Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

14 / 19
第13話 キドラントの洞窟

 ツヴァイクを出た翌日の午後、四人はキドラントへ着いた。

 この村へ寄りたいと言い出したのは、エレナだった。ツヴァイクで見つけた古い天文記録に、キドラント周辺で星を観測したという記述があったらしい。

「街明かりも少ないでしょうし、今夜は星の観測ができればと思いまして」

「そのために、わざわざここまで来たのか?」

「あなたも、行き先はどこでも構わないと仰いましたよね」

「宿と飯があるならな」

 町というより、大きな村と呼んだ方が近い。

 広い畑の間に低い家々が並び、その向こうでは牛や羊が草を食んでいる。ランスやツヴァイクのような大きな建物はなく、街道を外れればすぐに土の道へ変わった。

「静かなところだね」

 サラが言った。

「あたしも嫌いじゃないわ」

 エレンは鼻を動かす。

「雨、降るかも」

 空はまだ明るい。

 エレナが見上げた。

「雲は、それほど出ていませんが――」 

「匂いがする」

「匂い?」

「土と草のね。夕方くらいには降ると思う」

 エレナは空を見て、それからエレンを見る。

「……覚えておきます」

「信じてないでしょ?」

「観測結果を待っているんです」

「そういうところよ」

 少し前を歩いていたザインが振り返った。

「宿はあるのか、ここ」

「最初に気にするのそれ?」

「手頃なら、先に部屋を押さえる」

「高かったら?」

「ほかを探す」

「村に一軒しかなかったら?」

「その時は交渉だ」

 エレナが笑った。

「宿の方にも、選ぶ権利はありますよ」

 そんな話をしながら村へ入った時、井戸のそばにいた若い女性が四人を見て立ち上がった。

 明るい金髪を左右で高く結び、長い巻き毛を揺らしている。赤い身頃と白いスカートには花飾りやフリルがあしらわれていた。

 かなり大きな水桶を片手に持っているが、重さを感じている様子はない。

「あの、旅の方ですよね?」

「そうだけど」

 エレンが答えた。

「ツヴァイクの方から来ました?」

「来たよ」

 女性の表情が少し緊張する。

「その途中で……ポールという人を見ませんでしたか?」

 サラが顔を上げた。ザインも足を止める。

「どんな奴だ」

「二十歳くらいで、茶色の髪で……弓を使います。少し前に村を出て、それから帰ってこなくて」

 サラがザインを見る。

 ザインは迷わなかった。

「いたな」

 女性の目が大きくなる。

「本当ですか!?」

「ああ。盗賊団にいた」

「ちょっと!」

 エレンがザインの袖を引いた。

「何だよ」

「言い方!」

 女性の顔から血の気が引いていた。

「ポールが……盗賊?」

 ザインは一度エレンを見てから、少しだけ言葉を足した。

「街道で、俺たちが護衛してた馬車を襲った連中だ」

「そんな……」

「でも」

 サラが急いで続けた。

「人質を助けてくれたよ」

 女性がサラを見る。

「人質?」

「盗賊たちが捕まえた人を盾にしようとした時、ポールさんが止めたの。それで、閉じ込められていた三人を逃がしてくれた」

 女性はしばらく何も言わなかった。やがて胸元で両手を握る。

「……生きてるんですね」

「生きてた。俺たちが最後に見た時はな」

 彼女は目を閉じた。

「よかった……」

 水桶を置いた手は、まだ小さく震えていた。

「あなたは?」

 エレンが少し声を和らげて訊いた。

「ニーナです」

「ポールとは?」

 ニーナは一瞬だけ言葉に詰まった。

「……ただの幼馴染です」

「そう……」

 エレンはそれ以上聞かなかった。

 キドラントには、小さな宿が一軒だけあった。

 ザインが宿代を確認している間、エレンとサラはニーナから村の話を聞いていた。

 最近、家畜が頻繁に消えているという。夜になると村の北にある洞窟の方角から妙な鳴き声が聞こえ、村人たちは近づかなくなっていた。

「魔物?」

 サラが訊いた。

「多分……」

「前からいたの?」

「小さい魔物はいました。でも、今みたいになったのは最近です」

 そこへザインが戻ってきた。

「一泊二十オーラム。二晩なら、一泊十八まで下げるそうだ」

「洞窟の話だったんだけど」

 エレンが苦笑する。

 その時、年配の男がこちらへ歩いてきた。上等ではないが、この村では少しだけ良い服を着ている。

「旅の方々ですかな」

「はい。何かご用でしょうか」

 エレナが答えた。

「私はこのキドラントの町長です」

 男は愛想よく頭を下げた。

「ちょうどお願いしたいことがありまして」

 ザインが反応した。

「仕事か?」

「ええ」

 町長は少し声を落とした。

「村の北に洞窟があります。そこに魔物が住み着き、家畜を襲っているのです」

「報酬は」

「ザイン」

 エレンが半分呆れて呼ぶ。

「仕事なら先に聞くだろ」

 町長は一瞬だけ戸惑ったものの、五百オーラムでどうかと答えた。

「安い」

「ですが、村も裕福では――」

「家畜の被害はいくらだ。牛一頭でも五百じゃ済まねえだろ」

 町長が黙る。

 エレナが小声で言った。

「こういう時だけは、話が早いですね」

「こういう時『だけ』って言うな」

 交渉の結果、報酬は八百オーラムとなった。魔物を倒せた場合のみ全額支払い。危険すぎると判断して撤退した場合は報酬なし。

 ザインは条件を二度確認してから頷いた。

「分かった」

 ニーナが不安そうな顔をした。

「あの洞窟に行くんですか?」

「ああ」

「……気をつけてください」

「何か知ってる?」

 エレンが訊くと、ニーナは町長をちらりと見た。

「前にも、あそこへ入った人がいたって聞いたことがあります」

 町長の表情がわずかに固くなった。

「昔の話だ」

「帰ってきたんですか?」

 エレナが訊いた。

「旅人でしたからな。その後どうしたかまでは」

「ほかに出入口はありますか?」

「ありません。北の岩壁を回れば分かります。穴は一つきりです」

「最後に家畜が襲われたのは?」

「三日前です。羊が二頭」

 ザインは町長を見た。

「まず中を見る。手に負えなきゃ引き返す。そこは変わらねえな」

「もちろんですとも」

 愛想のよい声だった。

 ザインはその顔を覚え、ニーナへ向き直った。

「日が落ちても戻らなきゃ、洞窟には入らず、ツヴァイクの役人へ知らせてくれ」

 ニーナは町長を一度見てから、頷いた。

*

 洞窟は、村から歩いて三十分ほどの場所にあった。

 入口は大人が一人通れるほどの狭さだった。脇には丸みを帯びた大岩があり、岩壁との間には古い角材が積まれている。

 ザインは頭上に落ちかけた石がないことを確かめてから、地面へ目を向けた。周囲には無数の小さな足跡が残されている。

「これ……全部同じ?」

 サラがしゃがみ込む。

「ネズミっぽい」

 エレンも覗いた。

「でかくないか?」

 ザインが足跡の一つへ靴を並べる。普通の鼠より明らかに大きく、しかも数が多い。

「家畜を襲うには、小さすぎますね」

 エレナが言った。

「一匹ならな」

 ザインはランタンに火を入れ、洞窟へ入った。

 先頭がザイン、最後尾がエレン。その間にサラとエレナが続く。

 中は湿っていて、奥へ進むほど動物特有の臭いが強くなった。時折、小さな影が岩の隙間を走っていく。

「いるね」

 サラが弓を握った。

「まだ撃つな。ただの鼠かもしれん」

「大きいけど」

「大きい鼠かもしれん」

「基準が教授に近づいてない?」

 エレンが言う。

「やめろ」

 ザインは本気で嫌そうだった。

 しばらく進むと、壁際に壊れた木箱と古い背負い袋が落ちていた。革は湿気で傷み、留め具が錆びている。

「旅人の物でしょうね」

 エレナがしゃがんで中を確かめるが、何も残っていない。

 少し離れた場所には折れた短剣があり、さらに奥には靴が片方だけ落ちていた。

「一人じゃないね」

 エレンの顔が曇った。

 ザインも気づいていた。靴にはまだ泥の形が残っているが、短剣の方は折れ口まで赤く錆びている。

「何人か入ってるな」

「ニーナさん、前にも入った人がいるって言ってたよね」

 サラが呟いた。

「町長は、帰ったとは言っていませんでした」

 エレナが立ち上がる。

 ザインはランタンを掲げ、来た通路を確かめた。ここまでは一本道だった。

「鼠だけの穴じゃなさそうだな」

「戻る?」

 エレンが訊いた。

 その時、奥から何かを引きずる音がした。

「この先が見える所までだ。人がいたら連れ出す。無理なら、そのまま引き返すぞ」

「分かった」

 四人はさらに進んだ。

 やがて、鼠の鳴き声が聞こえ始めた。最初は一匹だったが、二匹、十匹と重なり、ほどなく数え切れなくなった。

 甲高い声が洞窟そのものを震わせているようだった。

「多い……」

 サラが小さく言う。

 通路の先が広がり、ザインが足を止めた。

「……これは聞いてねえぞ」

 巨大な空洞だった。

 床一面を、黒や灰色、茶色の鼠が埋め尽くしている。数百匹――いや、それ以上。互いの背を踏み、岩を這い、壁まで群れが広がっていた。

 その中心だけが、不自然に空いていた。

「これ全部?」

 エレンが斧を握る。

「全部を相手にする気はねえ」

 鼠の群れが、一斉にこちらを見た。

 次の瞬間、黒い波が動いた。

「来るぞ! 通路へ戻れ!」

 エレンが斧を横へ振るい、飛びかかってきた数匹を吹き飛ばした。だが、その後ろからすぐに別の群れが押し寄せる。

「きりがない!」

 エレンが一歩下がる。

 ザインも剣を走らせた。一匹、二匹、三匹と斬り伏せるが、数が減った気がしない。

「足元!」

 エレナの声にザインが飛び退く。直前まで立っていた場所を鼠の群れが覆い、足へ噛みつこうとした。

「壁にもいます!」

 エレナはサラを引き寄せ、頭上から落ちてきた鼠を細剣で払った。刃先へ飛びつこうとした次の一匹を突き、すぐに引き抜く。

 足元まで追えば、今度は背中が空く。

「下は任せます!」

「サラ、右!」

「うん!」

 サラの矢が飛んだ。群れ全体ではなく、上から飛びかかろうとした一匹だけを射落とす。

 ザインはその隙に通路への道を空けた。

「入口まで戻るぞ!」

「数が多すぎる!」

 エレンが最後尾へ回り、斧を大きく振った。刃先だけでなく柄まで使い、通路の横幅いっぱいに薙ぎ払う。

 一度に十数匹が吹き飛んだ。

 腰から腕までが、ひと続きに動いた。今までより広く刃が届く。だが確かめる間もなく、次の群れが押し寄せてきた。

「っ……!」

「エレン!」

「大丈夫!」

 エレンは斧を引き戻し、足を引いた。今は退く方が先だった。

 エレナは逃げながら、何度も群れの奥を振り返っていた。

「……変です」

「何が!」

「動きが、揃いすぎています!」

「鼠が?」

「普通なら、もっと散るはずです!」

 ザインが足元の一匹を蹴り飛ばす。

「誰か指揮してるってのか?」

「まだ、分かりません!」

 空洞の奥に、一瞬だけほかの鼠とは違う動きをする影が見えた。

 仲間が前へ押し寄せる中、その一匹だけが後ろに留まっている。大きさも色もほとんど変わらない。

 なのに、その一匹を中心に群れの流れが変わった気がした。

「……」

「エレナ!」

 ザインの声で我に返る。

 目の前に迫った鼠を細剣で払い、エレナも通路へ駆け込んだ。

「今、行きます!」

 入口の光が見えた。

「もう少し!」

 サラが叫ぶ。

 ザインが先頭へ出た。

 外へ。あと少し。

 その時、数十歩先で光が消えた。

 低い音とともに岩が擦れ、洞窟全体が小さく震える。

「……何?」

 エレンが足を止めた。

 四人が入口まで駆け寄ると、そこには大きな岩があった。

 入口の脇にあったはずの大岩が、口を塞いでいた。

 ザインが両手を当てて押す。

 動かない。

「あたしがやる」

 エレンが場所を代わり、肩を入れる。岩肌がわずかに軋んだものの、それ以上は動かなかった。

「重すぎる!」

「落石?」

 サラが青ざめる。

「違います。上は崩れていません」

 ザインがランタンを掲げると、エレナは岩と天井の間を確かめた。

「さっきまで入口の脇にあった岩です。外から動かされています」

 しばらく誰も口を開かなかった。

 ザインの目が細くなる。

「……町長か」

「私たちを閉じ込めた?」

 エレンが岩を見る。

「……そういうことになりますね」

 背後から鼠の鳴き声が近づいてくる。

「来る!」

 サラが振り返った。

 ザインは剣を構え直した。表情は変わらなかったが、声だけが少し低かった。

「八百オーラムじゃ割に合わねえな」

*

 その頃、洞窟の外では、町長と三人の男が大岩から離れようとしていた。

「これでいい」

 町長は額の汗を拭った。

「しばらくは村へ来ないだろう」

 若い村人の一人が、不安そうに岩を見る。

「本当に……これでいいんですか」

「仕方ない」

「でも、あの人たちは」

「旅人だ」

「だからって――」

「お前は村の牛が全部食われてもいいのか?」

 男が黙る。

 町長は踵を返した。

「怪物は腹が満ちれば、しばらく出てこない。それで村が守られる」

「……」

「帰るぞ」

 その時、背後から声がした。

「何をしてるんですか」

 四人が振り向くと、ニーナが立っていた。

 日が傾いても帰ってこない旅人たちを気にして、様子を見に来たらしい。入口を塞ぐ岩と町長たちを見て、顔色が変わった。

「町長さん」

「ニーナ。これは――」

「今、中に誰がいるんですか」

「……」

「旅の人たちですよね」

「村のためだ」

 町長はそれだけ答えた。

 ニーナはゆっくり岩を見る。

「開けてください」

「できん」

「開けて」

「ニーナ!」

「開けてください!」

 町長は苛立った。

「もう動かせん! 男四人でやっと押したんだぞ!」

 ニーナは答えず、大岩へ近づいた。

 両手を当て、足の位置を変える。腰を落とし、深く息を吸った。

「……っ!」

 岩が軋んだ。

 町長たちが黙る。

 ニーナはもう一度、肩を入れた。

「ん……っ!」

 岩が動いた。

 ほんの数センチ。だが、確実に。

「嘘だろ……」

 村人が呟く。

 ニーナは止まらなかった。足を踏ん張り、全身の力を込めると、大岩がゆっくり横へ滑り始めた。

*

 洞窟の内側では、鼠の群れが迫っていた。

「ザインさん!」

 サラが矢を放ち、一匹を落とす。だが、すぐ次が来る。

 エレンは岩を背に斧を構えた。

「もう一回押す?」

「無理だ!」

「でも、このままじゃ!」

 エレナが細剣を立てる。

「こちらへ! 通路が狭いので、一度に来られる数は――」

 その時、背後で岩が軋んだ。

 エレンが振り返ると、岩の縁に細い光が差していた。

「動いてる!」

 ザインも岩へ手をかけた。

「外から誰か動かしてる!」

「誰!?」

「知らん! 隙間を広げるぞ!」

 ザインが内側から加わると、岩はさらに動いた。

 ようやく一人が通れる隙間が開く。

「サラ、先に出ろ!」

 サラが身体を滑り込ませる。

「エレナさん!」

「先に行って!」

 エレナは細剣を構えたまま後退し、外へ抜けた。エレンが続き、最後にザインも身体を滑り込ませる。

 鼠の群れは、その踵まで追ってきていた。

 ザインが剣を振り、隙間の前を払う。

「閉めろ!」

 エレンとニーナが肩を入れ、岩を押し戻した。エレナも手を添える。

 サラが矢をつがえ、隙間を抜けようとした一匹を射落とす。後ろの群れが一瞬詰まった。

 その間に岩が滑り、残った隙間も塞がっていく。

 ザインが剣を引いた直後、重い音を立てて入口が閉じた。

 鼠の鳴き声が、岩の向こうへ遠ざかっていった。

 しばらく誰も喋らなかった。

 ザインが呼吸を整え、エレンも膝へ手をつく。

「……誰が開けたの?」

 サラが訊いた。

 ザインとエレンが、同時にニーナを見る。

 ニーナは肩で息をしていた。

「私です」

 ザインが岩を見る。ニーナを見る。そして、もう一度岩を見る。

「一人で?」

「はい」

 エレンが立ち上がった。

「……あたしとザインでも動かなかったよね」

「ああ」

「ちょっと自信なくすんだけど」

 ニーナが困った顔をする。

「昔から、重いものを持つのは得意で……」

「得意の範囲を超えてないか…」

 ザインが真顔で言った。

 サラは素直に目を輝かせている。

「すごい!」

「ありがとう……?」

 ニーナ自身も、何を褒められているのか少し分からない顔だった。

 町長は逃げていなかった。

 少し離れたところに立っている男へ、ザインはゆっくり歩いていった。剣は鞘に収めたままだったが、それでも町長は一歩下がった。

「説明してもらおうか」

「……村を守るためだ」

「あたしたちを餌にして?」

 エレンの声は冷たかった。

「旅人が洞窟へ入れば、怪物はしばらく村へ来ない。これまでそれで――」

 町長は言いかけて口を閉じた。

 ザインの目が変わる。

「これまで?」

 町長は黙った。

「洞窟にあった荷物。あれは以前に入れた人たちの物ですか」

 エレナが静かに訊いた。

「……」

「何人ですか」

「分からん」

「あなたが、入れたんですか」

「村のために必要だった!」

 ニーナが顔を伏せた。

 エレンが一歩前へ出ようとする。

 ザインが片手で止めた。

「まだだ」

「でも――」

「まだ怪物がいる。こいつの話はその後だ」

 ザインは町長と一緒にいた若い男へ目を向けた。

「こいつを一人にするな。お前らが何をしたかも、役人に話してもらう」

 男は俯き、頷いた。

 町長が少し安堵したような顔をしたが、ザインは見逃さなかった。

「逃げんなよ」

「私はこの町の町長だ」

「そうか」

 ザインは一度だけ頷いた。

「なら、責任者はお前だな」

 町長の顔から安堵が消えた。

*

 その夜、四人はニーナの家で休ませてもらうことになった。

 町長が営んでいると聞かされた宿へ、戻る気にはなれなかった。荷物はニーナの知り合いが取りに行ってくれた。

 小さな家だったが、食卓には温かいスープと黒パンが並べられている。

「本当にすみません」

 ニーナが頭を下げた。

「ニーナさんが謝ることじゃないよ」

 サラが言った。

「むしろ助けてもらったし」

「そうそう。命の恩人よ」

 エレンも頷く。

 ニーナは恐縮していた。

 ザインだけはスープを食べながら訊いた。

「この村、あのこと知ってる奴は多いのか」

 ニーナの表情が曇る。

「……分かりません」

「知らなかったのか?」

「少なくとも私は知りませんでした。でも、洞窟に誰かが入った後だけ、しばらく被害が減るっていう話は……昔から」

「理由は聞いたことがありますか?」

 エレナが訊いた。

「洞窟へ入った人が、追い払ってくれたのだと……子供の頃から、そう聞いていたので」

 ニーナは手を握った。

「当たり前だと思っていました」

 サラが、冷めかけたスープの椀をニーナへ寄せた。

「ニーナさんも食べよう。ずっと立ったままだよ」

 ニーナは少し迷ってから、空いていた椅子へ座った。

 食事を終えると、エレナは机の上に簡単な洞窟図を描き始めた。

「問題は、あの鼠です。ただ、数が多いだけではありません」

「何かいた?」

 エレンが訊く。

「気になる動きがありました。私たちが退くと、一斉に追ってきましたよね。その前に、奥の一匹が動いたように見えたんです」

「一匹だけ違うの?」

 サラが思い出すように訊いた。

「断言はできません。見た目は、ほとんど同じでした」

 ザインが腕を組んだ。

「全部倒すのは無理だぞ」

「ええ」

 エレナは図の中心に、小さな丸を一つ描いた。

「指揮する個体がいるなら、そちらを狙う方法はあります。ただ、同じように入っても囲まれるだけです」

 サラがその丸を見る。

「一匹だけ見つける?」

「見分けられれば。まず、何者なのかを調べたいですね」

 しばらく沈黙が続いた。

 エレンがふと思い出したように顔を上げる。

「……変な生き物に詳しい人、知ってるよね」

 全員が同じ顔をした。

 ザインが即答する。

「嫌だ」

「まだ何も言ってない」

「分かる」

「相談一回の札、あるよね」

 サラが言った。

 ザインが腰の荷物へ手をやる。教授からもらった、小さな金属札。表には大きく『教授』と刻まれている。

「こんなに早く使うのかよ」

 エレナが笑った。

「役に立ちそうでしょう?」

「まだ役に立ってねえ」

「戻れば、立つかもしれません」

 ザインはしばらく札を睨んでいた。

「……現金にしとけばよかった」

 ニーナが奥の部屋へ寝具を運んでくれた。

「狭いですけど、皆さんで使ってください」

 ザインは部屋を覗き、毛布を一枚受け取った。

「俺は居間で寝る」

「え、どうして?」

 エレンが訊いた。

「女三人と雑魚寝する趣味はねえよ」

「へえ。意外と紳士なのね」

「意外とは余計だ」

 エレナが小さく笑った。

「では、お言葉に甘えます。おやすみなさい」

「おう」

*

 その夜遅く、雨が降り始めた。

 屋根を打つ音を聞きながら、エレナは窓辺に立っていた。

「降ったわね」

 背後からエレンの声がする。

「何がですか?」

「雨よ」

 エレナが振り返ると、エレンは布団に入ったまま少し得意そうな顔をしていた。

「夕方くらいって言ったでしょ」

「夜になりましたけど」

「細かい」

「観測としては、少し誤差が大きいですね」

「素直に認めなさいよ」

 エレナは窓を閉めた。

「……確かに、降りましたね」

「でしょ?」

「次から、参考にします」

 エレンが満足そうに目を閉じる。その隣ではサラがもう眠っていた。

 戸の向こうで、寝返りを打つ音がした。

「明日の朝、ツヴァイクへ戻るぞ」

「寝てなかったの?」

「教授の歌を思い出して寝られねえ」

 エレナが吹き出した。

 外では雨が強くなっていった。

 その向こう、村の北にある洞窟では、無数の鼠が暗闇の中を這っていた。

 群れが動くと、その一角だけに隙間ができる。

 小さな影が、閉ざされた入口の方を向いていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。