Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
出発の朝、ユリアンは荷袋の紐を三度締め直した。
「それ以上引くと、切れるよ」
宿の戸口で、トーマスが言った。
「緩いよりいいだろ」
「中に入れ忘れたものはない?」
「ない」
「書状は?」
「ある」
「じゃあ、大丈夫だ」
そう言われると、もう確かめるものがなかった。
ユリアンは荷袋を肩へ掛けた。
通りには、ピドナへ向かう乗合馬車が止まっていた。御者が荷台を確かめ、乗客を呼んでいる。
トーマスの鞄には、商談で交わした書類が収まっていた。
これから戻り、荷を集め、約束した便へ載せる。
昨日まで聞いていた段取りの続きを、自分は見ないのだと実感した。
「向こうに着いたら、知らせる」
「うん。僕も、便が動いたら手紙を書くよ」
「売れたかどうかもな」
「そこまで報告が要る?」
「気になるだろ。あれだけ一緒に回ったんだから」
トーマスが笑った。
「分かった。君が分かるように書く」
「普通に書けば分かるよ」
サラが、布に包んだパンを差し出した。
「途中で食べて」
「ありがとう。そっちも、気をつけて」
受け取る時、二人の指が触れた。
サラが先に手を引き、鞄の肩紐を握る。
「……手紙、書くね」
「待ってる」
馬車の方から、もう一度声が掛かった。
トーマスは全員へ手を振り、乗り込んだ。
車輪が回り始めると、ユリアンも片手を上げる。
「荷物、遅らせるなよ!」
「君も、返事を後回しにしないようにね!」
最後まで、それだった。
馬車が角を曲がり、サラはしばらくそちらを見ていた。
「こっちも行くぞ」
ザインが言った。
エレンが立ち上がり、右脚へ体重をかける。
痛みを確かめるように一歩踏み出し、それから斧の位置を直した。
「歩けるわよ」
「今日は荷馬車に乗れる間は乗っておけ」
「…わかった」
ロアーヌへ向かう便は、街の反対側から出る。
使者との待ち合わせにも、まだ少し時間があった。
ポールが、ニーナの荷袋へ手を伸ばした。
「そっち、持つ」
「自分の分は持てるわ」
「空いてるんだから、いいだろ」
「じゃあ、途中で疲れたらお願い」
ニーナは笑い、先に歩き始めた。
ポールがその後を追う。
ユリアンは上着の内側へ触れた。
侯爵の書状が、そこにあった。
*
使者はザインら一行の出発を見届けると、一足先にロアーヌへ戻った。
一行は荷馬車を利用し、宿場で休みながら数日かけて旅を続けた。
その間に、エレンの足取りからは次第に脚をかばう癖が消え、ユリアンも笑うたびに脇腹を押さえることがなくなった。
次の宿場まで歩くことになった昼前、ポールが道の先から戻ってきた。
「この先、木が倒れてる。荷車は通れねえが、人なら脇を抜けられる」
「遠回りは?」
「川まで下りれば道がある。ただ、こっちより長い」
ザインがエレンへ目を向けた。
「脚は?」
「もう平気。木くらい越えられるわよ」
「なら、そのまま行くぞ」
ポールが先に立った。
街道を斜めに塞ぐ倒木が見えてくると、幹の手前で足を止める。
片手が上がった。
ザインも止まった。
ポールは倒木の向こうを見たまま、背の弓を外した。
「……さっきは、いなかったんだけどな」
枝の間から、黄褐色の頭がのぞいた。
細長い顎に牙が並び、斑模様の胴から長い尾が伸びている。太い後脚で身を支え、短い前脚の爪を曲げていた。
「ラプトルだ」
ザインが曲刀の柄へ手を掛けた。
こちらを見ても、逃げる気配はない。
ユリアンが前へ出る。
ニーナはその後ろへ下がり、食べ物の包みを鞄へ押し込んだ。
ポールはすでに、矢をつがえていた。
ラプトルが倒れた枝を踏み越える。
その頭が、正面の二人を通り過ぎた。
サラのところで、止まった。
尾が振れ、後脚が地を蹴る。
ラプトルはザインの脇を抜けるように、斜めに走り出した。
「サラ、下がって!」
エレンが妹の前へ入る。
エレナも細剣へ手を伸ばした。
その時には、ポールの狙いは定まっていた。
《瞬速の矢》
鋭く弦が鳴った。
矢が、ラプトルの首の付け根を射抜く。
次の一歩が崩れた。
勢いのまま頭から地面へ突っ込み、長い尾が枝を打つ。
後脚が一度、土を掻いた。
それきり、動かなかった。
ポールはもう次の矢をつがえ、林へ目を向けていた。
ザインが倒れた魔物へ近づき、周囲を確かめる。
「ほかにはいねえな」
「こっちも、動くものはない」
ポールが答え、弓を下ろした。
サラは半ば外した弓を、両手で持ち直した。
「……ありがとう」
ポールが頷く。
ユリアンは倒木から獣までの距離を見て、感心したように息を吐いた。
「早いな。」
「ここは弓の出番だ」
ポールはそう言って、矢を確かめに向かった。
エレンがサラの肩へ触れた。
「大丈夫?」
「うん」
サラの目は、倒れた獣へ向いていた。
「今のも、私の方に来たよね」
エレンの手が止まった。
ピドナへ向かう道で、何度も妹を追った人虎の姿が浮かぶ。
エレナも細剣の柄から手を離し、ラプトルの走った跡を見ていた。
「……向きを変えましたね」
「前にも、あったのか?」
戻ってきたポールが尋ねる。
「人虎がね。ほかの相手を振り切って、この子ばかり追いかけたの」
エレンが答えた。
ポールはサラを見たが、理由までは口にしなかった。
ザインは曲刀の柄から手を離した。
「次に出たら、俺たちも動きを見る。サラ、お前も変だと思ったらすぐ言え」
「……うん」
エレンが肩を軽く叩いて、手を離した。
ポールは倒木へ片足を掛けた。
枝を押しのけ、向こう側をもう一度確かめる。
「ここなら通れる。先に行ってる」
身軽に幹を越え、反対側へ下りた。
ザインが荷物を受け渡し、ユリアンが枝を持ち上げる。全員が通り終えるまで、ポールは弓を手に周囲を見ていた。
*
森を抜けた頃には、昼を過ぎていた。
「次の宿場、まだ?」
エレンが尋ねると、ポールは街道の先を指した。
「あの丘を越えてからだ」
「……先に食べようか」
ニーナが道端の平たい石へ鞄を下ろした。
取り出した布包みを開くと、パンと薄く切った干し肉が並んでいる。
「今朝、宿で分けてもらったの。座れるところがあってよかった」
サラが隣にしゃがみ、取り分けるのを手伝った。
「七人分、持ってきてくれたんだ」
「ポールと歩いてると、お昼が遅くなることがあるから」
「今日は俺のせいじゃないだろ」
「だから、持っておいてよかったって話よ」
ニーナがパンを渡す。
ポールは言い返しかけ、受け取る方を選んだ。
「こういう時、食べ物を持ってる人が一番頼りになるわね」
エレンも隣へ座った。
「斧じゃ、お腹は膨らまないものね」
「獲物がいれば何とかなるけど」
「今から捕る気か」
ザインに言われ、エレンはパンをかじった。
ユリアンがポールの横へ腰を下ろす。
「さっきの、どうして気づいたんだ?」
「枝が動いた。風と違う方へ」
「戻った時には、いなかったんだろ」
「だから、もう一度見たんだよ」
ポールは干し肉を噛み切った。
「一度見たからって、ずっと空いてるわけじゃないしな」
サラはその話を聞きながら、矢筒の口を直した。
今度は自分も、弓を出す前に周りを見ようと思った。
「エレナ、食べないの?」
エレンが呼んだ。
エレナは少し離れた石標の前にしゃがんでいた。
苔の薄いところを選び、刻まれた文字へ指を沿わせている。
「すぐに。ここの地名、今と少し違うようなんです」
「パンも今と少し違う状態になるわよ」
「どういう意味です?」
「減る」
「私の分ですよね?」
エレンが笑い、包みの上へパンを戻した。
エレナは手帳へ数文字を書き留め、皆のもとへ戻ってきた。
サラが場所を空け、ニーナが水筒を回す。
七人が腰を下ろすと、石の上は少し手狭だった。
「おい、肘」
「あんたこそ、荷物をどけてよ」
ザインが荷袋を足元へ下ろした。
空いたところへエレンが座り直し、その隣でサラが小さく笑った。
*
ロアーヌの城壁が見えたのは、よく晴れた日の午後だった。
ユリアンは足を止めた。
前に来た時には、まだ修繕の板が残っていた。
今は城門の上にも新しい石が入り、その手前では商人の荷車が順番を待っている。
「ずいぶん直ったな」
「見えるところはな」
ザインが城壁を見上げた。
城門に着くと、先に戻っていた使者が迎えに出た。
使者は門番に書状を示し、一行の到着を告げる。
門番は書状を確かめ、ユリアンへ目を向けた。
「お名前を」
「ユリアン・ノールです」
脇の詰所から、別の兵が帳面を持ってきた。
同行者も、一人ずつ名前を尋ねられる。
「ポール。キドラントから来た」 ポールはそう答え、腰の袋から紙を出した。
「道中は一緒だったけど、俺とその隣のニーナは仕事を探しに来た。これも、担当の人に見てもらいたい」
兵は紙の印と記載を確かめた。
「では、こちらのお二人はこちらの詰所でお待ちください。担当の者へ取り次ぎます」
「分かった」
ニーナも頷いた。
隣では、ポールが落ち着かず袋の紐をいじっている。
その肘を軽くつつくと、彼は手を止めた。
「俺たちは先に行くけど、二人がここにいることは伝えておくよ」
ユリアンが言った。
「ああ、頼む」
ポールとニーナは兵に案内され、門脇の詰所へ入っていった。
「ユリアン殿。皆様はこちらへ」
使者が城内へ向き直る。
ユリアンに続き、ザイン、エレナ、エレン、サラの四人が門をくぐった。
*
「お茶は、まだ下げないでください」
モニカが言うと、侍女は卓の上の杯へ伸ばした手を止めた。
「冷めてしまいますが」
「もう少しだけ」
窓の外では、庭師が枝を払っていた。
鋏の音がするたびに、モニカは回廊の方へ目を向けた。
卓には、開いた手紙があった。
マスカレイドの行方は、まだつかめていない。
けれど無事に旅を続けていると、カタリナらしい整った字で書かれていた。
食事を抜かないこと。
外へ出る時は、必ず護衛へ声をかけること。
最後の一行には、帰ったらお話を聞かせてください、とあった。
モニカはその部分を指で押さえた。
返事に書こうとしたことは、昨日とあまり変わらない。
庭の花が咲いた。
城の修繕が進んだ。
お兄様は、相変わらず忙しい。
廊下から足音がした。
扉の外で護衛が来訪者の名を確かめる。
続いて、いつもの落ち着いた声が聞こえた。
「モニカ様。ユリアン・ノール殿がお着きです。シノンの皆様もご一緒です」
モニカは立ち上がった。
「お通しして」
言ってから、手紙を畳む。
急いだせいで端がずれ、もう一度折り直した。
扉が開いた。
最初に顔を出したユリアンは、部屋の中へ一歩入り、妙に姿勢を正した。
「お久しぶりです」
「ユリアン」
声に出すと、本当に来たのだと分かった。
「お元気でしたか」
「はい。モニカ様も……」
ユリアンはそこで言葉を探した。
後ろから、エレンが軽く背を押す。
「入口で止まらないでよ」
「あ、悪い」
モニカは思わず笑った。
エレンとサラが入ってくる。
その後ろにはザインと、見知らぬ金髪の女性がいた。
「エレン、サラも」
「顔を見に来ちゃった」
「お邪魔しても、大丈夫でしたか?」
サラが遠慮がちに尋ねる。
「もちろん。来てくれて嬉しいわ」
モニカは金髪の女性へ向き直った。
彼女が一礼する。
「初めまして。エレナ・ヴァルティエと申します」
「モニカ・アウスバッハです。皆さんとは、ご一緒に旅を?」
「ええ。ピドナから」
モニカはその名を、もう一度心の中で繰り返した。
「エレンと、エレナさん?」
「似てるでしょ」
エレンが笑った。
「こいつ、最初に文句言ったのよ」
「実際、似てるだろ」
ザインが答える。
「でも、もう覚えてくださいましたよね?」
エレナが静かに付け加えた。
ザインは一度だけ彼女を見た。
「三オーラムも払えばな」
「あら。ちゃんと効果があったんですね」
モニカは、今度は声を立てて笑った。
廊下に立つ護衛は、その声に一度だけ目を向けた。
それから、入れ替わりに来た兵へ小声で何かを伝え、持ち場を交代した。
*
ミカエルとの面会まで、庭を歩くことになった。
年長の護衛が先に回廊を確かめ、もう一人がモニカの少し後ろについた。
三人目は部屋に残り、来客や伝言を受ける。
庭へ下りる階段の手前で、先を歩いていた兵が足を止めた。
「西側は修繕の資材が出ています。今日は池の方へ回りましょう」
「分かりました」
モニカは素直に頷いた。
池へ向かう道は片づけられていた。
重い石を運ぶ人足が通りかかると、護衛が片手を上げ、一行を先に通す。
エレンが小さく息を吐いた。
「きちんとしてるのね」
「ええ。皆、よく気を配ってくれるの」
モニカの声に、不満はなかった。
ただ、花壇の脇へ来た時、彼女の目が庭の外へ向いた。
塀の向こうから、荷車の軋む音が聞こえていた。
「城下は、どうでした?」
「人が多かったな。荷車も並んでた」
ユリアンが答えた。
「露店も?」
「ああ。門の近くに果物売りがいた。エレンが――」
「見ただけでしょ」
「まだ何も言ってないぞ」
モニカが笑った。
「以前、カタリナと買い物へ出た時にも、あの辺りにお店がありました」
少し先の道へ目を向ける。
そこには、すでに護衛が立っていた。
「また行きたいですね」
ユリアンが言った。
モニカはすぐには答えなかった。
「……今は、皆さんのお手間になるでしょうから」
「手間?」
彼が訊き返す前に、年長の護衛が戻ってきた。
「侯爵様のご用意が整いました。ユリアン殿とザイン殿は、執務室へ」
ユリアンは頷いた。
歩き出してから、一度だけモニカを振り返る。
彼女は花壇のそばで、エレン達の旅の話を聞いていた。
*
執務室には、護衛の配置表が広げられていた。
ミカエルは二人へ椅子を勧めた。
「遠いところを、よく来てくれた」
「お呼びいただいたので、その……話を伺いに」
ユリアンが座り直す。
ザインは隣へ腰を下ろした。
「城の護衛は、ちゃんと働いてるようだな」
「ああ。カタリナが引き継いだ三人だ。報告にも落ち度はない」
ミカエルは配置表へ目を落とした。
「夜間の出入りは二人で確かめる。来客も伝言も記録する。私の命令というだけで、確認を省くこともない」
「それで、俺に何を?」
ユリアンが尋ねた。
「モニカの近くで働いてほしい。外出の護衛も含めてだ」
城の護衛になれという話なのだろうとは思っていた。
それでも、本人から聞くと、すぐに返事は出なかった。
「俺より強い人なら、城にいくらでもいるでしょう」
「剣の腕だけなら、そうだ」
ミカエルは率直に答えた。
「だが、あの反乱の夜、君は命じられる前に動いた。モニカも、君たちといる時には、自分からよく話す」
「それは、エレンたちも……」
「そうだな。妹にとって、皆、気を許せる相手なのだろう」
ミカエルは卓の書類へ目を落とした。
「ただ、君に使者を出したと伝えてからは、返事が来たかと何度も訊かれた」
「俺の、ですか?」
「ああ。今朝も、到着の知らせを待っていた」
ユリアンは返す言葉を探した。
部屋へ入った時、モニカは立っていた。名前を呼ばれた声が、ふいに耳へ戻ってくる。
「剣の腕や、あの夜の働きは私が見た。妹も、君が来ることを望んでいる。だから、まず君に話を聞いてほしかった」
「……そうだったんですか」
ユリアンは膝の上の手へ目を落とした。
庭で、モニカは護衛を褒めていた。
そのすぐ後に、城下へ出るのは手間になるとも言った。
「あの人たちに、遠慮してるんですか」
「本人は、皆よくしてくれると言う。実際、そのとおりなのだろう」
ミカエルは窓の外へ目を向けた。
「カタリナには、もう少し言い返していた。今は、何を訊いても『大丈夫です』で終わることが多い」
「……さっきも、城下へ行きたいとは言いませんでした」
「君には、それを聞けるかもしれないと思った」
ユリアンは膝の上で手を組んだ。
「モニカ様には、この話を?」
「君を呼ぶことは伝えた。任せるかどうかは、二人の意向を確かめてからだ」
「なら、先に本人と話してもいいですか」
ミカエルが頷いた。
「もちろんだ」
「ザイン。君も、しばらくロアーヌに残る気はないか」
ザインが、ミカエルを見た。
「俺も護衛か?」
「君には兵の訓練を任せたい。反乱で、隊をまとめる者も減った。実戦を知る者が必要だ」
ザインは少し考えた。
それから、椅子の脇の荷袋を持ち上げる。
「だが、今はピドナへ戻る。連れもいるし、次の行き先も決めてねえ」
「連れと相談してからでも構わない」
「俺が、まだ旅を続けたいんだ」
ミカエルは頷いた。
「そうか。では、気が変わったら知らせてくれ」
「その時に、まだ仕事があればな」
「君が給金に見合う働きをするなら、用意しよう」
ザインが少し笑った。
「そっちも、細けえな」
「領地の金だからな」
ザインが椅子の背から身を起こす。
「ゴドウィンは?」
「まだ捕らえていない。関わった者の調べも続いている」
「城の外へ出すなら、そっちも気になるな」
「だから、既存の護衛を外すつもりはない。ユリアン、君が護衛を引き受けるなら、彼らと組んで動いてもらう」
ミカエルはユリアンへ向き直った。
「城の務めには、剣以外にも覚えることがある。最初は三人に教わってほしい」
「はい」
返事をしてから、ユリアンは顔を上げた。
「それと……休みや、給金のことも聞いていいですか」
ザインが横を見た。
「何だ、その顔」
「いや。訊くようになったな」
「働くなら、聞くだろ」
ミカエルは引き出しから別の紙を出した。
「当然だ。その話もしておこう」
*
次に呼ばれたポールは、扉の前で一度足を止めた。
ニーナが隣から見上げる。
「入らないの?」
「入るよ」
戸口の兵へ名を告げる。
中にはミカエルのほか、記録を取る役人と、護衛の年長の兵がいた。
ザインとユリアンも、脇へ席を移している。
ポールは差し出された椅子へ座らず、先に紙を出した。
「キドラントのポールと申します。仕事を探しています。その前に、話しておくことがあります」
「門で預かった報告は読んだ。座って話してくれ」
ミカエルが言った。
ポールは腰を下ろした。
盗賊団へ加わったこと。荷馬車を襲う側にいたこと。
坑道から人質を逃がした後、自分も逃げたこと。
最初の一言より、逃げたと口にする時の方が、声が出にくかった。
ミカエルは途中で遮らなかった。
「その後、キドラントで申し出たのだな」
「はい。調べを受けて、街道の補修に出ました。今は、働いて弁済を続けています」
紙を卓へ置く。
役人が受け取り、記された日付と印を確かめた。
「仕事先が変わる時の届けは?」
「出しました。ここで決まるかは分からないので、ロアーヌで仕事を探す、と」
「前の雇い主にも確認する。異存はないか」
「ありません」
返事をすると、肩の力が少し抜けた。
ミカエルがザインを見る。
「襲撃の現場にいたそうだな」
「ああ。こいつも連中の一人だった」
ポールの指が膝の上で止まる。
「捕まってた三人を逃がしたのも、こいつだ。そこはサラも見てる」
「腕は?」
「弓は使える。道中、横へ抜けた魔物を一射で仕留めた。先の道もよく見てる」
ザインはポールへ一度目を向けた。
「俺が見た働きは、それだけだ」
それから、隣のニーナを見る。
「そっちは、力がある」
「荷運びの経験もあるということか」
ミカエルが訊いた。
「荷を積んだままの荷車を、一人で持ち上げてた」
ミカエルが顔を上げる。
「それと、キドラントで洞窟に閉じ込められた時、入口の大岩を動かして助けてくれた。俺とエレンでも動かせなかったやつだ」
「……君たち二人でも?」
「ああ」
ミカエルはニーナへ目を向けた。
「どうやって動かした?」
「足を踏ん張って、肩を入れたら……」
「それは俺たちもやった」
ザインが言うと、ニーナは少し困った顔をした。
「でも、中に皆さんがいたので」
ザインは一度口を閉じた。
「……おかげで助かった。それは間違いねえ」
ミカエルが頷いた。
ニーナは膝の上で手を重ね、黙っていた。
ミカエルはポールへ向き直る。
「ロアーヌでは、どんな仕事を望んでいる?」
「護衛か、街道の見回りを。弓を使う仕事なら、お役に立てると思います」
「ザインの話では、腕も警戒の目も悪くないようだな」
ポールは小さく頷いた。
「だが、過去の件は確認が必要だ。城の警護や、モニカの身辺をすぐに任せることはできない」
「分かっています」
「確認が取れれば、まず街道の巡回や荷の護衛を担当する者につけよう。そこで働きぶりを見たい」
ポールが顔を上げた。
「雇って、もらえるんですか」
「確認が取れれば、と言った」
「……はい。ありがとうございます」
ミカエルは頷き、今度はニーナへ目を向けた。
「君も、ロアーヌで仕事を探しているのか」
「はい。できれば」
ニーナは背を伸ばした。
「炊事や洗濯、荷物の支度ならできます。畑仕事もしていました」
「先ほど聞いた力があれば、荷運びもできそうだな」
「はい。重いものを運ぶのは、得意です」
「城で働いた経験は?」
「ありません。作法も、教えていただかないと……」
ニーナは少し言葉を選んだ。
「でも、覚えます」
ミカエルは隣の役人へ目を向けた。
「城の物資を扱う部署で、人手を求めていなかったか」
「搬入や支度の仕事でしたら。ただ、受け入れ先に確認が必要です」
「では、相談してくれ。本人の希望も聞いたうえで」
「承知しました」
ニーナが頭を下げた。
「ありがとうございます。でも、ポールの仕事が決まっても、私まで一緒に雇っていただく必要はありません」
ポールが一瞬、彼女を見た。
ニーナは前を向いたまま続ける。
「私の分は、私で頑張ります」
ミカエルは二人を見て、静かに頷いた。
「分かった。では、それぞれ話を進めよう」
*
執務室を出ると、ポールは廊下の壁へ背を預けかけた。
すぐに姿勢を直す。
「疲れた……」
「まだ、話しただけよ」
ニーナが言った。
「それが一番疲れたんだよ」
「途中で隠さなかったね」
「隠したら、ここまで来た意味ないだろ」
ニーナは頷いた。
今度は何も付け足さなかった。
ユリアンが扉から出てくる。
「明日、弓を見せるんだって?」
「ああ。あんたは?」
「俺は、まだ話す相手が残ってる」
庭へ向かう廊下を見た。
ポールは少し考え、それから壁を離れた。
「……お互い、先に話さないとな」
「そうだな」
二人は別々の方へ歩き出した。
*
モニカは、庭の長椅子に座っていた。
エレンたちは城の客室へ案内され、近くには護衛が一人立っている。
ユリアンが来ると、モニカは膝に置いた手紙を畳んだ。
「お兄様とは、お話しできました?」
「はい。護衛のことを」
隣へ座るよう勧められたが、ユリアンは少し間を空けて腰を下ろした。
「モニカ様は、どう思いますか」
「ユリアンが引き受けてくれたら、心強いです」
ユリアンは少し迷い、庭の外へ目を向けた。
「城下へ、行きたいんですか」
彼女は手紙の端へ目を落とした。
「……はい」
「じゃあ、そう言っていいと思います」
「でも、ゴドウィン男爵はまだ捕まっていません。皆が慎重になるのも分かります」
「俺も、何も考えずに出ましょうとは言えません」
ユリアンは庭の入口に立つ兵を見た。
「でも、どうすれば行けるかは、一緒に考えられます。あの人たちにも、教えてもらって」
モニカの指が、手紙から離れた。
「カタリナなら、そう言ってくれたかもしれません」
「俺、カタリナさんみたいにはできませんよ」
「ええ」
即座に頷かれ、ユリアンは口を閉じた。
モニカが笑う。
「あなたは、私が転びそうになると、手を出してくれるでしょう。カタリナは、その前に歩き方を注意するの」
「ああ……」
川を渡った夜を思い出した。
あの時は、手を差し出すことしか考えていなかった。
「どちらも、ありがたいんです」
モニカは立ち上がった。
「ユリアン。私の護衛をお願いできますか」
「はい」
今度は、すぐに答えた。
「城のことは、まだ分からないことばかりですけど。覚えます」
「私も、してほしいことはちゃんと伝えます」
そう言って、モニカは庭の入口へ歩き出した。
ユリアンも立ち上がり、後へ続く。
護衛の前で、彼女が足を止めた。
「城下へ出たいのです。近いうちに、時間を取れますか」
兵は少し驚いた顔をした。
だが、すぐに姿勢を正した。
「行き先は、お決まりでしょうか」
「まずは市場へ。その後、修繕の終わった広場も見たいです」
「承知しました。道と人出を確かめ、侯爵様へ予定をお上げします」
モニカは頷いた。
「お願いします」
ユリアンへ目を向ける。
彼は小さく頷き返した。
*
翌朝、ユリアンは三人の護衛と顔を合わせた。
年長の兵が、配置表を卓へ広げる。
背の高い兵が鍵の束を置き、もう一人が外出時の記録を持ってきた。
「カタリナ殿から、三人で補い合うよう言われている。君も、分からないことはそのままにしないでくれ」
「はい」
ユリアンは紙へ目を落とした。
門の名前からして、まだ怪しかった。
「この西の通用門って、庭から下りたところですか」
「それは南門だ」
「……最初から、教えてもらっていいですか」
背の高い兵が、少し笑った。
「まず城を一周しよう。口で聞くより早い」
その日のうちに、ユリアンは何度も廊下を歩いた。
巡回の引き継ぎを見て、使者の確認に立ち会い、モニカの外出予定を三人と確かめる。
夕方、ポールが弓場から戻ってきた。
ユリアンが声をかける。
「どうだった?」
「距離を変えて、走った後に射って、最後は動く的だった」
「当たったのか」
「ああ。最後は、的を引く方が疲れたってさ」
ポールは弓弦を確かめながら答えた。
その後ろから、試験に立ち会った兵が来る。
「こちらが合図を出す前に、横の的にも気づいていた。弓を引いている間も、周りが見えているな」
「正面ばかり見てたら、横から来た奴にやられるだろ」
「分かっていても、できる者ばかりではない」
兵は手元の記録を閉じた。
「腕の方は、申し分ないと報告しておく。明日は外回りの詰所へ来てくれ」
「分かった」
兵が去ると、ユリアンがポールを見た。
「あの腕なら、城の連中も驚いただろ」
「弓なら、そう簡単には負けねえよ」
ポールはそこで、少し笑った。
ニーナは侍女長から借りた前掛けを畳んでいた。
まずは数日、支度や片づけを手伝いながら仕事を覚えることになったという。
「明日は、布と薬を入れる棚を教えてもらうの」
「もう城に馴染んでないか」
「まだ、厨房から戻る道を一度間違えたわ」
「俺もだ」
ユリアンが言った。
今度は三人で笑った。
*
翌朝、ピドナへ発つ四人は、ミカエルのもとへ挨拶に向かった。
「エレナ・ヴァルティエと申します。滞在中は、お世話になりました」
「こちらこそ。妹も、久しぶりに賑やかに過ごせたようだ」
エレナが一礼すると、ザインが口を挟んだ。
「あの夜、森を抜けるのに使った地図があっただろ。描いたのは、こいつだ」
「君が?」
ミカエルが顔を向けた。
「ええ。シノンの宿へ預けたものです。皆さんに使っていただいたと伺っています」
「あれがなきゃ、道を探す手間が増えてた」
ザインの言葉に、ミカエルは頷いた。
「では、君にも礼を言わねばならないな。妹を助けてくれて、ありがとう」
「お役に立てたなら、何よりです」
エレナは微笑み、もう一度頭を下げた。
ザインたちがピドナへ戻る際、モニカは城門まで見送りに来た。
ユリアンは彼女の隣につき、少し離れて城の護衛が立っている。
ポールとニーナも、仕事が始まる前に顔を出していた。
「ちゃんと働きなさいよ」
エレンがポールへ言った。
「分かってる」
「ニーナに言われる前にね」
「それも分かってるよ」
ニーナが笑った。
サラは小さく手を振り、エレナはモニカへ一礼した。
「また、お話を聞かせてください」
「ええ。次は、私からも」
ザインがユリアンへ目を向ける。
「決めたんだな」
「ああ」
「なら、分からんことは訊け。城の連中は、訊かなくても知ってると思って話すぞ」
「昨日、もう分かった」
「早かったな」
ユリアンが苦笑した。
「そっちは?」
「ピドナへ戻る。トーマスに、伝えることはあるか」
「元気でやってるって。それと、俺も仕事が決まった」
「給金は確かめたか」
「確かめたよ!」
エレンが声を上げて笑った。
ザインは頷き、荷袋を肩へ掛ける。
四人が歩き出すと、モニカが手を振った。
今度は、ユリアンもその隣で見送った。
姿が門の向こうへ消えるまで待ってから、モニカが顔を向ける。
「明日の市場の件ですが」
「はい」
「広場の手前に、焼き菓子のお店があるんです。そこにも寄りたいのですが」
ユリアンは、昨日教わった道を頭の中でたどった。
「あの角の店ですか?」
「ええ」
「じゃあ、予定に入れてもらいましょう」
彼女は嬉しそうに頷いた。
城へ戻る途中、ユリアンは後ろの護衛へ声をかけた。
店の名前と場所を伝えると、兵は手帳を開く。
「そこで少し休めるようにしておこう」
モニカが振り返った。
「ありがとうございます」
その声は、昨日までよりよく通った。
ユリアンは彼女の歩調に合わせ、回廊へ向かった。