちらで止める」
「分かった」
ザインが立つと、エレンも斧を持った。
*
見張りの一人が、近づく人影へ槍を向けた。
「止まれ!」
「さっきの箱を返せ」
ザインが言った。
男の顔色が変わる。
背後に盾を並べた兵が見えたのだろう。もう一人が坑道へ走った。
「兵だ! 兵が来た!」
槍が突き出される。
ザインは穂先を外へ払い、踏み込んだ。柄を握る腕へ肩をぶつけ、男を柵へ押しつける。
その手から槍を外すと、後ろの兵が男を取り押さえた。
奥で、弓の弦が鳴った。
エレナが手を上げる。
入口を横切る風が、矢を岩へ叩きつけた。
今度は、人が二人並んで通る幅だけだった。
「入口を守ります。奥までは届きません」
「十分だ」
ザインが壁際へ寄り、エレンが反対側へついた。
矢が二本、風に流される。
弓兵が次をつがえる間に、二人が距離を詰めた。
エレンの斧が、弓の上端を叩き落とす。ザインはもう一人の腕を捻り、弓ごと壁へ押さえた。
サラとエレナが続く。
入口の風は、彼女たちが抜けてから消えた。
*
坑道の奥は、横に広がっていた。
掘り出した石の跡が段になり、その間に板を渡して棚が作られている。布の包み、酒樽、靴、鍋。別々の持ち主から奪ったものが、雑然と積まれていた。
棚の脇に、例の箱があった。
そしてその前に、大きな斧を持つ男が立っている。
「お前らが、うちの連中をやったのか」
「荷を返してもらいに来た」
ザインは男の肩越しに、奥を見た。
正面に五人ほど。脇の通路にも、人影が動く。
「外には兵がいる。武器を下ろせ」
大男の目が、入口へ向いた。
そこから兵の命令する声が聞こえた。
男は斧を下ろさず、ザインへ顔を戻す。
「傭兵だろ。いくらで来た」
「二千」
「三千出す。箱も返す。兵には、逃げられたと言え」
エレンが横目でザインを見た。
彼は奥の通路へ視線を走らせ、少し黙った。
「……おじさん?」
「聞いてる」
「返事は?」
ザインは大男へ向き直った。
「その三千、誰から盗った金だ」
大男の口元が歪む。
「受け取れば、お前の金だ」
「先に仕事を受けてる。そっちを売ったら、次が来ねえ」
「目の前に三千あるんだぞ」
「だからって、俺の信用まで買えると思うな」
大男が斧を構え直した。
脇にいた男が、棚の陰へ下がる。
エレナはそれを見て、サラの袖へ触れた。
サラも頷く。
次の瞬間、斧が振り下ろされた。
*
ザインは刃を受けず、横へ抜けた。
斧が石を削る。大男はすぐに引き戻し、短く柄を突き出した。
胸へ入る前に、ザインが剣を立てる。鍔と柄がぶつかり、腕へ重い衝撃が走った。
押し合えば、向こうが勝る。
ザインは自分から力を抜き、男の横へ回った。
斧が追ってくる。
大きいが、振り回してはいなかった。岩へ当てない位置を知っている。踏み込む足にも迷いがない。
ザインは一度離れた。
「エレン、右を塞げ!」
「やってる!」
エレンは棍棒を持つ男を棚へ押し戻し、横から来た剣を斧で受けた。刃が噛み合う。
引き合わず、足を入れる。
男が体勢を崩したところへ柄を押し込み、膝をつかせた。
エレナはサラの横に立ち、脇の通路から来る二人へ細剣を向けた。
広く戦えば、囲まれる。
ここを通すまいとするだけなら、一人ずつだった。
最初の男の手を切っ先で払う。怯んだ男が下がり、後ろとぶつかった。
「順番を待っていただけますか」
「ふざけんな!」
「こちらも、忙しいんです」
サラはその横から、通路の奥を見ていた。
板戸が開いた。
暗がりから引き出されたのは、武器を持たない女性だった。
男がその襟を掴み、短剣を抜く。
「おい! こっちを見ろ!」
*
「やめろ!」
別の声が重なった。
茶髪の若い男が、短剣を持つ腕へ掴みかかった。
ポールだった。
「何しやがる!」
「その人を放せ!」
「お前も捕まりてえのか!」
もみ合いになり、女性が膝をつく。
ポールは男の腕を両手で押さえ、戸口の柱へ叩きつけた。短剣が落ちる。
「外へ!」
女性へ叫び、開いた戸を押さえた。
中には、ほかにも二人いた。
縛られた手を胸へ抱え、立つことすら躊躇している。
「早く!」
ポールが背中を向けた。
短剣を落とした男が、床へ手を伸ばす。
サラは弓を引いた。
「拾わないで!」
男が顔を上げる。
矢は、まっすぐ自分を向いていた。
指が止まる。その肩へエレナの細剣が添えられた。
「両手を、見えるところへ」
男はゆっくり手を上げた。
サラは弓を下ろさず、捕らわれていた三人を見た。
「入口へ行って。兵の人がいるから!」
女性が頷いた。後ろの二人へ声をかけ、壁沿いに走る。
エレンが横から来た盗賊を押し返し、三人の通る幅を空けた。
「こっちよ!」
ポールも、最後の一人を支えて入口へ向かった。
*
大男がそちらへ目を向けた。
ザインは逃さず踏み込んだが、斧の柄が脇腹へ来た。
身体を捻る。衝撃が上着越しに走った。
息を吐き、下がりすぎずに留まる。
大男は追おうとして、足元の段へ踵を当てた。
ザインが回り続けた分だけ、男は得意な場所から動いていた。
斧が横へ来る。
ザインは石の段へ足をかけ、刃の外へ抜けた。振り終わった柄を左手で押さえ、曲刀を男の首筋へ添える。
「落とせ」
男の肩が強張った。
力任せに柄を引けば、首へ刃が入る。
入口では、逃げようとした仲間が兵に押さえられていた。エレンの前にも、武器を捨てた二人が座っている。
斧が床へ落ちた。
ザインは男を膝立ちにさせ、近づいてきた兵へ渡す。
剣を下げると、脇腹が痛んだ。
「当たった?」
エレンが訊いた。
「少しな」
「あとで見せて」
「お前、医者か」
「エレナに見せるのよ」
そのエレナは、捕らわれていた人の縄を切っていた。
サラが大男の斧を遠くへ寄せる。
ザインは一度息を整え、盗まれた箱へ向かった。
*
焼き印も、留め金も同じだった。
箱は開けられていない。
ザインは抱え上げようとして、顔をしかめた。
「ほら」
エレンが反対側を持つ。
「一人で持とうとしない」
「持てる」
「持てても、二人で持つ」
箱が床を離れた。
二人で入口へ運ぶ途中、サラが脇の細道へ顔を向けた。
ポールが立っていた。
捕らわれていた最後の一人を、外の兵へ引き渡したところだった。兵たちは、救出された人々の保護と盗賊の拘束に追われていた。ポールはその隙に、脇の細道へ一歩下がった。
若い男は、坑道の奥を振り返った。
縛られた大男。床に落ちた武器。
それから、細道へ一歩下がる。
「……ポール」
サラが呼んだ。
彼が顔を上げる。
「どうして、撃たなかったの」
返事はすぐには来なかった。
ポールはサラの顔を見て、目を逸らした。
「知ってる奴に、少し似てた」
それだけ言い、細道へ走った。
サラは追おうとして、足を止めた。
そばで、解放された女性が座り込んでいた。立ち上がろうとしても、膝に力が入らないらしい。
ザインも、細道の方を見た。
「追うな。そっちを頼む」
サラは頷き、女性へ肩を貸した。
ポールの足音は、もう聞こえなかった。
*
隊長は、逃げた男の名と様子も聞き取った。
サラはポールが襲撃に加わっていたことと、捕らわれた人を逃がしたことを、両方話した。
隊長は途中で口を挟まず、書き留めた。
「分かった。外へ回した者にも伝える」
サラは紙へ目を落とし、それから顔を上げた。
「あの人が止めなかったら、人質にされていました」
「ああ。それも書いた」
隊長が記録を示す。
サラは頷いた。
入口の外では、捕まった盗賊たちが並ばされていた。
前に見た弓兵もいた。上腕に布を巻き、武器は持っていない。傷の男は、その隣で俯いていた。
エレナがサラのそばへ来る。
「出ましょう。運ぶものが、まだあります」
サラはもう一度だけ細道を見てから、弓を肩へ掛けた。
盗まれた品をすべて持ち出すには、人手が足りなかった。兵が坑道を見張り、四人は依頼主の箱と、歩ける三人を連れて番所へ戻る。
道の途中で、エレンが箱を持ち直した。
「三千オーラム、惜しかった?」
「盗品だぞ。受け取って、すぐ兵に返すのか」
「そういう計算してたんだ」
「してねえ。奥で動いてる奴を見てた」
エレナが横から口を挟む。
「返事まで、少し間がありましたね」
「お前は、何を見てたんだ」
「同じ方です」
エレンが笑った。
「じゃあ、分かってて言ってるじゃない」
「ええ」
ザインは何か言いかけ、箱を持つ方へ戻った。
*
番所の中庭で箱を見せると、商人はその場で蓋を開けた。
中を確かめ、何度も頷く。
「あります。これです」
「数えろ。急がなくていい」
ザインは石の縁へ腰を下ろした。
エレナが隣へ膝をつき、上着を少し開かせる。脇腹に青い痕が浮かんでいた。
「押すと?」
「痛え」
「そうでしょうね。しばらく、荷物は持たないでください」
彼女の掌に、淡い光が灯った。
エレンは商人の検品を手伝い、サラは御者の様子を見に行った。
医師の話では、今日は休ませた方がよいという。吐き気はなく、受け答えもはっきりしていた。
商人は出発を翌朝に延ばし、代わりの御者を頼むことにした。
「遅れた分の宿代は、こちらで持ちます」
「頼む」
ザインが頷いた。
「報酬は、着いてからでいい。まだ運び終わってねえからな」
商人は書付をしまい、今度は深く頭を下げた。
*
翌朝、馬車は番所を出た。
分かれ道までは、兵が同行した。盗賊の姿はなく、昨日道を塞いだ丸太は脇へ寄せられていた。
サラは斜面の木々を見た。
ポールの姿もなかった。
エレンが馬車の横から声をかける。
「何か見える?」
「ううん」
サラは首を振り、前を向いた。
その日の夕方、三台は街道沿いの取引先へ入った。
薬箱も、布も、取り戻した銀製品も、店の奥へ運ばれていく。
受取人が帳簿を閉じるまで、四人は待った。
残金は千六百オーラム。一人四百ずつ、前金と合わせて五百。
サラが帳面へ書き込む横で、ザインは金貨を財布へ収めた。
「これで終わりだ」
エレンが肩を回す。
「今度こそね」
エレナは手帳に、馬車三台の小さな図を描いていた。
右側へ一本線を引き、最後尾の端へ印をつける。
「次も同じだけ張るの?」
エレンが覗いた。
「今の私では、この辺りが限度です。長くすると、端を揃えるのが難しくて」
「馬車を寄せたら、その分は余る?」
「ええ。馬が動ける幅は必要ですが」
「なら、停め方も考えられるわね」
エレナは図を見直し、別の並べ方を横へ描いた。
ザインが後ろから言う。
「先に宿だ。道の真ん中で研究すんな」
「あなたも見ていたでしょう」
「見てたから言ってる」
エレナが手帳を閉じた。
歩き出した四人の後ろで、店の戸が閉まる。
サラは帳面を鞄へしまい、今度は姉と並んで宿へ向かった。
*
同じ頃、ポールは細い川で顔を洗っていた。
借りていた弓は、坑道へ置いてきた。
腰に残っているのは短剣と、軽い財布だけだった。
濡れた手を膝で拭く。
腰の財布が、屈んだ拍子に石へ触れた。
あの連中と組んだ頃は、遺跡へ潜る話をしていた。弓を使える奴が欲しいと言われ、悪い気はしなかった。
最初に盗品を見たとき、抜けることはできた。
それでも、差し出された分け前を受け取った。
旅を続けるには金がいる。
もう少し貯まったら、別の仕事を探す。
そうして残った先で、今日は自分も馬車へ弓を向けていた。
ポールは財布から手を離した。
助けた三人が外へ出られたことだけは、確かだった。だからといって、奪われた荷を取り返しに来た連中と、同じ側に立てたわけではない。
「……ニーナ」
村を出るときは、帰ったら聞かせたい話が山ほどできると思っていた。
弓の腕を認められたことも、初めて遺跡へ入ったことも。
いつから、話せないことの方が増えたのだろう。
ポールは濡れた手で、もう一度顔を拭った。
立ち上がり、街道へ続く道を探す。
分かれ道で一度止まり、背後の森を見た。
それから、坑道とは反対の方へ歩き出した。