Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

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第20話 切れた線

 荷車の車輪が、深い轍にはまった。

 御者の舌打ちに、ユリアンが荷台から飛び降りる。トーマスも地図を鞄へ戻し、反対側へ回った。

「せーの!」

 ユリアンは傷めた腕を庇い、無事な方の手と肩で荷台を押した。

 トーマスと御者も力を込める。泥を噛んでいた車輪が持ち上がった。

 馬が踏み出し、押していた荷台が、するりと前へ動いた。

「助かった。少し先で待ってるぞ」

 御者が手を上げた。

 ユリアンは泥のついた掌を見下ろし、服で拭こうとしてやめた。

「……水、ある?」

「飲む分しかありません」

「だよな」

 草で泥を落とす隣へ、トーマスもしゃがんだ。

 ファルスを出てから、二度検問を受けている。通行証と積荷を調べる兵士たちの手は、腰の剣から離れなかった。

 戦いは止まった。それでも、道を行く荷車はまだ少ない。

「なあ。工房に着いたらさ」

 ユリアンが草を捨てた。

「俺たちがどっちにいたか、話す?」

「……聞かれたら、答えるつもりでした」

「うん」

「でも、ファルスとの取引を持ちかけるなら、その前に話すべきでしょうね」

 トーマスは紹介状の入った鞄を見た。

 造船所の主人から預かった一通。それがあれば話を聞いてもらえると、少し期待していた。

 相手にとっては、敵方の町から来た二人でしかないかもしれない。

「断られたら?」

「帰ります」

「……そっか」

 ユリアンは立ち上がった。

 荷車の御者が、道の先でこちらを振り返っている。

「とりあえず、乗ろう。置いてかれる」

「あなたが走れば、待ってくれると思います」

「一緒に走れよ!」

 トーマスも鞄を抱え直し、足を速めた。

*

 スタンレーでは、勝利を祝う旗は見当たらなかった。

 町の入口にある建物から、腕を吊った兵士が出てきた。傍らの女性が何かを言い、その肩を支える。

 ユリアンは道の端へ寄った。

 若い兵士だった。顔を見ても、戦場にいたかどうかは分からない。

 通り過ぎるまで、二人とも口を開かなかった。

 市場は開いていた。野菜を売る声もするし、子供が走れば店先から叱る声も飛ぶ。

 ただ、空いた台が目立った。荷車を停める場所には、馬のいない車だけが並んでいる。

「馬が戻らなきゃ、運びようがないだろ」

「軍に言ってくれ。こっちも待ってるんだ」

 商人たちの声を聞きながら、トーマスは店先の値札へ目を向けた。

 塩も油も、ファルスより高い。

 その隣では、白い皿が何枚も積まれていた。

「これは安いな」

 ユリアンが一枚を手に取った。

「ファルスで見たやつ?」

「底を見てもらえますか」

 裏返した皿に、同じ刻印があった。

 店主が二人を見上げる。

「まとめてなら、もう少し引くぞ」

「ずいぶんありますね」

「町の中で売るにも限りがある。割らないことには、そう何枚も買わんからな」

 店主は、隣の空いた台を顎で示した。

「前はあそこに荷受けの奴がいた。今は来ない」

 ユリアンが皿を戻した。

 トーマスは工房への道を尋ね、礼を言った。

 歩き出してから、ユリアンが振り返る。

「皿を運べれば、あの店も助かるんだな」

「ええ。ただ、買う人のところまで届けないと」

「道は通れたぞ」

「僕たちは。荷車を何台も通すとなると、条件を確かめる必要があります」

 検問の兵士は、紹介状を何度も読み返していた。

 あの道へ荷を出すと言った時、ここの人たちがどんな顔をするか。

 それはまだ、帳簿には書けなかった。

*

 スタンレー陶器の工房では、窯の煙が細く上がっていた。

 入口の脇に、乾燥中の鉢が並んでいる。奥では年配の職人が土を練り、別の男が轆轤を回していた。

 トーマスは足を止め、声をかけた。

「すみません。ご主人はいらっしゃいますか」

「俺だが」

 箱に縄をかけていた男が顔を上げた。五十代ほどだろう。袖をまくった腕には、乾いた土が白く残っている。

「トーマス・ベントと申します。ピドナで商会を始めました」

「買い付けか?」

「お話を伺えればと。ファルス造船のご主人から、紹介をいただいています」

 男の手が止まった。

「……あいつから?」

 トーマスは紹介状を差し出した。

 工房主は受け取ったが、すぐには開かなかった。

「道が開いた途端、商売の話か」

「ご都合が悪ければ、出直します」

「出直せばよくなる話でもない」

 工房主は封を切った。短い文面を読み、二人へ視線を戻す。

「何を聞きたい」

「以前の輸送についてです。ただ、その前にお伝えしておくことがあります」

 トーマスの隣で、ユリアンが背を伸ばした。

「僕たちは先日の戦いで、ファルス側の仕事を受けました」

 工房の奥で、木の板を置く音がした。

「……何だと?」

「俺もだ」

 ユリアンが口を開く。

「兵士を運びに行って、剣も使った」

 工房主の視線が、ユリアンの腰へ落ちた。

 そのまま、長い間動かなかった。

「うちの若いのが、三人戻らなかった」

 トーマスは息を止めた。

「一人は、そこの窯場の息子だ」

 奥の職人は土を練っていた。

 さっきと同じ動きだった。ただ、掌で押した土を、もう一度同じ場所から折り返している。

「それで、何を話す?」

 紹介状が差し戻された。

 トーマスは受け取った。

「……今日は、失礼します」

「ああ」

 ユリアンが頭を下げる。

 工房主は何も言わず、箱の縄を握り直した。

 結び目がうまく締まらず、もう一度解く。その音を背に、二人は外へ出た。

*

 しばらく歩いてから、ユリアンが足を止めた。

「三人か」

 トーマスも立ち止まった。

「……ええ」

 あの戦場で、誰がどこにいたのか。

 工房の若者たちが、どんな顔をしていたのか。

 二人とも知らなかった。

 ユリアンは腰の剣へ触れかけ、手を下ろした。

「帰る?」

「今は、これ以上話を聞いてもらうのは難しいですね」

「町は?」

 トーマスは市場の方を見た。

 皿を売っていた男が、敷物の端を引いている。積み上がった皿は、さっきとほとんど変わっていなかった。

「……もう少し、見ていきたいです」

「分かった」

 ユリアンはそれ以上訊かなかった。

 宿を取って荷物を置き、二人は市場へ戻った。

 トーマスは皿を売る店主に、普段どこへ荷を出していたのか尋ねた。工房へ行ったことも、断られたことも話した。

「あそこはなあ」

 店主は顔を曇らせた。

「今は、そっとしといてやれ」

「はい」

「売り物なら、うちにもある。買う分には歓迎だが」

 そう言って、棚から帳面を取り出す。

 以前は陶器を荷車でファルスまで運び、そこから船へ積み替えていたという。帰りの荷には、塩や油、窯で使う資材もあった。

 通行税が上がり、検問が長引き、荷を出す商人が減った。最後には、馴染みの運び手も来なくなった。

「ほかの道は?」

 ユリアンが訊いた。

「あるさ。遠いがな」

 店主が道順を説明する横で、トーマスは地図を広げた。

 迂回すれば日数も馬の餌代も増える。陶器は重く、乱暴に積めば割れる。数箱だけ運んでも、運賃に呑まれてしまう。

「それで、こんなに残ってるのか」

「安く売っても、道は短くならんからな」

 店主が苦笑した。

 トーマスは地図に書き込む手を止め、積まれた箱へ目を向けた。

「その道を使って、こちらへ来る荷車はありますか」

「たまにな。食い物やら油やらを積んでくる」

「帰りは?」

「さあ。運び屋に聞いてみな」

 店主が示した通りへ、ユリアンは先に目を向けた。

「また、帰りの荷台か」

「空いていれば、ですが」

「見てこようぜ」

 トーマスは頷き、地図を畳んだ。

*

「空いてるぞ」

 運び屋は、あっさり言った。

 ユリアンがトーマスを見た。

「よかったな」

「ただし、安くはならん」

「早かったな」

 運び屋は椅子に座ったまま、二人を見上げた。

「帰りが空なのも込みで、運賃を取ってる。荷を積めば馬は疲れるし、割れ物なら積み替えにも手間がかかる」

「それは承知しています。いくらになりますか」

 提示された額を、トーマスは手帳へ書き込んだ。

 少し計算する。

 線を引いた。

 ユリアンが横から覗く。

「駄目?」

「このままだと」

「そういうことだ」

 運び屋は椅子を軋ませた。

「荷を探して待つくらいなら、さっさと帰って次を積みたい。こっちに着いてから何日も待たされるのが、一番困る」

 トーマスが顔を上げた。

「着く前に、帰りの荷が決まっていたら?」

「何を、どれだけ」

「陶器です。今、量を調べています。箱詰めを済ませ、指定の日に積めるようにしておきます」

「帰りだけじゃなく、次にこっちへ来る荷も頼めるのか」

「確認が必要です。ピドナから食料品を運べないか、当たってみます」

 ユリアンが横から口を挟んだ。

「行きに食い物を運んで、帰りに陶器を積むんだな」

「ええ。両方の荷が決まれば、運び屋にとっても無駄が減ります」

 運び屋はようやく椅子から身を起こした。

「なら、両方決まってから来い。日程もな」

「もう一つ。途中で積み替えるなら、どこが使えますか」

 地図を見せると、太い指が道の分かれ目を叩いた。

 そこからは、鉛筆を休める暇がなくなった。

*

 宿へ戻る頃には、ユリアンの腕にパンの包みが増えていた。

 トーマスは机へ地図を広げ、聞いてきた運賃を書き写している。

「食べながらでいいからさ」

「ありがとうございます」

 差し出されたパンを受け取り、皿の脇へ置く。

 ユリアンはその手元を見ていた。

「今の返事、絶対聞いてないだろ」

「聞いていますよ」

「じゃあ食べろ」

 トーマスはようやく一口かじった。

 硬い皮が音を立てた。

「……思ったより硬いですね」

「だから、煮込みが冷める前に食べろって」

 ユリアンが椀を押しやった。

 匙を取り、数口食べる。その間も、トーマスの視線は紙の端へ戻っていた。

「行けそうなのか?」

「まだ分かりません。こちらへ運ぶ品と、ピドナでの売り先を確かめないと」

「魚も運ぶ?」

「この日数だと、鮮魚は無理です」

「着いた時、すごいことになるな」

「想像しなくていいです」

 ユリアンが顔をしかめ、トーマスは手帳を一枚めくった。

 農場の穀物と、製粉所で扱う粉。保存の利く品なら候補になる。ただし、向こうにも既に決まった注文がある。

 こちらの都合だけで、勝手に積むわけにはいかなかった。

「明日、ピドナへ手紙を出します。こちらでは必要な量と、払える額を聞いておきます」

「皿の方は?」

「まず市場の在庫から。工房へ頼むのは、その後です」

 ユリアンは少し黙った。

「それでも、断られるかもしれないぞ」

「ええ」

 トーマスは匙を置いた。

「その時は、受け入れます」

 窓の外で、荷車の音が遠ざかった。

 ユリアンは椀の底に残った煮込みを、パンで拭った。

「分かった。明日は俺も、運び屋の方に行くよ」

「お願いします」

「荷を積む話なら、俺にも分かるし」

 トーマスが頷き、また紙へ手を伸ばす。

 その上に、残りのパンが置かれた。

「先にこっち」

「……はい」

*

 返事を待つ間、二人は町を歩いた。

 食料を必要としていても、一度に大金を払える店は少ない。注文をまとめ、支払える時期も確かめた。

 帰りに積む陶器は、最初から荷車いっぱいにはしなかった。市場の店主に売れ筋を聞き、日用の皿や鉢を中心に選ぶ。

 ユリアンは運び屋に箱の積み方を教わった。

「上へ重ねすぎるな。揺れるぞ」

「縄を締めればいいんじゃないのか?」

「箱が潰れたら、中の皿も終わりだ」

「なるほど」

 持ち上げた箱を下ろし、藁を足した。

 トーマスはその横で、割れた場合の負担を書き加える。

 日が暮れると、宿で計算をやり直した。

 翌朝、ユリアンが目を覚ますと、まだ机に向かっていた。

「寝た?」

「少し」

「どれくらい」

「……三十分ほど」

「それ、居眠りだろ」

 ユリアンは窓を開けた。朝の風が紙をめくり、トーマスが慌てて押さえる。

「もう少しで終わります」

「それ聞くの、三回目」

 返す言葉がなく、トーマスは眼鏡を外して目元を押さえた。

 ユリアンが紙を覗く。

「儲かる?」

「運ぶ分の費用は、何とか。ただ、僕の取り分はほとんどありません」

「駄目じゃん」

「今回は少量で、売れ行きと破損の具合を確かめます。次もこの条件で続けるつもりはありません」

「でも、宿代はかかってるぞ」

 トーマスの手が止まった。

「……それは、別に計算しています」

「してるんだ」

「しています」

 ユリアンは空いた椀を片づけた。

「じゃあ、赤字を増やす前に寝よう。今日は俺が聞いてくる」

 トーマスは何か言いかけ、閉じた。

「お願いします」

 寝台へ腰を下ろすと、急に身体が重くなった。

 頭の中に残った数字が、途中から繋がらなくなった。

*

 ピドナから返事が届いたのは、それから数日後だった。予定していた品が、すべて揃うわけではない。トーマスは注文の一部を減らし、運び屋と日程を合わせた。

 陶器の売り先は、取引先の紹介で二軒見つかった。まずは見本と少量を、という返事だったが、売り先が求めた鉢は、市場の在庫だけでは数が足りなかった。

 大きな契約ではない。

 それでも、最初の荷を出せるところまで来た。

 市場で仕入れる分を押さえ、トーマスは工房へ向かった。

 ユリアンは入口から少し離れた場所で足を止める。

「俺、ここにいる」

「ええ」

 工房主は二人に気づいた。顔をしかめたが、怒鳴りはしなかった。

「まだいたのか」

「はい。今日は、商品の注文をお願いできるかと思って」

「ファルスへ出す荷か」

「いいえ」

 トーマスは紙を差し出したが工房主は受け取らなかった。

 トーマスは紙を手に持ったまま、品名と数量を伝えた。続いて、ファルスを経由せず、迂回路でピドナへ運ぶと説明する。

「……待て。その道で運ぶのか?」

「運び屋と話をつけています。こちらへ来る荷も、一緒に手配しました」

「運賃だけで、いくらかかると思ってる」

「分かっています」

「売値をいくらにする気だ」

 答えると、工房主は初めて紙を受け取った。

 数字を追う目が止まり、トーマスを見る。

「儲からんぞ」

「ほとんどは、運び賃です」

「なら、もっと買値を下げろと言えばいいだろう」

「その値段では、次を焼けませんよね」

 工房主は黙った。

 奥で轆轤の回る音がする。

「……窯を止めないためです、とでも言う気か」

 トーマスは口を開きかけた。

 工房主は、もう一度紙へ目を落とした。

「止めるかどうかは、こっちで決める」

「はい」

「若い商人に、気の毒がられたいわけでもない」

「それも、分かっています」

 言ってから、トーマスは少し首を振った。

「……分かっているつもりです。ただ、この皿はピドナで売れます。売れれば、また注文できます」

 指で品名を示す。

「今回の数は少ないですが、この値段で仕入れたい。それが、お願いです」

 工房主は紙の端を親指で擦った。

 紹介状を返された時と同じくらい、長く感じた。

「前金は」

「半分。残りは、検品して引き取る時に」

「割れた後で、値切るなよ」

「積み込む前に、一緒に確かめましょう」

 工房主は作業台へ向かい、紙を置いた。

「この鉢は、今あるのより口が広い型だ。そっちでいいんだな」

「見せていただけますか」

 男は返事の代わりに、棚から一つ取り出した。

 入口で待っていたユリアンが、ようやく肩を下ろした。

*

 荷を出す朝、ピドナからの穀物と油を降ろした荷車が、工房の前へ回ってきた。今度は、その荷台へ陶器を積む。

 トーマスは工房主と品数や欠けの有無を確かめた。確認を終えた箱から蓋が閉じられ、最後に受取書へ署名する。

 ユリアンは運び屋と荷台を整えていた。覚えた通りに藁を挟み、縄を締める前に箱の位置を見る。

「そこでいい」

 運び屋が頷いた。

 工房の奥から、年配の職人が最後の箱を運んできた。

 ユリアンが手を出しかける。

 職人はその前に、荷台へ箱を置いた。

 二人の目が合った。

 ユリアンは手を下ろし、小さく頭を下げた。

 返事はなかった。

 男は工房へ戻っていった。

 トーマスは受取書を畳み、鞄へしまった。

 支払いを終えても、言えることが増えたわけではなかった。

「これで全部だ」

 工房主が言った。

「ありがとうございます。到着したら、知らせを出します」

「ああ」

 荷車が動き出す。

 以前ならファルスへ向かった角を、今日は反対へ曲がった。

 二人も歩き出そうとした時、背後から声がかかった。

「ベント」

 トーマスは振り返った。

「ファルス造船の親父は……まだ、自分で船を見てるのか」

「ええ。造船所にいました」

「そうか」

 工房主は頷いた。

 それきり口を閉じる。

 トーマスも黙って待った。

「伝えることは、ない」

「分かりました」

 今度こそ歩き出した。

 数歩進んだところで、また呼び止められる。

「……窯は、まだ動いてる」

 振り返ると、工房主は既にこちらを見ていなかった。

「それだけ言っとけ」

 トーマスは頷いた。

「確かに、お伝えします」

*

 ファルスへ戻る道にも、検問は残っていた。

 荷を運ぶ迂回路とは別に、二人は来た街道を引き返した。通行証を確かめられ、鞄を開け、ようやく町へ入る。

 造船所では、槌の音が響いていた。

「どうだった」

 主人が作業台から顔を上げた。

「陶器を仕入れました」

「工房は?」

「買っていません」

「そうか」

 男は少し笑った。

「お前なら、買う話まで始めるかと思ってた」

「そこまで急ぐつもりはありません」

 トーマスは預かった言葉を伝えた。

 窯は、まだ動いている。

 主人の手が止まった。

 木材に置いた指が、一度だけ表面を撫でる。

「……そうか」

 しばらく、槌の音だけが続いた。

「荷は、どっちから出した」

「迂回路です。ピドナへ向かっています」

「高くつくだろう」

「ええ」

「こっちの街道も、そのうち荷を通せるようになる。今、町の連中が条件を詰めてるところだ」

 主人は作業台の図面を押さえた。

「話が決まったら、知らせてやる」

「お願いします」

「ただし、運ぶ奴が見つかるとは限らんぞ」

「それは、こちらでも探します」

 主人は頷き、道具を手に取った。

 トーマスは礼を言って、その場を離れた。

 隣でユリアンが小声を出す。

「自分で手紙書けばいいのにな」

「……今は、僕宛てでいいんだと思います」

 ユリアンは造船所を振り返り、それから前を向いた。

*

 ピドナへ戻ってからも、すぐに次の便が決まったわけではなかった。

 陶器は予定どおり届いた。ただ、二枚は縁が欠けていた。トーマスは破損分を記録し、梱包を変えるよう運び屋と相談した。

 売れた品もあれば、まだ棚に残っている品もある。

 追加注文をまとめている時、ファルス造船から手紙が届いた。

 街道を通る商用の荷車について、両町の取り決めができたという。指定の日に限り、積荷を届け出て通行できる。

 その下に、港で船を出す商人の名と、空いている荷室の広さが書かれていた。

「ファルスまで運べば、船に積めるってことか」

 ユリアンが机を覗いた。

「ええ。運賃を聞いて、工房に送ってみます」

「使ってくれるかな」

「分かりません」

 トーマスは、迂回路の見積もりも隣へ置いた。

「選べるようにはしておきたいです」

 返事が届いたのは、さらに数日後だった。

 小口の荷を一度だけ、ファルス経由で出す。

 工房主の署名の下に、太い字で付け足してあった。

 勝手に次の約束をするな。

 トーマスは読み終え、少しだけ笑った。

「何て?」

「まず一回、だそうです」

「一回でも、通るんだな」

「ええ」

 ユリアンは壁の地図へ目を向けた。

「線、引かないの?」

 トーマスは鉛筆を手に取った。

 スタンレーから、ファルスへ。途中まで伸ばしていた線を少し延ばし、先を止める。

「まだ、荷が着いていませんから」

「着いたら?」

「それから、次も使うか聞きます」

 鉛筆を置いた。

 工房主の手紙を、造船所からの知らせと重ねる。

 二通とも、宛名は自分だった。

「いつか二人で直接、次の荷の相談ができるといいですね」

「じゃあ、伝言係の仕事は終わりだな」

「そのときは別の仕事を探しますよ」

「好きだなあ、商売」

 トーマスは否定しなかった。

*

「では、その別の仕事のお話をしましょう」

 戸口から声がした。

 トーマスが振り向くと、黄色い帽子を手にしたフルブライト二十三世が立っていた。

「いつから、そこに?」

「別の仕事を探す、とおっしゃったあたりから。声はかけたのですが」

「……すみません。気づきませんでした」

「ユリアン君には、どうぞと言っていただきましたよ」

 トーマスは隣を見た。

「言いました?」

「言った」

 フルブライトは椅子を借り、机に帳簿を置いた。

「運送の経過は聞きました。工房そのものを買う話には、しなかったのですね」

「商品を売っていただくところからです」

「結構。取引先が増えるのも、大事なことです」

 トーマスは少し肩の力を抜いた。

 フルブライトが、帳簿を開く。

「それでは、一億オーラムへの進捗を」

 肩の力が戻った。

「……今、その話ですか」

「その話をしに来ましたので」

「ファルスまで行ったんですよ」

「はい。旅費も確認しましょう」

 ユリアンが横を向いた。

 肩が揺れている。

「笑うところではありません」

「ごめん。帰ってきたなって思って」

「何がですか」

「いつものやつ」

 トーマスは帳簿へ向き直った。

 手元にある金を、そのまま積み上げればいいわけではない。借りている分、預かっている分、共同事業で他の出資者に属する分。フルブライトは、それぞれを分けて確かめていった。

 最後に残った額を見て、トーマスは眼鏡を押し上げた。

「……遠いですね」

「一億ですから」

「ええ。何度も伺っています」

「では、そろそろ少し大きな案件を」

 差し出された紙に、トーマスは目を落とした。

 ツヴァイク。

 その名の下へ、商談相手と扱う品が書き添えられている。

「今度も、遠いですね」

「船の手配については、ご相談できます」

「戦争はしてないよな?」

 ユリアンが訊いた。

 フルブライトは頷く。

「ええ。ただ、武術大会の時期ですから、宿は早めに押さえた方がいいでしょう」

 ユリアンの顔が上がった。

「武術大会?」

 トーマスは、その声だけで嫌な予感がした。

「僕は商談に行くんですよ」

「分かってる。分かってるけど、見られるだろ?」

「日程によります」

「じゃあ、日程を見よう!」

 紙を引き寄せようとする手を、トーマスが押さえた。

「先に商談です」

「まだ何も言ってないだろ!」

「顔に書いてあります」

 フルブライトが笑いながら、もう一枚、日程表を取り出した。

 トーマスは工房主の手紙を折り、返事を書くための箱へしまった。

 それから机の上を空け、北へ向かう船の予定を広げた。

 

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