Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
護衛の仕事を終えた翌朝、ザインは宿の食堂で革袋の中身を数えていた。
「……四百、五百。よし」
向かいで斧の刃を拭いていたエレンが、三度目の勘定に顔を上げた。
「まだ数えてるの?」
「確認だ」
「それ、三回目よ」
本を読んでいたエレナも、頁から目を上げた。
「最初から五百オーラムありましたよ」
「なら何で三回数えるのよ」
「信用と確認は別だ」
隣では、サラが弓の弦を確かめていた。
「ちゃんと五百あったんだよね?」
「あった」
「じゃあよかったね」
「ああ」
ザインは満足そうに袋の口を締めた。
エレンがエレナへ目を向ける。
「サラが一番このおじさんの扱い上手いんじゃない?」
「否定しなければ終わりますからね」
「おい、聞こえてるぞ」
エレナは本を鞄へしまい、窓の外を見た。街道には、同じ方角へ向かう荷車が続いている。
「今日中には、ツヴァイクに入れそうですね」
「次の仕事は、少し休んでからにするぞ」
「賛成。あたしも、今日は町を見たい」
エレンが斧の吊り帯を直した。
エレナも頷いた。ただ、手帳へ挟んだ紙を確かめる手は止まらない。
ザインの目が、その紙へ向いた。
「何だ、その紙」
「訪ねてみたい方がいるんです」
「……先に言え」
*
その日の昼前、四人はツヴァイクへ入った。
広い通りには荷車が行き交い、軒先の品を売り込む声が飛び交っていた。織物や果物の並ぶ店の向こうに、城の塔が見える。
城前の広場では、職人たちが太い柱を立てていた。積み上げた板材の向こうに、作りかけの客席が段をなしている。
「何を作ってるの?」
エレンが訊くと、材木を運んでいた男が足を止めた。
「トーナメントの観客席さ。まだ先だが、始まればこの辺りは人だらけになるぞ」
「へえ」
エレンは腰の斧に手を添えた。
「出ねえぞ」
「まだ何も言ってない!」
「出る顔してた」
「どういう顔よ!」
サラが姉の顔を覗き込む。
「見に来るだけでも、楽しそうだね」
「そうそう。あたしもそう思ったの」
エレンは頷き、立札をもう一度見た。
ザインも足を止めていた。視線は広場を外れ、隣の酒場へ向いている。
入口の張り紙に、太い字が躍っていた。
『珍獣、高価買い取り』
「……」
エレナが彼の横顔を見た。
「ザイン」
「見るだけだ」
「それ、お土産物屋の前でエレンが言うのと同じですよ」
「一緒にすんな」
「あたしはちゃんと見るだけの時もある
「買う時もあるだろ」
「あるけど!」
*
酒場では、旅装の男が小さな檻をいくつも足元に置いていた。
「西の森にいるらしい。見たこともない生き物が、四匹ほどな」
男はザインの剣とエレンの斧を見比べた。
「生きたままなら買う。傷物にするなよ」
「値は」
「物によるな。珍しけりゃ数千、よほど珍しければ一万行く可能性もある」
ザインの目が変わった。
エレンが肩を掴む。
「捕まえに行こうとか考えてない?」
「考えてねえ」
「本当に?」
「まだ」
「“まだ”って言った!」
その横で、エレナは酒場の主人へ別の用件を切り出していた。
「西の森の研究者? ああ、教授か」
「やはり、こちらにお住まいなんですね」
「森の道をまっすぐだ。途中で細い獣道へ入るなよ。煙突が見えたら、その家だ」
主人は布巾を肩へ掛けた。
「戸が開いてても、勝手に入るな。何をやってるか分からんからな」
ザインが横から訊く。
「危ねえ奴なのか」
「井戸の揚水機を直してくれた。あれは助かったよ」
「なら、何でそんな顔する」
「直ったあと、店の前で歌ったんだ。客を全員、外へ呼んで」
エレンがエレナへ目を向ける。
「知り合い?」
「いいえ。お名前と、研究の噂を少し。直接お会いするのは初めてです」
「何を研究してる人なの?」
「薬学者だという人もいますし、機械技師だという人もいます。生物学者だという人もいれば、天文学者だという人までいるそうです」
「何でも屋じゃないの?」
「研究成果をほとんど公表されない方なので、詳しいことが分からないんです。一度、お会いしてみたくて」
「それで気になったのね」
「ええ」
エレナは道順を書き終え、手帳を閉じた。
ザインは西へ向かう道と、珍獣の張り紙を交互に見た。
「妙なもんが四匹いる森に、妙なもんを作る奴が一人か」
「まだ会ってもいないのに、失礼ですよ」
「関係なきゃ、それでいい」
*
宿へ大きな荷を預け、西の森へ入って一時間ほど経った頃だった。
湿った土に、小さな爪の跡が並んでいた。その横には深く沈んだ大きな足跡と、何かを引きずった筋。少し先には、根を地面へ差しては抜いたような穴が続いている。
エレンがしゃがみ込んだ。
「少なくとも三種類……いや、四種類かな」
エレナも隣へしゃがみ込んだ。
「分かるんですか?」
「こっちはすごく軽い。この大きいのは重い。それで、これは――」
エレンは足跡から離れた穴を、指先で示した。
「歩いてるっていうより、地面に刺さってる」
サラが首を傾げた。
「植物?」
「植物が歩くのか?」
ザインが言う。
「珍獣なら歩くんじゃない?」
エレンが答えた。
「便利な言葉だな、珍獣」
*
木々の向こうに、いくつもの煙突が現れた。
近づいてみると、家というより館だった。ただし、左右で屋根の高さも壁の色も違う。
古い石造りの母屋に、後から木造の部屋をいくつも継ぎ足したらしい。屋根からは太さの違う煙突が何本も突き出し、庭には巨大な車輪、金属板、用途不明の筒、壊れかけの羽根のようなものまで転がっている。
玄関横の壁だけ、妙に黒く焦げていた。その脇には、手書きの札が掛かっていた。
『見学者は呼び鈴を一回。
売り込みは二回。
苦情はまず深呼吸。』
エレンが焦げた壁と札を見比べた。
「帰らない?」
「意見が合うな」
ザインも頷いた。
「ここまで来たのに?」
エレナだけが楽しそうに呼び鈴を一回鳴らした。
呼び鈴の音に重なって、館の中で何かが爆ぜた。足裏にまで、かすかな振動が伝わる。
「伏せて!」
エレンが反射的にサラを庇う。
煙突の一つから、黒煙が勢いよく噴き上がった。
ザインが曲刀の柄へ手を置く。
「人いるよね?」
サラが心配そうに言う。
館の奥から、女の声が響いた。
助けを求める声ではなかった。
歌だった。
「前人未トーの空前絶グォ~~♪」
四人が固まった。
「……何?」
エレンが訊く。
歌は続いている。
「天下無ソーの針小棒ドゥワ~~イ♪ 驚天動地の五リ霧チュウ~~♪」
ザインがエレナを見る。
「これ、何語だ」
「一応、私たちと同じ言葉だと思いますが……」
「本当か?」
「自信はありません」
戸を隔てているのに、歌声はますます大きくなる。
「我デーン引水自画自サ~ン♪ 青はアイより青く花よりだんご♪」
エレンが真顔で言った。
「帰ろう」
「ああ、俺も賛成だ」
だがもう遅かった。
玄関の扉が勢いよく開いた。
「とにかく無敵の――大! 大! 大! 大! 大! 大! 大!」
煙の中から、一人の女性が飛び出してくる。
「大!天サ~~~~~イ!」
両手を大きく広げたところで、ちょうど四人と目が合った。
沈黙。
女性が瞬きをした。
「あら、お客さん?」
*
煙が薄れ、女性の姿がはっきりと見えた。ザインが思い描いていた研究者より、ずいぶん若い。二十代の終わりか、三十を少し過ぎたくらいだろう。
腰まで届く波打つ金髪に、明るい緑の瞳。身体に沿った青紫の衣装は華やかで、研究者らしい白衣など着ていない。
腰には革製のホルダーが並び、色とりどりの液体が入った試験管が収まっていた。
片手に持った金属筒は、銃にも工具にも見えた。先端から、まだ細い煙が上がっている。
美人ではある。
しかし、明らかに変人だった。
女性は金属筒を肩へ担ぎ直し、にこりと笑った。
「それで、私に何の用かしら」
「貴女が教授でいらっしゃいますか。私はエレナ・ヴァルティエと申します」
「そうよ! 私が教授よ! よろしくね」
女性は胸を張った。
「名前は?」
ザインが訊く。
「教授よ」
「名前を聞いてる」
「教授よ」
「……そうか」
ザインは早々に諦めた。
残る三人も短く名乗ると、教授は四人を見回した。
「冒険者?」
「ええ、そんなところです。私は旅をしながら、星や古い遺跡について調べています」
「星? 遺跡? あなた、なかなか面白いことをしているのね!」
「ありがとうございます。教授の研究にも興味がありまして」
「まあ! それでわざわざ訪ねてきたの? 何が聞きたいのかしら」
「研究の内容もですが……実は、こちらへ来る途中で気になるものを見つけたんです」
「何かしら?」
「妙な足跡です。こちらのエレンが見つけたんですが、四種類ほどあって。中には、根を地面に刺したような跡もありました」
「……根?」
「ええ。町でも、この森に妙な生き物が出ていると聞きました。何かご存知ですか?」
教授の笑顔が止まった。
「妙な生き物?」
「はい」
「……」
「教授が関係していますか」
エレナが訊く。
教授の視線が、四人を避けて横へ流れた。
「お前のだな」
ザインが言う。
「決めつけは良くないわ」
「違うのか?」
「……私のよ」
エレンが額を押さえた。
「やっぱり」
*
館へ入ると、ザインは頭上の金属球を避けて首を傾けた。何に使う物かは分からない。
本棚には古文書と植物図鑑が隙間なく詰まり、机の上では薬瓶と歯車が星図を押さえていた。その奥から、小さな動物の骨格標本が顔を出している。
教授が金属筒を台へ置いた。
「赤い札の物には触らないでね」
「札がついてねえのは?」
「まだつけてない物もあるわ」
ザインは両手を自分の腰へ置いた。
「それで」
エレンが腕を組んだ。
「どうして四匹も逃げたの?」
「事故よ」
「どんな?」
「檻を閉め忘れたの」
「それ事故じゃないでしょ」
「閉めたつもりだったのよ!」
「もっと駄目じゃない?」
教授は気にした様子もなく、一枚の紙を机に広げた。
描かれていたのは、四匹の奇妙な生き物だった。
大きな青い目と鋭い牙を持つ、茶色い猫のような獣。
その隣には、長い耳を立て、なぜか時計を握った白い兎がいる。
さらに、鬼のような顔をした赤い花が、緑の蔓を手足のように伸ばしていた。
一番下には、丸い胴と太い脚、背中に鋭い棘を生やした緑色の巨獣。
「マコ、バーニィ、奇面草、ムクチャー。逃げたのはこの子たちよ」
サラが紙を見る。
「奇面草って……草?」
「いい子よ」
「歩くの?」
「もちろん歩くわよ!」
サラは絵の蔓を目で追い、もう一度、草の顔を見た。
ザインは紙を見ながら訊く。
「自分で捕まえに行かねえのか?」
「忙しいもの」
「逃がしたのお前だろ」
「今すごく大事な実験中なの!」
教授は台に置いた金属筒を取り上げた。
「薬液や固体を遠距離から正確に射出する装置よ」
「武器か?」
「研究器具よ」
「さっき爆発したぞ」
「研究器具よ」
「歌ってたぞ」
「成果が出たから!」
「どれが成果なんだ」
「爆発する条件が分かった!」
ザインは黙った。
エレナが少し考える。
「……確かに、爆発する条件が分かったのなら、それも成果ではありますね」
ザインがすぐ振り向く。
「お前、そっち側に行くな」
教授は四匹の絵を、ザインの鼻先へ差し出した。
「お願い、連れて帰ってきて!」
ザインは紙を押し戻した。
「報酬は」
「ないわ」
「よし帰るぞ」
「ちょっと!」
「何で無償でお前のペット探すんだ」
「人助け!」
「ペットだろ」
「研究者同士の友情!」
「俺は研究者じゃねえ」
サラがザインの袖を引いた。
「探そうよ」
「……」
「森に慣れてないなら、危ないかもしれないし」
エレンも頷く。
「町の人が捕まえたら、売られちゃうかも」
ザインの目が、一瞬、四匹の絵へ戻った。
エレナがすかさず顔を覗く。
「今、売値を考えていませんか?」
「一瞬だけしか考えてねえし、しかも目の前に持ち主いるだろ」
三人の視線がザインへ集まった。
「何だ」
エレンが訊いた。
「売らないの?」
「人のもん勝手に売ったら盗品だろ」
「そこなんだ」
「信用なくす」
「ほんと一貫してるわね」
教授が身を乗り出す。
「じゃあ決まりね!」
「決まってねえ。報酬」
「相談一回!」
「何だそれ」
「今後、私の知識が必要になった時、何でも一つ本気で相談に乗る!」
「普段は本気じゃねえのか」
「内容によるわ」
「余計信用できねえ」
「私は、その条件で十分だと思います」
エレナが横から言った。
「……お前まで」
「教授がどんな研究をされているのか、私も以前から気になっていたんです。その知識を直接お借りできるなら、ありがたいお話です」
「ほら! この子は分かってるわ!」
教授が嬉しそうに手を叩いた。
「まだ何も分かってねえだろ」
「これから分かるんです」
エレナは楽しそうに答えた。
ザインは残る二人を見た。
エレンはすでに斧の吊り帯を直している。サラも、期待するようにこちらを見ていた。
「……分かった。ただし、危なきゃ引くぞ」
「もちろん!」
教授は部屋の隅から、小さな檻を二つ持ってきた。
「マコとバーニィは、これに入れてちょうだい」
「残りの二匹は?」
「捕まえたら一旦戻ってきて!」
「お前な……」
ザインは檻を受け取り、留め金を一つずつ確かめた。
「何してるの?」
「閉まるか確認してんだよ」
「ちゃんと閉まるわよ!」
「閉め忘れた奴に言われてもな」
教授は口を尖らせた。
「じゃあ、さっそくお願いね!」
「逃がした本人が、一番気楽そうだな」
ザインは一つをエレンに渡し、もう一つの檻を手に出口へ向かった。
*
最初に見つかったのは、白い兎のバーニィだった。
長い耳が見えたと思えば、次の瞬間には別の木の陰から覗く。ザインは一度追いかけ、ほどなく同じ道を戻ってきた。
「無理だ」
「諦めるの早いね」
エレンが言う。
「俺より速い」
「じゃあ追わないで捕まえよう」
「どうするつもりだ」
エレンは地面へ目を落とした。木の根元に、齧ったばかりらしい木の実の殻が散っている。
「お腹が減ってるみたいね」
エレンはサラから干した果物を分けてもらい、木の根元から少しずつ並べた。サラがその先へ座り、残りを膝に置く。
十分後。
バーニィはサラの膝の上で果物を食べていた。
「かわいい」
サラが背中を撫でる。
ザインがじっと見る。
「これ、売ったら――」
「売らないよ」
「最後まで言わせろ」
バーニィを檻へ移し、サラが抱えて歩き出すと、今度は木の上から茶色い顔が覗いた。
二匹目のマコは、四人を見つけるなり幹を駆け下りた。青い目を輝かせ、自分から足元へ寄ってくる。
「楽じゃん」
エレンが言った。
マコが地を蹴った。ザインの腰へ飛びつき、食料袋の紐を引く。留め具が外れた時には、袋ごと茂みへ走り込んでいた。
「おい!」
ザインが追う。
「待て!」
木の陰から、マコが顔を出す。ザインが手を伸ばすと、袋を咥えたまま、ひょいと隣の木へ移った。
「すっかり気に入られたみたいですね」
エレナが笑う。
「どこがだ!」
エレンが右へ回り、エレナが反対側を塞いだ。
逃げ道を失ったマコは、木の根元で一度立ち止まる。
ザインが外套を広げた途端、なぜか自分からその胸へ飛び込んできた。
「……何なんだ、お前」
ザインがしゃがんで抱え直しても、マコは膝の上で食料袋を漁り続けた。
「こいつ嫌いだ」
「向こうはザインのこと、好きみたい」
サラが言う。
「もっと嫌だ」
袋を引くと、マコもついてくる。ザインは諦めて袋ごと檻へ入れ、エレンへ渡した。
さらに進むと、木々の切れ間に赤い花が見えた。緑の蔓が地を這い、その真ん中で鬼のような顔がこちらを向いている。
三匹目の奇面草だった。
「いた」
サラはバーニィの檻を木の陰へ置いた。エレンも、その隣へマコの檻を下ろす。
ザインが一歩近づいた瞬間、地面から蔓が飛んできた。
「おっと」
エレンが斧を抜く。
「普通に襲ってくるじゃない!」
「切るなよ!」
「分かってる!」
「柄の方使えよ」
「分かってるって!」
エレンは刃を外へ向け、柄で蔓を受けた。巻きつかれる前に捻り、横へ払う。
エレナも細剣を抜いた。切っ先が赤い花へ向き、次いで蔓へ下がる。どちらへ突くべきか、決めかねた。
「植物って、どこまでなら傷つけても大丈夫なんでしょうね?」
「知らん!」
「教授に聞いておけばよかったですね」
サラの矢が、伸びてきた蔓のすぐ先へ刺さった。土が跳ね、蔓がびくりと引く。
「今!」
ザインは伸びてきた蔓を剣の腹で払い、太い根の脇へ回り込んだ。
エレンも反対側へ回る。
「倒すよ!」
「ああ」
二人で身体を押すと、奇面草は根をばたつかせながら、ゆっくり横倒しになった。
奇面草はしばらく蔓を振り回したが、やがて大きな葉を地面へ伏せた。
サラがおそるおそる近づく。
「大丈夫?」
大きな葉が一枚、ぱたんと動いた。
「大丈夫そう」
「会話できてんのか?」
「なんとなく」
ザインはサラをしばらく見た。
「お前、すげえな」
サラは少し照れた。
やがて奇面草は根を動かして起き上がり、サラの後ろをゆっくり歩き始めた。
「……ついてくるのか?」
「うん。たぶん」
「たぶん、か」
三匹を連れて館へ戻ると、教授は庭にしゃがみ、大きな車輪へ金属板を取りつけていた。
「あら! もう三匹も見つけたの?」
「ああ。先にこいつらを預ける」
サラとエレンが檻を下ろした。バーニィは木の実を齧り、マコはまだ食料袋を抱えている。
サラが奇面草を囲いへ誘導し、戸を閉める。その後ろで、ザインが三つの留め金を順に確かめた。
「その袋、返せよ」
マコは知らん顔をした。
教授は檻を覗き、四人へ顔を上げた。
「ありがとう! あとはムクチャーだけね」
「そうだ。どこにいるか、心当たりは?」
「森の奥かしら。あの子、大きいからすぐ分かるわよ」
「捕まえる時に気をつけることは?」
「そうねえ……驚かせないことかしら」
「驚くと?」
「ものすごい高温ガスを出すの」
ザインは教授を見た。
「そういうことは最初に言え」
「聞かれなかったもの!」
「聞かなきゃ言わねえのか!」
*
ムクチャーは沢にいた。
斜面を下りる四人の前で、水辺の大きな背が動いた。ムクチャーは太い脚を踏ん張り、こちらへ向き直る。丸い胴が、さらに膨らんだ。
エレナの視線が、その喉元へ走る。
「待って。何か吐きます」
「伏せろ!」
ザインが叫ぶ。
頭上を、熱気が吹き抜けた。背後の低木が大きく揺れ、葉が縮れるように垂れ下がる。
エレンが顔を上げる。
「教授に事前に聞いておいてよかった」
ムクチャーが地面を蹴った。
ザインは剣を抜かずに前へ出た。巨体が迫るぎりぎりまで待ち、横へ飛ぶ。
「エレン!」
「分かってる!」
エレンが側面から身体をぶつける。
「重っ……!」
エレンの靴が土を滑った。ザインも反対側から肩を入れるが、二人の間を巨体が押し通る。
「本当にこれ生け捕りするの!?」
「教授に言え!」
エレナは細剣を構えたまま、巨体の周りを動いた。目も喉も狙えない。脚を傷つければ、この大きさを担いで帰ることになる。
ムクチャーが再び大きく息を吸った。
「ザイン、左!」
ザインが跳び退いた場所を、熱気が抜けた。吐き終えると、ムクチャーは脚を止め、喉を大きく上下させる。
エレナが声を上げた。
「吐いた後です!」
「何だ?」
「呼吸が戻るまで、動けません!」
サラは矢筒を探り、先端を丸くした練習用の矢を抜いた。
「何してる?」
「傷つけないように」
弦が鳴り、丸い矢先がムクチャーの鼻を叩いた。
「ぶっ!」
ムクチャーが顔を振り、怒った顔でサラへ向かう。
ザインがその間へ入った。
「こっちだ!」
ザインが走り出すと、ムクチャーも進路を変えた。背後から重い足音が迫る。
「どこ行くの!?」
エレンが叫ぶ。
「でかい木!」
沢の脇に、二本の巨木が並んでいた。ザインは肩を捻り、その間へ身を滑らせる。
ムクチャーも勢いのまま突っ込んだ。
そして、はまった。
二本の幹に丸い胴が挟まり、前脚だけが空を掻いていた。背中の棘が樹皮を削るが、身体は前へ進まない。
四人はしばらく黙っていた。
ザインが息を整える。
「捕まえた」
エレンが吹き出す。
「それでいいの?」
「生きてるだろ」
エレナも笑いを堪えていた。
「確かに、生け捕りですね」
ムクチャーだけが猛烈に怒っている。
その時。
「動かないでー!」
森の向こうから声が飛んできた。
振り返ると、木々の間で金髪が跳ねていた。
「教授?」
教授は足を止め、例の金属筒を肩へ構えた。
「伏せて!」
「何でお前が来て――」
短い破裂音とともに、小さな筒が飛んだ。ムクチャーの尻へ、先端の針が刺さる。
「!?」
数秒後、ムクチャーの目がとろんとした。脚から力が抜け、膨らんでいた胴がしぼむ。幹の間からずるりと抜け、その場へ座り込んだ。
教授が金属筒を掲げる。
「成功!」
教授はムクチャーへ駆け寄り、呼吸と目を確認する。
「麻酔量も完璧。予定通り!」
エレンが訊く。
「この子、大丈夫なの?」
「もちろん。私のペットよ」
教授は眠るムクチャーの頭を撫でた。
「この子、臆病なの」
四人の視線が、眠る巨体へ集まった。
ザインが言った。
「これが?」
「怖いと先に攻撃しちゃうのよ。知らない人が四人も追いかけてきたら怖いでしょう?」
サラが少し申し訳なさそうにムクチャーへ近づく。
「……ごめんね」
眠っているので返事はなかった。
*
「で」
ザインが辺りを見る。
「これ、どうやって館まで運ぶんだ」
横たわるムクチャーは、近くで見るとますます大きかった。今は眠っているので、自分で歩いてもくれない。
教授が得意げに森の奥を指差した。
「もちろん考えてあるわ!」
木陰に、低い四輪台車が置かれていた。太い金属の骨組みに大きな車輪。前には、滑車と巻き上げ機までついている。
ザインが教授を見る。
「何でこれ持ってきてんだ」
「ムクチャー搬送用よ」
「ムクチャーは大きいから、台車を持って後から来たのよ。あなたたちが先に見つけてくれて助かったわ!」
「なら、先に言っとけよ……」
教授は台車を寄せ、ムクチャーの下へ運搬用の板を差し込んだ。太い帯を胴へ回し、滑車を通したロープへ繋ぐ。
「じゃあ、ザインとエレン。引いて」
「何であたしたちなの?」
「一番力ありそうだから」
エレンがザインを見る。
「まあ……それは合ってる」
二人でロープを引く。
「せーの!」
動かない。
「……」
「……」
もう一度。
「せーの!」
やはり動かない。
サラも加わった。
動かない。
エレナは張り詰めたロープを目で辿り、滑車の前へしゃがんだ。
「これ、向き逆じゃないですか?」
教授が見る。
「あ」
ザインの顔が引きつる。
「お前が作ったんだろ」
「作ったの半年前だから忘れてた!」
「天才どこ行った!」
「ここにいるわ!」
エレナが教授と一緒に滑車の向きを直すと、今度はロープがするすると動いた。三人が引くにつれ、ムクチャーが板ごと台車へ上がっていく。
教授が両手を広げる。
「ほらね!」
「お前何もしてねえだろ!」
*
館までの二十分。
ザインとエレンが台車を押す。
エレナとサラは教授と並んで歩いていた。
「この台車も、教授が作ったの?」
サラが車輪の回る様子を覗き込んだ。
「もちろん!」
「動力を付ければ自走できそうですね」
エレナも、台車の空いた部分へ目を向ける。
教授の目が輝いた。
「それ、いい!」
ザインが後ろから叫ぶ。
「余計なこと言うな!」
「どうしてですか?」
「次会った時絶対爆発する!」
「失礼ね!」
教授が振り返った。
「爆発しない装置だって作れるわよ!」
「例えば?」
教授は少し考えた。
「……今度作る予定よ!」
「まだねえじゃねえか!」
*
ムクチャーを館へ運び込む頃には、陽が西へ傾き始めていた。
バーニィは檻から出るなり餌場へ直行した。マコはようやく食料袋を取り上げられ、不満そうにザインの靴へ前脚を乗せる。
奇面草は窓際で根を下ろし、ムクチャーは庭の台車で大きな寝息を立てていた。
教授は四匹を一匹ずつ確認し、満足そうに腰へ手を当てた。
「完璧ね!」
「どこが」
ザインが疲れた顔で言う。
「全員無事だったでしょう?」
「俺たちは疲れた」
「運動は健康にいいのよ」
教授は四匹の水を確かめてから、四人を台所へ通した。
「座って。お茶を淹れるわ。食べる物もあるから」
「普通のお茶だろうな」
「あなた、何を心配してるの?」
ザインは棚の色とりどりの瓶を見た。
教授は肩をすくめ、別の戸棚から茶葉を出した。
サラは渡された布で手を拭き、窓越しに庭を見る。
バーニィは寝床へ丸くなっていた。マコは新しい掛け金を触っている。上へ手を伸ばしても、二つ目には届かなかった。
「また脱走しないかな」
サラが言うと、教授はあっさり頷いた。
「そうね。今度は鍵をかけ忘れたら、鈴でも鳴らすようにするわ」
エレンが椅子へ腰を下ろした。
「最初からそれでよかったじゃない」
「手が四本あれば、とっくに済んでるわよ」
「増やすなよ」
教授の目が、自分の両肩へ動いた。
「考えるな」
エレナがとうとう吹き出した。
茶とパンが卓へ並ぶと、教授は四人へ向き直った。
「今日はありがとう。買われて、遠くへ連れていかれる前に見つかってよかった」
サラが笑った。
「みんな、あまり遠くへ行ってなかったよ」
「ご飯の時間には、戻ってくるつもりだったのかもね」
教授は庭へ目をやってから、机の引き出しを開けた。小さな金属札を取り出し、ザインへ差し出す。
「はい」
ザインが受け取る。
「何だこれ」
「私の印」
表には大きく、『教授』 と刻まれていた。
「名前じゃねえな」
「細かいこと気にしない!」
「俺は気にする」
「それを持ってきたら、一回だけ本気で相談に乗るわ」
「失くしたら?」
「相談料を取る」
「絶対失くさねえ」
*
食事が済むと、エレンはサラと一緒に庭へ出た。
ムクチャーが目を覚まし、教授の用意した水へ口をつけていた。立ち上がる脚も、先ほどよりしっかりしている。
エレンは窓へ手を振った。
「そろそろ戻らない? 暗くなるわよ」
「分かりました」
エレナは茶碗を片づけ、鞄を肩へ掛けた。
ザインが戸を開ける。
その後ろを通ろうとした彼女の足が、机の前で止まった。
「……この線、排気ですか?」
教授が図面を覗く。
「そうよ。弁を開けた時に、残った空気をこっちへ逃がすの」
「では、ここを通る前に分ければ、射出後の揺れを抑えられるのでは」
「そうすると、圧が足りなくなるのよ」
「内径を変えても?」
教授が顔を上げた。
エレナは鞄を椅子へ戻し、図面の端に置かれた紙を指した。
「描いてもいいですか」
「どうぞ」
ザインは開いた戸を持ったまま、二人を見た。
エレナが線を引く。教授が金属筒を持ってくる。
「蒼龍の術なら、どこで流れが乱れるか分かる?」
「小さな流れなら。術で補わず、装置だけで動かすんですね」
「誰でも使えた方がいいでしょう」
エレナの鉛筆が止まった。
「……ええ。それは、そうですね」
教授は筒の留め金を外し、内部を見せた。
エレナが身を乗り出す。
庭から戻ったエレンが、ザインの横へ立った。
「エレナは?」
ザインが顎で示す。
机の上では、二人の指が同じ部品を指していた。
エレンはしばらく見てから言った。
「増えたわね」
「増えたな」
*
しばらくして、ようやく二人が図面から顔を上げた。
帰り支度をやり直す頃には、庭先まで木々の影が伸びていた。
エレナの手帳には、新しい図が二つ増えていた。
「薬を入れる部分は、今のままで。変えるなら、先に空の針で試してください」
「もちろん。あなたの方も、流れを見た記録ができたら送って」
「ええ。次に手紙を出せる町で」
教授は嬉しそうに手を振った。
「今度は、もっとゆっくりいらっしゃい」
「今度があるのか」
ザインが訊くと、エレナは鞄の留め具を閉じた。
「ありますよ。まだ聞きたいことが残っていますから」
「今日だけで十分聞いてただろ」
「答えを聞いたら、別のことが気になりまして」
教授が大きく頷く。
ザインは二人を交互に見て、戸口へ向いた。
「帰るぞ。これ以上は、森で夜になる」
サラが教授へ頭を下げた。
「お茶、ごちそうさまでした」
「また来てね。あの子たちも喜ぶわ」
「次は、逃がす前に呼んでよ」
エレンが言うと、教授は片手を上げて応じた。
四人が庭を出る。
背後では、教授があの歌を口ずさみながら、囲いの鍵を一つずつ確かめていた。
*
ツヴァイクへ戻ると、四人は例の酒場へ寄った。
珍獣買い取りの男がザインを見つける。
「どうだった?」
「いた」
「捕まえたか?」
「ああ」
男が身を乗り出した。
「どんなのだ?」
ザインが四匹の特徴を簡単に説明する。
男は頷きながら値踏みしていた。
ムクチャーの大きさと熱い息の話になると、男は膝を叩いた。
「それなら……状態次第じゃ一万オーラムくらい出せたな」
ザインが固まった。
「……一万?」
エレンが横から見る。
「ザイン」
「何も言ってねえ」
「あたしもまだ何も言ってないよ」
「顔が言ってる」
エレナが笑う。
「惜しかったですか?」
「人のもんだ」
「一万ですよ」
「人のもんだ!」
声が少し大きかった。
サラが楽しそうに笑った。
*
酒場を出る頃には、通りの窓に灯りが点っていた。
宿へ戻る道すがら、サラがザインから金属札を借りた。灯りへかざし、刻まれた文字を指でなぞる。
「これ、本当に役に立つかな」
「知らん」
「でも捨てないんだ」
「荷物にならねえからな」
エレナが横から覗き込む。
「私はかなり価値があると思います」
「お前にはな」
「また会いたいですし」
「一人で行け」
「護衛は?」
「別料金」
「まだ護衛契約、続いているんですか?」
「そこは曖昧にすんな」
エレンが笑った。
その時、森の方から小さな爆発音が届いた。
四人が振り返ると、町外れの木々の向こうへ、煙が一本上がっていた。
「……戻る?」
エレンが訊いた。
ザインは煙を見て、少し考えた。
それから前へ向き直る。
「帰るぞ」
「いいの?」
「教授だろ」
エレナも煙を見る。
「まあ……大丈夫でしょうね」
サラだけは最後まで心配そうに振り返っていた。
数秒後。
森の彼方から、微かに声が届いた。
「大成功~~~~!」
サラも前を向いた。
「うん。大丈夫そう」
西の森には、再び夜の静けさが戻った。
少なくとも、次の実験が始まるまでは。