Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

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第23話 それぞれの道

 翌朝、宿の食堂には、パンをちぎる音と食器の触れ合う音が静かに響いていた。

 ユリアンは脇腹を庇いながら椅子へ座り、エレンは卓の下で右脚を伸ばしている。エレナの外套は椅子の背に掛けられ、焦げた端を内側へ折り込んであった。

 その横で、ザインが大金貨を数えていた。

 一枚。二枚。三枚。

 トーマスが見ている。

「何だ」

「昨日も数えていたよね」

「昨日は昨日だ」

「増えないよ」

「減ってるかもしれねえ」

 エレンが匙を置いた。

「誰が盗るのよ」

「宿の食堂で広げていたら、盗る人も出てくるかもしれませんね」

 エレナに言われ、ザインは残りを数えて袋へ戻した。

 十枚。五千オーラム。

 昨夜、六人で分けたときと同じだった。

 サラは小さな帳面に金額を書き込み、財布を鞄の奥へしまった。

「銀行に預けられるかな」

「窓口は商館の並びにあるよ。僕も交渉が済んだら寄る」

 トーマスが答えた。

 ユリアンは器を空にし、椅子の脇から上着を取った。

「じゃ、先に仕事だな」

「本当に来るの?」

「昨日も言っただろ。座って話を聞くくらいなら平気だ」

 立ち上がるとき、上着が椅子に引っかかった。

 トーマスが外してやる。

「荷物は僕が持つよ」

「そこは頼む」

 エレンが二人を見上げた。

「頑張ってね。あたしは休む」

「珍しく素直だな」

「階段が思ったより痛かったのよ」

 ザインが鼻を鳴らす。

 エレンは睨んだが、すぐに食事へ戻った。

 トーマスは書類を鞄へ収め、サラへ顔を向ける。

「戻ったら、一緒に窓口へ行こうか」

「うん。待ってるね」

 二人が食堂を出ると、エレナは鞄から針と糸を取り出した。

 エレンが外套の焦げ跡を見る。

「それ、まだ着るの?」

「端を少し切って縫い直せば、使えます」

「新品買えるじゃない」

「買えることと、買い替えることは別ですから」

 向かいでザインが頷いた。

 エレンは二人を見比べた。

「こういうときは、妙に気が合うのね」

*

 ツヴァイクキャラバンの商館では、荷車が二台、門を出るところだった。

 御者が手綱を引き、歩き出した馬の後ろで樽が揺れる。車輪についた泥は、まだ乾ききっていなかった。

 主人は門の脇に立っていた。

 トーマスたちに気づくと、口元を緩める。

「本当に優勝しやがったな」

「僕は一人倒しただけです」

「その一人は、うちの甥よりよほど頑丈だ。見てたぞ」

「ありがとうございます」

「今朝は走ってきたのか?」

 隣でユリアンが吹き出した。

 トーマスは眼鏡を直した。

「……歩いてきました」

「そうか。まあ、座れ」

 奥の部屋には、前回と同じ地図が広げられていた。

 その横に、新しい紙が一枚置いてある。

 日付と荷車の台数。その下に、樽や箱の数が細かく書き込まれていた。

「荷をまとめて預ける話だが」

 主人が椅子へ腰を下ろした。

「うちでも、空いた荷台に載せるものは探してる。毎回半分空けて走ってるわけじゃない」

「承知しています」

「問題は、埋まる日と埋まらん日がばらばらなことだ。客の都合に全部付き合うと、出発が遅れる」

 トーマスは紙を手元へ引き寄せた。

 同じ日の欄に、荷主の名がいくつも並んでいる。小さな荷が積み重なり、車一台を埋めていた。

 その隣の日付には、空白が多かった。

「こちらで荷を集め、決めた日までに倉庫へ入れます。御社には、そこから運んでいただきたい」

「間に合わなかった荷は?」

「次の便へ回します。荷車を待たせるつもりはありません」

「客が怒るぞ」

「その条件で預けてもらいます」

 主人は指で卓を叩いた。

「倉庫に入るまでが、お前の仕事か」

「はい。荷主との連絡も、こちらでまとめます」

 ユリアンが地図を見ながら言った。

「荷車が店を一軒ずつ回る代わりに、店の方から荷物を集めるんだな」

「そういうことだ」

 主人が頷く。

「ただし、集めた荷が毎回違うなら、積み方も変わる。陶器の上に酒樽は載せられん」

「陶器は別にします。最初は、日持ちのする穀物や加工品から」

 トーマスは持参した一覧を広げた。

 ピドナ水産の加工品。ハンス商会が扱う品。農場と製粉所から出せる荷。

 数字の入っていない欄も多かった。

「これは確約ではありません。戻って、必要な量と出荷できる日を確認します」

「じゃあ、今日何を決める?」

「最初の二便について、荷台の一部を押さえる条件を」

 主人の指が止まった。

「埋まらなくても払うんだな」

「最低の運賃は払います。ただ、その分を試せる大きさにしておきたい」

 一台を丸ごと押さえるつもりはなかった。

 自分の手元で用意できる荷と、すでに取引のある相手が欲しがっている品。その範囲で積める量を確かめる。

 増やすのは、実際に運んでからでいい。

 主人は出発予定の紙を引き戻した。

「この便なら、まだ余裕がある」

 指された日付までには、ピドナへ戻る時間があった。

 トーマスが頷きかけたところで、ユリアンが口を開いた。

「帰りの荷物が遅れたら、こっちへ戻る車も遅れるのか?」

「いや。出発は変えん」

「だったら、乗り継ぎが一日ずれただけで、荷物だけ置いていかれるな」

 トーマスは日付を見直した。

 ピドナから送り出した荷が、途中で積み替えを待つこともある。

 出発当日に届けば間に合う、では危ない。

「集める締め切りを、もう少し前にします」

「保管料が増えるぞ」

「最低運賃だけ払って、荷を載せられないよりはいい」

 主人が笑った。

「そいつはそうだ」

 紙の端へ、倉庫の場所と締め切りが書き足された。

*

 話は、荷の量だけでは終わらなかった。

 濡れた袋を誰が受け取り、破れた箱をどこで調べるか。途中で街道が使えなくなった場合、誰へ知らせるか。

 トーマスは一つずつ確かめた。

 ファルスの港と、スタンレーへ続く道が地図に見えていた。

 だが、その二つを今回の契約へ足すことはしなかった。

 あちらには、まだ確かめるべき試験便がある。ここで新しい約束を重ねれば、また誰かが待つことになる。

「南へ回す話は、いずれできますか」

「できる。だが、便が揃ってからだな」

「僕もそう思います」

 主人は、トーマスの顔を見た。

「前より、線を引くのが遅くなったな」

 トーマスは地図へ目を落とした。

「引いたところで、荷車が通れるとは限りませんから」

 隣でユリアンが頷いた。

 昼前には、二通の書類が出来上がった。

 まず二便を試す。運ぶ品と量は、出発前の定めた日までに知らせる。運賃、倉庫代、受け渡しの場所。

 次の契約は、その結果を見て決める。

 トーマスは最後まで読み、署名した。

 主人も名前を書く。

「じゃあ、頼むぞ」

「こちらこそ」

 握手を交わす。

 ユリアンが、二人の手を見ていた。

「今回は、買わないんだな」

「売らんぞ。うちは売るとも言ってない」

 主人が先に答えた。

 トーマスは笑った。

「必要な便を使わせてもらえるなら、まずはそれで十分です」

「一億は?」

「遠いね」

 すぐに返ってきた答えに、ユリアンも笑った。

「そこは正直だな」

「この契約を結んだからといって、相手の荷車まで僕の資産になるわけじゃない」

「なるなら、馬も欲しいところだな」

「御者もつけてくれと言いそうだ」

「つけんぞ」

 主人が言った。

 それから、二人を門まで送ってくれた。

 今度は、荷を積んだ車が商館へ入ってきた。御者が予定より遅れた理由を告げ、主人が受け取りの者を呼ぶ。

 トーマスはそのやり取りを見届けてから、鞄の留め具を閉じた。

 次にここへ来るときには、自分が集めた荷も、あの車のどこかに載っているはずだった。

*

 宿へ戻ると、エレンは食堂の窓際に座っていた。

 右脚を伸ばし、斧の刃へ布を当てている。

「終わった?」

「ひとまずね」

 トーマスが答えた。

 エレナは外套を膝へ置き、最後の糸を切ったところだった。ザインはその隣で革の留め具を直している。

 サラが帳面を閉じた。

「買えたの?」

「買ってはいないよ。一緒に荷を運ぶ契約を結んだ」

「じゃあ、一億には?」

 トーマスが黙った。

 ユリアンが笑う。

「さっきも聞いた。それはまだ遠いって」

「でも、商売は進んだんだよね」

「うん。帰ったら、さっそく荷を集めないと」

 サラは嬉しそうに頷いた。

「よかった」

 トーマスが鞄を置くと、ザインが顔を上げた。

「金は入るのか」

「荷を集めて、運んで、売れれば」

「まだ遠いな」

「一億よりは近いよ」

 エレンが声を上げて笑った。

 遅めの昼食の後、トーマスとサラは銀行の窓口へ向かった。ザインも、椅子の脇へ置いた鞄を取る。

「あなたも預けるんですか?」

 エレナが訊いた。

「持ってても邪魔だからな」

「数える楽しみが減りますね」

「そのために持ってるんじゃねえ」

 エレナは笑い、縫い直した外套を広げた。

 ユリアンが戸口で振り返る。

「エレン、何か買ってくるか?」

「帰りに果物。あと、包帯も少し」

「分かった」

「あたしも行けるけど」

「階段が痛かったんだろ」

 朝の言葉を返され、エレンは椅子へ座り直した。

*

 商館の並びを抜けた先で、一台の荷車が道を塞いでいた。

 車輪が石畳の溝にはまり、御者が馬をなだめている。荷台には木箱が積まれ、その後ろに、空き箱を抱えた若い男が立っていた。

「引くな。車輪が欠けるぞ」

 男は箱を下ろし、車輪の脇へしゃがみ込んだ。

 溝の深さを確かめ、道端の板へ手を伸ばす。

「少し浮かせて、これを噛ませれば……」

「持ち上げればいいの?」

 金髪をおさげにした女が、荷台へ近づいた。

「ああ。だが、荷を下ろしてから――」

 女は両手を荷台の下へ掛けた。

 膝を曲げ、腰を落とす。

「よいしょ」

 荷車の後ろが、持ち上がった。

 はまっていた車輪が溝を抜け、そのまま宙へ浮く。

 荷台の木箱がかたんと鳴った。

 男は板を持ったまま、手を止めていた。

 御者も、手綱を握って振り返る。

「……ニーナ。そこまで上げなくていい」

「そうなの?」

「もう抜けてる。ゆっくり下ろしてくれ。ゆっくりな」

 女が頷く。

 男は急いで車輪の下へ板を差し込んだ。

「いいぞ」

 荷車が静かに下りた。

 御者が恐る恐る馬を進ませると、車輪は板を越え、石畳へ戻った。

「助かったよ……。あんた、すごい力だな」

「いえ。動いてよかったです」

 女は手についた埃を払い、笑った。

 男は荷台の縄を確かめ、木箱のずれを直している。

「腰、痛めてないか」

「平気よ。ポールこそ、指を挟まなかった?」

「俺の心配はいいんだよ」

 少し離れたところで、ユリアンが足を止めていた。

「……今、荷物ごと上げたよな」

「ああ」

 ザインも荷車を見ていた。

 馬は一頭。木箱は、どう見ても空ではない。

 ユリアンは、動き出した荷車をまだ見ていた。

 サラが二人の脇から顔を出した。

「……ポールさん?」

 男が振り向いた。

 サラを見て、次にザインを見る。荷縄を確かめていた手が止まった。

「ニーナさんも!」

 女の方は、ぱっと顔を明るくした。

「サラ! 久しぶり!」

「知り合いか?」

 ユリアンが訊く。

「うん。キドラントで助けてくれた人」

「ああ、話してた――」

「お前もいたのか」

 ザインの声で、ユリアンは口を止めた。

 ポールは逃げなかった。

 道の端へ箱を寄せ、ザインへ向き直る。

「……ああ」

「今度は、載せる方か」

「そうだよ」

 短く答え、それからサラを見る。

「あの時は、悪かった」

 サラの指が、鞄の肩紐を握った。

 坑道の細道へ消えていった背中を覚えている。人質を助けたことも、その前に馬車へ弓を向けていたことも。

「あれから、どうしたの?」

「村へ帰った。ニーナに、話した」

 隣で、ニーナが頷いた。

「全部?」

 ザインが訊いた。

「全部だ」

「私に話して終わりにしようとしたから、それじゃ困るって言ったの」

 ニーナは穏やかな声で続けた。

「それで、番所へ一緒に行った」

 ポールは腰の袋から、折り畳んだ紙を出した。

「襲った馬車のことも、盗賊団のことも話した。あの坑道で捕まった連中の話とも、突き合わせて調べられた」

「人を逃がした件は?」

「それも調べてもらった。捕まってた人と、あんたらの話が記録に残ってたって」

 サラは紙へ目を向けた。番所の印と、いくつもの書き込みがあった。

「街道の片づけと補修に出た。それが済んでからは、働いて弁済することになってる。まだ残ってるけどな」

 ザインは差し出された紙を確かめ、返した。

「だから、この荷運びか」

「護衛もやってる。雇い主には話してある。仕事先が変われば、番所にも知らせることになってる」

 ポールは紙を畳み直した。

「盗賊の手口を知ってる奴が一人いてもいいってさ。……荷に触る時は、別の奴もついてくるけど」

「そりゃそうだろ」

「分かってるよ」

 少しむっとした顔に、ニーナが笑った。

「今日は仕事が終わったから、一緒に歩いてたの。大会も、間に合えば見たかったんだけど」

「昨日までだったな」

 ユリアンが言うと、ニーナは肩を落とした。

「やっぱり。宿の人に聞いたの。女の人が竜を倒したって」

 サラが姉のいない方を、思わず振り返った。

「お姉ちゃんだよ」

「……エレンが?」

 ニーナとポールの声が重なった。

 ザインが頷く。

「今は宿で座ってる」

「座ってる?」

「勝ったが、無傷とはいかなかったんだ」

 ユリアンが自分の脇腹を押さえた。

「俺もだけど」

 ニーナは二人を見比べた。

「じゃあ、お見舞いも持っていかないとね」

 ポールが足元の箱を拾う。

「これ返したら、俺も行っていいか」

「エレンたちに会うんだろ。俺に訊くな」

 ザインが答えた。

 サラはポールを見た。

「あの時、三人を逃がしてくれて、ありがとう」

 ポールの手が止まった。

 少しして、箱を抱え直す。

「……目の前で、連れていかれそうになってたからな」

 サラは頷いた。

「今度は、ちゃんと話せるね」

「ああ」

 ポールが頷き、箱を抱え直した。

 ユリアンは、荷車が去った通りへ一度目を向けた。

「……それで、一つ聞いていいか?」

 ニーナが顔を向ける。

「さっきの荷車、荷物を下ろさずに持ち上げたよな」

「ええ」

「よく持てたな、あんなの」

「重かったわよ」

 ユリアンは返事に詰まった。

 隣でポールが頷く。

「分かる。俺も最初、そうなった」

「二人して、何よ」

 ニーナが腰へ手を当てる。

 ユリアンは笑って首を振った。

「いや。頼りになるなって」

「それなら、そう言ってくれればいいのに」

 ニーナも笑った。

 ポールは箱を抱え、店の方へ歩き出す。

「じゃあ、これを返してくる」

「果物も買うから、先に宿へ行かないでね!」

*

 宿の食堂で、エレンはニーナを見るなり立ち上がりかけた。

 すぐにサラが肩へ手を置く。

「座ってて」

「分かってるわよ。……久しぶり、ニーナ!」

「うん。今度は、洞窟じゃなくてよかった」

「ほんとよ」

 ニーナは果物の包みを卓へ置いた。

 その後ろからポールが顔を出すと、エレンの目が細くなる。

「そっちも、久しぶりね」

「ああ」

「もう、人の荷物に手を出してないでしょうね」

「出してねえよ」

「さっきまで、触ってたじゃない」

 ニーナに言われ、ポールが振り返った。

「仕事でな!」

 ザインが、街道で聞いた話を伝えた。

「……なら、いいわ。続けなさいよ」

「言われなくても」

 トーマスが椅子を二つ寄せた。

「改めて。トーマス・ベントです。サラから、キドラントでのことは聞きました」

「ポールだ」

「ニーナです」

 ポールは頷き、ユリアンへ顔を向けた。

「そっちも、まだ名前を聞いてなかったな」

「ユリアン・ノール。エレンたちと同じ、シノンの出だ」

「冒険者か?」

「今は、こいつと商売をしながら旅してた」

 トーマスへ親指を向ける。

「商人には見えねえな」

「俺もそう思う」

「交渉では、ずいぶん助けてもらったけどね」

 トーマスが言った。

 ユリアンは少し照れたように杯を取る。

「分からないことを聞いてただけだよ」

「聞けるのはいいことよ」

 ニーナが頷いた。

「ポールは、とりあえず分かった顔をすることがあるから」

「余計なこと言うなよ」

「後で困るでしょう?」

「……分からなくなったら聞いてるだろ」

 ユリアンが吹き出した。

 ポールがそちらを見る。

「あんたは、そんなことねえのか」

「ある。大体、トーマスにばれる」

「だろ?」

 二人が笑うと、ニーナも呆れたように笑った。

「じゃあ、二人とも気をつけてね」

 卓へ運ばれてきた杯を、ポールがユリアンの方へ一つ押した。

 ポールが杯を持ち上げた。

「よろしくな、ユリアン」

「ああ。ポール、ニーナも」

 サラがニーナの隣へ座り、町長が連れていかれた後の村のことを訊く。

 畑は変わらず忙しいこと。生贄のために集められていた食べ物を、家々へ返したこと。夜に外へ出る子供が、ようやく増えてきたこと。

 エレンは黙って聞き、最後に大きく息を吐いた。

「そっか。よかった」

 ニーナは頷いた。

「ポールも、その頃に帰ってきたの」

 宿の主人が湯を足しに来て、ユリアンの前で足を止めた。

「そうだ。あんた、ユリアン・ノールだったね」

「ああ」

「ロアーヌの方が訪ねてきてる。名前を確かめてくれって」

 杯を取ろうとした手が止まった。

「……俺に?」

*

 入口に立っていたのは、旅装の男だった。

 外套の下にロアーヌの紋章が見える。

「ユリアン・ノール殿でしょうか」

「はい」

「ロアーヌ侯ミカエル様より、お渡しする書状を預かっています」

 男は封書と、身分を示す札を出した。

 ユリアンが封書へ手を伸ばしかけると、トーマスが横へ来た。

「こちらの宿は、どなたから?」

「大会の受付です。名簿にユリアン殿のお名前がありましたので、宿泊先を伺いました」

「いつ、ロアーヌを出たんですか」

「大会が始まる前です。こちらで見つからなければ、ピドナへ向かうつもりでした」

 トーマスは札を確かめ、使者へ返した。

 ユリアンは封書を受け取った。

 封には、ロアーヌ侯の印が押されている。

「……俺、何かしたか?」

「モニカ様を送り届けたでしょ」

 エレンが言った。

「あれで何か、やり残したのかなって」

「まず、読んでみたらどうだい」

 トーマスに促され、ユリアンは封を切った。

 最初の数行に目を走らせる。

 モニカの護衛について、直接話をしたい。

 都合をつけ、ロアーヌを訪ねられたい。

 旅費は侯家が負担すること。来訪を承諾するなら、使者へ出発の見込みを伝えること。

「護衛……?」

 読み返していると、ザインが顔を上げた。

「城の護衛は、どうした」

「引き続き務めています。ただ、詳しいお話は、侯爵様から直接と承っています」

 使者は答えた。

 ユリアンは顔を上げた。

「モニカ様に、何かあったんですか」

「私が出発した時点では、お怪我も、ご病気もありません」

 それを聞いて、ようやく息が吐けた。

 使者は一礼した。

「お返事は、明朝にでも。私は向かいの宿におります」

 男が出ていくと、食堂の音が戻ってきた。

 皿を重ねる音。隣の卓で、追加の酒を頼む声。

 ユリアンは手元へ目を戻した。

 短い書状だった。

 それでも、もう一度初めから読んだ。

*

 夕食の前に、トーマスは商館へ出かけた。

 戻ってきた時には、手に小さな紙を持っていた。

「使者の名と、ロアーヌを出た日を確かめてもらった。こちらの商館へも、取次ぎを頼む知らせが来ていたよ」

「悪いな」

「行くにしても、確かめてからの方がいい」

 ユリアンは書状を畳んだ。

 窓際では、エレンが脚に冷たい布を当てている。ニーナがその脇に座り、サラと果物を切っていた。

 ポールは荷運びの雇い主へ話をしに戻り、まだ帰ってきていない。

「お前は、ピドナだよな」

「うん。荷を集める約束をしたからね。三日後に出る」

「……俺も行くつもりだったんだけど」

「荷物なら、あとから送れる。ミューズ様たちには、僕から話しておくよ」

「まだ、行くって言ってないぞ」

 トーマスはユリアンを見た。

「じゃあ、どうしたい?」

 ユリアンは書状の縁を指でなぞった。

 ロアーヌを離れる時、モニカは城門まで見送りに来てくれた。

 元気で、と言っていた。

 自分も、またな、と返した。

 あれから何をしているのか、ちゃんと聞いたことはなかった。

「……会って、話を聞きたい」

「うん」

「護衛をやれるかは、その後だ。城の決まりなんて、ろくに知らないし」

「それも、聞いてくればいい」

 トーマスは笑った。

「商談と同じだね。引き受ける前に、何を頼まれているのか確かめる」

「最後まで商売の話かよ」

「君も、少し慣れただろう」

「……それは、まあ」

 ユリアンも笑い、封書を上着の内側へ入れた。

 その動きを見て、ザインが椅子を引いた。

「行くのか」

「ああ。ロアーヌへ」

「なら、俺たちもそこまで行くか」

 ユリアンが目を丸くした。

「いいのか?」

「ゴドウィンが逃げた後、どうなったかも聞いてねえ。城の連中に訊くなら、ちょうどいい」

 エレナが手帳を閉じる。

「私も、ロアーヌへは行ったことがありません。道中で調べたい場所もありますし、ご一緒してよろしいですか」

「もちろん」

「あたしたちも、モニカ様の顔を見たいしね」

 エレンが言った。

 サラも頷く。

「元気だといいね」

「だから、病気じゃないって――」

 ユリアンは言いかけて、止めた。

「……ああ。そうだな」

 入口から、ポールが戻ってきた。

 ニーナへ小さく頷いてから、卓の端に座る。

「ロアーヌへ行くんだって?」

「ああ。お前らは?」

「明後日で、今の荷運びは終わる。次はまだ決まってない」

 ポールはザインを見た。

「俺たちも、一緒に行っていいか。道中なら、弓も先の道を見るのも役に立てる。城に仕事があるなら、話を聞きたいんだ。今度は、最初に全部話してから」

 ニーナが隣へ椅子を寄せた。

「私も、ロアーヌを見てみたい。村の外に出たと思ったら、ずっと荷車と倉庫ばかりだったから」

「俺のせいみたいに言うなよ」

「誰も言ってないでしょ」

 エレンが笑った。

 ユリアンは二人を見てから、ザインへ目を向ける。

「道は、一緒でいいだろ?」

「互いの荷物を持てるならな」

「持つわよ」

 エレンがすぐに答えた。

「お前は、まず歩け」

「分かってる!」

 サラが笑い、ニーナも口元を緩めた。

 トーマスは卓へ地図を広げた。

「出発する日と、乗り継ぎは確かめておこう。エレンもユリアンも、歩き通しは無理だよ」

「今度は、俺も行き先を知ってるぞ」

 ユリアンが言った。

「そうだね」

 トーマスは筆を渡した。

 ユリアンは少し考え、ロアーヌの名の横へ印をつけた。

 その脇へ、明朝、使者に返事、と書き足す。

 紙を戻そうとすると、トーマスが首を振った。

「そっちは持っていって。僕には、もう一枚ある」

「……分かった」

 ユリアンは地図を折った。

 上着の内側では、封書がかすかに音を立てた。

 今度は自分で、返事を書かなければならない。

 

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