Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

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第16話 港町ヤーマス

 ピドナの朝は早い。

 パン屋が窯を開ける頃には、通りを荷車が行き交っている。窓の下から届く車輪の音を聞きながら、トーマスは帳簿の同じ行を、もう一度指でなぞった。

「……合わないな」

 向かいに座った親戚の商館の手代が、顔を上げる。

「計算違いですか?」

「それなら、よかったのですが」

 トーマスは卓にもう一枚の紙を並べた。

「ヤーマスから届く染料が、三か月続けて減っています」

「値上がりしていますからね。買い控えでしょう」

「注文も減っています。ただ、それ以上に届いていない」

 注文控えには百樽、船荷の受取書には八十樽。足りない二十樽の欄には『後日納入』と記されていた。翌月も、その翌月も同じだった。

「向こうでは、どれだけ積んだことになっているんです?」

「そこを確かめたいんです。ヤーマスから届いた出荷案内では、これほど減っていません」

 トーマスは別の帳簿を開いた。

 鉄材、酒、薬草。品物も取引先も違うのに、不足分を後へ回している点はよく似ていた。

「海賊でしょうか」

「それなら、被害を受けた船の話がもっと出るはずです。少なくとも、ここにある書類にはありません」

「では、どこへ?」

「分かりません」

 トーマスは紙の端を揃え、必要な箇所を写し取った。

「だから、見に行きます」

*

 その日の昼、トーマスは旧市街へ足を運んだ。

 ミューズの家の前では、子供たちが地面に線を引いて遊んでいる。戸口にいたシャールへ挨拶すると、奥から明るい声が返ってきた。

「トーマスさん。どうぞ、お入りになって」

 ミューズは窓辺の椅子に座っていた。編んだ銀紫の髪には、小さな花が一輪挿してある。以前のように膝へ毛布を掛けてはいなかった。

 代わりに、卓の上に一本の木の棒が置かれている。

「……そちらは?」

「杖です」

「訓練用です」

 シャールが横から言った。

「歩く時にも使えますわ」

「先ほどは、振っておられました」

「少しだけです」

 ミューズは微笑んだが、シャールは笑わなかった。

 トーマスは、どちらにも頷かないことにした。

「お身体の具合はいかがですか」

「おかげさまで。今日は裏庭を二周できましたのよ」

「二周で、お休みいただきました」

「シャールが三周目で入口に立ってしまうものですから」

「休んでいただくためです」

「ええ。ですから、今は座っていますでしょう?」

 ミューズは椅子の背に行儀よく身体を預けた。言葉だけなら、彼女の方に分がありそうだった。

 トーマスは椅子を借り、ヤーマスへ向かうことを伝えた。

「取引の記録に、少し気になるところがありまして」

「またお仕事ですの?」

「今回は確認です」

「トーマスさんの『確認』は、いつもお忙しそうですね」

「帳簿を見て、話を聞くだけですよ」

 ミューズとシャールが、揃って彼を見た。

「……何ですか」

「いいえ。お気をつけて、と思いまして」

 ミューズは笑いながら立ち上がり、茶器へ手を伸ばした。だが、シャールが先に盆を取る。

「私が」

「では、お願いするわ」

 素直に任せたあとで、彼女の手が木の棒へ伸びた。

「ミューズ様」

「立ったついでに、一度だけ。足の運びを忘れないうちに」

 シャールは盆を置き、周囲に物がないことを確かめた。

「では、ゆっくりと。肩に力を入れずに」

 ミューズが左足を引く。棒の先が窓辺を離れ、腰の動きに合わせてまっすぐ前へ出た。

 力強い動きではない。それでも、途中で先端がぶれなかったことは、槍を使うトーマスにも分かった。

 シャールが何か言いかけ、口を閉じた。

「……今の足運びは、どちらで?」

「昨日、あなたが見せてくれたでしょう」

「一度だけです」

「ええ。腕から動かすと、足が残ってしまうのでしょう?」

 ミューズは同じ位置へ足を戻し、もう一度棒を動かした。今度も先端はすっと止まった。

 だが、その直後に小さく息をつく。棒を支える指に力が入り、シャールがすぐに椅子を引いた。

「今日は、ここまでにしましょう」

「……はい」

 腰を下ろすと、さすがに言い返さなかった。

 トーマスがシャールを見ると、彼は受け取った棒の先をしばらく見つめ、それから壁へ立て掛けた。

「ずいぶん、覚えるのがお早いですね」

「見ている時間は、たくさんありましたもの」

 ミューズは両手を膝に重ねた。

「でも、身体を動かすのは別ですのね。もう少しできると思ってしまって」

「少しずつで結構です」

 今度のシャールの声は、幾分柔らかかった。

 茶を淹れる間、トーマスは窓の下に置かれた浅い皿に気づいた。砂が薄く敷かれ、小石が三つ並んでいる。

「それも、訓練ですか?」

「白虎術を教わっていますの」

「白虎術?」

「近所に使える方がいらっしゃって。お話を伺ったら、基礎だけなら、と」

 ミューズは少し嬉しそうに皿を引き寄せた。

「呼吸を整えて、力を通すところからです。こちらは座ったままでもできますから」

「疲れることに変わりはありません」

「分かっているわ。今日は、もうしません」

 そう言って、皿には触れず、両手を膝へ戻した。

 シャールが茶を置くと、ミューズはその湯気を眺めながら微笑んだ。

「教えていただきたいことが、ずいぶん増えてしまいました」

 トーマスは茶碗を取り上げた。

「戻ってきた時のお話が、楽しみですね」

「ええ。トーマスさんも、帳簿だけでは済まなかった時は教えてくださいな」

「帳簿だけで済ませるつもりですが」

 今度はシャールも、わずかに口元を緩めた。

*

 翌朝、西門へ向かう途中で、トーマスは名前を呼ばれた。

「おーい、トーマス!」

 人混みの向こうから、明るい緑色の髪が見えた。

 肩に旅袋を掛けたユリアンが、片手を上げて近づいてくる。

「ユリアン。ピドナに来ていたのですね」

「昨日な。お前のところへ行こうと思ってたんだ」

 外套の裾には街道の土が残り、背負った袋には食器がぶら下がっていた。

「今度は、どちらを?」

「街道沿いをあちこち。途中で荷運びも手伝った」

「旅費は稼いでいるんですね」

「そこ、最初に確かめる?」

「大事でしょう」

 ユリアンはトーマスの旅装を見た。

「お前も出かけるのか」

「ヤーマスへ。少し調べ物です」

「じゃあ、俺も行こうかな」

「ずいぶん早いですね、決めるのが」

「次、どこ行こうかと思ってたところだし。海も見たい」

「仕事ですよ」

「分かってるって。邪魔はしないから」

 トーマスは少し考えた。

「では、宿代と食事代は各自で」

「お前までザインみたいなこと言うなよ」

「ザインさんなら、護衛料の話から始まります」

「……確かに」

 二人は顔を見合わせ、笑った。

 門の前でユリアンが旅袋を担ぎ直す。トーマスも、書類の入った鞄の留め具を締めた。

 ヤーマスへ続く街道を、二人で歩き始める。

 シノンにいた頃なら、珍しくもない組み合わせだった。だが、今はユリアンが休むたびに剣を確かめ、トーマスは宿へ着くたびに書類を広げる。

 二日目の夜も、街道宿の食堂で食事を終えると、トーマスの前には紙が並んだ。

「なあ。旅してても帳簿見るの?」

「見るために来ていますから」

「楽しい?」

「面白いですよ」

「本当に?」

 トーマスは一枚の紙を、卓の真ん中へ滑らせた。

「例えば、同じ重さ、同じ等級の鉄材です。ピドナとヤーマスで、一束につき十二オーラムの差がある」

「うん」

「輸送費や途中の手数料を見込んでも、普段なら七、八オーラムほどです」

「うん」

「残りの四、五オーラムは、どこから来たのでしょう」

 ユリアンは紙を見つめ、しばらくしてからトーマスを見た。

「……誰かが、余計に取ってる?」

「あるいは、こちらで品薄になっているのか。運ぶための別の費用が増えたのか」

「それを調べるんだ」

「ええ。面白くありませんか?」

「悪いけど、今のところ全然」

「そうですか」

 トーマスは紙を引き戻した。

 ユリアンが空になった皿を重ねる。

「ザインなら食いつくかな」

「四オーラムなら、確実に」

「だよな」

 笑いながら、ユリアンが椅子を寄せた。

「で、どこまで分かってるんだ?」

「興味がないのでは?」

「お前が何しに行くかくらいは、聞いとくよ」

 トーマスは鞄へ戻しかけた地図を、もう一度広げた。

*

 三日目の午後、街道の先から潮の匂いが届いた。

 丘を越えると、青い海と幾重にも並ぶ船の帆柱が見えた。石造りの街は斜面を下り、倉庫の屋根が埠頭に沿って続いている。

「おお……!」

 ユリアンが足を止めた。

「船、多いな」

「荷を降ろす順番を待っている船もありますね」

「お前、まずそこを見るのか」

 坂を下りるにつれ、荷役人の声が聞こえてきた。

 港では樽を積んだ荷車が道を塞ぎ、その横を籠を担いだ女が器用にすり抜けていく。

 ユリアンは行き交う荷物を避けながら、倉庫の壁を見上げた。

「なあ。あの印、さっきもなかった?」

 黒い犬を模した紋章だった。倉庫の扉だけでなく、荷車の側面にも、通りの先の看板にも同じものがある。

「ドフォーレ商会です」

「有名?」

「かなり」

「いい意味で?」

 トーマスは荷車が通り過ぎるのを待ってから答えた。

「大きい、という意味では」

「なるほど」

 ユリアンにも、それで伝わった。

 港近くの宿に荷物を預けると、トーマスはすぐに取引所へ向かった。

 紹介状を見せ、閲覧できる記録を借りる。持参した控えと船名、日付、荷の数を照らし合わせ、必要な箇所を書き留めていった。

 ユリアンは最初こそ隣にいたが、三十分ほどで窓の外を見る回数が増えた。

「ちょっと、街を見てきていい?」

「どうぞ。夕方には宿へ来てくださいね」

「危ないことはしないから」

「それは僕ではなく、自分に言ってください」

「信用ないなあ」

「ありますよ」

 ユリアンが振り返る。

「困っている人を見たら、放っておけないでしょう」

「……それ、止める気ないだろ」

「戻ってこられなくなる前に、誰かを呼んでくださいね」

 トーマスは記録へ目を戻した。

 ユリアンは何か言いたそうな顔をしたあと、片手を上げて出ていった。

*

 市場は、歩くだけでも面白かった。

 氷の上に並ぶ魚、籠いっぱいの果物。聞いたこともない名の香辛料を、店の女がひとつまみ嗅がせてくれる。

 ユリアンがくしゃみをすると、女は声を上げて笑った。

 林檎を一つ買い、釣り銭を受け取ったところで、路地の方から怒鳴り声が聞こえた。

「払えねえなら、店を畳めって言ってんだ!」

 三人の男が、小さな店の主人を囲んでいた。一人は入口を塞ぎ、別の一人は店先の木箱へ足を乗せている。

「今月の分は、もう払った!」

「それは場所代だ」

「今度は何だ!」

「警備代」

「そんなもの、頼んでない!」

「頼まれなくても、俺たちが守ってやってるんだろうが」

 ユリアンは林檎を持ったまま立ち止まった。

 危ないことはしない。つい先ほど、そう言ったばかりだった。

「おい」

 口の方が先に動いていた。

 三人が振り返る。

「何だ、てめえ」

「その人、払ったって言ってるけど」

 林檎を買った店の女が、そっと商品を奥へ引っ込めた。通りを歩いていた人たちも、目を逸らしながら距離を取る。

 男の一人が袖をまくった。

「よそ者か。だったら教えてやるよ。ヤーマスじゃ、余計なことに首を突っ込まねえ方が――」

 拳が飛んできた。

 ユリアンが半歩下がると、拳が鼻先を通り過ぎる。

「――いいんだよ!」

「最後まで言うんだな」

 二人目が棒を振り上げた。

 ユリアンは林檎を近くの空箱へ置き、棒が振り下ろされる前に懐へ入った。柄を握る腕を押さえて足を払い、男を背中から石畳へ転がす。

「てめえ!」

 三人目の手に、短剣が光った。

 ユリアンの顔から笑いが消えた。背後には、まだ店の主人がいる。

「それは駄目だろ」

 剣を抜き、踏み込んできた短剣を斜めに受ける。刃を外へ流しながら手首を返すと、短剣は石畳へ落ちた。

 靴底で蹴り、男の手が届かないところへ滑らせる。

「まだやる?」

 三人は互いの顔を見た。

「覚えてろ!」

 転んだ男を引き起こし、路地の向こうへ逃げていった。

 ユリアンは息を吐き、剣を納めた。林檎を取り上げ、袖でこする。

「いや、よくやった!」

 頭上から声がした。

 見上げると、屋根に一人の男が立っていた。

 丸々と太った大柄な男だった。立派な口髭を蓄え、目元には青い仮面。額に大きな「R」の文字が入った濃紺の帽子をかぶっている。

 金のボタンが並ぶ上着に長いマントを羽織り、細身の剣を颯爽と構えていた。

「誰?」

「弱きを助け、悪を挫く!」

 男は胸を張った。

「怪傑ロビン、参上!」

 通りにざわめきが広がる。

「ロビンだ!」

「本当だ、ロビンが来た!」

 歓声を浴びながら、男は屋根から飛び降りた。

 右足を強く踏み込み、腹を少し揺らして着地する。

 ユリアンは林檎を握ったまま、しばらく見つめた。

「……いや。今の、俺が全部やったよね?」

「細かいことは気にするな!」

「細かくないよ!」

 ロビンは高らかに笑い、逃げた男たちの方を指した。

「悪党どもよ! この街で好き勝手ができると思うな!」

「もういないけど!」

 店の主人が笑った。通りにも、ようやく笑い声が戻ってくる。

 ロビンは仮面の下からユリアンを見て、短く頷いた。

「助太刀、感謝する!」

「だから、逆だって!」

 返事を待たず、怪傑は人垣の向こうへ走り去った。

 残されたユリアンの前で、店の主人が頭を下げる。

「ありがとう。本当に助かった」

「ああ、うん。怪我は?」

「ないよ。あんたも気をつけてくれ」

 主人は笑うのをやめ、男たちが消えた路地を見た。

「あいつら、ドフォーレの人間だから」

 ユリアンは林檎をかじる前に、そちらを振り返った。

*

 夕方、宿の部屋へ戻ると、卓が紙で埋まっていた。

「おかえりなさい」

「ただいま」

「何かありました?」

「何で?」

 トーマスが顔を上げる。

「顔に書いてあります」

「……やっぱり?」

 ユリアンは椅子へ座り、市場の一件を話した。

 トーマスは途中で眼鏡を外したが、話を遮らなかった。

「店の人に、怪我は?」

「なかった」

「それはよかった」

「あと、ロビンって奴が出た」

 眼鏡を拭く手が止まる。

「ロビン?」

「知ってる?」

「噂だけは」

「仮面をしてた」

「そうでしょうね」

「屋根から出てきた」

「そうでしょうね」

「俺が全部終わらせた後に」

「……それは知りません」

 ユリアンは背もたれへ身体を預けた。

「そっちは?」

 トーマスは眼鏡をかけ直し、卓の紙を三枚選んだ。

「ピドナで待っている荷物の一部が、ここでは別の相手に売られたことになっています」

「途中で売り先を変えた?」

「その可能性はあります。こちらの控えでは、ピドナ向けの注文はまだ取り消されていませんが」

「誰に売ったんだ?」

「小さな商会がいくつか。ただ、所在を確かめると妙なことが分かりました」

 トーマスは写した店名の横を指した。

「すでに廃業しているんです。半年以内に、これだけ」

「全部?」

「今日、確認できた範囲では」

 ユリアンが椅子を寄せる。

「廃業する前に買ったんじゃないのか」

「それも確かめます。取引の日付と、店を閉めた日が必要です」

 別の紙には、倉庫の住所が並んでいた。

「そして、その店が使っていた倉庫は、今はドフォーレ商会のものです」

「……黒いな」

「まだです」

「黒いだろ」

「買い取っただけなら、不正ではありません。代金を払えなくなった店の荷を、引き取った可能性もある」

「お前、思ってないだろ」

「確かめずに決めるわけにはいきません」

 トーマスは紙に、確認すべき日付を書き足した。

「記録だけでは分からないこともあります。元の店主や、荷を扱った人の話を聞きたい」

「それなら、俺も手伝えるな」

 ユリアンが立ち上がった。

「市場の人に、飯のうまい酒場を教えてもらったんだ。船乗りも来るって」

「ちょうどいいですね」

「一つだけ約束してくれ」

「何でしょう」

「飯が来たら、帳簿はしまってほしい」

 トーマスは卓の上を見た。

「……それは、失礼しました」

 港近くの酒場は、仕事を終えた人々で混み合っていた。

 焼き魚と煮豆を頼み、空いていた卓につく。トーマスが店の名を挙げると、給仕は「あそこなら閉めたよ」と答えた。

「いつ頃でしょう」

「先月の終わりだったかな。詳しいことなら、倉庫にいた連中の方が知ってる」

 トーマスは礼を言った。

 料理が置かれたので、手帳は膝の上へ戻す。

 向かいでユリアンが満足そうに頷いた。

 隣の卓から声が聞こえたのは、その時だった。

「聞いたか。またロビンが出たらしいぞ」

「市場だろ? ドフォーレの連中を追っ払ったって」

 ユリアンが酒にむせた。

「俺だよ!」

 トーマスが、その口を手で塞いだ。

「静かに。聞きましょう」

 ユリアンは不満げに眉を寄せたが、頷いた。手が離れると、小声で付け加える。

「本当に、俺なんだけど」

「知っています」

 隣の卓では、男たちが声を落としていた。

「ロビンも、よくやるよな。あいつらに目をつけられて」

「あれぐらいやってくれる奴がいなきゃ、やってられねえさ」

「しかし最近、変じゃねえか?」

「何が」

「前より太ったり、痩せたりしてないか」

「飲んだ量で、お前の目が変わるんだろ」

 笑い声が起こった。

 トーマスは杯を置く。

「昼に会った人は、どんな体格でした?」

「結構、がっしりしてた。いや、がっしりというか――」

 その時、酒場の扉が開き、外の声が流れ込んできた。

「ロビンだ!」

 何人もの客が立ち上がる。

 ユリアンは魚を飲み込み、トーマスと一緒に表へ出た。

 通りの向かいの屋根に、濃紺の帽子と目元の仮面が見えた。昼間と同じように片手を掲げ、歓声に応えている。

「あいつだ」

 ユリアンが言った。

 ロビンは屋根の縁を蹴ると、庇へ一度足を掛け、身を翻して通りへ降りた。

 細身の身体が、軽く膝を曲げて止まる。

 ユリアンの眉が寄った。

「……あれ?」

「昼と同じ人ですか?」

「服は、同じだと思う」

 だが、腹のあたりが違う。

 昼間はもっと丸く、着地した時には右足で強く踏ん張っていた。

 今、先に地面へ触れたのは左足だった。続く一歩も軽い。

「二人いる?」

 ユリアンが呟く。

 ロビンは人々へ手を振り、路地へ駆け込んだ。すぐに姿が見えなくなる。

「追うか?」

「いいえ。今は、こちらの調べ物を」

 トーマスは港の方へ目を向けた。

 暮れ残る空の下に、倉庫の屋根が並んでいる。昼に写した住所の一つも、あの中にあった。

「明日は、店を閉めた人を探しましょう。荷物を受け取ったのか、どうして倉庫を手放したのか。本人に聞きたい」

「分かった。俺も一緒に行く」

「退屈かもしれませんよ」

「今日みたいなのを見た後じゃ、帳簿の話も少しは気になる」

 ユリアンは酒場を振り返った。

「その前に、飯の続きだな」

「ええ。冷めてしまいます」

 二人は人垣を抜け、店へ戻った。

*

 港の外れの倉庫では、市場から逃げ帰った男が机の前に立っていた。

「またロビンか」

「いえ。剣を持った旅人です。若い緑髪の男です」

「一人か?」

「連れがいます。眼鏡をかけた、商人らしい男です」

 机の向こうで、帳簿をめくる手が止まった。

「商人?」

「取引所で記録を調べていたそうです。ピドナから来たと」

 返事はなかった。

 男は落ち着かず、擦りむいた手の甲を外套の陰へ隠した。

 机には、倉庫の譲渡証書が何通も積まれていた。その上へ、閉じた帳簿が置かれる。

「調べろ」

「剣の方ですか?」

「眼鏡の方だ。何を見ていたのか、誰と会ったのか。宿も確かめておけ」

 男が頭を下げ、部屋を出ていく。

 港ではまだ、怪傑を讃える酔客の声が響いていた。

 

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