Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

29 / 29
第24話 待っていた人

 出発の朝、ユリアンは荷袋の紐を三度締め直した。

「それ以上引くと、切れるよ」

 宿の戸口で、トーマスが言った。

「緩いよりいいだろ」

「中に入れ忘れたものはない?」

「ない」

「書状は?」

「ある」

「じゃあ、大丈夫だ」

 そう言われると、もう確かめるものがなかった。

 ユリアンは荷袋を肩へ掛けた。

 通りには、ピドナへ向かう乗合馬車が止まっていた。御者が荷台を確かめ、乗客を呼んでいる。

 トーマスの鞄には、商談で交わした書類が収まっていた。

 これから戻り、荷を集め、約束した便へ載せる。

 昨日まで聞いていた段取りの続きを、自分は見ないのだと実感した。

「向こうに着いたら、知らせる」

「うん。僕も、便が動いたら手紙を書くよ」

「売れたかどうかもな」

「そこまで報告が要る?」

「気になるだろ。あれだけ一緒に回ったんだから」

 トーマスが笑った。

「分かった。君が分かるように書く」

「普通に書けば分かるよ」

 サラが、布に包んだパンを差し出した。

「途中で食べて」

「ありがとう。そっちも、気をつけて」

 受け取る時、二人の指が触れた。

 サラが先に手を引き、鞄の肩紐を握る。

「……手紙、書くね」

「待ってる」

 馬車の方から、もう一度声が掛かった。

 トーマスは全員へ手を振り、乗り込んだ。

 車輪が回り始めると、ユリアンも片手を上げる。

「荷物、遅らせるなよ!」

「君も、返事を後回しにしないようにね!」

 最後まで、それだった。

 馬車が角を曲がり、サラはしばらくそちらを見ていた。

「こっちも行くぞ」

 ザインが言った。

 エレンが立ち上がり、右脚へ体重をかける。

 痛みを確かめるように一歩踏み出し、それから斧の位置を直した。

「歩けるわよ」

「今日は荷馬車に乗れる間は乗っておけ」

「…わかった」

 ロアーヌへ向かう便は、街の反対側から出る。

 使者との待ち合わせにも、まだ少し時間があった。

 ポールが、ニーナの荷袋へ手を伸ばした。

「そっち、持つ」

「自分の分は持てるわ」

「空いてるんだから、いいだろ」

「じゃあ、途中で疲れたらお願い」

 ニーナは笑い、先に歩き始めた。

 ポールがその後を追う。

 ユリアンは上着の内側へ触れた。

 侯爵の書状が、そこにあった。

*

 使者はザインら一行の出発を見届けると、一足先にロアーヌへ戻った。

 一行は荷馬車を利用し、宿場で休みながら数日かけて旅を続けた。

 その間に、エレンの足取りからは次第に脚をかばう癖が消え、ユリアンも笑うたびに脇腹を押さえることがなくなった。

 次の宿場まで歩くことになった昼前、ポールが道の先から戻ってきた。

「この先、木が倒れてる。荷車は通れねえが、人なら脇を抜けられる」

「遠回りは?」

「川まで下りれば道がある。ただ、こっちより長い」

 ザインがエレンへ目を向けた。

「脚は?」

「もう平気。木くらい越えられるわよ」

「なら、そのまま行くぞ」

 ポールが先に立った。

 街道を斜めに塞ぐ倒木が見えてくると、幹の手前で足を止める。

 片手が上がった。

 ザインも止まった。

 ポールは倒木の向こうを見たまま、背の弓を外した。

「……さっきは、いなかったんだけどな」

 枝の間から、黄褐色の頭がのぞいた。

 細長い顎に牙が並び、斑模様の胴から長い尾が伸びている。太い後脚で身を支え、短い前脚の爪を曲げていた。

「ラプトルだ」

 ザインが曲刀の柄へ手を掛けた。

 こちらを見ても、逃げる気配はない。

 ユリアンが前へ出る。

 ニーナはその後ろへ下がり、食べ物の包みを鞄へ押し込んだ。

 ポールはすでに、矢をつがえていた。

 ラプトルが倒れた枝を踏み越える。

 その頭が、正面の二人を通り過ぎた。

 サラのところで、止まった。

 尾が振れ、後脚が地を蹴る。

 ラプトルはザインの脇を抜けるように、斜めに走り出した。

「サラ、下がって!」

 エレンが妹の前へ入る。

 エレナも細剣へ手を伸ばした。

 その時には、ポールの狙いは定まっていた。

《瞬速の矢》

 鋭く弦が鳴った。

 矢が、ラプトルの首の付け根を射抜く。

 次の一歩が崩れた。

 勢いのまま頭から地面へ突っ込み、長い尾が枝を打つ。

 後脚が一度、土を掻いた。

 それきり、動かなかった。

 ポールはもう次の矢をつがえ、林へ目を向けていた。

 ザインが倒れた魔物へ近づき、周囲を確かめる。

「ほかにはいねえな」

「こっちも、動くものはない」

 ポールが答え、弓を下ろした。

 サラは半ば外した弓を、両手で持ち直した。

「……ありがとう」

 ポールが頷く。

 ユリアンは倒木から獣までの距離を見て、感心したように息を吐いた。

「早いな。」

「ここは弓の出番だ」

 ポールはそう言って、矢を確かめに向かった。

 エレンがサラの肩へ触れた。

「大丈夫?」

「うん」

 サラの目は、倒れた獣へ向いていた。

「今のも、私の方に来たよね」

 エレンの手が止まった。

 ピドナへ向かう道で、何度も妹を追った人虎の姿が浮かぶ。

 エレナも細剣の柄から手を離し、ラプトルの走った跡を見ていた。

「……向きを変えましたね」

「前にも、あったのか?」

 戻ってきたポールが尋ねる。

「人虎がね。ほかの相手を振り切って、この子ばかり追いかけたの」

 エレンが答えた。

 ポールはサラを見たが、理由までは口にしなかった。

 ザインは曲刀の柄から手を離した。

「次に出たら、俺たちも動きを見る。サラ、お前も変だと思ったらすぐ言え」

「……うん」

 エレンが肩を軽く叩いて、手を離した。

 ポールは倒木へ片足を掛けた。

 枝を押しのけ、向こう側をもう一度確かめる。

「ここなら通れる。先に行ってる」

 身軽に幹を越え、反対側へ下りた。

 ザインが荷物を受け渡し、ユリアンが枝を持ち上げる。全員が通り終えるまで、ポールは弓を手に周囲を見ていた。

*

 森を抜けた頃には、昼を過ぎていた。

「次の宿場、まだ?」

 エレンが尋ねると、ポールは街道の先を指した。

「あの丘を越えてからだ」

「……先に食べようか」

 ニーナが道端の平たい石へ鞄を下ろした。

 取り出した布包みを開くと、パンと薄く切った干し肉が並んでいる。

「今朝、宿で分けてもらったの。座れるところがあってよかった」

 サラが隣にしゃがみ、取り分けるのを手伝った。

「七人分、持ってきてくれたんだ」

「ポールと歩いてると、お昼が遅くなることがあるから」

「今日は俺のせいじゃないだろ」

「だから、持っておいてよかったって話よ」

 ニーナがパンを渡す。

 ポールは言い返しかけ、受け取る方を選んだ。

「こういう時、食べ物を持ってる人が一番頼りになるわね」

 エレンも隣へ座った。

「斧じゃ、お腹は膨らまないものね」

「獲物がいれば何とかなるけど」

「今から捕る気か」

 ザインに言われ、エレンはパンをかじった。

 ユリアンがポールの横へ腰を下ろす。

「さっきの、どうして気づいたんだ?」

「枝が動いた。風と違う方へ」

「戻った時には、いなかったんだろ」

「だから、もう一度見たんだよ」

 ポールは干し肉を噛み切った。

「一度見たからって、ずっと空いてるわけじゃないしな」

 サラはその話を聞きながら、矢筒の口を直した。

 今度は自分も、弓を出す前に周りを見ようと思った。

「エレナ、食べないの?」

 エレンが呼んだ。

 エレナは少し離れた石標の前にしゃがんでいた。

 苔の薄いところを選び、刻まれた文字へ指を沿わせている。

「すぐに。ここの地名、今と少し違うようなんです」

「パンも今と少し違う状態になるわよ」

「どういう意味です?」

「減る」

「私の分ですよね?」

 エレンが笑い、包みの上へパンを戻した。

 エレナは手帳へ数文字を書き留め、皆のもとへ戻ってきた。

 サラが場所を空け、ニーナが水筒を回す。

 七人が腰を下ろすと、石の上は少し手狭だった。

「おい、肘」

「あんたこそ、荷物をどけてよ」

 ザインが荷袋を足元へ下ろした。

 空いたところへエレンが座り直し、その隣でサラが小さく笑った。

*

 ロアーヌの城壁が見えたのは、よく晴れた日の午後だった。

 ユリアンは足を止めた。

 前に来た時には、まだ修繕の板が残っていた。

 今は城門の上にも新しい石が入り、その手前では商人の荷車が順番を待っている。

「ずいぶん直ったな」

「見えるところはな」

 ザインが城壁を見上げた。

 城門に着くと、先に戻っていた使者が迎えに出た。

 使者は門番に書状を示し、一行の到着を告げる。

 門番は書状を確かめ、ユリアンへ目を向けた。

「お名前を」

「ユリアン・ノールです」

 脇の詰所から、別の兵が帳面を持ってきた。

 同行者も、一人ずつ名前を尋ねられる。

「ポール。キドラントから来た」 ポールはそう答え、腰の袋から紙を出した。

「道中は一緒だったけど、俺とその隣のニーナは仕事を探しに来た。これも、担当の人に見てもらいたい」

 兵は紙の印と記載を確かめた。

「では、こちらのお二人はこちらの詰所でお待ちください。担当の者へ取り次ぎます」

「分かった」

 ニーナも頷いた。

 隣では、ポールが落ち着かず袋の紐をいじっている。

 その肘を軽くつつくと、彼は手を止めた。

「俺たちは先に行くけど、二人がここにいることは伝えておくよ」

 ユリアンが言った。

「ああ、頼む」

 ポールとニーナは兵に案内され、門脇の詰所へ入っていった。

「ユリアン殿。皆様はこちらへ」

 使者が城内へ向き直る。

 ユリアンに続き、ザイン、エレナ、エレン、サラの四人が門をくぐった。

*

「お茶は、まだ下げないでください」

 モニカが言うと、侍女は卓の上の杯へ伸ばした手を止めた。

「冷めてしまいますが」

「もう少しだけ」

 窓の外では、庭師が枝を払っていた。

 鋏の音がするたびに、モニカは回廊の方へ目を向けた。

 卓には、開いた手紙があった。

 マスカレイドの行方は、まだつかめていない。

 けれど無事に旅を続けていると、カタリナらしい整った字で書かれていた。

 食事を抜かないこと。

 外へ出る時は、必ず護衛へ声をかけること。

 最後の一行には、帰ったらお話を聞かせてください、とあった。

 モニカはその部分を指で押さえた。

 返事に書こうとしたことは、昨日とあまり変わらない。

 庭の花が咲いた。

 城の修繕が進んだ。

 お兄様は、相変わらず忙しい。

 廊下から足音がした。

 扉の外で護衛が来訪者の名を確かめる。

 続いて、いつもの落ち着いた声が聞こえた。

「モニカ様。ユリアン・ノール殿がお着きです。シノンの皆様もご一緒です」

 モニカは立ち上がった。

「お通しして」

 言ってから、手紙を畳む。

 急いだせいで端がずれ、もう一度折り直した。

 扉が開いた。

 最初に顔を出したユリアンは、部屋の中へ一歩入り、妙に姿勢を正した。

「お久しぶりです」

「ユリアン」

 声に出すと、本当に来たのだと分かった。

「お元気でしたか」

「はい。モニカ様も……」

 ユリアンはそこで言葉を探した。

 後ろから、エレンが軽く背を押す。

「入口で止まらないでよ」

「あ、悪い」

 モニカは思わず笑った。

 エレンとサラが入ってくる。

 その後ろにはザインと、見知らぬ金髪の女性がいた。

「エレン、サラも」

「顔を見に来ちゃった」

「お邪魔しても、大丈夫でしたか?」

 サラが遠慮がちに尋ねる。

「もちろん。来てくれて嬉しいわ」

 モニカは金髪の女性へ向き直った。

 彼女が一礼する。

「初めまして。エレナ・ヴァルティエと申します」

「モニカ・アウスバッハです。皆さんとは、ご一緒に旅を?」

「ええ。ピドナから」

 モニカはその名を、もう一度心の中で繰り返した。

「エレンと、エレナさん?」

「似てるでしょ」

 エレンが笑った。

「こいつ、最初に文句言ったのよ」

「実際、似てるだろ」

 ザインが答える。

「でも、もう覚えてくださいましたよね?」

 エレナが静かに付け加えた。

 ザインは一度だけ彼女を見た。

「三オーラムも払えばな」

「あら。ちゃんと効果があったんですね」

 モニカは、今度は声を立てて笑った。

 廊下に立つ護衛は、その声に一度だけ目を向けた。

 それから、入れ替わりに来た兵へ小声で何かを伝え、持ち場を交代した。

*

 ミカエルとの面会まで、庭を歩くことになった。

 年長の護衛が先に回廊を確かめ、もう一人がモニカの少し後ろについた。

 三人目は部屋に残り、来客や伝言を受ける。

 庭へ下りる階段の手前で、先を歩いていた兵が足を止めた。

「西側は修繕の資材が出ています。今日は池の方へ回りましょう」

「分かりました」

 モニカは素直に頷いた。

 池へ向かう道は片づけられていた。

 重い石を運ぶ人足が通りかかると、護衛が片手を上げ、一行を先に通す。

 エレンが小さく息を吐いた。

「きちんとしてるのね」

「ええ。皆、よく気を配ってくれるの」

 モニカの声に、不満はなかった。

 ただ、花壇の脇へ来た時、彼女の目が庭の外へ向いた。

 塀の向こうから、荷車の軋む音が聞こえていた。

「城下は、どうでした?」

「人が多かったな。荷車も並んでた」

 ユリアンが答えた。

「露店も?」

「ああ。門の近くに果物売りがいた。エレンが――」

「見ただけでしょ」

「まだ何も言ってないぞ」

 モニカが笑った。

「以前、カタリナと買い物へ出た時にも、あの辺りにお店がありました」

 少し先の道へ目を向ける。

 そこには、すでに護衛が立っていた。

「また行きたいですね」

 ユリアンが言った。

 モニカはすぐには答えなかった。

「……今は、皆さんのお手間になるでしょうから」

「手間?」

 彼が訊き返す前に、年長の護衛が戻ってきた。

「侯爵様のご用意が整いました。ユリアン殿とザイン殿は、執務室へ」

 ユリアンは頷いた。

 歩き出してから、一度だけモニカを振り返る。

 彼女は花壇のそばで、エレン達の旅の話を聞いていた。

*

 執務室には、護衛の配置表が広げられていた。

 ミカエルは二人へ椅子を勧めた。

「遠いところを、よく来てくれた」

「お呼びいただいたので、その……話を伺いに」

 ユリアンが座り直す。

 ザインは隣へ腰を下ろした。

「城の護衛は、ちゃんと働いてるようだな」

「ああ。カタリナが引き継いだ三人だ。報告にも落ち度はない」

 ミカエルは配置表へ目を落とした。

「夜間の出入りは二人で確かめる。来客も伝言も記録する。私の命令というだけで、確認を省くこともない」

「それで、俺に何を?」

 ユリアンが尋ねた。

「モニカの近くで働いてほしい。外出の護衛も含めてだ」

 城の護衛になれという話なのだろうとは思っていた。

 それでも、本人から聞くと、すぐに返事は出なかった。

「俺より強い人なら、城にいくらでもいるでしょう」

「剣の腕だけなら、そうだ」

 ミカエルは率直に答えた。

「だが、あの反乱の夜、君は命じられる前に動いた。モニカも、君たちといる時には、自分からよく話す」

「それは、エレンたちも……」

「そうだな。妹にとって、皆、気を許せる相手なのだろう」

 ミカエルは卓の書類へ目を落とした。

「ただ、君に使者を出したと伝えてからは、返事が来たかと何度も訊かれた」

「俺の、ですか?」

「ああ。今朝も、到着の知らせを待っていた」

 ユリアンは返す言葉を探した。

 部屋へ入った時、モニカは立っていた。名前を呼ばれた声が、ふいに耳へ戻ってくる。

「剣の腕や、あの夜の働きは私が見た。妹も、君が来ることを望んでいる。だから、まず君に話を聞いてほしかった」

「……そうだったんですか」

 ユリアンは膝の上の手へ目を落とした。

 庭で、モニカは護衛を褒めていた。

 そのすぐ後に、城下へ出るのは手間になるとも言った。

「あの人たちに、遠慮してるんですか」

「本人は、皆よくしてくれると言う。実際、そのとおりなのだろう」

 ミカエルは窓の外へ目を向けた。

「カタリナには、もう少し言い返していた。今は、何を訊いても『大丈夫です』で終わることが多い」

「……さっきも、城下へ行きたいとは言いませんでした」

「君には、それを聞けるかもしれないと思った」

 ユリアンは膝の上で手を組んだ。

「モニカ様には、この話を?」

「君を呼ぶことは伝えた。任せるかどうかは、二人の意向を確かめてからだ」

「なら、先に本人と話してもいいですか」

 ミカエルが頷いた。

「もちろんだ」

「ザイン。君も、しばらくロアーヌに残る気はないか」

 ザインが、ミカエルを見た。

「俺も護衛か?」

「君には兵の訓練を任せたい。反乱で、隊をまとめる者も減った。実戦を知る者が必要だ」

 ザインは少し考えた。

 それから、椅子の脇の荷袋を持ち上げる。

「だが、今はピドナへ戻る。連れもいるし、次の行き先も決めてねえ」

「連れと相談してからでも構わない」

「俺が、まだ旅を続けたいんだ」

 ミカエルは頷いた。

「そうか。では、気が変わったら知らせてくれ」

「その時に、まだ仕事があればな」

「君が給金に見合う働きをするなら、用意しよう」

 ザインが少し笑った。

「そっちも、細けえな」

「領地の金だからな」

 ザインが椅子の背から身を起こす。

「ゴドウィンは?」

「まだ捕らえていない。関わった者の調べも続いている」

「城の外へ出すなら、そっちも気になるな」

「だから、既存の護衛を外すつもりはない。ユリアン、君が護衛を引き受けるなら、彼らと組んで動いてもらう」

 ミカエルはユリアンへ向き直った。

「城の務めには、剣以外にも覚えることがある。最初は三人に教わってほしい」

「はい」

 返事をしてから、ユリアンは顔を上げた。

「それと……休みや、給金のことも聞いていいですか」

 ザインが横を見た。

「何だ、その顔」

「いや。訊くようになったな」

「働くなら、聞くだろ」

 ミカエルは引き出しから別の紙を出した。

「当然だ。その話もしておこう」

*

 次に呼ばれたポールは、扉の前で一度足を止めた。

 ニーナが隣から見上げる。

「入らないの?」

「入るよ」

 戸口の兵へ名を告げる。

 中にはミカエルのほか、記録を取る役人と、護衛の年長の兵がいた。

 ザインとユリアンも、脇へ席を移している。

 ポールは差し出された椅子へ座らず、先に紙を出した。

「キドラントのポールと申します。仕事を探しています。その前に、話しておくことがあります」

「門で預かった報告は読んだ。座って話してくれ」

 ミカエルが言った。

 ポールは腰を下ろした。

 盗賊団へ加わったこと。荷馬車を襲う側にいたこと。

 坑道から人質を逃がした後、自分も逃げたこと。

 最初の一言より、逃げたと口にする時の方が、声が出にくかった。

 ミカエルは途中で遮らなかった。

「その後、キドラントで申し出たのだな」

「はい。調べを受けて、街道の補修に出ました。今は、働いて弁済を続けています」

 紙を卓へ置く。

 役人が受け取り、記された日付と印を確かめた。

「仕事先が変わる時の届けは?」

「出しました。ここで決まるかは分からないので、ロアーヌで仕事を探す、と」

「前の雇い主にも確認する。異存はないか」

「ありません」

 返事をすると、肩の力が少し抜けた。

 ミカエルがザインを見る。

「襲撃の現場にいたそうだな」

「ああ。こいつも連中の一人だった」

 ポールの指が膝の上で止まる。

「捕まってた三人を逃がしたのも、こいつだ。そこはサラも見てる」

「腕は?」

「弓は使える。道中、横へ抜けた魔物を一射で仕留めた。先の道もよく見てる」

 ザインはポールへ一度目を向けた。

「俺が見た働きは、それだけだ」

 それから、隣のニーナを見る。

「そっちは、力がある」

「荷運びの経験もあるということか」

 ミカエルが訊いた。

「荷を積んだままの荷車を、一人で持ち上げてた」

 ミカエルが顔を上げる。

「それと、キドラントで洞窟に閉じ込められた時、入口の大岩を動かして助けてくれた。俺とエレンでも動かせなかったやつだ」

「……君たち二人でも?」

「ああ」

 ミカエルはニーナへ目を向けた。

「どうやって動かした?」

「足を踏ん張って、肩を入れたら……」

「それは俺たちもやった」

 ザインが言うと、ニーナは少し困った顔をした。

「でも、中に皆さんがいたので」

 ザインは一度口を閉じた。

「……おかげで助かった。それは間違いねえ」

 ミカエルが頷いた。

 ニーナは膝の上で手を重ね、黙っていた。

 ミカエルはポールへ向き直る。

「ロアーヌでは、どんな仕事を望んでいる?」

「護衛か、街道の見回りを。弓を使う仕事なら、お役に立てると思います」

「ザインの話では、腕も警戒の目も悪くないようだな」

 ポールは小さく頷いた。

「だが、過去の件は確認が必要だ。城の警護や、モニカの身辺をすぐに任せることはできない」

「分かっています」

「確認が取れれば、まず街道の巡回や荷の護衛を担当する者につけよう。そこで働きぶりを見たい」

 ポールが顔を上げた。

「雇って、もらえるんですか」

「確認が取れれば、と言った」

「……はい。ありがとうございます」

 ミカエルは頷き、今度はニーナへ目を向けた。

「君も、ロアーヌで仕事を探しているのか」

「はい。できれば」

 ニーナは背を伸ばした。

「炊事や洗濯、荷物の支度ならできます。畑仕事もしていました」

「先ほど聞いた力があれば、荷運びもできそうだな」

「はい。重いものを運ぶのは、得意です」

「城で働いた経験は?」

「ありません。作法も、教えていただかないと……」

 ニーナは少し言葉を選んだ。

「でも、覚えます」

 ミカエルは隣の役人へ目を向けた。

「城の物資を扱う部署で、人手を求めていなかったか」

「搬入や支度の仕事でしたら。ただ、受け入れ先に確認が必要です」

「では、相談してくれ。本人の希望も聞いたうえで」

「承知しました」

 ニーナが頭を下げた。

「ありがとうございます。でも、ポールの仕事が決まっても、私まで一緒に雇っていただく必要はありません」

 ポールが一瞬、彼女を見た。

 ニーナは前を向いたまま続ける。

「私の分は、私で頑張ります」

 ミカエルは二人を見て、静かに頷いた。

「分かった。では、それぞれ話を進めよう」

*

 執務室を出ると、ポールは廊下の壁へ背を預けかけた。

 すぐに姿勢を直す。

「疲れた……」

「まだ、話しただけよ」

 ニーナが言った。

「それが一番疲れたんだよ」

「途中で隠さなかったね」

「隠したら、ここまで来た意味ないだろ」

 ニーナは頷いた。

 今度は何も付け足さなかった。

 ユリアンが扉から出てくる。

「明日、弓を見せるんだって?」

「ああ。あんたは?」

「俺は、まだ話す相手が残ってる」

 庭へ向かう廊下を見た。

 ポールは少し考え、それから壁を離れた。

「……お互い、先に話さないとな」

「そうだな」

 二人は別々の方へ歩き出した。

*

 モニカは、庭の長椅子に座っていた。

 エレンたちは城の客室へ案内され、近くには護衛が一人立っている。

 ユリアンが来ると、モニカは膝に置いた手紙を畳んだ。

「お兄様とは、お話しできました?」

「はい。護衛のことを」

 隣へ座るよう勧められたが、ユリアンは少し間を空けて腰を下ろした。

「モニカ様は、どう思いますか」

「ユリアンが引き受けてくれたら、心強いです」

 ユリアンは少し迷い、庭の外へ目を向けた。

「城下へ、行きたいんですか」

 彼女は手紙の端へ目を落とした。

「……はい」

「じゃあ、そう言っていいと思います」

「でも、ゴドウィン男爵はまだ捕まっていません。皆が慎重になるのも分かります」

「俺も、何も考えずに出ましょうとは言えません」

 ユリアンは庭の入口に立つ兵を見た。

「でも、どうすれば行けるかは、一緒に考えられます。あの人たちにも、教えてもらって」

 モニカの指が、手紙から離れた。

「カタリナなら、そう言ってくれたかもしれません」

「俺、カタリナさんみたいにはできませんよ」

「ええ」

 即座に頷かれ、ユリアンは口を閉じた。

 モニカが笑う。

「あなたは、私が転びそうになると、手を出してくれるでしょう。カタリナは、その前に歩き方を注意するの」

「ああ……」

 川を渡った夜を思い出した。

 あの時は、手を差し出すことしか考えていなかった。

「どちらも、ありがたいんです」

 モニカは立ち上がった。

「ユリアン。私の護衛をお願いできますか」

「はい」

 今度は、すぐに答えた。

「城のことは、まだ分からないことばかりですけど。覚えます」

「私も、してほしいことはちゃんと伝えます」

 そう言って、モニカは庭の入口へ歩き出した。

 ユリアンも立ち上がり、後へ続く。

 護衛の前で、彼女が足を止めた。

「城下へ出たいのです。近いうちに、時間を取れますか」

 兵は少し驚いた顔をした。

 だが、すぐに姿勢を正した。

「行き先は、お決まりでしょうか」

「まずは市場へ。その後、修繕の終わった広場も見たいです」

「承知しました。道と人出を確かめ、侯爵様へ予定をお上げします」

 モニカは頷いた。

「お願いします」

 ユリアンへ目を向ける。

 彼は小さく頷き返した。

*

 翌朝、ユリアンは三人の護衛と顔を合わせた。

 年長の兵が、配置表を卓へ広げる。

 背の高い兵が鍵の束を置き、もう一人が外出時の記録を持ってきた。

「カタリナ殿から、三人で補い合うよう言われている。君も、分からないことはそのままにしないでくれ」

「はい」

 ユリアンは紙へ目を落とした。

 門の名前からして、まだ怪しかった。

「この西の通用門って、庭から下りたところですか」

「それは南門だ」

「……最初から、教えてもらっていいですか」

 背の高い兵が、少し笑った。

「まず城を一周しよう。口で聞くより早い」

 その日のうちに、ユリアンは何度も廊下を歩いた。

 巡回の引き継ぎを見て、使者の確認に立ち会い、モニカの外出予定を三人と確かめる。

 夕方、ポールが弓場から戻ってきた。

 ユリアンが声をかける。

「どうだった?」

「距離を変えて、走った後に射って、最後は動く的だった」

「当たったのか」

「ああ。最後は、的を引く方が疲れたってさ」

 ポールは弓弦を確かめながら答えた。

 その後ろから、試験に立ち会った兵が来る。

「こちらが合図を出す前に、横の的にも気づいていた。弓を引いている間も、周りが見えているな」

「正面ばかり見てたら、横から来た奴にやられるだろ」

「分かっていても、できる者ばかりではない」

 兵は手元の記録を閉じた。

「腕の方は、申し分ないと報告しておく。明日は外回りの詰所へ来てくれ」

「分かった」

 兵が去ると、ユリアンがポールを見た。

「あの腕なら、城の連中も驚いただろ」

「弓なら、そう簡単には負けねえよ」

 ポールはそこで、少し笑った。

 ニーナは侍女長から借りた前掛けを畳んでいた。

 まずは数日、支度や片づけを手伝いながら仕事を覚えることになったという。

「明日は、布と薬を入れる棚を教えてもらうの」

「もう城に馴染んでないか」

「まだ、厨房から戻る道を一度間違えたわ」

「俺もだ」

 ユリアンが言った。

 今度は三人で笑った。

*

 翌朝、ピドナへ発つ四人は、ミカエルのもとへ挨拶に向かった。

「エレナ・ヴァルティエと申します。滞在中は、お世話になりました」

「こちらこそ。妹も、久しぶりに賑やかに過ごせたようだ」

 エレナが一礼すると、ザインが口を挟んだ。

「あの夜、森を抜けるのに使った地図があっただろ。描いたのは、こいつだ」

「君が?」

 ミカエルが顔を向けた。

「ええ。シノンの宿へ預けたものです。皆さんに使っていただいたと伺っています」

「あれがなきゃ、道を探す手間が増えてた」

 ザインの言葉に、ミカエルは頷いた。

「では、君にも礼を言わねばならないな。妹を助けてくれて、ありがとう」

「お役に立てたなら、何よりです」

 エレナは微笑み、もう一度頭を下げた。

 ザインたちがピドナへ戻る際、モニカは城門まで見送りに来た。

 ユリアンは彼女の隣につき、少し離れて城の護衛が立っている。

 ポールとニーナも、仕事が始まる前に顔を出していた。

「ちゃんと働きなさいよ」

 エレンがポールへ言った。

「分かってる」

「ニーナに言われる前にね」

「それも分かってるよ」

 ニーナが笑った。

 サラは小さく手を振り、エレナはモニカへ一礼した。

「また、お話を聞かせてください」

「ええ。次は、私からも」

 ザインがユリアンへ目を向ける。

「決めたんだな」

「ああ」

「なら、分からんことは訊け。城の連中は、訊かなくても知ってると思って話すぞ」

「昨日、もう分かった」

「早かったな」

 ユリアンが苦笑した。

「そっちは?」

「ピドナへ戻る。トーマスに、伝えることはあるか」

「元気でやってるって。それと、俺も仕事が決まった」

「給金は確かめたか」

「確かめたよ!」

 エレンが声を上げて笑った。

 ザインは頷き、荷袋を肩へ掛ける。

 四人が歩き出すと、モニカが手を振った。

 今度は、ユリアンもその隣で見送った。

 姿が門の向こうへ消えるまで待ってから、モニカが顔を向ける。

「明日の市場の件ですが」

「はい」

「広場の手前に、焼き菓子のお店があるんです。そこにも寄りたいのですが」

 ユリアンは、昨日教わった道を頭の中でたどった。

「あの角の店ですか?」

「ええ」

「じゃあ、予定に入れてもらいましょう」

 彼女は嬉しそうに頷いた。

 城へ戻る途中、ユリアンは後ろの護衛へ声をかけた。

 店の名前と場所を伝えると、兵は手帳を開く。

「そこで少し休めるようにしておこう」

 モニカが振り返った。

「ありがとうございます」

 その声は、昨日までよりよく通った。

 ユリアンは彼女の歩調に合わせ、回廊へ向かった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。