Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound —   作:水城 雅

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第30話 炎の城

 ミアが戻ってきた時、ザインは水袋の栓を確かめていた。

「西の泉、冷たかった!」

 枝へ降りるなり、彼女は言った。

 槍の先には、どこでつけたのか白い花びらが一枚引っ掛かっている。

「北の実も、まだ大丈夫だって。皆、今日はそっちへ行く」

「一人で行ったのか」

「三人! サラにも言ってから行ったよ」

「ならいい」

 ミアは得意げに胸を張った。

「ふふん。私だって、そのくらい考えてるんだから」

「ああ。遠くまで行く時だけは気をつけろよ」

「分かってる!」

 ミアは頷き、それからザインの荷物をのぞき込んだ。

「水、多いね」

「お前の分もある」

「重くない?」

「重い」

「じゃあ、一つ持つよ」

 差し出された水袋を受け取り、肩へ掛ける。

 小さな身体に対して大きすぎる袋だったが、ミアは平然と浮き上がった。

 エレンがその姿を見た。

「そんな大きいの、よく持てるわね」

「えへへ。エレンの分も持とうか?」

「あたしのは大丈夫。でも、ありがと」

「じゃあ、疲れたら言ってね」

「その時はお願いするわ」

 ミアは満足そうに羽を揺らした。

 エレンが笑った。

 少し離れたところでは、エレナが地図を畳んでいた。

 今日進む西側の道と、昨日通った道。二本の線の間には、まだ何も描かれていない。

 サラが弓弦を確かめ、立ち上がる。

「準備できたよ」

「では、行きましょう」

 出発を見送る妖精たちへ、ミアが手を振った。

「暗くなる前に戻る!」

「実、残しておくね」

「甘いやつ!」

 いつもの調子で答え、先へ飛ぶ。

 ザインがその後を追った。

*

 西の道は、昨日より歩きやすかった。

 ミアが言っていた倒木は、二つの岩に引っ掛かり、その下に人の通れる隙間を残していた。

 ザインは頭を下げて抜け、向こう側の地面を踏み確かめる。

 乾いている。

 大きな獣の足跡もない。

「ここまでは使えるな」

「この先も、大きな根を越えれば――」

 ミアが指した先で、木々が途切れていた。

 谷だった。

 底は深くない。

 斜面を下り、向こう側を登れば渡れそうだったが、その間を流れる細い川から、白い湯気が立ち上っていた。

 サラが足を止める。

「ここも?」

「近づかないでください」

 エレナが岸へしゃがんだ。

 水へは触れず、流れの周りを見渡す。

 倒れた草が茶色く変色している。

 水際の根はむき出しになり、その先の木にも枯れた葉が残っていた。

「昨日より、城に近いですね。こちらから下流へ熱い水が流れているのでしょう」

 ミアは川の上へ浮いた。

 途中で顔をしかめ、引き返してくる。

「ここ、前は雨の後しか水がなかった」

「今は城から流れてきてるのか」

「たぶん」

 ザインは斜面に沿って目を動かした。

 少し上流に、石が積まれている。

 蔦に隠れていたが、形が揃っていた。

「橋か」

 近づくと、崩れた石橋だった。

 中央は落ちていたが、片側の縁だけが両岸を繋いでいる。

 ザインは靴先で石を押した。

 揺れはしない。

「荷物を渡せ。一人ずつ行く」

「私が運ぶ!」

 ミアが手を上げた。

「一度に全部持つなよ」

「分かってるって」

 彼女が水袋を運び、その間にザインが渡る。

 向こう岸で縄を木へ回し、こちらへ投げ返した。

 エレンが受け取り、サラへ渡す。

「足元だけ見て」

「うん」

 サラが縄を握って進む。

 続いてエレナ、最後にエレンが渡った。

 ミアは崩れた石橋を見下ろしていた。

「ふふん。こういう時は、飛べると楽でしょ」

「そうだな。だが、俺たちは帰りもここを通る」

 ザインは橋のたもとにある大きな木へ目を向けた。

「目印を覚えておかねえとな」

「もう覚えたよ!」

「お前は飛べるだろ。俺たちの話だ」

 ザインが言うと、エレナは手帳から顔を上げた。

「描いています」

「早えな」

「今度は褒めているんですね」

「ああ」

 彼女は少しだけ笑い、石橋の位置へ印をつけた。

*

 橋を越えた先には、古い石畳が残っていた。

 土に埋もれ、根に持ち上げられている。

 だが、道幅は人が二人並んで歩けるほどあった。

 ミアが低く飛び、敷石を見ている。

「これ、ずっと草で隠れてた」

「枯れて見えるようになったんですね」

 エレナが道の脇へ目を向けた。

 茶色く縮れた蔓が、石の上へ垂れていた。

 道は城の西側へ続いていた。

 正面で見た黒い岩場とは違い、こちらには低い石壁と、水路の跡がある。

 壁の一部が崩れ、その奥に屋根のない通路が見えた。

 五人は木陰で止まった。

 風は熱い。

 それでも、昨日の正面ほどではなかった。

 ザインが壁の陰へ手を当てる。

 石は温まっていたが、触れられない熱さではない。

「こっちは近づけそうだな」

「水路も続いています」

 エレナが崩れた壁の向こうを見た。

 浅い溝を、水が流れていた。

 城の内側へ続く途中に、石造りの枠と、錆びた鉄の軸が見える。

「あれは?」

 エレンが訊いた。

「水門かもしれません。流れを変える仕組みが残っていれば、下の川への影響を減らせる可能性があります」

「止められる?」

 ミアが訊く。

「調べてみないと。出口だけ塞いでも、別の場所へ溢れてしまいますから」

 ザインは通路を見渡した。

 天井はない。

 戻る道も見えている。

 奥から物音はしなかった。

「帰り道を確かめながら行く。熱さが増したら戻るぞ」

「ああいう大きな影が出たら?」

 エレンが訊く。

「道を空けて引く。追ってくるなら、広いところで迎える」

 ミアが槍を握り直した。

 ザインが先に壁を越える。

 後ろを振り返り、四人を手招きした。

*

 通路の石は、ところどころ赤く変色していた。

 古い壁面には模様が刻まれている。

 エレナは一度だけ目を向けたが、足を止めなかった。

「見なくていいのか」

 エレンが小声で訊く。

「今は、水の方が先です」

「帰りに見る?」

「余裕があれば」

 ザインが前を向いたまま言った。

「余裕は残して帰るもんだ」

「分かっています」

 通路の先は、中庭になっていた。

 四方を壁に囲まれているが、空は見える。

 中央には石で縁取られた大きな水槽があり、内側の壁から出た水が、そこを通って外へ流れていた。

 水門らしいものは、その出口にあった。

 鉄の軸が曲がり、石の板が斜めに噛み込んでいる。

 エレナが近づこうとして、足を止めた。

 水槽の周りに、骨が散らばっていた。

 小さなものばかりではない。

 太い脚の骨も、牙のついた顎もある。

「ザイン」

「ああ」

 彼は手を上げた。

 水が揺れた。

 水槽の奥から、赤黒い鱗に覆われた長い首が持ち上がる。一本、二本。さらに何本もの頭が、沈んでいた巨体から伸びてきた。

「パイロヒドラかよ」

 ザインが曲刀を抜いた。

「強い?」

 槍を構えたミアが尋ねる。

「ああ、かなりな。火を吐く。固まるな」

 ヒドラの前脚が水槽の縁に掛かった。石が砕け、水が流れ出す。

「戻るぞ」

 だが、一つの頭が低く沈み、喉の奥が赤く染まった。

「横へ!」

 炎が通路を走った。

 枯れ蔓が燃え上がり、退路が塞がれる。エレナがサラを石柱の陰へ引き込んだ。

 ザインは迫る巨体を見据えた。

「ここで止める!」

 ザインが前へ出た。エレンはその後ろで斧を構える。

 ミアが左へ飛び、エレナは右の石柱へ回る。サラは二人の間から、水槽を見据えた。

 一つの頭がザインを追う。

 だが、残る首は左右へ分かれた。

「こっちも見てる!」

 ミアが槍を構え直した。

「全部は引きつけられん! エレン、右を支えろ!」

 エレンが右の前脚へ回る。

 その頭上から、別の顎が襲いかかった。

「そっち見すぎ!」

 長い首が中央を横切ったところへ、ミアの槍が突き入った。

 頭が彼女を追い、別の首まで伸びてくる。

「ミア、下!」

 サラの声に、妖精が急降下した。

 その頭上を矢が抜け、追ってきた頭の目元へ突き立つ。

「上じゃないの!?」

「上にもいたから!」

 その間に、ザインが胴へ迫った。

 中央の頭が口を開く。喉が赤く膨らんだ。

「右へ!」

 エレナの声にザインが身をかわす。

 入れ替わるように、彼女が踏み込んだ。

《星穿ち》

 細剣が開いた顎の下を貫いた。

 ヒドラの頭が跳ね上がり、吐き出された炎が頭上を走る。

 エレナはすぐに刃を抜き、後退した。

「エレン、今だ!」

 ザインが曲刀を振り抜く。

《デミルーン》

 弧を描く斬撃が首を裂き、ヒドラの注意が逸れた。

 その隙にエレンが踏み込む。

《大木断》

 斧が前脚の関節へ食い込んだ。

 骨の砕ける音が響き、巨体が石床へ沈む。

 ヒドラが首を一斉に持ち上げた。

 傷ついた中央の頭が、大きく口を開く。

 サラは、エレナがつけた傷へ狙いを定めた。

《ビーストスレイヤー》

 矢が喉へ突き立ち、吐きかけた炎が途切れる。

「ミア!」

 ザインの声に、小さな影が低く飛んだ。

 倒れた胴の脇へ潜り込み、槍を構える。

《チャージ》

 飛翔の勢いを乗せた穂先が、前脚の後ろ、鱗の隙間へ深く突き入った。

 巨体が大きく跳ね、いくつもの首が石床を叩いた。

 ミアは槍を引き抜いて離れた。

 尾が一度、壁へぶつかる。

 それきり、動かなくなった。

 誰も近づかなかった。

 燃える蔓の音だけが、中庭に残った。

 ミアは石柱の上へ降りた。

 槍を抱え、肩を上下させている。

 サラは弓を下ろした。

 指が少し震えていたが、次の矢は落とさず矢筒へ戻せた。

 エレナが水袋を差し出す。

「ひと口ずつ」

「ありがとう」

 ザインは水を飲み、倒れたヒドラへ目を戻した。

 首も、尾も動かない。

 やがて、帰りの通路に残っていた火が消えた。

 焦げた蔓から、細い煙だけが上がっている。

「水門を見たら、戻るぞ」

 エレナが頷いた。

 水槽の出口には、錆びた鉄の軸が突き出していた。

 その下で、石板が斜めに噛み込んでいる。

 彼女は動かそうとはせず、横へ回った。

 曲がった軸と石板の隙間を確かめ、小さく首を振る。

「ここを動かすのは難しそうです。道具が要ります」

「押しても駄目?」

 ミアが訊いた。

「割れて水がこちらへ流れたら、困ります」

「ああ」

 熱い水を見て、ミアは手を引っ込めた。

 水門の脇には、模様が刻まれていた。

 丸い紋から、炎に似た線が外へ伸びている。

「……朱鳥」

「何だ」

 ザインが顔を上げる。

「この紋様です。朱鳥の術に使うものに似ています」

 同じ紋様が、水路に沿って並んでいた。

 ヒドラが倒れた後も、流れ込む水の熱さは変わっていない。

「こいつが水を熱くしてたわけじゃねえんだな」

「ええ。上流から来ています」

 エレナは内側の入口へ目を向けた。

 その脇を、水路が奥へ延びている。

 高い窓から光の差す廊下に、もう一つ石造りの枠が見えた。

 鉄の軸も残っている。

「あちらにも、水門があるようです」

「使えそうか」

「ここからでは。ただ、脇に別の溝があります。流れを変えるためのものかもしれません」

 エレナは手帳を開き、見える範囲を書き留めた。

 ミアが廊下の奥を見た。

「あっちの水門も見てくる?」

「今日は戻るぞ」

 ザインが答えた。

「すぐそこだよ?」

「今の戦いで、水も矢も使った。奥でまた何か出たら、帰りがきつくなる」

 ミアは、サラの矢筒へ目を向けた。

「……明日?」

「ああ。水を補充して、あそこまで確かめに来る」

 ミアは、まだ廊下の奥を見ていた。

 エレンは水袋の残りを確かめた。

「あたしも、今日は帰りたい。思ったより飲んだわ」

「……分かった」

 ミアが中庭へ戻る。

 ザインは曲刀を収めかけ、ヒドラの胴へ目を留めた。

 熱い湯に浸かり、炎を吐いていたというのに、赤黒い鱗には焦げ跡一つない。

 斧の入った脚の付け根から、厚い皮の断面がのぞいていた。

 彼は荷袋から小刀を取り出した。

「何してるの?」

「皮を剥ぐ」

「帰るんじゃないの?」

「持って帰るんだよ」

 ミアが首を傾げる。

 エレンもヒドラを見た。

「売るの?」

「これだけでかい奴だ。高く売れるだろ」

 ザインは傷口の端をつまんだ。

 引いても裂けない。鱗の下には、しなやかな厚い皮があった。

「それに、あの湯に浸かって平気だった。何かには使えそうだ」

「何かって?」

「ノーラに見せる」

「まだ決まってないのね」

 エレナが隣へしゃがみ、皮の断面を見た。

「背と腹では、厚さが違いますね。持ち帰るなら、両方ある方がよさそうです」

「だろ」

「そこで張り切らないでよ」

 エレンは言いながら、斧を置いた。

 ザインが帰りの通路を指す。

「サラ、そっちを見ててくれ。エレナは奥だ。何か来たら、作業はやめる」

「うん」

「分かりました」

 サラが弓を持って石柱のそばへ移る。

 エレナも、廊下の見える位置へ立った。

 ザインが傷口から小刀を入れた。

 エレンが切り離した端を掴み、彼の手元に合わせて引く。

 ミアは剥がした皮を受け取り、帰りの通路の手前へ運んだ。

 一枚。

 もう一枚。

 大きな皮が、石床の上へ重なっていく。

「……ねえ。まだ取るの?」

 エレンが訊いた。

「こっちも傷が少ねえ」

「そういう話じゃなくて」

 ザインは、持ち上げた皮と、残った胴を見比べた。

 少し迷ってから、小刀を抜く。

「この辺にしとくか」

「十分よ」

 切り出した皮を畳み、縄で縛る。

 厚い束が幾つもできた。

 ミアが一つ持ち上げた。

 顔が、その向こうへ隠れる。

「持てるよ!」

「前、見えてないぞ」

 少し下げると、得意そうな顔が現れた。

 エレンも一束を肩へ載せた。

 縄の位置を直し、息を吐く。

「あたしたち、何しに来たんだっけ」

「水を調べに」

「今は?」

「皮を運ぶ」

 ザインが答えると、ミアが笑った。

「帰ったら、皆びっくりするね!」

「でしょうね。この量だもの」

 サラの分は小さくまとめ、弓を使う腕が空くようにした。

 エレナは束を背負い、手帳をすぐ取り出せる場所へ移す。

 最後にザインが、一番大きな束を担いだ。

「行くぞ」

*

 村へ戻った時には、日が傾き始めていた。

 頭上から、妖精たちが降りてくる。

「何、それ?」

「獲ってきたの?」

「食べ物?」

 ミアが皮の向こうから顔を出した。

「違う! これ、高く売れるんだって!」

 ザインが彼女を見る。

「まだ売ってねえぞ」

 エレンは木の根元へ荷物を下ろした。

 肩を回し、その隣へ腰を下ろす。

「売れなかったら、あんたの寝床にするからね」

「悪くなさそうだな」

「少しは困りなさいよ」

 サラが笑い、縄で赤くなった肩をさすった。

 妖精たちに場所を借り、皮は根元にある雨の入らない作業場へ広げた。

 ここなら、上の枝へ引き上げる必要もない。

 エレナは手を洗ってから、手帳を開いた。

 壊れた水門。

 その奥に見えた、もう一つの枠。

 脇へ延びていた溝。

 ザインが隣へしゃがむ。

「そっちは、どこへ流れる」

「まだ分かりません。外から見えた水路へ繋がるなら、森へ出る前に流れを分けられるかもしれません」

 ミアも紙をのぞいた。

「水、止められる?」

「調べてみないと。ただ、今日の水門よりは仕組みが残っていそうでした」

 ザインは、帰り道の線を指で追った。

「明日は水を増やす。荷物は少なくして、あの水門までだ」

「皮は?」

「置いていく」

「それは安心したわ」

 エレンが、作業場いっぱいに広がった皮を見た。

 頭上から、夕食に呼ぶ声がした。

 ミアが飛び上がる。

 すぐに振り返り、四人を待った。

「今日はいっぱい働いたから、いっぱい食べていいよね」

「それはいいんじゃない?」

「ザインより?」

「食えるならな」

 彼女は嬉しそうに笑い、枝の上へ声を張った。

「魚、残しておいて!」

*

 翌朝、石橋の向こう岸に足跡があった。

 昨日、自分たちがつけたものではない。

 泥の上へ、爪の跡が深く食い込んでいる。

 ザインは縄を握ったまま、岸辺を見た。

「昨日はなかったな」

「夜に通ったのかな」

 サラが弓へ手を添える。

 足跡は川沿いへ続き、木々の間へ消えていた。

 五人の進む石畳とは、別の方向だった。

 ミアが低く飛び、少し先を見て戻ってくる。

「道にはいない」

「上には出るなよ」

「分かってる」

 昨日より小さな声で答えた。

 橋を越え、木々の間から城をうかがう。

 西の崩れた壁は、そのままだった。

 ただ、外側の水路に魔物がいた。

 長い尾を水へ浸し、壁へ背を寄せている。

 エレンが幹の陰へ身を寄せた。

「あれも、昨日はいなかったわね」

「ああ」

 ザインは城壁の上を見た。

 別の影が、一つ動いた。

「見張りか」

「私たちが来たから?」

 ミアが訊く。

「かもしれん。昨日と同じつもりでは入れねえな」

 エレナが地図を開いた。

 昨日の中庭と、水門の位置を指す。

「こちらの壁沿いなら、水路へ下りずに行けます。奥の水門も、廊下の手前から見えていました」

「そこまでの道を見て、駄目なら戻る」

 ザインが顔を上げる。

「数が多けりゃ戦わん。ミア、枝の陰から見えるか」

「うん」

 彼女は槍を身体へ寄せ、木々の間を抜けた。

 城壁より高くは上がらず、崩れた壁のそばまで進む。

 戻ってくるまで、四人は口を開かなかった。

「中庭にはいない。昨日の大きいのが、倒れてるだけ」

「廊下は?」

「ここからじゃ見えない」

「なら、全員で確かめる。先へ飛ぶなよ」

「分かった」

 水路の魔物が頭を下げるのを待ち、五人は壁沿いに移動した。

*

 中庭には、ヒドラが横たわっていた。

 昨日燃えた蔓は黒く縮れ、通路の石には煤がついている。

 ザインは奥の入口を見た。

 影は動かない。

 エレナが、その横へ並ぶ。

「あそこです」

 廊下の先に、石造りの枠が見えた。

 昨日と同じ場所だった。

 五人は足音を抑え、入口を越えた。

 厚い壁が日差しを遮り、高い窓から風が抜けている。

 水路には石の蓋がかかっていた。

 ザインが水門の先を確かめる。

 廊下はすぐ奥で曲がっていたが、そこまでに姿は見えなかった。

 彼が頷くと、エレナが軸のそばへしゃがんだ。

 ミアは左側の柱へ寄り、エレンはザインの後ろにつく。

 サラは最後尾から、中庭と廊下を交互に見た。

 エレナが水門の内側へ灯りを寄せた。

 鉄の軸は残っていた。

 だが、その先の石板が砕けている。

 欠片が隣の溝へ詰まり、水はその上を越えて流れていた。

「……これも使えません」

「壊れてるのか」

 ザインが訊く。

「ええ。奥の板が割れています。外からは見えなかったんですが」

 エレナは手を伸ばさず、灯りの角度を変えた。

 石板の中央が大きくえぐれている。

「何かを、強くぶつけたような跡ですね」

「直せそう?」

「私たちだけでは無理ですね。直すなら戻って装備を整える必要があります」

 手帳を閉じた時だった。

 低い唸り声がした。

 廊下の角から、三つの頭が現れる。

 それぞれの口から牙がのぞき、中央の喉には赤い光が灯っていた。

「ケルベロスだ。火を吐かせるな」

 ザインが曲刀を抜く。

 エレナは灯りを壁際へ置き、右へ開いた。

 エレンが斧を構え、サラは半歩ずれて矢をつがえる。

 獣が床を蹴った。

 中央の頭がザインを狙う。

 その口へ矢が飛び、牙の間へ突き立った。

 炎が漏れる。

 ザインは横へかわし、曲刀で顎を斬り上げた。

 踏み込みを止められた獣へ、左からミアの槍が入る。

 右の頭が彼女へ向き直ったところで、エレナが反対側から目元を突いた。

 首が跳ね上がる。

 ザインの後ろから、エレンが踏み出した。

 斧が前脚の付け根を捉える。

 巨体が沈んだ。

 低くなった首へ、ザインが曲刀を振り下ろす。

 獣は石床へ倒れ、しばらく脚を掻いた。

 やがて、ケルベロスの脚が止まった。

 ミアは槍を構えたまま待っていた。

 ザインが動かないことを確かめ、頷く。

「よし」

「今度は、前に出すぎなかったでしょ」

「ああ。そのままでいい」

 エレナが刃を拭い、水門の脇へ目を向けた。

 砕けた石板の欠片が、隣の溝に詰まっている。

「こちらへ流すはずだったんですね」

「別の川へか?」

 ザインが訊いた。

「そこまでは。ただ、溝は壁の向こうへ続いています」

 脇に、低い入口があった。

 扉は外れ、壁へ立てかけられている。その向こうから風が来た。

 ザインは入口の横へ寄り、中を見た。

 狭い部屋だった。

 錆びた工具が壁に掛かり、床には長い鉄の棒が転がっている。反対側には、外の光が差していた。

「奥は外か」

「見てくる!」

 ミアが羽を動かす。

「一緒にだ。先へ行くなよ」

 彼女は空中で止まり、四人を待った。

 部屋を抜けると、城壁沿いの細い足場へ出た。

 低い石段が斜面へ下り、その先には森がある。

 ミアが枝の位置を見比べた。

「ここ、さっきの橋より下だ」

「村へ戻れるか」

「川へ下りなければ。あの大きな木の向こうに、通れるところがある」

 ザインも斜面を見た。

 草は枯れていたが、足を置ける岩は続いている。

「覚えておけ。来た道が使えなけりゃ、こっちへ出る」

 エレナが手帳へ道筋を描き足した。

 作業室へ戻ると、エレンが壁を指した。

「これも、水路?」

 剥がれた壁土の下に、線が刻まれていた。

 四角い枠から何本もの溝が延び、その一つが、今いる部屋の床と同じ形に分かれている。

 エレナは灯りを近づけた。

「設備の図のようですね。ここが、先ほどの水門で……」

 指を触れずに動かし、線をたどる。

 その上流に、もう一つ大きな枠があった。

「水を溜める場所でしょうか」

「止める仕組みもあるの?」

 サラが訊いた。

「分かりません。ですが、水はここを通ってから二つの水門へ送られています」

 ザインが図と廊下を見比べた。

「遠いか」

「隣の部屋の位置です」

「そこまで確かめる。何か動かすのは、見てからだ」

 ミアが小さく頷いた。

 廊下を少し進むと、水音が大きくなった。

 壁の開口部から、広い石槽が見えた。

 窓は高く、差し込む光の中を白い湯気が流れている。

 水は、奥の壁から何本もの細い溝へ分かれていた。

 その底を、赤い光が走っている。

 エレナは敷居の手前で止まった。

「触らないでください」

 ミアが伸ばしかけた手を引く。

「石も?」

「ええ。光っているところには、特に」

 壁には、中庭と同じ紋様が刻まれていた。

 丸い紋から伸びた線が水槽の底へ続き、隣の紋へ繋がっている。

 光が強まった。

 直後、溝の水面に細かな泡が浮く。

 エレンが眉を寄せた。

「今、熱くなった?」

「……水を通しながら、熱を加えているようです」

 エレナは周囲を見渡した。

 水門を動かす軸も、流れを止める板も見当たらない。

「水門を直しても、熱い水は来るのね」

「ああ。流す先が変わるだけだな」

 ザインが答えた。

 ミアは湯気の向こうを見ていた。

「この光を消せば?」

「どこまで繋がっているのか分かりません。途中を壊すのは危険です」

 エレナは手帳に紋様を写した。

 筆先が一度止まり、奥の壁へ目が戻る。

 赤い線は、壁を越えて続いていた。

 石槽の部屋を離れると、低い音が聞こえた。

 ザインが手を上げる。

 四人が止まった。

 重いものを、床へ引きずるような音だった。

 少しして途切れ、それきり聞こえなくなる。

 ミアが槍を身体へ寄せた。

「……ここ、虫もいない」

「熱いから?」

 サラが小声で訊く。

「さっきの水場にはいたよ」

 誰も口を開かなかった。

 廊下の先で、赤い光が揺れていた。

 大きな扉が半ば開いている。壁を走る紋様は、その両脇へ集まっていた。

 ザインは、その場から隙間の奥を見た。

 太い柱。

 広い石床。

 さらに奥に、炎を映す大きな刃があった。

 動かなかった。

 だが、誰かが持っている。

 ザインは曲刀の柄を握り直した。

「戻るぞ」

 四人へ手を振る。

 エレナが手帳を閉じ、サラを帰りの方へ促した。

 その時、声がした。

「そこまで来て、立ち去るか」

 大きくはなかった。

 それでも、廊下の端まではっきり届いた。

 ザインは四人へ、その場に留まるよう合図した。

 曲刀を抜き、扉の脇まで進む。敷居を越えずに中を見た。

 太い柱が両側に並び、その向こうに数段の階がある。

 壁際の溝には赤い光が走り、広間の奥へ集まっていた。

 その階の上で、巨大な刃が炎を映していた。

 鎌だった。

 長い柄の先で、黒い刃が大きく弧を描いている。縁には鈍い金色の装飾が絡み、内側へ向いた切っ先が、眼下の床を指していた。

 それを握る腕は、ザインの腿ほども太かった。

 黒い手甲の上から、盛り上がった筋肉が肩へ続いている。炎に照らされた胸板は厚く、その下には、深く割れた腹筋が浮かんでいた。

 大鎌を片手で支えている。

 柄が傾いても、腕はわずかにも震えなかった。

 サラの視線が、さらに上がった。

 床に立てば、人の倍近い背丈になるだろう。

 壇上から見下ろす顔は、炎の揺らぎの中にあった。

 張り出した顎。吊り上がった目。

 口元からは鋭い牙がのぞいている。頭上には、ねじれた角を束ねたような黒金の冠がそびえていた。飾りなのか、頭そのものから伸びているのか、見分けがつかない。

 その目が、ゆっくりと五人を見渡した。

 腰から下を覆う炎が揺れた。

 髑髏を思わせる飾りの下には、筋肉の盛り上がった太い両脚が伸びていた。

 尖った足先は床すれすれまで垂れている。だが、石床には触れていない。

 その巨体は、炎の中に浮かんでいた。

 大鎌が、わずかに傾いた。

 火が巻き上がり、広間の柱へ長い影を投げる。

 これほどの炎に照らされているのに、その背後の壁は見えなかった。

 ザインは敷居で止まり、曲刀の柄を握り直した。

「ここの主か」

 髑髏じみた顔が、ゆっくりと彼へ向いた。

「我が番犬では、足りなかったようじゃな」

 ミアがザインの肩の横へ出た。

「ここの水、あんたが熱くしてるの?」

 男が彼女を見た。

「森の羽虫か」

「花が枯れてる。魔物も増えてる。村の方まで、熱い風が来るんだよ」

 ミアの声が、広間に響いた。

「止めて」

 男は答えなかった。

 鎌の石突きを、床へ下ろす。

 乾いた音がした。

 その足元から、細い炎が石の継ぎ目を走った。

「ここは火術要塞。我が炎の満ちるところじゃ」

 ミアが槍を握り締める。

「森まで、あんたのものじゃない!」

 ザインが半歩、前へ出た。

 ミアを止めるためではなかった。

 男の視線が、彼女から動かなかったからだ。

「俺たちは、森で何が起きてるか調べに来た。魔物は襲ってきたから倒した。それだけだ」

 男が、ようやくザインを見た。

 目が合った瞬間、喉が乾いた。

 ヒドラとは違う。

 大きさでも、武器でもない。

 階の上まで踏み込み、剣を振るう。

 その途中のどこで斬られるのか、見当がつかなかった。

 ザインは息を吐き、柄を握る指の力を緩めた。

「話が通じるなら、聞きてえ。あの水を止める気はあるか」

 男の口元が動いた。

「止める?」

 笑ったのだと分かるまで、一瞬かかった。

「ようやく、ここまで満ちた炎をか」

 エレナが息をのんだ。

 朱鳥の紋様。

 熱を帯びる水と風。

 炎をまとい、鎌を手にした姿。

 ランスの部屋が、脳裏をよぎった。

 卓に積まれた観測記録。

 ヨハンネスの指が、星図の一点を示していた。

 アビスゲートが開いている。

 あの時は、まだ遠い話だった。

 古い記録に残る名と、夜空の変化が、どう結びつくのかを考えていた。

 今は、目の前にいる。

「……アウナス」

 その名が、口からこぼれた。

 男の目が、彼女へ向く。

「我を知るか」

 サラがエレナを見た。

 エレンも、その名を覚えていた。

 ランスで聞いた、四つの名の一つ。

「四魔貴族の……?」

 誰も、笑わなかった。

 アウナスが鎌を持ち上げる。

 刃の先で、炎が長く尾を引いた。

 ザインは一歩退いた。

「全員、下がれ」

 エレンが動く。

 エレナがサラの背へ手を添えた。

 ミアも後ろへ飛ぶ。

 アウナスは、階を下りてこなかった。

 空いている方の手を、ゆっくりと開いた。

 壁の紋様が光った。

 エレナが振り返る。

「廊下から離れて!」

 水路の蓋の隙間から、炎が噴き上がった。

 左右の壁を火が走り、五人の背後で重なる。

 サラが身を縮め、エレンがその腕を引いた。

 全員が、敷居の内側へ押し戻された。

 帰り道が、炎の向こうへ消えていた。

「定めじゃ……」

 階段の上から、低い声が落ちた。

 アウナスは五人を見下ろしている。

 逃げ道を塞いだことを誇るでもなく、ただ、当然の結果を告げたようだった。

 ザインはアウナスから目を離さなかった。

 相手は、まだ同じ場所に立っている。

 鎌を構えさえしていなかった。

「エレナ。後ろを頼む」

 彼女が頷き、扉と壁の紋様へ目を走らせる。

 ザインが曲刀を構え直した。

 すぐ後ろで、エレンが斧を握る。左にはミア。右には退路を確かめ終えたエレナが戻った。

 最後尾で、サラが矢をつがえる。

 五人で動きを確かめた、あの位置だった。

「倒せるなら倒す。だが、勝つために死ぬ気はねえ」

 ザインは、階段の上で揺らめく炎を見据えた。

「全員で生きて帰るぞ」

 

 

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