Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
翌朝、ユリアンは椅子から立ち上がろうとして、顔をしかめた。
脇腹に手を当てる。昨夜より痛みが増していた。
「今日は僕が出るよ」
向かいで対戦表を見ていたトーマスが言った。
「いや、これくらい――」
「無理せず身体をひねってみて」
ユリアンは言われた通りにしたが、途中で動きを止めた。
「……昨日は、もう少し動いたんだけどな」
「昨日、四人と戦ったからだろう」
トーマスは出場者欄のユリアンの名前を消し、自分の名前を書き込んだ。空いたセコンドの欄には、ユリアンの名を記す。
窓の外では、朝から呼び込みの声が響いている。闘技場へ向かう人の列が、宿の前を通り過ぎていった。
ザインがパンをちぎりながら訊いた。
「交代していいのか」
「試合前に届け出ればね。登録した六人の中から、試合ごとに五人を選べる。途中で退いた人が同じ試合に戻るのは駄目だけど」
「じゃあ、俺は最後に――」
「今日は休む」
「はい」
ユリアンは盾を置いた。
エレンが横から紙を覗く。
「相手は?」
「ドラゴンズ」
「それは昨日見た。中身」
トーマスは五つの名前を指で追った。
ブレイザー。バイター。ワイバーン。レッドドラゴン。ドラコニアン。
エレンの指が、四つ目で止まる。
「……これ、本当の竜?」
「名前に書いてあるだろ」
「チーム名かもしれないじゃない」
「一頭ずつ名前を変えてまで嘘をつくかよ」
エレナは大会の案内を裏返した。
「闘技場には防火の障壁を張るそうです。昨夜、係の人に確認しました」
「観客席は安全ってこと?」
「観客席はね」
サラがパンを持ったまま、姉を見る。
「……出なくてもいいんだよね」
「そりゃそうだ」
ザインは最後のひとかけを口へ放り込んだ。
「三万は惜しいが、使えなくなったら意味がねえ。無理なら降りろ」
「ザインも、ですよ」
エレナに言われ、ザインは片眉を上げた。
「俺が一番、金の使い道を考えてるだろ」
「そこは信用しています」
トーマスは笑いながら紙を畳み、壁に立てかけていた槍を取った。
石突きを床へ置き、握りを確かめる。帳簿を扱うときとは違う手つきに、ユリアンが少し口元を緩めた。
「久しぶりだな、それ」
「荷物としては、ずっと持ち歩いていたけどね」
「今日はちゃんと使えよ」
「使わずに勝てるなら、それでもいいんだけど」
「それ、ザインみたいになってるぞ」
「俺は使った上で勝つんだよ」
ザインが椅子を引いた。
「行くぞ。遅れたせいで負けるのは御免だ」
*
闘技場の床には、昨日の傷がまだ残っていた。
その上を、炎をまとった獣が駆けてくる。
サラは弓を引き絞った。
正面を狙った一本目に、ブレイザーが身体をひねる。矢は肩をかすめ、石床へ跳ねた。
次は、曲がる先へ。
左へ出ようとした前脚のすぐ先に矢が刺さり、獣が進路を変える。
サラはもう三本目をつがえていた。
踏み切る瞬間。伸びた首の下へ矢が通った。
ブレイザーが転がり、まとっていた炎が小さくなる。立ち上がろうとしたところへ、サラは次の矢を向けた。
係の者が制止の杖を掲げた。
「勝負あり!」
歓声に押されるように、サラの肩から力が抜ける。
だが、次のバイターは、その呼吸を待ってくれなかった。
低い姿勢で走る。放った矢の下を抜け、横へ逃げようとした足元へ回り込んだ。
サラは弓を抱えて跳んだ。
着地した踵が、場外の砂を踏んだ。
「あ……」
鐘が鳴る。
戻ってきたサラは、開口一番に頭を下げた。
「ごめん。もう少しだったのに」
「一頭倒したでしょ」
エレンが背中を軽く叩いた。
「あとは私たちの仕事」
昨日、自分がユリアンに言った言葉だった。
サラは顔を上げ、小さく笑った。
「うん。……エレナ、低いところから来るよ」
「見ていました。教えてくれてありがとうございます」
エレナは細剣を抜き、場内へ進んだ。
バイターが走る。
彼女は後ろへ下がらず、斜め前へ足を運んだ。突進の線から身体を外し、すれ違いざまに前脚を突く。
速度の落ちた相手を、今度は追った。
二度目の突きで肩口を捉えると、バイターは腹を床につけた。
次のワイバーンには、剣先を下げて待った。
頭上を旋回する影を追い、サラが思わず顎を上げる。
「飛んだままだったら、どうするのかな」
「向こうも倒しに来るんだ。いずれ降りる」
ザインの言葉が終わる前に、翼が畳まれた。
エレナが横へ滑る。
爪が、ついさっきまで彼女の立っていた場所を削った。細剣が翼の付け根を捉えたが、浅い。風が巻き、ワイバーンは再び上昇した。
エレナは追わなかった。
二度目も避ける。今度は剣を出さず、すぐに向き直った。
三度目。傷ついた側の翼が開くのが遅れた。
そこへ、左手から起こした風をぶつける。
傾いた巨体が石床を打った。翼を広げ直すより先に、エレナの剣先が喉元へ届く。
係の杖が上がった。
「勝者、エレナ!」
「二人抜きね」
エレンが笑う。
ザインは頷いたが、目は次の門に向いていた。
門の奥から、鎖の軋む音がした。
続いて熱が来た。
*
赤い鱗が、日の光を鈍く返した。
太い前脚。床へ擦れる尾。持ち上がった頭が、エレナを見下ろす。
レッドドラゴンが一歩進むたびに、爪の音が闘技場へ響いた。
客席の声が薄くなる。
エレナは剣を構えたまま、足を半歩引いた。
竜の前脚が持ち上がった。
エレナは横へ踏み込み、振り下ろされる爪をかわした。
すれ違いざまに、細剣を突き出す。
《星穿ち》
切っ先が赤い鱗を貫いた。
竜が吠え、前脚を引く。
エレナはすぐに剣を抜き、距離を取った。
血が流れている。確かに傷はつけた。
だが、竜は動きを鈍らせるどころか、怒りに任せて前へ出てきた。
「……効いてはいるようですが」
エレナは息を整えた。
先ほどの二戦に加え、今の一撃。腕には重い疲れが残っている。
もう一度《星穿ち》を放つことはできるだろう。だが、その後まで動ける自信はなかった。
竜の首が上がる。
胸が大きく膨らんだ。
エレナは横へ走った。
炎が背後を通り過ぎる。障壁が赤く浮かび、熱風が金髪を乱した。
端まで逃れたところで、袖についた火の粉を払う。
竜はもう、こちらへ向き直っていた。
エレナは細剣を構え直しかけ、止めた。
傷はつけられる。けれど、倒しきれなければ、次の炎を避けられない。
「降参します!」
はっきりした声が通った。
係が合図を出す。竜の前へ光の柵が立ち上がり、次の一歩を止めた。
エレナは剣を収め、戻ってきた。
「大丈夫?」
サラに頷いてから、外套の端を確かめる。焦げた布を指でつまみ、小さく息を吐いた。
「……縫い直せば済みそうですね」
「服だけで済んだんだ。上等だろ」
「ええ」
ザインに短く答え、エレナは水を受け取った。
エレンが斧を持って立つ。
「じゃ、行ってくる」
「エレン、ひとつだけ」
エレナが杯を置いた。
「炎を吐く前に、竜は首を上げて胸を膨らませます。その間、前脚は動いていませんでした」
「じゃあ、横へ逃げればいいのね?」
「少なくとも、先ほどは追いついてきませんでした。ただ、同じ動きをするとは限りません」
エレナは続けた。
「それから、左前脚の内側に傷をつけています。付け根の少し下です」
「分かった。そこを狙えばいいのね」
「私の剣でも、深くは届きませんでした。無理はしないでくださいね」
「ありがと。まずはやってみる」
エレンは場内を見た。
竜が爪を鳴らしている。
「深追いするなよ」
ザインが言った。
「駄目なら戻れ。次は俺が出る」
「はいはい」
エレンは手を振り、石段を下りた。
近くで見ると、なお大きかった。
斧を振り上げても、背には届きそうにない。鱗の重なった胸は分厚く、どこへ打ち込んでも弾かれそうだった。
なら、動くところだ。
フランシスカを握り直す。
竜が首を上げた。
エレンは走った。
右へ。炎の線から外れ、左前脚の外側へ。
熱が背中を押す。止まらずに踏み込み、斧を振り下ろした。
硬い音がした。
刃が鱗を削り、手に痺れが返る。
「……かったい!」
竜が首を曲げた。
歯の並んだ顎が迫る。
エレンは身を沈め、その下を抜けた。
左前脚の内側。
赤い鱗の間に、小さな傷があった。周囲の鱗には、まだ血が残っている。
エレナがつけた傷だ。
エレンは一歩踏み込み、斧を引いた。
木を断つときのように腰を回す。腕だけではなく、身体の重みを刃へ乗せる。
《大木断》
斧が傷口を捉えた。
硬い鱗の隙間へ刃が食い込み、傷を押し広げる。
竜が吠えた。
左前脚が大きく持ち上がる。
エレンは斧を引き抜き、離れようとした。
頭上が暗くなった。
前脚が振り下ろされる。
エレンは跳んだ。
間に合わない。
爪の脇が右腿をかすめ、脚の重さに身体を弾き飛ばされた。肩から床へ落ち、息が詰まる。
「お姉ちゃん!」
サラの声が遠く聞こえた。
斧は、離していない。
肘をついて身体を起こす。右脚に力を入れた瞬間、痛みが走った。
「続けられるか!」
審判が訊く。
竜の足音が近づいていた。
エレンは斧を支えに立った。
「続ける!」
客席がどよめいた。
右脚は動く。踏み込める。
ただ、同じようには逃げられない。
竜の左前脚を見る。
傷口は広がっていた。脚をつくたびに血が滲み、巨体がわずかに傾く。
それでも、竜は止まらなかった。
左前脚を持ち上げる。
その直前、反対側の肩が沈んだ。
さっきも、そうだった。
影が伸びる。
エレンは外へ跳ぼうとする身体を止めた。
そっちじゃない。
脚が落ちるより先に、竜の胸の下へ踏み込んだ。
すぐ脇で石床が砕けた。
腹に響く轟音。それでも、今度は倒れていない。
目の前に、傷ついた左前脚があった。
竜は踏み下ろした脚へ体重を戻そうとしている。
その内側で、広がった傷が開いた。
「そこっ!」
エレンは斧を叩き込んだ。
刃が、先ほどより深く沈む。
竜の肩が落ちた。
エレンはすぐに斧を抜き、身体を引いた。
竜が傷ついた脚を浮かせる。
右の前脚だけで巨体を支えようとして、重心が大きく傾いた。
エレンは胸の下から抜け、距離を取る。
竜が首を上げた。
胸が膨らみ始める。
――また来る。
エレンは横へ走った。
炎が石床を舐め、観客席の障壁を赤く染める。
竜は首を曲げ、炎でエレンを追おうとした。
だが、傷ついた左前脚が踏ん張れない。
巨体が傾いた。
炎の軌道が逸れ、竜はそのまま胸から石床へ崩れ落ちた。
重い音が闘技場へ響く。
エレンは斧を構えたまま、数歩下がった。
竜が唸る。
右前脚をつき、身体を起こそうとした。
しかし、左前脚へ体重を移した途端、傷ついた脚が折れ曲がる。
もう一度、巨体が床へ沈んだ。
竜はなおも立ち上がろうとしていた。
だが、傷ついた左前脚は巨体を支えられない。
係の者たちが顔を見合わせた。
審判が一歩前へ出る。
係の杖が、一斉に上がった。
「勝負あり! 勝者、エレン!」
一瞬遅れて、歓声が押し寄せた。
エレンは目を瞬かせた。
終わった。
竜はまだ唸っている。けれど、立ち上がることはできない。
エレンは息を吐き、斧を高く掲げた。
「っしゃあ!」
客席で誰かが立った。それにつられるように、何人もが腕を振る。
サラが両手を叩いていた。
エレンは笑って応え、振り返った。
最初の一歩で、右脚から力が抜けた。
控えの入口まで来ていたザインが、腕を掴んだ。
「……ちょっと肩貸して」
「ほら見ろ」
「勝ったんだから、先に褒めなさいよ」
「よくやった。だから座れ」
肩を借りて腰を下ろすと、痛みが急にはっきりした。
サラが膝をつき、姉の右腿を確かめる。エレナは係から冷たい布を受け取った。
「骨は大丈夫そう。でも、腫れてる」
「歩けるわよ」
「今、歩けなかったでしょう」
エレナが冷たい布を傷に当てる。
「しばらく冷やしておきましょう。無理に動かさないでくださいね」
エレンは言い返しかけたが、サラの心配そうな顔を見て口を閉じた。
「……分かったわよ」
サラが布を押さえるのを代わり、エレナは立ち上がった。
呼吸を整えながら、エレンは闘技場へ目を向けた。
「次は?」
「俺だ」
ザインが曲刀を抜いた。
ドラコニアンは、身の丈ほどもある大剣を構えて待っていた。
厚い刃が振り下ろされる。
ザインは半歩ずれ、曲刀で刃を斜めに受け流した。石床に大剣が打ちつけられ、火花が散る。
二撃目は横薙ぎだった。
ザインは間合いを外す。剣が目の前を通り過ぎ、風が髪を揺らした。
三撃目。
ドラコニアンが大剣を振りかぶったところで、ザインが踏み込んだ。
振り下ろすには、近すぎる。
曲刀の鍔で相手の腕を押さえ、空いた手を胸元へ当てる。そのまま足を掛け、体勢を崩した。
ドラコニアンが背中から落ちた。
大剣が石床を滑る。
起き上がる前に、曲刀の切っ先が喉元で止まった。
鐘が鳴った。
「……早くない?」
エレンが呟いた。
ユリアンも、まだ場内を見ていた。
「竜の後に見ると、余計にな」
戻ってきたザインは、曲刀を収めた。
「おじさん、あっさり勝っちゃったわね」
「相手が違う。あの赤い奴なら、俺もどうなってたか分からん」
「……へえ、珍しく弱気ね」
「弱気じゃねえ。お前がよく勝ったって話だ」
エレンは一瞬、返す言葉に迷った。
「……ありがと」
「で、足はどうだ?」
「平気よ」
サラが首を横に振る。
「今日は休んだ方がいい」
「だそうだ」
「聞く相手、間違えてない?」
「合ってる」
エレンが頬を膨らませた。
トーマスは出場順の紙に目を落とし、彼女の名前に線を引いた。
隣に座っていたユリアンが、場所を空ける。
「ようこそ」
「嬉しくない」
「俺だって嬉しくねえよ」
*
昼を挟んだ準決勝では、水術士の一団と当たった。
エレナが二人を破ったものの、続く相手は術を放つたびに距離を取った。
しばらく動きを確かめ、エレナは自ら交代を告げた。
「無理に追えば、こちらが先に疲れてしまいますね」
控えへ戻ると、相手の術が届く距離と、放つまでの間をサラに伝える。
サラはその助言を生かして一人を倒したものの、四人目の水流に足を取られ、場外へ押し出された。
残りはザインが片づけた。
トーマスは槍を手にしたまま、また座ることになった。
「……まだ使ってないな」
ユリアンが言う。
「持ってきた甲斐がないね」
「決勝は最初に出ろよ」
トーマスは少し考え、頷いた。
「そうする」
夕方の決勝を前に、控えへ湯と軽食が運ばれてきた。
サラは矢を数え、エレナは細剣の刃を布で拭っていた。ザインは壁にもたれ、目を閉じている。
エレンは椅子に足を載せたまま、肉を挟んだパンを噛んでいた。
「あと一人くらいなら、あたしも――」
「立つとき顔しかめた奴は座ってろ」
ユリアンが言った。
「あんたに言われたくない」
「だから二人で座ってるんだろ」
エレンは言い返しかけ、パンへ視線を落とした。
「……水、取って」
「はいよ」
トーマスが対戦表を机へ置く。
「決勝は、じごくの壁。ツヴァイクの兵士たちだ」
「地元か」
ユリアンが窓の外を見る。
通りを行く客が、大きな盾を描いた旗を振っていた。
「完全に向こうの応援だな」
「四人で、六人を相手にすることになるかもしれない」
トーマスは最後の名前を指した。
マッドブル。その横に、セコンド、とある。
「待てよ。セコンドは試合に出られないんじゃなかったか?」
ユリアンが訊いた。
「ええ。通常は認められていません」
「じゃあ、何で六人いるんだ?」
「……主催者側のチームですからね」
トーマスが言葉を濁した。
「ずるいじゃない!」
エレンが声を上げる。
「最初から六人いるつもりでやるぞ」
ザインが目を開けた。
エレナが、拭き終えた細剣を鞘へ戻す。
「では、私は術を温存しておきます」
「俺を当てにしすぎるのもやめろよ」
「頼りにしています」
「聞いちゃいねえ」
サラが笑った。
外で、決勝開始を告げる鐘が鳴った。
*
「我らツヴァイク、じごくの壁の厚さを思い知れ!」
先頭の男が斧を掲げた。
観客席から、割れるような歓声が返る。
門の脇には、五人の重装兵が並んでいた。全身を鉄の鎧で覆い、片手には大きな盾。もう一方には斧を携えている。
その後ろには、ひときわ大きな男が座っていた。
「……本当に六人いるんだな」
ユリアンが呟いた。
「主催者側だけ特別扱いとはね」
トーマスは苦笑し、槍を握った。
「ま、勝ってから文句を言おうぜ」
ザインが言った。
「そうですね」
トーマスは槍を構え、場内へ出た。
先鋒、ダンデライオン。
男が盾を上げる。
トーマスは槍を突いた。
穂先が盾に当たり、弾かれる。すぐに引いて膝を狙うが、今度は盾が下がった。
斧が振られる。
トーマスは槍の柄を斜めに構え、刃を受け流した。それでも両腕に重い衝撃が伝わる。 すぐに距離を取り直す。
鎧は厚い。関節にも鉄の板が重なり、槍を通せる場所は限られている。
だが、男の動きは鈍くなかった。
踏み込みに合わせて盾が動き、槍を引けば斧で詰めてくる。
もう一度突く。
盾で払われ、穂先が横へ流れた。
トーマスは槍を戻したが、呼吸が思ったより早く乱れていた。
「トーマス、追わせろ!」
ユリアンの声が飛んだ。
トーマスは後退した。
一歩。二歩。
重装兵が追う。
盾を前へ突き出し、間合いを詰めてきた。
トーマスはもう一歩下がった。
斧が上がる。
その瞬間、盾も持ち上がった。
膝当てと脛当ての間に、わずかな隙間が見える。
槍の穂先を滑り込ませた。
「ぐっ!」
男の踏み込みが止まる。
トーマスは槍を引かず、柄で盾の下端を押し上げた。
身体を寄せ、肩で押す。
重装兵が片膝をついた。
兜の下へ穂先を戻すと、斧を持った手が止まった。
「……参った」
鐘が鳴った。
トーマスは槍を引き、深く息を吐いた。
次の相手が出る前に、審判へ片手を上げる。
「ここで交代します」
控えへ戻ると、ユリアンが水を差し出した。
「腕は鈍ってないな」
「腕はね……」
トーマスは腰を下ろした。
胸がまだ大きく上下している。
「もう少し、走っておくべきだった」
「商談には毎日走り回ってただろ」
「馬車でね」
「そりゃ駄目だ」
エレンが笑い、トーマスも息の合間に笑った。
その前を、サラが弓を持って通った。
「次、行ってくるね」
「うん。あの鎧は硬い。盾を上げさせると、脚が見えるよ」
「見てた。ありがとう」
サラは頷き、陽の傾いた石床へ出た。
*
二人目のハッピーラングは、盾を構えて進んできた。
サラは間合いを保ち、矢を放った。
胸を狙った一本目は、盾に弾かれる。
二本目は脚へ。
重装兵が盾を下げ、矢を防いだ。
サラは横へ走った。
相手が向き直る。
盾の外から、斧が振られた。
サラは身を引き、もう一本つがえる。
今度は、斧を持つ腕へ。
矢が鉄の籠手に当たり、甲高い音を立てて跳ねた。
効かない。
重装兵が踏み込んでくる。
サラは後退しながら、盾と斧の動きを見た。
腕を上げた時、肘の内側に小さな隙間ができる。
もう一度。
相手が斧を振り上げた。
サラは弓を引き絞った。
矢が飛ぶ。
籠手と肘当ての間へ、矢尻が入り込んだ。
「ぐあっ!」
男が腕を引いた。
斧が石床へ落ちる。
サラは次の矢をつがえ、相手の顔へ向けた。
重装兵は動きを止めた。
やがて、無事な方の手を上げる。
審判の旗が上がった。
「勝者、サラ!」
控えから歓声が上がった。
サラは息を吐いた。
だが、次のナッシングは、盾を下げなかった。
低く構えたまま、距離を詰めてくる。
脚を狙えば盾を下げる。頭へ向ければ身体ごと傾ける。
先ほどの相手より、隙が少ない。
サラは横へ走った。
重装兵が追う。
矢を放とうとした瞬間、盾の陰から斧が飛んだ。
投げてくるとは思わなかった。
サラは身をかわす。
その先へ、男が踏み込んでいた。
盾が迫る。
サラは弓を抱えて下がった。
背後には、場外の白線。
もう一本つがえる余裕はない。
「……降参します」
ナッシングが足を止め、盾を引いた。
サラは弓を下ろした。
*
戻るサラを、エレナが迎えた。
「怪我はありませんか?」
「うん。でも、斧を投げてくるなんて……」
「私も驚きました。あの距離から投げるとは思いませんでしたから」
エレナは場内へ目を向けた。
ナッシングが、投げた斧を拾い上げている。
「ただ、投げる直前に肩が動いていましたね」
「……うん。見えてたら避けられたかも」
「いえ、よく見ていました。あとは任せてください」
エレナは細剣を抜き、場内へ進んだ。
ナッシングは同じように盾を構えていた。
エレナが細剣を突く。
盾が受ける。
剣先を引き、今度は脚を狙った。
相手の盾が下がる。
その動きに合わせ、エレナは間合いを外した。
ナッシングが追う。
細剣が盾の縁をかすめた。
もう一度。
今度は剣先を届く寸前で止めた。
相手が斧を引く。
肩が動いた。
エレナは横へ踏み込んでいた。
斧が脇を通り過ぎる。
盾を押し出そうとした男の手首へ、細剣を伸ばした。
鋼の籠手を滑り、切っ先が手首の継ぎ目へ届く。
男の動きが止まった。
エレナは剣をそれ以上進めなかった。
「ここまでで、よろしいですか」
男は苦い顔で頷いた。
審判が勝者を告げた。
四人目、ウィナー。
今度の男は斧を投げなかった。
盾を前へ押し出し、間合いを詰めてくる。
エレナが横へ動く。
盾が追った。
さらに回り込む。
重装兵は足を踏み替え、正面を外さない。
エレナは細剣を突き出した。
盾に弾かれる。
もう一度。
今度は兜を狙うふりをした。
盾が上がった。
だが、男は足元を崩さなかった。
エレナは息を整えた。
普通の突きでは、鎧を抜けない。
《星穿ち》なら届くだろう。だが、勝つために相手の身体を深く貫く必要はない。
それに、今日はすでに何度も術を使っている。
男が踏み込んできた。
エレナは斜めに下がり、もう一度剣を伸ばす。
盾が追う。
相手が足を踏み替えた、その瞬間。
エレナは左手を低く動かした。
風が石床を走る。
踏み出しかけた足がわずかに流れ、重装兵の身体が傾いた。
エレナは盾の外側へ回り込んだ。
細剣を伸ばす。
切っ先が、兜と喉当てのわずかな隙間で止まった。
男は剣先を見た。
もう一歩動けば、刃が届く。
斧を握った手が下がった。
審判の旗が上がる。
「勝者、エレナ!」
歓声が響いた。
エレナは細剣を下ろした。
指先が、少し痺れていた。
朝から使い続けた術の疲れが、腕の奥に残っている。
控えを見ると、ザインがもう立っていた。
彼女は小さく笑い、審判へ交代を告げた。
「あと二人、お願いします」
「二人で済めばな」
すれ違いざまに、ザインが答えた。
*
五人目、ストレイキャット。
男は大きな盾を構えていた。
ザインはゆっくり間合いへ入った。
曲刀を振る。
盾が受ける。
その陰から斧が出た。
半歩下がって避け、また入る。
相手の足運びは確かだった。重い鎧を着ていても、動きは鈍くない。
ザインはもう一度、曲刀を振った。
盾へ当てる寸前で引く。
受けようとした盾だけが前へ出た。
ザインはその外側へ回り、斧を持つ腕を曲刀の鍔で押さえた。
男が力で押し返そうとする。
ザインは逆らわず、相手の膝裏へ足を掛けた。
重心が崩れる。
そのまま肩からぶつかった。
ストレイキャットが、白線の向こうへ転がった。
「場外! 勝者、ザイン!」
歓声と悲鳴が入り混じった。
「勝った!」
ユリアンが立ちかける。
トーマスが、その上着を引いた。
「まだ」
向こうの控えから、大きな男が立ち上がった。
マッドブル。
盾を持つ腕も、斧を握る手も、他の五人より一回り太い。
「おい! 本当に六人目が出てきたぞ!」
ユリアンが声を上げた。
「セコンドなのに?」
サラが目を丸くする。
トーマスは対戦表を見た。
「……特別扱いは、本当だったようですね」
場内で、マッドブルが斧を掲げた。
「ならば、切りふだを使わせてもらおう!」
客席が沸いた。
ザインは曲刀を下げず、相手を見た。
「最初から出てこいよ」
「切りふだとは、最後に使うものだ」
「こっちは夕飯が待ってるんだ」
マッドブルが笑い、盾を構えた。
踏み込んでくる。
ザインは横へ動いた。
その先を、盾が塞いだ。
すぐに斧が振り下ろされる。
ザインは間合いを外した。
なるほど。
見ていたわけだ。
こちらが曲刀を返す方向も、盾の外へ回る足も。
先ほどの相手とは違う。
マッドブルが踏み込む。
ザインは同じように横へ動きかけた。
盾が追った。
そこで足を止める。
次の一歩は前だった。
盾の内側へ身体を寄せ、相手の肘を押さえる。
斧が振り下ろされる前に、その柄へ曲刀の鍔を噛ませた。
大きな身体が詰まった。
「な――」
ザインは相手の足の甲を踏み、動きを封じた。
肩で押す。
マッドブルが踏ん張る。
その力に合わせて、今度は引いた。
前のめりになった兜の脇へ、柄頭を一撃。
男がよろめいた。
ザインは足を払い、相手を倒した。
重い鎧が石床にぶつかる。
マッドブルは起き上がろうとした。
だが、その前にザインが踏み込んでいた。
曲刀の切っ先が、兜の覗き穴の前で止まる。
マッドブルは動かなかった。
やがて、大きく息を吐いた。
「……参った」
審判の腕が上がった。
「優勝! トーマスカンパニー!」
歓声が闘技場を揺らした。
今度こそ、ユリアンが立った。
サラが笑い、トーマスが膝の上の対戦表を閉じる。
エレンは座ったまま、両手を上げた。
「やったあ!」
そして、ふと首を傾げた。
「……トーマスカンパニー?」
「登録した時に、名前が必要だったからね」
トーマスが平然と答えた。
「あたし、社員じゃないんだけど!」
「名前が広まれば、商談にも有利になると思って」
「ちゃっかりしてるわね!」
戻ってきたザインが、二人を見た。
「宣伝に使うなら、別料金だぞ」
「君まで……」
トーマスが苦笑した。
*
表彰式には、六人で並んだ。
エレンは右脚に体重をかけないように立ち、ユリアンは包帯の上から上着を羽織っている。
ツヴァイク公は、その二人も含めて見渡した。
「見事であった! とりわけ竜を倒した一戦、実に愉快であったぞ!」
「どうも」
エレンが少し照れたように頭を下げる。
差し出された箱には、金色のメダルが入っていた。
「余の顔を彫り込んだ、ありがたい優勝メダルだ!」
ザインが受け取り、裏返す。
縁を見る。指で軽く弾く。
公爵の眉が動いた。
「何をしておる」
「純金か?」
「記念品だ!」
「そうか」
トーマスが、そっとザインからメダルを受け取った。
「売らないでください」
「価値を確認しただけだ」
「今はしまっておきます」
続いて、賞金の三万オーラムが渡された。
大金貨の入った袋を受け取り、ザインは重さを確かめる。
「六人で五千ずつだな」
「私は決勝に出てないけど?」
エレンが訊いた。
「竜を倒しただろ」
「俺も今日は――」
「昨日三人倒した」
ユリアンまで言いかけて、遮られた。
トーマスが笑う。
「そこは最初に決めた通りだね」
「お前も槍を振ったんだ。遠慮するなよ」
「しないよ。明日から走るための靴でも買おうかな」
「馬車代にするなよ」
ユリアンに言われ、トーマスは肩をすくめた。
公爵が咳払いをした。
「……ところで、優勝者たるお前たちに、もう一つ頼みがある」
エレナが顔を上げる。
「聖杯を、取り戻してもらいたい」
その言葉で、手帳へ伸ばしかけた指が止まった。
聖王遺物。
公爵は椅子へ深く座り直した。
「ポドールイの、レオニード伯爵の城にあるという。吸血鬼などに持たせておくものではない」
「伯爵のところに?」
ユリアンが口にした。
「知っておるのか」
「以前、モニカ様をお連れしたときに。世話になりました」
公爵の顔が、わずかに曇った。
「取り戻すって、元は誰の物なんだ」
ザインが尋ねた。
「聖王の遺物だと言ったであろう」
「そいつは分かった。伯爵が奪ったのか?」
「……詳しい経緯までは知らぬ」
エレナが顔を上げた。
「恐れ入ります。聖杯が伯爵のもとへ渡った経緯については、まだ分かっていないということでしょうか」
「そうだ。だが、相手は吸血鬼だぞ」
「ええ。ただ、聖王の遺物であればこそ、由来は確かめておきたいと思います」
トーマスも頷いた。
「事情が分からないまま、返還をお願いするのは難しそうですね」
「むう……」
「伯爵にお話を伺う機会があれば、私たちも確かめてみます。ただ、聖杯をお持ちすると、今ここでお約束はできません」
丁寧な声に、公爵はしばらく黙った。
やがて、片手を振る。
「……ならば、何か分かったら知らせよ」
「承知しました」
エレナは手帳へ、聖杯、と書き留めた。
その下に、伯爵への伝来、と小さく添える。
聖王の遺物が、なぜ吸血鬼の伯爵のもとにあるのか。
確かめるまでは、何も決められない。
手帳を閉じると、隣でザインが賞金袋の口を結んでいた。
*
城を出る頃には、街路が夕陽に染まっていた。
露店の主が六人を見つけ、串を掲げた。
「優勝者だ! 一本食っていけ!」
エレンが足を止める。
ザインも止まった。
「いくらだ」
「祝いだ、一本ずつ持ってけ!」
「いい店だな」
「判断が早いですね」
エレナが笑う。
焼きたての肉を受け取ると、エレンはすぐにかぶりついた。
サラが、姉の歩幅に合わせて横へ並ぶ。
「痛くない?」
「さっきよりはね」
「宿に戻ったら、もう一度冷やそう」
「分かった」
今度は素直に頷いた。
エレナが、その右脚をちらりと見た。
「エレン、脚の具合はいかがですか」
「さっきよりはまし。もう歩けるわよ」
「それならよかったです。……二度目の踏みつけ、よく避けられましたね」
「一回食らったからね。踏む前に、反対の肩が沈むのよ」
「肩を見ていたんですね」
「見たっていうか……また来るって分かったの」
ユリアンが頷いた。
「昨日の俺も、そんな感じだった」
エレナは二人を見比べた。
「お二人とも、相手の動きを一度見て、次は避けられたんですね」
「まあ、そういうことになるのかな」
「よければ、あとで何を見ていたのか教えてください。エレンの脚が治ってからで構いませんので」
「あたしが竜の役なら、ザイン踏んでいい?」
「それは、やめておきましょう」
「よくねえよ」
即答に、サラが吹き出した。
トーマスは宿の看板を見つけ、皆へ振り返った。
「明日の朝は、キャラバンとの二度目の交渉だ。ユリアン、まだ脇腹が痛むなら宿で休んでいて」
「話を聞くだけなら平気だ。行くよ」
「ありがとう」
「私たちは、その間に道具の手入れね」
エレナが言った。
「エレンは休養」
「分かってるってば」
宿へ入ると、主人が六人の顔を見て笑った。
「おめでとう。夕飯は少し多めに用意してあるよ」
「聞いた?」
エレンが振り返った。
「聞こえた」
ザインは食堂の椅子を引いた。
エレンが腰を下ろすのを待ち、その隣へ座る。サラが向かいに入り、エレナは外套を椅子の背へ掛けた。
トーマスはメダルの箱を卓の端へ置いた。
ユリアンが覗き込む。
「これ、どこに飾る?」
「今夜はここでいいんじゃないかな」
蓋を開く。
金色の公爵が、六人を見上げた。
その周りに杯が並び、焼いた肉と大皿の煮込みが運ばれてくる。
ザインは賞金袋を足元へ置いた。
「分けるのは飯の後だ」
「あら、お金より先に食事?」
「冷めるだろ」
エレナが笑って杯を持ち上げた。
六つの杯が、卓の真ん中で触れ合った。