Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
ファルスの港へ近づくにつれて、船の上から見える景色が変わっていった。
最初に気づいたのはユリアンだった。
「船、多くないか?」
トーマスも船縁から港を見る。
港の入口には帆柱が重なっていた。だが、荷を待つ商船の列とは様子が違う。
帆を畳んだ小型船が岸壁の奥へ押し込められ、代わりに軍用の輸送船が何隻も係留されている。荷揚げ場では木箱を抱えた男たちが走り、その横を槍を持った兵士が通っていく。
港に降りると、さらに露骨だった。
「干し肉、また値上がりだ!」
「昨日より二割高いぞ!」
「軍がまとめて買ってるんだ、こっちに言うな!」
商人同士の怒鳴り声が飛び交う。
トーマスは足を止めた。
「……二割」
「そこ気になる?」
「気になります」
通りへ入ると、木材や縄の値札にも新しい数字が重ねて書かれていた。倉庫の軒先には軍の荷が溢れ、商人の荷車が道を塞いでいる。
ユリアンが兵の列を目で追う隣で、トーマスは干し肉の値札をもう一度見た。
「始まってますね」
「まだ戦ってないんだろ?」
「戦場では、でしょうね」
トーマスは荷揚げされる樽を見た。
「町はもう始まっています」
二人がファルスへ来た目的は、戦争ではない。
ファルス造船。
かつてクレメンス・クラウディウスを中心とした商業網に加わっていた会社の一つを調べるためだった。
ところが、その造船所へ向かう途中で二人は立ち止まることになった。
広場に大きな立て札があった。
『傭兵募集』
その前に長い列ができている。
ユリアンが嫌そうな顔をした。
「出発前に見た紙と同じだ」
「ええ」
「見なかったことにする?」
「僕たちは造船所へ来たんです」
「だよな」
二人は列を横切った。
そのまま十歩ほど歩いた。
「そこの二人!」
呼び止められた。
ユリアンが目を閉じた。
「ほら」
「僕のせいじゃありませんよ」
振り返ると、軍装の男がこちらへ歩いてくる。
視線はユリアンの腰の剣に向いていた。
「傭兵志願か?」
「違います」
トーマスが答えた。
「商人です」
男はトーマスを見る。
次にユリアンを見る。
もう一度トーマスを見る。
「……商人?」
「商人です」
「そっちは?」
「俺?」
ユリアンは自分を指した。
「旅人……かな」
「剣を持った?」
「まあ」
「腕は?」
「普通」
トーマスが横を見る。
「普通ではないでしょう」
「ザインとか見てると普通だろ」
「比較対象がおかしいんです」
軍人が眉間を押さえた。
「とにかく、戦えるなら来い。人手が足りん」
「お断りします」
「報酬は出す」
「いくらです?」
「トーマス?」
ユリアンが振り向いた。
トーマスは咳払いした。
「参考までにです」
*
結局、二人は造船所へ行った。
傭兵にはならなかった。
報酬だけを聞いたので、募集役には最後まで怪訝な顔をされた。
ファルス造船は港の北側にあった。
大きな船台が三本並び、そのうち二本では船が建造されている。
しかし、トーマスはすぐに違和感を覚えた。
「商船じゃない」
造船所の主人が苦い顔をした。
「分かるのか」
「荷を積む場所に、ずいぶん座席を設けていますね。人を運ぶ船ですか」
「兵隊をな。そっちの細いのは、連絡用だ」
「軍からの注文ですか?」
「ああ」
主人はため息をついた。
「儲かってるよ。笑えるくらいにな」
その顔は、まったく笑っていなかった。
軍の注文書には、急ぎの仕事への割増まで記されていた。前金も入っているという。
だが、主人が示した修理待ちの一覧は、それより長かった。
「でも、民間船が作れない」
トーマスが言った。
主人が頷いた。
「三か月待ちだ。漁師の船も、商船の修理も後回し。今は軍の船を作れと言われる」
「断れない?」
「断ったら徴用されるかもしれん」
トーマスは黙った。
船台の外に、小さな漁船が置かれていた。船腹に空いた穴へ、雨除けの布が掛けてある。
「あれは?」
「板を替えれば出せる。だが、その職人をこっちへ回せと言われた」
仕事が増えた造船所の隣で、漁へ出られない船が待っていた。
「クラウディウスという名前に覚えは?」
主人の顔が変わった。
「ああ」
奥から古い帳簿を持ってきた。
何冊かめくったところで、例の印が現れた。
クラウディウス。
「昔はピドナからも仕事が来た。こっちから船を出して、帰りに商品を積む。スタンレーの陶器もよく運んだ」
トーマスが顔を上げる。
「スタンレー?」
「ああ」
主人は何でもないことのように言った。
「向こうの焼き物は丈夫だからな」
今、ファルスが戦おうとしている町だった。
「今は?」
「止まってるよ」
「全部?」
「ほぼな」
「いつからです?」
主人は少し考えた。
「揉め始めてからだから……半年くらいか」
「戦争になる前から?」
「ああ」
「昔の取引について、明日もう少し伺っても?」
「朝なら構わん。修理の手が空いたところで話そう」
トーマスは帳簿へ目を落とした。
陶器を運んだ記録の後には、別の港への便が記されていた。運送そのものをやめたわけではない。スタンレーへの道だけが、帳簿から消えていた。
*
宿へ戻ったのは夕方だった。
トーマスは机いっぱいに紙を広げていた。
ユリアンはベッドに寝転がっている。
「なあ」
「はい」
「俺たち、会社を買いに来たんだよな?」
「正確には調査です」
「なんで兵隊が食う干し肉まで調べてるんだ?」
トーマスの手が止まった。
「人数が増えれば、町で買える分が減ります。どのくらい続くのか、分からなくて」
「戦争好きだった?」
「嫌いですよ」
即答だった。
「じゃあ、何でそこまで調べるんだ?」
「分からないからです」
卓には、造船所で聞いた話と、港の商人から教わった話が別々に書かれていた。
街道の通行料。農地の境界。水路の使用。
一つを尋ねると、別の揉め事が出てくる。
「こっちでは、スタンレーが先に荷を止めたと言っています。でも、向こうから来た商人は、その前に港の税を上げられたと言っていました」
「どっちが先なんだ?」
「まだ、分かりません」
「先にやられた方が、やり返してるつもりなのか」
トーマスは頷いた。
「少なくとも、話を聞いた人たちは」
ユリアンは寝台から起き上がった。
「でも、さっきの船大工が決めたわけじゃないよな」
「ええ」
窓の下を、槍を担いだ男が通った。後ろから子供が駆け寄り、服の裾を掴んだ。
男はしゃがんで何か言い、それから子供の手を外した。
「ザインなら、どうするかな」
ユリアンが言った。
「まず、何のために戦うのか聞くでしょうね」
「金の話もな」
「確かに」
二人は少し笑った。だが、窓の下の男はもう振り返らずに歩いていた。
トーマスは紙へ目を戻した。町に残る食料も、待たされている船も、明日にはまた変わる。
調べれば事情は増えた。それで、どちらの兵へ槍を向ければいいか分かるわけではなかった。
窓の外から鐘が鳴った。
短い間を置いて、三度。
続いて、町のあちこちから声が上がった。
ユリアンが立つ。
「何だ?」
トーマスも窓へ向かった。
通りを兵士が走っている。
「スタンレー軍が動いたぞ!」
誰かが叫んだ。
「明朝、出陣だ!」
戦争が始まる。
*
その夜、造船所の主人が若い職人を連れて訪ねてきた。
「明日来てもらう約束だったが、しばらく無理になった」
主人は、出陣する職人たちへ持たせる水袋を抱えていた。
「明日の修理は、取りやめだ。若いのを何人か出せと言われた」
「船を作る人手も足りないのに?」
「船を急がせる役人と、人を集める役人が別なんだ。こっちが説明しても、話が通らん」
昼に板を削っていた若者が、主人の後ろにいた。借りた革鎧の紐を、何度も結び直している。
「親方、これでいいですか」
「緩い。走ったらずれるぞ」
主人が水袋を置いて、紐を締め直した。
トーマスはその手元を見ていた。
*
翌朝、二人は募集の広場にいた。
「昨日、断ったよな」
ユリアンが言った。
「ええ」
「今日は、何を引き受けるんだ?」
「まず、後方の荷と負傷者を運ぶ人手が要るか、聞きます」
トーマスは広場の端を見た。荷車に水樽を積む列の隣で、兵へ槍が渡されている。
「剣を持って敵陣へ行く仕事とは、分けて頼めないかと」
「後ろにいたって、敵が来たら戦うぞ」
「分かっています」
ユリアンは返事をせず、しばらく彼を見ていた。
「造船所が心配だから?」
「それもあります」
「ほかは?」
トーマスは、昨夜の若者を探した。列の中にいた。革鎧の紐は、きちんと結ばれている。
「何もできないまま、帰りを待つのが嫌なんです」
口にすると、自分の都合でもあると分かった。
「でも、ユリアンまで付き合う必要は――」
「俺が決めるよ」
ユリアンは腰の剣を直した。
「怪我人を運ぶなら手伝う。あいつらが戻ってくる場所は、要るだろ」
トーマスは頷いた。
募集役は、昨日の二人だと気づくと眉を上げた。
「商人じゃなかったのか」
「商人です。荷の手配と、後方の護衛なら」
男は一度断りかけたが、水樽の前で止まっている荷車を見て、手元の紙をめくった。
「ちょうどいい。補給の列へ回れ。だが、戦場へ出る以上、安全は約束せんぞ」
「はい」
日当と仕事の範囲を確かめてから、トーマスは署名した。ユリアンも隣で名を書いた。
男が指した先で、荷車の車輪が石に引っ掛かっていた。
二人は鞄を背負い直し、まずそれを押しに行った。
*
ファルス軍は四千。スタンレー軍は、それより少ないと聞かされていた。
正面の丘にはスタンレーの旗が並び、左手には林、右手には湿地が広がっている。
兵数では勝っていても、丘へ向かう道は狭い。一度に前へ出られる兵の数には限りがあった。
トーマスは後方の荷車を街道脇へ寄せさせた。左の林に沿って、踏み固められた小道が一本延びている。
「もう少し前へ出せるか」
騎乗した男が訊いた。周囲の兵が道を空ける。部隊をまとめる指揮官だった。
トーマスは前方を見た。
「今、荷車まで入れると、戻ってくる人が通れません。あの二隊も、同じ道を使うのでは?」
男は手元の配置図を開いた。
「交代の兵だ。正面が狭い。数が多くても、並べられん」
「でしたら、出る側と戻る側を分けられませんか」
トーマスは、林沿いの小道を指した。
「戻る兵は、あちらへ。荷車は街道脇に寄せて、道を空けます」
指揮官は部下を呼び、足場を確かめさせた。
「車は無理だが、人なら通れます」
「よし。戻る兵はこちらだ。列を見失わせるな」
旗を持った兵が走っていった。
トーマスは自分の帳面へ、水と担架を置く場所を書き足した。兵の交代をどう行うかは、男が部下へ細かく命じている。
荷車の道を空けるだけでは、兵は入れ替わらない。前の者が退く間に、次の者が盾を構える。その合図まで、決まっていた。
「商人」
呼ばれて顔を上げる。
「ここで戻る兵を数えろ。水が足りん時も、すぐ知らせろ」
「分かりました」
ユリアンが担架を置いて戻ってきた。
「戦い方まで決めたのかと思った」
「道の話です。そこまでは、僕にも分かります」
トーマスは前方を見た。旗の下を、最初の部隊が進んでいく。
*
戦いが始まった。
最初に動いたのはスタンレーだった。
丘を下るように中央部隊が前進する。
ファルス軍も応じた。
槍がぶつかり、土煙が上がった。怒号の中に、盾を打つ金属音が混じる。
最初の負傷者が運ばれてきた時、トーマスは帳面を置いた。
腕を押さえた兵が、担架を待たずに歩いてくる。指の間から血が落ちていた。
「ここへ。座れますか」
布を渡すと、兵はそれを握ったまま、何度も同じ方向を見た。
「まだ、弟が……」
トーマスも前を見た。土煙の向こうには、同じ色の服がいくつも動いている。
誰がその弟なのか、分からなかった。
「右翼、押されている!」
伝令が駆け込んだ。
指揮官が配置図へ目を落とす。トーマスは水袋を渡しながら、丘の下を見た。
スタンレーの旗が一つ、中央から横へ動いていた。
指揮官はすぐ側の兵へ確認を命じた。
報告が返る。中央の兵が、ファルスの右翼へ回っている。
「予備を中央へ。右翼は一列下げて、交代だ」
指揮官が命じた。
「追わせるな。丘の下で止めろ」
伝令が走る。休んでいた兵が立ち上がり、盾を持ち直した。
新しい部隊が中央へ出ると、スタンレーの列が少し後ろへ動いた。
「下がったぞ!」
歓声が上がった。
その声に押されるように、ファルスの一隊が走った。
トーマスは顔を上げた。止まるはずの位置を、旗が越えている。
「戻れ!」
指揮官が叫び、伝令を出した。
だが、丘の陰から別の旗が現れる方が早かった。
スタンレーの予備隊が、突出した部隊の横へ回り込む。
並んでいた盾がばらけた。人の流れが逆になり、今度は斜面を駆け下りてくる。
先ほど下がったスタンレー兵も、再び前へ出ていた。
誘い出された。
トーマスにも、それだけは分かった。
「退く兵を受けろ! 予備隊、前へ!」
指揮官の声が飛ぶ。
ユリアンは剣を抜いた。迎えに出る兵の列へ加わろうとして、トーマスを振り返る。
「こっちの道、空けといてくれ!」
「ユリアン――」
「戻るから!」
彼は走り出した。
トーマスは足元を見た。水袋が道の真ん中に落ちている。
拾い上げ、脇へ寄せた。
*
ユリアンは斜面を駆け上がった。
逃げてくるファルス兵とすれ違う。
「下がれ!」
「囲まれるぞ!」
一人の若い兵士が転んだ。
ユリアンは腕を掴んで立たせる。
「走れ!」
「でも――」
「後ろへ!」
前からスタンレー兵が来る。
振り下ろされた剣を受ける。重かった。
二撃目は斜めに流し、相手が構え直す前に懐へ入る。剣の腹を肩へ叩きつけると、男がよろめいた。
「今だ、下がれ!」
若い兵を背後へ押しやり、次に迫った槍へ向き直る。
ヤーマスで掴みかけた《かすみ二段》の足運びが、浮かんだ。
一度、右へ踏み込むふりをする。槍先がそちらを追ったところで、逆へ入った。
刃を振り抜く間合いを、さらに詰める。柄を胸へ打ち込み、相手がよろめく間に、足元で倒れていた別の兵を引き起こした。
勝ち切るために足を止めれば、また後ろの誰かが取り残される。
「ユリアン!」
後方から声がする。
道の入口で、トーマスが布を振っていた。
「左へ!」
林の手前に、交代のために空けた道が見える。盾を構えた味方が、その口を守っていた。
ユリアンの隣の兵が、同じ指示を大声で繰り返した。
ユリアンは理解した。
「聞こえたか! 林沿いに下がれ!」
呼び掛けに振り向いた者が、肩を貸し合って道へ入っていく。
ユリアンは最後尾へ回った。追ってきた槍を払い、二歩下がる。すぐ隣で味方の盾が上がり、ようやく息をつけた。
*
トーマスは担架の端を持ち、負傷者を道の脇へ運んだ。
降ろしてからも、手が震えていた。
旗が下がった時、うまくいったと思った。
その先に、別の兵が待っているとは考えもしなかった。
「商人。戻った兵は?」
指揮官に訊かれ、トーマスは手元の紙を見た。
同じ兵を二度数えたかもしれない。担架を運んでいる間に、何人通ったかも分からなかった。
「正確には……すみません」
男はすぐ別の兵へ人数の確認を命じた。
「分からんものはいい。通れる道は残っているか」
「あります。負傷者も、こちらへ運べます」
「なら、そこを頼む」
トーマスは頷いた。
前を見ると、ユリアンが戻ってきた。片足を引きずる兵の腕を自分の肩へ回し、腰を支えている。
トーマスは駆け寄り、反対側へ入った。
林沿いの道から、散り散りになった兵が戻ってくる。
その脇を、まだ戦っていない部隊が盾を揃えて進んだ。
退く兵と、前へ出る兵。
二つの流れがぶつからずに済んだのは、道を分けていたからだった。 新しい盾の列がつながり、追ってきたスタンレー兵が足を止める。
やがて、少しずつ押し返し始めた。
*
戦いは、まだ続いていた。
突出した一隊を戻した後も、ファルスには交代させる兵が残っていた。
スタンレーの兵は丘の下へ押し戻され、旗が少しずつ斜面を上がっていく。
指揮官は深追いを禁じた。今度は各隊の先へ伝令を走らせ、止まる場所を繰り返し伝える。
「林を抜ければ、丘の裏へ出られます。退く連中の先へ回れるかと」
部下の一人が言った。
指揮官は丘と、自軍の乱れた列を見比べた。
トーマスは、手当てを受けている兵の顔を見た。さっきまで剣を振っていたユリアンも、膝へ手をついて息を整えている。
「退く道を塞いだら、向こうはまた、こちらへ来るのでは」
トーマスが思わず口を挟むと指揮官は少し黙り、首を振った。
「回り込まん。負傷者を残して先へ進むな」
視線がトーマスへ戻る。
「こちらも、立て直す。これ以上の追撃はせん」
合図が送られた。
ファルスの兵は前へ出たが、斜面へ駆け上がらなかった。丘の上から、スタンレーの旗が一本、また一本と遠ざかっていく。
残された負傷者のところへ、担架を持った兵が走った。
敵の服を着た男が、近づく兵を見て剣を持ち上げようとした。腕が上がらず、刃先が土へ落ちた。
トーマスは水袋を置き、両手を見せた。
男はしばらく睨んでいた。それから剣を離した。
*
「ユリアン、座ってください」
声を掛けると、ユリアンが顔を上げた。
「今度は誰を運ぶ?」
「あなたです。その腕を見せてください」
袖の下に、血が滲んでいた。ユリアンは自分の腕を見て、ようやく顔をしかめた。
「かすっただけだ」
「それは、見てから決めます」
布を巻こうとすると、指がうまく動かなかった。
ユリアンが端を押さえてくれる。トーマスは息を吐き、結び直した。
「……僕が、ここへ来ようと言ったから」
「付き合うって決めたのは俺だろ」
「後方なら、僕たちにもできることがあると思ったんです」
「あっただろ。帰る道、空けてくれたじゃないか」
ユリアンはそう言って、運ばれていく担架を見た。
「……全員、戻れたわけじゃないけど」
トーマスは、包帯の結び目へ目を落とした。
*
戦いはファルス軍の勝利で終わった。
町へ戻ると、人々は喜んだ。
鐘が鳴った。
酒が出た。
兵士たちは迎えられた。
帰還する兵の中に、造船所の若者がいた。
革鎧は泥だらけだったが、自分の足で歩いていた。
トーマスとユリアンにも報酬が渡された。
袋を受け取ったトーマスが金を数え袋へ戻した。
ユリアンも自分の分を確かめ、口紐を締める。紙に名を書く間、二人とも黙っていた。
だが宿へ戻る途中、トーマスは立ち止まった。
店先に陶器が並んでいた。
丈夫そうな白い器。
裏返す。
小さな刻印。
スタンレー。
店主が言った。
「残り物だよ。もう入ってこない」
「いつから?」
「半年くらいかな」
また半年。
トーマスは器を元へ戻した。
「ユリアン」
「ん?」
「スタンレーへ行きたいです」
「え?」
「調べたい会社があります」
「まさか」
「スタンレー陶器」
ユリアンが目を丸くした。
「今日戦った相手の町だぞ?」
「こっちの話しか、聞いていませんから」
「今、行けるのか?」
「まず、街道が通れるか聞きます。休戦の使いが出たと、さっき港で聞きました」
「向こうの人には、怒られるかもしれないぞ」
「ええ」
トーマスは器を見た。縁に、小さな欠けがある。それでも、店主は使える品として売り台へ出していた。
「でも、この器をまた運べるかは、向こうにも聞かなければ分かりません」
ユリアンは頭を掻いた。
「トーマスって、たまにザインより面倒くさいよな」
「それは心外です」
「ザインなら、まず報酬を聞くぞ」
「今回は、払ってくれる人がいませんね」
「だから面倒くさいって言ってるんだよ」
二人は歩き出した。
*
二日後、街道の検問で商人の往来が認められた。
休戦の期限は短く、兵はどちらの町にも残っている。造船所の軍の注文も、すべて取り消されたわけではなかった。
それでも、町の外へ出る荷車が一台あった。
トーマスはその御者に話をつけ、ユリアンと一緒に門へ向かった。
造船所の主人が、紹介状を持って待っていた。
「向こうの陶器屋へ。昔、修理した船で荷を運んでいた縁だ」
「ありがとうございます」
「また運べるかは、まだ約束できんぞ。通行料の話も、片づいちゃいない」
「分かっています。まず、先方が何に困っているのか聞いてきます」
主人は少し笑った。
「クレメンスさんも、そう言って出かけたことがあったな」
トーマスは顔を上げた。
「戻ってきて、どうなったんです?」
「その時は駄目だった。値段が折り合わなくてな」
思いがけず、トーマスも笑った。
「そうでしたか」
「ただ、次に話す相手は分かった。それで、後になって仕事が来た」
主人は紹介状を鞄へしまうのを待ち、それからユリアンの腕を見た。
「傷は?」
「荷物は、こいつに持たせます」
「今日は、そうしてください」
トーマスが答えると、主人はようやく声を出して笑った。
門の外で、御者が手を上げた。
*
荷車が動き始めると、ファルスの鐘が背後へ遠ざかった。
ユリアンは揺れる荷台で、包帯を巻いた腕の置き場所を変えた。
「向こうで、何から話す?」
「紹介状を渡して、今も陶器を作れているか聞きます」
「戦ったことは?」
トーマスは少し間を置いた。
「聞かれたら、答えます」
ユリアンが頷く。
「それで追い返されたら?」
「その日は、帰りましょう」
街道脇を、空の荷車がすれ違った。御者同士が手を上げる。先の検問は混んでいる、と短い声が交わされた。
トーマスは地図を開いた。
ファルスとスタンレーの間に引いた道には、まだ通行料も、荷を運ぶ約束も書き込めない。
筆を出しかけて、しまった。
代わりに紹介状を、すぐ取り出せる場所へ移した。
「まず、会ってからですね」
「ネマワシ?」
「その前の、挨拶です」
ユリアンは笑い、町へ続く道へ目を向けた。
トーマスも地図を畳んだ。