Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
モニカたちが北へ発った後も、軍営では兵の往来が続いていた。
馬へ鞍を載せる者、矢束を運ぶ者、焚き火のそばで最後の食事をかき込む者。朝の冷たい空気に、革と鉄と煙の匂いが混じっている。
ザインは本陣の卓へ、小さな革袋を置いた。
「一万オーラム。城を取り戻すまでだな」
「そうだ」
ミカエルは地図から顔を上げた。
紫紺の甲冑をまとい、長い金髪を背へ流している。妹を見送った時の表情は、もう残っていなかった。
「前金は三割」
「二割だ」
「昨日から寝てない。少しは考慮しろ」
「君が寝不足なのと、前金の割合に何の関係がある」
ザインは黙って侯爵を見た。
ミカエルも目をそらさない。
「……二割五分」
「いいだろう」
会計官が二千五百オーラムを渡すと、ザインは中身を確かめ、袋を荷物へ収めた。
モニカを送り届けた千オーラムとは、別の仕事だ。残り七千五百オーラムは、城を奪還してから受け取る。
「それと、命令を一つ」
ミカエルが言った。
「降伏した兵は殺すな。城へ入ってからも同じだ」
「抵抗した奴は?」
「必要なら戦え。だが、武器を捨てた相手にまで剣を向けるな」
「随分、親切なことだ」
「兵を一人育てるにも、金と時間がかかる」
ミカエルは地図の上へ駒を置いた。
「従った理由も調べねばならん。自ら加担した者と、脅された者を同じには扱えない」
「戦いながら、そこまで見分けろと?」
「だから、武器を捨てたら拘束しろと言っている」
ザインは少し笑った。
「なるほど。話が早い」
天幕の入口で、将校が一礼した。
「全隊、出立の準備が整いました」
ミカエルが立ち上がる。
「では、取り戻しに行こう」
ザインは曲刀の鞘を確かめ、その後へ続いた。
*
ロアーヌ平原へ出ると、遠くに騎兵の旗が見えた。
先頭の兵が速度を落とし、槍を立てる。後続の歩兵も足を止め、旗の向きを待った。
「ゴドウィンの騎兵か」
ザインが馬上から尋ねる。
「ラドムの隊だ。こちらの動きを確かめに来たのだろう」
ミカエルは側近へ使者を出すよう命じた。
「迎え撃たないのか」
「まだ敵とは決まっていない」
向こうの隊にも、こちらの旗が見えたらしい。
ほどなく、一騎が列から離れて走ってきた。
近くで馬を止めた男は、兜を外して頭を下げた。
「ミカエル様。ご無事で何よりです」
「ラドム。城の様子は」
「ゴドウィンが門を押さえました。我らにも、侯爵の命令であるとして、平原の警戒に出るよう伝達が」
「私の命令ではない」
「はい。モニカ様を捕らえろという指示まで届き、疑いを持ちました」
男の目が、侯爵の背後へ動いた。
「モニカ様は……」
「無事だ。北へ避難させた」
ラドムが短く息を吐く。
「我が隊をお使いください」
ミカエルはうなずき、平原の東を指した。
「森から出てきた魔物が、街道へ集まっている。斥候の報告では、ゴブリンの群れだ」
「こちらでも確認しております。指揮を執る大型の個体が一体。数は少なくありません」
「街道を空ける。君の隊は、左の丘を回れ」
ミカエルが手短に配置を伝えた。ラドムは二度ほど尋ね、頷くと隊へ戻っていく。
ミカエルはその背を見送り、低く呟いた。
「……兵を集めきる前に動いたか」
ザインが横を向いた。
「男爵が動くのは、読んでたのか」
「その可能性は考えていた。こちらも備えてはいたが、決起するには、まだ兵が足りないと見ていた」
「自前で揃える前に、お前の兵を使ったわけだ」
「ああ。城内の協力者も、思ったより多かった」
ザインは侯爵の顔を見た。
「城を空けたのは、誘うためじゃないんだな」
「違う。視察は予定していたものだ。男爵が兵を揃えるまでに、手を打てると考えていた」
「それで、妹まで危うく捕まるところだった」
ミカエルはすぐには答えなかった。
城へ続く街道へ目を向ける。
「モニカも、カタリナも危険にさらした。読み違えたのは私だ」
ザインはしばらく黙っていた。
「……なら、反省は取り戻してからだな」
「……そのつもりだ」
ミカエルは側近へ向き直った。
「ラドムの隊が丘を回る。歩兵にも合図を伝えろ」
兵が走っていく。
ザインも馬を進め、侯爵の隣へ並んだ。
*
昼前、街道の向こうから太鼓の音が聞こえた。
ゴブリンが道を埋めていた。
革や鉄の切れ端を身につけ、小さな盾と槍を握っている。その後方では、ひときわ大きな個体が斧を振り上げ、甲高い声を上げていた。
群れは散らばっていない。
前へ出すぎた個体が引き戻され、盾の列が揃えられていく。街道を中心に横へ広がり、ロアーヌ軍を待ち構えていた。
「ただの群れじゃないな」
ザインが言った。
「ああ。偶然にしては、道を塞ぐ時機がよすぎる」
ミカエルは街道の両側へ目を向けた。
右手には、春の雨を含んだ低地が広がっている。左手は緩やかな丘で、その向こうにはまばらな木立が続いていた。
先に左へ回したラドムの騎兵隊は、ここからは見えない。
「騎兵の合図は?」
「まだです」
旗手のそばにいた兵が答えた。
ミカエルはうなずき、歩兵の隊長たちへ指示を伝えた。
「歩兵、前進。左右を広げすぎるな。弓兵は距離を保て」
旗が上がり、太鼓が鳴った。
ロアーヌ兵の盾が並ぶ。靴音を揃え、列がゆっくりと前へ出た。
ザインは馬を預け、歩兵の右翼へ向かった。
正面で敵を引きつけ、その間に騎兵を背後へ回すつもりだろう。
問題は、それまで持ちこたえられるかだった。
最初の矢が飛んだ。
ゴブリンの盾に矢が突き立ち、何体かが倒れる。だが、後ろの個体がすぐに穴を埋めた。
長が斧を振り上げる。
太鼓が速くなり、槍を構えたゴブリンが一斉に駆け出した。
「弓兵、射撃を止めろ!」
「歩兵、受けろ!」
盾と盾がぶつかった。
ザインは盾兵のすぐ後ろに立ち、大盾の間から伸びた槍を曲刀で払った。踏み込んできたゴブリンの首筋へ刃を入れ、足元へ潜ろうとした別の一体を柄頭で押し戻す。
隣の兵が追おうとした。
「追わなくていい。盾の列を離すな」
兵がうなずき、足を戻した。
中央では、押し寄せる群れの重みに盾の列がたわんでいた。後列の兵が槍を突き出し、取りつこうとするゴブリンを押し返す。
ザインが丘を見上げると、ミカエルの旗が動いた。
「歩兵、後退!」
盾の列が少しずつ下がる。
中央に合わせ、左右も足を引いた。負傷した兵が後列へ運ばれ、その穴にはすぐ別の兵が入る。
ゴブリンが勢いづき、さらに押し寄せた。
「あと二歩! 隣を見ろ!」
隊長の声が響く。
中央の旗手が、街道脇の白い道標と並んだ。
そこは道がわずかに盛り上がり、雨水の抜けた硬い砂利が広がっていた。
「止まれ! 盾を寄せろ!」
兵たちが踏ん張った。
ゴブリンが再びぶつかる。盾の列が大きく揺れた。
だが、今度は下がらなかった。
後方にいた長が、前列のすぐ後ろまで出てきた。斧の柄で仲間の背を叩き、進めとばかりに吠え立てる。
ザインは再び丘を見た。
稜線の向こうに、小さな旗が現れていた。
*
左手から、馬の蹄の音が近づいてきた。
丘を回り、ゴブリンの後方へ出たラドムの騎兵隊だった。
ラドムが槍を上げる。
丘の上で、それに応じてミカエルの旗が振られた。
「歩兵、前進!」
踏みとどまっていた盾の列が、今度は前へ出る。
ゴブリンの長が後ろを振り返った。
蹄の音に気づいた後列が、慌てて盾を向け直そうとする。正面ではロアーヌ兵が押し返し、背後からは騎兵が迫っていた。
前を向く者と、後ろを向く者。互いの盾がぶつかり、列が乱れる。
そこへ騎兵が突入した。
後列の盾が弾かれ、槍が倒れる。逃れようとしたゴブリンが仲間へぶつかり、群れはたちまち混乱した。
「押せ! 離れるな!」
ロアーヌ軍の隊長が叫ぶ。
ザインは逃げる個体を追わず、崩れた列の内側へ踏み込んだ。
ゴブリンの長がいた。仲間を押し戻しながら、なおも大斧を振り上げている。
ザインが近づくと、長は牙をむき、斧を頭上へ掲げた。
振り下ろされる刃を横へかわす。
斧が地面を叩く間に、曲刀を膝の外側へ走らせた。長が片膝をつく。
それでも、斧は離さなかった。
低い位置から振り直そうとした柄を、ザインが外へそらす。
向こうから、一騎が迫っていた。
ラドムだった。
低く構えられた槍を見て、ザインは長の脇から身を引いた。
空いたところへ、穂先が伸びる。
槍が長の胸を貫いた。
大きな身体がのけぞり、斧を落とす。ラドムが槍を引くと、長はその場へ崩れ落ちた。
太鼓の音が途切れた。
指揮を失ったゴブリンたちは、盾や槍を捨てて逃げ始めた。なお抵抗する個体もいたが、群れの端から次々に列を離れ、丘の向こうの木立へ退いていく。
ロアーヌ兵が追おうとした。
すぐに停止の旗が上がる。
「追うな! 街道を押さえろ!」
ミカエルの命令だった。
ラドムも騎兵を呼び戻した。
やがて、街道での抵抗が止んだ。
道には折れた槍と盾が散らばり、その間に倒れたゴブリンが横たわっていた。
*
ザインは刃を拭い、侯爵のそばへ戻った。
後方では負傷者の手当てが始まっている。兵たちは盾や槍を確かめ、隊長の指示で列を整え直していた。
「騎兵が出るまで、押し切る気はなかったんだな」
「歩兵だけで押し切る必要はない。街道が空けば、それでいい」
ミカエルが答えた。
「城までは、まだ先がある」
ザインは、白い道標の立つ場所へ目を向けた。
「よく、あそこで止めたな」
「下がる歩数は、先に伝えてあった。あの石を目印に列を揃え、騎兵を待てと」
「だから、誰も走らなかったのか」
「退く理由が分からなければ、兵は不安になる。何のために下がるのかも話してある」
中央にいた兵が、水筒を両手で持っていた。指が震え、口へ運ぶ前に少し水をこぼす。
それでも、隊長に呼ばれると水筒をしまい、隣の兵と位置を確かめながら列へ戻っていった。
ザインは曲刀を鞘へ収めた。
「……大したもんだ」
「まだ、城へは着いていないぞ」
ミカエルは街道の先へ目を向けた。
負傷者を荷車へ乗せ、前列の兵を入れ替える。騎兵が馬に水を与え終えると、軍は再び進み始めた。
*
午後、ロアーヌの城壁が見える場所で、ゴドウィン軍と向かい合った。
今度は、人間の兵だった。
同じロアーヌの装備を身につけ、違う旗の下で槍を構えている。中央には盾と槍が幾重にも並び、その後ろに弓兵が控えていた。
相手の中央で、白髪の混じった男が馬を進めた。
前へ出すぎた兵を下がらせ、左右の旗へ腕を振る。乱れていた槍の列が、少しずつ揃っていった。
「ゴドウィンか」
「ああ」
ミカエルは馬を止めた。
「長く軍を率いてきた男だ。戦い方を知らぬ相手ではない」
「それでも、勝てるんだろ」
「勝つ。そのために、君にも働いてもらう」
ザインは両軍の間へ目を向けた。
街道の左には雑木林が迫り、右には昨夜の雨でぬかるんだ窪地が広がっている。
まとまった兵を動かせるのは、街道と、その両脇の乾いた地面くらいだった。
ラドムの騎兵は後方に控えている。午前のように、敵の背後へ大きく回り込むことは難しい。
ミカエルは歩兵の配置を確かめた。
中央には盾兵と槍兵。左翼は林の縁に寄せ、横から回り込まれないようにする。
右翼はやや薄かった。
その後ろ、中央寄りの斜面の陰には、一隊が控えている。
ミカエルは右翼の隊長を呼んだ。
「押し合いになったら、列を保って下がれ。走るな。窪地へも入るな」
「どこまで下がりますか」
「斜面の裾までだ。合図までは押し返すな」
隊長は位置を確かめ、うなずいた。
次に、ミカエルがザインを見る。
「君は予備隊と待て。相手の左翼が前へ伸びたところを、内側から叩く」
「中央との間へ入るんだな」
「ああ。早く動けば、向こうも止まる。合図までは出るな」
こちらの右翼が下がれば、敵の左翼はそれを追って中央より前へ出る。
外側にはぬかるみがある。敵が乾いた足場を選ぶほど、その列は街道沿いに長く伸びるはずだった。
「右翼が耐えられるか」
「そのために、隊を選んだ」
ミカエルの声に迷いはなかった。
ザインはそれ以上聞かず、斜面の陰へ向かった。
やがて、使者が両軍の間へ進み出た。
「ロアーヌ侯ミカエル様より告げる! 武器を置き、投降せよ! 降った兵の命は保障する。負傷した者も収容する!」
ゴドウィン軍の列で、いくつかの顔が上がった。
だが、槍は下がらない。
ゴドウィンが腕を振ると、隊長たちの怒声が響いた。兵は再び盾を構える。
使者が戻ってきた。
「投降するおつもりはないようです」
「分かった。下がっていろ」
男爵の旗が前へ傾いた。
敵の弓兵が矢をつがえる。
「全隊、盾!」
号令が列を伝わった。
矢が降り、盾と地面を叩く。
ザインは予備隊の盾兵の陰で身を低くした。すぐ前の盾に矢が突き立ち、その腕がわずかに沈む。
味方の弓兵も矢を返した。
短い射合いの後、敵の槍兵が進み始める。
やがて、両軍の盾がぶつかった。
*
木と鉄が軋んだ。
中央では、盾と槍が押し合っている。
左翼も林の縁を離れず、敵を受け止めていた。
こちらの右翼だけが、少しずつ下がっていた。
ゴドウィン軍の左翼が追う。
男爵は馬上でその動きを見ていた。兵がぬかるみへ広がりかけると、すぐに旗を振って乾いた地面へ戻させる。
「……ぬかるみには、踏み込まないか」
ザインが呟いた。
ゴドウィンは地形をよく見ている。窪地へ兵を踏み込ませるつもりはないらしい。
だが、その分、敵の列は街道沿いに長く伸び始めた。
味方の右翼で、一人の兵が膝をついた。
後列の兵が駆け寄り、負傷者を引きずり出す。その穴には、すぐ別の兵が入った。
ザインは曲刀の柄へ手を置いた。
右翼が退いているのは、命令どおりだった。
傷を負っているのも、本当だった。
待つほど、負傷者は増える。
それでも、ミカエルの旗は動かない。
ゴドウィンのもとへ伝令が駆け寄った。
男爵は報告を聞き、こちらの右翼と中央を見比べた。
やがて、後方に控えていた一隊を左翼へ向かわせる。
「増やしてきたぞ」
「ああ。だが、まだだ」
ミカエルは動かなかった。
敵の増援が前線へ続く。
右翼を追う先頭と、その後ろから続く兵。列はさらに長く伸び、中央との間にも隙間が生まれ始めた。
敵の隊長が振り返り、兵の位置を揃えようとしている。
ミカエルが手を上げた。
「右翼、止まれ。予備隊、前へ!」
旗が振られた。
ザインは斜面の陰から駆け下りた。
背後には、まだ戦っていない兵たちが続く。
「走りすぎるな! 列を崩すな!」
味方中央の右端を抜ける。
そこから、敵の左翼が見えた。
敵兵は皆、味方右翼へ盾を向けている。こちらから見えるのは、槍を構えた正面ではなく、その横腹だった。
「なるほど。ここを叩くのか」
ザインは曲刀を抜いた。
「俺についてこい!」
敵の隊長が気づいた。
「右だ! 盾を向けろ!」
反応は早かった。
近くの兵が向きを変え、槍を突き出してくる。
ザインは穂先を曲刀で払い、隣の盾兵とともに踏み込んだ。
盾がぶつかり、激しい音が響く。
だが、一度では崩せなかった。
敵も踏みとどまり、後列から兵が加わる。槍が盾の上を越え、味方の兵が一人、腕を押さえて下がった。
「押し返せ! 横を抜かせるな!」
敵の隊長が声を張る。
側面を守ろうと、さらに兵が向きを変えた。
その分だけ、味方右翼に向けられていた盾が減っていく。
ミカエルの二度目の旗が振られた。
「右翼、前進!」
退き続けていた右翼が、一斉に押し返した。
敵兵が慌てて正面へ盾を戻す。
すると今度は、ザインたちが側面から踏み込んだ。
正面を守れば横を突かれ、横を守れば正面を押される。
敵の隊長が号令を飛ばすが、二方向から押される隊列を立て直せない。
後退した兵が窪地の縁で足を滑らせ、隣の盾へぶつかった。支えようとした後列の兵も、ぬかるみに足を取られる。
「押せ!」
ザインは味方の盾兵に並んで踏み込んだ。
敵の列が傾いた。
*
ゴドウィンは中央から兵を回そうとした。
だが、その前でミカエルの旗が上がった。
「中央、前へ。列を崩すな!」
ロアーヌ軍の槍兵が進む。
敵の中央も受け止めたが、そこを薄くすれば突破される。左翼へ向かいかけた兵は、すぐに呼び戻された。
ゴドウィンが別の旗へ腕を振った。
前へ出すぎた左翼に、撤退を命じる合図だった。
「下がれ! 中央へ戻るぞ!」
敵の隊長が叫ぶ。
命令は届いていた。
だが、兵はすぐには動けなかった。
正面と横から押され、後ろには増援の兵が詰まっている。前列が退こうとするたび、後列へぶつかった。
「道を空けろ!」
「前が退いてくるぞ!」
怒声が重なる。
ザインの前で、若い兵が槍を落とした。
足元には、腿を押さえて動けない男がいた。若い兵はその肩を抱き、盾だけをこちらへ向けている。
こちらと戦うつもりは、もうないらしい。
「……本当に、殺さねえんだな」
ザインは曲刀を止めた。
「盾も置け」
兵がためらう。
「そいつを運ぶんだろ。片手じゃ無理だ」
若い兵はゆっくりと盾を下ろした。
ザインは隣の盾兵へ目を向ける。兵がうなずき、まだ槍を構えている敵の方へ盾を寄せた。
「二人、引き取れ。怪我人がいる」
後ろの兵へ声をかけた。
若い兵は仲間を持ち上げようとしたが、うまくいかない。
ロアーヌ兵の一人が、もう片方の肩を担いだ。
もう一人が先へ立ち、二人を後方へ連れていく。
その背に、刃を向ける者はいなかった。
近くで戦っていた敵兵が、その様子を見ていた。
「投降する者は武器を置け!」
ザインの後ろで、隊長が叫ぶ。
「侯爵様の命令だ。降った者には手を出さん!」
槍が、もう一本落ちた。次に、盾も落ちた。
「勝手に下がるな!」
ゴドウィン方の隊長が怒鳴った。
その声に従い、槍を構え直す兵もいた。
だが、彼らが振り返った先に、援軍の姿はない。
中央もまた、ロアーヌ軍に押されていた。
ザインは剣を構えたまま、前へ進むのを止めた。
「武器を置くなら、追わん」
なお抵抗する兵もいた。ザインは伸びてきた槍を払い、盾兵とともに押し返す。
だが、戦列から抜ける者は少しずつ増えていった。
残された兵の間隔が広がり、やがて一つの旗が下がった。
敵の左翼が、崩れ始めた。
*
ゴドウィンは左翼を見た。
救援に回せる兵は、もう中央から抜けなかった。
左翼の崩れを見た弓兵が下がり始める。中央の槍兵はまだ踏みとどまっていたが、このままでは側面へもロアーヌ軍が回り込む。
男爵が腕を振った。
退却の旗が上がる。
側近の騎兵が集まり、中央の一隊が盾を揃えて後退を始めた。その陰で、ゴドウィンが馬首を返す。
城へ向かって、馬が走り出した。
「男爵が逃げるぞ!」
味方の兵が叫んだ。
ラドムの騎兵が、街道へ進み出ようとしている。
だが、ミカエルは城壁を見た。
上には人影が増え、開いた城門へ敗走する兵が集まり始めていた。
「ラドム、そこまでだ! 城壁の下へ入るな!」
停止の旗が上がる。
ラドムが槍を立て、騎兵を止めた。
追いかけようとする歩兵にも、命令が伝わる。
「列を崩すな! 城門まで追うな!」
ザインは、遠ざかっていく男爵の騎兵を見た。
その後ろでは、一隊がなおも盾を揃え、城門へ逃げ込む仲間を守りながら後退している。
追えば、あの隊と城壁の両方を相手にすることになる。
ザインは曲刀を下ろした。
「街道を押さえろ。投降兵は武器を集めて後方へ。負傷者は敵味方を問わず運べ!」
ミカエルの命令が届いた。
兵たちが動き出す。
ザインの周囲では、武器を置いた兵が座り込んでいた。兜を脱いだ顔は、どれも汗と土に汚れている。
少し離れたところで、さっきの若い兵が、負傷した仲間のそばへ膝をついていた。
手当ての布を渡され、何度もうなずいている。
街道の向こうから、ミカエルが馬を寄せた。
「よく押さえた」
「右翼の連中に言ってやれ。あそこが崩れたら、俺も横から入れなかった」
ミカエルは、斜面の裾で息を整える兵たちを見た。
「ああ。私から伝える」
ザインは城門へ目を向けた。
最後の騎兵が、その中へ消えていく。
「男爵は取り逃がしたな」
「まだ城の中だ」
ミカエルは馬上で向き直った。
街道に残る男爵の旗は、もうなかった。
「兵を整える。次は、あの門だ」
*
日が傾く頃には、城へ続く街道をロアーヌ軍が押さえていた。
ミカエルは城壁から距離を取り、軍を休ませた。正門と通用路へ見張りを送り、残りの兵には食事を取らせる。
捕虜から武器を集め、隊ごとに人数を確かめる作業は、暗くなっても続いていた。
篝火のそばでは、負傷者の手当てが進んでいる。
ミカエルは右翼を率いた隊長を呼び、しばらく話していた。やがて隊長とともに兵の間を歩き、一人ずつ顔を確かめていく。
ザインはそれを横目で見ながら、硬いパンを噛んだ。
城門は閉じたままだった。
壁の上にも灯がある。あの向こうに、男爵がいる。モニカを逃がした女剣士も、まだ城のどこかにいるはずだった。
今は、こちらから見えることが少なすぎる。
食事を終えると、ザインは曲刀を手の届くところへ置き、荷袋を枕に横になった。
兵の足音と、低く交わされる声が聞こえる。
目を閉じると、盾のぶつかる音がまだ耳の奥に残っていた。
城を取り戻すまでの仕事だ。
明日も働くなら、今のうちに眠っておくしかなかった。
*
ザインが起こされたのは、空の端が白み始めた頃だった。
「城内から、人が出てきました」
ザインが身を起こすと、将校に連れられて、一人の女が本陣へ入ってきた。
淡い紫を帯びた長い銀髪を後ろでまとめ、菫色のドレスを着ている。黒い手袋には土がつき、袖口が裂けていた。腰には、鞘へ収めた細剣がある。
ミカエルが立ち上がった。
「カタリナ」
「ミカエル様。お戻りをお待ちしておりました」
彼女は膝を折りかけたが、侯爵が手を上げた。
「礼はいい。モニカは無事だ」
細剣の柄へ添えられていた指から、力が抜けた。
カタリナは一度、目を伏せた。
「……ありがとうございます」
声を整えるのに、ほんの少し時間がかかった。
「君は、どうしていた」
「モニカ様を逃がした後、捕らえられました。マスカレイドは、先に隠しておきましたので」
カタリナは腰のマスカレイドへ手を添えた。
「幸い、城内にはミカエル様への忠誠を捨てなかった衛兵もおります。その一人が、牢の鍵を届けてくれました」
「すぐに逃げなかったのか」
「城内の警戒が厳しく、動けば協力者まで疑われかねませんでしたので」
野戦に敗れた兵が戻ってからは、城内が混乱し、見張りの交代も乱れた。その隙に牢を抜け出し、隠しておいたマスカレイドを取り戻したという。
「ゴドウィンは、まだ城にいるか」
「玉座の間に。ですが、気になるものを連れ込んでいます」
「何だ」
「悪魔系の魔物です。兵舎の廊下を通る姿を見ました。人の言葉で、兵に道を空けさせていました」
ミカエルの表情が変わった。
ザインも荷袋から手を離す。
「平原のゴブリンだけじゃなかったか」
「あれを放置して、城は取り戻せんな」
侯爵は地図を引き寄せた。
カタリナが東側の通用門を指す。
「ここを守る衛兵とは、連絡がついています。まだミカエル様に従う者たちです。合図をすれば、内側から開けられます」
「人数は」
「多くありません。門を開けたと知られれば、すぐに兵が集まってきます」
「正門へ圧力をかける。その間に、東から入る」
ミカエルは将校を呼び、配置を伝えた。正門へ向かう隊と、東の通用門へ続く隊。指示を受けた将校たちが、次々と天幕を出ていく。
カタリナは一瞬だけ侯爵を見た。
「こちらの方は?」
「ザイン・アル=ラシード。モニカをここまで送った剣士だ。今は城の奪還に協力してもらっている」
彼女がザインへ向き直る。
「カタリナ・ラウランです。モニカ様を助けていただき、ありがとうございました」
改めて頭を下げられ、ザインは荷紐を締め直した。
「無事に着いた。それでいい」
ザインは立ち上がり、カタリナの腰へ目を向けた。
細い鞘の上で、紫の宝石をあしらった鍔が朝の薄明かりを返していた。
「それが、噂のマスカレイドか」
「ご存じなのですか?」
「名だけは。随分、細いな」
「見た目だけで、お決めにならない方がよろしいかと」
落ち着いた返事だった。
ザインは彼女へ視線を戻した。
「なら、働くところを見せてもらう」
「そちらも、お願いできますね」
「金はもらってる」
ミカエルが卓を離れた。
「行くぞ」
*
正門の前で太鼓が鳴り、ロアーヌ軍の盾が並び始めた。
城壁の上で兵が走る。旗と槍が正門側へ集まり、弓兵がこちらの動きをうかがっていた。
東の通用門が、細く開いた。
カタリナが駆け寄り、身体を横にして隙間を抜ける。内側の衛兵とともに扉を引くと、ザインも外から肩を当てた。
歪んだ蝶番が鳴った。
隙間が少しずつ広がっていく。
その時、門番詰所から反乱兵が駆け出した。
「何をしている!」
槍が、開きかけた門の間へ突き込まれる。
ザインは肩を離し、曲刀を抜きながら身をかわした。突き出された穂先を、足元へ払う。
「今、忙しいんだ」
槍の柄を踏みつけ、引き戻そうとした兵の腕へ柄頭を叩き込んだ。
兵が武器を放す。
内側から回り込んだカタリナがその腕を取り、門脇の地面へ引き倒した。衛兵がすぐに取り押さえる。
ザインは再び門へ肩を当てた。
蝶番が軋み、ようやく兵が並んで通れるだけの幅が開く。
「城の手入れくらい、しておけ」
「その苦情は、ミカエル様へ」
「追加料金もか?」
「苦情だけです」
ロアーヌの兵が二人の横を通り、城内へ入った。
中庭へ進んだミカエルは、すぐに隊を分けた。兵舎と武器庫へ兵を送り、抵抗する者には投降を呼びかけさせる。
侯爵の旗を見て、武器を下ろす者もいた。
それでも、すべてが止まったわけではない。建物の陰から怒声が上がり、剣のぶつかる音が続いていた。
ザインとカタリナは、兵を数人連れ、広間へ続く階段を先に上った。
踊り場で、反乱兵が長剣を抜く。
カタリナが半歩、身を引いた。
刃が衣の前を通り過ぎる。その腕が伸びきったところへ細剣の鍔を当て、手首を外へ押さえる。
空いた胸元へ、ザインが肩を入れた。
兵が壁へぶつかり、剣を落とす。
後続の兵へ拘束を任せ、二人は先へ進んだ。
「器用だな」
「ありがとうございます」
「ああいう崩し方もあるんだな」
「力で押し切るのは、あまり得意ではありませんので」
廊下の先で、重いものが倒れる音がした。
続いて、低い笑い声。
人の声に似ていたが、胸の奥へ響くような濁りがある。
ザインは足を止めた。
背後から、ミカエルが来る。
「兵舎は押さえた。武器庫からも投降が出ている」
カタリナが廊下の奥へ目を向けた。
「この先が、玉座の間です」
重い扉は閉じていた。その向こうで、何かが床を擦る音がする。
ミカエルは兵の一人から盾を受け取り、左腕へ通した。
「廊下と階段を確保しろ。使用人は中庭へ誘導する。魔物が出たら、無理に突っ込むな」
兵が配置につく。
三人は、扉を開いた。
*
ゴドウィンは、玉座の前に立っていた。
野戦に敗れた時と同じ衣装のまま、剣を握っている。周囲の側近は、こちらを見るなり一歩下がった。
その背後に、魔物がいた。
人間の倍近い巨体が玉座に腰を据え、肘掛けへ片腕を預けている。太い角と、口からのぞく牙。厚い胸と肩には古い鎧が食い込み、赤黒い指が肘掛けの紋様をなぞっていた。
悪鬼。
まるで、自分のために用意された席であるかのように、魔物は三人を見下ろしていた。
赤い目がミカエルへ向き、口が歪む。
「これが、城の主か」
「ゴドウィン。兵は投降し始めている。剣を捨てろ」
ミカエルは魔物から目を離さずに言った。
「お前に命じられる筋合いはない」
男爵の声は硬かった。
「先代から、この国を支えてきたのは誰だ。何もかも変えてよいと思うな」
ゴドウィンは玉座へ目を向けた。
そこには、自分が招き入れた悪鬼が座っていた。
男爵はすぐに視線を戻した。
「だから、城を奪い、妹を捕らえようとしたのか」
「お前が聞こうとしないからだ!」
ゴドウィンが剣を上げた。
だが、自分では踏み込まない。
「奴を殺せ」
悪鬼は動かなかった。
玉座の背へ身体を預けたまま、肘掛けを太い指で叩く。
「この玉座、聖王の重臣フェルディナントがあつらえた物だな。なかなか座り心地がいい」
ミカエルの目が細まった。
「……その由来を、誰から聞いた」
「お前の問いに答えるつもりはない。この城に詳しいのが、自分だけだと思ったか?」
悪鬼が牙を見せる。
ミカエルはエストックを抜いた。
「まず、そこからどいてもらおう。ロアーヌの栄光ある玉座を、貴様にけがさせるつもりはない」
「お前の力で、オレをどかせるかな?」
ザインが、侯爵の前へ半歩出た。
「ここへ出す。二人とも、少し下がれ」
玉座の段から距離を取り、広間の右手へ移る。
カタリナが右後方へ、ミカエルが左後方へ回った。ザインを先頭に、二人が左右から支える形になる。
クローズデルタ。
「正面は俺が取る。奴が片方へ向いたら、もう片方が入れ」
「承知しました」
カタリナが細剣を構えた。
「無理に受け止めるな。あれは重い」
ミカエルが言った。
「見れば分かる」
悪鬼は三人を見比べ、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
「三人まとめて、潰してやろう」
巨体が段を下り、深く膝を曲げる。
ザインはその肩の動きを見ていた。
次の瞬間、悪鬼が床を蹴った。
《ぶちかまし》。
巨体が石床を震わせながら迫る。
「左右へ!」
ザインが叫んだ。
三人が散る。ザインは目前に迫った肩をかわし、追って伸びた腕を曲刀で払った。
刀身が鳴り、掌が痺れる。
勢いを止められなかった悪鬼が、背後の柱へ激突した。石が砕け、白い粉が舞う。
腕を払っただけで、この重さか。
まともに受ければ、剣ごと押し潰されていただろう。
「よく、かわす」
悪鬼が笑った。
ザインは返事をせず、柱から離れようとする巨体へ踏み込んだ。
低い位置から曲刀を振り上げる。
《デミルーン》。
三日月の軌跡が脇腹を裂き、黒ずんだ血が散った。
だが、悪鬼は怯まない。
太い腕が振り下ろされる。
ザインが身を沈めると、拳は背後の壁を砕いた。
その隙に、ミカエルが横から踏み込んだ。
エストックが肘の内側を突く。
悪鬼が振り向く。ミカエルは拳を盾で受け流し、すぐに間合いを外した。
さらに蹴りが飛ぶ。
侯爵は半歩退き、引き戻される膝裏へ切っ先を通した。
悪鬼の脚が沈む。
低くなった首へ、カタリナの細剣が走った。
刃は首筋を裂いたが、深くは入らない。
カタリナは追撃せず、すぐに距離を取った。
ザインはミカエルへ目を向けた。
盾を構え直した侯爵の切っ先は、少しも揺れていなかった。
「剣も、使えるんだな」
「抜いただけだと思っていたのか。それより前を見ろ」
悪鬼が踏み込んだ。
今度はザインを狙うと見せて、途中で身体をひねる。
標的はカタリナだった。
彼女は拳を横へかわしたが、魔物はさらに追ってくる。菫色の裾を翻しながら、カタリナは大きく間合いを取った。
「ミカエル様。少し、間を」
「作る」
侯爵が即座に答えた。
ザインが前へ出て、悪鬼の胸へ切っ先を突き出す。
魔物がそれを払い、こちらへ顔を向けた。
その横から、ミカエルのエストックが目元へ伸びる。
悪鬼が腕を上げて顔を守った。
カタリナは、細剣を胸の前へ掲げた。
「――目覚めよ」
《ウェイクアップ》。
鍔に埋め込まれた紫の宝石が、淡い光を放った。
細い刀身の輪郭が揺らぐ。
刃が伸び、幅を増し、優美な細剣が一振りの大剣へ姿を変えていく。
ザインは思わず目を見開いた。
持ち替えたわけではない。
同じ剣が、まったく別の姿になっていた。
カタリナは柄を両手で握り、切っ先を下げる。
悪鬼が彼女を見た。
「その剣……」
声から笑いが消えた。
魔物が腕を振り上げる。
カタリナは、その内側へ踏み込んだ。
《ムーランルージュ》。
身体の回転に乗せた大剣が、赤い弧を描いた。
刃が脇から肩へ斬り上がり、古い鎧を割る。厚い皮膚が裂け、悪鬼の巨体が大きくよろめいた。
背中が柱へぶつかり、石の粉が落ちる。
悪鬼は傷口を押さえ、カタリナの剣を睨んだ。
彼女も大剣を引き戻し、短く息を整えた。
*
ゴドウィンの顔から血の気が引いていた。
男爵は玉座の背後にある小さな扉へ目を向けた。私室へ続く扉だった。
側近へ何かを告げ、少しずつ後ずさる。
ミカエルが気づいた。
「男爵を追え! 玉座の奥だ!」
入口に控えていた兵が動いた。
ゴドウィンは身を翻し、側近とともに扉の向こうへ消えた。
ザインも追おうとしたが、悪鬼が腕を振った。
近くの長椅子が砕け、木片が入口へ飛ぶ。兵たちが身を伏せた。
「こいつを先に倒す!」
ミカエルが叫んだ。
「広間から出すな。男爵は兵に任せる!」
ザインは悪鬼へ向き直った。
「雇い主は逃げたぞ」
「あの男なぞ、どうでもいい」
悪鬼は牙をむいた。
「お前たちが死ねば、この城は空く」
傷を負いながらも、その巨体にはまだ力が残っていた。
赤い目が、入口の大扉へ向く。
廊下の先では、使用人を避難させる兵の声が聞こえていた。
悪鬼が低く身を沈める。
ザインは進路へ出た。
正面から受け止めるつもりはない。
踏み出そうとする魔物の目元へ、曲刀の切っ先を突き出す。
悪鬼が顔を引き、腕で払おうとした。
ザインは横へ抜ける。
「脚!」
ミカエルが踏み込んだ。
傷ついた膝裏へエストックが深く入る。
巨体が沈んだ。
だが、悪鬼は拳を振り抜いた。
ザインは身をひねった。拳が左肩をかすめ、外套が裂ける。
熱い痛みが走る。
それでも足は止めなかった。
振り抜かれた腕の下へ踏み込み、曲刀を返す。
《デミルーン》。
三日月の刃が、カタリナの開いた傷へ重なった。
悪鬼が吠え、胸をかばおうとする。
その腕を、ミカエルのエストックが突き上げた。
胸元が開く。
カタリナは迷わず踏み込んだ。
マスカレイドが、再び赤い弧を描く。
《ムーランルージュ》。
裂けた鎧の間を、大剣が通り抜けた。
悪鬼の口から、掠れた息が漏れる。
太い腕が垂れた。
巨体は膝から崩れ、石床へ倒れ込んだ。
重い音が、広間に響いた。
三人は、すぐには剣を下ろさなかった。
悪鬼の指が一度だけ動く。
それきりだった。
ザインが深く息を吐いた。
「……終わりだ」
カタリナが大剣を下げる。
刀身の輪郭が静かに細くなり、マスカレイドは元の細剣へ戻っていった。
彼女は血を拭い、鞘へ収めた。
「見た目だけで決めるな、だったな」
ザインが言った。
「ご納得いただけましたか」
「ああ十分だ」
ミカエルが盾を下ろした。
玉座の奥の扉から、兵が一人、息を切らして戻ってくる。
「ゴドウィンはどこだ」
「私室の奥から、旧通路へ逃げ込んでいます。追っておりますが、まだ姿を確認できておりません」
カタリナが眉を寄せた。
「あそこは、石壁で塞いであったはずですが」
「取り除かれていました。通路には支え木も組まれています。今朝、慌てて開けたものには見えません」
ミカエルは一瞬、口を閉じた。
「外の出口へ騎兵を回せ。男爵領へ続く道にも見張りを出せ」
兵が駆けていく。
ザインは、玉座の奥の扉へ目を向けた。
「逃げ道まで、先に用意してたか」
「城内に、手を貸した者がいる。そちらも調べる」
ミカエルは将校を呼び寄せた。
「町の門と街道へ知らせろ。側近の人数と服装を確認し、追跡隊へ伝えろ。通路には城の構造に詳しい者をつける。むやみに兵を奥へ入れるな」
「はっ!」
「玉座の間は奪還した。全隊へ知らせろ」
将校が走り去った。
ザインは開いたままの扉を見る。
「城まで捨てていったか」
「追跡は続ける」
ミカエルは玉座へ目を向けた。
肘掛けには、舞い落ちた石の粉が薄く積もっていた。だが、刻まれた紋様にも、背もたれにも傷はない。
段を上り、片手で粉を払う。
それから、座ることなく兵たちへ向き直った。
「負傷者の手当てを急げ。城内に取り残された者も捜せ」
*
朝の光が、中庭へ届いていた。
投降した兵が武器を積み、負傷者が順に運ばれてくる。使用人たちは、湯と布を持って走り回っていた。
城壁にも門にも傷が残った。
野戦で倒れた者もいる。城へ戻れた兵の全員が、無事だったわけではない。
それでも、町へ戦火が広がる前に、城内の抵抗は収まった。
カタリナは中庭で手当てを手伝っていた。
兵へ布を渡し終えたところへ、ミカエルが来る。
「休め。牢を出てから、動き続けているだろう」
「私は、牢で待っていた時間もあります」
「休んだうちには入らん」
カタリナは手袋についた血を見た。
「……もう少しだけ。こちらが済みましたら」
ミカエルは何か言いかけ、口を閉じた。
彼女の肩と、裂けた袖へ目を移す。
「無事でよかった」
カタリナの手が止まった。
「モニカ様にも、そうお伝えください」
「君のことを言っている」
彼女は顔を上げた。
ミカエルは既に、負傷者を運ぶ兵へ目を向けていた。
「……ありがとうございます」
小さな返事だった。
侯爵はうなずき、会計官のいる棟へ歩いていった。
カタリナはしばらくその背を見送った後、腰のマスカレイドに触れた。
それから、兵へ渡す布をもう一枚手に取った。
*
昼、ポドールイへ使者が出された。
反乱が鎮圧され、兄とカタリナも無事であることを、モニカへ知らせるためだった。
ゴドウィンの行方は、まだ分かっていなかった。城の外へ抜ける古い通路が見つかり、追跡隊は街道へ出ていた。
ザインは城の階段に座り、手当てされた左肩を軽く回した。
擦れたところがひりつく。
腕を上げ下げしてから、裂けた外套の肩口へ目を落とした。
その膝へ、革袋が置かれる。
「残り七千五百オーラムだ」
ミカエルが言った。
ザインは袋の口を開け、中身を確かめる。
「男爵は逃げたが、城は取り戻した」
「その契約だった。減らすつもりはない」
「話が分かるな」
数え終えると、ザインは袋を閉じた。
カタリナが隣に立っていた。
「怪我はいかがですか」
「腕は動く。外套は繕わんといかんが」
「正面を引き受けていただいて、助かりました」
「そっちも、腕が立つな」
カタリナが少し目を見開いた。
「ありがとうございます」
「剣に振り回されてない。あれだけの得物を、よく使ってる」
「長い付き合いですから」
「そうか。なら、剣より使い手を褒めるべきだったな」
ザインは荷袋へ報酬を収め、ミカエルを見上げた。
「追加料金」
侯爵の眉が動いた。
「何のだ」
「東の門を押した。こいつが、お前に言えと」
「苦情を、と申し上げました」
カタリナがすぐに訂正した。
「五十オーラム」
「値段をつけないでください」
ミカエルは二人を見ていたが、やがて口元を緩めた。
「門を開けるのは、城の奪還に必要な仕事だったな」
「ああ」
「その仕事には、一万オーラム払った」
ザインは口を閉じた。
「……そういう言い方もある」
「契約は確認したのだろう」
カタリナが横を向いた。肩が、少し揺れている。
ザインは侯爵を睨んだ。
「お前、結構性格悪いな」
「約束した金額は払ったぞ」
「そこじゃない」
ミカエルは笑った。
階段の下で、兵が侯爵を呼んだ。捕虜の名簿が揃ったらしい。
ミカエルの表情が戻る。
「行かねばならん」
「妹を迎えには行かないのか」
ザインが尋ねた。
「まだ離れられない。投降兵の扱いと、町への説明が残っている」
侯爵は中庭を見渡した。
怪我人を運ぶ兵。壊れた扉を調べる職人。主人の戻った城で、いつもの仕事を取り戻そうとする使用人たち。
「城を取り戻しただけで、終わりにはできん」
ザインは荷袋へ目を落とした。
「偉い奴は、大変だな」
「君は、これからどうする」
「ピドナへ行く。しばらく、あそこで腰を落ち着ける」
「次の仕事を探すのか」
「ああ。だが、その前に寝る。寝床と飯代は、今もらった」
ミカエルがわずかに笑った。
「なら、今夜は城で休んでいけ。部屋を用意させる」
「使わせてもらう」
侯爵はうなずき、カタリナを伴って階段を下りていった。
途中で立ち止まり、ザインを振り返る。
「助かった。妹のことも、今日のことも」
「受け取った金の働きをしただけだ」
侯爵は兵の待つ方へ歩いていった。
ザインは荷袋を右肩へ掛け、立ち上がった。
城の外へ出ると、町では店の戸が開き始めていた。市場へ向かう荷車が、壊れた石を避けて進んでいく。
今夜は城で眠り、明日ピドナへ向かおう。
宿を取り、外套を繕い、足りない道具を買い足す。次の仕事を探すのは、それからでいい。
道の先から、肉を焼く匂いが流れてきた。
まずは、食事だ。
今度は注文する前に、値段を聞くことにした。
*
翌日の夕方、ポドールイからの一行がロアーヌへ戻った時には、ザインはもう城を発っていた。
城門には修繕の足場が組まれ、中庭には新しい板や石材が運び込まれている。兵の数は多かったが、槍を突きつけてくる者はいなかった。
階段の上にカタリナの姿を見つけると、モニカは足を速めた。
「カタリナ!」
駆け寄った彼女を、カタリナが迎える。
「お帰りなさいませ、モニカ様」
その袖には、新しく縫い直した跡があった。
モニカはそれを見てから顔を上げ、何か言おうとした。けれど言葉にならず、そのままカタリナへ抱きついた。
少し離れたところで、ミカエルが足を止めた。
妹と目が合うと、静かにうなずく。
ユリアンは階段の下で、その様子を見ていた。
ようやく、送り届けた。
肩から力が抜けると、長く歩いた足の重さが戻ってきた。
「そういえば、ザインは?」
エレンが尋ねた。
ミカエルが五人へ歩み寄る。
「今朝、出発した。ピドナに行くと言っていたな」
「もう出て行ったの?」
エレンは少し驚いた顔をした。
「もう一度くらい、顔を見てから別れると思ってたんだけど……」
「また会うこともあるだろう」
ミカエルはそう答え、一人ずつ顔を見た。
「妹の護衛、ご苦労だった。まずは休め。話は、それから聞こう」
*
帰還から二日後、シノンの四人はロアーヌの酒場で卓を囲んでいた。
城で手当てを受け、十分に眠ると、ようやく身体が普段の調子を取り戻し始めていた。ユリアンの脇腹も、椅子から立つたびに顔をしかめるほどではなくなっている。
エレンが空になった皿を脇へ寄せた。
「そろそろ、シノンへ帰ろうか。家のことも気になるし」
サラがうなずきかけた時、トーマスが杯を置いた。
「僕は、ピドナへ行くことになった」
「ピドナ?」
エレンが顔を上げる。
「祖父から、向こうで勉強してくるように言われていたんだ。親戚にも話を通してある。反乱で出発が延びてしまったけど、もう行けるから」
「勉強って、何の?」
「商売や、町の仕組み。それに、術も。家にいて本を読むだけでは分からないことを、見てこいと」
ユリアンが感心したように息をついた。
「いかにも、お前のじいさんが言いそうだな」
「そうだね」
トーマスは苦笑した。
「明日、ミュルスへ向かう。そこから船に乗るつもりだ」
「明日か。急だね」
エレンは卓の木目へ目を落とした。
「……寂しくなるね」
短い沈黙が落ちた。
サラが杯を両手で包み直した。
「私も、ピドナへ行ってみたい」
エレンが妹を見る。
「遊びに行くんじゃないんだよ」
「分かってる」
「トーマスは、勉強しに行くんでしょ。あんたの面倒まで見てもらうわけには――」
「自分のことは、自分でする」
思ったより、はっきりした声だった。
エレンの言葉が止まる。
サラも少し驚いたように唇を結んだが、目はそらさなかった。
「一人で宿を取ったこともないでしょ。知らない町で、何かあったらどうするの」
「それは、調べたり、人に聞いたり……」
「そんな簡単なことじゃないよ」
「じゃあ、いつならいいの?」
エレンは答えかけて、口を閉じた。
サラの指が、杯の縁から離れる。
「お姉ちゃんが一緒じゃなかったら、私はどこにも行けないの?」
隣の卓から、客の笑い声が聞こえた。
こちらの四人は、誰も笑わなかった。
トーマスが静かに尋ねる。
「サラは、ピドナで何をしたい?」
「……まだ、ちゃんとは決めてない」
サラは少し考えた。
「でも、ポドールイには、シノンと全然違う暮らしがあった。城も、町の人たちの話も、行くまで知らなかったから」
「うん」
「ピドナにも、知らないものがたくさんあるんでしょう。そういうのを、見てみたい」
そこまで話してから、姉へ目を戻す。
「シノンへ帰りたくないんじゃないの。ただ、帰ったらそれで終わりにしたくなくて」
エレンは、妹の椅子に立てかけられた弓を見た。
森では、ザインの指示に従って矢を放っていた。洞窟では、敵が次に跳ぶ場所を、自分で考えて狙っていた。
その二本目が当たった時、エレンは確かに助けられていた。
「……心配するなっていう方が、無理だからね」
「うん」
サラはうなずいた。
「私も、怖くないわけじゃない」
「だったら」
「でも、行きたい」
今度は、声を強めなかった。
エレンはしばらく妹を見ていた。
それから、椅子の背へ身体を預け、長く息を吐いた。
「まず、家へ戻る」
「お姉ちゃん」
「旅の支度をする。家のこともちゃんと話す。その後でいい?」
「……行ってもいいの?」
「あたしも行く」
サラが目を丸くする。
「知らない町を見に行くんでしょ。あたしも見てみたくなった」
エレンはそう言って、卓の上の杯を引き寄せた。
「ただし、道も宿も一緒に考えること。全部あたし任せはなし」
「うん」
サラの顔に、ようやく笑みが戻った。
「ちゃんと、調べる」
「その前に、船の乗り方からかな」
「それは、教えて」
エレンが小さく笑った。
トーマスは荷物から紙を取り出し、卓の上へ広げた。
「僕は先に行っているよ。親戚の家の場所を書いておく。支度ができたら訪ねてきて」
「泊まるところまで頼っていいの?」
「まずは親戚に聞いてみる。部屋が難しければ、宿を紹介してもらえると思う」
「助かる。急いで追いかけるより、その方がよさそうだね」
トーマスが紙へ書き込む横で、サラは身を乗り出していた。
エレンがその横顔を見る。
「そんなに行きたかったんだ」
「……うん」
「もっと早く言えばよかったのに」
「今、初めて言えたから」
エレンは何も返さず、妹の前へ紙を寄せた。
「ユリアンは?」
行き先を書き終えたトーマスが尋ねた。
「一緒にピドナへ来ないか」
「そのうち、寄ると思う。でも、今回は少し別のところを歩いてみたい」
ユリアンは腰の剣へ目を落とした。
「俺も、しばらく旅に出ようと思ってる」
「あんたまで?」
エレンが眉を上げた。
「どこへ?」
「まずは街道をたどって、行ったことのない町へ。まだ、遠くまでは決めてない」
「随分、ざっくりしてるね」
「出る前には調べるよ」
ユリアンは少し考え、言葉を続けた。
「森じゃ、ザインに言われてから動いてた。洞窟でも、トーマスが助けてくれなきゃ、あの大剣に潰されてた」
「それは、お互い様だよ」
トーマスが言った。
「一人で戦ったわけじゃない」
「分かってる。だから、次は俺も、もっと周りを見て動けるようになりたい」
卓の下で、剣帯を握っていた手を離す。
「技が一つ出たからって、急に何でもできるようになったわけじゃないんだよな」
「もう一度、使えたの?」
サラが尋ねた。
「何度か。けど、最初の時みたいには、うまくいかない」
ユリアンは肩をすくめた。
「もっと、いろんな奴の剣を見てみたい。旅をしながら、仕事も探してみる」
「いきなり怪しい依頼を受けないでよ」
エレンが言う。
「分かってる」
「お金も、先に確かめるんだよ」
「それは、もう嫌ってほど聞いた」
四人が笑った。
トーマスは、もう一枚の紙にも同じ行き先を書いた。
「ピドナへ来たら、僕のところへ。困った時も、知らせて」
「ああ」
ユリアンは受け取り、丁寧に折った。
エレンが彼の顔をのぞき込む。
「モニカ様には、話した?」
「……これから」
「そっちを先にしてきなよ」
「分かってるって」
返事だけが、少し早かった。
*
その日の午後、ユリアンは城の中庭を訪ねた。
壊れた石を片づける音が、離れたところから聞こえていた。日差しの届く回廊に、モニカがいる。
膝の上には、布に包まれた細剣が置かれていた。
「ポドールイで拾った――じゃなくて、洞窟の剣か」
ユリアンが言い直すと、モニカが笑った。
「ええ。ナイチンゲールです」
「もう、使えそう?」
「まだです。握っているだけでは、何も起きなくて」
彼女は布を閉じ、隣へ座るように少し場所を空けた。
「何か、お話が?」
ユリアンは腰を下ろす前に、一度息を吸った。
「しばらく、旅に出ようと思ってる」
モニカの手が止まった。
「ロアーヌを、離れるのですか」
「ああ。一度シノンへ戻って、支度をしてから」
モニカは少し黙っていた。
中庭を、木材を抱えた職人が横切っていく。
「……そうですか」
小さな返事だった。
「もう少し、お話を聞けると思っていました」
「俺も、まだ話したいことはあるんだけど」
ユリアンは頭をかいた。
「城へ送り届けて、それで俺まで何かできるようになった気になるのは、違うと思ってさ。もう少し、外を歩いてみたい」
モニカが顔を上げた。
「私は、何度も助けていただきました」
「でも、一人でできたわけじゃないから」
「ええ。それでも、ユリアンがいてくださって、よかったです」
まっすぐに言われ、ユリアンは返事に詰まった。
モニカは膝の上の布包みを持ち直した。
「お引き止めはしません。でも、お願いしてもいいですか」
「何?」
「行き先が決まったら、手紙をください」
ユリアンが瞬きをする。
「手紙?」
「ご無事だと分かれば、安心できますから」
「俺、あんまりうまく書けないよ」
「長くなくても、構いません」
モニカは少し考えてから、微笑んだ。
「どこにいて、お元気なのか。それだけでも」
「……それなら、書けると思う」
「お待ちしています」
ユリアンはうなずいた。
剣のことを話すより、短い手紙を約束する方が、なぜか落ち着かなかった。
「また来るよ」
「はい」
モニカが答える。
「今度は、追っ手のいない時に」
「それがいいですね」
二人は顔を見合わせ、笑った。
立ち上がったユリアンを、モニカが呼び止める。
「それと、旅に出る前に、脇腹をもう一度診てもらってくださいね」
「……分かってる」
そう答えた後で、ユリアンも笑った。
「そこまで、忘れてくれないんだな」
「まだ、忘れるほど前のことではありませんもの」
*
翌朝、最初にロアーヌを発ったのは、トーマスだった。
ミュルスへ向かう荷車に荷物を積み、御者と道中のことを確かめている。乗り合いの客が揃うまで、まだ少し時間があった。
エレンとサラ、ユリアンが、門のそばまで見送りに来ていた。
「着いたら、シノンにも知らせるよ」
トーマスが言った。
「僕の方が先に落ち着くだろうから」
「お願い。こっちも、長くは待たせないつもり」
エレンが答える。
姉妹はこれから一度シノンへ戻り、家の用事を済ませ、旅の荷物を整える。その間に、トーマスは海を渡ってピドナへ入ることになる。
ユリアンも、旅支度のためにシノンへ戻るつもりだった。ただ、その後に向かう先は、姉妹とは別の道になる。
「本は積みすぎてないか?」
ユリアンが荷車を見る。
「重くなったら、向こうから送るよ」
「行く前から増える気なんだ」
「勉強しに行くからね」
トーマスが笑った。
御者が手綱を持ち直し、出発を告げる。
「じゃあ、また」
トーマスが荷車へ乗った。
「元気でね」
「二人も。ユリアン、無茶はしないように」
「お前まで言うなよ」
車輪が回り始めた。
トーマスが片手を上げる。三人も手を振り、荷車が街道の人波へ入っていくのを見送った。
しばらくして、エレンが妹へ向き直った。
「行き先を書いた紙、持ってる?」
「うん」
サラは鞄を開き、折り畳んだ紙を見せた。
「なくさないでよ。着いてから、トーマスを捜して町中歩くのは嫌だから」
「大丈夫」
サラはもう一度、紙に書かれた文字を確かめた。
ピドナ。
今までは、トーマスの話や地図の上でしか知らなかった町だった。
その紙を、姉へ預けることなく、自分の鞄の奥へ収める。
「ほら、帰るよ」
エレンが歩き出した。
サラも弓を持ち直し、隣へ並ぶ。
一度シノンへ帰る。
次の旅に持っていくものは、自分で選ぶつもりだった。