Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

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第14話 ねこいらず

 翌朝、雨は上がっていた。

 キドラントの道には水溜まりが残り、低い雲の隙間から朝日が差している。ザインたちは、ツヴァイクへ戻る荷馬車に乗せてもらうことになった。

 サラは荷台の隅で、小さな金属札を裏返していた。表には大きく『教授』と刻まれている。

「こんなに早く使うと思わなかったね」

「失くしたら相談料を取られるから、落とすなよ」

「そこ気にしてるの?」

 エレンが呆れた顔をした。

「無料相談券だぞ」

「無料相談券って言わないでよ。急に安っぽくなるから」

 エレナは鞄へ洞窟の図をしまい、札を受け取るザインを見た。

「教授なら、何か分かるかもしれません」

「鼠の専門家なのか?」

「少なくとも、私たちより生き物には詳しいでしょう」

「昨日の群れより変な物なら、飼ってたしね」

 エレンが頷く。

「それも含めて相談です」

 荷馬車が動き出した。

 その揺れに合わせ、隣で太い木槌が傾く。ニーナが片手で支え直した。

 金色の巻き毛を左右で高く結び、赤い身頃に白いスカート。昨日と変わらず華やかな姿だったが、今日は肩に大きな木槌を担いでいる。

 ザインはそれを見た。

「本当についてくるのか」

「はい。村のことですから」

「戦いは得意じゃねえんだろ」

「はい」

「その槌は?」

「家にあった物です。杭を打つ時に使っています」

 エレンが槌の頭を覗き込んだ。

「……それを、一人で振るの?」

「はい」

 エレンは自分の斧を見てから、ニーナへ向き直った。

「あたし、この子ちょっと好きかも」

「変なこと教えるなよ」

「まだ何も教えてない!」

 サラが笑い、ニーナは少し困ったように微笑んだ。

 その手の下で、木槌は荷台へ一度もぶつからなかった。

 ニーナは空いた手で、腰の小さな包みを確かめる。紐を締め直し、服の陰へ収めた。

*

 ツヴァイクへ着くと、ザインは先に町の詰所へ寄った。

 町長に洞窟へ閉じ込められたこと。洞窟内に、以前入った旅人たちのものと思われる荷物が残っていたこと。

 ニーナも隣に立ち、自分が見たことを話した。

 役人は五人の名前を書き留め、キドラントへ人を出すと約束した。

 詰所を出た一行は、その足で西の森へ向かった。

 以前と同じ道を進むと、継ぎ足しだらけの館が見えてきた。今日は煙も出ていなければ、爆発音もしない。

「静かだね」

 サラが言った。

「逆に怖いな」

「失礼ね」

 声が真上から降ってきた。

 五人が見上げると、屋根の縁に教授が腰掛けていた。波打つ金髪を風になびかせ、片手に大きな金属筒、もう片方には焼いたパンを持っている。

「何してんだ」

「朝ご飯」

「もう昼過ぎだぞ」

「まだ食べてなかったのよ」

「何で屋根で食うんだ」

「見晴らし、いいでしょう?」

 ザインは玄関を指した。

「相談があるからここに来てくれ」

「今行くわ!」

 教授は残りのパンを口へ放り込むと、そのまま屋根の端を蹴った。

「えっ」

 サラが声を上げる。

 教授の腰で金具が跳ね、畳まれていた布の翼が開いた。

 ふわり。

 とは、いかなかった。

「きゃあああああ!」

 翼が開ききるより先に、教授の身体が落ちてくる。

 ザインとエレンが反射的に脇へ退いた。その間をニーナが踏み出し、両腕で教授の背と膝を受け止める。

 靴が土を擦り、一歩だけ下がった。

「おっと」

 教授がニーナの腕の中で瞬きをした。

「あら」

「大丈夫ですか?」

「あなた、力持ちね!」

「よく言われます」

 ザインが二人を見た。

「今ので済ませるのか」

 教授は地面へ下ろしてもらうと、腰の装置を確かめた。

「開くのが〇・八秒遅いわね」

「飛ぶつもりだったのか?」

「滑空よ」

「落下だろ」

「次は成功するわ」

「今度は地面にクッションでも敷いてくれ」

「それ、いいわね!」

 教授は早速、何かを手帳へ書き込んだ。

 ザインは頭を抱えたくなった。

 館へ入ると、棚の上の檻からマコが顔を出した。ザインが反射的に腰の食料袋を押さえると、マコはつまらなそうに引っ込んだ。

 バーニィは餌皿へ鼻を寄せ、奇面草は窓辺に葉を広げている。庭ではムクチャーが昼寝をしていた。

「それで、相談一回、使うの?」

 教授が椅子へ座った。

 ザインは卓へ金属札を置く。

「使う」

「早かったわね」

「俺もそう思う」

「内容は?」

 エレナが洞窟の図を広げた。

「キドラントの北に、大量の鼠型の魔物がいます。家畜を襲っている群れです」

「数は?」

「見えた範囲でも数百。奥にはもっといたと思います」

 教授は図の広い部分へ指を置いた。

「ここに?」

「ええ。ただ、数が多いだけではありません」

 エレナは入口から奥へ、指を滑らせた。

「私たちが退くと、一斉に追ってきました。壁から飛びかかるものと、足元へ集まるものがいて、動きが妙に揃っていたんです」

「大きさは?」

「普通の鼠より、ずっと大きかったよ。三倍くらいかな」

 サラが両手で示す。

「毛色は?」

「黒と、灰色と、茶色」

「鳴き方は?」

「そこまでは……」

 サラが言葉を切ると、教授は頷き、エレナへ目を戻した。

「群れの中心は見た?」

「一瞬だけ。ほかと違う動きをする一匹がいたように見えました。見た目は、ほとんど同じです」

 教授の指が止まった。

「……へえ」

 ザインが顔を上げる。

「知ってるな」

「まだ分からないわ」

「顔が知ってる」

「あなた、人の顔を見るの、意外と上手いわね」

「面倒な奴の顔は覚える」

「褒められた?」

「違う」

 教授は立ち上がり、奥の部屋へ消えた。

 棚を探る音がして、何か重いものが床を擦る。続いて、がたん、と大きな音が響いた。

「痛っ!」

 五人は黙って待った。

 やがて戻ってきた教授は、古いノートを一冊抱えていた。表紙には、大きく《A》とだけ書いてある。

「数年前にね、キドラントの近くで、妙に頭のいい鼠を見つけたの」

 教授がノートを開いた。

「道を一度見せれば覚える。罠は二度目から避ける。餌の場所を変えると、匂いを嗅ぎ回る前に、私の手を見るのよ」

「捕まえたんですか?」

 サラが訊いた。

「もちろん」

「やっぱり」

「褒めてもいいのよ?」

「褒めてないよ」

 教授は気にせず頁をめくった。

 鼠の絵と、いくつもの迷路。餌箱の位置を変えた図には、細かな書き込みが添えられている。

 エレナは椅子を寄せた。

「かなり高い学習能力ですね。薬か術で変化した個体だったのでしょうか」

「最初から変わっていたわ。術の痕跡も見つからなかった」

「教授は、何か与えたんですか?」

 教授は少しだけ間を置いた。

「栄養剤は与えた」

 ザインの眉が動く。

「何を入れた」

「色々」

「具体的に」

「覚えてない」

「おい」

「全部記録してあるわよ!」

 教授は書き込みの並ぶ頁を叩いた。

「でも、頭が良かったのは最初から。私の薬で頭が良くなったとは限らないわ」

 ニーナはノートを見つめていた。

「洞窟には、もっと前から人が入っていました。私が子供の頃から」

「その頃も、鼠の群れだった?」

「分かりません。洞窟の怪物としか聞いていなくて」

「そう。なら、今はまだ同じだとは言えないわね」

 エレンが卓へ肘をついた。

「その鼠は、どうしたの?」

「逃げた」

「また!?」

「今回は私のせいじゃない!」

「今回『は』って言った!」

 教授は真顔で留め具の絵を指した。

「自分で外したのよ。閉めた檻から」

「鼠が?」

 サラが図を覗き込む。

「そう」

「名前は?」

 教授の指が、表紙の《A》を叩いた。

「アルジャーノン」

 エレナはその名を手帳へ書き留めた。

「逃げた後に、見つかったことは?」

「一度も」

「それなら、今回の群れがその個体だとは限りませんね」

「ええ」

 教授はすぐに頷いた。

「だから、確認しに行く」

 ザインが眉を上げる。

「お前も?」

「当然でしょう?」

「この前は、ペット探しを俺たちに押しつけただろ」

「あれはペットでしょ」

「これは?」

「研究対象」

「その差かよ」

 教授は答える代わりに、長い箱を卓へ載せた。

 蓋を開けると、射出器の横に細い筒と薬瓶が並んでいた。赤、青、白、黄色。色ごとに用途が違うらしい。

「それ、全部撃つの?」

 エレンが覗いた。

「用途によるわ」

「赤は?」

「刺激剤」

「青は?」

「麻酔」

「白は?」

「煙幕」

「黄色は?」

「まだ試してない」

「持ってくるな!」

 ザインが即座に言った。

「現地で試せるじゃない」

「やめろ」

 教授は残念そうに黄色の瓶を箱へ戻し、代わりに小さな缶を取り出した。

 蓋には『ねこいらず』と書かれている。

「猫?」

 サラが首を傾げた。

「鼠用よ」

「名前、逆じゃない?」

「猫がいらなくなるくらい鼠に効くから、ねこいらず」

 ザインが缶を見た。

「毒か?」

「濃く使えばね。今回は、鼠の反応を見るために使うわ」

 教授は小瓶を一本取り、缶の横へ置いた。

「普通の鼠は、この匂いに強く反応するの。近づくものもいれば、嫌がって逃げるものもいる。でもアルジャーノンは、私が仕掛けているところを見たら、絶対に近づかなかった」

「罠だと分かるからですか?」

 エレナが訊く。

「そう。餌に混ぜても、すぐには食べない。ほかの鼠がどうするか、先に見るのよ」

 サラは缶を見つめた。

「じゃあ、ほかの鼠と違う動きをする一匹を探す?」

「その通り」

 教授がサラへ顔を寄せた。

「弓の子。目はいい?」

「サラです。昔から狩りをしていたので、目は良いと思います」

「なら、ちょうどいいわ」

 教授は紙へ小さな点をいくつも打った。

「一匹ずつ見ようとしないで。全体を見るの」

「全体を?」

「そう。群れが動く。その中に、匂いとは別のことを気にしている一匹がいる。まず、そこを探して」

 サラは点の集まりを見た。

 一つに目を留めると、周りが見えなくなる。

「全部当てなくていい」

 ザインが言った。

 サラが顔を上げる。

「一匹だけ?」

「ああ。見つけるまでは、こっちで止める」

 サラはもう一度、紙へ目を落とした。

「……うん」

 その時、ニーナが口を開いた。

「私も、洞窟へ行きます」

 教授が顔を向ける。

「あなたも戦うの?」

「得意ではありません。でも、村のことを全部、旅の方に任せるわけにはいきませんから」

 ザインが何か言う前に、ニーナは続けた。

「それに、岩なら動かせます」

「鼠は岩じゃねえ」

「殴れば同じじゃないですか?」

 エレンが、すっとニーナの肩へ腕を回した。

「やっぱり、あたし、この子好き」

「変なこと教えるなよ」

「教えてない!」

 教授はニーナの木槌へ手を伸ばした。

「ちょっと持たせて」

「どうぞ」

 ニーナが渡すと、教授の両腕がそのまま下がった。

「重っ!」

 床へ落ちる前に、ニーナが柄を支える。

「すみません」

「あなた、これ、普通に振るの?」

「はい」

 教授の目が輝いた。

「面白い! ねえ、後で筋力測定してもいい?」

「怪物を倒した後なら、いいですよ」

「研究対象を増やすな」

 ザインが木槌をニーナへ返させた。

*

 教授の支度が整う頃には、森の影が長くなっていた。

 その晩はツヴァイクに泊まり、翌朝、六人でキドラントへ向かった。

 道中、教授は草の倒れ方や見慣れない足跡を見つけては立ち止まり、その度にエレナが呼び戻す役になった。

 村へ着く頃には、また陽が傾いていた。

 家々の間から村人が顔を出す。視線は最後を歩く一人へ集まった。

 波打つ金髪。青紫の衣装。腰に並べた試験管。そして、肩には見たこともない金属筒。

「……誰ですか、あの人」

 近くの男が、ザインへ小声で訊いた。

「俺も、よく分からん」

「教授よ!」

 後ろから、すぐに訂正が入る。

「聞こえてるのかよ」

 六人は先に町長の家へ向かった。

 戸口には、あの日、一緒に岩を動かした若い男が座っていた。六人を見つけると立ち上がり、頭を下げた。

 ザインは頷き、中へ入る。

 町長の顔色が変わった。

「……戻ったのか」

「残念だったな」

「何のことだ」

「それで通すなら、役人にも同じことを言え。ツヴァイクで話してきた」

 町長の手が、卓の縁を掴んだ。

「何をするつもりだ」

「洞窟の怪物を倒す」

「もういい。村には、別の方法が――」

「旅人を餌にする方法?」

 エレンが言った。

 町長は口を閉じる。

 ニーナも、その顔を見つめていた。

「町長さん。今まで何人、洞窟へ入れたんですか」

「村のためだった」

「人数を聞いています」

 町長は答えなかった。

 ザインが二人の間へ入る。

「その話は、怪物を片づけてからだ」

「まだやるのか。あそこへ行けば死ぬぞ」

「だから、一度引き返した」

「私は忠告した!」

「その後、入口を塞いだだろ」

 ザインが一歩近づくと、町長は椅子へぶつかった。

「それとな。契約変更だ」

「何?」

「八百だけじゃ足りねえ。聞いてねえ条件が多すぎる」

 エレンが横から見た。

「そこも忘れてなかったんだ」

「忘れるか」

「いくらだ」

 町長が恐る恐る訊いた。

「怪物退治とは別に、閉じ込められた分。それと、隠してた話の分だ」

「いくらだ」

「後で決める」

「怖っ」

 エレンが思わず漏らした。

 エレナは手帳を閉じた。

「少なくとも、これまでの被害を、報酬で済ませることはできませんよ」

 町長は卓から手を離さなかった。

*

 翌朝、六人は北の洞窟へ向かった。

 その間、家畜が襲われることはなかったが、畑の外れで鼠を見た者はいたという。家々の戸は固く閉められ、羊や牛は柵の内側へ寄せられていた。

 道端で教授がしゃがみ込む。

「かなり出歩いているわね」

「足跡で分かるの?」

 サラも隣へ屈んだ。

「それもだけど、草。何度も同じ場所を通って、下が土になってるでしょう」

 ニーナが、その細い筋を見た。

「アルジャーノンが、村へ向かわせているんでしょうか」

「まだ、決めつけない」

 教授は立ち上がった。

 エレナが横顔を見る。

「慎重なんですね」

「研究者だもの」

「爆発しながら歌っていた方が?」

「それとこれは別!」

 エレナが笑った。

「その言葉、ザインもよく使います」

「やめろ」

 前から声が返った。

 洞窟の入口には、あの大岩が残っていた。

「これが、話していた岩?」

「ああ」

「誰が開けるの?」

 全員がニーナを見た。

「私が」

 ニーナは木槌をエレンへ預け、岩の縁へ手を掛けた。靴の位置を変え、腰を落とす。

 岩が軋んだ。

 ゆっくりと横へ動き、奥の暗がりが現れる。

 教授は岩とニーナを交互に見た。

「……ねえ」

「何ですか?」

「筋力測定、絶対に約束よ」

「はい。怪物を倒した後で」

 エレンが両手で木槌を返すと、ニーナは片手で受け取った。

 その時、岩の陰から小さな鼠が一匹走り出した。六人を見ると、すぐに奥へ引き返していく。

 教授の笑みが薄れた。

「行きましょう」

 ザインが先頭に立った。

「一列だ。俺の後ろにエレン。ニーナは真ん中、サラとエレナはその後ろについてくれ」

「私も前へ――」

「駄目だ。まずは、エレンのやることを見ろ」

 ニーナは少し迷ったが、頷いた。

 教授が射出器を肩へ担ぐ。

「私は?」

「後ろだ」

「射撃武器の位置としては、合理的ね」

「味方を撃つなよ」

「撃たないわよ!」

「黄色も使うなよ」

「持ってきてない!」

 エレンが振り返る。

「本当に?」

「……少しだけ」

「持ってるじゃん!」

 教授は瓶を鞄の奥へ押し込み、蓋を締めた。

 狭い入口を一人ずつ抜ける。ランタンの灯りが濡れた岩を照らし、少し進むと前と同じ獣臭さが鼻をついた。

 ザインが足を止めた。

 前方を三つの影が横切る。

「来ます」

 サラが弓へ手を添えた。

 鼠が一匹、こちらへ向きを変えた。

 乾いた音がした。

 小さな筒が前へ飛び、鼠の鼻先で弾ける。白い煙が膨らみ、鼠は跳び退いて背後の仲間とぶつかった。

 三匹がばらばらに散っていく。

「煙幕弾よ」

 教授は得意そうに射出器を引き戻した。

「結構使えるじゃない」

 エレンが驚く。

「『結構』?」

 教授の眉が上がった。

「すごく使えるでしょう!」

 煙の端から、別の鼠が出てきた。

 教授が青い筒を取り出す。

「これは麻酔――」

「待て」

 ザインが止めた。

「弾がもったいない。こいつらは俺とエレンでやる」

 青い筒が戻され、二人が前へ出る。

 その横の岩陰から、別の鼠が走り出した。

 ニーナの足元へ。

「下がれ!」

 ザインが声を上げた。

 だが、ニーナは木槌を振らなかった。

 腰の包みから何かを取り出し、鼠の鼻先を横切るように投げる。

 肉の切れ端が、通路の端へ落ちた。

 鼠が向きを変えた。その後ろの二匹も、肉へ飛びついていく。

 ニーナは木槌を胸元へ寄せ、三歩下がった。

 エレンが彼女の前へ入り、追ってきた一匹を払う。ザインも反対側を塞いだ。

 肉を奪い合っていた鼠が、包みを持つニーナへ顔を向ける。

 彼女は今度は、奥へ一切れ投げた。

 鼠がそちらへ走った。

「進みますか。それとも、戻りますか」

 ニーナが訊いた。

 ザインは鼠の向こうと帰り道を確かめ、剣を下げた。

「少し退いて、追ってくるか見る」

 六人が距離を取ると、鼠は肉を咥え、岩の隙間へ潜っていった。

「……何、それ」

 エレンがニーナの包みを指した。

「肉です」

「それは見れば分かるけど」

「家畜を食べるなら、こっちも食べるかと思って。この前は、逃げるだけでも大変そうでしたから」

 ニーナは残りを数え、包みを閉じた。

「食べている間なら、逃げられるでしょう?」

 ザインが彼女を見た。

「効かなかったら?」

「槌は、最後です」

 エレンが少し笑った。

「……力だけじゃないのね」

「だって、噛まれたくありませんもの」

 ニーナは何でもないように答え、包みを服の陰へ戻した。

 奥へ進むにつれ、鳴き声が増えていった。

 ニーナの持つ槌が、わずかに揺れている。

「怖い?」

 エレンが振り返った。

「はい」

「正直ね」

「エレンさんは、怖くないんですか?」

 エレンは前の暗がりを見た。

「怖いよ」

 ニーナが意外そうに顔を向ける。

「でも、怖いのと、動けないのは別かな。無理だと思ったら下がるし」

「……はい」

「それ、大事」

 ニーナは頷き、槌を握る位置を直した。

 エレンの後ろを、少しだけ確かな足取りで歩き始めた。

*

 大空洞は、前に来た時と変わらなかった。

 ランタンの光が届く範囲だけでも、床も岩も鼠に覆われている。壁を走るもの、仲間の背を踏むもの。幾重にも重なった鳴き声が、耳の奥へ響いた。

 ザインは空洞の入口を確かめ、剣先で左右を示した。

「ハンターシフトでいく。俺とエレンが前だ。真ん中は空ける」

 エレンが左へ出た。ザインは右へ寄り、二人の間に奥まで見通せる幅を残す。

「エレナは右。ニーナは左へ下がれ。横から来る奴を通すな。追う必要はねえ」

 エレナが細剣を構え、ニーナはエレンの斜め後ろで木槌を握った。

「サラと教授は、後ろの真ん中だ」

「射手の場所に、二人?」

 教授が訊いた。

「ああ。並んで入れ。前の四人で時間を作る。そっちは、狙う奴を見つけろ」

 サラが後方へ下がり、教授も横へ並んで射出器を構える。

 金属筒の先端が、サラの弓へ近づいた。

「……ちょっと、半歩ずれてくれる?」

「教授が、もう少し右へ寄れませんか?」

 二人は立ち位置を調整した。

 弓を上げても筒とぶつからず、前衛二人の間から空洞の奥まで見通せる。

 サラは足元を確かめた。ここからなら、周囲を見ながら待てる。

 教授は缶を開け、小瓶の中身を確かめた。

 独特の匂いが広がる。

「臭っ!」

 エレンが鼻を押さえた。

「これ、大丈夫なの?」

「この使い方なら、人間にはね」

「『には』って言った!」

 教授は薬を含ませた布を射出器の先へ取りつけた。

 低い音とともに、布が床へ滑る。

 間を置いて二つ目、三つ目。

 三枚は鼠の群れの手前に、三角形を描くように落ちた。

 しばらく何も変わらなかった。

 やがて近くの一匹が鼻を上げる。

 続いて、何匹も。

 布へ寄る群れと、そこから離れる群れがぶつかった。前へ出ようとしていた鼠が足を止め、後ろから押されたものが横へ流れていく。

 鳴き声が高くなった。

「サラ」

 右側から、エレナが声をかけた。

「まず、全体を」

「……うん」

 サラは弓を上げず、空洞を見た。

 一匹の背を追うと、隣の背に重なって消える。灰色を探そうとしても、同じ色の鼠はいくらでもいた。

 全部、見なくていい。

 サラは目の前の一匹から視線を離した。

 布を中心に、鼠が流れている。

 右へ逃げるもの。その反対へ走るもの。岩へ登ろうとして、仲間に押し戻されるもの。

 動いている鼠を一匹ずつ追うのではなく、群れ全体の流れを見る。

 右奥の岩の下で、鼠が一匹、頭を上げていた。

 灰色の毛。大きさは、ほかと大して違わない。

 布へ寄らない。押されても走り出さない。

 その一匹が横を向くと、近くの十数匹が同じ方へ顔を向けた。

 サラの指が、弓の握りを確かめる。

「いた」

 エレナが視線を動かした。

「どこですか?」

「右奥。岩の下」

 サラは指を差さず、ゆっくり弓を持ち上げた。

 灰色の鼠は、群れの動きを見ていた。布のある方へ鼻を向け、次いで、入口に並ぶ六人を見る。

 教授が、サラの弓の向く先へ目を凝らした。

「……アルジャーノン」

 その声が届いたのか、灰色の鼠がこちらを向いた。

 黒い目が、教授の方で止まる。

「本当に、あの鼠なの?」

 エレンが訊いた。

 教授は答えなかった。

 灰色の鼠が、短く鳴いた。

 乱れていた群れの一角が止まる。

 岩の上でも、床でも、鼠が向きを変えた。

 六人へ。

「来るぞ!」

 ザインが曲刀を構える。

 エレンが斧を引き、エレナの細剣がランタンの灯りを拾った。教授も射出器へ次の筒を込める。

 ニーナは木槌を両手で握った。

「ニーナ。前へ出すぎるな」

「はい」

 黒い波が床を覆って迫った。

「アルジャーノンだけを狙って!」

 教授が叫ぶ。

「言われなくても、そうする!」

 ザインが前へ出た。

 その肩越しに、サラは右奥の一点を見ていた。

 群れが動いても、もう同じ灰色には見えなかった。

 矢をつがえ、弦を引く。

 足元で床を蹴る音が重なった。エレンの斧が風を切る。

 サラは弓を動かさなかった。

 一匹だけ。

 灰色の頭が上がる。

 その瞬間、指を離した。

 

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