Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
目を開けると、サラのすぐ上に妖精がいた。
「起きた?」
サラは瞬きをした。
葉の隙間から朝日が差し込み、小さな顔を照らしている。
「……おはよう」
「おはよう。これ、食べる?」
黄色い実を差し出された。
両手で受け取ると、まだ朝露に濡れている。
「ありがとう」
「昨日、好きって言ってたから」
サラが身を起こした。
隣では、エレンが外套を頭までかぶっている。
「お姉ちゃん。朝だよ」
「……聞こえてる」
返事はしたが、起きる気配はない。
妖精が外套の端を持ち上げた。
「ご飯、なくなるよ」
「それは困る」
エレンが起きた。
サラは実を両手で包んだまま笑った。
幹のそばでは、ザインが靴の紐を締め直していた。
「早いね」
「起こされた」
頭上を、別の妖精が通り過ぎる。
「寝てる人間、初めて見た!」
「目、開けなかったね」
「寝てたからな」
二人は楽しそうに笑い、枝の向こうへ飛んでいった。
エレンが髪をまとめながら、辺りを見回す。
「エレナは?」
「向こう」
妖精が幹の裏側を指した。
「もう調べもの?」
「昨日もいっぱい聞いてたよ。家の作り方とか、明かりの油とか」
「……朝まで?」
「途中で寝た。私が」
ザインは立ち上がった。
「連れ戻すぞ」
*
エレナは枝の分かれ目にしゃがみ込んでいた。
目の前には、半分に割った筒が並んでいる。
高い枝から伝ってきた雨水が、その中を流れ、大きな葉を敷いた器へ落ちていた。
「途中に詰めてあるのは?」
「ごみが入らないように」
答えていた妖精が、筒の一つを持ち上げる。
中には細い枝と繊維が重ねられていた。
エレナが手帳へ書き込む。
「こちらも取り替えるんですか」
「汚れたら」
「なるほど」
「エレナ」
ザインが呼んだ。
「飯だ」
「もう少しだけ」
彼は手帳を見た。
見開きいっぱいに、文字と図が詰まっている。
「それ、何枚目だ」
「まだ八枚目です」
「朝からか」
「昨夜の続きです」
エレンが横からのぞき込む。
「ちゃんと寝た?」
「寝ましたよ」
「どのくらい?」
エレナは手帳を閉じた。
「……食事にしましょうか」
「殆ど寝てねえな」
朝食は、幹を囲む広い足場に用意されていた。
木の実と果物に、葉に包んで蒸した芋。小さな川魚を焼いたものもある
ただし、器はどれも小さかった。
ザインが魚を一匹つまむ。
ひと口でなくなった。
給仕をしていた妖精が、空になった葉を見る。
「もう食べたの?」
「ああ」
「人間って、いっぱい食べるのね」
エレンの前には、魚の載った葉が三枚置かれた。
「ありがとう。でも、あたしだけ多くない?」
「昨日、よく食べたから」
「……見てたのね」
サラが肩を揺らした。
案内役の妖精は、その隣へ降りた。
今日は槍も、小さな荷袋も持っていない。
近くを通った妖精が声をかける。
「あの窓、ずっと開いてたよ」
「閉めといてよ」
「帰ってくると思ったから」
妖精は口を尖らせた。
だが、言い返さずに実をかじった。
サラは、その横顔を見ていた。
「今日、村を見せてくれるんだよね」
「うん!」
すぐに顔が上がる。
「まず、上!」
「歩いて行けるところ?」
「……行けるところ!」
エレンが笑った。
「先に確認するようになったわね」
「昨日、いっぱい言われたもん」
*
朝食を終え、妖精が飛び上がった。
「こっち!」
「ねえ、妖精」
エレンが呼ぶと、近くにいた三人まで振り返った。
「なに?」
「私?」
「どっち?」
エレンは少し黙った。
それから、案内役を指す。
「あんた」
「私?」
「そういえばさ。ずっと妖精って呼ぶの?」
妖精が首を傾げる。
「妖精だよ?」
「それは知ってるけど」
エレンは周囲を指した。
右にも妖精。左にも妖精。頭上の枝にも、二人座っている。
「ここだと全員妖精じゃん」
妖精も見回した。
「ほんとだ」
「今気づいたのか」
ザインが呆れる。
「じゃあ、名前つける?」
「自分で決めないんだ」
「考えて!」
エレンが顎へ手を当てた。
「じゃあ……チビ」
「やだ!」
即答だった。
「分かりやすいのに」
「エレンも赤でいいの!?」
「それは嫌」
「でしょ!」
ザインが口を挟む。
「チビ妖精でいいだろ」
「ザインはもういい!」
「何で俺だけ失格なんだ」
「考える気ないじゃん!」
エレナが顔を上げた。
「でしたら、古い妖精語の記録から取って――《アウローラ・シルフィエル》というのはどうでしょう」
「やだ」
「まだ説明していませんよ」
「長い!」
「『暁風に舞う者』という意味があって――」
「もっとやだ!」
エレナの眉が寄った。
「どうして、意味を説明したら評価が下がるんですか」
「なんか恥ずかしい!」
「綺麗な名前だと思うのですが」
エレンが顔を背けた。
肩が揺れている。
サラは、そのやり取りを見ていた。
船の上で、隣を少し空けてくれたこと。
森で先に立ち、歩く四人を何度も振り返っていたこと。
家へ帰ってきた時の、短い「うん」。
「……ミアは?」
妖精が振り返った。
「ミア?」
「うん」
「どういう意味?」
サラは少し困った。
「特にないけど……なんとなく、似合うかなって」
「なんとなく?」
「嫌?」
妖精は答えなかった。
「ミア」
一度、小さく口にする。
「……ミア」
それから、ぱっと笑った。
「それがいい!」
サラも笑った。
「じゃあ、ミア」
「今日から私はミア!」
近くで聞いていた妖精も、その名を繰り返す。
ミアは振り向き、大きく手を振った。
エレナは少しだけ残念そうだった。
「短い方がお好みなんですね」
「うん。すぐ呼べる!」
「確かに、その点は大切ですね」
ザインが立ち上がった。
「じゃあ、ミア。案内しろ」
ミアが、一瞬だけ目を丸くした。
彼はもう、枝の先へ目を向けている。
ミアは嬉しそうに飛び上がった。
「うん!」
*
村は、下から見た時よりも広かった。
隣り合う木々にも家があり、枝の重なる場所には板が渡されている。
その上を、二人の妖精が大きな壺を載せて運んでいた。
「飛んで運ばないんだ」
エレンが脇へ寄る。
「落としたら割れるでしょ」
「それは、そうね」
木陰では、葉の裏へ何かを塗りつけている妖精がいた。
エレナの足が止まりかける。
ザインが振り返った。
「今度は何だ」
「雨具かもしれません」
「後にしとけ」
「覚えておきます」
立ち止まらずに済ませた彼女へ、エレンが小さく拍手した。
「偉い」
「子供扱いしないでください」
先を飛んでいたミアが、速度を落とした。
枝の先に、花壇のような場所がある。
木の窪みに土を盛り、蔓で囲ったものだ。白い花が咲いていたが、端の数株は葉が丸まり、茶色くなっていた。
「ここ、どうしたの?」
世話をしていた妖精が顔を上げる。
「そっち、駄目になった」
「水は?」
「あげてるよ」
ミアが傷んだ葉へ触れた。
先が、ぱり、と崩れる。
エレナも隣へしゃがんだ。
「いつからですか」
「この前、熱い風が来てから」
ザインが森へ目を向ける。
「ここまで来るのか」
「時々ね。南から」
妖精は、枝の向こうを指した。
「あっちの実も、おいしくなくなったよ」
「どの木?」
「大きな岩の向こう」
「……あそこも?」
ミアは、しばらく花から手を離さなかった。
*
昼前には、手帳の一枚が簡単な森の図になっていた。
エレナは紙を広げ、妖精たちの話を書き込んでいく。
説明が始まるたびに、指す方向が増えた。
「あっち」
「もっと右だよ」
「いつもの木の向こう!」
ザインは腕を組んで聞いていた。
「いつもの木が多すぎる」
エレンが吹き出した。
サラは、持ってきてもらった実を見ていた。
赤く熟れているのに、片側だけ黒ずんでいる。
「これ、いつもは食べられるの?」
「甘いよ」
「今は?」
「苦い」
サラは実を紙の脇へ置いた。
熱い風。
傷んだ花と実。
いつもと違う場所へ来る赤い蝶。
獣が集まり始めた水場。
エレナが、それぞれの印を見比べた。
「南側に寄っていますね」
「昨日の川は、冷たかったぞ」
「ええ。村の水にも、今のところ変化はないようです」
ミアが紙の端へ指を置いた。
「この先に、石の建物があるよ」
皆が彼女を見る。
「人間の?」
「分からない。大きくて、窓があって。周りには木が生えてないの」
「行ったことは?」
「近くまで。前は、こんなに熱くなかった」
エレナが顔を上げた。
「いつ頃ですか」
「捕まる前」
ミアは短く答え、指を動かした。
「ここを通れば見える。高い岩があるから」
ザインは道筋を確かめた。
「歩いて、どのくらいだ」
「……お昼を食べてから行って、暗くなる前には戻れる」
少し考えてからの答えだった。
ザインはエレナを見る。
「確かめるなら、外からだ」
「ええ。熱い風と関係があるのか、まずはそれを」
「帰り道が危なそうなら、その前に引き返す」
エレンも頷いた。
「じゃあ、昼を済ませて支度しましょ」
ミアが四人を順に見る。
「……来るの?」
「案内してくれるんでしょう?」
エレナが訊き返す。
「するけど。人間の町に帰るんじゃないの?」
「昨日、着いたばかりじゃない」
エレンが言った。
「まだ、見せてもらってないところもあるしね」
ザインは紙の端を押さえた。
「まず、どこが危ねえのか確かめる。村の連中が通る道もあるんだろ」
「ある」
「調べた後のことは、戻ってから考える」
ミアは顔を上げた。
「槍、取ってくる」
返事を待たずに飛び上がる。
今度は、途中で戻ってこなかった。
*
村を下りたところで、ザインが四人を止めた。
「出る前に、位置を決める」
「位置?」
ミアが訊く。
「戦う時だ。天幕じゃ、お前がサラの前を飛び回っただろ」
「最後はちゃんと待ったじゃん」
「毎回、声をかけてからじゃ遅れる」
サラも頷いた。
「どっちへ飛ぶか分かると、私も撃ちやすい」
「じゃあさ!」
ミアが地面へ降り、小枝を拾った。
土の上へ五つの印をつける。
「先頭が一気に飛び込むの。その後ろから、二人が横へ回る!」
「相手が止めたら?」
「横から刺す」
「そっちも止められたら?」
「……頑張る?」
「そこは考えておいてください」
エレナに言われ、ミアは口を尖らせた。
ザインがしゃがむ。
「飛び込むだけじゃ、後ろが残るな」
「だから、早く倒すんだって」
「倒れるとは限らん。俺が前を止める。お前らは、そいつが俺を見てから動け」
ミアが首を傾げた。
「ザインは突っ込まないの?」
「必要ならな。ただ、斬った後まで追わん。足を止めて、次の一撃を受けられるようにする」
小枝を受け取り、前の印を囲む。
「デザートランスと同じですね」
エレナが言った。
「ああ。先頭へ寄せて、後ろを動かす。だが、今度はこいつがいる」
ザインがミアを見る。
「左右に分かれて、俺が止めた相手を崩す。お前は左だ」
「右はあたし?」
エレンが訊く。
ザインは彼女の印を、先頭のすぐ後ろへ移した。
「お前はここだ。俺が押されたら支えろ。前が開けば、そのまま斧を入れられる」
「なるほど。右はエレナね」
「ええ」
エレナが、自分の印へ指を添えた。
「左右から同時に近づけば、相手も片方だけを見てはいられませんね」
「サラは一番後ろだ」
ザインは最後の印へ枝を置いた。
「俺の真後ろへ重なるな。少しずれて、横へ抜ける奴を見てろ」
「分かった」
サラが地面を見つめる。
「ミアが左へ飛ぶなら、その内側を狙えると思う」
「じゃあ、私が戻る時は言うね」
「うん」
エレンは五つの印を眺めた。
「前をザインが止めて、あたしが押す。左右から二人が突くわけね」
「刺さりそうでしょ!」
ミアが胸を張る。
エレナは小枝を借り、先頭へ向かう線を引いた。
左右の印からも、斜め前へ二本。
「突き出した角のようですね」
「角?」
「先頭で受け止め、左右から突き崩す。《ランペイジホーン》……というのはどうでしょう」
「どういう意味?」
ミアが訊いた。
「荒れ狂う角、といったところです」
「いいじゃん!」
今度は即答だった。
ザインがエレナを見る。
「俺は守りを固める話をしてたんだが」
「ええ。あなたが受け止めてくださるので、私たちは思い切って動けます」
「あたしも、遠慮なく振れるわね」
エレンが頷く。
ザインは二人を見比べた。
「好き勝手に暴れる名前にするなよ」
「そこは、合わせるんでしょう?」
エレナは涼しい顔で手帳へ配置を写した。
ザインが立ち上がる。
「一度、動いてみるぞ。あの倒木を相手にする」
五人が位置についた。
先頭にザイン。その少し後ろにエレン。左右へミアとエレナが開き、サラは最後尾から前を見た。
「行くぞ」
ザインが踏み出す。
ミアが一瞬で、その肩を追い越した。
「待て」
「え?」
「俺が止めてからだろ」
「あ」
エレンが斧の柄へ額を当てた。
「まず、そこからね」
二度目は、ミアも待った。
ザインが倒木の前で足を止める。
曲刀を構え直したところで、左右の二人が動いた。
エレンは彼の背中へ近づきすぎず、斧を振れる間を残す。
サラの前にも、細い射線が通った。
「そこなら撃てる」
「ここ?」
ミアが振り返った。
「うん。戻る時は、少し上を通って」
「これくらい?」
「大丈夫」
ザインは四人の位置を確かめた。
「もう一度だ」
「また?」
「次は下がる方だ。突っ込むだけで終わるなよ」
*
午後の森は、村へ来た時より薄暗かった。
葉が厚く重なり、湿った落ち葉が靴の下へ沈む。
ミアは時々高く飛び、先を確かめてから戻ってきた。
やがて、浅い川へ出た。
エレナが流れへ指先を入れ、すぐに引き上げる。
日陰へ移り、岩の下を流れる水にも触れた。
「……上流から、熱い水が流れてきています」
サラは岸辺を見た。
水に浸かった草が茶色く倒れている。少し離れた場所には緑が残っていたが、水際に近いものほど葉が縮れていた。
「この草も、水が熱いから?」
「おそらく。根元がずっとこの熱さでは、傷んでしまいます」
ミアが岸へ降りた。
「ここ、前は足を入れられたよ。花も咲いてた」
「いつもの水場だったんですね」
「うん。こんな足跡も、なかった」
泥には、爪の跡が幾重にも重なっていた。
ザインが膝をつく。
「俺たちには熱くても、こいつらには居心地がいいのかもしれんな」
赤い蝶が、水面のすぐ上を飛んでいた。
一匹ではない。
「石の建物も、あっち」
ミアが上流を指した。
ザインは立ち上がる。
「ここじゃ水を汲むな。持ってきた分を使え」
その時、対岸の藪が揺れた。
硬い鱗に覆われた頭が現れる。
額から二本の長い角。鼻先にも短い角があり、頭の後ろには盾のような骨板が広がっていた。
太い四肢が泥を踏む。
「トリケプスか」
ザインが曲刀を抜いた。
「下がれ。川を空ける」
五人は岸から離れた。
だが、トリケプスは水を飲まなかった。
頭を低く下げ、角をこちらへ向ける。
水しぶきを上げながら、川を渡ってきた。
「さっきの位置だ」
ザインが前へ出た。
エレンがその後ろにつき、ミアとエレナが左右へ開く。
サラは一歩横へずれ、矢をつがえた。
トリケプスが岸を駆け上がる。
ザインは踏みとどまった。
長い角が届く直前、斜めへ身をずらし、鼻先へ曲刀を走らせる。
刃が鱗を裂いた。
巨体が通り過ぎる前に、彼は向き直った。
追い斬りには出ない。足を開き、曲刀を身体の前へ戻す。
トリケプスが頭を振った。
角が迫る。
ザインは後ろへ半歩退き、その先端をかわした。
魔物の顔が、なお彼を追う。
左から、ミアが飛び込んだ。
枝の先に光の穂先が伸びる。
ウィルスピアが骨板の下を捉え、肩へ深く刺さった。
トリケプスが吠える。
左へ首を捻ったところへ、今度は右から細剣が伸びた。
エレナは目元へ切っ先を走らせ、すぐに引いた。
角がそちらを追う。
「下がって!」
サラの声に、エレナが横へ退く。
空いたところを矢が抜け、前脚の関節へ突き立った。
巨体が傾く。
だが、倒れない。
トリケプスは踏ん張り、再びザインへ頭を向けた。
短く地を蹴る。
ザインが身をかわすと、魔物はそのまま奥へ出ようとした。
「エレン!」
「見えてる!」
彼女は、すでに脇へ踏み出していた。
斧が前脚の付け根へ落ちる。
体重を支えていた脚が折れ、巨体が前へ沈んだ。
土が跳ねる。
長い角が地面へ突き刺さった。
ミアが槍を引き抜き、上へ逃れる。
エレナも骨板から距離を取った。
頭の下が開く。
ザインが踏み込んだ。
曲刀を喉元へ深く突き入れ、刃を返す。
巨体が震えた。
彼はすぐに剣を抜き、退いた。
太い脚が泥を掻き、トリケプスが横倒しになる。
地面が鈍く揺れた。
五人は構えを保ったまま待った。
脚が一度動き、それきり止まる。
「……もういい?」
「ああ」
ミアがサラのそばへ降りた。
「今度は、撃てた?」
「うん。エレナも避けてくれたから」
エレナは細剣を下ろした。
「声が聞こえました。次も、お願いします」
「はい」
エレンが斧の血を拭う。
「ザインの後ろ、動きやすかったわ。あいつ、あたしを見る前に来たもの」
「前は俺しか見てなかったからな」
「左右から刺された後も、戻ってきたね」
ミアが言った。
ザインは鼻先につけた傷へ目を向ける。
「最初に斬った相手は、気になるんだろ」
エレナが口元を緩めた。
「では、先頭は適任ですね」
「もう一回やりたい!」
ミアが槍を持ち上げた。
「今ので分からなかったところ、あるから」
ザインも四人を見た。
全員、自分の足で立っている。
「悪くねえ。だが、続きは離れてからだ」
対岸の藪で、また枝が揺れた。
エレナが頷く。
「血の匂いに、ほかのものが来るかもしれません」
「行くぞ」
ミアは先に飛び上がり、川から離れる道へ入った。
四人が続くのを、今度も確かめていた。
*
坂を上がるにつれ、地面は乾いていった。
靴の下で落ち葉が砕ける。
袖にまとわりついていた湿気が薄れ、肌へ当たる風が熱を帯び始めた。
エレンが額を拭う。
「南って、こんなに暑いもの?」
「村は、ここまでではありませんでした」
「前も違った」
ミアの返事は短かった。
槍を抱える手に、力が入っている。
サラが水袋を差し出した。
「飲む?」
「少し」
ひと口飲み、返す。
「疲れた?」
「まだ歩けるよ」
「もうすぐ。今度は本当に」
木々の向こうに、黒い岩が見えた。
ミアが先に上がり、すぐに戻ってくる。
「あった」
その顔から、笑みが消えていた。
ザインは荷袋の紐を締め直した。
「一人ずつだ。上で立つな」
岩の割れ目に足を掛ける。
少し登ると、木々の上へ顔を出せた。
森が途切れていた。
中央に、赤黒い建物がある。
城だった。
高い壁と、角に突き出た塔。窓は暗く、大きく開いた入口の奥は見えない。
周囲には草がなく、黒い岩がむき出しになっていた。
壁の下で、空気が揺れている。
ザインは岩へ身を伏せ、後ろへ手を出した。
登ってきたエレナが、その手を取る。
彼女は城壁の下へ目を留めた。
水の流れ出す穴がある。
細い流れが岩を伝い、森へ下っていた。その両側だけ、草が茶色く枯れている。
「あの水が、下の川へ流れ込んでいるようです」
「城の中で温められてるのか」
「おそらく。風だけでなく、水でも熱が運ばれているんですね」
岩場の端で、何かが動いた。
大きな魔物が一頭、流れへ腹を浸している。壁際にも、別の影が伏せていた。
エレンが眉を寄せる。
「……あいつら、平気なのね」
「むしろ、集まってきてるな」
ミアは、葉を失った木を見ていた。
「あの水が止まれば、森も元に戻る?」
「まだ分かりません。中で何が起きているのか、見えていませんから」
エレナの返事を聞き、ミアが槍を握り直す。
ザインは首を振った。
「今日は入らん」
「でも、このままだったら」
「ああ。だから戻って、村の水場と、逃げられる道を確かめる」
「城は?」
「調べる。だが、あの熱さの中で戦えるかも分からん。今から入って、帰れなくなったらどうする」
ミアは入口を見た。
暗がりの奥で、また影が動く。
「……明日なら行ける?」
「支度をして、別の側から様子を見る。入るかどうかは、それからだ」
しばらくして、ミアは槍を下げた。
「道なら、ほかにも知ってる」
「戻ったら教えろ」
「うん」
エレナが城と水路の位置を描き留め、手帳を閉じた。
「戻りましょう。村で聞き直したいことがあります」
ザインが先に岩を下りた。
下で待ち、順に足場を知らせる。
最後にミアが降りてきた時、熱い風が木々を揺らした。
*
帰り道では、川へ近づかなかった。
ミアが高い斜面へ案内し、水場を大きく避けた。
遠回りにはなったが、村の木が見えた時には、まだ空に明るさが残っていた。
「お帰り!」
「どこ行ってたの?」
「ご飯、あるよ!」
頭上から声が降ってくる。
ミアは見上げ、それからサラへ目を向けた。
「先に、ご飯?」
「その前に、話した方がいいと思う」
「……だよね」
彼女は上へ飛んだ。
「南の川、しばらく行かないで!」
枝の上の妖精たちが振り向く。
「どうして?」
「水が熱くなってる。岸の草も枯れてたし、魔物が集まってた」
「いつもの実を取りに行く道も?」
「川へ下りる方は駄目。今日も襲ってきたから」
笑っていた妖精たちが、顔を見合わせた。
エレナも声を添える。
「ほかの水場も確認したいんです。いつも使っている場所を、後で教えていただけますか」
何人かが頷いた。
一人が北側の枝へ飛んでいく。
「あっちへ行ってる子たちにも、言ってくる!」
話が終わる頃には、葉の向こうに夕焼けが広がっていた。
*
サラは足場の端へ座った。
隣へ、ミアが降りてくる。
しばらく、二人で森を見ていた。
「あそこ、前は遊びに行けたんだよ」
「石の建物?」
「その手前。大きな花が咲くところがあって」
槍の柄を、膝の上で転がす。
「もう、なくなってた」
サラはすぐには答えなかった。
遠くの木々が風に揺れている。
ここまで届く風は、熱くなかった。
「また咲くといいね」
「うん」
ミアは柄を握り直した。
「明日、もう一回行く?」
「皆で相談しよう」
幹の向こうから、エレナの声が聞こえた。
「飲み水は、雨水と北側の泉で足りるそうです。ただ、南の実を採れなくなると、食べ物が減ります」
「熱い風まで、ここへ来てるんでしょ」
エレンの声が続く。
「川へ行くなって言うだけじゃ、済まないわね」
「ああ。明日は西から回る。帰りに使える道も、先に確かめるぞ」
ミアはサラを見た。
「……私がいないところで、決めないでよ」
槍を持って立ち上がる。
サラも後に続いた。
ミアは地図のそばへ降り、城の西側を指した。
「こっちなら、別の道がある。川も通らない」
「歩けるか」
ザインが訊く。
「途中までは。先は、明日一緒に確かめる」
彼は頷き、場所を空けた。
ミアが四人の間へ入り込む。
エレナの引いた線を指で追い、その先で止めた。
「ここに、倒れた木があるの。その下を通れば――」
サラも隣へ座り、地図の端を押さえた。
五つの影が、一枚の紙を囲んでいた。
元々、この五人の陣形はスペキュレイションにする予定でしたが、リメイク版の発表を踏まえさっそくランペイジホーンにしてみました。