Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
第21話 ツヴァイク・トーナメント
ツヴァイクの城門へ続く道は、人と荷車で埋まっていた。
槍を担いだ女が、馬を引く傭兵を追い越していく。その後ろでは、檻を載せた荷車が軋んでいた。布の隙間から太い尾が出て、御者に棒で押し戻される。
ユリアンが足を止めた。
「……今の、何だ?」
「立ち止まらないでください。後ろが詰まります」
トーマスが袖を引いた。
道端には臨時の露店が並び、肉を焼く煙が流れている。宿の客引きは、部屋が残りわずかだと声を張り上げていた。
「先に宿、取っといてよかったな」
「ええ。フルブライト様の言う通りでした」
予約の書状を確かめながら、トーマスは城門を見上げた。
大きな旗の下に、文字が掲げられている。
ツヴァイク・トーナメント。
ユリアンの歩く速さが変わった。
「宿は、右です」
「分かってる」
「あなたが見ているのは、左の案内板ですが」
「場所を確かめただけだって」
トーマスはそれ以上言わず、右へ曲がった。
少し遅れて、足音がついてきた。
*
宿へ荷物を置いた後、二人はツヴァイクキャラバンの商館へ向かった。
道の途中に、闘技場の案内がもう一枚出ていた。
ユリアンは素通りしようとして、失敗した。
「賞金、三万オーラムだって」
「見えています」
「三万だぞ」
「一億オーラムの、〇・〇三パーセントですね」
口にしてから、トーマスは少し黙った。
ユリアンが横を見る。
「お前、三万オーラムを少ないって言うようになったの?」
「……言い方がよくありませんでした」
「ザインが聞いたら怒るぞ」
「怒るでしょうね」
そう答えて、二人は顔を見合わせた。
ピドナを発った四人は、今頃どこにいるのだろう。
ランスへ向かうと聞いた後、こちらもずいぶん歩き回った。
「ま、先に仕事だよな」
「分かっていただけて、助かります」
「終わったら、受付を見るだけ」
「試合を見る、ではなく?」
「……両方」
トーマスは返事をせず、商館の扉を叩いた。
*
裏庭には、荷車が十数台並んでいた。
車輪を外して軸を調べる男。馬具を繕う女。天幕を畳む若者たち。
壁には各地へ向かう道の地図が掛かり、その下の板に、便ごとの出発日が書かれている。
トーマスは案内された椅子へ座り、紹介状を差し出した。
向かいの主人が、封にある紋を確かめる。
「フルブライトから話は聞いてる。ベント商会だったか」
「トーマスカンパニーです」
隣でユリアンが少し胸を張った。
名前を決めた本人には、いまだに満足のいく響きらしい。
「そうだったな。で、先に言っておくが、うちを売る気はないぞ」
「今日は、輸送のご相談です」
「ファルスとスタンレーの荷を動かしたと聞いた」
「最初の便を出したところです。続くかどうかは、これからです」
トーマスは注文の控えを広げた。
主人は地図と見比べ、紙の端を指で叩く。
「この量なら、向こうの運び屋に頼んだ方が早い。うちの隊を回すほどじゃない」
「ええ。今の便を、すべてお願いするつもりはありません」
別の紙を出す。
取引先から預かった、北へ出したい荷と、南から取り寄せたい品の一覧だった。
「こちらの定期便と重なる区間があれば、小口の荷をまとめてお渡しできます。まずは、空きがある便だけでも」
主人は一覧を読み、後ろの板へ目をやった。
「帰りの荷なら、こっちでも探してるぞ」
「はい。僕の方には、すでに取引のある店があります。量と受取日を揃えてから、お話しできると思います」
「小口は手がかかる。安く積めるとは限らん」
「積み込みの場所を一か所にまとめるなら、どうでしょう」
「保管は誰が持つ」
「こちらで。ただ、何日まで預かるかは、先に決めたいです」
主人がようやく椅子を引き寄せた。
出発の日。荷の大きさ。雨で道が止まった場合の扱い。
質問が具体的になるたび、トーマスは紙へ書き込んだ。
ユリアンも地図に目を向けていたが、途中で顔を上げた。
「つまり、荷車一台を借り切らなくても、何軒かの荷物で埋めればいいんだな」
「そうですね。ただし、同じ方向で、同じ日に出せる荷なら」
「途中で一人だけ、やっぱ明日って言ったら困るのか」
主人が笑った。
「そいつを待って、ほかの荷まで遅らせるわけにはいかんからな」
「……分かった。日を決めるの、大事だな」
トーマスは頷き、日付の下に線を引いた。
その場で契約は決まらなかった。主人も空き便を調べ、トーマスも各店の注文を確かめる必要がある。
明後日、改めて数字を持ち寄ることになった。
「大会中は、町を出る荷が少ない。案外、都合がつくかもしれん」
立ち上がる二人へ、主人が言った。
「人と食い物は、こっちへ来るばかりだからな」
「それなら、帰りの荷の相談はできそうですね」
「ああ。期待しすぎるなよ」
トーマスは礼を言った。
商館を出ると、ユリアンが通りの向こうを指した。
トーマスは息を吐く。
「……分かりました。見るだけですよ」
「もちろん!」
その返事だけは、今日一番早かった。
*
闘技場の前には、人だかりができていた。
対戦表を見上げる者。売店で酒を買う者。自分の腕より太い串焼きに挑む男。
その向こうで、聞き覚えのある声がした。
「だから、四人じゃ駄目なのか」
「五名です。規則ですから」
「一人分、俺が二回出りゃいいだろ」
「勝てば、そのまま何回でも戦っていただけます」
「じゃあ、いいじゃねえか」
「登録は五名です!」
ユリアンが背伸びをした。
受付台の前に、黒い上衣を着た男が立っていた。肩まで伸びた癖のある黒髪に、腰には曲刀を携えている。その隣に、見慣れた赤い髪。
「エレン!」
女が振り向いた。
「……ユリアン?」
サラがその脇から顔を出した。
「トーマスも!」
「手紙、届いたよ。キドラントでは大変だったね」
「うん。……書くと、姉さんが怒った話ばっかりになっちゃって」
「町長を殴ったところは、二度読み返したよ」
トーマスが苦笑した。
「そこは読み返さなくていいのよ!」
金髪を束ねたエレナが、トーマスへ会釈した。
「こんなところでお会いするとは思いませんでした」
「僕もです。ああ、紹介しますね」
トーマスは隣の青年へ目を向けた。
「こちらはユリアン・ノール。シノンからの仲間です。ユリアン、こちらはエレナ・ヴァルティエさん。あの地図を残してくれた方だよ」
「ああ、あの地図の! 助かったよ、ありがとう」
「お役に立てて何よりです。初めまして」
「ユリアンだ。よろしく!」
挨拶を済ませると、ユリアンはザインへ向き直った。
「で、そっちこそ何してるんだ?」
ザインが受付台の貼り紙を指した。
「三万オーラム」
トーマスは、隣でユリアンが笑う気配を感じた。
「何がおかしい」
「いや。やっぱりなって」
「三万だぞ」
「分かってる。さっき、こいつにも言った」
トーマスへ指が向く。
「一億の〇・〇三パーセントだってさ」
ザインの目が細くなった。
「お前、金を舐めてんのか」
「反省はしました」
エレンが吹き出した。
「何よ、それ。トーマス、そんなにお金持ちになったの?」
「なっていません。むしろ、使う方が先で」
「商会を始めたんだ」
ユリアンが口を挟んだ。
サラが目を見開く。
「商会? 本当に?」
「ええ。まだ小さいですが」
「すごい……」
そう言われると、旅費の計算に頭を抱えていたとは言いにくかった。
エレナが手帳を取り出しかけ、それを戻す。
「詳しく聞きたいところですが……ここでは邪魔になってしまいますね」
受付係が、いかにも言いたかったという顔で頷いた。
「出場者は五名。セコンドを一名まで登録できます。セコンドは試合前の届け出で交代可能です」
ユリアンとザインが、同時にこちらを見た。
トーマスは一歩下がった。
「待ってください」
「六人いるな」
「いる!」
「人数の話をしているのではありません」
エレンがユリアンを見た。
「あんた、出たいの?」
「出たい」
「じゃあ、決まりじゃない」
「僕の話も聞いてもらえますか」
サラが遠慮がちに手を上げた。
「私、セコンドでも――」
「いえ。それなら僕が」
言ってから、トーマスは口を閉じた。
ザインが頷く。
「決まったな」
エレナは横を向いていた。肩が、わずかに揺れている。
受付係はもう、用紙を差し出していた。
*
先鋒、ユリアン。
次鋒、サラ。
中堅、エレナ。
副将、エレン。
大将、ザイン。
セコンド、トーマス。
控室の長椅子で、トーマスは登録の控えを眺めた。
「どうしてこうなったんでしょうね」
「人が足りなかったからだろ」
ザインが答えた。
「分かっています。そういう意味ではなくて」
「商談、明後日なんだろ?」
ユリアンは剣帯を締め直している。
「今日は空いてる」
「確認することは残っています」
「じゃあ、早く勝てばいいわね」
エレンが斧の柄を叩いた。
「本当に先鋒でいいんですか?」
エレナが訊くと、ユリアンは頷いた。
「ああ。最初に出るなら、俺がいい」
「出場するつもりで来たんですか?」
「見るだけのつもりだった」
「過去形にしないでください」
控室に笑いが起きた。
ユリアンも笑いながら、左腕を回した。ファルスで受けた傷は塞がっている。服の袖に引っかかる様子もない。
トーマスはそれを確かめ、用紙を畳んだ。
同じ剣でも、今日は向こうからも試合をしに来る。審判がいて、止める合図もある。
ユリアンはその合図の説明を、珍しく黙って聞いていた。
勝った選手は、そのまま次の相手と戦う。降参すれば、次の仲間へ交代する。退いた選手は、その対戦には戻れない。
「無理だと思ったら、下がってください」
トーマスが言うと、ユリアンは頷いた。
「分かってる」
「本当に?」
「三回は言わなくていいから」
エレンが笑い、トーマスは口を閉じた。
サラも弦を確かめていた。エレナは細剣の留め具へ手を添え、ザインは会場へ続く通路を見ている。
陣形を組む場所はない。
控室の先には、闘技場を見下ろす観戦席が設けられていた。
一人が前へ出れば、ほかの五人はここで見ることになる。
鐘が鳴った。
係員が扉を開ける。
「第一試合。対戦相手は、超女軍団です!」
ユリアンが振り返った。
「じゃ、行ってくる」
「無茶すんなよ。後ろには俺たちがいる。ちゃんと戻ってこい」
ザインが言った。
「分かってるって」
ユリアンは笑い、眩しい通路へ足を踏み出した。
*
歓声が、石の壁を震わせていた。
闘技場の中央へ、軽やかな足取りの女が進み出る。
先鋒、ダンサー。
名を呼ばれると、女は観客席へ片手を振った。
ユリアンが剣を構えた瞬間、既に距離が縮まっていた。
短い刃が、胸元をかすめる。
反射的に剣を振った。相手はそこにいない。
「……速いな」
もう一度、刃が来る。
今度は低い。追って剣先を下げると、女はすぐに刃を返した。
ユリアンは半歩退いた。
頬の前を刃が抜ける。
客席がどっと沸いた。
「相手の動きに釣られてるじゃない!」
エレンが身を乗り出す。
トーマスも手すりを握った。
だが、三度目には剣が動かなかった。
女が誘うように身を開く。
ユリアンは腕を追わず、踏み込んでくる足を見た。
床を蹴る。
剣の腹が、相手の胴を捉えた。
女がよろめき、膝をつく。
相手が起き上がろうとしたところへ剣先を向ける。
審判の手が上がった。
「勝者、ユリアン!」
息を吐く間に、次の相手が姿を見せた。
アラクネ。
人の上半身を支える、蜘蛛の脚。
「……さっきの檻、こういうのが入ってたのか?」
ユリアンの呟きは、歓声に消えた。
白い糸が飛んだ。
一本を剣で払う。その間に、もう一本が左腕へ巻きついた。
引かれる。
ユリアンが体勢を崩した。
「左!」
エレンの声が飛ぶ。
相手の脚が床を掻き、さらに糸が張った。
ユリアンは踏ん張りかけ、その力を抜いた。
引かれるまま、前へ出る。
アラクネの腕が上がった時には、剣の届くところまで入っていた。
刃を返し、糸を断つ。
そのまま肩からぶつかった。
大きな身体が傾き、脚がもつれた。
起き上がるより先に、剣先が胸元へ向く。
二本目の旗が上がった。
「やるじゃない!」
エレンが手を叩いた。
ユリアンもこちらへ顔を向けたが、すぐに左腕を押さえた。
袖が裂けている。糸に擦れたところが、赤く滲んでいた。
トーマスは声をかけようとして、次の門が開く音に顔を上げた。
今度は、蛇の尾が床を滑っていた。
*
蛇女の身体が、剣先の外へ逃げた。
ユリアンの踏み込みを尾が払う。足を引けば、上から武器が落ちてくる。
剣で受けた。
腕が軋む。
ユリアンは歯を食いしばり、押し返した。
相手が距離を取る。
追おうとした時、その目が光った。
足が止まった。
構えるつもりの剣が、上がらない。
「ユリアン!」
サラの声がした。
次の瞬間、尾が胸を打った。
床へ背中がぶつかる。息が詰まり、剣を握る指が緩みかけた。
転がって、追ってくる尾を避ける。
ようやく空気を吸った。
「……今、何が起きたのですか?」
トーマスが身を乗り出した。
「目が合った途端に、動きが止まりました」
エレナの声は低かった。
蛇女が顎を上げる。
トーマスは叫んだ。
「目を、見ないで!」
聞こえたかは分からなかった。
ユリアンが剣を構える。その顔が、相手へ向いた。
目が光る。
けれど今度は、剣が下がらなかった。
ユリアンは顔を横へ逸らし、そのまま踏み込んでいた。
尾の外側へ足を置く。
剣が跳ね上がり、相手の武器を弾いた。
乾いた音を立てて、それが床を転がった。
一瞬の静寂。
続いて、歓声が押し寄せた。
ユリアンは相手より、自分の足を見ていた。
「今、避けましたね」
エレナが言った。
「声、届いたんでしょうか」
「ええ。ただ、顔を逸らすのが早かったんです。相手の目が光るより前に」
ザインが腕を組み直した。
「来ると分かったんだろ」
「一回で?」
エレンが訊く。
「二回目も食らいたくなかったんじゃねえか」
「そりゃ、そうでしょうけど」
トーマスは、もう一度ユリアンを見た。
新しい技を使ったようには見えなかった。
相手の顎が上がった、その時に動いた。
それを覚えておこうとしたところで、審判が次の名を呼んだ。
副将、ヴァナディース。
ヴァナディースは武器を持っていなかった。
片手を掲げると、熱気が波になって押し寄せた。
ユリアンは横へ跳び、剣の間合いまで踏み込む。
だが、相手は退かなかった。
身体をひねり、鋭い蹴りを放つ。
剣の腹で受けたが、重い。
押し返そうとしたところで、今度は頭上に光が走った。
ユリアンは咄嗟に身を伏せる。
落雷がすぐ脇の床を打った。
起き上がろうとして、足がもつれた。
三人を相手にしてきた疲れが、ここへ来て響いていた。
ヴァナディースが踏み込む。
ユリアンも床を蹴った。だが、身体が前へ出ない。
《稲妻キック》。
雷をまとった踵が脇腹を打ち、ユリアンは片膝をついた。
立ち上がろうとしたが、脇腹に痛みが走り、身体が言うことを聞かなかった。
「ユリアン!」
トーマスが呼んだ。
剣先が、床を擦る。
ユリアンは相手を見上げた。それから、剣を下げた。
「……参った」
審判が二人の間へ入った。
*
戻ってきたユリアンの額から、汗が落ちた。
トーマスは水を渡し、脇腹を押さえる様子を見た。
目立った出血はないが、呼吸のたびに痛むらしい。剣を持つ手にも、疲れが残っていた。
「悪い。あと二人だったのに」
「三人、倒してくれたんでしょ」
サラが立ち上がった。
カナリアの弓を持ち、矢筒を直す。
「残りは、私たちがやるよ」
ユリアンは顔を上げた。
何かを言いかけ、飲み込んだ。
サラが通れるように、長椅子へ身体を寄せる。
「……頼んだ」
「うん」
エレンは妹の肩を一度叩いただけで、通路を空けた。
サラが光の中へ出ていく。
広い床で、一人、弓を構えた。
ヴァナディースが片手を上げる。指先に赤い光が集まった。
サラの第一射は、その足元へ飛んだ。
ヴァナディースが横へ跳ぶ。
二本目は、着地点のすぐ脇。
足を止めた相手の掌から、熱風が押し寄せた。
サラは横へ走る。熱気が頬を撫で、髪が大きく揺れた。
その隙に、ヴァナディースが距離を詰める。
鋭い蹴りが飛んできた。
サラは身を引く。爪先が袖をかすめた。
もう一歩下がって矢をつがえる。
だが、相手の掌には、今度は青白い光が集まっていた。
頭上で雷が弾ける。
サラは咄嗟に身を伏せた。すぐ脇の床が焦げる。
トーマスは膝の上で拳を握っていた。
普段なら、あの間に誰かがいる。
今日は、自分で距離を保たなければならない。
ヴァナディースが再び踏み込んだ。
サラは、ユリアンが倒された場面を思い出した。
あの蹴りの前、相手は軸足を深く沈めていた。
今も同じだった。
サラは蹴り上げる足を追わず、地面を踏みしめた方の脚へ矢を放った。
相手の脛に刺さった。
踏み込みが崩れ、蹴りが止まる。
サラは素早く次の矢をつがえた。
弓の先が、動きを止めた相手へ向く。
傷めた軸足に体重をかけられず、ヴァナディースは胸元を正確に狙う矢先から目を離せなかった。
ヴァナディースは一瞬迷い、それから片手を上げた。
「参ったわ」
審判の旗が上がる。
サラは一瞬きょとんとした。それから、こちらを見た。
「サラ! やったじゃない!」
エレンの声が、歓声を突き抜けた。
サラが慌てて口の前に手を振る。
「姉さん、大きい!」
「勝ったんだから、いいでしょ!」
ユリアンが笑い、トーマスもようやく息を吐いた。
次の門が開いた。
蛇の髪が、光の下へ揺れ出る。
大将、メドゥーサ。
サラの笑顔が消えた。
審判の旗が上がる。
*
サラは相手の顔を見ず、腰へ視線を落とした。
矢を放つ。
メドゥーサは身体を滑らせ、避けた。
二本目は払われた。弾かれた矢が床を転がる。
近づいてくる。
サラは後ろへ下がった。
「サラ、横!」
エレンが叫んだ。
身体を捻った、その脇を武器が抜けた。
もう一歩下がる。
足元の白線が近い。
サラが矢をつがえる。顔を見ないようにしたまま、相手の位置を探した。
その一瞬、頭上から影が差した。
髪の蛇が、弓を持つ腕へ伸びている。
サラは射るのをやめ、身を引いた。
踵が、白線を越えた。
「場外! 勝者、メドゥーサ!」
旗が上がった。
サラは足元を見下ろし、唇を噛んだ。
「……あ」
メドゥーサが退く。
サラは弓を下ろし、係員の示す通路へ戻った。
エレンが迎えに出る。
「噛まれてない?」
「うん。でも、下がりすぎた」
「見てた」
サラが肩を落とす。
エレンはその肩を抱き、長椅子へ座らせた。
「次は、横に逃げる場所も残しとけばいいわよ」
「……うん」
エレナが立ち上がった。
「顔を見なくても、上から来るんですね。先に分かって助かりました」
細剣を抜き、軽く手首を返す。
「では、行ってきますね」
「エレナさん」
サラが顔を上げた。
「髪の蛇、こっちが弓を引いた時に伸びてきた」
エレナの手が止まる。
「ありがとうございます。覚えておきます」
*
エレナは、サラより深く踏み込んだ。
メドゥーサの武器へ、細剣を合わせる。
金属が鳴った。
押し合わず、横へ抜ける。
蛇の髪が追ってきた。
エレナは剣を突き出さず、半歩だけ退いた。
蛇の頭が、空を噛む。
「……あれ、目を見てないのか?」
ユリアンが声を落とした。
トーマスも、エレナの顔を見ていた。
視線は相手の胸元より下。
それでも、剣を払っている。
メドゥーサが身体を引いた。
顎が上がる。
エレナは相手の外側へ回った。
目の光が、横を流れる。
「肩だ」
ザインが短く言った。
「先に、そっちが動いてる」
エレンが身を寄せる。
確かに、メドゥーサが顔を向ける前に、肩が開いていた。
エレナの細剣が、その腕の外側を滑った。
今度は髪が一斉に伸びる。
エレナは踏み込む足を止めた。
蛇が届く、その手前。
顔の前を通った刃が、髪を数本落とす。
そのまま細剣を返し、武器を握る手元へ打ち込んだ。
メドゥーサの武器が跳ねる。
エレナは追い、その柄を踏んだ。
細剣の先が、相手の胸元で止まった。
審判が腕を上げた。
「勝者、エレナ! 試合終了!」
エレンが両手を突き上げた。
サラも立ち上がる。
ザインは腕を解き、通路へ向かった。
戻ってきたエレナは、汗の浮いた額へ袖を当てた。
「疲れました。見るところが多くて」
「目は?」
ザインが訊いた。
「見ませんでした」
「よく当てたな」
「肩と腕は見えますから。皆さんのおかげで、見るところを絞れました」
サラが小さく息を吐いた。
エレナがその隣へ腰を下ろす。
「もっとも、あの髪がもう少し長かったら、下がっていましたけど」
「それ、先に言いなさいよ」
エレンが笑った。
ユリアンは右手の指で、自分の顎を持ち上げている。
「……こうか」
「何してるの」
「いや。さっきの目、もう一回避けられるかなって」
エレナが顔を向けた。
「二度とも、相手は同じように顎を上げていましたね。そのとき、どこを見ていました?」
「最初は顔。二回目は……その前に、来るって思った」
ユリアンがゆっくりと立ち、動きをなぞる。
エレンも、その前へ立った。
「ちょっと、やってみて」
「俺が目を光らせる方?」
「光らせられるなら、やってみなさいよ」
サラが笑った。
トーマスは手帳を開いた。
相手の目。顎が上がる前の、肩の動き。
ユリアンの言葉を、短く書き留める。
顔を上げると、エレナも隣から覗き込んでいた。
「その記録、あとで写させてもらってもいいですか?」
「もちろん」
書いた頁を、その場で彼女へ向けた。
*
夕方、次の対戦が掲示された。
ユリアンは左腕の擦り傷に巻いた布を直し、脇腹をかばいながら人だかりの隙間を覗いた。
隣ではサラが、使った矢の本数を数えている。
トーマスは明後日の商談までに済ませる確認を、頭の中で並べ直していた。
今日は、まだ間に合う。
そう思った時、ユリアンが動かなくなった。
「……なあ」
「どうしました」
「これ、出していい奴なの?」
指の先に、次の対戦相手が書かれていた。
ドラゴンズ。
先鋒、ブレイザー。
次鋒、バイター。
中堅、ワイバーン。
その下に、レッドドラゴン。
さらに、ドラコニアン。
トーマスは、もう一度副将の欄を読んだ。
「……竜、ですね」
「チーム名だけじゃないのかよ」
エレンが背伸びをする。
「へえ。面白そうじゃない」
サラの手が止まった。
「姉さん?」
「何よ」
「ちょっと、嬉しそう」
「そんなことないわよ」
否定しながらも、まだ対戦表を見ている。
エレナはその隣の注意書きを読んでいた。
「明日の試合は、障壁の点検が済んでから始めるそうです」
「何の?」
「火を防ぐためでしょうね」
ユリアンがもう一度、レッドドラゴンの名を見た。
「……そういうのが要る相手なんだな」
ザインは、横に貼られた賞金表を見ていた。
「三万オーラム」
「賞金の隣も、見てくださいね」
エレナが言った。
「見た」
「それで、どうします?」
ザインの視線が、赤い竜の名から賞金へ戻った。
「三万オーラム」
トーマスは眼鏡を押し上げた。
「勝っても、五人で分けるんですよね」
「六人だろ」
思わず顔を上げた。
ザインはこちらを見ず、対戦表へ向き直っている。
「お前も、声くらい出してたじゃねえか」
ユリアンが笑った。
「じゃあ、明日もよろしくな。セコンド」
トーマスは巻き直した包帯へ目を落とし、それから五人を見た。
「……明日の順番は、相談させてもらいます」
「俺、また最初?」
「今、相談すると言ったでしょう」
エレンが笑い、サラは数え終えた矢を矢筒へ戻した。
人混みを抜けたところで、ザインが足を止める。
「で、お前らの宿はどこだ」
トーマスが通りと宿の名前を言うと、エレナが目を丸くした。
「あら、私たちも同じ宿です」
「じゃあ、夕飯も一緒だな」
ユリアンが言った。
サラがトーマスの隣へ来る。
「さっきの商会の話、聞いてもいい?」
「ええ。まだ始めたばかりですが」
「すごいね。トーマスが商会を作るなんて」
「名前を考えたのは俺だけどな」
ユリアンが胸を張った。
「そこは別に自慢するところではありませんよ」
トーマスが返すと、エレンが笑った。
「そういや、エレン達はどうだったんだ? 旅の方は」
ユリアンが尋ねた。
「いろいろあったわよ。西の森で、教授っていうすごい人にも会ったし」
「すごい、というだけでは済まない方でしたけどね」
エレナが口を挟んだ。
ザインが鼻を鳴らす。
「爆発した。それだけだ」
「それだけで済ませないでください!」
ユリアンが目を丸くした。
「爆発? 何があったんだよ」
「その話は、宿に着いてからにしましょう」
エレナが言うと、ユリアンは足を速めた。
「よし、早く帰ろうぜ」
六人の声が重なり、宿へ続く通りへ流れていく。
トーマスは手帳に伸ばしかけた手を下ろした。
今夜くらいは、仕事を後回しにしてもよさそうだった。