◇転移24日目
「工房の買い取りねぇ・・・・」
その日は、朝から緑青館の遣手婆に相談を持ちかけた。
隣には、右叫の奴もいる。
こいつも、よく俺の話の時にいるが、暇なんだろうか?
いや、恐らくは俺の担当になっているのだろうけれど。
「あぁ。アイツに任せるよりはマシな仕事ができるよ、俺は。それに婆さんにとっても、俺がさらに色々と作れるようになるのは悪くない利点のはずだけどな。」
俺はそう言って、婆さんを釣ろうと針を垂らし糸を動かす。
針先についた餌を見せびらかすように・・・・
「はんっ。んなもん、利点でもなんでもないよ。大体、それは私の利じゃなくて、アンタの利だろうに。」
が、そんなものに釣られるような婆さんではない。
「はっ。まぁその通りではある。だがな?鍛冶場が手に入りゃ、作れるもんが倍増する。それに早さも、だ、段違いで進められるようになるだろう。あと最後に──────」
俺は、婆さんへの最大の売り文句を決めてやった。
俺としても利にしかならない提案だ。
「妓女になれなかった連中の引き受け先として、俺の営繕小屋を使うのはどうだ?」
「はぁ?営繕小屋を?一体なんの話だい。」
「ふんっ、弟子を取ってやるって言ってんだよ。男女問わず。いや、女でも構わない。そもそもここじゃ、男を弟子にするなんて難しいだろ。少しでも手先の器用な奴なら、俺の仕事を受け継げるだろうよ。それなら婆さんの心配もなくなるだろ?」
「・・・・・・・・」
妓楼には、当然だが多くの女性がいる。
そう、多くの《・・・》女性がだ。
妓女だけではない。
妓女になれなかった者もまた、存在している。あるいは、妓女になった上で失敗した者も・・・・。
夜鷹の如く客を取るような者も当然いるが、全員が全員という訳でもない。
そもそも、この婆さんは、そんな風潮を毛嫌いしている方の人間だ。
それでも、やらなければならない時があったとも聞くが・・・、今ではそういったことはできるだけしていないとも聞いている。
「稼ぎの出せない奴は、夜鷹にでもなる他ない・・・・梅毒にでも罹ればそいつは終わる。人としても、な。」
夜鷹の末路は悲惨だ。
歴史上の話だけでも悲惨だが、夜半にはよく通りを彷徨いているのが見える。
耳が欠け、鼻が欠けた、末期の梅毒患者の姿をよく見かけるのだ。
「梅毒の治療には、"ペニシリン"って奴がある。この間、少し羅門とも話したが、俺の知っている方法をそのまま試したところで、薬の生成はうまくいかないだろうとのことだった。完全な薬の生成には、多くの実験と多くの時間がいるとな。」
「ぺ、ペニシリン?なんだいそりゃ・・・。それがあれば、梅毒を治せるってのかい!?」
「治せる。梅毒だけじゃねぇよ。俺のいたところじゃ、これの生成一つでほとんどの病が治せたんだ。ほとんど万病薬といっても過言じゃねぇ。・・・だが・・・・・、それだけに作るのも難しい。そもそも量が必要な薬だ。安定的に生産が可能になる前は、相当な時間がかかる。数年程度じゃ無理かもな・・・。」
「なんだい・・・・そりゃ。糠喜びさせんじゃないよ。」
「そりゃ悪かった。だが、作れるってところは確かだ。問題は、発見と抽出なんだよな・・・。ペニシリンだけを抽出するのがたぶん、かなり難しいんだ。」
「ふーん。」
技術的な話になると、婆さんは興味もなくなったかのようにキセルをふかし出した。
今はまだ"単なる夢物語"だと聞いて、興味もなくなったようだ。
右叫は、まだ横で真剣に聞いているようだが、右叫自身は話に加わるつもりはないらしい
「おいおい・・・大事な話なんだぞ?」
「んなもんに興味もないよ!大体、直ぐにできるようなもんでもないんだろ?」
「はぁぁぁ・・・そりゃそうだけどよ・・・。大体、今は人手の問題があるんだ。研究に割ける人間がもっと増えるなら、時間も短縮できるさ。」
「それだけじゃないだろう。金ももっと掛かるようになると見たよ。違うのかい?」
「・・・・・・・。」
間違いではない。
確かに、そうした研究には人だけじゃなく金もかかる。しかも膨大に。
「大体、妓女として働けない女を受け入れる、って話じゃなかったのかい?なんで梅毒の話なんだい。」
「そりゃ、関係あるからだ。俺の技を教えるって話だけじゃない。羅門の弟子としても何人かを送り込むべきだって言ってんだよ、俺は。」
「羅門の・・・?あのジジイの所に、女を送れって?一体なんの話・・・」
婆さんには、俺の意図がわからないらしい。
俺としてはこの上なく分かりやすいように、婆さんにこの世界での儲け方について説明しているつもりなのだが。
「婆さん。あのな?今、この妓楼でも数人はいるだろう?妓女としてはやっていけないような娘って奴がさ。」
「・・・・・いるよ。けど、それがなんなんだい!だからって放逐したりなんてしないよ!あの娘らにはしっかりと稼いで貰わなきゃ・・・」
「だから、その稼ぎ方についての話をしてんだよ!婆さん。」
「詳しく教えな。」
疲れた・・・・。やっとこさ、この婆さんにマトモな話ができるらしい。
色々と回りくどく話を進めてしまったが、こっちの言いたいこと、提案したいことというのは、要は"儲け話"だ。
ただし、"俺"も"婆さん"も、"羅門"でさえも儲かるようになる儲け話だ。
羅門の経済面での問題は、嫌になる程良く分かっている。
たった数日でも、あのお人好しの金への執着の無さは徹底してる。
しかし、羅門にだって、金が必要ない訳じゃない。生きていくには、みんな等しく金が必要だ。
「花街の外れで、羅門が育ててるのが何かわかるか?」
「あん?そりゃ、何かの薬草だろうさ。アイツの商売道具だからね。」
「そう、それだよ。」
「?何がだい?」
「何がも何もあるかよ。薬草の中には、高級なモノもある。しかも、香料、高級な香水になるようなモノだってな。」
「アンタ・・・・アンタそりゃまさか・・・」
「そう。羅門なら、その知識も有してる。もちろん、香水に関係する知識がある訳じゃないだろう。でも、高級な薬草の類なら知識も持ってるだろうな。」
「つまりアレかい?この妓楼の中で、高価な薬草の類を育てさせて金にしようってのかい?」
「そう、そうだ。まぁ、これは案の一つだ。だが、悪くないとは思わんか?例えば、どんぶりの鉢一つで育てられるような薬草だってある。知識があれば、そういったものだけでも、下位の妓女くらいには稼ぎが出せるだろうよ。」
「なんだって・・・?それは、本当かい!?・・・・まさか、こんなに近くに稼ぎの種が埋まってたなんてね・・・!」
「問題は羅門自身だ。アイツ、直接聞いた訳じゃないが、何か刑罰でも受けたんだよな?その辺りの問題がないのかどうか、だろうな・・・」
「ぬ・・・・そこは・・・なんとも言えないねぇ。」
「まぁ、実際こうしてここには来てるんだろ?なら、ここにもっと来れるように手配しな。そうして、奴にはもっと色々と教えてもらえるようにするんだな。そうすりゃ、稼ぎの種なんていくらでもできるさ。」
「・・・・ふーん。アンタの中にもそれがありそうだけどねぇ・・・」
「あるにはあるな。だが、タダでくれてやるほど、羅門みたいに優しくねぇよ?俺は。何はともあれ、鍛冶場の買い取りだ。あの趙鉄って奴から買い取りたいんだ、俺ぁ。どうすんだ?金を出すのか?出さないのか?どっちだ。」
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◇転移25日目
翌日。
翌日の転移から25日目のことだ。
右叫や他の男衆数人が動き出し、昨日の内に、趙鉄の工房の査定を秘密裏に行ったらしい。
だからこそ、俺も一言付け加えたのだが・・・・・
「右叫、査定は構わない。だが・・・、余りにも査定額が安ければ、趙鉄のやつが納得しないだろ。納得させられなければ買い取れないぞ?その辺り、頼むから忘れずにいておいてくれよ?」
「あー・・・・そうか。そうだったな。分かった、婆さんにも言っておく。」
あの工房を見て、高音が付けられるほど甘い想定はしていない。
どう考えても、俺なら銀30枚も出せばいい所だろう。
「はぁぁぁ・・・。どうなるかね?最初に言った夜間の借り受けも、結局しないままだったな。まぁ、別にどうでもいいが。」
世の中、計画的に進められるようなことなど、そんなにない。
何もかもが思い通り進むのは、物語の中だけだ。
それも、⚪︎慰小説・・・・いや、やめておこう。
──────そして、さらに翌日の午後。
「ほれ、終わったよ。」
転移から26日目の午後のこと。
緑青館の遣手婆から、一組の書類を見せられた。
どうやら、権利書の類のようだ。
「あ・・・・・え?もう、か?おいおい、早過ぎないか?趙鉄から、工房を全部買い取ったって?」
買い取りの話をしてから、まだ三日目だ。
話した翌々日のことって訳だが・・・・・マジか。
話をした当日も含めて三日・・・正直、現代じゃ絶対にあり得ない速度だろう。
早過ぎて、腰を抜かすかと思った。
少なくとも、今の俺の顔は引き攣ってるだろうな・・・・確実に。
「え、えと・・・ともかくあの鍛冶場は、もう使えるのか?」
「権利上の話だけだよ。終わったのは。あとは、あの趙鉄とかいうウスノロが、いつ出ていくかって話だけさね。」
「そ・・・・かぁ・・・。」
この時の俺は、婆さんの行動の速さに驚くと共に、脳内では次にすべき事を一つ一つ計算し続けていた。鍛冶場を手にしたとなれば、そこが例え緑青館の持ち物であろうとも、使うのは俺一人。
要は、俺の城である。
俺の好き勝手にできる鍛冶場が手に入ったのと同義だ。
いくらでも改良が可能に・・・・・いや、一から十まで改良し尽くさなければならないだろう。
「まずは、炉の解体と改良からか・・・・カオリン・・いや、この時代だと陶石か?買い集めて、使えるもんの選別を・・・あとは、送風機も作らないとダメだろうし、焼き入れ用の塩水と油、冷水の準備も・・・・って、これはもっと後か。いや、家の建て直しも必要か?」
などと、次の事を考え出した。
婆さんも、そうなった俺に興味はないらしく、そのまま書類を持って仕事場へと消えていったようだ。
ただ、一枚の書類だけが、後には残っていたのだが。
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『緑青館雇工身分証(戸帖抄)』
【身元】
・氏名:斎恋
・年齢:20
・箱貫(出身):西都近郊・無籍拾得
・現所属:帝都・花街【緑青館】
・戸主:緑青館楼主 陳鳳
・役務:館付 営繕雇工
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思い通りにならないのは、作者としても同じ気持ちだ。
全然、初期の予測通りには進んでない。
初期構想はどこへと行ったのやら・・・・誰か教えてくれ。