ダブルが完成した。
目の前に現れたもう一人の自分を見て、俺は思わず息を呑んだ。
顔も、身体つきも、身にまとった衣服も、寸分違わず再現されている。
試行錯誤を繰り返し、何度も失敗してきた。
思うようにいかず、鍛錬の方向性に悩んだこともある。それでも諦めずに取り組み続け、ようやくこの瞬間にたどり着いた。
成功した。
その実感が、遅れて胸の奥に広がっていく。
これで、もっと強くなれる。
今まで一人で行ってきた鍛錬も、工夫次第で効率を上げられるはずだ。虎咬拳の技術を磨くにしても、二人分の動きを利用できるのは大きい。
もちろん、能力を完成させただけで強くなったわけではない。
これから使い方を試し、欠点を見つけ、使いこなせるように鍛えていく必要がある。
それでも、ようやく一歩を踏み出せた。
俺は目の前の分身に意識を向けた。
その瞬間だった。
「――っ!」
頭の中に、何かが流れ込んできた。
知らない景色。
知らない人々。
見たこともないはずの場所。
それらが、ひとつの人生を形作る記憶となって押し寄せてくる。
知らないはずなのに、知っている。
自分のものではないはずなのに、確かに自分の記憶だった。
息が詰まる。
頭痛とは違う。身体のどこかが傷ついたわけでもない。
ただ、俺という人間の中に、今まで存在しなかったはずの何かが、一気に溢れ出していた。
いや。
存在しなかったのではない。
思い出したのだ。
俺は、カストロだった。
そして、俺には別の人生の記憶があった。
この世界とは違う場所で生まれ、違う名前で生きていた記憶。
そんなものが自分にあるなんて、今の今まで考えたこともなかった。
俺はずっと、自分をカストロだと思って生きてきた。
この身体で鍛錬を重ね、虎咬拳を磨き、念能力を身につけてきた。それらは間違いなく、俺自身の経験だった。
前世の記憶など、何一つ覚えていなかった。
それなのに、今。
まるで封じられていたものが一気に解き放たれたかのように、別の人生の記憶が蘇っていた。
そして俺は、この世界の物語を知っていた。
漫画として。
『HUNTER×HUNTER』。
自分が生きている世界が、かつて読んでいた物語の世界だということを、俺は理解してしまった。
理解したくもない事実まで、一緒に。
記憶の中に、一人の男の姿が浮かび上がる。
奇妙な化粧。
軽薄な笑み。
相手を弄ぶような言動。
そして、底の見えない強さ。
ヒソカ。
俺は、あいつを知っている。
物語の中で、カストロが戦う相手。
そして――。
「……負ける」
声が漏れた。
誰に言うでもなく、ただ口からこぼれ落ちた言葉だった。
そうだ。
俺は負ける。
ヒソカと戦い、敗北する。
念能力を駆使して善戦するものの、最後には圧倒される。
そして、その戦いの先に待っているのは。
死。
そこまで思い至った途端、全身が冷たくなった。
呼吸が浅くなる。
心臓が、嫌な音を立てている。
嘘だ。
何かの間違いだ。
そう思いたかった。
けれど、記憶はあまりにも鮮明だった。
ヒソカの能力。
戦いの流れ。
カストロの敗北。
それらは断片的で、細かな部分には曖昧なところもある。
漫画で読んだ内容を、すべて覚えているわけではない。
それでも、結末だけは覚えていた。
俺は死ぬ。
このまま物語の通りに進めば、俺はヒソカに殺される。
目の前には、完成したばかりのダブルがいる。
さっきまで、あれほど誇らしかった自分の成果。
強くなるための、大きな一歩。
それが今は、ひどく遠いものに見えた。
どれだけ鍛えればいい。
何をすれば助かる。
そもそも、本当に助かるのか。
考えようとしても、思考がまとまらない。
ヒソカの強さを知っている。
自分が敗北することも知っている。
その事実だけが、頭の中で何度も繰り返される。
逃げたい。
怖い。
死にたくない。
そんな言葉ばかりが、頭の中を回り続ける。
どうすればいいのかなんて、分からなかった。
何をすべきなのかも、考えられなかった。
ただ、自分がいつか死ぬという事実だけが、重くのしかかっていた。
俺はまだ生きている。
今は、まだ。