Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

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第22話 切りふだ

 翌朝、ユリアンは椅子から立ち上がろうとして、顔をしかめた。

 脇腹に手を当てる。昨夜より痛みが増していた。

「今日は僕が出るよ」

 向かいで対戦表を見ていたトーマスが言った。

「いや、これくらい――」

「無理せず身体をひねってみて」

 ユリアンは言われた通りにしたが、途中で動きを止めた。

「……昨日は、もう少し動いたんだけどな」

「昨日、四人と戦ったからだろう」

 トーマスは出場者欄のユリアンの名前を消し、自分の名前を書き込んだ。空いたセコンドの欄には、ユリアンの名を記す。

 窓の外では、朝から呼び込みの声が響いている。闘技場へ向かう人の列が、宿の前を通り過ぎていった。

 ザインがパンをちぎりながら訊いた。

「交代していいのか」

「試合前に届け出ればね。登録した六人の中から、試合ごとに五人を選べる。途中で退いた人が同じ試合に戻るのは駄目だけど」

「じゃあ、俺は最後に――」

「今日は休む」

「はい」

 ユリアンは盾を置いた。

 エレンが横から紙を覗く。

「相手は?」

「ドラゴンズ」

「それは昨日見た。中身」

 トーマスは五つの名前を指で追った。

 ブレイザー。バイター。ワイバーン。レッドドラゴン。ドラコニアン。

 エレンの指が、四つ目で止まる。

「……これ、本当の竜?」

「名前に書いてあるだろ」

「チーム名かもしれないじゃない」

「一頭ずつ名前を変えてまで嘘をつくかよ」

 エレナは大会の案内を裏返した。

「闘技場には防火の障壁を張るそうです。昨夜、係の人に確認しました」

「観客席は安全ってこと?」

「観客席はね」

 サラがパンを持ったまま、姉を見る。

「……出なくてもいいんだよね」

「そりゃそうだ」

 ザインは最後のひとかけを口へ放り込んだ。

「三万は惜しいが、使えなくなったら意味がねえ。無理なら降りろ」

「ザインも、ですよ」

 エレナに言われ、ザインは片眉を上げた。

「俺が一番、金の使い道を考えてるだろ」

「そこは信用しています」

 トーマスは笑いながら紙を畳み、壁に立てかけていた槍を取った。

 石突きを床へ置き、握りを確かめる。帳簿を扱うときとは違う手つきに、ユリアンが少し口元を緩めた。

「久しぶりだな、それ」

「荷物としては、ずっと持ち歩いていたけどね」

「今日はちゃんと使えよ」

「使わずに勝てるなら、それでもいいんだけど」

「それ、ザインみたいになってるぞ」

「俺は使った上で勝つんだよ」

 ザインが椅子を引いた。

「行くぞ。遅れたせいで負けるのは御免だ」

*

 闘技場の床には、昨日の傷がまだ残っていた。

 その上を、炎をまとった獣が駆けてくる。

 サラは弓を引き絞った。

 正面を狙った一本目に、ブレイザーが身体をひねる。矢は肩をかすめ、石床へ跳ねた。

 次は、曲がる先へ。

 左へ出ようとした前脚のすぐ先に矢が刺さり、獣が進路を変える。

 サラはもう三本目をつがえていた。

 踏み切る瞬間。伸びた首の下へ矢が通った。

 ブレイザーが転がり、まとっていた炎が小さくなる。立ち上がろうとしたところへ、サラは次の矢を向けた。

 係の者が制止の杖を掲げた。

「勝負あり!」

 歓声に押されるように、サラの肩から力が抜ける。

 だが、次のバイターは、その呼吸を待ってくれなかった。

 低い姿勢で走る。放った矢の下を抜け、横へ逃げようとした足元へ回り込んだ。

 サラは弓を抱えて跳んだ。

 着地した踵が、場外の砂を踏んだ。

「あ……」

 鐘が鳴る。

 戻ってきたサラは、開口一番に頭を下げた。

「ごめん。もう少しだったのに」

「一頭倒したでしょ」

 エレンが背中を軽く叩いた。

「あとは私たちの仕事」

 昨日、自分がユリアンに言った言葉だった。

 サラは顔を上げ、小さく笑った。

「うん。……エレナ、低いところから来るよ」

「見ていました。教えてくれてありがとうございます」

 エレナは細剣を抜き、場内へ進んだ。

 バイターが走る。

 彼女は後ろへ下がらず、斜め前へ足を運んだ。突進の線から身体を外し、すれ違いざまに前脚を突く。

 速度の落ちた相手を、今度は追った。

 二度目の突きで肩口を捉えると、バイターは腹を床につけた。

 次のワイバーンには、剣先を下げて待った。

 頭上を旋回する影を追い、サラが思わず顎を上げる。

「飛んだままだったら、どうするのかな」

「向こうも倒しに来るんだ。いずれ降りる」

 ザインの言葉が終わる前に、翼が畳まれた。

 エレナが横へ滑る。

 爪が、ついさっきまで彼女の立っていた場所を削った。細剣が翼の付け根を捉えたが、浅い。風が巻き、ワイバーンは再び上昇した。

 エレナは追わなかった。

 二度目も避ける。今度は剣を出さず、すぐに向き直った。

 三度目。傷ついた側の翼が開くのが遅れた。

 そこへ、左手から起こした風をぶつける。

 傾いた巨体が石床を打った。翼を広げ直すより先に、エレナの剣先が喉元へ届く。

 係の杖が上がった。

「勝者、エレナ!」

「二人抜きね」

 エレンが笑う。

 ザインは頷いたが、目は次の門に向いていた。

 門の奥から、鎖の軋む音がした。

 続いて熱が来た。

*

 赤い鱗が、日の光を鈍く返した。

 太い前脚。床へ擦れる尾。持ち上がった頭が、エレナを見下ろす。

 レッドドラゴンが一歩進むたびに、爪の音が闘技場へ響いた。

 客席の声が薄くなる。

 エレナは剣を構えたまま、足を半歩引いた。

 竜の前脚が持ち上がった。

 エレナは横へ踏み込み、振り下ろされる爪をかわした。

 すれ違いざまに、細剣を突き出す。

《星穿ち》

 切っ先が赤い鱗を貫いた。

 竜が吠え、前脚を引く。

 エレナはすぐに剣を抜き、距離を取った。

 血が流れている。確かに傷はつけた。

 だが、竜は動きを鈍らせるどころか、怒りに任せて前へ出てきた。

「……効いてはいるようですが」

 エレナは息を整えた。

 先ほどの二戦に加え、今の一撃。腕には重い疲れが残っている。

 もう一度《星穿ち》を放つことはできるだろう。だが、その後まで動ける自信はなかった。

 竜の首が上がる。

 胸が大きく膨らんだ。

 エレナは横へ走った。

 炎が背後を通り過ぎる。障壁が赤く浮かび、熱風が金髪を乱した。

 端まで逃れたところで、袖についた火の粉を払う。

 竜はもう、こちらへ向き直っていた。

 エレナは細剣を構え直しかけ、止めた。

 傷はつけられる。けれど、倒しきれなければ、次の炎を避けられない。

「降参します!」

 はっきりした声が通った。

 係が合図を出す。竜の前へ光の柵が立ち上がり、次の一歩を止めた。

 エレナは剣を収め、戻ってきた。

「大丈夫?」

 サラに頷いてから、外套の端を確かめる。焦げた布を指でつまみ、小さく息を吐いた。

「……縫い直せば済みそうですね」

「服だけで済んだんだ。上等だろ」

「ええ」

 ザインに短く答え、エレナは水を受け取った。

 エレンが斧を持って立つ。

「じゃ、行ってくる」

「エレン、ひとつだけ」

 エレナが杯を置いた。

「炎を吐く前に、竜は首を上げて胸を膨らませます。その間、前脚は動いていませんでした」

「じゃあ、横へ逃げればいいのね?」

「少なくとも、先ほどは追いついてきませんでした。ただ、同じ動きをするとは限りません」

 エレナは続けた。

「それから、左前脚の内側に傷をつけています。付け根の少し下です」

 

「分かった。そこを狙えばいいのね」

「私の剣でも、深くは届きませんでした。無理はしないでくださいね」

「ありがと。まずはやってみる」

 エレンは場内を見た。

 竜が爪を鳴らしている。

「深追いするなよ」

 ザインが言った。

「駄目なら戻れ。次は俺が出る」

「はいはい」

 エレンは手を振り、石段を下りた。

 近くで見ると、なお大きかった。

 斧を振り上げても、背には届きそうにない。鱗の重なった胸は分厚く、どこへ打ち込んでも弾かれそうだった。

 なら、動くところだ。

 フランシスカを握り直す。

 竜が首を上げた。

 エレンは走った。

 右へ。炎の線から外れ、左前脚の外側へ。

 熱が背中を押す。止まらずに踏み込み、斧を振り下ろした。

 硬い音がした。

 刃が鱗を削り、手に痺れが返る。

「……かったい!」

 竜が首を曲げた。

 歯の並んだ顎が迫る。

 エレンは身を沈め、その下を抜けた。

 左前脚の内側。

 赤い鱗の間に、小さな傷があった。周囲の鱗には、まだ血が残っている。

 エレナがつけた傷だ。

 エレンは一歩踏み込み、斧を引いた。

 木を断つときのように腰を回す。腕だけではなく、身体の重みを刃へ乗せる。

《大木断》

 斧が傷口を捉えた。

 硬い鱗の隙間へ刃が食い込み、傷を押し広げる。

 竜が吠えた。

 左前脚が大きく持ち上がる。

 エレンは斧を引き抜き、離れようとした。

 頭上が暗くなった。

 前脚が振り下ろされる。

 エレンは跳んだ。

 間に合わない。

 爪の脇が右腿をかすめ、脚の重さに身体を弾き飛ばされた。肩から床へ落ち、息が詰まる。

「お姉ちゃん!」

 サラの声が遠く聞こえた。

 斧は、離していない。

 肘をついて身体を起こす。右脚に力を入れた瞬間、痛みが走った。

「続けられるか!」

 審判が訊く。

 竜の足音が近づいていた。

 エレンは斧を支えに立った。

「続ける!」

 客席がどよめいた。

 右脚は動く。踏み込める。

 ただ、同じようには逃げられない。

 竜の左前脚を見る。

 傷口は広がっていた。脚をつくたびに血が滲み、巨体がわずかに傾く。

 それでも、竜は止まらなかった。

 左前脚を持ち上げる。

 その直前、反対側の肩が沈んだ。

 さっきも、そうだった。

 影が伸びる。

 エレンは外へ跳ぼうとする身体を止めた。

 そっちじゃない。

 脚が落ちるより先に、竜の胸の下へ踏み込んだ。

 すぐ脇で石床が砕けた。

 腹に響く轟音。それでも、今度は倒れていない。

 目の前に、傷ついた左前脚があった。

 竜は踏み下ろした脚へ体重を戻そうとしている。

 その内側で、広がった傷が開いた。

「そこっ!」

 エレンは斧を叩き込んだ。

 刃が、先ほどより深く沈む。

 竜の肩が落ちた。

 エレンはすぐに斧を抜き、身体を引いた。

 竜が傷ついた脚を浮かせる。

 右の前脚だけで巨体を支えようとして、重心が大きく傾いた。

 エレンは胸の下から抜け、距離を取る。

 竜が首を上げた。

 胸が膨らみ始める。

 ――また来る。

 エレンは横へ走った。

 炎が石床を舐め、観客席の障壁を赤く染める。

 竜は首を曲げ、炎でエレンを追おうとした。

 だが、傷ついた左前脚が踏ん張れない。

 巨体が傾いた。

 炎の軌道が逸れ、竜はそのまま胸から石床へ崩れ落ちた。

 重い音が闘技場へ響く。

 エレンは斧を構えたまま、数歩下がった。

 竜が唸る。

 右前脚をつき、身体を起こそうとした。

 しかし、左前脚へ体重を移した途端、傷ついた脚が折れ曲がる。

 もう一度、巨体が床へ沈んだ。

 竜はなおも立ち上がろうとしていた。

 だが、傷ついた左前脚は巨体を支えられない。

 係の者たちが顔を見合わせた。

 審判が一歩前へ出る。

 係の杖が、一斉に上がった。

「勝負あり! 勝者、エレン!」

 一瞬遅れて、歓声が押し寄せた。

 エレンは目を瞬かせた。

 終わった。

 竜はまだ唸っている。けれど、立ち上がることはできない。

 エレンは息を吐き、斧を高く掲げた。

「っしゃあ!」

 客席で誰かが立った。それにつられるように、何人もが腕を振る。

 サラが両手を叩いていた。

 エレンは笑って応え、振り返った。

 最初の一歩で、右脚から力が抜けた。

 控えの入口まで来ていたザインが、腕を掴んだ。

「……ちょっと肩貸して」

「ほら見ろ」

「勝ったんだから、先に褒めなさいよ」

「よくやった。だから座れ」

 肩を借りて腰を下ろすと、痛みが急にはっきりした。

 サラが膝をつき、姉の右腿を確かめる。エレナは係から冷たい布を受け取った。

「骨は大丈夫そう。でも、腫れてる」

「歩けるわよ」

「今、歩けなかったでしょう」

 エレナが冷たい布を傷に当てる。

「しばらく冷やしておきましょう。無理に動かさないでくださいね」

 エレンは言い返しかけたが、サラの心配そうな顔を見て口を閉じた。

「……分かったわよ」

 サラが布を押さえるのを代わり、エレナは立ち上がった。

 呼吸を整えながら、エレンは闘技場へ目を向けた。

「次は?」

「俺だ」

 ザインが曲刀を抜いた。

 ドラコニアンは、身の丈ほどもある大剣を構えて待っていた。

 厚い刃が振り下ろされる。

 ザインは半歩ずれ、曲刀で刃を斜めに受け流した。石床に大剣が打ちつけられ、火花が散る。

 二撃目は横薙ぎだった。

 ザインは間合いを外す。剣が目の前を通り過ぎ、風が髪を揺らした。

 三撃目。

 ドラコニアンが大剣を振りかぶったところで、ザインが踏み込んだ。

 振り下ろすには、近すぎる。

 曲刀の鍔で相手の腕を押さえ、空いた手を胸元へ当てる。そのまま足を掛け、体勢を崩した。

 ドラコニアンが背中から落ちた。

 大剣が石床を滑る。

 起き上がる前に、曲刀の切っ先が喉元で止まった。

 鐘が鳴った。

「……早くない?」

 エレンが呟いた。

 ユリアンも、まだ場内を見ていた。

「竜の後に見ると、余計にな」

 戻ってきたザインは、曲刀を収めた。

「おじさん、あっさり勝っちゃったわね」

「相手が違う。あの赤い奴なら、俺もどうなってたか分からん」

「……へえ、珍しく弱気ね」

「弱気じゃねえ。お前がよく勝ったって話だ」

 エレンは一瞬、返す言葉に迷った。

「……ありがと」

「で、足はどうだ?」

「平気よ」

 サラが首を横に振る。

「今日は休んだ方がいい」

「だそうだ」

「聞く相手、間違えてない?」

「合ってる」

 エレンが頬を膨らませた。

 トーマスは出場順の紙に目を落とし、彼女の名前に線を引いた。

 隣に座っていたユリアンが、場所を空ける。

「ようこそ」

「嬉しくない」

「俺だって嬉しくねえよ」

*

 昼を挟んだ準決勝では、水術士の一団と当たった。

 エレナが二人を破ったものの、続く相手は術を放つたびに距離を取った。

 しばらく動きを確かめ、エレナは自ら交代を告げた。

「無理に追えば、こちらが先に疲れてしまいますね」

 控えへ戻ると、相手の術が届く距離と、放つまでの間をサラに伝える。

 サラはその助言を生かして一人を倒したものの、四人目の水流に足を取られ、場外へ押し出された。

 残りはザインが片づけた。

 トーマスは槍を手にしたまま、また座ることになった。

「……まだ使ってないな」

 ユリアンが言う。

「持ってきた甲斐がないね」

「決勝は最初に出ろよ」

 トーマスは少し考え、頷いた。

「そうする」

 夕方の決勝を前に、控えへ湯と軽食が運ばれてきた。

 サラは矢を数え、エレナは細剣の刃を布で拭っていた。ザインは壁にもたれ、目を閉じている。

 エレンは椅子に足を載せたまま、肉を挟んだパンを噛んでいた。

「あと一人くらいなら、あたしも――」

「立つとき顔しかめた奴は座ってろ」

 ユリアンが言った。

「あんたに言われたくない」

「だから二人で座ってるんだろ」

 エレンは言い返しかけ、パンへ視線を落とした。

「……水、取って」

「はいよ」

 トーマスが対戦表を机へ置く。

「決勝は、じごくの壁。ツヴァイクの兵士たちだ」

「地元か」

 ユリアンが窓の外を見る。

 通りを行く客が、大きな盾を描いた旗を振っていた。

「完全に向こうの応援だな」

「四人で、六人を相手にすることになるかもしれない」

 トーマスは最後の名前を指した。

 マッドブル。その横に、セコンド、とある。

「待てよ。セコンドは試合に出られないんじゃなかったか?」

 ユリアンが訊いた。

「ええ。通常は認められていません」

「じゃあ、何で六人いるんだ?」

「……主催者側のチームですからね」

 トーマスが言葉を濁した。

「ずるいじゃない!」

 エレンが声を上げる。

「最初から六人いるつもりでやるぞ」

 ザインが目を開けた。

 エレナが、拭き終えた細剣を鞘へ戻す。

「では、私は術を温存しておきます」

「俺を当てにしすぎるのもやめろよ」

「頼りにしています」

「聞いちゃいねえ」

 サラが笑った。

 外で、決勝開始を告げる鐘が鳴った。

*

「我らツヴァイク、じごくの壁の厚さを思い知れ!」

 先頭の男が斧を掲げた。

 観客席から、割れるような歓声が返る。

 門の脇には、五人の重装兵が並んでいた。全身を鉄の鎧で覆い、片手には大きな盾。もう一方には斧を携えている。

 その後ろには、ひときわ大きな男が座っていた。

「……本当に六人いるんだな」

 ユリアンが呟いた。

「主催者側だけ特別扱いとはね」

 トーマスは苦笑し、槍を握った。

「ま、勝ってから文句を言おうぜ」

 ザインが言った。

「そうですね」

 トーマスは槍を構え、場内へ出た。

 先鋒、ダンデライオン。

 男が盾を上げる。

 トーマスは槍を突いた。

 穂先が盾に当たり、弾かれる。すぐに引いて膝を狙うが、今度は盾が下がった。

 斧が振られる。

 トーマスは槍の柄を斜めに構え、刃を受け流した。それでも両腕に重い衝撃が伝わる。 すぐに距離を取り直す。

 鎧は厚い。関節にも鉄の板が重なり、槍を通せる場所は限られている。

 だが、男の動きは鈍くなかった。

 踏み込みに合わせて盾が動き、槍を引けば斧で詰めてくる。

 もう一度突く。

 盾で払われ、穂先が横へ流れた。

 トーマスは槍を戻したが、呼吸が思ったより早く乱れていた。

「トーマス、追わせろ!」

 ユリアンの声が飛んだ。

 トーマスは後退した。

 一歩。二歩。

 重装兵が追う。

 盾を前へ突き出し、間合いを詰めてきた。

 トーマスはもう一歩下がった。

 斧が上がる。

 その瞬間、盾も持ち上がった。

 膝当てと脛当ての間に、わずかな隙間が見える。

 槍の穂先を滑り込ませた。

「ぐっ!」

 男の踏み込みが止まる。

 トーマスは槍を引かず、柄で盾の下端を押し上げた。

 身体を寄せ、肩で押す。

 重装兵が片膝をついた。

 兜の下へ穂先を戻すと、斧を持った手が止まった。

「……参った」

 鐘が鳴った。

 トーマスは槍を引き、深く息を吐いた。

 次の相手が出る前に、審判へ片手を上げる。

「ここで交代します」

 控えへ戻ると、ユリアンが水を差し出した。

「腕は鈍ってないな」

「腕はね……」

 トーマスは腰を下ろした。

 胸がまだ大きく上下している。

「もう少し、走っておくべきだった」

「商談には毎日走り回ってただろ」

「馬車でね」

「そりゃ駄目だ」

 エレンが笑い、トーマスも息の合間に笑った。

 その前を、サラが弓を持って通った。

「次、行ってくるね」

「うん。あの鎧は硬い。盾を上げさせると、脚が見えるよ」

「見てた。ありがとう」

 サラは頷き、陽の傾いた石床へ出た。

*

 二人目のハッピーラングは、盾を構えて進んできた。

 サラは間合いを保ち、矢を放った。

 胸を狙った一本目は、盾に弾かれる。

 二本目は脚へ。

 重装兵が盾を下げ、矢を防いだ。

 サラは横へ走った。

 相手が向き直る。

 盾の外から、斧が振られた。

 サラは身を引き、もう一本つがえる。

 今度は、斧を持つ腕へ。

 矢が鉄の籠手に当たり、甲高い音を立てて跳ねた。

 効かない。

 重装兵が踏み込んでくる。

 サラは後退しながら、盾と斧の動きを見た。

 腕を上げた時、肘の内側に小さな隙間ができる。

 もう一度。

 相手が斧を振り上げた。

 サラは弓を引き絞った。

 矢が飛ぶ。

 籠手と肘当ての間へ、矢尻が入り込んだ。

「ぐあっ!」

 男が腕を引いた。

 斧が石床へ落ちる。

 サラは次の矢をつがえ、相手の顔へ向けた。

 重装兵は動きを止めた。

 やがて、無事な方の手を上げる。

 審判の旗が上がった。

「勝者、サラ!」

 控えから歓声が上がった。

 サラは息を吐いた。

 だが、次のナッシングは、盾を下げなかった。

 低く構えたまま、距離を詰めてくる。

 脚を狙えば盾を下げる。頭へ向ければ身体ごと傾ける。

 先ほどの相手より、隙が少ない。

 サラは横へ走った。

 重装兵が追う。

 矢を放とうとした瞬間、盾の陰から斧が飛んだ。

 投げてくるとは思わなかった。

 サラは身をかわす。

 その先へ、男が踏み込んでいた。

 盾が迫る。

 サラは弓を抱えて下がった。

 背後には、場外の白線。

 もう一本つがえる余裕はない。

「……降参します」

 ナッシングが足を止め、盾を引いた。

 サラは弓を下ろした。

*

 戻るサラを、エレナが迎えた。

「怪我はありませんか?」

「うん。でも、斧を投げてくるなんて……」

「私も驚きました。あの距離から投げるとは思いませんでしたから」

 エレナは場内へ目を向けた。

 ナッシングが、投げた斧を拾い上げている。

「ただ、投げる直前に肩が動いていましたね」

「……うん。見えてたら避けられたかも」

「いえ、よく見ていました。あとは任せてください」

 エレナは細剣を抜き、場内へ進んだ。

 ナッシングは同じように盾を構えていた。

 エレナが細剣を突く。

 盾が受ける。

 剣先を引き、今度は脚を狙った。

 相手の盾が下がる。

 その動きに合わせ、エレナは間合いを外した。

 ナッシングが追う。

 細剣が盾の縁をかすめた。

 もう一度。

 今度は剣先を届く寸前で止めた。

 相手が斧を引く。

 肩が動いた。

 エレナは横へ踏み込んでいた。

 斧が脇を通り過ぎる。

 盾を押し出そうとした男の手首へ、細剣を伸ばした。

 鋼の籠手を滑り、切っ先が手首の継ぎ目へ届く。

 男の動きが止まった。

 エレナは剣をそれ以上進めなかった。

「ここまでで、よろしいですか」

 男は苦い顔で頷いた。

 審判が勝者を告げた。

 四人目、ウィナー。

 今度の男は斧を投げなかった。

 盾を前へ押し出し、間合いを詰めてくる。

 エレナが横へ動く。

 盾が追った。

 さらに回り込む。

 重装兵は足を踏み替え、正面を外さない。

 エレナは細剣を突き出した。

 盾に弾かれる。

 もう一度。

 今度は兜を狙うふりをした。

 盾が上がった。

 だが、男は足元を崩さなかった。

 エレナは息を整えた。

 普通の突きでは、鎧を抜けない。

 《星穿ち》なら届くだろう。だが、勝つために相手の身体を深く貫く必要はない。

 それに、今日はすでに何度も術を使っている。

 男が踏み込んできた。

 エレナは斜めに下がり、もう一度剣を伸ばす。

 盾が追う。

 相手が足を踏み替えた、その瞬間。

 エレナは左手を低く動かした。

 風が石床を走る。

 踏み出しかけた足がわずかに流れ、重装兵の身体が傾いた。

 エレナは盾の外側へ回り込んだ。

 細剣を伸ばす。

 切っ先が、兜と喉当てのわずかな隙間で止まった。

 男は剣先を見た。

 もう一歩動けば、刃が届く。

 斧を握った手が下がった。

 審判の旗が上がる。

「勝者、エレナ!」

 歓声が響いた。

 エレナは細剣を下ろした。

 指先が、少し痺れていた。

 朝から使い続けた術の疲れが、腕の奥に残っている。

 控えを見ると、ザインがもう立っていた。

 彼女は小さく笑い、審判へ交代を告げた。

「あと二人、お願いします」

「二人で済めばな」

 すれ違いざまに、ザインが答えた。

*

 五人目、ストレイキャット。

 男は大きな盾を構えていた。

 ザインはゆっくり間合いへ入った。

 曲刀を振る。

 盾が受ける。

 その陰から斧が出た。

 半歩下がって避け、また入る。

 相手の足運びは確かだった。重い鎧を着ていても、動きは鈍くない。

 ザインはもう一度、曲刀を振った。

 盾へ当てる寸前で引く。

 受けようとした盾だけが前へ出た。

 ザインはその外側へ回り、斧を持つ腕を曲刀の鍔で押さえた。

 男が力で押し返そうとする。

 ザインは逆らわず、相手の膝裏へ足を掛けた。

 重心が崩れる。

 そのまま肩からぶつかった。

 ストレイキャットが、白線の向こうへ転がった。

「場外! 勝者、ザイン!」

 歓声と悲鳴が入り混じった。

「勝った!」

 ユリアンが立ちかける。

 トーマスが、その上着を引いた。

「まだ」

 向こうの控えから、大きな男が立ち上がった。

 マッドブル。

 盾を持つ腕も、斧を握る手も、他の五人より一回り太い。

「おい! 本当に六人目が出てきたぞ!」

 ユリアンが声を上げた。

「セコンドなのに?」

 サラが目を丸くする。

 トーマスは対戦表を見た。

「……特別扱いは、本当だったようですね」

 場内で、マッドブルが斧を掲げた。

「ならば、切りふだを使わせてもらおう!」

 客席が沸いた。

 ザインは曲刀を下げず、相手を見た。

「最初から出てこいよ」

「切りふだとは、最後に使うものだ」

「こっちは夕飯が待ってるんだ」

 マッドブルが笑い、盾を構えた。

 踏み込んでくる。

 ザインは横へ動いた。

 その先を、盾が塞いだ。

 すぐに斧が振り下ろされる。

 ザインは間合いを外した。

 なるほど。

 見ていたわけだ。

 こちらが曲刀を返す方向も、盾の外へ回る足も。

 先ほどの相手とは違う。

 マッドブルが踏み込む。

 ザインは同じように横へ動きかけた。

 盾が追った。

 そこで足を止める。

 次の一歩は前だった。

 盾の内側へ身体を寄せ、相手の肘を押さえる。

 斧が振り下ろされる前に、その柄へ曲刀の鍔を噛ませた。

 大きな身体が詰まった。

「な――」

 ザインは相手の足の甲を踏み、動きを封じた。

 肩で押す。

 マッドブルが踏ん張る。

 その力に合わせて、今度は引いた。

 前のめりになった兜の脇へ、柄頭を一撃。

 男がよろめいた。

 ザインは足を払い、相手を倒した。

 重い鎧が石床にぶつかる。

 マッドブルは起き上がろうとした。

 だが、その前にザインが踏み込んでいた。

 曲刀の切っ先が、兜の覗き穴の前で止まる。

 マッドブルは動かなかった。

 やがて、大きく息を吐いた。

「……参った」

 審判の腕が上がった。

「優勝! トーマスカンパニー!」

 歓声が闘技場を揺らした。

 今度こそ、ユリアンが立った。

 サラが笑い、トーマスが膝の上の対戦表を閉じる。

 エレンは座ったまま、両手を上げた。

「やったあ!」

 そして、ふと首を傾げた。

「……トーマスカンパニー?」

「登録した時に、名前が必要だったからね」

 トーマスが平然と答えた。

「あたし、社員じゃないんだけど!」

「名前が広まれば、商談にも有利になると思って」

「ちゃっかりしてるわね!」

 戻ってきたザインが、二人を見た。

「宣伝に使うなら、別料金だぞ」

「君まで……」

 トーマスが苦笑した。

*

 表彰式には、六人で並んだ。

 エレンは右脚に体重をかけないように立ち、ユリアンは包帯の上から上着を羽織っている。

 ツヴァイク公は、その二人も含めて見渡した。

「見事であった! とりわけ竜を倒した一戦、実に愉快であったぞ!」

「どうも」

 エレンが少し照れたように頭を下げる。

 差し出された箱には、金色のメダルが入っていた。

「余の顔を彫り込んだ、ありがたい優勝メダルだ!」

 ザインが受け取り、裏返す。

 縁を見る。指で軽く弾く。

 公爵の眉が動いた。

「何をしておる」

「純金か?」

「記念品だ!」

「そうか」

 トーマスが、そっとザインからメダルを受け取った。

「売らないでください」

「価値を確認しただけだ」

「今はしまっておきます」

 続いて、賞金の三万オーラムが渡された。

 大金貨の入った袋を受け取り、ザインは重さを確かめる。

「六人で五千ずつだな」

「私は決勝に出てないけど?」

 エレンが訊いた。

「竜を倒しただろ」

「俺も今日は――」

「昨日三人倒した」

 ユリアンまで言いかけて、遮られた。

 トーマスが笑う。

「そこは最初に決めた通りだね」

「お前も槍を振ったんだ。遠慮するなよ」

「しないよ。明日から走るための靴でも買おうかな」

「馬車代にするなよ」

 ユリアンに言われ、トーマスは肩をすくめた。

 公爵が咳払いをした。

「……ところで、優勝者たるお前たちに、もう一つ頼みがある」

 エレナが顔を上げる。

「聖杯を、取り戻してもらいたい」

 その言葉で、手帳へ伸ばしかけた指が止まった。

 聖王遺物。

 公爵は椅子へ深く座り直した。

「ポドールイの、レオニード伯爵の城にあるという。吸血鬼などに持たせておくものではない」

「伯爵のところに?」

 ユリアンが口にした。

「知っておるのか」

「以前、モニカ様をお連れしたときに。世話になりました」

 公爵の顔が、わずかに曇った。

「取り戻すって、元は誰の物なんだ」

 ザインが尋ねた。

「聖王の遺物だと言ったであろう」

「そいつは分かった。伯爵が奪ったのか?」

「……詳しい経緯までは知らぬ」

 エレナが顔を上げた。

「恐れ入ります。聖杯が伯爵のもとへ渡った経緯については、まだ分かっていないということでしょうか」

「そうだ。だが、相手は吸血鬼だぞ」

「ええ。ただ、聖王の遺物であればこそ、由来は確かめておきたいと思います」

 トーマスも頷いた。

「事情が分からないまま、返還をお願いするのは難しそうですね」

「むう……」

「伯爵にお話を伺う機会があれば、私たちも確かめてみます。ただ、聖杯をお持ちすると、今ここでお約束はできません」

 丁寧な声に、公爵はしばらく黙った。

 やがて、片手を振る。

「……ならば、何か分かったら知らせよ」

「承知しました」

 エレナは手帳へ、聖杯、と書き留めた。

 その下に、伯爵への伝来、と小さく添える。

 聖王の遺物が、なぜ吸血鬼の伯爵のもとにあるのか。

 確かめるまでは、何も決められない。

 手帳を閉じると、隣でザインが賞金袋の口を結んでいた。

*

 城を出る頃には、街路が夕陽に染まっていた。

 露店の主が六人を見つけ、串を掲げた。

「優勝者だ! 一本食っていけ!」

 エレンが足を止める。

 ザインも止まった。

「いくらだ」

「祝いだ、一本ずつ持ってけ!」

「いい店だな」

「判断が早いですね」

 エレナが笑う。

 焼きたての肉を受け取ると、エレンはすぐにかぶりついた。

 サラが、姉の歩幅に合わせて横へ並ぶ。

「痛くない?」

「さっきよりはね」

「宿に戻ったら、もう一度冷やそう」

「分かった」

 今度は素直に頷いた。

 エレナが、その右脚をちらりと見た。

「エレン、脚の具合はいかがですか」

「さっきよりはまし。もう歩けるわよ」

「それならよかったです。……二度目の踏みつけ、よく避けられましたね」

「一回食らったからね。踏む前に、反対の肩が沈むのよ」

「肩を見ていたんですね」

「見たっていうか……また来るって分かったの」

 ユリアンが頷いた。

「昨日の俺も、そんな感じだった」

 エレナは二人を見比べた。

「お二人とも、相手の動きを一度見て、次は避けられたんですね」

「まあ、そういうことになるのかな」

「よければ、あとで何を見ていたのか教えてください。エレンの脚が治ってからで構いませんので」

「あたしが竜の役なら、ザイン踏んでいい?」

「それは、やめておきましょう」

「よくねえよ」

 即答に、サラが吹き出した。

 トーマスは宿の看板を見つけ、皆へ振り返った。

「明日の朝は、キャラバンとの二度目の交渉だ。ユリアン、まだ脇腹が痛むなら宿で休んでいて」

「話を聞くだけなら平気だ。行くよ」

「ありがとう」

「私たちは、その間に道具の手入れね」

 エレナが言った。

「エレンは休養」

「分かってるってば」

 宿へ入ると、主人が六人の顔を見て笑った。

「おめでとう。夕飯は少し多めに用意してあるよ」

「聞いた?」

 エレンが振り返った。

「聞こえた」

 ザインは食堂の椅子を引いた。

 エレンが腰を下ろすのを待ち、その隣へ座る。サラが向かいに入り、エレナは外套を椅子の背へ掛けた。

 トーマスはメダルの箱を卓の端へ置いた。

 ユリアンが覗き込む。

「これ、どこに飾る?」

「今夜はここでいいんじゃないかな」

 蓋を開く。

 金色の公爵が、六人を見上げた。

 その周りに杯が並び、焼いた肉と大皿の煮込みが運ばれてくる。

 ザインは賞金袋を足元へ置いた。

「分けるのは飯の後だ」

「あら、お金より先に食事?」

「冷めるだろ」

 エレナが笑って杯を持ち上げた。

 六つの杯が、卓の真ん中で触れ合った。

 

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