Romancing SaGa 3 — Destinies Unbound — 作:水城 雅
ザインたちが旧市街の家を訪ねると、ミューズが窓際の椅子から顔を上げた。
開いた窓から春の風が入り、ゆるく編んだ髪を揺らしている。初めて会った時より、頬に血の色が戻っていた。
「顔色、よくなったね」
エレンが言うと、ミューズは微笑んだ。
「ありがとうございました。私、あれ以来とても元気になりましたのよ。きっと夢魔と一緒に病魔も退散したのですね」
「だったら、追い出した甲斐があったわね」
エレンも笑った。
ミューズが皆のために椅子を寄せようとすると、シャールが先に背へ手をかけた。
「私が」
「あら。椅子くらい、運べますよ」
「まだ、目を覚まされて三日です」
「はい。では、お願いします」
ミューズは素直に手を離した。その代わり、傍らの小さな籠を取り、卓の中央へ置く。
「皆さんも、お座りになって。今日は、お茶を飲むくらいのお時間はあるのでしょう?」
「ええ。その前に、少しご報告を」
トーマスが鞄から箱を取り出した。
中には、ミューズが飲まずに残していた薬包が収められていた。
卓へ置かれた箱に、ザインが目を向ける。
「薬の件か」
トーマスは頷いた。
「薬局の使いが、途中で荷車の故障に行き会ったそうです。手を貸していたところへ、男が声をかけた。旧市街へ行くから、薬は代わりに届けよう、と」
卓の上には、封をした薬包が置かれている。
ザインはそれを見下ろした。
「顔は」
「三十か四十くらい。茶色の上着に、布の袋。髭はなかったそうですが、よく覚えていないと」
「その辺を歩いてりゃ十人はいるな」
「ええ。近くの店にも聞きましたが、名前や住まいにつながる話は出ませんでした」
窓際の椅子で、ミューズが膝の上に手を重ねた。
「こちらへは、いつも通り薬局からだと。シャールが留守でしたので、私が受け取りました」
「顔見知りだった?」
エレンの問いに、ミューズは首を振った。
「いいえ。でも、私の名前をご存じでしたし、薬もお願いした日に届きましたから」
「それなら、受け取るよね」
サラが薬包を見る。
エレナは手帳の一行に線を引いた。
「薬局を出た時の包みと、ここへ届いた包みを、同じものだとは確かめられない。途中で人の手を離れています」
「その男がやったってこと?」
「調べる必要はあります。ただ、今のところは、その人を見つける手がかりがありません」
エレンは椅子の背へ寄りかかった。
「親切そうに持ってこられたら、分かんないじゃない」
「だから、次からは僕のところで受け取って、知っている者が届けます」
トーマスは薬包を箱へ戻した。
「薬局にも、そのように頼みました。使いの方の話は書き留めてあります。何か分かれば、照らし合わせられる」
蓋が閉じた。
ザインはシャールの左手へ視線を移す。
「で、こっちはどうだ」
銀の指が開いた。
「痛みも、違和感もありません。ですが、外せば元に戻ります」
シャールは留め具に触れ、銀の手を外した。
左の指が力を失う。右手で腕を支え、卓へ静かに載せた。
ミューズが、その脇へ畳んだ布を差し入れる。
「治ったわけではないのですね」
「はい。この手甲をつけている間だけです」
エレナは銀の手の内側を覗いた。
指を曲げる紐も、腕を引く仕掛けもない。
「私には、模様の年代を調べるくらいしか。実際の作りは、職人に見ていただいた方がよさそうです」
「それなら、一軒あります」
トーマスが言った。
「レオナルド武器工房。祖父の代から付き合いがあるんです。今は、娘さんが切り盛りしています」
ミューズが顔を上げる。
「ノーラさんの?」
「ええ」
「私も、ご一緒してよろしいですか」
シャールがすぐに彼女を見た。
ミューズは先に微笑んだ。
「先生には、少しずつ歩くよう言われています。疲れたら、きちんと休みますから」
「……途中で無理はなさらないでください」
「はい」
エレンが立ち上がった。
「じゃ、みんなで行こ。あたしもちょうど、斧を見てもらいたかったのよ」
腰から手斧を外す。
刃先の小さな欠けを見て、ザインも自分の曲刀へ手をやった。
*
工房の場所は、看板より先に音で分かった。
槌が鉄を打つ高い音に、ふいごの息が重なる。開いた戸から熱が流れ、通りの春風と混じっていた。
店先には剣と槍が並び、その隣には鍋や蝶番も置かれている。
奥で若い職人が、荷車の車輪に使う鉄の輪を転がしていた。
「トーマスさん?」
作業台の向こうから、女が顔を上げた。
赤紫がかった豊かな巻き毛を束ね、頭巾にゴーグルを載せた女だった。袖なしの上衣からは鍛えられた腕が伸び、腰には工具袋を下げている。
「久しぶり。今日は大勢だね」
「相談したいものがあって。仕事の邪魔になりませんか」
「物による。馬車一台分なら来週にして」
トーマスが笑い、皆を紹介した。
女は布で手を拭いながら、一人ずつ顔を見る。
「ノーラだよ。ここの仕事を預かってる」
ミューズに気づくと、作業台の脇から椅子を出した。
「具合、悪かったんだって?」
「もう、だいぶよくなりました」
「そりゃよかった。ここ、暑いから。気分が悪くなる前に言って」
ノーラは椅子を炉から離し、窓を開けた。
「で、何を見ればいい?」
シャールが左手を上げる。
ノーラの手が、窓の留め金の上で止まった。
「……そいつか」
*
銀の手は、柔らかな革を敷いた作業台へ置かれた。
ノーラは勝手に触れなかった。
「持ってもいい?」
シャールが頷くと、両手で取り上げ、明かりへ透かす。
指の継ぎ目、手首、内側。向きを変えながら見て、やがて短く息を吐いた。
「銀の手って、名前だけじゃなかったんだね」
「ご存じなのですか」
「親父の図面にあった。聖王の遺物を調べた帳面さ。こんな細工が本当に動くのかって、子供の頃に見せてもらった」
奥の棚から、厚い帳面を持ってくる。
開いた頁には、細かな文字に囲まれた手甲の絵があった。線の一部は薄れていたが、甲の模様は目の前の品とよく似ている。
エレナが身を乗り出した。
「写しを取らせていただいても?」
「いいよ。ただ、こっちは絵だ。本物かどうか、これだけで請け合うつもりはない」
ノーラはシャールへ向き直った。
「動くところを見せてもらえる?」
銀の手をつけると、左の指が曲がった。
差し出された木片を握り、持ち上げる。ノーラは手首の動きを横から見て、次に小さな釘を一本、台へ置いた。
「こいつは」
シャールが摘み上げた。
ノーラは目を細める。
「力任せに動かしてるわけじゃない。ずいぶん細かく言うことを聞くね」
「仕組みは分かりますか」
「分からない」
即答だった。
「少なくとも、うちで作ってる手甲とは別物だ。動かない腕まで動くんだろ。留め金を真似したって、同じものにはならないよ」
エレナが頷いた。
「術の働きも調べる必要がありそうですね」
「そっちは、あんたの方が詳しそうだ」
「詳しい人に、心当たりがあります」
「なら、絵を持っていきな。本物をあちこちで見せるよりいい」
ノーラは帳面を開いたまま、エレナの前へ寄せた。
シャールが銀の手を覆うように袖を下ろす。
「ありがとうございます」
「大事にしな。具合が変わったら、使うのを止めて。分からないものを、分かったつもりでいじるのが一番危ない」
その言葉に、ザインはエレナを見た。
「聞いたか」
「今、しっかり書き留めておりますが」
ノーラが二人を交互に見て、口元を上げた。
*
壁に、長い武器掛けがあった。
ほかの棚には品物が詰まっているのに、そこだけ何も掛かっていない。
シャールの視線に気づき、ノーラが言った。
「聖王の槍を預かってた場所だよ」
手にしていた布を畳む。
「盗まれて、親父も死んだ。職人が散って、一度は炉まで冷えた」
ミューズが顔を伏せた。
「……お父様には、幼い頃にお世話になりました」
「ああ。覚えてるよ」
ノーラは少し声を和らげた。
「でも、今は見ての通り。包丁を研いで、鍋を直して、注文を一つずつ戻した。昔ほどじゃないけどね」
奥から呼ぶ声がした。
ノーラは振り向き、冷ます品を置く場所を指示する。
その間にも、槌の音は途切れなかった。
トーマスが武器棚を見る。
「ずいぶん品数が増えましたね」
「鍋ばかりじゃ、腕が鈍るから」
「槍を盗んだ奴の手がかりは?」
ザインが訊いた。
「ジャッカルって名。それだけさ」
「顔は分からねえのか」
「分かってたら、ここで待ってないよ」
ノーラは空の武器掛けを見た。
「けど、今また店を放り出すわけにもいかない」
「その名を聞いたら、知らせる」
ザインが言うと、彼女は振り返った。
「頼むよ。こっちは、帰ってくる場所を開けとく」
エレンも頷きかけ、それから手に持った斧を見た。
「じゃあ、ついでにこっちもお願いできる?」
「そっちは、すぐ分かる話だね」
ノーラはエレンから斧を受け取り、刃へ目を近づけた。
「これで、何を斬った?」
「魔物。大きい黒いのと、魔王殿にいたやつ」
「薪は?」
「昔から割ってるけど」
「だろうね」
ノーラは柄を返し、擦り減ったところを親指でなぞった。
「持つ場所が二つある。細かい仕事をする時と、思い切り振る時。ちゃんと使い分けてる」
エレンが少し嬉しそうにした。
「分かるの?」
「道具を見りゃね。裏で振ってみな。人に向けるんじゃないよ」
「それくらい分かってるって」
裏庭には、試し斬り用の木束と、厚い土壁の前に置かれた藁の的があった。
エレンは皆が離れたのを確かめ、手斧を振った。
刃が木束へ入る。
足を戻し、すぐに構え直した。
ノーラは切り口よりも、彼女の手元を見ていた。
「最後に、指を締め直したね」
「少し滑るのよ。汗をかくと」
「柄を太くしすぎると、今度は返せなくなる。刃も、あんたの振り方には小さいな」
エレンが斧を見る。
「まだ使えるでしょ」
「使える。けど、もっと改良できそうだね」
「ありがとう。助かる!」
「それと、あんたにはこれも合うかもしれないね」
ノーラは棚の下から、幅の広い革帯を取り出した。使い込まれた金具には、細かな模様が刻まれている。
「力帯っていうんだ。身につけた人間の腕力を、少し底上げしてくれる」
「へえ。そんなものがあるんだ」
「昔から工房に残ってた品だけど、まだ十分使えるよ。試してみな」
エレンは腰に帯を巻き、金具を締めた。
その場で軽く踏み込み、腕を振る。
「……あれ?」
「どうだい」
「何だろう。いつもより、力が入る気がする」
「そりゃよかった」
ノーラは満足そうに頷いた。
「こいつは試しに貸してあげる。斧と一緒に使い心地を聞かせてよ」
「分かった! 大事にする」
エレンは笑って、もう一度帯を確かめた。
「これで、もっと重い斧も振れそうね」
「……今でも十分だろ」
ザインが呟く。
「何か言った?」
「いや。何でもない」
ノーラが笑った。
ノーラは次にザインを見た。
「あんたも。腰のやつ、抜いてみて」
ザインは三日月刀を抜いた。
ノーラが刃を受け取り、眉を上げる。
「手入れは悪くないね」
「毎日使うからな」
「研ぎ減ってる。ずいぶん付き合ったんだろ」
ザインは頷いた。
返された剣で木束へ一太刀入れ、刃を引く。二度目は打ち込まず、手首を返して切っ先を止めた。
「そこで止めるのか」
「抜けなきゃ、次が来るだろ」
「その使い方なら、もう少し刃を持たせられるね」
「重くするのはいいが、先だけ重いのは困る」
「分かってるよ」
ノーラの口調に、少し楽しそうなものが混じった。
「で、弓のお嬢さん」
サラが顔を上げる。
「私?」
「ほかに弓を持ってる?」
サラは首を振り、狩人の弓を差し出した。
ノーラは握りと弦を確かめ、矢を一本借りた。曲がりを見てから返す。
「向こうの的へ。いつものように」
サラはエレンを見た。
姉が一歩下がり、場所を空ける。
弓を引いた。
矢は的の中央より、わずかに左へ刺さった。
「もう一本」
二本目も、すぐ隣へ入る。
サラが唇を結んだ。
「少し、ずれました」
「二本とも同じところだ。狙いをころころ変えるより、ずっといい」
ノーラは弓を受け取り、彼女の手の大きさを見た。
「引く時、ここが邪魔じゃない?」
握りの膨らみを示す。
「……はい。少し」
「先に言いなよ、そういうのは」
「私の持ち方が悪いのかと思って」
ノーラはサラへ弓を返した。
「道具の方を直せることもある。次は我慢する前に教えて」
サラは握りを見つめてから、頷いた。
*
エレナの細剣を見た時だけ、ノーラはすぐに何も言わなかった。
刀身を明かりへ向け、鍔から柄頭までを確かめる。
「いいエストックだね。あんたに合わせて作った?」
「ええ。長さと重さを、何度か見ていただきました」
「だろうね。こいつは替える必要がない」
エレナは少し安心した顔で受け取った。
構えを見せ、突いて、引く。
「もう一度。今度は戻す時、ゆっくり」
言われた通りに動くと、ノーラが近寄った。
「そこの指、擦れない?」
「長く使うと、少し」
右手の中指を開く。
皮の硬くなったところを見て、ノーラは頷いた。
「柄の巻き革が痩せてる。握り直した時に、縁が当たるんだ。下を少し足して巻き直せばいい」
「刀身の釣り合いは変わりませんか」
「変えない。まず仮巻きして、あんたが持ってから決める」
「それなら、お願いします」
ザインが横から剣を覗いた。
「随分いい物だったんだな」
「調査先で折れてからでは、困りますから」
「いくらした」
エレナが金額を告げると、ザインは一度黙った。
「……宿に何泊できるんだ、それ」
「宿では魔物を倒せませんから」
「まあ、命には代えられねえか」
「そこで高いとおっしゃらないのは、助かります」
「毎日の飯なら言う」
「知っています」
ノーラが声を立てて笑った。
*
店へ戻る途中、若い職人が鉄材の束を抱えて出てきた。
幅の狭い戸口で、端が柱に引っかかる。
「そっち下げて」
エレンが先を持ち、ザインが反対側を支えた。
「どこだ」
「あちらの台へ」
サラが床の木片を退ける。鉄材が台へ収まると、職人は息を吐いて礼を言った。
ノーラは作業場の奥から、包みを二つ持ってきていた。
それを卓へ置き、布を開く。
片方はまだ仕上げていない斧の見本。もう片方は、握りも弦もついていない弓だった。
「あんたたち、しばらくピドナにいる?」
「何日かは」
ザインが答える。
「なら、うちの新しい品を使ってみないか」
エレンの目が斧へ向く。
「買えってこと?」
「店に並べる前の新作を、実戦で使ってもらいたいんだ。店で振るのと、旅先で使うのは違うからね」
ノーラは手斧を示した。
「あんたの斧と、そっちの三日月刀は、今の鋼を使って作り直す。弓は、こっちで用意していたものを仕上げる」
「お金は、いくらですか?」
サラが尋ねた。
「一本、千オーラム。試作品だから、その値段でいいよ」
ザインの眉が動いた。
「待て。試してやるのはこっちだろ。金を取るのか」
「鋼も職人の手間もただじゃないよ。それに、あんたの剣は新しい鞘まで作るんだ。これでも随分まけてる」
ザインは腕を組んだ。
「もう少し安くならねえか」
「千ならいいじゃない」
エレンが横から言った。
「今の斧も使ってもらえるんでしょ。私はお願いしたいわ」
「私も。ちゃんと手に合う弓にしてもらえるなら」
サラも頷いた。
エレナが並べられた見本へ目を向ける。
「ここまで一人ずつ見ていただいて、千オーラムなら妥当だと思います。私の調整代も、別にお支払いしますから」
「お前ら、少しは値切れよ」
「必要なら、ザインの分だけ交渉してください」
エレナは涼しい顔で答えた。
「そうしてるだろ」
「じゃあ、私は決まりね」
エレンが斧を持ち直す。
「私もお願いします」
サラが続いた。
ザインは二人を見て、それからノーラへ向き直った。
「……分かった。千だ。ただし、普通に使って壊れたら弁償なしだな」
「もちろん。その代わり、壊れたら破片も持って帰って。何が悪かったか調べたいからね」
ノーラは笑った。
「使い心地も、遠慮なく聞かせてもらうよ」
「そこは任せろ。文句ならいくらでも出る」
「あんたには期待してるよ」
エレンが吹き出し、サラも笑った。
エレナは手帳を開く。
「では、試作品として改善したい点を先に伺っておきたいです。そこを意識して記録できますから」
「そういう話がしたかったんだよ」
ノーラは満足そうに頷いた。
「『いい物ですね』で、終わる客も多いからさ。あんたらは使いにくいところを、ちゃんと言ってくれそうだ」
「こいつは細けえぞ」
ザインがエレナを指す。
「あんたもだよ。先が重いのは嫌なんだろ」
エレンが吹き出した。
ノーラはエレンを見る。
「あんたは、まだ使えるかって聞いたね。新しい物があれば何でもいい、って顔じゃなかった。それも気に入った」
エレンは少し照れたように手斧を持ち直した。
「シノンから、ずっと使ってるし」
「じゃあ、その分も働いてもらおう。鋼は捨てない」
エレンが刃を一度撫で、柄の方を向けて差し出した。
「お願い」
ザインも三日月刀を鞘から抜き、台へ置いた。
「納期は」
「五日。ほかの注文もあるし、急いで失敗したくない」
「分かった」
「それまでの替えは貸す。ただし、そっちは返してもらうよ」
ノーラは壁の武器棚へ向かった。
エレナが財布を出す。
「私の調整代は、先にお支払いしますね」
「巻き革込みで三十」
大銀貨が三枚、台へ並んだ。
ザインがそれを見てから、ノーラへ訊く。
「鞘は?」
「新しい剣に合わせて作る。代金は取らない」
「聞いておかねえと、あとで困るからな」
「はいはい。あんたの分だけ、紙に書いとこうか」
「全員分お願いします」
エレナが即答した。
ノーラはまた笑った。
*
五日の間に、皆は何度か工房へ顔を出した。
エレンは柄の太さを確かめ、サラは弓を引く長さを測ってもらった。エレナは仮に巻いた革を握り、少し厚いと伝えて、もう一度直してもらった。
ザインには、刃をつける前の剣が渡された。
「こっちか、前の釣り合いか」
「こっちだ。戻す時に手首が楽だ」
「よし」
ノーラは短く答え、剣を持って炉へ戻った。
シャールも銀の手を見せに来たが、分解はしなかった。動かした時の様子と、外した時の違いを記録するだけに留めた。
ミューズは店先の椅子でそれを待った。調子のよい日には、サラと一緒に通りを少し歩いた。
薬を届けた男については、新しい話が出なかった。
トーマスは問い合わせを続け、返事の来た店を手元の紙から消していった。
*
約束の日、作業台には三つの武器が並んでいた。
「まずは、あんたから」
ノーラがエレンへ渡したのは、刃幅の広い斧だった。
「フランシスカ。裏で試してみな」
エレンは木束へ向かい、斧を振り下ろした。
刃が深く食い込む。引き抜いて構え直すと、思わず笑みがこぼれた。
「いいわね、これ。振った後も扱いやすい!」
「そりゃよかった」
次にザインが受け取ったのは、新しい鞘に収められた曲刀だった。
「ファルシオン。あんたの注文が一番細かかったよ」
「先に聞いてきたのは、そっちだろ」
ザインは刃を抜き、軽く振るった。
以前より重い。それでも切っ先は流れすぎず、思った位置で止まる。
「……悪くねえ」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
サラには、明るい木肌の弓が渡された。
「カナリアの弓。握りを少し細くしてある」
サラは弦を引き、的へ矢を放った。
中央に刺さったのを確かめ、もう一度弓を握る。
「……手が、迷わないです」
「今までの練習が無駄だったわけじゃないよ。道具が合えば、もっとよくなる」
サラは嬉しそうに頷いた。
エレナも、巻き直したエストックの柄を確かめていた。
「少しの違いで、随分変わるものですね」
「毎日握るものだからね。違和感があったら、また持っておいで」
エレナは礼を言い、剣を収めた。
試し振りを終え、三人はそれぞれ代金を支払った。
エレンはまだ新しい斧を眺めている。
「ねえ、もう一回振ってもいい?」
「木束なら好きにして。的と壁は壊さないでよ」
「分かってるって」
ザインが鞘へ剣を戻した。
「その顔は、分かってねえ顔だ」
「うるさいわね。あんただって、もう一回振りたいでしょ」
ザインは答えなかった。
ノーラが、別の木束を顎で示した。
*
帰る頃には、陽が少し傾いていた。
トーマスが連絡先を書いた紙を渡し、ノーラはそれを注文帳へ挟んだ。
「旅に出る前に、行き先だけ教えて。こっちから聞きたいこともできるかもしれない」
「決まったら、知らせます」
エレナが答えた。
シャールは袖の下の銀の手を見た。
「こちらも、何か分かりましたら」
「ああ。親父の帳面は、もう少し探してみる」
ノーラは奥の棚へ目を向けた。
その上に、空の武器掛けがあった。
「槍の方も、忘れてない」
ザインが言った。
ノーラが顔を戻す。
「頼んだよ」
それ以上、長い約束はしなかった。
ミューズが礼を述べ、皆と一緒に通りへ出る。
エレンは戸口で振り返った。
「ノーラ。この斧、ちゃんと使って帰ってくるから」
「新品のままじゃ、何も分からないからね」
「刃こぼれしても怒らない?」
「使った結果なら直す。手入れをサボったら怒る」
「了解」
ノーラはエレンの後ろにいるザインを指した。
「研ぎ方は、そいつに見てもらいな。あの三日月刀、最後までよく使ってあった」
ザインが少し顎を引く。
エレンは彼を見た。
「先生、お願いします」
「柄を緩めたまま使ったら、俺も怒るぞ」
「先生が二人に増えた」
サラが笑い、エレナも口元を緩めた。
ノーラは片手を上げ、工房へ戻っていった。
ほどなく、槌の音が再び響く。
ザインは歩きながら、新しい鞘の位置を少し直した。
「どう?」
エレンが訊く。
「まだ慣れねえ」
「あたしも」
そう言いながら、二人とも腰の武器へ手をやっていた。
サラは新しい弓を肩に掛け直し、追いついてくる。
「次は、どこへ行くの?」
エレナは抱えていた手帳へ目を落とした。
銀の手の模様と、ノーラの父が残した図の写しが挟まっている。
「ランスへ行こうと思っています」
「聖王の町?」
「ええ。ヨハンネスとアンナという、兄妹の研究仲間がいるんです」
サラがエレナの隣へ並んだ。
「どんなことを調べてる人たち?」
「ヨハンネスは星の観測を。アンナは術式の研究をしています。私は各地で見つけた星図や碑文の写しを送って、意見を聞いているんです」
シャールは銀の手へ目を落とした。
その隣で、ミューズが歩調を緩める。彼も足を緩めてから、エレナを見た。
「この手のことも、お願いできますか」
「もちろん。分かったことは、手紙でお知らせします」
「ありがとうございます」
ミューズが皆へ微笑んだ。
「どうぞ、お気をつけて。戻られたら、お話を聞かせてくださいね」
エレナは手帳を開き、前の方へ頁を戻す。
街道沿いの地名に、日付と短い書き込みが添えられていた。
「それともう一つ、魔物が普段の棲み処から動いていることです。私たちが通った道だけなのか、もっと広い範囲で起きているのか、確かめたい」
「星を見て、そんなことまで分かるの?」
エレンが訊く。
「それだけでは分かりません。ただ、ヨハンネスは以前から、星の動きと地上の異変を照らし合わせています。ほかの土地からも知らせが来ているかもしれません」
ザインは手帳を横から見た。
「あの黒い奴もか」
「関係があるかは、まだ。ただ、あれがサラさんを狙っていたことも、話しておきたいです」
サラの指が、弓を吊るした革紐の上で止まった。
エレンがその顔を見る。
「どうする?」
「……行ってみたい」
サラは少し考えてから、続けた。
「あの魔物のことも知りたいけど、エレナさんのお友達にも会ってみたい。星の話、面白そう」
「あたしも。せっかくピドナまで出てきたんだし、もう少し遠くまで行ってみたいわ」
エレンが腰の斧へ手を置いた。
「これも、使い慣れておきたいしね」
「試すために魔物を探すなよ」
「分かってるって」
ザインが鼻を鳴らす。
エレナは手帳を閉じ、彼へ向き直った。
「それで、ザイン。改めて、護衛をお願いしたいのですが」
「ランスまでか」
「まずは。滞在が長引くようなら、その先は別に相談を」
「日数は」
「船と街道の具合を調べてからになります」
「なら、それが決まってからだな。日当と、宿代。それに――」
「またお金の話?」
エレンが口を挟んだ。
「護衛を頼むって言ったのは、こいつだぞ」
「そうだけど。さっきから、あんたも気になってる顔してたじゃない」
「どんな顔だ」
「あの黒い奴もか、って」
ザインはエレンを見た。
彼女は悪びれずに笑っている。
「聞きたいんでしょ?」
「聞くだけなら、帰ってきてから教えてもらえば済む」
「えっ。一緒に行かないの?」
サラが顔を上げた。
ザインは言葉を止める。
「まだ条件の話をしてんだよ」
「……ケチ」
「お前まで言うのか」
サラは口元を押さえた。
エレンが肩を揺らす。
エレナは二人をたしなめるように手を上げた。
「仕事を頼むなら、報酬は必要です。そこは、きちんと」
「ほらな」
「ただ、ご自身もお話を聞きにいらっしゃるのでしたら、その時間まで護衛料に含まれるのか、相談したいところですね」
「お前、どっちの味方だ」
「契約内容を確認しているだけですが」
トーマスが笑いを堪えながら、間へ入った。
「船の便は、僕の方で調べておきます。僕はしばらくピドナの仕事を離れられませんが、兄妹に会えたら、話を聞かせてください」
「ええ。こちらで何か分かった時も、お願いします」
エレナが答えると、トーマスは頷いた。
「船の便、頼んだぞ」
ザインが付け加えた。
「もう行くつもりじゃない」
エレンがすかさず顔を寄せる。
「……話が面白そうなのは、認める」
ザインはエレンから目を逸らし、エレナの手帳を見た。
「魔物が動いてるってんなら、旅する身には他人事じゃねえ。だから、行く。金の話は、道が決まってからだ」
エレンが満足そうに頷いた。
「はいはい。じゃあ、一緒ね」
「はいは一回でいい」
「よろしくお願いします」
サラまで頭を下げる。
ザインは何か言いかけ、結局ため息をついた。
護衛料は一オーラムも決まっていなかった。
行くことだけは、決まっていた。
*
その夜、ザインが宿の食堂へ下りると、エレナはすでに地図を広げていた。
向かいにエレン、隣にサラが座っている。空いた椅子の前には、湯気の立つ皿が置かれていた。
「遅いよ、おじさん」
「呼ばれてねえぞ」
「今、呼びに行こうと思ってたの」
ザインは空いた席へ腰を下ろした。
「で、どの道だ」
エレナが地図を寄せる。
ランスの名に置かれた指から、ザインは街道を辿った。
「船を使うなら、ここまでは――」
「あの、その前に」
サラが遠慮がちに口を挟んだ。
「今度は、降りる港をちゃんと決めておこうね」
エレンの手が止まった。
ザインが顔を上げる。
「そうだったな」
「一回間違えただけでしょ」
「一回で街道を歩く羽目になったんだろうが」
「おかげで、あんたたちに会えたじゃない」
言い返しかけて、ザインは黙った。
エレナが小さく笑う。
「では今回は、四人で確かめましょう」
サラが頷いた。
ザインは匙を取り、皿を手元へ引き寄せる。
「先に食うぞ。冷める」
「賛成」
エレンもパンへ手を伸ばした。
エレナは地図を畳み、食器の置ける場所を空けた。
ランスへの道順も、護衛の条件も、まだ話すことは残っていた。
けれど、卓を囲む四人の分の夕食は、もう揃っていた。